食品偽装

某大手ホテル系のレストランで、メニューの不適切表示があったという事件が、世間を賑わせている。食品偽装は何年か前に大きな話題になって、その年の漢字に『偽』という文字が選ばれたことがある。
最近でもコメの混ぜものやうなぎの産地偽装などの報道をよく見かけるし、表面化しているだけもこれだけ頻繁にあるということは、実態はその10倍以上はあると見ていいだろう。
私はこういう手合いのレストランに行くことは無いし、行きたいとも思わないので、どちらかと言うと冷ややかな目で見ている。消費者が苦情を呈するのはわからないではないが、その時においしいと思って食べたのであれば、もういいのではないかと思ったりする。少なくとも身体に害があるようなものを食べさせられた訳ではないはずだし。それに、こういう苦情を言うということは、実はその人は本当は味の違いがわかって選んでいたわけではないということになるのではないか。私が被害者ならむしろ黙っておきたいくらいだ。
もちろん今回の件に関してはホテル側に問題があることは明らかで、それなりの対処が求められるのは当然のことだが、それにしても料理に限らず、バッグやアクセサリーなどでも、『ブランド』に対して多くのお金を消費する人たちがこれだけたくさんいるというのはいったいどういうことなのだろう。私にはよく理解できない心理である。
もちろん私も何かを購入するときに、どこの会社の製品化というのは重要な要素の一つである。街で居酒屋などに入る時も、大手チェーンのような店であれば一応はその店のイメージを考える。
しかしその時の心理は、物品購入の場合は訳のわからないメーカーの安物で損をしないようにということがメインだし、居酒屋の場合はあやしげな食材と従業員の過酷な労働を強いて安くしている某チェーンのような店は避けるという、どちらかと言うと付加価値を求めるのではなくてマイナス要素をできるだけ排除したいということが主眼になっている。
食材にしても料理にしても物品にしても、一般的なイメージで平均的レベルのものであれば、今はそれほど大きな価格差は出ない時代になっていると思う。ごく一握り、付加価値を高めて高くなっているものと、逆になんらかの手法で非常に安く提供しているものがあるが、私はごく平均的レベルのもので十分なのだ。
ただ一度だけ、会社員時代に出張でアメリカへ行ったとき、帰りの空港の免税店で、たまたま使いやすそうな財布が目についたので、それを買った。それには値札が付いていなかったのだが、ブランドなどは知らないので、そのあたりに一緒に並んでいたものと同じくらいだろうと勝手に思ってレジへ行ったところ、実はそれらの倍くらいの値段でぎょっとしたのだが、すでにカードも出してしまっているので今更いらないとも言えず、致し方なく買って帰った。
それはカルチェの財布だったのだが、使えば使うほど味が出て手に馴染んで、10年くらいは使い続けたと思う。小銭入れや札入れも内側は布なのだが、10年経ってもすり切れもせず、この時はさすがにブランド物は値打ちがあると思った。
皮の薄いタイプだったので折れ目などが次第にすり切れてきて、買い換える時にも同じ物がほしいと思ってネットで探して同じようなタイプのものを購入したが、微妙にサイズが違って、結局1年も使わずにお蔵入りとなってしまった。やはりこういうものは手にとってさわってみないとダメだと思った。
それ以来、いわゆるブランド物には手を出したことは無い。