鈴鹿縦走2日目 石榑峠から御在所山

石榑峠の標高は 700m くらいだけれど、さすがに夜の暑さは下界よりはマシで、しっかり寝ることができた。
少し明るくなってから起きて、準備を整えて出発したのはちょうど6時だった。

しばらくは車道を行く。ただし一般車は入れない。
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車道を上がりきると広場があって、その奥に登山道のテープマークがあった。
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この時間だとまだ暑さはマシ。しかし幸か不幸かピーカンの晴天。鈴鹿にはこんな箇所がたくさんあります。
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なかなかタフなアップダウンを繰り返して、7時50分に三池岳(971.5m)に到着した。ここで大福休憩にした。このあたりから多くの登山者と出会うようになってきた。
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八風峠に向けて下る。正面に次なる目標の釈迦ヶ岳。御在所はさらにその奥。
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八風峠を8時13分に通過。
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この先で細い沢水が流れている箇所があったのだけれど、運悪く数人のパーティが到着したばかりの様子で、こんなのを待っていたらどれだけ時間がかかるかわからないので、諦めて先に進むことにした。水分は多めに持っている。
気温さえ低ければ最高の稜線漫歩なのだけれど、今日はただただ苦行でしかない。三重側に下りてしまおうかという悪魔の囁きもチラッと出てくる。
しかし三重側に下りると帰りの交通機関が大変というのが歯止めになって、9時15分に釈迦ガ岳(1091.9m)に到着した。
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当初の計画では武平峠から鎌ヶ岳をピストンするつもりだったのだけれど、それはもう諦めて、今日は御在所までにしようと思った。
鈴鹿にもあった猫岳(1057.7m)。
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国見岳がはっきり見えてきたけれど、御在所はまだその先。
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この先で水場に遭遇して、ボトルに満タンにした。ちょっと気分が落ち着いた。
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ようやくハト峰(823.1m)に到着。もう勘弁してほしい暑さ!!
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見下ろすとハートマーク。あれは何?
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ハト峰峠。朝明渓谷への道標がうらめしいが、ここで下りたらさらに酷暑に見舞われる。
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登り返して金山(906m)。背景は釈迦ガ岳?
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横道にそれて水晶岳(954m)にも寄っておく。北アルプスの水晶岳を思い出す。
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ようやく根の平峠。
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さて、ここから今日最後の厳しい登りが始まる。slow but steady で黙々と足を運ぶ。
国見岳北面の巨岩が目に入ってきた。
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1時52分、ようやく国見岳(1175.2m)に到着した。山頂から伊勢湾方面の眺め。暑さのせいでかすんで遠くは見えない。
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ようやく御在所の山頂エリアが近くに見えてきた。スキー場のゲレンデもはっきり見える。
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石門に寄り道。自然にしては出来過ぎという感じがするけれど、このあたりにはこういう巨岩の重なったものが随所にある。まさか古墳の跡ということは無いだろう。
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国見峠に降り立った。
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ここはかつては何度も通った峠なのだけれど、それももう20年以上前のこと。過去の記憶はまったく無い。御在所山の山頂に直接向かえるのではと思っていたのだけれど、そういう道は無くて、ロープウェイの山上公園駅までまだ結構な登りが残っていた。
山上エリアのどこかでテントを張ろうと思っていたので、汗まみれになって最後の登りをふんばる。2時27分に突然、舗装道路に飛び出した。
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場違いな観光エリアに一瞬とまどったけれど、テントを張れそうな場所と水場を探しながらロープウェイの駅舎に向かった。
まだ2時半だけれど今日の行動はここで終わりにする。朝6時にスタートしているので、実は8時間半歩いている。
駅の建物に入って自動販売機を眺めたら、ソフトドリンク類はほぼすべて売り切れていた。致し方無く(というのは口実で)、ビールのロング缶を買って、日陰で極上のビールを味わった。
まだ観光客がいっぱいいてテントを張るわけにはいかないので、トイレの水を浄水器に通してボトル満タンにした。
そして眺めのいい場所で早めの夕食にした。辿ってきた山々を振り返りながら。
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そして公園の片隅にテント。標高が 1200m 近いので日が陰るとさすがに過ごしやすくなってきた。
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持ってきたビールと日本酒でいい気分になって、まだ残照の残るうちに心地よい眠りに落ちた。

鈴鹿縦走1日目 藤原岳から石榑峠

先の三連休(7/14〜16)は晴れ続きの予報だったけれど、好天というよりは各地で35度超の酷暑予想だった。
せっかくの晴れ続き予報なので家でクーラーという訳にはいかないけれど、かなりの高山まで出かけないと涼は期待できない。ところが例の豪雨災害からまだ1週間で、山やアプローチの林道の状況がよくわからない。わざわざ遠くまで出かけて行って登れずに帰ってくるというようなことは避けたいので、それほど遠くないエリアでどこか適当な行き先が無いかと考えて、かねてからぼんやり考えていた鈴鹿山脈の縦走をターゲットにすることにした。

家から5時間かけて10時前にようやく西藤原駅に到着した。近鉄特急は使わなかった。使っても1時間くらの短縮にしかならないし、テントを背負っているので水さえあればどこでも泊まれる。
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車なら2時間くらいで来られる。前に考えた時は車で来て休憩所の駐車場に停めて、御在所から湯の山温泉に下りて電車で戻るという1泊2日行程だったけれど、今回は2泊3日で滋賀県側に下山の予定だ。
人気の藤原岳なので登山者がたくさんいるかと思ったけれど、時間が遅いせいか下車した客は私を含めて3人で、登山者は他には無し。準備を整えて10時13分に駅を出たけれど、すでにかなりの気温だ。
休憩所の駐車場はまだ多少の空きがあった。
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登山道に入ると木陰になって多少はマシだけれど、暑さでバテないようにゆっくり登る。それでもすぐに汗が噴き出してきた。
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11時半に8合目に到着した。
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9合目の展望台から伊勢湾方面。
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藤原小屋に到着して、山頂まであとひと登り。
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藤原岳山頂(1140m)には12時15分に到着した。駅からほぼ2時間だった。
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これから向かう方向を眺める。真ん中あたりの草原のようになっているのが竜ヶ岳。
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登山地図ではここから先が破線の不明瞭ルートになっている。山頂に竜ヶ岳方向への道標が立っていたけれどその方向にはまったく道は無く、しばらく周囲をうろうろして、ようやくピンクのテープを発見した。
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これで一安心して、少し進んだ木陰でおにぎり休憩にした。
しかしこれまでのしっかりした道とはうって変わって、急に不明瞭な歩きにくい道になった。テープを見落とさないように進んで、治田(はった)峠の道標に従って下ったが、途中でついに斜面が崩れて通れなくなっている箇所に出てしまった。
少し手前の何とか登れそうな斜面を、木や岩をささえに強引に這いずり上がって、何とか上の道に出た。
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さっきの治田峠への道標は実は古いものだったようで、今は稜線伝いがしっかりした道になっているようだ。藤原岳まで結構いいタイムで来たのでいい気分になっていたのだけれど、これで一気に意気消沈してしまった。
コースタイムより多くかかって、2時前にようやく治田峠に到着した。
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このあたりからは道がはっきりしてきたけれど、それにしても暑い。気温さえ低ければ快適至極のコースなのだけれど、今日は苦行だ。
もう二度と来ないかも知れないので、銚子ヶ岳(1019m)に寄っておく。
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そして静ヶ岳(1088.5m)。
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竜ヶ岳が近づいてきた。
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稜線に上がると笹原になって日が照りつける。たまらん暑さ!! シカは暑くないのだろうか。
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4時26分にようやく竜ヶ岳(1099.3m)に到着した。
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御在所ははるか彼方だ。
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石榑峠より先まで進めるかもと思ったりしていたけれど、今日は石榑峠で打ち切ることにした。ここは水があるはずなので、そこでゆっくりした方がいいだろう。
少し下って、重ね岩。鈴鹿にはこういう巨岩が積み上がったようなものが随所にある。
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ようやく石榑峠に下りてきた。
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三重側に少し下りた所に水場。
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5時10分、今日の行動をここで終わりにする。すぐそばの平坦地にテントを張った。
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まずは冷たい(というほどではないのだけれど・・・)水をがぶ飲みして、頭からかぶって汗を洗い流して、さらにシャツとアームカバーも汗を洗い流した。
そしてポリ袋に水を満たしてビールを冷やして、夕食の準備をした。
やはりかなりの汗をかいていたようで、夜中に何度も水を飲んだ。

乗鞍スカイライン復路

夜中にトイレに起きた時、きっと星空が素晴らしいだろうと思ってメガネをかけて出たところ、期待はずれで星はほんの少ししか見えない。何故かと言うと、月明かりで影ができるほどのド満月だった。
たっぷり寝て、外がちょっと白んできたと感じた5時頃に起きた。
朝は定番の棒ラーメンにサラミを入れる。
食事の用意をしていたところ、何やら奇妙な物音が耳に入った。風はほとんど吹いていない。例えてみれば動物が鼻や喉を軽く鳴らすような音。
クマ?????
全身が凍り付いた。テントを破ってくるのではないか。もし襲われたらどうしよう。ケガをしてもあの携帯エリアまでたどり着ければ何とかなるかも知れない。
そんなことが一瞬にして頭を駆け巡った。
息をひそめてしばらくじっとしていたが、幸い何事も無く時間が過ぎて行った。恐ろしくてテントの外を見る気にならない。
やはり熊よけスプレーは早く入手すべきだと思った。
すっかり明るくなってから外に出たが、今となってはあの音が何だったのかは知る由もない。

ザックに軽食と水分と雨具だけを入れて、アイゼンを装着して出発したのは6時ちょっと過ぎだった。
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鶴ヶ池のそばの雪の斜面を上がると、スキーとスノーシューのトレースに出会った。わりと新しいトレースだが、スノーシューは歩きにくいんじゃないかという感じがする。
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そのトレースを追ってしばらく進む。富士見岳の南側の斜面にライチョウが2羽いた。小さくて写真では見えないけれど。
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剣ヶ峰への道標が現れて、ようやく剣ヶ峰にご対面。まだまだ遠い。
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スキーのシュプールの残る魔利支天岳の東斜面をトラバースぎみに進むが、なかなかの傾斜で緊張する。位ヶ原を登る登山者が見える。涸沢からザイテングラードのような雰囲気。
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今日の装備でこのままこの斜面を進むのは危険と感じた。まぁ足を滑らせても雪の斜面を滑り落ちるだけで、いずれ止まるような地形だけれど、あまり格好のいいものではない。
一旦位ヶ原に下ってそこから登り返しということもチラッと考えたけれど、剣ヶ峰手前のリッジには雪庇が出ている。ここが潮時だ。
元々この時期のこのレベルの山にトレッキングシューズと軽アイゼンで山頂まで行ける可能性はあまり高くないということはわかっていたので、迷いは無かった。標高 2,800m まで上がれただけでも十分という気持ちもあった。
テントには7時半くらいに戻ってきて、装備をまとめて8時前に帰路についた。二泊分の用意をしてきたので本当はもう一日山で過ごしたかったのだけれど、あまりにも時間が早すぎる。私はのんびりぼうっと時間を過ごせるタチではないのだ。今日中に帰ることにした。
車道のすぐそばにライチョウがいた。
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多少は荷物は軽くなっているはずなのだけれど、下りにもかかわらずペースは上がらない。昨年、小辺路の車道歩きでつらかった時よりもひどいくらいの状態になってきた。
時たま立ち止まって腰をストレッチしないと歩き続けられなくなってきた。
軽装で上がってくるハイカーと MTB に出会った。
平湯峠からの下りはさらにつらくて、1〜2分ごとに立ち止まらなければならないほどになってきた。
最もつらかったのは平湯トンネルからの車道に合流してからキャンプ場までの数百メートルで、車が通らない道はあたりを気にせずに立ち止まることができたけれど、たくさんの車が通る道ばたであまりなさけない姿は晒したくない。それくらいのプライドはまだ残している。
こんなにつらい思いをしながら歩くのは近年には記憶が無いと思いながら、最後の気力を振り絞ってキャンプ場に戻ってきた。
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12 時 36 分に到着。ザックを下ろして車のそばにあった丸太に腰を下ろして、しばし放心状態だった。
そんなせいもあって、今回は敗北感はあまり無かった。本来なら「乗鞍岳敗退」というタイトルになるはずなのだが、気持ちとしては結構満足していた。
さて、一息ついたらここへ行くしかないだろう。
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初めて「ひらゆの森」に来たのはもう十数年前だけれど、その時からずっと入浴料は 500 円のまま。消費税増税でも値上げされなかった。今までいろんな温泉に行ってきたけれど、ここに来て以降、ここを上回る質の温泉には出会ったことが無い。
無事に帰宅して、翌朝起きたら足の筋肉痛がひどかった。しかも昔にトレイルレースの後に出た筋肉痛とは場所が違っていた。昔は筋肉痛が出るのは大腿四頭筋だったのだけれど、今回は股関節や下肢のあたり。こんな筋肉痛は初めてだと思う。
ここ数年はトレイルレースの後などでも筋肉痛が出ることはほとんど無かった。その要因は決して筋力がついたのではなく、自己防衛本能で余裕のあるレベルまでしか力を発揮しないようになってきているのだと考えている。
今回くらいの荷物を持って長時間歩くのは、軽装で走り歩きする時とは違う筋肉を使っているということだ。逆に言えば、短期間にこういうことを何度か繰り返せばトレーニング効果が期待できるということかも知れない。
テント泊で山歩きをするのであればせめて 15kg くらいの荷物では普通に歩けるようにしたい。
そして悩ましいのはもう少しまともな登山靴を買うかどうかということ。昨冬からまた雪山に出かけるようになって、装備の不備を感じることが何度かあった。
私に一番向いているのは軽装でロングロートを1日で駆け抜けるスタイルだということはもうわかっているのだけれど、やはり雪山やテント泊も諦めるわけにはいかない。
アイゼンとピッケルはまだ十分使えるものが残っているので、ワンタッチアイゼンが着用できる靴さえ入手すればすべて解決するのだけれど・・・。

乗鞍スカイライン往路

今日(4/28)はスカイラインを歩くだけなので朝はゆっくりめに8時に起きた。
駐車場は満杯で、外に出たら管理事務所の前に行列ができていた。何事かよくわからなかったけれど、キャンプ場の申し込みの列のようだった。そんなに人気があるのだろうか。30 分もしたら車はほとんど無くなっていた。

準備して出発したのは9時ちょっと過ぎだった。足元はトレッキングシューズ。右手に簡易ピッケルになるピック付きのポール、左手には普通の山スキー用ポールを持った。
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それにしても荷物が重い!!。家で重さを計ったところ、水分無しで 11kg くらいだった。今回は上部で水が得られない可能性があるので、2リットルほど余分に持ってきた。最悪、雪を溶かして水を得ることはできるけれど、アルコールはそれほどたくさんは持ってきていない。最終的には 15kg 近くあったのではないかと思う。
しばらくは平湯トンネルに向かう車道の脇を歩く。
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足元にはフキノトウがいっぱい。この先、森林限界くらいまでずっとフキノトウが出ていた。上部では食べられそうなものもあったけれど、荷物になるので採らなかった。
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平湯峠への旧道に入る。車はまだ入れない。
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10 時 12 分に平湯峠に到着した。標高 1,684m。
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若山牧水の歌碑があった。
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ようやく乗鞍スカイラインに入る。道路整備の人達に何度か出会った。
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山スキーで来た時は大崩山の第一尾根や第三尾根を登るので、スカイラインは時折交差するだけなのだが、今回はひたすら車道を歩く。最初からこういう予定だったら MTB で来たのだけれど・・・。
白山の全貌が眺められる。
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11 時ちょうどに夫婦松に着いた。標高 1,900m くらい。ここでおにぎり休憩。ポールが邪魔なのでザックにくくりつけた。
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少し上の展望台からは北アルプスの素晴らしい眺め。左から笠ガ岳、弓折岳。真ん中あたりに槍ガ岳。そしてその右に奥穂高、前穂高。一番右は霞沢岳。
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何と、トレイルランナーが走って下りてきた。
それにしても荷物が重い。こっちに転戦して本当に良かったと思った。飛越新道に行っていたらおそらく1時間くらいで敗退しただろうと思う。白山でも同じようなものだ。登りとは言え車道なので何とか歩けるけれど、まともな登山道の急登ならとても歩けないと思った。
正面に山スキーで何度も行った猫岳(2,581m)が見えてきた。こういうアングルで眺めるのは初めてだ。
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お次はこれも山スキーで何度も行った四ッ岳(2,744.6m)。
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四ッ岳を眺めていたらイヤなことを思い出してしまった。実はこのあたりはクマが多いのだ。
これまで山でクマを見かけたことは何度もあるけれど、半分以上はこのあたりで、特に四ッ岳での山スキーの時が際だって多い。乗鞍では何年か前に夏の観光シーズンに土産物店にクマが乱入したことがある。何せクマ牧場があるような地域なのだ。
出会わないことを祈るしかない。
ところで、以前に山スキーで四ッ岳に来た時に頂上から携帯で電話したことがあって、さすがに乗鞍はスカイラインがあるのでこんな場所でも携帯が繋がるのかと感心したのだけれど、いつの間にか圏外になっていた。
ようやく畳平の手前までやってきた。鶴ヶ池。
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宇宙線観測所が見える。
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2時 38 分、畳平のバスターミナルに到着した。標高約 2,700m。5時間半、19km、標高差 1,400m のアルバイトは楽では無かった。
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夜に風が当たらないように、森林管理署のベランダのテラスにテントを張らせてもらった。
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このテントは昨年末に新調した「ビッグアグネス フライクリーク 1LX」というモデル。シェルターでは寒い季節は厳しいので、ダブルウォールのものがほしかった。それと、通常のドーム型は一人で入るとどうしても頭が上部に当たってしまう。冬場で結露していたりすると非常に不快なので、そうならないような形状のモデルを探したところ、ちょうどこれが安く売られているのを見つけて、勢いで買ってしまった。
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重量は全部で 1.5kg くらいで、それほど軽量ではないのだけれど、軽量をウリにしたダブルウォールテントはたいていインナーの大部分がメッシュになっている。それでは保温性がちょっと心配ということで、このモデルを選択した。
さて、バスターミナルなら携帯は通じるのではと思ったが、残念ながらここも圏外だった。ひょっとしたら再起動したら繋がるかもと試してみたが、やはりダメだった。
実はこの再起動は大失敗だった。スマホの地形図アプリは圏外になってからも地図を表示してくれていたのだけれど、これは地図データをキャッシュしていたようで、再起動でそのデータが消えてしまったのだ。
gps の地図は正規の有料の登山地図ではないので、等高線や主要な道路は表示されるけれど、地形図ほどは詳しくない。私は乗鞍は初めてなので、地図が無いとどういうルートで進めばいいのかわからない。
もう山頂は手の届く所まで来ているので、このままおいそれと帰るわけにはいかない。
何とか解決策が無いかと頭をひねったところ、鶴ヶ池の向こうが大きく開けているのが目に入った。さっきそのすぐそばを工事車両が走っていたので、そこまでは除雪されているということだ。その向こう側まで行けば電波が通じるのではないかと考えて、そちらに向かった。
5分ほど歩いたら「長野県」の看板が現れた。
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ここで長野県側に出たところ、大正解!!。携帯が繋がった。さっそく地形図アプリで地図を読み込ませた。ほんのわずか岐阜県側に戻ったらもう圏外だった。
お次の課題で、どこかに水が流れていないか探してみたところ、車道の下の小さな溝にちょろちょろと水が流れているのを発見した。カップに少しずつ貯めれば利用できそうだ。沸かして飲むものはこれを利用することにしよう。
ビールと日本酒でリッチなディナーを堪能して、まだかすかに明るさが残っているうちにシュラフにもぐった。

3連休

3連休くらいなら年間に何度もあるような気がするけれど、3日間好天続きという予報で迎えられるチャンスはそうそうは無いだろう。
4/28 から 4/30 までの3連休は、天気が良さそうだったらぜひ3日間の行程でどこかの山へ行こうと思っていたけれど、まさかこんな好天予報になるとは思わず、直前になってあわてて行き先を考えた。
せっかくなので雪山に行きたいと思ったけれど、それほど重厚な登山を目指すつもりは無い。何せ本格的な雪山を歩ける靴が無い。できれば急斜面のあまり無い広々とした山域を、まったりと散策してみたいと思った。例えてみればスノーシューハイク向きの山域のようなものだろうか。
ところがそんな都合のいい山域は近場では皆無で、まともに雪が残っている場所を求めるとどうしてもアルプス方面になってしまう。東北や北海道に行けばいくらでもありそうだけれど、いくら何でもそこまでは行けない。
立山は自然条件は絶好なのだけれど、ゴールデンウィークのアルペンルートなんてとても近づく気にならない。
白馬方面まで行けば八方尾根や栂池あたりでそれに近いことが楽しめそうな気もするけれど、いささか遠い。一昔前なら平気だったけれど、もう片道 400km の運転はしんどい。
そんなわけで、そういう山域を選ぶのは諦めて、ルート的には普通の登山ルートを余裕を持った日程で歩いてみようと考えた。
まったく様子を知らない場所というのは不安なので、白山方面を考えた。昨年、白山四峰を登ったので、三ノ峰を含めて白山五峰を3日かけて歩いてみようと思った。
金曜日(4/27)の夜に出る予定で、ふと思って朝に道路状況を調べたところ、何と市ノ瀬までの林道がまだ開いていない!!。帰ってから調べたら 28 日に冬期閉鎖解除された模様。
夜に出発したいので、あわてて次なる行き先を考えた。そして思いついたのはこれも昨年歩いた飛越新道。10 年以上前のちょうどこの時期に山スキー目的で行ったのだけれど、雪が少なくて、薬師岳を歩きで往復しただけで帰ってきたルート。これを再訪してみようと考えた。
出発する前にナビでルートを検索したところ、どういう訳か昨年走りやすかったルートが出てこずに、あの狭いクネクネ道しか出てこない。何か理由があるのだろうか。走りやすかったルートはナビに従って走ったので、はっきりした記憶が無い。
どうも意欲が減退気味で、それでも予定通り出発した。しかし走っているうちに昨年運転で疲れたことが頭に大きくのしかかってきて、またあんな道を深夜に走りたくないという気持ちが強くなった。
そこでふと思いついたのが乗鞍岳。平湯からスカイラインを歩いて山頂直下の適当な所まで行って、その後、山頂を目指すというルートが頭に浮かんだ。地図を持ってきていないけれどスカイラインは迷うことなどあり得ないし、gps にはちょっとした地図が入っている。それにスマホには地形図を見られるアプリを入れている。おそらく乗鞍なら携帯の電波は入るだろうと思った。
深夜の1時半頃、平湯のキャンプ場の駐車場に入った。ここはかつて山スキーで四ッ岳へ行く時に何度も利用させてもらった駐車場なのだけれど、どうもすでにキャップ場は営業している様子。勝手に停めておいて大丈夫だろうか?
着いた時は停まっている車は数台程度だったけれど、夜中のうちにどんどん増えて、朝にはほぼ満杯になっていた。

熊野古道小辺路エピローグ

熊野本宮大社からの帰りは、ビールでも飲みながらのんびり余韻に浸ろうと思っていたのだけれど、乗り物の時刻の都合で、結局ビールは家までお預けとなってしまった。
初めてのファストパッキングは、おおむね期待通りの成果が得られたと思う。
天気さえ荒れなければ今回の装備で無雪期の山ならおおむね行けそうに思えたし、食べた感のある炭水化物系のほとんど無い行動食でも2日間なら特に空腹感を覚えることも無く歩き続けることができた。
二日連続ほぼ 10 時間行動だったけれど、それも特に問題は感じなかった。ただしボッカ力がかなり落ちているので、これは改めてトレーニングの必要がある。
そうは言っても今さら砂袋を担いでのトレーニングなどできるはずもないので、テント泊山行をあまり間を空けずに繰り返すしかないだろう。20kg を担ぐ必要は無い。12〜13kg で長時間歩ければそれでいいのだ。
今回のザックは OMM の Classic 32。容量32Lで、重さ数百グラムの軽量モデル。
そしてサロモンのカスタムフロントポケットを胸の前に装着した(私のものは旧モデル)。行動中は極力ザックを下ろさずに済むようにと思っての装備だったのだけれど、結果的には腰の疲れのためにしばしばザックを下ろさなければならないはめに陥ってしまった。
昔クライミングをやっていた頃、クライミング時に首からモノをぶら下げるというのは禁忌だったので(何かの拍子に首が絞まる!!)、サコッシュは生理的に抵抗感がある。
今回は1泊だったので容量的にはこれでちょうどだったけれど、長期山行になるともう少し大きいサイズのザックが必要だ。
かつては 80L なんて大きさのザックに登攀用具を詰め込んでヨーロッパアルプスに出かけたけれど(その当時は航空会社も余裕があったのか、荷物の超過料金は取られたことがなかった)、もう何年も前に処分してしまった。それに残していたとしてももはや使い道が無い。
40L くらいの大きさの軽量ザックがほしいところだけれど、「山と道」のザックのようなペラペラタイプは最初は避けた方が無難かなと思っている。
ファストパッキングのデビュー戦としては熊野古道小辺路はいい選択だったと思うけれど、正直言って山歩きとしてはあまり魅力のあるコースではなかった。一度歩けばもう十分という感じ。
それほど用事は無いように思うのだけれど、いざ泊まりで出かけようとするとなかなか日程が取れない。次回は来月になるだろう。
さて来月はどこへ行くか、地図を眺めながらコースを決めるのも山行きの大きな楽しみの一つだ。

熊野古道小辺路2日目

2日目は夜明けとともに歩き出すために4時に起きた。
夜は中綿ジャケットとダウンパンツ、そして全身マットのおかげで思ったより快適に寝られた。ただ、朝方は足元が少し寒かったけれど。
朝のメニューはかつて愛用した懐かしの棒ラーメン。しかし大きなミスを犯してしまった。
棒ラーメンは2食分が一袋に入っていて、1食分だけをラップに包んだ時、粉末スープを取り分けるのを忘れてしまっていた。仕方無いので少しでも塩味の足しにと思ってサラミを二つ入れて煮込んだ。
かすかな塩味は悪くなかった。お湯が少なめだったので、粉末スープだったら辛すぎたかも知れない。
コーヒーを飲み終えてテントの外に出た頃には薄ら明るくなっていた。

荷物をまとめて5時過ぎに出発した。もうヘッドランプはいらない。
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歩き出して 30 分足らずで三浦峠(1080m)に到着した。一人でシェルターを張っている人がいた。
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ここからはまたしばらくなだらかな下り基調が続く。木々の間から朝日が差し込んで、とても気持ちがいい。
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しかし早くも腰に鈍痛が出てきた。そうだ、ロキソニンを持ってきているのをすっかり忘れていた。昨日も、終盤で厳しくなってきたら服用しようと思っていたのに、完全に失念していた。
と言うことでおまじない代わりにロキソニンを投入。私はこういう薬はほとんど効かないのだけれど(ヘルニアの時のボルタレンやリリカもまったく効かなかった)、ヘルニア手術で退院した時に持たされたものがまだたくさん残っている。こんな時にでも使わないともったいない。
単調でなかなか標高の下がらない道をうんざりしながら1時間半くらい歩いて、矢倉観音堂まで来た。
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このあと下りが急になって、小康状態だった腰にこたえる下りだった。
三浦峠から2時間半かかってようやく車道に下り立った。
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ここから十津川温泉手前まで、延々と車道歩きになる。
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腰がつらくなってきたので公衆トイレの前の川合神社でザックを下ろして休憩した。
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朝から私と同じ方向の人は一人も出会わないけれど、反対方向から来る人には二人ほどすれ違った。
また腰がつらくなってきたので、バス停の待合ベンチに腰をかけて少し休んだ。
あの遙か彼方に見えるのが果無峠(はてなしとうげ)だろうか。
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車道に出てから延々2時間、8km ほど歩いて、ようやく温浴施設の昴の里に到着した。
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トンネルを抜けて、吊り橋を渡る。5人以上同時に渡るなという警告が書かれているが、結構揺れて恐ろしかった。一人なので自分が歩くリズムで渡れたけれど、複数で渡ると揺れるリズムが複雑になって一段と恐そうだ。
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いよいよ今回のコースで最後、そして最大の標高差約 900m の果無峠への登りにさしかかった。
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展望場所にベンチがあったので、そこでザックを下ろして休憩にした。今日二度目のロキソニンを投入。
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石畳の道を上がると果無集落。こんな所に突然、と思うけれど、実は車道があって少ないながらもバス便がある。「にほんの里 100 選」というものに選ばれているらしい。
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シャクナゲ(たぶん)。
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登りにさしかかってから1時間半くらい歩いて、ようやく観音堂に到着した。
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果無峠だけ歩くという人がわりといるようで、このあたりではたくさんの人に出会った。ここにも数人が休憩していたが、水場があるので素通りというわけにはいかない。
ザックを下ろして一休みして、最後の登りに向かう。今回の登りはこれが最後だ。おそらく 30 分あれば登れるだろう。
20 分ちょいの登りで果無峠(1114m)に到着した。少し小雨。
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12 時にここまで来られればと思っていたけれど、まだ 11 時半ちょっと前。これなら3時過ぎのバスに乗れそうだ。
二十丁石、そして三十丁石と下って行く。
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いよいよ今回の行程もトレイルは最終章にさしかかってきた。久しぶりに、終わってしまうのがちょっと寂しいという気持ちになった。
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午後1時過ぎに八木尾のバス停に下り立った。
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ここからはまた車道。
少し時間がありそうなので「道の駅ほんぐう」でまたいそべ餅を楽しんだ。
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あとは淡々と車道を行くだけと思っていたら、実はまだトレイルが残っていた。
三軒茶屋跡のそばの門。
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このあたりは観光客の世界。
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いよいよ熊野本宮大社へ。
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中のエリアは撮影禁止とのことで、参道の石段を下りて午後2時 45 分に山門にゴールした。
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本当ならここでとびきりおいしいビールをぐっといきたかったのだが、バスが3時 10 分に迫っているので、早々にバス停に並んだ。まだ屋根のかかっている部分に入れたのだけれど、このあと一気に列が延びて、それと同時に雨が本降りになってきた。
バスに2時間揺られて紀伊田辺駅に出て、特急を奮発して8時半過ぎには家に帰ってくることができた。
2日目は行動9時間半、約 32km だった。

熊野古道小辺路1日目

5月3日は5時過ぎの始発に乗るため、携帯のアラームで3時半に起きた。ところがここで思わぬハプニング。
アラームを止めた瞬間、携帯の画面が消えてしまったのだ!! その後、何度か電源のオンオフを繰り返してみたけれど復旧せず。
画面表示が壊れているだけで通話はできそうだけれど、メールの送受信はできない。
中途半端な状態だとかえって面倒で、幸いデータ通信専用のスマホは別に持っているので、連絡はスマホのメールでやるというメモを残して、携帯は電源を切って置いて出た。
行きの電車はたっぷり時間があったので、地図とガイドブックのコピーを見ながら今日の行程を考えた。
その結果、今日は最低でも三浦口まで。できればここから三浦峠へ向けて登って、三十丁の水のあたりまで行ければ翌日が少し楽になると思った。おおむね 35km くらいだろう。

電車、ケーブル、バスを順調に乗り継いで、8時過ぎには金剛峯寺に到着した。
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山門のそばのベンチで準備を整えて、8時 23 分に出発した。
電車の中でさんざんガイドブックを読んでいたのに、金剛三昧院のところでいきなりロスト!!。
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右へ曲がらなければならないところを直進してしまった。標識が立っていたのに・・・・。
小辺路を歩く人はやはりそれなりに多そうで、先行した人達を抜いて行く。
まずはろくろ峠。
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そして薄峠。
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ここまで緩い登りの林道のような道。ここから下りになって、御殿川(おどがわ)の橋を渡る。
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この先にトイレがあるようなので、そこでちょっと休憩していこうと思っていたら、ちょうど数人のパーティが休憩していて、おまけにタバコを吸っている。止まらずにスルーする。
今回の行程ではスタート直後の序盤を除いてはハイカーと出会うことはあまり多くなかったのだけれど、なぜか休憩ポイントのような場所に来ると誰かいるということが多くて、写真を撮りたい場所には誰かがいるというケースにしばしば出くわした。
緩い登りのトレイル。天気は曇りで、歩くにはちょうどいい天候だ。
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このあと高野龍神スカイラインに合流して、しばらく車道を行く。バイクがぶっ飛ばして行くので恐ろしい。
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水ヶ峰の分岐には 10 時半ちょっと過ぎに到着した。
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トレイルを少し進むと舗装された林道に出る。このあたりはわりと展望が開けている。西の奥の方は大峰だろうか。
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ところどころカーブをショートカットする旧道が残っている。
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大股には 12 時5分に到着した。おおむね予定通りのペースだが、重荷のせいか右肩の裏あたりが凝ってきた。
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ここから今日のメインイベントの伯母子岳(おばこだけ)への登りになるので、腰を下ろしてエネルギー補給にした。
急登を上がる。一気に高度がかせげるので急登は嫌いではない。
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急登が一段落して萱小屋跡。少し一息つこうかと思ったらまた人がいた。
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変わり映えのしない単調な道を進んで、ようやく伯母子岳と伯母子峠への分岐に来た。ここまで来て山頂に行かない手はない。
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伯母子岳山頂(1344m)にはちょうど午後2時に到着した。今回のコースの最高標高点で、数少ない展望の開けた場所。
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しかし写真を撮ったら早々に下山に移る。
10 分ほどで伯母子峠。ここには避難小屋があって、誰か中にいるようだった。
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ここからの下りもうんざりするような単調な道が続く。左側が谷になった斜面をトラバースして下って行くのだが、所々崩れている箇所があって、谷側はあまり木が生えていないので、もし落ちたらタダでは済まない。
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このあたりから腰に疲労感を感じるようになってきた。慣れない重荷のせいだと思うけれど、ヘルニア前科者としては腰痛の再発がおそろしい。
昭和の初期まで旅籠があったという上西家跡。
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腰を休ませるためにここで腰を下ろして取っておきのいそべ餅を味わうことにした。
コッフェルの蓋に小さな乾燥餅を4つ並べて、水に1分ほど浸す。そして水を切って粉末醤油をふりかけて、味付けのりで食べる。
思った以上においしかった。食べたあとは粉末の麦茶。これでフラスクの水が無くなってしまった。残る水分はスポーツドリンクの 200ml くらい。
次第に下りが急になって、午後4時 40 分にようやく車道に出た。急な下りで腰が痛い。
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10 分少々車道を歩いて三浦口のバス停を過ぎて、神納川(かんのがわ)を渡る橋の所まで来た。ありがたいことにここには湧き水が引かれていて、そばにベンチが置いてあった。
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ここのベンチに腰掛けて、ひととき思案した。
時間的にはおおむね予定通りのペースで来ている。あと1時間歩けば三十丁の水場まで行けるだろう。
しかし腰の調子は良くない。あと1時間の登りに耐えられるかどうか・・・。
ここから河原に下りたらテントが張れるだろうし、水の心配も無い。ここで早めにゆっくりして身体を休めた方がいいのではないか・・・。
しかし今日の行程をここで終えてしまうと翌日は標高差の大きい登りを二カ所残すことになる。熊野本宮大社から紀伊田辺に出る最終バスは午後4時 45 分だし、翌日の体調がどうなるかも翌日になってみないとわからない。
そんなことを考えていたらトレランスタイルの4人パーティが橋を渡らずに河原の方に下りて行った。どこへ行くのだろう。
悩んだ末に、何とかあと1時間登ることにした。しばらく休んだせいか、腰は少しマシになっていた。
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時々立ち止まって腰を伸ばしたりしながらゆっくり登っていたら、後ろから声が聞こえてきた。どうもさっき河原に下りて行ったパーティのようだが、3人しかいない。
わずらわしいので避けて先へ行ってもらう。ヘッドランプを着けている人がいたので暗くなっても進むつもりなのだろうが、それにしては荷物が大きい。どういう予定なのだろうか。
まさかこんな時間に登ってくるパーティと出くわすとは思っていなかったのだが、またしても三十丁の水場でこのパーティとかち合わせることになってしまった。
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彼らが水を補給するのを待って、私はこの先のテント泊用に 500ml のプラスティックパック2つとフラスク2つに水を入れる。
そうしていたら後ろからまた一人やってきた。一人だけ少し遅れていたようだ。
彼らが行ってくれるのを待ってから歩き出した。あたりは薄暗くなってきているので、とにかく早くテントが張れるような場所を見つけなければならない。
これまではずっとつづら折れのような道で、テントが張れるようなスペースはどこにも見あたらなかったのだが、運良くこの水場のすぐ上のカーブの所に「ここにテントを張って下さい!!」と言わんばかりのスペースが見つかった。
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迷うことなくここに張ることにした。ここなら水場までもさほど遠くない。
時間は午後6時半。テントを張っているうちに日が暮れて、ちょうどいい時間になった。
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アルファ米用のお湯を沸かしながらレトルトの鯖の味噌煮を温める。そしてアルファ米が蒸れるのを待ちながら鯖の味噌煮でビールを飲む。まさに至福の時である。
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今日の行程は約 10 時間、36km だった。

熊野古道小辺路プロローグ

「ファストパッキング」という言葉があるらしい。
「軽装でより速く、より遠く」を主目的とした登山スタイルで、「ライトハイク」とか「ウルトラライトハイク」というような呼称もあるとか。
こういうスタイルに興味を持ったのはもう何年も前のことで、3年ほど前には軽いシェルターやシュラフ、アルコールバーナーなどを購入して、実行への準備を進めていた。
しかしその頃はまだ日帰りトレランで行きたいルートがたくさん残っていたので、重いザック(日帰りトレランに比べれば)を担いでの歩き山行はなかなか思い切るチャンスが巡って来なかった。
日帰りトレランはもう数年続けていて、さすがに京阪神や奈良、和歌山北部くらいの日帰りエリアでは興味をそそられるコースが見いだしにくくなってきている。
登山のベテランが好む「地図に無い不明瞭なルートを地図とコンパスを駆使して踏破する」というようなスタイルは私は興味が無い。
そうなると新たな世界に進出しようとすると「ファストパッキング」しか無かった。つまり日帰りではなくて宿泊を伴う山行ということ。
「山を走る」という行為に対しても以前ほどの意欲は感じられなくなってきたし、ひょっとしたら一度限りになるかも知れない道を真夜中にヘッドランプで通過するだけというのはもったいないんじゃないかという気持ちも出てきた。
アルプスの長距離縦走なども以前からやってみたいと思っていて、体力的なことを考えると残された時間はあまり多くない。
ここ2〜3年のうちに実行に移さないと、永久にチャンスを失ってしまうかも知れない。
山をやらない人はよく「山は逃げない」などと言うけれど、山を続けているある程度以上の年齢の人であれば「日に日に山は遠ざかっていく」ということを誰しも認識しているはずだ。
「ファストパッキング」というスタイルが先か、「ロングルート」という対象が先だったのか、それは自分でもわからない。
いずれにしても「機が熟した」のだ。
せっかくのゴールデンウィークだけれど、いきなり3日も4日もというわけにはいかない。物事には順序というものがあるし、特に登山のような何某かの危険を伴う行為においては、段階を踏むということは極めて重要だ。
この冬は久しぶりに何度か雪山へ行って、雪山の楽しさを思い出したので、本音を言えばアルプスのようなたっぷり雪の残る高山へ行ってみたいところだったが、さすがにいきなりというわけにはいかない。
重い荷物を背負って雪だ岩だとやっていたのはもう 20 年以上も前のことだ。
まずは雪の無い、しかもあまり気温の下がらないエリアで、1泊2日くらいで装備のことや身体のことを確認することから始めなければならないと思った。
そこで見つけたのがこの「熊野古道小辺路(こへち)」。高野山から熊野本宮大社までの公称約 70km。
調べたところではいくつかある熊野古道の中ではいちばん距離が長くて厳しいとされている(大峰奥駆道を除けば)。
しかしこの「厳しい」というのは「参詣道としては」ということで、登山の視点で見るとほとんどハイキングコースのようなレベルだ。
しかし途中に標高差 800m から 900m の峠を3カ所越えなければならないので、一気に行こうとすると体力的にはなかなか「厳しい」とは言えるだろう。
それと、途中で何カ所か集落に出るけれど、コンビニのような便利な店はまったく無く、せいぜい自動販売機がある程度(終盤には温浴施設と道の駅がある)。公共交通機関も限られたルートのバスが1日にほんのわずか運行されているだけなので、途中敗退は非常に難しい。スタート地点とゴール地点の交通機関は安心できるので、高島トレイルよりはマシだけれど。
一般的には途中の集落で宿を取って、2泊3日か3泊4日で歩くそうだ。
そこを私はファストパッキングで1泊2日で抜けようと企てた。宿泊装備は背中に背負っているので、宿泊地を決める必要は無い。行ける所まで行くだけだ。
小辺路は他の熊野参詣道に比べると宗教的な歴史はあまり古くなく、元々物資の運搬のために利用されていた生活道路が近年になってから参詣道として利用されるようになったらしい。
しかしその路も道路の整備や集落の衰退などで次第に利用されなくなって、参詣道という位置で何とか生き残っているということかも知れない。
実際に歩いてみると、宿や茶店の跡はたくさんあるけれど、宗教的な遺物は少ない(例えば大峰の「靡(なびき)」のようなもの)。
物資を運搬するための生活道路だったせいか、平坦で単調な道が延々と続くという箇所が多く、山歩きとしての魅力には乏しい。展望もあまり無く、淡々と足を前に進めるだけだ。
特に西中から昴の里までの 7km 以上に及ぶ車道歩きはただただ忍耐のみである。
今回初登場となった装備は、まずはモンベルのシェルター
フレームとペグを入れても 1kg くらい。
猛者は「タープ」という、大きな風呂敷をロープで張っただけようなもので過ごすようだけれど、私は建てる手間を考えて自立式のドーム型がほしかった。ツエルトは建てるのが面倒だ。
シュラフはファイントラックのポリゴンネスト 2×2
この「2×2」というモデルは今は無くなっているようで、とにかく薄くて軽い。ゴアテックスのシュラフカバーに毛が生えたくらいのサイズだ。
宣伝上手なファイントラックの「濡れても保温力があまり落ちない」という文句につられてネットで買ってしまったけれど、こんなペラペラで本当に寝られるのだろうかという不安を感じるシロモノ。
しかしシュラフの快適さを大きく左右するのは中綿(もしくはダウン)の量よりも、地面に体温を奪われないようにするマットの質である。
最近、購入したのは「山と道」のU.L.Pad15L
ファストパッキングのベテランはマットはお尻の下あたりまで(120cm くらい)で十分と言うけれど、私は足先が冷えるのが心配なので、全身サイズにした。これをシュラフの中に入れる。
今回は到着後の防寒具兼就寝時の保温のために薄い中綿のジャケットと薄いダウンパンツを持参した。
アルコールバーナーは FREERIGHT のTrinity ONE
アルコールバーナーはとにかく軽いし(わずか 20g !!)、故障の心配もまず無い。燃料もコンパクトで安い。
ただしガスやガソリンのバーナーのように火力の調節や点けたり消したりはできない。入れたアルコールの分量で燃焼時間を調節するので、長時間煮込むような調理はできない。
そしてできれば使いたくない携帯用浄水器
夕食は以前も利用していたジフィーズのアルファ米と乾燥おかず。久しぶりに登山店に買いに行ったら、昔のような四角いパックに2食分が入ったアルファ米は無くなっていた。
問題は行動食で、ファストパッキングのベテラン達はドライフルーツやミックスナッツなどだけで何日も過ごすらしいが、それで十分なエネルギーが補給できるのだろうか。
日帰りトレランの時はおにぎりやパックサンドなどを持って行くけれど、ファストパッキングの試行としてはやはり乾燥系のものを試しておく必要があると思って、食べ応えのある炭水化物系は我慢して、ジェルの他にミックスドライフルーツと一口サイズのチョコケーキ、ソイジョイ、甘いものばかりでは飽きるので小さなサラミ。そして登山店で見つけた乾燥餅のいそべ餅を持った。
ザックに詰めて重さを計ってみたところ、水を入れない状態で 7〜8kg くらいだった。水を入れても 10kg 以下に収まった。
それでも日帰りトレランに比べると倍くらいの重さで、体感的には「重っ!!」。
さらに不安は、二日連続の行動にどこまで耐えられるかということ。
連続行動時間 20 時間くらいは何度も経験しているけれど、いずれも軽装で、途中で何かあっても何とかなるような環境ばかりで、睡眠時間はしっかり取れたとしても、翌日どれくらいの体調になっているかはわからない。
そんなこんなで、期待と不安の入り交じった気持ちで当日の朝を迎えた。