「遊ぶ」が勝ち

今朝、起きたとき、まだ脚筋疲労を感じたので、今日は思い切って休養日にした。
で、居眠りしたりしながら読んだのが、先日、図書館で借りてきた『「遊ぶ」が勝ち』。400メートルハードル日本記録保持者の為末大の著書である。
為末氏には現役の頃から、一般的なアスリートのイメージとはちょっと異なる印象を感じていた。
現役時代でも『インベストメント ハードラー』という投資関係の本を書いたりしているし、都心の路上にハードルを置いて走ったりするようなイベントを開催したり、東北大震災の後もいち早く、アスリートを中心とした支援組織を立ち上げたりしていた。
現役引退後はテレビのリポーターやインタビュアーのようなことをやったりもしているし、一流アスリートが引退後は指導者の道に進むという、一般的な進路とは異なる道を歩んでいる。有森裕子の男性版と言ったところだろうか。
現役時代も、所属していた大阪ガスを辞めてプロ宣言をしたり、コーチを付けずに自分で練習メニューを考えるなど、他の選手とはかなり異なるスタイルでやっていた。レースも海外に積極的に出かけるなど、マネージメントも自らこなしていた。
やはりこういうふうな人生を歩んできた人は、単なる一流アスリートというのとは少し違うなと感じてしまう。
この本は、歴史学者ホイジンガの著書『ホモルーデンス』を基軸にして、『遊ぶ』ということの本質をスポーツ行為との対比で解説しようとしているもの。しかしここで言う『遊び』はもちろん、刹那的な快楽主義のことではない。
日本のスポーツ選手がなかなか大舞台で実力を発揮できないのは、この『遊ぶ』という感覚を自分のものとして消化できていないということと、そういう表現を許さない社会の雰囲気にあるのではないかと伝えている。
私のようなアマチュアの場合は、いくらハードなレースであったとしても、それは『遊び』でしかないのだが、オリンピックレベルのトップアスリートにとっては、まったく別次元の行為であろうことは疑いの余地も無い。
強化選手などは強化費として国からのお金も支払われているので、なかなか『遊び』という気持ちになれないだろう。特にメダルが期待されるようなレベルであればなおさらだ。
ただ、ここで述べられている『遊び』というのは先にも述べたように、コスプレでマラソンを走るようなことを言っているわけではない(コスプレを非難したり、見下したりしているわけではありません)。
そこには奥深い考察があるわけで、そういうレベルでの『遊び』のできる人は、とてつもなく深く考えているのである。そのあたりは勘違いしないようにしたい。