明けましておめでとうございます。
ここ2年ほどこだわってきた UTMF が不完全燃焼で終わり、おまけに今年は開催されないことになった。
ロードレースは2年前の篠山マラソンを 33km でリタイアしたのを最後に、ほとんど引退状態。
そうは言っても身体が動かないわけではないし、意欲を完全に失ったわけでもない。
登山のトレーニングのつもりで淀川でジョギングを始めたのは 29 歳の時。
いやになればいつでも辞めようという軽い気持ちで始めたのが良かったのか、思いがけずタイムが伸びて、その後3年くらいは山へはまったく行かずにランニングに集中した。
おかげでテレビの向こう側の世界だった別大マラソン(その当時は出場資格が2時間45分だった)にも3回出場できた。その後、出場資格が2時間40分になって出られなくなってしまったけれど、いつの間にやら半分市民マラソンみたいになってがっかりしている。
久しぶりに山へ行ったらやはりマラソンで体力がついたのか、そこそこのレベルの人達ともさほど見劣りしないくらいに歩けるようになっていた。
そこで、若い頃は手の届かない憧れでしかなかった岩登りや冬山の世界に入って行った。
そうは言ってもやはりメインはマラソン。マラソンのスケジュールの合間に山へ行くという感じだった。
夏はマラソンはオフシーズンなので、夏期休暇を利用して(さらに有給休暇をくっつけて)キリマンジャロやモンブラン、マッターホルンなどに出かけた。
しかし三十台の終盤になるとマラソンの力が落ちてきて、さらに結婚 10 年目にして子供を持って、嫁がフルタイムで働いているので家事育児を分担せざるを得ず、四十台になるとマラソンは続けてはいたものの、危険を伴う登山からは離れた。
49 歳までは何とかフルで3時間を切れていたけれど、50 歳を迎えてから坂道を転がるように走力が落ちた。今から考えれば男性更年期症状だったのかも知れないと思ったりしている。
四十代の後半あたりから山スキーに行っていたので(この頃もまだメインはマラソンだった)、そちらに軸足を移そうと思ったりもしたのだけれど、しばらくレースから離れているとまたもう一度思い切り走りたいという気持ちが頭をもたげてきた。
五十代半ばにしてスピード練習を再開してみたけれど、もはやサブスリーというような目標が非現実的になってしまっては、一人でそういう練習を続けることはできないと感じた。
ちょうどそんな時、地元の陸上クラブの案内を見つけた。
このクラブはそれ以前からよく知っていた。マスターズの記録会などで誘いを受けることもあったが(その当時のクラブの会長さんの家がわりと近くだった)、とにかくレベルの高いクラブだったので、自分がいられるような場所ではないと思っていた。
しかしその案内には「初心者、女性歓迎」と書いてあったので、それならと思って思い切って行ってみることにした。
上級者はさすがのレベルだったけれど、私と同じくらいや少し下くらいのレベルの人もそれなりにはおられたので、あまり気負わずに入って行くことができた。
クラブの練習会は楽しかった。陸上競技場を走るのは記録会の時くらいしかなかったので、毎週のように競技場のトラックを走れるのは気持ち良かった。夏場のナイターも楽しみだった。
クラブに入ってからの3年間くらいは、自分でもこの歳になってよくこれだけ走れるなと思うくらい走った。
年間の走行距離は 5,000km を越えて、月間 500km を越えた月も何度かあった。三十代半ばの全盛期の走り込み期には月間 650km くらい走っていたけれど、まさか五十代半ばになってここまで走れるとは思わなかった。
しかしながら結果はいささか期待はずれだった。
最初の半年くらいでトラックの 5,000m で 19 分台、ハーフマラソンで1時間 29 分台まではいったものの、フルでは 50 歳を過ぎてからの凋落傾向に歯止めがかからず、もはや限界と考えざるを得なかった。
ちょうどそんな頃、登山教室の随行の仕事が舞い込んできた。長年所属している山岳会で一緒だった方が講師をされていた。
私が登山を始めたのは中学生の時で、年数で言えば相当なものだけれど、実は中身はそれほどではない。
それに山岳会で積極的に活動していた頃は日帰りで近場に行くのはクライミングばかりで、京阪神や奈良の山はあまり行ったことが無かった。
そんなわけで、随行の仕事で近場の山にいろいろ行けるのは自分にとっても新鮮で楽しかった。と言うか、今でも楽しい。
まさか趣味の登山でアルバイトができるようになるなんて、思ってもみなかった。私自身は他人を指導できるほどの技術や知識は無いので、講師やガイドのような仕事は勤まらないので、随行という立場は非常に都合が良かった。
近場の山の知識が増えたおかげで、それまでは生駒や六甲、京都一周トレイル、ダイトレのようなコースしか思い浮かばなかったトレイルのコースも、ヴァリエーションが増えて楽しくなった。
UTMF も久しぶりにワクワクするイベントだった。
マラソンを始めた頃は定期購読していたランナーズ誌も、大会の情報収集やエントリーがネットでできるようになってからは読まなくなって、第1回の頃は UTMF の事はまったく知らなかった。
ちょうどロードレースに対する意欲が減退してきている時期に UTMF に出会ったので、まさに渡りに舟という感じだった。
しかしそれももう終わってしまった。
2年ちょっと前の加古川マラソンを3時間 43 分くらいで走った時、久しぶりに最後までしっかり走れた満足感はあったものの、もう3時間半も切れないと思ったし、今さら3時間半を目標にマラソンの練習をやろうという気分にはなれなかった。
トレイルではビッグ大会でしばしば雨に遭って、ぬかるみで滑ってどろどろになったり、水たまりをスネまで水に浸かって走ることに対して、ばかばかしいとしか感じられなかった。
そんな中で充実感や満足感が感じられるのは自分で設定した山のロングコースを完走(完歩)した時だった。
かつてそこそこ山に行っていた頃はごく限られた対象の地域にしか行っていないので、今の自分にとって魅力的な山はまだ至る所に残っている。
今さらかつてはただのジョギングだった3時間半というようなタイムを目標にマラソンの練習をするよりも、未知の山に出かける方がよっぽど充実していると思う。
それに残された時間はもうそんなに多くはない。
ただ、自分で納得できるレベルの山行をやるためにはそれなりの体力を維持することが必要なので、たまには限界近くまで追い込むような走りもやらなければならない。
ということで、今年は軸足を山に移そうと思っている。
そんなわけでブログのタイトルを変更しました。
明けましておめでとうございます。
いいタイトルですね。
私もマラソンが遅くなる一方で、トレイルならまだ楽しめる
かと思ったのですが、下りが遅すぎて邪魔になってしまう
ため、こちらも付き合い方が難しいと感じています。
Sさん、コメントありがとうございます。
私も下りはヘタで苦手です。
狭いシングルトラックで後ろから追われると、どうしてもムリをせざるを得ません。
こういうこともレースはもう辞めようと思った要因の一つです。
もうそこまでチャレンジする必要は無いと感じています。