王滝ダートマラソン無事完走

王滝ダートマラソンは無事完走できた。
正直、ほっとした。タイムは 4:25 で、一昨年より 12 分ほど遅くなったが、今の力は出し切れたと思う。

より大きな地図で 王滝ダートマラソン を表示
このところなかなかモチベーションが上がらず、今回の大会は内容的にアクシデントさえなければ完走はできるという安心感が逆に変なプレッシャーになって、気持ちを持って行くことが難しかった。
久しぶりに天候の不安のない大会で、朝は寒かったが着替えようとしているうちに日射しが強くなってきて、ノースリープのシャツで走ることにした。
最近はレース前にモチベーションが上がるということはあまり無くて、だいたいは走り出してしばらくしてから気持ちが乗ってくる。今回もそれを期待して、ムリのないペースで走ろうと思った。
前回は序盤で格好のペースメーカーを見つけて、後半の登りまでずっとその人の後ろを走り続けた。その人が今回も参加されていたので、また同じようなパターンにならないかと期待したのだが、スタートしてしばらくしてもまったく見える気配は無い。おまけに早くも左足首に痛みが出てきた。
前回は序盤の登りをこのペースメーカーのおかげで心拍数 160 弱という絶好の強度で何も考えずに上がることができたのだが、今回は自分でペースメイクしなければならない。気分的に焦りがあるのか、心拍数はずっと 160 を越えている。しかしそれほどムリをしているという感覚は無いので、若干抑える感覚を持ちながらそのまま進む。
1時間ほどで最初のピークへ上がり、少し下ってまた少し登る。ここでジェルを補給する。今回のテーマの一つは、1時間ごとにきっちりとジェルを補給すること。いつも思ってはいてもどうしても疲れを感じるまであまり補給しないクセがついていて、これが中盤以降に粘れない要因の一つになっているのではないかと思って、今回のレースはたかだか4時間半くらいだが、まずはその習慣を付けるようにしようと思った。
下りはいつもよりは攻める。ただし転倒によるケガだけは避けなければならないので、足元には細心の注意を払う。左足首の痛みは消えていたが、今度は右股関節の不調が少し出てきた。
しばらく下ると車道に出て、ここから数キロロードを下る。そしてゴール地点の横を通り過ぎる。ここでほぼ半分。2時間3分で通過した。ちなみに前回は2時間1分台だったので、結構いいタイムだった。
ここからしばらくまた林道の登りになる。この登りは前半よりも全体的に傾斜が強く、標高差も大きい。2個目のジェルを補給して、気持ちを引き締め治す。幸い、両足の不調はこの時は消えていた。
前回はこの登りも最後までジョグのリズムで上がったので、今回も何とかそうしたいと思っている。ただし今回はペースメーカーは無く、自力で登り切らなければならない。
私と同レベルの人たちはほとんど歩いていて、たまに少し走って私を追い抜いて、少し行くと歩きになってまた抜き返すということを何度も繰り返す。うっとうしいが、そのうちに走れなくなるだろう思って気にしないようにする。心拍数は 150 台。
この登りもそろそろ終盤にさしかかってきたと思った頃、前の方に見覚えのあるフォームのランナーを見つけた。前回ペースメーカーにさせてもらった女性だった。今回はこの女性をまったく見かけることが無かったので、おそらく私のペースが随分遅くなっていたのだろうと思っていたのだが、この時、それほど悪いペースではなかったのだとうれしくなった。
この女性は今 57 歳。OSJ の大会にはほとんど出場されているようで、OSJ のポイントランキングで毎年のように女子トップになられている。メーカーのサポートも得られているようだ。
前回のこの大会では終盤に私が前に出て、そのまま数分差で先にゴールできたが、今年のおんたけウルトラ 100K では1時間以上の差で負けた。
こういう人を抜くのははやり躊躇する部分がある。一度並んで少し前に出たが、ちょうどタイミング的に最後の緩い登りでジェルを補給する時間だったので、また後ろに下がった。
下りもほぼ同じペースで、10m くらい後を私が追う感じ。30km 地点を越えて少し行くとエイドステーションがあって、ロードに出た。ここからは緩い下りのロードがゴールまで続く。
しばらくこの女性を先頭にして私を含めて4人ほどの集団になったのだが、ペースメーカーにされているのを嫌がられたのかこの女性が少しペースを落とされたように感じたので、仕方なく私が前に出た。
少しするとおそらくこの集団にいたであろう男性二人が私を抜いて行って、そこからは単独走になった。あの女性とどのくらい離れているのか少し気になるが、後ろを振り返るのはためらわれた。
ペースはキロ5分台の前半くらい。たまにキロ5分ちょうどくらいまで上がることもあるが、前回途中で息切れした記憶があるので、常に少しは余裕を感じるくらいにしておいた。
残りが 5km を切って少し行った頃、右膝に違和感が出てきた。奥熊野いだ天や鯖街道で出現したヒザ痛の気配だ。あとわずかなので、何とか持ちこたえてほしい。
右膝を気にしながら走っていたら、今度は右の股関節に痛みが出てきた。いずれも爆発しないように祈りながら走り続ける。後ろの女性の位置が気になる。彼女と競争しているわけではないが、ここまで来たらやはり抜き返されたくはない。
会場のマイクの声が聞こえてきて、行きに登ったループを下る。ここで後ろを確認したところ、目に見える位置にはランナーは誰もいなかった。残りはもう 500m もないくらいだ。
ゴール直前でなぜか少しだけトレイルに入って、またロードに戻って 360 度ターンをしてゴールに向かう。最後はこのところの決まりポーズで、帽子とサングラスを取って両手を挙げてゴールした。
4 時間 25 分 42 秒、総合 69 位、年代別 12 位だった。参加者はおそらく 250 人くらい。42km の部となっているが、実際はコース上の表示から考えると 40.5km くらい。gps の計測では 40km 弱というところだ。
すべての成績で一昨年を下回っているが、内容的には今の力は出し切れたと思う。全コース走りきったし、下りもいつもよりは攻めた。足の不調で多少抑える部分はあったが、それがなくてもタイムはほとんど変わらなかっただろうと思う。
やはり私にはこういうコース設定の大会がもっとも合っていると感じた。アップダウンは大きいが、基本的には走れるコースということだ。
かつての成績を見ても、良い結果が残せているのは六甲全山縦走で、このコースはトップレベルであれば全コース走れる。私も摩耶山の登りの一部や岩を越えるような箇所以外はすべて走っていた。
それに対して富士登山競争やハセツネなどは、その当時のマラソンのタイムから考えるとあまり良くなかった。
近年で言えば生駒チャレンジはわりと走れるコースなので納得できる走りができるが、ダイトレは階段が多くていまひとつしっくりこない。
となると、どう考えても UTMF は私には向いていない。
冷静に考えれば考えるほどこの大会への参加は止めるべきだと思うのだが、どうしても一度は出てみたいという欲求が抑えきれない。
王滝が完走できたので一応これでエントリーポイントの資格は得たことになる。UTMF の大会要項が発表されるのは 10 月以降だそうだが、とにかくエントリーはしてみようと思っている。
一時はまず STY(UTMF のほぼ半分のコース)を経験してから UTMF ということも考えたのだが(STY は関門がわりと緩いらしい)、年々体力が低下していることを考えると、1年でも早く経験しておいた方がいいだろう。
たとえ出場しても途中の関門でつかまる可能性が高いが、それでもトライせずに諦めるよりは、実際にその難しさを身体で感じられた方が諦めもつくだろう。
三浦雄一郎さんは 65 歳の時に一念発起して 70 歳でエベレストという目標設定をされたが、大会への参加の場合はその大会のルールがあり、自分の体力に合わせてスケジュールを立てるということができないので、そういうステップを踏むことはできない。
チャンスがあるうちに挑戦してみたいと思っている。