目標を持つということ

昨日の『クローズアップ現代』は三浦雄一郎さんを取り上げていた。
三浦さんは言うまでもなく、先月、80歳でエベレストに登頂されたプロスキーヤー。
これまで70歳と75歳でもエベレストに登頂されているが、実は60台前半の頃は典型的な成人病男性で、メタボ、糖尿病、不整脈と、どこにでもいるような中年肥満男性に成り下がっていた。しかし90歳でモンブランを滑るという父親の三浦敬三さんや、オリンピックのフリースタイルスキーの代表になった次男の三浦豪太さんにはさまれて、『これではいかん!』と一念発起されて、70歳でのエベレスト登頂という目標を設定して、それに向かって努力された。
76歳ではスキーの転倒で大腿骨骨折に見舞われて、そのまま寝たきりになってしまっても不思議ではないような状態からカムバック。80歳になってからも持病の不整脈の心臓手術を受けるなど、決して順調な人生を歩んで来られた訳でない。
しかし体力テストをしてみると、80歳の時の結果が数年前より上がっている項目もいくつかあるなど、普通ならあり得ないような80歳なのだが、それを産み出している最大の要因は、常に『目標』を持っておられるということらしい。
さて、私はどうだろうか。
29歳の時に『マラソンを完走する』という目標を設定して以来、どうにかこれまでは何かの目標を持って生きてこられたように思う。ロードやトラックで記録を向上させることはもはや不可能だが、ロングトレイルにチャレンジするなど、以前はできなかった(やらなかった?)ことに取り組んで、それなりの結果を得られていると感じている。
ここに至って、これまでずっと登山を続けてきたことを本当にありがたく思っている。
なぜなら、ロードやトラックであればどうしてもタイムが基準になる。いつまでも目標を持って走り続けるということは、わずかずつではあっても目標タイムを下げていくということだ。致し方ないこととは言え、あまりうれしいことではないし、例え目標をクリアできたとしても、『昔はこんなものではなかったのに・・・』という気持ちはどうしてもぬぐえない。
しかし登山はタイムレースではない(もちろんトレイルレースはタイムレースだが)。もちろんタイムへのこだわりは無いわけではないのだが、一番楽しいのは、自分でルート設定をして、それを自分で実現していくことである。
登山はそういう可能性が無限大にあり、これまで登山をやってきたおかげで、3000mクラスの山でも気象条件さえ間違えなければ大胆なコース設定ができる。
今シーズンの目標は新穂高から水晶岳ピストン。うまくいっても12時間くらいはかかると思うが、六甲全山往復も何とかクリアできたので、何とかやりとげたいと思う。
そのためにはやはり日頃のトレーニングが重要である。
明日はナイター練習会。気合いを入れて走るつもりだ。