音羽三山から高取山

先月、藤原京跡から宮滝へ行った時、高取山や竜在峠への道標に何度か出会って、次はぜひこれらをつなげてみたいと思った。
地図を見ると、ちょうど音羽三山から高取山へ、竜在峠を通って稜線通しのルートが引けた。距離的にも1日でちょうどいい感じ。次の計画はあっさりと決まった。
さらにちょっと欲張って、音羽山の山頂に立っている宇陀方面への道が気になっていたので、この道で登ってこようと思った。
それなら舒明天皇陵、天王山古墳と、見所は盛りだくさん。
おっ、舒明天皇陵に行くなら朝倉富士と呼ばれる外鎌山(とかまやま)から南に下山すればいいではないか。
高取山の猿石から栢森に下りれば、明日香村でまだ訪れていない所にもいくつか寄れる。
祝日の9日はかなり暑くなりそうな天気予報だったので、完全夏装備でワクワク気分で出かけた。

近鉄の大和朝倉駅を8時 40 分に出発した。
DSC_0001.jpg
駅前にさっそく案内の掲示板と道標。
DSC_0002.jpg
道標に導かれて、よく整備された道で、駅から 20 分ほどで外鎌山の山頂(292.4m)に到着した。
西の方が開けていて、ちょうど真ん中あたりに耳成山。その後ろに二上山。左の畝傍山の後ろに大和葛城山。
DSC_0015.jpg
さて、ここからの道ははっきりしない。かすかな踏み跡を辿ったら「朝倉」という道標に出会った。ちょっと方向が違うけれど、しばらくこの踏み跡を辿った。
しかしうれしくない方向にどんどん下りて行くので、通行止めの標識のあった方に向かうことにした。
DSC_0018.jpg
案の定、ヤブに突入。gps で方向を見定めて強引に下ったところ、うまい具合に舒明天皇陵のすぐそばに下りてきた。
DSC_0023.jpg
舒明天皇は皇極(斉明)天皇の夫で、天智天皇、天武天皇の父という重要人物なのだけれど、この時代の天皇の中ではかなり存在感が薄い。この時代の政治の実権は蘇我蝦夷が握っていたからというのが一般的な見方のようである。
ここからはしばらく車道を行く。分岐がわかりにくくて何度か行ったり来たりした。
音羽山へ向かう道への分岐を見送って少し行った所に天王山古墳がある。
DSC_0026.jpg
崇峻天皇陵はここから南西に 1km ほどの場所に宮内庁治定の陵墓があるのだけれど、こちらが本当の墓ではないかという説が有力だとか。
DSC_0027.jpg
さて、少し戻って音羽山へ向かう。
しばらく車道の登りで、どうも分岐を間違えたようだ。しかし地図を見るとこのまま行っても上で合流できそうなので、そのまま上がった。
地図によると車道が終わってから細い道がちょっとということなのだけれど、確かに道と覚しき踏み跡はあったものの、もう何年もほとんど人が通っていない感じ。
DSC_0030.jpg
今さら戻るわけにもいかないので進んだ所、沢筋になって、足を滑らせて手をついたひょうしに地図を濡らしてしまった。地図はビニール袋に入れていたのだけれど、水たまりに浸かったので水が入ってしまった。
パソコンのプリンターで印刷したものなので、印刷がにじんであまり役に立たなくなってしまった。gps に地図が入っているので、致命的ではないのだけれど。
何とか本来の道に合流できたものの、踏み跡は非常に不明瞭で、gps のルートがなければとても進めないような道だ。
しばらくしたら白いテープ印が出てきた。
DSC_0034.jpg
白テープを探しながら進んだけれど、いよいよ踏み跡すらわからなくなってしまった。
DSC_0036.jpg
すぐ横の尾根筋が歩きやすそうだったのでそこに這い上がったところ、古い踏み跡が現れた。
gps のルートと少し離れた位置を並行して進んでいる感じで、そのまま道なりに進んだら音羽山から善法寺に下りる道の途中に出てきた。
DSC_0038.jpg
ここを登り返して数分で音羽山の山頂(851.4m)に到着した。すでに 11 時過ぎ。ずいぶん時間がかかってしまった。
DSC_0041.jpg
本当はこの奥から山頂に出たかったのだけれど、ジェルを補給して早々に南へ向かう。ここから竜在峠までは反対方向で以前に歩いた道
10 分少々で経ヶ塚山(889m)。ここは随行で来るといつも昼食をとる場所。
DSC_0042.jpg
熊ヶ岳の笹藪はきれいに整備されていた。
DSC_0043.jpg
11 時 48 分に熊ヶ岳(904m)を通過。
DSC_0044.jpg
12 時 3 分に大峠に到着した。音羽山からは思ったより早かった。
DSC_0047.jpg
ここで今日初めて腰をおろして、おにぎり休憩にした。
10 分足らずで早々に腰を上げる。先を急いでいたせいか、竜門岳への分岐は気付かずに通過してしまった。
細峠にはちょうど午後1時に到着した。芭蕉の句碑がある。
DSC_0054.jpg
ここからしばらく古い林道のような広い道を行って、右の山道に入る。しかし前回反対方向で通った時、この林道がどこから来ているのか気になったので、今日はこれを辿ってみることにした。方向的に竜在峠の近くに出られそうに思った。
DSC_0058.jpg
しかしこれは大失敗だった。行けば行くほど竜在峠から離れる方向に向かった。この横は急斜面なので、強引にショートカットするわけにもいかない。あきらめて分岐まで戻って、竜在辻に出た。
DSC_0062.jpg
ここからはしっかりした道で峠まではほんのわずかなのだけれど、なぜかもうちょっと山道らしい山道を行ったような気がして、変な踏み跡に入り込んでしまった。
おかげでまたヤブこぎを強いられて、細峠から竜在峠まで 40 分もかかってしまった。
DSC_0065.jpg
時間的に猿石から栢森に出るのはムリかなと思った。行ったとしても行きたい場所をじっくり見る時間は無さそうだ。時間もさることながら、そんな体力は残っていないだろうと思う。
そんなことを考えながら、走れるところは走った。このあたりはトレランのためにあるようなフラットで障害物の少ない道で、少しでもタイムを稼ごうと思った。
入谷への道を見送って、芋ヶ峠に向かう。
DSC_0066.jpg
このあとはしばらくとんでもない急斜面の下りだった。もし雨だったらとても歩けないだろう思った。写真ではそんな急斜面には見えないのだけれど。
DSC_0067.jpg
竜在峠から 30 分少々で芋ヶ峠に出た。
DSC_0069.jpg
さて、ここから本日最後の課題の高取山へ向かう。はたして道の状況がどうなのか少し不安だったので、しばらく進んで様子がわかってから腰をおろしてクリ饅頭休憩にした。
思ったより整備されている感じで、すぐ左側に林道が見え隠れしている。
DSC_0071.jpg
ところが林道がすぐそばまで迫っている箇所を越えたあたりで、急に道が不明瞭になってきた。古い看板があるのだけれど、踏み跡らしきものが見あたらない。
あたりを見渡してみると所々に赤テープがあるのが見えた。
DSC_0072.jpg
わりと短い間隔でテープがあったので、それを辿ることができたのだけれど、この先これではたまらんと思っていたところ、またもや林道に飛び出した。
DSC_0073.jpg
要するにこの間は林道が本道なのだった。
この少し先で山道になってからはまた道標もしっかりしていた。
高取山はまだ少し先と思っていた頃、早くも石垣の残骸が出てきた。
DSC_0076.jpg
高取城は本当に大きな城だったのだなと思った。
しばらく進むと吉野口門跡。
DSC_0079.jpg
井戸の跡もいくつかある。
DSC_0081.jpg
芋ヶ峠からほぼ1時間で高取山山頂(583.6m)に到着した。
DSC_0091.jpg
右が大和葛城山。左が金剛山。もっと見晴らしが良かったような記憶があるのだけれど、それは国見櫓からの眺めだったかも。
DSC_0085.jpg
こちらは大峰方面。
DSC_0086.jpg
写真を撮ったら早々に下山。
猿石は明日香村から掘り出されたものがここに置かれたらしい。
DSC_0092.jpg
車道になってからは走ったけれど、さすがに土佐町に入ると歩きにした。
DSC_0096.jpg
午後4時 10 分、ゴールの壷阪山駅に到着した。
ぱっと時刻表を見たら次の電車は 30 分後くらいだったので、近くにあったタクシー会社の駐車場の陰でこっそり着替えた。
時計を見て、まだ少し時間があることを確認して、ビールの販売機でも探そうと思ったところ、阿部野橋行きの急行列車が入ってきた。
近鉄の時刻表は特急、急行、各停がそれぞれ分かれていて、たまたま特急の欄だけを見たのだった。
ホームが改札の反対側なので間に合うかどうかと迷ったけれど、身体はすでに反応して走り出していた。
幸か不幸か間に合ってしまって、またもや今日も極上ビールは見送りとなってしまった。
最後の明日香村は割愛となってしまったけれど、本当に行きたかった場所は音羽山の最後の登りを除いてすべて行けたので、十分満足の一日だった。
7時間 30 分、約 26km でした。今日は走ったパートもわりとあったので、トレランということにしておこうと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です