志賀高原エクストリームトライアングル

昨日は志賀高原エクストリームトライアングルだった。
前日のコース説明会で、非常に厳しいコースであるということが散々強調されて、制限時間の 20 時間で完走できるかどうか不安を抱えてスタートしたが、序盤の雨とこれまでの雨で路面が非常にぬかるんでいて、稜線のフラットなシングルトラックの部分もどろどろでほとんど走れず、それでなくても大変な急な下り斜面が滑り台状態になっていて、結局第2関門の制限時間の 14 時間を2分オーバーして、ここでリタイアということになった。
それでも上位3人は 10 時間を切るタイムだったようで、改めてトップ選手の実力を思い知らされた。

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雨が降ることはおり込み済みだったので、かなり冷えることを想定して上はオーロンの薄い長袖と長袖ジップシャツの2枚、下はロングタイツにした。
スタート時の気温は思ったよりは高めで、雨は降っていなかった。
午前4時に前山スキー場をスタートする。まずはゲレンデ登りだが、ゲレンデに何カ所か深い溝があり、ゲレンデを越えると大きな石がごろごろした歩きにくい道になる。
しばらくすると雨が降り出してきた。足元は不安定な上に滑りやすい。
雨が強くなってきたので雨具を着る。空はまだ暗い。
こんなところをまた疲れ果てて夜に下るのかと思うとぞっとする。
スタート前の説明では赤石山まで1時間くらいとか聞いていたのだが、私は2時間少々かかってしまった。この道なら下りも同じか、それ以上にかかる可能性がありそうだ。
雨が収まったので雨具を脱いで、烏帽子岳からの急な下りのために持ってきた雪用のスパイクを装着してポールを早くも出した。
ずるずるの路面にスパイクは期待以上の効果だったが、装着して 30 分もしないうちに左足の方が無くなっていた。シューズがすでにどろまみれで、しっかり見ないと着いているのかどうかよくわからない。
周りの多くの人たちはずるずると滑っているのだが、私はそれまでは尻餅をつくようなことは無くてそこはかとない快感を感じていた。
少し調子に乗って前の人を抜こうと、道の反対側の斜面に向かったところ、勢いが良すぎたのかすってんころりん!!。何とその拍子に、右手のポールが手首の根元からぽっきり折れてしまった。
まだまだ序盤だと言うのに、早くもスパイクは片足紛失、ポールは片方骨折となって、失望感がどっと押し寄せてきた。右手のポールは取っ手の部分がぶらぶらしたまま、その下を握って使い続けた。
7時過ぎにようやく寺子屋峰を通過。展望はほとんど無い。
赤石山から裏岩菅山まではかなり走れるという話だったが、足元は沼のようなドロ溜まりで、道の脇の雑草の生えている部分を滑らないように注意しながら歩くばかり。快適に走れるような部分はほとんど無い(トップ選手達はきっと走って行ったのだろうが)。
この大会は2カ所の関門以外は途中にエイドは一切無いので、補給はかなり自分で用意しておかなければならない。私はジェルを5個、おにぎり、カステラ、パックのサンドイッチなどを用意しておいた。
第1関門までは距離はわずか 26km ほどだが、制限時間は9時間ある。しかしこれはそれほど緩いタイムではないと何度も強調されていた。おまけに今日のこのコンディションではさらに厳しくなる。
烏帽子岳からの急な下りに備えて、その手前で腰をおろしてパンを一切れ食べて、休憩した。もうスタートしてからすでに6時間近く経っている。第1関門まではあと 7km くらいらしいが、これからが最初の関門の激下りで、一体どれくらい時間がかかるのか予想もつかない。
その激下りは、予想をはるかに上回るすさまじいものだった。まるで滑り台に油を流したような斜面が次から次から現れる。開き直ってお尻で滑っていく人も少なくなかったが、私はスパイク片方とポール片方をすでに損傷しているので、この上さらに雨具にダメージを与えるようなことはしたくなかった。
斜面の横ギリギリのところを木の枝を掴んだりしながら何とか大きな転倒をせずにかなり下まで来られたのだが、ちょっと気が緩んだ時に足を滑らせて、そのまま勢いで道をはみ出して笹の斜面に滑り込んでしまった。
横の斜面の傾斜がどれくらいなのかまったく気にしていなくて、果たして止まるのかどうか不安を感じたが、幸い 3m くらいの滑落で止まってくれた。岩などの突起物も無かったので、まったくの無傷だったのは幸運だった。
第1関門の切明に到着したのは制限時間の 20 分ほど前の、12 時 42 分だった。かなり気力も萎えてきていたので、気持ちを立て直すために 15 分ほどゆっくりした。そしてこの先のコース状況を考えて、ポールはしまった。
午後1時前に第1関門をスタート。少し車道を登ってから林道に入り、吊り橋を渡って対岸の斜面をジグザグに登る。この登りは思ったより長かったが、登り切ると『極上フラット!!』という看板が現れた。
確かに走れる道なのだが、最近の私はこういうところで快調に走れなくなっている。おんたけの時も 50km 過ぎあたりに湖畔のフラットな部分があったのだが、期待したほどは走れなかった。『歩きではない』という程度で、キロ7分より遅いだろう。
渋沢ダムまで数キロ続くのだが、ここで随分と抜かれた。
ダムを過ぎると、西大倉山まで標高差約 600m の登りが続く。しかし道はしっかりしていて、一定の傾斜で続くので、登りやすい道だ。こういう部分になると、バテて止まっている人をしばしば抜くようになる。
1時間半ほどでようやく西大倉山へ到着。ここで腰をおろしてカステラをほうばる。第2関門まではあと 5km とのこと。もう4時半近いので、関門通過はまたギリギリになりそうだが、この時点ですでに、第2関門で終わりにしようと決めていた。
第2関門をギリギリで通過すると、ゴールまでは6時間しかない。前日の説明会で、かなりのレベルの人が試走でそこそこのペースで走って4時間くらいだったとのことなので、私ならおそらく8時間はかかるだろう。
逆算すると、第2関門を遅くとも4時半くらいにはスタートできなければ完走は不可能だ。西大倉山への登りでそんなことを考えていた。
地蔵峠の登りは思った以上にきつく、下りに入った時はすでに関門 30 分前を過ぎていた。関門に間に合ってもリタイアしようと思っていたので、ここで最後に頑張ろうという気持ちはまったくおきなかった。
第2関門のタイマーの位置を通過した時は6時1分を指していた。私の数メートル前にいた女性がチップを回収されようとしていた。
会場へ戻るバスは7時出発とのこと。最短距離なら1時間くらいで戻れるのだが、最近、白根山の火山活動が活発化しているそうで、最短距離の国道が夜間通行禁止になっているらしい。おかげで南の方を大きくぐるっと回って長野経由で戻らなければならず、会場に戻ってきたのは 10 時 30 分だった。
こういう本格的なトレイルの大会は昨年の八ガ岳以来だったが、やはりこういうのはもうムリだと再認識した。帰りのバスで隣に座った女性(関門で私のすぐ前にいた人)が今年の UTMF に参加して、130km あたりの関門で収容されたという話をされていた。
ムリをして UTMF に参加しても、まず完走は望めないだろう。それでもとにかくチャレンジを目指すか、もう諦めて方向転換するか、かなり迷っている。
このところはっきりしているのは、下りが全然ダメということだ。おそらく筋力が低下しているのだろう。しかしレース後に大腿四頭筋の筋肉痛があるかというと、それはほとんど無い。となると、肉体的なことよりも精神的なものが原因かも知れない。要するに、自分の能力をしっかり使い切れていないということだ。自分で自分にブレーキをかけてしまっているのかも知れない。
ダイトレはこの5年ほどの間に3回出場して、徐々にタイムが落ちている。しかしその中身を見ると、金剛山までの登り主体の区間はほとんどタイムが変わらない。落ちているのは終盤の下り区間なのだ。
今回もそうだったが、登りは遅いながらもじっくりと止まらずに歩き続けられるので、徐々に順位を上げることができる。しかし下りになるとまた抜き返されるというパターンなのだ。
自分の気持ちに正直に向かってみると、実はこういう本格的なトレイルの大会では走っている最中に快感を感じたことがほとんど無いのだ。山登りそのものは好きで、個人的にやるトレイルランは楽しいのだが、どうもレースではそういう感じにならない。随分以前に参加したハセツネの時も、楽しいと感じた瞬間はほんのわずかだった(ゼロでは無かったが)。
ここ1年くらいに参加した大会では、走っている最中に楽しいと感じられたのは奥熊野いだ天とおんたけウルトラトレイルだ。ロードレースでは皆無。鯖街道はその中間という感じ。キャノンボールはお祭り気分で結構楽しい。
志賀高原が完走できなかったので、2週間後のおんたけのダートマラソンに行くかどうか迷っている。大会の内容そのものは私向きだ。おんたけウルトラトレイルと一部重なったコースで、大部分が未舗装の林道で約 42km。一昨年に参加したときは久しぶりに終盤に快適な気分が味わえた大会だった。
ただ、今回は UTMF エントリーのためのポイント獲得という目的だったので、今ひとつモチベーションが上がらない。おそらく時間内に完走はできると思うので、そうなると UTMF のエントリーポイントをクリアしてしまうので、やはりエントリーということになるだろう。
抽選に外れればすっきりと諦められるが(来年、再挑戦?)、もし当たってしまったらどうしようか。
そんなことを考えながら高速を走っていたら、何と覆面にスピード違反で捕まってしまった。そんなにスピードを出していたつもりはなかったのだが、何と 80km 制限の区間で 108km だったとのこと。人生初である。

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