UTMF 2016 エピローグ

ゴールした直後、不安だった右足の股関節に痛みを覚えた。
レース中は何ともなかったけれど、やはり負担にはなっていたようだ。もし 100 マイルだったら途中で痛みが出ただろうと思う。
一息ついて、コーラを一杯いただいた。
それから富士宮焼きそば、めはり寿司、野菜スープをいただいた。富士宮焼きそばは麺にコシがあっておいしかった。昨年の大会でフランスの Arnaud Lejeune がおはしを使わずにパックに口を突っ込んでいたやつだ。

大池公園に戻るバスの状況が心配だったので、早々にバス乗り場に向かった。
途中でトイレに寄ったが、よく考えたら8時間半のレース中、一度もトイレに行かなかった。50 歳を過ぎてからは3時間半のマラソンでも一度はトイレに立ち寄っていたのに、ひょっとしたら水分補給が不足していたのかも知れない。
急なコース変更にも拘わらず、バスの運行は極めてスムーズで、少し並んだだけですぐにバスが来て、すぐに満員になって出発した。
大池公園までは1時間足らずだっただろうか。
バスを降りたら急に寒気が襲ってきた。たぶん体調の変化ではなくて気温が下がっていたのだと思う。
チップを返すテントに向かって行ったところ、今回は距離が短縮されたが記録としては完走ということになるので、フィニッシャーズベストがもらえるらしい。ただしすでに在庫切れで、後日郵送してくれるとのこと。
素直にうれしいけれど、事情を知っている人に外で見られるのはちょっと恥ずかしい。
預けていた荷物を受け取って、更衣テントに入った。少し暖かくてほっとした。
身体を拭く使い捨てアルコールタオルを忘れてきてしまったのだが、このすぐ近くにあるホテルの風呂が選手用に 24 時間営業しているとのことで、荷物をまとめただけで早々にそこへ向かった。
会場からほんの3分程度の場所で、やはり泥だらけの選手でごった返している。しかし贅沢は言えない。
シューズと靴下は悲惨な状態だった。シューズを脱いだり靴下を脱いだりするたびに、ドロがあたりにパラパラと落ちる。みんなそうなので、床はすでに泥だらけ。
ようやく裸になって浴室に入ろうとしたら、何か中が騒然としている。どうも中で倒れた人がいるようで、「救急車を呼んで!」という声が聞こえてくる。
中に入ったら横たわって介抱されている人がいたが、今度も横目で見るだけで何もしなかった。すでに何人かで対応しているので、そんなところに割り込んだら余計ごちゃごちゃするだけだ。
湯船に身体を沈めたらようやく全身に安堵感が漂ってきた。
さっぱりしてロビーに出たが、まだ午前2時。しかしロビーは大混雑で、しかも至る所にドロが落ちているので、こんな所には長居したくない。身体も暖まったので、早々に駅に向かうことにした。
駅のそばのコンビニで煮込みうどんとビールを買って、駅前のバス停のベンチで一人宴会にした。
印刷してきたバスの時刻表によると、一番のバスは7時過ぎ。時間はいやほどあるけれど、さすがにうろうろする気にはならない。
ところがバス停で本当の時刻表を見たら、何と7時の便は無くなっていて、一番は9時過ぎになっている。UTMF が短縮になった時以上のショックだったが、どうしようもない。
音楽を聴いたり、コンビニでコーヒーを買って飲んだりしながら時間をつぶして、ようやく7時近くになった。
東京方面へ向かう高速バスは5時台から何便かあるのに、西の方向は迫害されていると恨み節の一つも言いたくなる。
そうこうしていたら、7時頃に御殿場行きのバスがやってきた。
新富士へ行くことしか考えていなかったけれど、来る前に経路を調べた時に、御殿場経由の経路があったことを思い出した。
御殿場行きのバスは出てしまったけれど、携帯で御殿場経由を調べてみると、JR は新富士経由よりも少し高いけれど、バス代がだいぶ安くなるので、トータルではほとんど同額くらいだった。
しかし御殿場行きのバスはちょうど出たばかり。がっかりしたが、念のためにと思って御殿場行きの時刻表を見たところ、何と7時半に次の便があるではないか。しかも1日に4便しかない新富士行きと違って、1時間に1本くらいはある。
急に気分が良くなって、7時半のバスで河口湖を後にした。
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ひょっとしたら河口湖に来るのはこれが最後になるかも知れないと思ったが、後ろ髪を引かれるような気持ちにはまったくならなかった。