吉野山散歩

※吉野郡は奈良県の面積の半分以上を占める広大な地域なので、桜で有名な吉野地区のことをここでは「吉野山」と表します。

吉野山の街は何度も歩いている。

しかしいつも山の行きか帰りなので、時間をかけてゆっくり見て回ったことは無い。

いちど街歩きを主目的にして訪れてみたいと思っていたが、なかなかいいタイミングが無かった。

翌日に講座の仕事が入っている 10/4 の日曜日、あまり疲れが残るような山行きは躊躇する日で、しかも天候もちょっと不安定な感じだったので、これは格好のチャンスだと思った。

こんな時でもなければ立ち寄らないような場所もいくつかピックアップしていたので、気楽な気分で出かけることにした。

司馬遼太郎のような文章が書けるわけはないけれど、気分は「吉野山散歩」である。

家から2時間半かかってようやく六田(むだ)駅に着いた。車ならこの時間帯であれば1時間半あれば来られるのだけれど。

8時23分に六田駅を出発した。しばらく国道を走って、まずは「柳の渡し」。奥駆道の北端で、逆峰(吉野から熊野に向かう時)の時はここで身を清めて修行に入る。元々はもう少し上流にあったらしい。

美吉野橋を渡って吉野川の左岸へ。役行者の像がある。奥駆道75靡の75番目。

この先を左に曲がってわずかで行者堂があるはずなのだが、なかなか見当たらない。そこから旧道に入るので、不安になって細い道を適当に入った。

山の斜面の畑の畦道で、少し登ったら畑作業をされているご夫婦がおられたので「吉野神社へ行く古い道はどこですか?」と尋ねたら、「そういう道は知らないけれど、前の道はずっと続いている」とのことだったので、斜面の上に向かって細い踏み跡を進んで行った。

しばらく登ると少しはっきりしてきて、テープもいくつか出てきた。

左に車道が見えたので、これが吉野神宮へ行く道だと思って車道に下りたが、どうも様子がおかしい。すぐ先にゲートがあって通れなくなっている。

細い道が分かれていたのでそちらに進んだところ、まもなくヤブになった。そして強引に進むと太陽光発電の大きな場所に出た。

今回はコース全体の地図は持ってきておらず、ポイントの周辺を拡大したものしか用意していない。

gps も画面が小さくて、自分のいる場所がはっきりわからないので、スマホも使って確認したところ、何と、吉野神宮の西の左曽川のさらに西にいることがわかった。

美吉野橋を渡って左に曲がって、すぐに行者堂があると思い込んでいたが、帰ってからその本(新吉野紀行・桐井雅行著)を見直すと「すぐ」ではなくて「しばらく」と書いてあった。

左曽川を越えてから山道に入らなければならないのに、その前に斜面に入ってしまっていたのだ。何たること!!

結構進んでいるけれど、諦めて戻ることにした。先ほど出会った車道で本来の道に出会えそうなので、そこをジョグで戻った。

しかしここでまたもやミス。吉野神宮に向かう車道が2本あって、ここからだと大回りになる方に入ってしまっていた。

諦めてこのまま進むかどうか思案したが、また戻って本来の道に向かうことにした。

車道を忠実に辿ると大きなヘアピンカーブを登らなければならないのだけれど、ちょうどカーブの始まりあたりで斜面の上に向かって細い道が伸びていたので、ショートカットできるかもと期待してそこに入った。正解でした!!。

車道を進むとほどなく行者堂が現れた。私が読んできた本は 1996 年の出版で、その後ここに移設されたようだ。

本に紹介されていた旧道の「一之坂」もわからず、そのまま車道をジョグで進んだ。

9時58分、ようやく吉野神宮に到着した。

後醍醐天皇が祀られているが、明治になってから創建された神社なので、それほど長い歴史があるわけではない。

昔はこのあたりに「丈六山」という74番目の靡があった。

また車道をしばらく進んで「村上義光公の墓」。

村上義光(むらかみよしてる)は大塔宮護良親王が北条幕府とこのあたりで戦った時、護良親王の身代わりとなって壮絶な最後を遂げた様子が太平記に残されている(らしい)。

急な登り坂を上がると下千本の駐車場に出る。ここの南にあるちょっとした小山が嵐山。

実は京都の嵐山はここが元祖。亀山天皇が吉野山の桜を京都に移し植えて、名称もそのまま移された。

そして、東側に谷を隔てて眺められる尾根が「ホウヅキ尾」。ここは尾根だが、京都の「保津峡」もこれが名称の由来。

ホオヅキ尾の向こうに龍門岳(左)と烏ノ塒屋山(右)

少し進んで、芭蕉の句碑。判読不能。

このあたりは駐車場に車を置いて歩いておられる観光客がチラホラ。コロナの影響もあるだろうが、元々吉野山は桜の季節以外は観光客はあまり多くない。

「攻ヶ辻」。対幕府軍との激戦地だった。

このすぐ先に「大橋」。元々は城を守るための堀に架けられていた橋。いつもは吉野駅から、左側に見える階段を上がってここに出てくる。

ここから先はもう何度も歩いた道。まずは黒門。金峯山寺の総門。

そして「銅鳥居(かねのとりい)」。日本三鳥居の一つ。

鳥居のそばにある行者堂の役行者像。

いよいよ金峯山寺へ。仁王門は相変わらず改装中。

手前が大塔宮御陣地の四本桜で奥に蔵王堂。

今日は拝観料を払って蔵王堂の中に入った。初めて蔵王権現像を眺めたが、正直仏像の価値はよくわからない。

石段を下って、吉野朝宮跡へ。

後醍醐天皇など南朝四帝の歌が彫られた五角柱の文字碑。

また境内に戻って、村上義光が壮絶な最後をとげた場所。

吉野山ビジターセンターは閉まっていた。

奥駆道ツアーをやったり、宿坊もやっている東南院。

何度か来たことのある吉水神社にも寄っておく。ここは昔は吉水院という寺だったが、明治の廃仏毀釈で神社になった。

後醍醐天皇や源義経の過ごした部屋を見てみたい気持ちもあったけれど、拝観料が 600 円もするので躊躇した。

今日の目的の大きな目玉はこの後にある。

古事記より・・・

『尾のある人、井より出て来たりき。その井に光ありき。
ここに「汝は誰ぞ」と問ひたまへば、
「あは国つ神、名は井氷鹿(いひか)と謂ふ」と答へ曰しき。
こは吉野首(よしののおびと)等の祖なり。』

神倭伊波礼毘古(かむやまといわれびこ–神武天王)が八咫烏に導かれて熊野から吉野にやってきた時の話で、井氷鹿にまつわる伝承のある井光(いひか、いかり、いひかり)神社が吉野山周辺に何箇所かある。

「役行者–修験道と海人と黄金伝説(前田良一著)」によるとそのうちの二箇所がこの近くにあるとのこと。

メインストリートから横道にそれて、行き止まりになった場所のそばに古びた祠があった。

前述の著書の写真では標柱に「井光神社」の文字が読み取れたが(出版は 2006 年)、もはや判読不可能だった。祠も手入れされているようには見えず、遠からず倒壊するのではないかという感じ。

メインストリートに戻って少し進むと勝手神社があって、その前の道から右への石段を下ると大日寺。村上義光・義隆父子の菩提寺。

勝手神社の境内には、静御前が義経の無事を祈って舞った場所といわれる舞塚。

少し進むと右側に「井光神社八幡宮」。ここは手入れはされているようだが、境内も無く、囲いの向こうに祠があるだけ。

吉野川右岸の川上村井光にも井光神社がある。ここはもう少し立派な神社のようだが、まだ行ったことが無い。

お次は喜蔵院。宿坊をやっている。中に入るのは初めて。これは本堂。このあたりの寺はみんな修験道の寺なので、本堂の前に護摩を焚くための場所が設えられている。

そして今回の大きな目的の一つが善福寺。

この本堂の裏の斜面を下ると、井氷鹿が出てきたと云われる井戸がある。

「井氷鹿の井戸」の伝承地も実は三箇所ある。詳細は後ほど。

次に桜本坊へ。

役行者の下駄に乗ってお参り。

そして竹林院へ。

さらに進んで天王橋。ここも城の堀にかけられた橋。

当初は水分神社あたりまで行くつもりだったが、序盤のミスで余計な時間と体力を浪費してしまったので、ここから如意輪寺へ向かうことにした。

山道に入って少し行って、五郎平茶屋跡。

谷の向こうに如意輪寺が見える。

谷に下ってから登り返して如意輪寺へ。

宝物殿には入らずに後醍醐天皇陵へ。

石段を引き返して、車道を吉野駅に向かう。この道はちょうど一年前に辿った

吉野駅前からケーブルの駅の横を通って幣掛(しでかけ)明神へ。ここもこれまでは前を素通りするだけだった。

「一之行場」となっているが、奥駆道からははずれている。飯貝からここを通って七曲りを上がって大橋に出る経路は昔から一般的だったもよう。

ここにも行者堂がある。

また車道に戻って飯貝へ向かう。目指すは飯貝の水分(みくまり)神社。その目的は・・・。

ここにも「井光の井戸」があります。

神社の境内まで行ってみたが、肝心の井戸がどこかわからない。

境内の奥にヤブに入っていく踏み跡があったが、すぐに消えてしまった。

仕方なく参道を戻ったところ、先ほどの看板の向かいに危なっかしい板の道が下に向かっていた。

50m ほど下るとありました。

標柱の文字はもはや読めない。「神武天皇」という文字がかすかに残っているようだが。

私は神武天皇の実在を信じているわけではないが、日本の神話は何かその起源になるような人物や出来事があったのではないかとは思っている。

井氷鹿の「尾のある人」というのも、山伏や山仕事をやる人がお尻に着けている毛皮のことではないかという説もある。

私は学者ではないので史実を探究しようという気持ちはあまり無くて、一種のロマンとしてこういう伝承を楽しんでいる。

そして今日、最後の訪問地は本善寺。

今、吉野山では「寺宝めぐり」という行事が行われているのだが、ここはそれには含まれていない。

蓮如上人が創建した真宗の寺で、真宗を普及させようとして金峯山寺とは何度も諍いを起こした歴史がある。

山肌の墓地の一番上には蓮如上人の御廟がある。

これで今日の予定はすべて完了。上市の街並みを見下ろしながら上市駅に向かう。

午後2時37分、大和上市駅にゴールした。

次の電車が数分後だったので大慌てで上だけ着替えて、ホームに入ってきた電車に飛び乗った。一人打ち上げのビールが楽しめなかったが、駅に来る途中も買えそうな所は無かった。

吉野山のお寺のほとんどは中に入るのに拝観料が必要になる。だいたい 500 円。今回は金峯山寺だけは入ったが、他には入らなかった。

仏像に興味や知識のある人には値打ちがあるのかも知れないが、寺の大きさから考えると 500 円はずいぶん高いように感じる。

「寺宝めぐり」で紹介されている寺が9箇所あって、吉水神社を含めると 10 箇所になる。全部入ったらほぼ 5000 円。いくら何でも高すぎる。

本気で集客したいのであれば割安のチケットなども考えた方がいいのではないかと思った。

個人的には満足できる一日でした。

葛城歴史散歩

葛城氏は5世紀頃にこのあたりを地盤として繁栄した豪族で、その後の時代に勢力を持った蘇我氏の祖先でもある。

現在の御所市を中心とする地域で、3年ほど前に一度歩いているけれど、一度山無しでいろんな見どころを訪ねてみたいと思っていた。

この週末は天気予報では雨模様だったので山はあきらめて、多少の雨でも何とかなりそうな里歩きならということで 6/27 の土曜日に出かけることにした。

6時過ぎに家を出て8時過ぎに近鉄御所駅に到着。駅のそばで準備を整えて、8時15分に出発した。まずは葛城山を正面に見ながら3年前と同じ道を行く。

まずは鴨山口神社。全国にある山口神社の本社。

葛城の道に入って、前回は寄らなかった駒形大重神社(こまがたおおしげじんじゃ)にお参り。

そして前回も立ち寄った九品寺(くほんじ)。行基が開いた。

前回もここまでは来たけれど、今日の目的は裏にある千体石仏。南北朝時代、南朝側の楠木正成公のために一族を引き連れて参戦した楢原氏が、身代わりのため石仏を彫って菩提寺だった九品寺に奉納したという言い伝えがある。このまわりや地中にもたくさんあるらしい。ちなみにこのあたりの地名は「楢原」。

明日香村方面。後ろの山々は御破裂山あたり?

綏靖天皇の葛城高丘宮跡。

欠史八代と呼ばれる天皇の御陵は多くが葛城地域にある。これらの天皇の実在性はさておいて、ヤマト王権が成立する前にはこのあたりに実権を持つ王のようなものが支配している時代があったのではないかという説がある(「神々と天皇の間」鳥越憲三郎)。

そして一言主神社へ。

今回の目的は「蜘蛛塚」。

神武天皇が葛で網を作って土蜘蛛(大昔の日本において朝廷や天皇に恭順しなかった土豪たちを示す名称)を捕り、頭と胴と脚との三部分に切断し、別々に境内に埋めて、その上に巨石をすえて置かれたとか。

頭の部分は社殿の下。胴の部分は拝殿の横。

そして足の部分は石段下の参道に埋められいる。

ところで一言主の神は役行者に縛られて谷に捨てられたままのはずだけれど、脱出したのか?

ここからはしばらく交通量が多くて歩道の無い車道を行かなければならない。少し西の方に旧道があるのだけれど、ちょっと下らなければならないし、いずれにしてもまた戻ってこなければならない。

車におびえながら登り坂をえっちらおっちら 30 分ほど行って、極楽寺へ。

陽がさしてきたので帽子と日除けをかぶる。

少し車道に戻ってからようやく山道に入る。20 分ほどで橋本院へ。これは本堂の観音堂。

そして車道を 10 分足らずで高天彦神社。

地図ではここから一旦また車道に出なければならないのだけれど、前回金剛山から下ってきた時に南の方に向かう山道の分岐があったことを覚えていたので、そちらに向かうことにした。

行基ゆかりの伏見山菩提寺。白山を開いた泰澄もここで修行し、弘法大師も修行している。

少し進むと展望台。ここでおにぎり休憩にした。真ん中の突起が大天井ヶ岳。その右に山上ヶ岳。ずっと右にいくと稲村ヶ岳。

このすぐそばに八幡神社。真ん中が応神天皇。向かって左が天児屋根命(あめのこやねのみこと)。右が天照大皇神。

このあとまた車道に出てしまったが、このあたりは歩道があった。そして適当に西に入って高宮廃寺跡を目指す。が、次第に道が荒れてきて、ついにヤブヤブに。足下はコンクリートなのでかつてはしっかりした道だったはず。

今日はヒザの出ているトレラン用短パンで来ているので泣きたい気分だが、戻るのもつらい。道はまったく消えたが、少し開けた斜面を適当に進む。今日はこんなつもりではなかったのだけれど・・・。

ウロウロしていたら踏み跡のようなものが出てきて、少し進むとありました。寺の詳細は不明だが、建立は奈良時代あたり?。標高 550m に位置している。

少し進むと金剛山からの道に合流して、もう安心という気分になった。

それにしてももう 12 時。出発して4時間近く経っている。この先は下道ばかりだけれど、距離的にはまだ半分も来ていない。思ったよりも時間がかかっている。

車道を走って、高鴨神社へ。全国の鴨(加茂)社の総本宮。ちなみに私の生まれた場所は京都の上賀茂神社にほど近い所。

そして風の森神社へ。高鴨神社と一対になっていると言われている。風の森峠の頂上部分。道標も案内板も何もなく、事前に情報を得ていなければとても気がつかないような場所にある。

そして車道の風の森峠。

ようやく距離的には半分くらいだろうか。もう出発してから4時間を過ぎている。今日は大半が下道の走りなので疲労感が大きい。

メインの車道をはずれて旧道を進む。少し行った所に公民館があって、建物の前にベンチが置かれていたのでそこでまんじゅう休憩にする。次の目標の日本武尊白鳥陵までは 5km 以上ありそう。

室宮山古墳に立ち寄るつもりだったけれど、場所がわからず。帰ってから確認したら場所を少し間違っていた。

車道を淡々と走っていたら、吉野へ車で行く時にしばしば利用するコンビニ。この前の交差点はちょっと変わった構造で、タイミングによってはずいぶん待たされる。

風の森峠から1時間 10 分ほどかかって、ようやく日本武尊白鳥陵に到着した。吉野からの帰りに車で立ち寄れば簡単に来られるのだけれど、それでは値打ちが無い。

日本武尊の御陵は宮内庁の治定で三ヶ所ある。ここはそのうちの一つ。

午前中に山裾を辿った葛城山(右)と金剛山(左)。

ちょっとした峠を越えて、JR 和歌山線の掖上(わきがみ)駅。

終盤戦に入ってきた感じだが、平地でもしばしば歩きになる。

次の目標は斉明天皇陵。しかしこれが場所がよくわからない。ウロウロして一度諦めて、工場の片隅のような場所にある自動販売機でサイダーを買って、そばに腰掛けて休憩した。

これが功を奏したのか気力が少し戻って、せっかくここまで来たので何とか見つけようとそれらしい方向に向かった。

何とか石段の登り口を発見して、しばらく登るとまず大田皇女の陵。

さらに登ってようやく到着。

研究者の間では真の斉明天皇陵は牽牛子塚(けんごしつか)古墳の可能性が高いと言われている。すぐそばにある越塚御門古墳が大田皇女だろうと。

元に戻って、嗛間(ホホマ)神社。

中を覗くと。

そして神武天皇社へ。

隙間から本殿を覗くと。

神武天皇社にまつわる話はこんな感じ。

これがおそらく「掖上の嗛間の丘」。

またしばらく車道を走って、今日のメインの吉祥草寺へ。役行者誕生の地。

本堂はタダで入れるけれど撮影は禁止。さすがに修験道の寺だけあって護摩を焚く場所が用意されている。

裏にある写経道場には役行者の像が置かれているけれど、ここも入れるけれど撮影は禁止。

最後に鴨都波(かもつば)神社。役行者は鴨氏の出自。

午後4時前、ようやく御所駅に戻ってきた。疲れた。着替えとビールのために駅のそばのライフへ。

休憩スペースでビールを呑んでいたら「飲酒禁止」という貼り紙が。最後にちょっと落ち着かない気分になってしまったけれど、もはや移動する気力は無し。

7時間 45 分、約 37km でした。

石清水八幡宮

先の週末は天気が良ければ遠出を考えていたのだけれど、生憎の雨予報。しかも先日の台風21号通過で近場の山の状況はよくわからない。おそらくかなり荒れているだろう。
日中の雨はそれほどではなかったので、土曜日の午前中は陸上クラブの練習会へ行って、日曜日(9/9)は石清水八幡宮へ行くことにした。
石清水八幡宮は30台の全盛期の頃は毎週の様に練習に通った場所なのだけれど、いつも走り抜けるばかりで、ゆっくりと中を歩いたことが無い。いつの間にやら国宝になっていて、京都市内を眺められる展望台があるということをつい最近知ったので、そのあたりを散策してみようと思った。

家を3時に出て男山に向かう。
丘陵地の稜線にあたる場所にちょうど車道が通っていて、そこが石清水八幡宮に向かって若干の登りになって、クロカン走のような練習ができる。ただし信号が何カ所かある。
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最後にひと登りして駐車場のエリアへ。このあたりは竹林。
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男山の竹林と言えばエジソン。エジソンが発明した電球のフィラメントに男山の竹が使われたのは有名な話。
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久しぶりに眺めたのだけれど、昔はこんなんじゃなかったような気がする・・・。
そして本殿へ。
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たいていの神社では本殿の前に拝殿があるのだけれど、ここは拝殿が無い?
展望台へ行こうとしたところ、分岐が半分通行止めになっている。そばで仕事をしていた人に尋ねてみたら、展望台へは行けるけれど下には下りられないとのこと。
展望台から比叡山。
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愛宕山は雲の中。
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谷崎潤一郎の文学碑。
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当初の予定ではここから八幡市駅の方に下りて、淀川の河川敷を走って帰ろうと思っていた。しかし裏参道は悲惨!!
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さすがにここに突っ込もうとは思わない。そばの灯籠も大きな被害。
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これでは来た道を戻るしかないかなと思った。鳩ヶ峰から八幡市駅に下りるというルートもあるけれど、道の状態が心配だ。
表参道はどうかと思って覗いてみたところ・・・。
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どうもすでに整備されているようだ。もし荒れているのであればここに通行止めの表示があるはず。
濡れていて滑りやすい石段をゆっくりと下りて、無事正面まで下りてきた。
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八幡市駅はすぐそば。
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会社員時代に久御山の事業所に通っていた頃は朝はこの駅で降りて、御幸橋を渡って木津川沿いのジャリ道を走って行った。帰りはここで電車に乗るか、時間のある時や走り込みの時期は家まで走って帰った。と言ってもたかだか 12 〜 13km くらいだったと思うけど。
そう言えば台風で背割の桜が何本か倒れたとかニュースで言っていた。
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会社員時代には背割の桜なんて無かった。
あとは単調な河川敷の道を淡々と家に向かった。雨が降ったり止んだり。思いがけず陸上クラブの人が走っているのと遭遇した。
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約 20km。2時間半ちょっとののんびりジョグでした。

藤原京跡から吉野宮滝 〜 持統天皇吉野行幸の道

三連休は台風 18 号が日本列島を縦断した。しかし関西エリアは日曜日の夜中に通過して、月曜日(祝日)は好天が期待できそうだった。
そこで、かねてから構想していたけれど、暑さのために回避していたコースに行ってみることにした。台風で山道は荒れていることが予想されるので、ほぼ下道というコース。
飛鳥時代の歴史を眺めていると、斉明天皇が宮滝に離宮を造営して以降、代々の天皇がここを訪れている。
特筆されるのは持統天皇で、夫の天武天皇が崩御してから孫の文武天皇に譲位するまでの 11 年間に 31 回もここを訪れている。通算では 33 〜 34 回に及ぶらしい。
その理由はいろんな人が様々な意見を述べられているけれど、共通しているのは持統天皇の吉野宮に対する愛着の強さという点。
死期の迫っている実父・天智天皇を近江京に残して、夫の大海人皇子(のちの天武天皇)と吉野に逃れて、壬申の乱に立ち上がるまでの数ヶ月間をここで過ごしたことへの思い入れが強く残っていたからだろうと言われている。
持統天皇は在位中に藤原京遷都を果たした。そこで、持統天皇の吉野行幸の道と言えば藤原京跡をスタートとするのが一般的だろう。
奈良盆地から吉野へ行くにはいくつかの道があって、いずれも峠を越えなければならない。それらの峠は西に行くほど標高が低くなるけれど、その分、距離は長くなる。
おそらくこの道を通っていたのだろうと思われているのが、飛鳥川を遡って芋ヶ峠(芋峠)を越えて、千股川沿いに吉野川に降り立つというルート。
今は県道が通っているけれど、車なら西や東にもっと走りやすい道があるので、交通量はあまり多くない。そこに、県道から少し離れた位置に古道が残っていて、道標が整備されている。
奈良県がコースガイドの情報をホームページに掲載しているので、これを参考にしてコース設定をした。

スタートは交通の便と藤原京跡への近さを考えて、近鉄の大和八木駅。駅前で準備して、ちょうど午前 8 時に出発した。
適当に間の道に入って、下ツ道を南へ向かう。
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東に折れておふさ観音。
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20 分ほどで藤原京跡の中心部に到着。向こうの山は天香具山(手前の丘)。
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台風が通過したばかりなので足元の芝生は水たまりだらけ。
次は天香具山に向かう。ただし山には登らず、麓をなめるだけ。
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前を通ったので天岩戸神社。
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大官大寺跡を通って明日香村中心部へ向かう。いい風景だ。
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明日香村のいいところは、飛鳥時代の風景もそれほど大きくは違わなかったのではないかと感じられること(本当はそんなことはないのだろうけれど)。
奈良県は観光客は京都に取られ、宿泊客は大阪に取られで、観光客誘致に必死になっているらしいけれど、個人的には今くらいで推移していってほしいと思う。あまり廃れるのは困るので。
飛鳥寺は何度も訪れているけれど、実は飛鳥大仏は眺めたことが無かった。9時開門のちょうどだったので、空いていてチャンスだと思って 350 円を払って中に入った。
「写真撮ってもいいですよ」ということで、飛鳥大仏。
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仏像ファンという人たちがたくさんおられるそうだけれど、私には価値はわからない。
5月に遺跡めぐりで来た時の伝飛鳥板蓋宮跡からさらに南へ行った所にまたもや「伝飛鳥板蓋宮跡」。たぶん広い敷地だったのだろう。
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石舞台には寄らずに祝戸へ。
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しばらく車道を行くと、ちょっと横に入った場所にマラ石。何てリアルな!!
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稲淵の棚田の風景は美しい。車がたくさん停まっていた。
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稲淵の綱掛神事の男綱(おづな)。
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栢森(かやのもり)には女綱(めづな)。
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このすぐそばには高取山の猿石への道が分かれている。
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栢森の家並み。
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入谷(にゅうたに)へ少し向かったあたりから古道に入る。
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今日、初めての山道。
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小峠の手前あたりは結構な急坂だった。この坂を篭を担いで登るのは大変だっただろうと思う。もちろん飛鳥時代も同じ道だったかどうかはわからないけれど、篭に乗せられていても中でバランスを維持するのは非常に疲れただろうと思われる。
壬申の乱で吉野から美濃へ向かう時、桑名のあたりで持統天皇(その時は鸕野讃良皇女)が疲れ果ててそこに留まったという話がある。さもありなんという感じ。
小峠(466m)に到着。
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ここからしばらくは走れそうな下りなのだけれど、台風の影響か、小さな枯れ枝がたくさん落ちていて、これが絡まって走れない。しばらく下って、車道に合流した場所に役行者像。
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またすぐに山道に入って、三軒茶屋跡。
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登り切ったと思われる場所に道標。
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竜在峠は今年1月に御破裂山から竜門岳へ向かった時に通った。
峠の頂点はまだ上にあるのかと思って急登を少し上ってみたけれど、ずっと登りが続く感じ。はたと「ここが芋峠の頂上という意味だ」と思って、下りてきた。まぎらわしい表記だ。
ここから少し下ると県道に出た。11 時 20 分。
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先の道標は、県道の芋ヶ峠は本当の峠の頂では無いという意味なのだろう。
ちょうど車道と出会う場所にあった案内板。
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詩歌を愛でるような高尚な感性は持ち合わせていないけれど、古道を歩く楽しさはそれなりに感じている。
ここからも高取山への道が分かれているけれど、随分人通りが少ない感じだ。
このあとはずっと車道になりそうなので、山道に少し入った所で大福休憩にした。
ここからは車道を南へ下る。少し下った場所にこんな道標が。
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芋峠から下ってきたのに下る方向を向いて道標が立っている。それはないだろうと思って、そのまま車道を下った。
少しして gps を見てみると、何とルートからはずれてきている。
今日は例の奈良県のホームページにあったガイド図と共に、ヤマレコで見つけたこのルートを歩いた人のトラックデータを gps に入れてきている。
ガイド図ではここは車道を下ることになっていたのだけれど、ヤマレコの人は古道を歩いていた。そうか、あの道標は実は吉野に向かう古道だったのだ。
まだ十分に戻れる距離だったので、先ほどの道標の場所まで登り返した。
それにしてもこの道標の向きはひどい。人通りの少ない道では道標が間違って設置されているということが時々あるのだけれど(あらぬ方向を向いてしまっている?)、この道標はわりと新しく設置されたもののように思える。
この道も荒れていた。道路が舗装された場所でも一面コケに覆われて、人が歩いている様子がほとんど無い。
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峠から 30 分ほどで県道に合流して、千股川せせらぎ公園。峠からの下りで吉野川が見える場所があるのではないかと期待していたけれど、残念ながらそれは見あたらなかった。
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それから約 20 分、標高が下がって暑くなってきた車道をジョグで下って、吉野川に降り立った。
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ここから宮滝へは吉野川の右岸を行くのだけれど、その道は R169(R370)で交通量が多いので、妹背大橋を渡って左岸の道を行く。
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20 分少々のジョグで、また右岸に渡る柴橋まで来た。暑い!!。
下流の景観。
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上流。
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橋を渡って、宮滝遺跡。ただしこの遺跡は縄文、弥生時代の遺跡。
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実は今年の7月に大普賢岳へ行った時に、ここを車で通っている。下山が早かったので、帰りに立ち寄る時間は十分にあった。
その時はすでに今日のコースの事を思いついていた後だったのだけれど、「宮滝を訪れる時はぜひとも芋ヶ峠を越えて自分の足で」という思いが強かったので、あえて立ち寄ることをしなかったのだ。
R169 を渡って、吉野歴史資料館へ。
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せっかくなので 200 円を払って中に入ったけれど、ショボイ。休日の昼過ぎだというのに誰もいなかった。
やや右の奥に見えるのが青根ヶ峰だろうか。
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柴橋のそばの自動販売機でジュースを買って休憩して、来た道を戻って、さらに近鉄の吉野神宮駅に向かった。
駅前がちょうど吉野神宮への登り口になる。
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駅に着いたのは午後2時ちょっと過ぎ。幸か不幸かあと3分くらいで電車が来る。
本当は着替えて、ビールでも飲んでゆっくりしたかったのだけれど、電車は1時間に2本しかない。まぁ「2本もある」とも言えるかも知れないけれど。
どうもこういう時にのんびり構えられない性格なので、着替えもせずにやってきた電車に乗り込んだ。着替えは阿部野橋駅までお預けとなってしまった。
やはり奈良の歴史街道歩きは楽しいと改めて思った。途中でお寺や資料館などに立ち寄ってゆっくりしながら、約 33km、6時間ちょっとの旅でした。

鳩ヶ峰、樟葉宮跡

翌日に陸上クラブのマラニック大会を控えた土曜の午後、疲れをあまり残さないようにということで、近場でまだ訪れたことの無い場所を訪ねてみることにした。

男山から石清水八幡宮への丘陵地は、マラソン全盛期の頃は淀川と並んで練習のメインコースだった。その頃は今よりも男山に近い場所のマンションに住んでいたので、ちょうど丘陵地の稜線にあたる道路で片道約 5km のコースを設定して、週末にはそこを3往復やるのが定番メニューだった。何カ所か信号があるけれど、その当時はそんなこともそれほど気にならなかった。
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結婚前の一時期、門真の方に職場があったので、このあたりには2年半ほど住んでいたことがある。その頃は山は細々とはやっていたけれど、ランニングはまだやっていなかった。
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石清水八幡宮に西側から上がる道は、急な登りになっている。ここを息を切らせて上がるのがポイントだったのだけれど、今はロードの練習に急な登り坂はあまり意味が無いんじゃないかと思っている。
この丘陵で一番標高が高いのが鳩ヶ峰という山なのだけれど、実はこれまで山頂に行ったことが無い。そもそも最近まで、どこに山頂があるのかということすら知らなかった。
何となく石清水八幡宮のエリアの中にあるんじゃないかと思っていたのだけれど、実は少し西に離れた場所にあった。
急坂を上がりきると北側(左側)にグラウンドがあるのだけれど(ここは昔からあった)、この横からハイキング道路が出ている。
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このエリアに入ってすぐのところに左側に標識が立っていたのだけれど、それに気付かずに駐車場の奥まで行ってしまった。
向こうの方に標識が見えたので、それが案内標識だろうと思って近づいたら・・・
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この左に斜面を上がっている踏み跡があったので、それを辿ってみたら、しっかりした道に出会った。
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この階段を上がった所が鳩ヶ峰の山頂(142.5m)だった。三角点がある。
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山頂には祠とお寺の跡(鳩峰国分寺跡)があった。
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下山は正しい道で。
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実は立派な標識が立っていました。
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昔はこのあたりは鬱蒼とした竹林だったのだけれど、宅地開発されて、随分眺めが良くなっている。交野の山や生駒が望める。明日のマラニックは交野山へ。
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次なる目的地は樟葉宮跡だったのだけれど、思いのほか近くに和気神社という神社があった。
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そばには足立寺(そくりゅうじ)史跡公園。
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奈良時代に瓦や土器を焼いた窯の跡。
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実はこの時、ここが樟葉宮跡と錯覚していたのだけれど、どうも様子が違う。スマホの地図で確認してみたら、やはり樟葉宮跡はもう少し南だった。
住宅街を適当に行って、木が茂っているエリアに近づくと、ようやくありました。
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鳥居をくぐって中に入ります。
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交野天神社(かたのてんじんじゃ)。
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一瞬、これで帰りそうになってしまったのだけれど、入り口の案内板をもう一度読むと、樟葉宮跡はこの本殿の向こうにあるということがわかって、あわてて戻った。
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貴船神社。
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継体天皇が 507 年に即位したのはこのあたりと伝えられている。
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ここの杜はわりと大きくて、こんな住宅街の中にこんな閑静な林が残っているというのは不思議な感じ。何か異次元の世界に迷い込んだかのような不思議な感覚を覚える場所だった。
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そして少し南に鏡伝池(きょうでんいけ)。
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これで今日の目的地はすべて終了。
好日山荘の 500 円割引券があったので樟葉駅の店に寄ってみたけれど、3000 円以上買わないと使えないので、結局何も買わずに出た。
最後のおまけは家の近くの片埜神社(かたのじんじゃ)。
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いつもただ境内を通り抜けるだけなのだけれど、実は本殿は重要文化財で(この写真の向こう側にある)、かなり歴史のある神社らしい。写真を撮ったのはたぶん初めて。
このあたりにはもう 30 年以上住んでいるけれど、私にとって新鮮な場所はまだまだ残っていると感じた日でした。

橿原、明日香村、遺跡めぐり

日曜日(5/14)は好天で絶好の外出日和だった。
まるまる一日出られるのは今月はこの日が最後で、本来なら山へ行きたいところだったのだけれど、その前が1日おきに3回随行が続いて、前日の土曜日は久しぶりに本降りの雨だったので、行き先に迷ったあげく、土曜日の夕方になってようやく奈良の遺跡めぐりということにした。
このところガラにもなく、何故か古代史に興味を感じている。
きっかけは今年の1月に花の講座の下見で明日香村に行った時で、飛鳥坐神社や飛鳥寺などを歩いている時、なぜか心がざわめくのを感じた。
ヤマト民族の血が騒ぎ出したのかも知れない。
その後、大和三山御破裂山、竜門岳、音羽三山に行ったけれど、遺跡が主目的ではなかった。
一度、明日香村をじっくりと歩いてみたいと思っていたので、ちょうどそのタイミングかなと思った。

橿原考古学研究所付属博物館の開館9時に合わせて、9時ちょっと過ぎに到着した。
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日曜日でもこの時間なら人は少ないだろうと思っていたら、何と日曜日だというのに小学生の団体にかち合わせてしまった。
ただ、わりとマナーのいい集団だったので、あまり不快な感じになることは無かった。
たまたま特別展を開催している期間だったので、通常なら 500 円の入場料が 800 円取られてしまった。特別展のテーマは「弥生絵画」で、ここまで古くなると私の興味の対象ではないのだけれど、いらないというわけにはいかない。
キトラ古墳の発掘のビデオなどはなかなか見応えがあった。
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小学生の団体は 50 分くらいで出て行って、私は1時間半ほどここで過ごした。
外に出て、走れるウエアにして、ジョグで丸山古墳を目指す。何故か突然雨粒が落ちてきたけれど、すぐに収まった。
右手に畝傍山。
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古墳でいつもとまどうのは、だいたいにおいて正面がどこかという標識がほとんど無く、大きな古墳のまわりをぐるっと廻らされるはめになることがしばしばあるということだ。
地図と gps で場所を確認しながら進んだけれど、行き過ぎたかと思って、少し戻って細い道を上がって、「史跡 丸山古墳」という古い標識で土道を上がったところ、ただの雑草原に出てしまった。
どうも前方後円墳の前方部の先端に上がったようで、後円部はかなり先に見えている。何せ全長 318m という巨大な古墳なのだ。
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踏み跡の無い草むらを強引に後円部まで行った。下りた場所には案内板が立っていて、ツアーか何かで来ている人たちが何人かいた。
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石棺が二つあったことが確認されており、考古学的には欽明天皇と妃の堅塩媛(きたしひめ)の可能性があるとの説。
次はすぐ西にある植山古墳。ここもどこから近づけばいいのかよくわからなかったけれど、そばにある春日神社の境内が石段を上がった所にあるので、そこへ上がってみたところ、期待通り、植山古墳の上に出ることができた。
古墳の形状はよくわからないが、整備されていて墳頂部からの畝傍山の眺めは美しい。さらに向こうには二上山。
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ここも石室が二つあることが確認されており、考古学的には推古天皇と子息の竹田皇子の合葬墓という説がある。その後、科長の大陵に改葬されたとか。
このあとは住宅街の道をできるだけショートカットしながら欽明天皇陵を目指す。
正面がどこかわからず、またもや通り過ぎそうに思ったので適当に細い道に入ったら、さらに細い道が上がっていて、吉備姫皇女王墓に出た。
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ここには猿石がある(全部で4体ある)。もともとは田んぼから掘り出されたものがここに置かれているらしい。
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この横を通って、欽明天皇陵(梅山古墳)。
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正面の石段を下ったら、何とさっき通った道ではないか。
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こんなものを見落とすなんて、いったいどこに目をつけているんだ!!
次は近鉄吉野線の西側にある牽牛子塚古墳(けんごしつかこふん)を目指す。
変なところに迷い込んだりしながら走っていたら、「岩屋山古墳」という標識を発見。
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石段を上がると石室がまる出し。
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さらに横から墳頂に上がれる。
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牽牛子塚古墳への標識に導かれて、ようやく見えてきた。
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墳丘はシートがかぶされているが、石室を眺めることはできる。
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巨石をくりぬいて造られたツインベッドの石室で、斉明天皇(皇極天皇)と娘の間人皇女(はしひとのひめみこ)の合葬墓という説がある。
牽牛子塚古墳は思ったよりも遠かった。さて、次なる目標はマルコ山古墳。
何とか線路まで戻らずに近道しようと南へ向かって、うまくすぐそばまで来ていながらわからなくなって線路に出てしまって、結局また戻るということを繰り返して、30 分以上かかってようやくマルコ山古墳に到着した。
古墳のすぐそばまで、まったく標識が無かった。ずいぶん有名な古墳だというのに。
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古墳のそばにトイレと休憩場所があったので、そこで腰を下ろしておにぎり休憩にした。
時間はすでに 12 時半を過ぎている。
当初は明日香村だけでは時間を持て余すのではないかと思って、桜井まで足を延ばすことを考えていたのだけれど、この様子ではそれはムリそうだ。それよりも明日香村をじっくり歩いた方が良さそうに思った。
次なる目標は天武・持統天皇陵。飛鳥駅前を通って、しばらく車道を行く。
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国営飛鳥歴史公園というのがあって、入場無料だったので入ってみたが、花の写真が展示されているくらいで、見るべきものは見あたらなかった。
しかし「鬼の俎・鬼の雪隠」の標識があったので、そこに寄ってみることにした。
思ったよりも遠かったが、まずは「鬼の雪隠」。
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少し上に「鬼の俎」
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元々は古墳の石室だったものらしい。序盤に訪れた欽明天皇陵はすぐ近く。
このまま進めば天武・持統天皇陵に行けるのではないかと思ったけれど、標識にはそういう表記が無かったので、いったん国営飛鳥歴史公園に戻った。
緩い登り坂をスロージョグで進んで、天武・持統天皇陵(野口王墓)に到着。
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墓が荒らされた時の様子から、実際に天武・持統天皇だったのだろうと言われており、治定が信頼できる数少ない古代の陵墓の一つである。
さらに北に向かって菖蒲池古墳。
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家形石棺が2基据えられており、いずれも非常に精巧な造りで、かなり特異な石棺とのこと。
さて、これからは明日香村の核心部へ。
まずは亀石。
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カメというよりはカエル。時期も目的も不明。このあたりから観光客が増えてきた。
いつも前を素通りしている橘寺に寄ってみたけれど、入山料がいるのでパス。
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多武峰(とうのみね)。明日香村のこういう風景が好きだ。三方を山に囲まれた京都に生まれ育ったせいもあるのかも。
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伝飛鳥板蓋宮跡(でんあすかいたぶきのみや)。7世紀中頃、皇極天皇が営んだ皇居の跡と言われている。
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そして酒船石へ。
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詳細は不明だけれど、工事好きだった斉明天皇が残したものかも・・・。
亀形石造物は有料なのでパス。
せっかくなので万葉文化館に入ってみた。花の講座の時に訪れているけれど、その時は中には入っていない。
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無料なので中を見て回ったけれど、まぁこんなもののかという感じ。時間つぶしにはなるかも。
そして、花の講座の下見の時も来たはずなのだけれど、あまり記憶に残っていない大原神社へ。
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ここは藤原鎌足の誕生地。ここの奥の竹田川のほとりには「藤原鎌足産湯の井戸」。
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飛鳥坐神社方向に少し行くと藤原鎌足の母の大伴夫人の墓。
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そして飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)。
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本堂の奥にもいろいろとあった。
飛鳥寺も中には入らず。
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そして蘇我入鹿首塚。背景は蘇我蝦夷、入鹿が豪邸を構えた甘樫丘(あまかしのおか)。
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建てられたのは鎌倉か南北朝あたりとのこと。
明日香村めぐりもいよいよ終盤へ。
甘樫丘の麓でトイレ休憩。
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大和三山へ行った時に、寄りたかったけれどよくわからなくて通り過ぎてしまった豊浦寺(とゆらじ)跡の向原寺(こうげんじ)へ。
そのすぐそばに難波池。
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そして向原寺。
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うろうろしながら実は向原寺のすぐそばにあった甘樫坐神社(あまかしにますじんじゃ)。推古天皇が祭られている。
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想定していた箇所はこれでお終いだったけれど、橿原神宮駅へ向かう途中にある孝元天皇陵に寄って行くことにする。
またもや正面がどこかわからず、すぐそばの住宅街で地元の人に陵墓を指さして「この天皇陵の正面はどこですか?」と尋ねたら、「それなに?」というお返事。家のすぐそばにある森が天皇陵であるということをご存じなかったようだ。
ぐるっと廻ってようやく入り口を発見。
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「孝元天皇」という名前は聞いたことが無いなぁと思って、帰ってから調べてみたら、いわゆる「欠史八代」の一人の第8代天皇だった。
橿原神宮前駅には午後4時前に到着した。何だかんだで 25km ほどの行程だった。
ほとんど車道の平地ばかりなのでそれほどの疲労感は感じなかったのだけれど、風呂上がりのいつものタイミングで体重を量ったら、久しぶりに 50kg を割っていた。小辺路の後でもそこまでは落ちなかったのだけれど。
それにしても期待以上に楽しい一日でした。

安満宮山古墳

日曜日は随行の予定なので、土曜日の午後はまた高槻方面へ行きたいと思っていた。
ところが午後の降水確率が高くて、ちょうど昼頃には雨模様になってしまった。これでは山田池のジョグでお茶を濁すしかないかなと思っていたら、雨が止んで晴れ間が出てきた。
天気予報では不安定な天候なので晴れていても傘は必須とか言っていたが、これなら出かけないわけにはいかない。
と言うことで、予定していた高槻の安満宮山古墳(あまみややまこふん)へ向かうことにした。
ここは登山講座のお客さんから教えていただいたところで、卑弥呼が魏から贈られた銅鏡の可能性があるというものが出土した古墳。
家から直線距離なら 10km もないくらいだけれど、枚方大橋で淀川を渡らなければならない。
午後2時半すぎにジャケットとゴアテックスの帽子をザックに入れて出かけた。

淀川の河川敷は菜の花が満開。
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枚方大橋を渡って、今日は右岸を遡る。
檜尾川に入って車道を行くが、狭い車道で交通量が多く、歩道も無い。下の住宅街は道が入り組んでいるようで、下を行けそうに見えた所で車道から下りた。
目指す安満宮山古墳は手前の丘陵地の左すそ野あたり。
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その前に弥生時代の遺跡という安満遺跡に立ち寄った。
もう少し整備されているのかと思っていたが、整備はこれからのよう。グラウンドにパネルが表示されているだけだった。
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住宅街を抜けて、名神高速をくぐって、いよいよ安満宮山古墳へ。
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ここは高槻の公園墓地の中にある。大きな墓地で、桜がきれいだった。
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駐車場のそばから少し山道を登る。
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安満遺跡と違って、こちらはかなり整備されていた。
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ここも阿武山古墳と同じように、山の斜面の眺めのいい場所にある。いわゆる墳丘は無い。
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ちょうど古墳の部分がスケルトンになっていて、発掘された時の状態が再現されている。
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出土したものから考えると、相当な地位にあった人の墓のようだ。
名神高速のそばでは大がかりな道路工事が進められている。
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帰りはあの狭い車道は通りたくないので、住宅街を適当に南へ向かう。
この頃から小雨が降ってきたが、それほど強くはならなかった。
R170 に出てしまったが、往路の狭い車道よりはマシ。
淀川に帰り着いた頃には雨も止んでいた。
枚方側の河川敷から安満宮山古墳方面を眺める。
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高槻にはこういう遺跡がたくさんある。
大昔は水路は重要な交通網で、瀬戸内海につながる淀川は重要な川だったようで、高槻に遺跡がたくさんあるのは淀川に近いので賑わったということなのだろう。
それなら枚方にも同じように遺跡がたくさんあっても良さそうに思うけれど、枚方はそれほどではない。
高槻はまだ何カ所か行きたい所が残っているけれど、途中の経路があまりランに向いていないのが難点。
良さそうな経路を地図で探すのも楽しみの一つではあるのだけれど。

阿武山古墳

この三連休の自由時間は土曜日の午後しかなかった。
幸い、天気は良さそうだったので、先月の古墳めぐりで到達できなかった高槻の阿武山古墳を目指すことにした。

家を出たのは午後1時 36 分。今回は枚方の古墳は省略して淀川へ。
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枚方大橋を渡って高槻に入って、芥川を遡る。
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先月は JR の線路を越えるために摂津富田まで行かされたけれど、地図を細かく見たら川の左岸は線路をくぐれそうだったのでそちらへ行ってみたところ、期待通りに線路を越えられた。
今城塚古墳はパスするつもりだったけれど、このあたりではここしか無いトイレを借用するために立ち寄った。
1時間くらいで来られると思っていたけれど、もう3時だ。13km くらいあったので仕方無い。
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このすぐ先の闘鶏山古墳(つげやまこふん)に向かうが、入り口がわからない。
地図では南と東に入り口があるようで、まずは東側に行ってみる。
ため池越しに古墳らしい地形が望めるが、北端まで行っても入り口が無い。
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仕方無く南側に回ってみたが、ちょうど名神高速が走っている。だいぶ西へ行ってからようやく北側に出ることができて、そこからまた東へ向かった。
古墳のすぐそばに闘鶏野神社があった。
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古墳はすぐそばに見えるけれど、フェンスで囲ってあって立ち入り禁止の看板が出ている。
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阿武山古墳に向かいつつ闘鶏山古墳の西側に沿うように進んだが、結局入り口らしきものは見つけることができなかった。
あきらめて住宅街を阿武山古墳に向かう。なかなかの登り坂だ。新興住宅街という感じだけれど、こんな所に住んだら歳をとったら大変だと思う。
地図で見た階段でショートカットする。
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部分的に登山道でショートカットして、京大の地震観測所のそばでようやく道標に出会った。
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このあと阿武山への登山道を少し上がると、阿武山古墳があった。
闘鶏山古墳でうろうろさせられたせいもあって、今城塚古墳から1時間近くもかかってしまった。
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この古墳は盛土が無く、標高約 220m の尾根に溝を掘って墓域にしている。
この下には藤原鎌足かも知れないミイラが今も眠っている。
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時間があれば阿武山山頂まで行こうと思っていたけれど、すでにもう4時近い。今日は山が目的ではないので、ここで下りることにする。
木が無ければ絶景なのだけれど・・・。
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これから今日最後の目的の継体天皇陵を目指す。
考古学的には今城塚古墳が継体天皇の墓という説が有力だけれど、宮内庁は太田茶臼山古墳を継体天皇陵と治定している。
宮内庁が管理しているので中には入れない。
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あとはしばらく車道を走って川に出て、来た道を引き返す。
枚方大橋を渡って河川敷に下り立ったあたりから何故か調子が上がってきて、自然とキロ5分半くらのペースになっていた。
ここで偶然、陸上クラブの会長さんに出会った。
堤防からはちょうど阿武山古墳のあたりを望むことができた。
ズームアップしているので汚いけれど、左の方にある鉄塔の向こう側の山の稜線あたりが阿武山古墳。
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家に帰り着いたのはちょうど午後6時だった。約 36.4km でした。