稚内から札幌へ、そして帰宅

2/24(土)は日本最北端の稚内から一気に家まで帰る予定。すべての交通機関が滞りなく運行されるかどうか、少なからず不安がある。何と言っても真冬の北海道なので。

朝の6時にホテルをチェックアウトした時はまだ薄暗かった。除雪車が随所で作業していた。

20分ほどで稚内駅に到着。

ほどなく乗る予定の列車が入ってきた。まずは一安心。

わりと天気が良かったのでサロベツ原野のあたりで利尻山が見えないか目をこらしていたが、残念ながら今回もダメでした。

天塩川の川縁は霧氷がびっしり。こんな風景が電車の窓から見られるのは北海道ならでは。

音威子府からは次第に混んできた。

旭川で乗り換えるが今日はホームの反対側にすでに列車が止まっていて、乗り換え時間は10分程度。

車窓の風景はこれまでとはかなり違って人工物が多くなってくるが、増毛山地の眺めには引かれる。暑寒別岳はいつか行ってみたい。

今日も約 400km の鉄道旅で、昼前に札幌に到着した。飛行機は夕方なので時間潰しにサッポロビール博物館に向かった。

土曜日だけあってかなり混雑していたが、日本人よりも中国人(台湾人?)の方が多かった。

試飲コーナーがあって、三種飲み較べというのを試してみた。

定番の黒ラベルと北海道限定のサッポロクラシック、そして創業当時のレシピで作っているという開拓使ビール(市販はしていないがここの売店では購入できる)の三種類。

さてお味の違いは?

まずは一口ずつ味わってみる。う〜ん、違うと言えば違うような気もするが、そういう気構えで味わないと違いがわからない程度。さすがに開拓使ビールは違うんじゃないかと期待したが、これもさほどの違いは感じられなかった。まぁ、違いのわからない男なのです。

電車旅の魅力の一つはいつでも呑めることなのだが、今回はこれが最初で最後だった。

まだ時間があるのでここからさほど遠くない場所にある北海道鉄道技術館に行ってみた。午後1時15分くらいに着いた。

何も考えずに行ったのだが開館までまだ少し時間があるとのこと。案内板を見ると開いているのは第2、第4土曜日の午後1時半から4時までとのことで、運が良かった。

JRの苗穂工場の敷地内に設置されていて、二階建ての建物に北海道の鉄道の歴史や様々な歴史的資料が展示されていた。

小学生くらいの子供連れが多かった。

入場無料だが内容は充実していて、サッポロビール博物館よりも楽しかった。

苗穂駅のそばの商業施設のフードコートでラーメンを食べて、新千歳空港に向かう。

Peach はアプリでチェックインができるので便利。チェックイン可能時刻の90分前を少し過ぎたタイミングで手続きしたら窓際の席が取れた。

空港のコンビニでコーヒーを飲んでからターミナルへ。

定刻に乗り込む。

窓際だったが午後5時半過ぎで、左側だったので支笏湖や洞爺湖などは反対側。おまけに少し上がったら雲の上になってしまったのできれいな景観はほとんど見ることができなかった。

関空には定刻より少し早めに到着した。

またバスで駅のある建物まで戻ったが、何と南海とJRの両方とも人身事故でダイヤが乱れているとのこと。

JRの方が改札が近かったのでJRに乗った。うまい具合に座れたが、ほぼ満員の混みようだった。途中で待ち合わせやら何やらで30分ほど止まったりして、家に帰り着いたのは午後10時を過ぎていた。

宗谷岬、稚内港北防波堤ドーム、稚内公園

2/23(金)は冬の宗谷岬へ行ってみる。3年前の夏に稚内から自転車で往復したが、真冬の様相もぜひ見てみたかった。

ホテルを出てバスターミナルに向かう。

宗谷岬を越えて浜頓別へ向かうバスの乗客は10人くらい。市街地を過ぎると左側は宗谷湾。寒々としている。

50分くらいの乗車で宗谷岬に到着した。下車したのは10人くらい。地元の人の生活路線なので途中の停留所で乗ってきた人や、まだ先に向かう人も何人かいた。

土産物店の温度計ではマイナス8.4度。風があまりないのでさほど厳しくはない。

岬の先端の手前には間宮林蔵の像。

そして宗谷岬の最先端。

少し横に行ってぐるっと見渡してみる。

海岸はこんな感じ。

帰りのバスの都合があるのでここでの滞在時間は50分くらい。前回も行った丘に上がってみる。踏み跡はわずか。

相変わらずいろんなモニュメントが建っている。

旧海軍望楼に上がってみる。

展望場所から見下ろすと、

現地50分は物足りないんじゃないかと思っていたが、実際に行ってみるとこの季節は歩き周れるところもあまりないし、雪歩きのできるようなシューズを履いてきてまで歩きたいほどの場所もないので、これで十分だった。

昼前に稚内に戻ってきたので、午後は初めての場所を訪ねてみる。

駅舎を出て少し北へ行ったところにこういうものがあるのは前回はまったく気がつかなかった。

2011年までは線路の終端がここだった。

実は終戦まではさらに北に線路が伸びていて、海岸の港に駅があった。その線路の跡が残っているのだが、今は雪に埋もれて見えない。

その頃の名残がこの北防波堤ドーム。

戦前はここから樺太(今のサハリン)まで稚泊(ちはく)連絡船が運行されていた。その頃は樺太の南部は日本の領土だったので、そこの大泊(おおどまり、今はコルサコフ)まで定期便が運行されていた。

ここに電車の駅があって、下車したらすぐに船に乗れるようになっていた。

遺構として残すために戦後も何度か補修工事がなされている。コンクリートはきれいだった。

ここは地元の人のイヌの散歩コースになっているもよう。

向こうには利尻島へ渡った時に乗ったハートランドフェリー。

実は2015年まではハートランドフェリーはサハリンへの定期航路を運行していた。その頃に来てみたかった。

ドームの内側に海上保安庁の巡視船「りしり」が停泊していた。

背後の丘に何かタワーが見える。

段の上に上がったところから宗谷岬方面を望む。

駅に戻ってお昼を食べて、さてこれからどうするか。樺太記念館に行ってみようとは思っているのだが、それだけでは時間が余り過ぎる。

冬なのでどこまで行けるかわからないが、先ほど北防波堤ドームから見上げた稚内公園の方に向かってみることにする。

散策路の案内に従って石段を上がる。

石段を上がると北門神社。

ここが今日の終点かと思ったが、左の斜面に踏み跡が見えたのでそれを辿ってみた。

数分上がると夏なら車道と思われる道に出て、何人かが歩いている踏み跡が上に続いていた。ストックの跡があるのでハイカーだろう。

そのまま上がると「氷雪の門 樺太島民慰霊碑」があった。

下から見えたタワーはあれ。あそこまで行けるのだろうか。

タワーに向かって進むと「南極観測樺太犬訓練記念碑」。

下から50分ほどでタワーに到着した。「開基百年記念塔」だそうです。

サハリン展望台からサハリンは見えなかった。これは宗谷岬方向。

ここは標高150mくらい。

さて、来た道を戻ることにする。

先ほど見上げた場所を見下ろす。

3年前に来た時も気付いていたが、稚内市内の道路標識は英語(ローマ字)表記の下にロシア語表記がある。

前回来た時にお土産の海産物を買った店の横の建物に樺太記念館がある。この建物の二階。

入館は無料なのだが、入り口で住所氏名を書かされるのが嫌で入らなかった。こういうことはわりとある。どちらかと言うと入館者の少ない、さほど人気のありそうにない施設にその傾向が強いような気がする。

一旦ホテルに戻って一息ついてから夕食に南稚内の方に向かった。

前回、良かった店を再訪したのだが、6時過ぎだというのにすでに満席だった。

結局、チェーン店風の居酒屋に入ったが、十分満足でした。

網走から旭川、稚内へ

2/22(木)は網走を出て旭川で乗り換えて稚内まで行く。約 500km の行程で、ほぼ終日電車。

8時過ぎの特急で旭川に向かう。3時間半ほどの行程。

網走を出発して間もなく網走湖。

留辺蘂(るべしべ)まではかなりの部分が国道(R39)と並行して走っており、この国道は昨夏に車で走った。

留辺蘂を出ると線路は北に向かう。

しばらく走ると常紋トンネルにさしかかる。常紋トンネルは明治から大正にかけて3年ほどかけて掘られたのだが、本州から集められた労働者は極めて過酷な労働環境で働かされて、開通までに 100 人以上の死者が出た。

遺体がそこらじゅうに埋められて、後年になっていろんな場所から骨が発掘されている。

トンネルに入る手前で慰霊目的に設置された歓和地蔵尊がちらっと見えた。

網走から2時間弱で遠軽に到着した。

この駅は一種のスィッチバックで、ここから進行方向が反対向きになって南へ向かう。シートを反対向きに変えた。

12時前に旭川に到着した。旭川駅に来るのは3年ぶり

乗り継ぎ時間が1時間半ほどあるので時間潰しに旭川市博物館に行ってみる。駅のそばの忠別川沿いにはクロカンコースが設置されている。

クリスタル橋から忠別川を見下ろす。

駅から10分ほどで博物館へ。

入館料350円の小ぢんまりした博物館だが、内容は充実していた。アイヌ関連の資料が豊富で、パンフレットをたくさんもらってきた。

駅のそばのイオンのフードコートで昼食を取って、午後の特急で稚内に向かう。この路線は3年前の夏に利尻島へ向かった時に乗ったが、その頃は車窓にはさほど興味が無くて、サロベツ原野を眺めたくらいだった。それよりも主目的の利尻山のことで頭がいっぱいだった。

しばらく走ると塩狩峠にさしかかる。

塩狩峠は明治42年に起こった鉄道事故を元にした三浦綾子の小説「塩狩峠」で有名。

名寄駅から札幌に向かった列車の最後尾の客車が塩狩峠への上りで連結がはずれて坂を下ってしまって、たまたまこの客車に乗り合わせた鉄道会社の職員の長野政雄氏がブレーキを操作して止めようとしたが、列車から転落して下敷きになって、その後に列車が止まって乗客は無事だった。

長野氏の転落が事故だったのか故意だったのか真実はわからないが、自らの命をかけて乗客を守ったという美談が小説の筋になっている。

転落事故は史実だが小説の恋話は三浦綾子の創作。

音威子府(おといねっぷ)を過ぎてしばらく進むと左側に天塩川が望める。

お次はサロベツ原野。残念ながら今回も利尻山は見えず。

そして3年前の夏にサロベツ原野を自転車で走った時に下車した豊富駅。

ほぼ4時間かかってようやく稚内駅に到着した。本当は一つ手前の南稚内駅の方が飲食店は多いしホテルにも近いのだが、翌日のバスの情報収集などのために終着の稚内駅まで乗った。何となく終着まで乗りたかったという気持ちもあった。

バスの乗り場を確認して外に出ると、さすがに寒い。

海に近い道をしばらく南へ歩いて、海鮮料理の店で海鮮丼とビールで夕食。北海道へきたら一度は海鮮丼を食べたい。

さらに南へ10分ほど歩いて今宵のホテルに到着した。ここは3年前の夏にも二泊したホテルで、その時の印象が良かったので今回も選択した。値段も安い。

厚岸から釧路湿原、網走へ

2/21(水)は厚岸から早朝の電車で釧路へ戻って、釧路から網走に向かう。

網走は一度訪れてみたいとずっと思っていて、近くまでは何度も来ているのだけれど、これまではいつも斜里町から知床の方へ向かっていたので網走に立ち寄る時間が無かった。

釧路湿原を走る電車に乗ってみたいというのもずっと思っていた。それも冬なら言うことはない。SLの観光列車がたまに運行されるそうだがそういうものには興味が無いし、それに混雑は避けたい。

朝6時頃にホテルを出て駅に向かった。

街は閑散としていたが、列車の時刻が近づくと通学の高校生のような人たちが集まってきた。全部で10人少々くらい。

釧路への通勤、通学客で混雑しているのではないかと思ったが、到着した列車はガラ空きだった。

✳︎これは釧路駅に到着した時

こういう枯れ草のダンゴのようなものをしばしば見かけるがこれは何?

釧路駅の手前の東釧路駅で乗り換えられるのだが、時間の余裕があるので始発駅の釧路駅まで行く。

2年前の夏に泊まった釧路駅のそばのホテル。

釧路駅での乗り換えが1時間近くあるので一旦改札を出て、コンビニコーヒーを飲んで、みどりの窓口で翌日の指定券を取った。

網走への列車も混むのではないかと心配だったが、昨日の花咲線と同じくらいで窓際席がほぼ埋まる程度だった。

釧路を出て30分ほどすると釧路湿原のエリアに入ってきた。線路脇の川は釧路川。

停車した駅のそばの広場にタンチョウヅルがいた。電車が来ても逃げない。

遠くに見えている山は雌阿寒岳だろうか。

何度か流氷船の情報をネットでチェックしているが、早い時間帯の船は流氷は見えないとのこと。海が荒れていて流氷のエリアまで行けないと書かれている。

摩周駅ではかなりの人が乗り込んできて車内が混んできた。

知床斜里駅を過ぎると右側にオホーツク海が広がって、何と窓越しに流氷がびっしり。

これならお金を払って船に乗る必要はないんじゃないかと思ったりした。

しばらく行くと今度は反対側に濤沸湖。

列車は座れない人が出るくらい混んできた。

このあたりは先ほどの流氷ほどの迫力はないけれど、

12時前に網走駅に到着した。

駅前にモヨロ人の像。縄文時代の貝塚が発見されている。

流氷船は夕方なのでまずはバスで網走監獄へ。

網走監獄というのは以前の網走刑務所の施設が博物館として公開されているもので、現在、犯罪者が収監されている網走刑務所はここから少し離れた場所にある。バスの右側に見える。

網走監獄に到着した。入り口のそばに監獄食堂がある。

ここの監獄食というのを食べようと思っていた。

麦飯(麦3:白米7)、焼き魚(さんま又はホッケ-これはさんま)、小皿、中皿、みそ汁。 現在の網走刑務所の昼食として出された食事メニューを再現したもの。本来は、みそ汁ではなく番茶が出されているとか。監獄でホッケなんて贅沢だと感じるが、ホッケは売り切れだった。900円なり。

お腹が満たされたらいよいよ中に入る。これは博物館の入り口。

元の正門はこの先にある。

網走監獄は1890年に、ロシアの南下政策に備えるための北海道開拓の労働力として1200人の囚人が集められて開設された。過酷な労働で命を落とした囚人も少なくなかったらしい。

とにかく広い施設で(東京ドーム3.5個分)、じっくり見ていたら2〜3時間はかかるだろう。

私が一番印象に残ったのは設備ではなくてこの人たち。

信じられないような狭い隙間から脱出したり、鉄格子に味噌汁をかけて腐食させて破って出たなど、にわかには信じがたいがこれらははすべて事実である。

さて、期待の流氷船はやはり流氷は見られないとのこと。出航はするので乗ることはできるが、網走に向かう車窓から眺めることができたので船はキャンセルした。

バスで駅に戻って、駅のそばのホテルに早めにチェックインした。

ホテルのそばにすき家とファミレスがあるが、網走まで来てそれではあまりに味気ないので、できたら居酒屋のような店に行きたいと思ったが、駅の近くにはそういう店が見当たらない。

寒いのであまり遠方には行きたくないし、そういうことにタクシーを使うような人種ではないので、ホテルから10分くらいの中華料理店に入った。

具だくさんの五目焼きそばと小籠包とビール。ご主人が一人で切り盛りされていて、先客は観光客のようなカップルと一人の男性だったのに焼きそばが出てくるまで30分くらいかかった。のんびりできて良かったけれど。

千歳から根室、そして厚岸へ

2/20(火)は朝6時半頃にホテルを出て、千歳駅から南千歳駅まで一駅乗って、ここで特急に乗り継ぐ。

所々で川面が凍っている。2年前の1月に北海道へ来た時もこんな光景があったはずだが、この時は車だったので外を眺める余裕がなかった。

2時間ほどで帯広。2年前の夏に駅のそばのホテルで一泊した。多くの乗客が降りてガラ空きになった。

線路が太平洋岸に近づいた。荒波がすごい。

釧路で根室行きの快速ノサップに乗り継ぐ。窓際の席は全部埋まるほどの乗客はいた。ここから先の花咲線はそれなりの人気路線とか。

厚岸(あっけし)を過ぎると左側に別寒辺牛(べかんべうし)湿原が広がる。

茶内駅。漫画家のモンキーパンチ氏はこのあたりの出身だそうで、隣の浜中駅にも同じようなパネルがあった。

それにしてもこの花咲線は一部を除いて線路脇に人工物がほとんど無い。しょっちゅう線路にシカが出てきていて、しばしば警笛とともに減速している。

北海道の鉄道から眺める風景は本州とはかなり異なる自然なので、車窓を何時間も眺めているだけでも飽きることがない。

日本最東端の駅は根室駅の一つ手前の東根室駅。

午後1時半頃に根室駅に到着した。さすがに寒い。

根室は昨夏に車でノサップ岬へ行った時に通ったが、街中は走っていない。

根室に来た目的は名物の「エスカロップ」を食べるため。名物とは言っても伝統料理ではなくて一見どこにでもありそうな洋食。

駅の近くにある喫茶「ニューモンブラン」の前身の「モンブラン」で数十年前に提供されたのが始まりとか。

しかし今日はもう少し離れた場所にある喫茶「どりあん」に向かう。

電車旅の利点は昼間から酒が呑めるということで、ネットの情報ではニューモンブランはアルコールが無いがどりあんはビールがあることがわかっていたので、そちらに向かったのだ。

「どりあん」がありましたが、

何と閉まっていた。何の表示も無いのでなぜ閉まっているのかわからないが、毎日営業しているのではないのかも知れない。

と言うことで先ほどの「ニューモンブラン」に戻った。

店内の雰囲気はまさに昭和の純喫茶という作りで、店員も極めて普通の感じの女性。

さて、その「エスカロップ」は、

カツを一口かじってからあわてて写真を撮った。

バターライスに薄い豚肉のカツが載せられていて、わりとあっさり味のデミグラスソースがかかっている。付け合わせにキャベツとポテトサラダときゅうり、ミニトマト。

バターライスは単純なライスではなくて何か小さく刻んだものが入っている。よくあるコーンではなく、タケノコだろうか。かなり小さいので何かよくわからない。

わりとボリュームがあって、バターライスの油がちょっとこってりしていたので、やはりビールがほしかった。

遅めのランチで満腹になったので散歩でもして消化しなければならない。乗る予定の列車までは1時間半くらいある。

一旦、駅の方に戻って、さらに線路の先の方へ行くと根室本線終点の標識がある。奥の方、左側の屋根が根室駅。

またさっき歩いた方に戻って、根室市役所。

それにしても街中を歩いている人はほとんどいない。トイレ拝借に入ったイオンにはそこそこのお客さんがあったが、いわゆる商店街のようなものはどこにあるのかわからい。

今日は釧路に戻る途中の厚岸(あっけし)のホテルに泊まる。なぜかこの日は根室には適当なホテルの部屋が取れなかった。

帰りの電車からの落石岬。

午後6時前に厚岸駅で下車した。

寒いので耳まであるウールの帽子をかぶって、歩いて20分くらいのホテルにチェックインした。

根室でホテルが取れなかったので代替案として探したホテルなのだが、夕食付きで8300円なり。ただし部屋には風呂がない。大きな風呂に入れる方がいいのでその方がありがたい。

夕食は「日替わり定食」と書いてあったので大したメニューは期待していなかったが、まだ昼のエスカロップが胃袋にちょっと残っているので軽い方が良かった。

厚岸は牡蠣が有名で、駅のそばに牡蠣飯の駅弁を売る店があるそうだが、私は気がつかなかった。

私は牡蠣はあまり好きではないので牡蠣フライとかが出できたらちょっとイヤだなと思っていたら、大きな殻付きの焼き牡蠣が一つだけ出てきた。

ダシと一緒に焼かれていて、身もぷりぷりの大きなもので、牡蠣があまり好きではない私でもおいしいと感じた。私の苦手な牡蠣の食感とはかなり違った。

北海道へ

北海道の鉄道旅をしてみたいと以前から思っていた。

昨秋の道南いさりび鉄道倶知安・小樽往復はその手始めというもので、近いうちにもっと全道を回ってみたいと思っていた。

何せ北海道では毎年のようにどこかで廃線が出ているので、少しでも早く行っておかないとどんどん路線が減っていく。

北海道で一番魅力のある季節はやはり冬ということで、流氷も見てみたいと思って、この時期に出かけることにした。

飛行機は 2/19(月)の午後の便。初めて利用する Peach のターミナルがわからなくてウロウロして、南海で関空の駅に着いてから 30 分ほどかかってようやく搭乗口にたどり着いた。

一旦、外に出てから歩いて搭乗する。

1時間半ほどで新千歳空港に到着して、JRのみどりの窓口で北海道フリーパス(27,430円)を購入して、翌日の南千歳から釧路までの特急の指定席を取った。

北海道フリーパスは昔の周遊券のようなものだが有効期間は7日間とあまり長くはない。しかし特急の自由席に乗ることができる。期間中6回まで指定席が取れる(グリーン車はダメ)。

今日は安いホテルのある千歳駅まで行く。

大阪から来たので外に出た時は寒いと思ったが、実はこの日は2月としては観測史上北海道の最高気温を記録したらしい。

ひとまず駅の近くのホテルにチェックイン。

テレビでニュースを見ていたら、異常な高温でオホーツク海の流氷が溶けてしまったと言っていて、がっかりしている観光客の姿が放送されていた。

私は二日後の水曜日の夕方に網走の流氷船を予約している。天気予報では明日からは一気に真冬並みに気温が下がると言っているので、それに期待しよう。

あまりお腹が空いていないので、夕食は駅の前にあったラーメン店でラーメンと餃子、ビールで済ませた。

✳︎写真は翌日朝のもの。

小樽電車旅

11/1(水)は前日の羊蹄山の疲れも残っており、天気もあまり良くなさそうなので、今回二度目の電車旅にした。

函館本線の長万部から札幌までの区間は北海道新幹線の札幌延伸のタイミングで廃線が決まっている。まだ何年か先のことではあるが、今のうちに一度乗っておきたいという気持ちはあった。

札幌の街は私にとってはあまりおもしろくないので、味のある小樽までを往復することにした。

できればニセコ駅から往復したかったのだが、列車の本数が少なくてうまい行程が組めない。しかし倶知安発着ならそこそこの本数があるので、倶知安から往復することにした。

倶知安発9時36分の列車に乗る。当初、駅の近くの駐車スペースに停めるつもりでそちらに向かっていたのだが、倶知安駅前を通過する時に駅の前にちょっとした駐車スペースがあるのが目に入った。

ここに置いておけそうな感じがしたので、こちらに停めることにした。スペースは10台分程度。私が着いた時は3台程度だったが、そのうちに満車になった。

少し早めに駅に入ったが、倶知安始発なのですでに列車は入線しており、何人かの人たちが待っている状況だった。

窓の外はこれと言って印象の残るような景観は無い。ほとんど雑草の林の中をしんどそうに登っていく。

稲穂トンネルで峠を越えたら銀山という駅に停まった。

意味ありげな駅名だったので帰ってからちょっと調べてみたところ、駅が設置されたのはかなり古くて、やはり近くにあったルベシベ鉱山で採掘された石を運んだのが由来のよう。地図にはこの近くに銀山という名前の地区があるが、この地区名は駅名から出てきたものだそうで、まず銀山という駅が先にあったとのこと。アイヌ語との関連は無いらしい。

しばらく走って余市駅へ。ここはウィスキーで有名だが、そばにそれらしい建物は目に入らなかった。外は雨。

地図を見ると海のそばを走っているようなのだが、海はほとんど見えない。

そして塩谷駅。ここは昨年の1月に塩谷丸山に山スキーで行った時に駅のそばに車を停めた。

10時51分に小樽駅に到着した。幸い、雨は止んでいた。

昨年の1月も小樽に来たが、この時は駐車場に停めただけで街には出ていない。街に出るのは2年前の4月以来。

駅前の大通りを海に向かって下る。

手宮線跡。

お土産の物色に運河プラザへ。

ここでは気に入るものが見つからなかったので、そばの小さな工芸品店でガラスカップを買ってから運河に行った。

帰りは12時34分発の列車に乗る。三角市場でもう一度海鮮丼を食べようと思ったので、駅の方向に戻る。

大通りからちょっと横に入って、中央市場を歩いた。

そして三角市場へ。

ここで食べた海鮮丼はおいしかった。

雨が降ってきたので外歩きはやめて駅の待合室で少し時間つぶしして、早めに列車に乗った。

海の見える側に座ったが、海が見えたのはほんのわずかの間だけだった。

2時前に倶知安に戻ったときは土砂降りの雨。今日は山にしなくて良かった。雷がゴロゴロ、ピカピカで、外に出るのが怖かった。

マックスバリュのそばにコンビニがあることを知っていたので、ここの駐車場に停めてコンビニのコーヒーで車中で時間つぶしして、その後、今日も綺羅の湯、そしてニセコの道の駅で車中泊した。夜には雨は止んでいた。

道南いさりび鉄道

津軽海峡の海岸沿いを走る「道南いさりび鉄道」は一度乗ってみたいと思っていた。函館に泊まることにしたのもこれが目的だった。

10/29(日)の朝8時前、船だまりに車を置いたままで函館駅に向かう。

駅の向かいにある食堂街は昨夕は多くが閉まっていたのだが、今日は早くもみんな開いていて、しかも朝の8時過ぎだというのに待ち行列ができている。

函館に戻ってくるのは昼過ぎの予定なのでここで海鮮丼でも食べようと思っているのだが、朝からこれでは昼はどうなっているだろうか。しかも今日は日曜日だ。

道南いさりび鉄道は北海道新幹線の開通によって第三セクターの運営となった路線なので、ホームはJR函館駅と同じ。

出発の 20 分ほど前にホームに行ったらすでに入線していて、早くも結構な数の乗客が乗り込んでいた。何とか海側の席に座れてほっとした。

出発してからしばらくは建物が続いて海は見えなかった。函館ってこんなに大きな市なのかと思ったら、函館の西には北斗市という市があった。ちなみに北海道新幹線の終着駅は新函館北斗駅。

10分少々走ってようやく海が見えてきた。函館山が望める。

ハイカラな駅舎の渡島当別(おしまとうべつ)駅。

ここは近くに修道院があって、何人かの人が下車された。修道院というと女性のものというイメージがあるが、ここは男子修道院。

1時間20分ほどで終着の木古内(きこない)駅に到着した。

この駅は北海道新幹線の駅でもあるので建物は立派。

帰りの列車まで1時間ほど過ごす。

駅の前には道の駅。新幹線の駅でもあるのでわりと繁盛していた。

駅前の大通りを海の方に向かう。

数分で海岸に出た。鳥居がある。ここはみそぎ浜というらしい。

その由来は、

「ご神体」と書かれているが、本殿も見当たらないし、ご神体が何なのかもわからない。

展望がいいと大間崎や龍飛崎も見えるようだが、今日はそこまでは見えなかった。見えるのは函館山だけ。

12時半頃に函館駅に戻ってきて、食堂街に恐る恐る向かった。

ところが朝のような雑踏は見あたらず、どこでもすぐに入れる状態だった。どこも似たようなメニューでほとんど同じ値段だったので適当に入って海鮮丼をいただいたが、正直言って期待外れだった。

船だまりに戻る途中に青函連絡船で使われていた摩周丸が展示されていたので向かってみたが、中に入るのは有料だったので外から眺めるだけにした。

さて、これからニセコに向かう。当初は松前や江差を経由して狩場山へ行く計画だったのだが、思いのほか遠い。狩場山はたまたまガイドブックで見つけて、場所が適当だったので選択したのだが、ほとんど樹林帯の山で、有珠山や恵山のような際立った特徴のある山ではなさそう。ということで狩場山はやめてニセコに直行することにした。

ニセコよりも函館の方がガソリンが安いだろうと思って函館のセルフで給油したら、何と1L 122 円(軽油)という格安だった。

駒ヶ岳を眺めながら北に向かう。昨年もそうだったのだが、車道から駒ヶ岳が非常に美しく見えるところが随所にあるのだが、なかなかいいタイミングで車を停める場所が無い。あったとしても気が付くのは通り過ぎた後で、結局今年もいい写真を撮ることはできなかった。

森で昨日と同じ道に入って、昨日南に向かった道を今日は北上する。

長万部でニセコ方面への道に入るとコンビニが無くなってしまうので長万部の手前のコンビニでコーヒーを飲んで、海沿いから分かれて山の中に入る。

温泉は昆布温泉の幽泉閣へ。

JR昆布駅のすぐそばで、大きな駐車場に車がいっぱい停まっていたのでちょっと混雑を心配したが、スーパー銭湯並みの大きな風呂で、ゆったりつかることができた。

ニセコでの宿は定番の道の駅。

道の駅では最近ほとんどでゴミ箱が無くなっており、自動販売機の缶すらゴミ箱を置いていないところがあるくらいなのだが、ここは昨年来た時はゴミ箱が置いてあった。

今年はどうだろうと見てみたら、まだありました。ありがたい。

北海道へ

昨年のこの時期は青森で津軽半島と下北半島を廻ってから北海道に渡ったが、今年は北海道一本で行く。

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」に書かれている礼文華(れぶんげ)峠の道をぜひ一度歩いてみたいとずっと思っていた。

LCCを使ってここだけを訪れるという数日程度の旅も考えたのだが、LCCは日によって運賃がかなり違うし、安い日に合わせるためにホテルに余計に泊まるというのも本末転倒で、結局いつも通りのフェリーで行って車中泊という行程にした。

10/24(火)の夜に敦賀のフェリーターミナルに向かった。

7月の時とはうって変わってガラ空き。おかげで時間潰しのイベントは開催されなかった。

夕方に龍飛崎沖を通過する。

いつも通りマックスバリュで買い出しをしてからウトナイ湖の道の駅に入った。

新宮

9/29(金)は新宮市をめぐる。

ホテルの朝食サービスをいただいてからまずは神倉神社に向かう。山腹の本殿が見える。

入り口がよくわからなくてずいぶんウロウロしたが、ようやくゴトビキ岩への登り口に到着。

熊野三山が祀られる以前に熊野大神が降臨された場所で、優に千年以上の歴史がある神社。

五百段以上の石段を登る。部分的にはかなり急で、ザックを背負っているのでちょっと手でささえて登るような場所もあった。

いつ頃この石段が整備されたのかわからないが、この石を運ぶのは大変だっただろうと思う。

下から10分近くかかってようやく本殿が見えてきた。

巨大なゴトビキ岩。

巨大な二つの岩と、その間に挟まれるように小ぶりの岩がある。

ゴトビキ岩は堪能したので石段を下る。

実はここから熊野速玉大社に向けてちょっとした山並みが続いている。地形図では最高峰の千穂ヶ峰への道はあるものの、ずっとつながっているような道は記載されていない。

石段を下りずに山道で速玉大社に行けないだろうかと思っていたのだが、石段を少し下ったところで山の斜面に看板が見えた。

適当にヤブを這い上がったところ、やはりハイキング道の案内板だった。

道は杉の枯れ枝で覆われており、ほんの踏み跡程度だが、一応はトレースを辿れそう。時間もあるのでここを辿ってみることにした。

道標は立派なものが設置されている。

10分少々、ちょっとした沢筋を上がると稜線に出た。せっかく昨日着替えたTシャツがもう汗びっしょり。

数分で権現山へ。

展望台がある。水を持ってきておいてよかった。

展望台から新宮市街と太平洋。

北には千穂ヶ峰。

ここからの稜線は西側が熊野川に向かって切れ落ちている。

転落防止の柵が設置されている。

権現山から数分で千穂ヶ峰(253.4m)に到着した。

三角点もあります。

25分ほどの下りで三本杉登山口に下りてきた。

このあたりには千穂ヶ峰への案内板のようなものは見当たらなかったので、こちらから登る時は登山口を見つけるのが難しそう。

そして熊野速玉大社へ。

ずいぶん汗をかいたのでまずは自動販売機でジュースを買って建物の陰で休憩して、それから本殿にお参りした。

これで熊野三山のすべてにお参りした。熊野本宮大社や熊野那智大社に比べると少々小ぶりの神社だった。

川の熊野古道の権現河原というのがあるそうなので熊野川の河原に出てみたが、特に何も見当たらなかった。

時間潰しに新宮城跡へ。

本丸。

先ほど歩いてきた山並み。右から千穂ヶ峰、権現山、神倉山。残念ながら神倉山には寄らなかった。行っておけばよかった。

わりと大きな公園だが、観光客は一人もいなかった。

新宮駅にゴール。

駅のそばの寿司屋でランチをいただいてから大きなスーパーのイートインのコーナーでソフトクリームを食べた。

帰りは特急で天王寺へ。海岸線の眺めが素晴らしいのだが、ビールのおかげでいつの間にやらうとうとしていた。

もう少し涼しければ奥駈道もきっと気持ち良かったと思うのだが、それにしても暑かった。今日の千穂ヶ峰の稜線は予想外に楽しかったが、とにかく暑い三日間だった。