雲母坂

4/10(水)は京都一周トレイルの講座で比叡山の雲母坂を登ってきた。

叡電の修学院駅に集合してからまずは鷺森神社へ。

本殿にお参り。

それから雲母坂へ入る。

40分ほど登って水飲対陣碑へ。ここで一周トレイルコースに合流。

そばの展望場所から宝ヶ池方面を見下ろす。

いつもと同じく浄刹結界石のところで昼食。

少し上の展望場所から京都市内方面。

千種忠顕の碑に立ち寄り。

ひと登りしてケーブル比叡駅の手前の展望場所からの眺め。あべのハルカスも見えていた。

ケーブル比叡駅に到着してここで解散した。

私はここからいつものルートでケーブル八瀬駅に下山した。

玉体杉

4/1(月)は講座で比叡山の北にある玉体杉へ行ってきた。ここは京都一周トレイルのコース上で、これまでに何度も通っている。

集合は京都バスの登山口停留所で、ここから横高山ふもとのせりあい地蔵まで登る。

この道は京都一周トレイルの講座で横川に集合の時にいつも利用していて、比叡山のトレイルレースのコースにもなっている。

10分ほどで青龍寺への分岐へ。午後はここに下りてくる。

ところどころに町石が建っているが、一人で登っているときはまったく気がつかなかった。

木の間から遠くに愛宕山。手前は瓢箪崩山。

昼前にせりあい地蔵に到着して、ここで昼食にした。

昼食後は10分ほどで玉体杉へ。

ここは回峰行の行者がそばの石に座って御所に向かってお祈りを捧げる場所。

そして峰道レストランでトイレ休憩。

ここの展望場所から三上山方面。鈴鹿はかすんでいて見えない。

左に目を向けると蓬莱山と打見山。

このあとは青龍寺に向けて荒れた車道を下る。ここも比叡山トレイルレースのコース。

30分ほどで青龍寺へ。前は何度か通っているが中に入ったのは初めて。

このあとは荒れた山道の下りで登山口のバス停に向かう。道端にシカの頭蓋骨?

2時半過ぎにバス停のそばまで下りてきて、ここで解散した。

ブランシュたかやまスキーリゾート

久しぶりのスキーでブランシュたかやまスキーリゾートへ行ってきた。

ここは数少ないスキーヤーオンリーのスキー場で、以前から一度行ってみたいと思っていた。「たかやま」という名称だが岐阜県の高山とは関係無くて、場所は長野県の霧ヶ峰の近くにある。

今シーズンはどこも雪不足なのでどんな状態なのか多少不安があったが、スキー場に近づくにつれて道路に雪が出てきてちょっと安心した。

ゲレンデは雪がたっぷりで、これなら大丈夫だろうと思った。

スキーヤーオンリーというのもうれしいが、うるさい音楽が流れていないのも良かった。

3/21(木)は非常に寒くて、ゲレンデトップでは午前中は氷点下10度だった。先月の宗谷岬よりも寒い。しかも滑っていると下から風が吹き上がってくることもあって、本当に寒かった。

この日は下諏訪の銭湯(温泉)へ。入浴料280円なり。

下諏訪の温泉は何年か前にも行ったが、その時に入った銭湯と同じでかなり熱かった。このあたりではこれが一般的なのかも。

翌日は寒さは少しマシで、ゲレンデトップの展望場所では富士山まで見渡すことができた。左は八ヶ岳で、真ん中の遠方に富士山がうっすらと見える。肉眼ではもっとはっきり見えた。

この少し左には蓼科山

右は車山

別の場所からは後立山連峰。ただし白馬など北の方は見えていない。

時間があるので木曽の桟(かけはし)温泉に寄って帰ろうと思う。ここは以前に一度立ち寄っていたく気に入ったのだが、中途半端な場所にあるのでこういう時間の余裕のある時でないと寄り道できない。

一度ここに泊まってみたいと思う。

証如峰

3/17(日)は講座で北摂の証如(しょうにょ)峰に行ってきた。昨秋にも別の講座で行ったが、前回とは違うコースを歩いた。

千里中央に集合してバスで外院(げいん)へ。

今日は勝尾寺の旧参道を歩く。

この道は町石が残っている。鎌倉時代に造られたもので、高野山の町石より古い。

八天午方軍茶利明王石蔵(はってんごほうぐんだりみょうおういしぐら)。勝尾寺の寺領を示すものでこの下に陶器の壺に仏像が埋められていた。

峠を越えて勝尾寺へ。

前回はここまでバスで来た。

少し先の休憩場所で昼食にした。

ここから証如峰までは前回と同じ道を辿るが、この頃から雨が降り出してきた。急登を登る。

午後1時前に証如峰(599.8m)に到着した。

ここは北摂霊園の裏側で、ネットの向こう側に三角点がある。

このあとは前回とは違うルートで、東海自然歩道を箕面方向に辿る。

展望場所から茨木、高槻方面。

石の塔が並んでいるが何かよくわからない。

ほどなく開成皇子の墓。

少し下って最勝ヶ峰。なぜか下ったところが山頂。

石段を下って箕面川ダムの手前の車道に出た。

すぐそばの東屋で一休み。

このあとはしばらく車道を歩く。日曜日のせいか車が多い。

東屋から30分足らずで箕面大滝に到着しした。

一旦ここで解散ということにしたが、結局はみんなで阪急の箕面駅まで歩いた。

瓜生山

3/13(水)は京都一周トレイルの講座で瓜生山へ行ってきた。

集合は白川通りの銀閣寺への交差点の橋。ここからは大文字山が正面に見える。

しばらく車道で北白川天神宮へ。

バプテスト病院のそばから山道に入る。

まずは大山祇神社へ。

急坂を上がって茶山で一服。

お次は白幽子巌居蹟。

少し上ると清沢口石切場。

出発して1時間半ほどで瓜生山の山頂(301m)に到着した。

展望場所から岩倉方面。焼却場が見える。

少し行った広い場所で昼食にした。

広い道に出てしばらく行くと石鳥居。

ここから一気に下って沢を三本渡る。

そして雲母坂の水飲対陣の碑へ。

梅谷を下る。

あとは車道で、音羽川の白川通りに出会ったところで解散した。後ろには比叡山。

ポンポン山

3/4(月)は講座で京都と大阪の県境のポンポン山へ行ってきた。

JR高槻駅に集合してバスで中畑回転場へ。

ここは大阪府だが少し歩くと京都府に入る。

車道を30分少々歩いて大原野森林公園へ。ここは昨年、個人的に歩いた

ここからポンポン山に向かう。しかししばらく登ったところで体調不良の方が出て、その方と一緒に一旦この公園まで戻ってからまた本隊を追いかけた。

この道は昨年登ったのだがこれと言った特徴の無い道なのでほとんど記憶がない。

みなさんが福寿草群生地から戻ってこられたところで追いついた。

ちょうど昼食のタイミングだったのでおにぎりだけを大急ぎで食べてから福寿草を見に行った。

なかなかの急坂の往復で、食べてすぐに歩いたので戻るときの登りでお腹が痛くなった。

ここから30分足らずでポンポン山の山頂(678.8m)に到着した。

35年くらい前のマラソン全盛期の頃、トレーニングのために家から自転車で麓の神峯山寺まで来て、ポンポン山まで往復するということを何度もやった。麓から二往復したこともあった。

下山は善峯寺方面に向かう。

山頂から50分ほどで集落に出た。

あとは車道歩き。

車道を30分ほど歩いて善峯寺の入り口へ。

すぐそばのバス停で解散した。

ごろごろ岳

2/26(月)は講座で神戸のごろごろ岳へ行ってきた。ほぼ10年前に講座で歩いたが、今回とは若干異なるコースだった。

JRの芦屋駅からバスで奥池集会所前へ。

車道を少し歩いて奥山貯水池。

ここから散策路に入る。

直接ごろごろ岳に向かうと近すぎるので、鷲林寺の方に回り道する(鷲林寺までは行かないが)。

展望場所から昨年行った甲山を見下ろす。

また寄り道してガベノ城方向の展望場所へ。ここからの大阪湾。

ここで昼食にした。

午後はいよいよごろごろ岳(565.3m)へ。

ごろごろ岳の山名の由来はこの標高の語呂合わせという説もあるが(地形図では 565.3m)、岩がゴロゴロしているからという説もある。

実はこのすぐそばには民家があって車道が通じている。

その後、また山道になって、展望場所から瀬戸内海を望む。

岩のゴロゴロした道を下って、車道に降り立った。

あとは車道で阪急の芦屋川駅に向かう。

駅の手前で芦屋川を渡る。

午後2時半頃に芦屋川駅に到着して解散した。

稚内から札幌へ、そして帰宅

2/24(土)は日本最北端の稚内から一気に家まで帰る予定。すべての交通機関が滞りなく運行されるかどうか、少なからず不安がある。何と言っても真冬の北海道なので。

朝の6時にホテルをチェックアウトした時はまだ薄暗かった。除雪車が随所で作業していた。

20分ほどで稚内駅に到着。

ほどなく乗る予定の列車が入ってきた。まずは一安心。

わりと天気が良かったのでサロベツ原野のあたりで利尻山が見えないか目をこらしていたが、残念ながら今回もダメでした。

天塩川の川縁は霧氷がびっしり。こんな風景が電車の窓から見られるのは北海道ならでは。

音威子府からは次第に混んできた。

旭川で乗り換えるが今日はホームの反対側にすでに列車が止まっていて、乗り換え時間は10分程度。

車窓の風景はこれまでとはかなり違って人工物が多くなってくるが、増毛山地の眺めには引かれる。暑寒別岳はいつか行ってみたい。

今日も約 400km の鉄道旅で、昼前に札幌に到着した。飛行機は夕方なので時間潰しにサッポロビール博物館に向かった。

土曜日だけあってかなり混雑していたが、日本人よりも中国人(台湾人?)の方が多かった。

試飲コーナーがあって、三種飲み較べというのを試してみた。

定番の黒ラベルと北海道限定のサッポロクラシック、そして創業当時のレシピで作っているという開拓使ビール(市販はしていないがここの売店では購入できる)の三種類。

さてお味の違いは?

まずは一口ずつ味わってみる。う〜ん、違うと言えば違うような気もするが、そういう気構えで味わないと違いがわからない程度。さすがに開拓使ビールは違うんじゃないかと期待したが、これもさほどの違いは感じられなかった。まぁ、違いのわからない男なのです。

電車旅の魅力の一つはいつでも呑めることなのだが、今回はこれが最初で最後だった。

まだ時間があるのでここからさほど遠くない場所にある北海道鉄道技術館に行ってみた。午後1時15分くらいに着いた。

何も考えずに行ったのだが開館までまだ少し時間があるとのこと。案内板を見ると開いているのは第2、第4土曜日の午後1時半から4時までとのことで、運が良かった。

JRの苗穂工場の敷地内に設置されていて、二階建ての建物に北海道の鉄道の歴史や様々な歴史的資料が展示されていた。

小学生くらいの子供連れが多かった。

入場無料だが内容は充実していて、サッポロビール博物館よりも楽しかった。

苗穂駅のそばの商業施設のフードコートでラーメンを食べて、新千歳空港に向かう。

Peach はアプリでチェックインができるので便利。チェックイン可能時刻の90分前を少し過ぎたタイミングで手続きしたら窓際の席が取れた。

空港のコンビニでコーヒーを飲んでからターミナルへ。

定刻に乗り込む。

窓際だったが午後5時半過ぎで、左側だったので支笏湖や洞爺湖などは反対側。おまけに少し上がったら雲の上になってしまったのできれいな景観はほとんど見ることができなかった。

関空には定刻より少し早めに到着した。

またバスで駅のある建物まで戻ったが、何と南海とJRの両方とも人身事故でダイヤが乱れているとのこと。

JRの方が改札が近かったのでJRに乗った。うまい具合に座れたが、ほぼ満員の混みようだった。途中で待ち合わせやら何やらで30分ほど止まったりして、家に帰り着いたのは午後10時を過ぎていた。

宗谷岬、稚内港北防波堤ドーム、稚内公園

2/23(金)は冬の宗谷岬へ行ってみる。3年前の夏に稚内から自転車で往復したが、真冬の様相もぜひ見てみたかった。

ホテルを出てバスターミナルに向かう。

宗谷岬を越えて浜頓別へ向かうバスの乗客は10人くらい。市街地を過ぎると左側は宗谷湾。寒々としている。

50分くらいの乗車で宗谷岬に到着した。下車したのは10人くらい。地元の人の生活路線なので途中の停留所で乗ってきた人や、まだ先に向かう人も何人かいた。

土産物店の温度計ではマイナス8.4度。風があまりないのでさほど厳しくはない。

岬の先端の手前には間宮林蔵の像。

そして宗谷岬の最先端。

少し横に行ってぐるっと見渡してみる。

海岸はこんな感じ。

帰りのバスの都合があるのでここでの滞在時間は50分くらい。前回も行った丘に上がってみる。踏み跡はわずか。

相変わらずいろんなモニュメントが建っている。

旧海軍望楼に上がってみる。

展望場所から見下ろすと、

現地50分は物足りないんじゃないかと思っていたが、実際に行ってみるとこの季節は歩き周れるところもあまりないし、雪歩きのできるようなシューズを履いてきてまで歩きたいほどの場所もないので、これで十分だった。

昼前に稚内に戻ってきたので、午後は初めての場所を訪ねてみる。

駅舎を出て少し北へ行ったところにこういうものがあるのは前回はまったく気がつかなかった。

2011年までは線路の終端がここだった。

実は終戦まではさらに北に線路が伸びていて、海岸の港に駅があった。その線路の跡が残っているのだが、今は雪に埋もれて見えない。

その頃の名残がこの北防波堤ドーム。

戦前はここから樺太(今のサハリン)まで稚泊(ちはく)連絡船が運行されていた。その頃は樺太の南部は日本の領土だったので、そこの大泊(おおどまり、今はコルサコフ)まで定期便が運行されていた。

ここに電車の駅があって、下車したらすぐに船に乗れるようになっていた。

遺構として残すために戦後も何度か補修工事がなされている。コンクリートはきれいだった。

ここは地元の人のイヌの散歩コースになっているもよう。

向こうには利尻島へ渡った時に乗ったハートランドフェリー。

実は2015年まではハートランドフェリーはサハリンへの定期航路を運行していた。その頃に来てみたかった。

ドームの内側に海上保安庁の巡視船「りしり」が停泊していた。

背後の丘に何かタワーが見える。

段の上に上がったところから宗谷岬方面を望む。

駅に戻ってお昼を食べて、さてこれからどうするか。樺太記念館に行ってみようとは思っているのだが、それだけでは時間が余り過ぎる。

冬なのでどこまで行けるかわからないが、先ほど北防波堤ドームから見上げた稚内公園の方に向かってみることにする。

散策路の案内に従って石段を上がる。

石段を上がると北門神社。

ここが今日の終点かと思ったが、左の斜面に踏み跡が見えたのでそれを辿ってみた。

数分上がると夏なら車道と思われる道に出て、何人かが歩いている踏み跡が上に続いていた。ストックの跡があるのでハイカーだろう。

そのまま上がると「氷雪の門 樺太島民慰霊碑」があった。

下から見えたタワーはあれ。あそこまで行けるのだろうか。

タワーに向かって進むと「南極観測樺太犬訓練記念碑」。

下から50分ほどでタワーに到着した。「開基百年記念塔」だそうです。

サハリン展望台からサハリンは見えなかった。これは宗谷岬方向。

ここは標高150mくらい。

さて、来た道を戻ることにする。

先ほど見上げた場所を見下ろす。

3年前に来た時も気付いていたが、稚内市内の道路標識は英語(ローマ字)表記の下にロシア語表記がある。

前回来た時にお土産の海産物を買った店の横の建物に樺太記念館がある。この建物の二階。

入館は無料なのだが、入り口で住所氏名を書かされるのが嫌で入らなかった。こういうことはわりとある。どちらかと言うと入館者の少ない、さほど人気のありそうにない施設にその傾向が強いような気がする。

一旦ホテルに戻って一息ついてから夕食に南稚内の方に向かった。

前回、良かった店を再訪したのだが、6時過ぎだというのにすでに満席だった。

結局、チェーン店風の居酒屋に入ったが、十分満足でした。

網走から旭川、稚内へ

2/22(木)は網走を出て旭川で乗り換えて稚内まで行く。約 500km の行程で、ほぼ終日電車。

8時過ぎの特急で旭川に向かう。3時間半ほどの行程。

網走を出発して間もなく網走湖。

留辺蘂(るべしべ)まではかなりの部分が国道(R39)と並行して走っており、この国道は昨夏に車で走った。

留辺蘂を出ると線路は北に向かう。

しばらく走ると常紋トンネルにさしかかる。常紋トンネルは明治から大正にかけて3年ほどかけて掘られたのだが、本州から集められた労働者は極めて過酷な労働環境で働かされて、開通までに 100 人以上の死者が出た。

遺体がそこらじゅうに埋められて、後年になっていろんな場所から骨が発掘されている。

トンネルに入る手前で慰霊目的に設置された歓和地蔵尊がちらっと見えた。

網走から2時間弱で遠軽に到着した。

この駅は一種のスィッチバックで、ここから進行方向が反対向きになって南へ向かう。シートを反対向きに変えた。

12時前に旭川に到着した。旭川駅に来るのは3年ぶり

乗り継ぎ時間が1時間半ほどあるので時間潰しに旭川市博物館に行ってみる。駅のそばの忠別川沿いにはクロカンコースが設置されている。

クリスタル橋から忠別川を見下ろす。

駅から10分ほどで博物館へ。

入館料350円の小ぢんまりした博物館だが、内容は充実していた。アイヌ関連の資料が豊富で、パンフレットをたくさんもらってきた。

駅のそばのイオンのフードコートで昼食を取って、午後の特急で稚内に向かう。この路線は3年前の夏に利尻島へ向かった時に乗ったが、その頃は車窓にはさほど興味が無くて、サロベツ原野を眺めたくらいだった。それよりも主目的の利尻山のことで頭がいっぱいだった。

しばらく走ると塩狩峠にさしかかる。

塩狩峠は明治42年に起こった鉄道事故を元にした三浦綾子の小説「塩狩峠」で有名。

名寄駅から札幌に向かった列車の最後尾の客車が塩狩峠への上りで連結がはずれて坂を下ってしまって、たまたまこの客車に乗り合わせた鉄道会社の職員の長野政雄氏がブレーキを操作して止めようとしたが、列車から転落して下敷きになって、その後に列車が止まって乗客は無事だった。

長野氏の転落が事故だったのか故意だったのか真実はわからないが、自らの命をかけて乗客を守ったという美談が小説の筋になっている。

転落事故は史実だが小説の恋話は三浦綾子の創作。

音威子府(おといねっぷ)を過ぎてしばらく進むと左側に天塩川が望める。

お次はサロベツ原野。残念ながら今回も利尻山は見えず。

そして3年前の夏にサロベツ原野を自転車で走った時に下車した豊富駅。

ほぼ4時間かかってようやく稚内駅に到着した。本当は一つ手前の南稚内駅の方が飲食店は多いしホテルにも近いのだが、翌日のバスの情報収集などのために終着の稚内駅まで乗った。何となく終着まで乗りたかったという気持ちもあった。

バスの乗り場を確認して外に出ると、さすがに寒い。

海に近い道をしばらく南へ歩いて、海鮮料理の店で海鮮丼とビールで夕食。北海道へきたら一度は海鮮丼を食べたい。

さらに南へ10分ほど歩いて今宵のホテルに到着した。ここは3年前の夏にも二泊したホテルで、その時の印象が良かったので今回も選択した。値段も安い。