北河内駅伝

2/5(日)は枚方の河川敷公園で開催された北河内駅伝を走ってきた。

個人的にはロードレースは2015年の篠山マラソン、駅伝は2020年12月の駅伝を最後に大会からは退いていた。

もはやレースで自分が納得できる走りができなくなったというのが大きな理由だが、所属している陸上クラブからチーム編成の都合で駅伝で走ってほしいという依頼があって、久しぶりに大会で走ることになった。

北河内地区のいくつかの市が代表チームを出して走る大会で、ずいぶん以前に一度だけ走ったことがある。

前回はもっとたくさんのチームが参加していたような記憶があるのだが、今回は一般男子は全部で5チームだった。

私は3区の 3km。もともとスピードが無いので短距離よりも長い距離の方が好みだったが、今となっては 3km でもナンバーカードを付けて走るのは楽ではない。

チーム数は少なくても走っている人はみんな本気モードで、市民マラソン大会でしばしば見かけるような仮装ランナーなどは一切無い。

ストップウォッチをうまく操作できなくてタイムが取れなかったのだが、たぶん 15 分以上かかっていたと思う。

久しぶりのレースモードでひょっとしたらあの緊迫感を感じられるかもと期待していたが、まったくのダメ走りだった。

本当は久しぶりのレースで楽しかったと書きたかったのだが、大会を走ることはもう二度と無いだろう。

クリスマスチャリティーマラソン

以前に勤めていた会社で同僚を誘って駅伝を始めたのは 30 年前のこと。

その時はそれを続けようというような気持ちはまったくなくて、単に一回限りのつもりだったのだが、なぜかその後、毎年走ることになって、出場する大会はいろいろと変遷してきたが、いつの間にか 30 年が経っていた。ただ、諸般の事情で走れなかった年もあるので、30 年連続ではない。

さすがに今年はちょっとムリなんじゃないかと思っていたが、直前の大阪自粛勧告にも拘らず、この「クリスマスチャリティーマラソン」が長居公園で開催された。

長居公園は本当に久しぶり。おそらく 2014 年の大会以来だと思う。

主催者から規模を最小限にして行うという案内があったが、それにしても参加者が少なくて、個人種目もいろいろとあったようだが、ハーフのリレーマラソンの参加チームは数えるくらい。何とか二桁というくらいの規模だったのではないかと思う。

今回初めて知った大会だが、2012 年から開催されていて、大会名が表しているように、参加費は東北大震災や熊本地震などの被災地に寄付されているらしい。でもそれほど高額ではなかった。

一周約 2.8km の周回道路を7周半走るというレースで、ウチのチームは5人で参加したので、3人が複数回走った。私は1周のみ。

私自身は今回を最後にしようと思っていて、メンバーにもそのことは伝えておいた。

ロードレースは 2015 年の篠山が最後で、トレイルは 2017 年のキャノンボールが最後。

その後の大会参加は年末恒例の駅伝のみだったが、それも今回で最後にしようと決めていた。

大会参加をやめる理由はきわめて単純で、大会でめいっぱい走るということが楽しいと感じられなくなってきたから。

私は極めて利己的な性格の人間なので、自分が楽しいと思えないことはやらない、やれない、やりたくないのだ。

ナンバーカードを着けての最後の走りは意外と淡々としていた。そのせいか今としては予想外にいい走りができた。

一周が 13’20” で、キロ4分台で走り切れた。

チームとしてのタイムは 1°35’17″。順位は不明。

スタートが午後で、終わったのがすでに3時を過ぎていたので、コロナ禍の大阪市内を避けて枚方の居酒屋で打ち上げ兼忘年会をやった。

5年前にロードレースに終止符を打った時、また走りたくなれば走ればいいと思っていたが、幸か不幸かその後またレースを走りたいという気持ちは起こっていない。

今はもう、他人が決めた枠の中で争うよりも、登山のようにすべてを自分で決めて実行するようなことの方がはるかに楽しいと感じている。

もちろんレースのように決められた枠だからこそ限界まで頑張れるという楽しみ方もあるのだが、もうそれはいいかなという感じだ。

おおさかシティリレーマラソン

12/8 の日曜日は1年ぶりに昔の職場の同僚との駅伝に行ってきた。レースと称するものに参加するのはここ何年かはこれだけ。

会場は鶴見緑地で、ここ2回続けて参加している大会と同じと思っていたけれど、実は別の大会でした。

大会の規模や雰囲気は昨年と同じような感じで、参加したハーフマラソンの部の出場チームも 30 くらい。

2年続けて入賞しているので今年もと思ったけれど、結果的には今年は少しレベルが高かった。

1周約 2.2km のコースを9周とちょっと。

私は2回走って、正確なタイムは取っていないけれど、2回ともおおむね10分少々。キロ5分をちょっと切っているくらい?

トータル1時間半ちょっとで、3位入賞には遠く及ばずでした。

終了後は昨年、一昨年と一緒に走った仲間が今日の奈良マラソンを走った後に合流するために京都の伏見へ。

鳥せい本店で打ち上げをやりました。

オリジナルメンバーで駅伝を始めてから今年で 29 年。まさかこんなに続くとは夢にも思っていなかった。

OSAKAシティランニングフェスタ2017

ロードレースからは身を引いたけれど、恒例の駅伝だけは辞めるわけにはいかない。かつて勤めていた職場の同僚と始めた年1回の駅伝も、もう 25 回目くらいだろうか。
ナンバーカードを着けてロード(と言っても公園の中だけれど)を走るのは昨年の駅伝以来だ。
今年は初参加の「OSAKAシティランニングフェスタ2017」という大会で、鶴見緑地公園内の1周約 1.62km を 13 周回るハーフの部門に参加した。
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この1ヶ月ほど、久しぶりに淀川で週2回くらいの頻度でスピード練習をやってきた。スピード練習と言ってもせいぜいキロ4分半くらいで、スピードをつけるというよりは、このところ心拍数が上がるような走りをほとんどやっていないので、本番でいきなりペースを上げると心臓がびっくりすると思うので、不測の事態を避けるためというのが主たる目的。
5人で参加して、私は2周(1周を2回)だけだったけれど、2回とも淀川での練習ペースにも及ばない7分以上のタイムで終わった。
チームとしては1時間27分17秒で、参加 46 チーム中 10 位だった。
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終わってからは京橋に出て、久しぶりに楽しい時間を過ごせた。

とよなかシティリレーマラソン

29 歳でマラソン完走を目指して走り出してから 55 歳まではどのグループにも所属せずに一人で走ってきた。
いわゆる『走友』というものは誰もいなかったけれど、市民駅伝の大きな大会が始まるのを機会に職場の若手に声をかけて、年に一度だけ4人で駅伝に出るようになった。
最初は 1991 年(おそらく)。軽い気持ちで始めたのが、たまにメンバーが一部入れ替わることもあったけれど、ほとんどこの4人で 2014 年まで 25 年間続いた。
その間、参加する大会はいくつか変わったけれど、秋から年末あたりの恒例の行事になった。
昨年(2015 年)は私のヘルニアや他のメンバーの故障などもあって、エントリーはしたものの直前でドタキャンになって、ついに連続記録が途絶えてしまったが、今年はまた新たな一歩を踏み出すことになった。
昨日はその大会として服部緑地公園で行われた「とよなかシティリレーマラソン」を走ってきた。2014 年に続いて2回目。
この大会は1周 2km ちょっとの周回コースを 21 周(1周目は約 1.5km)してフルマラソンの距離を走るというもの。参加者はチームあたり4人から 15 名までで、一人で何周走ってもかまわない。我々は5人でエントリーした。参加チーム数十くらいのローカル大会だ。
朝から雨で気分は盛り上がらない。個人レースならやめようかと思うくらいだが、駅伝なのでそういうわけにもいかない。
競技場に着いたらすでに他のメンバーは到着していて、しかもスタンドに大きな雨よけシートを張ってくれていた。
普通のレースなら雨で濡れても終わって着替えればいいのだけれど、今回はみんなおおむね3回くらいは走るローテーションにしているので、まさか毎回着替えるというわけにはいかない。
どういうウエアで走ろうか迷ったけれど、上はメッシュのノースリーブの上に半袖Tシャツとアームウォーマー、そしてその上にライトジャケットを着ることにした。下は膝上までのハーフタイツ。そして帽子。
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一昨年は3時間を切るタイムで走れたけれど、このコンディションでは難しいかも知れない。
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12 時にスタートして、私は最初は4走目で1周。走り出せば雨はほとんど気にならない。ただし路面の水たまりがちょっとわずらわしい。
このところスピード練習をほとんどやらなくなったので、以前ほど追い込めない。まだ余裕があるのだけれど、そこでブレーキがかかってしまう感じ。
せめて8分台で、と思っていたところ、何とかギリギリの 8’59” でタスキを渡すことができた。
一人、今シーズン自己ベストを更新してサブスリーを達成した気力十分の仲間が2周走って、後はみんな1周でタスキを渡していく。
待っている間は身体が冷えないようにジャージと雨具を羽織る。幸い風は無いけれど、じっとしているとやはり寒い。
前回に比べるとやはりみんな今ひとつスピードに乗れないようで、前回の記録に比べるとおおむね1周あたり 10 秒から 20 秒くらい遅くなっている。
私の2回目はちょっと余裕がありすぎたようで、9’23” に落ちてしまった。
3回目は多少なりともタイムを取り返すべく頑張ったけれど、それでも 9’07” だった。
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結果的には3時間 01 分 37 秒で、サブスリーには届かなかった。
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私自身はもはやタイムへのこだわりはほとんど無いので、悔しいとかいうような気持ちはまったく無く、久しぶりにこういうスピードで最後まで走り切れたことに満足していた。
大会後は冷えた身体を中から温めるべく、江坂の居酒屋で打ち上げ。
久しぶりの楽しいお酒で、帰りの電車で危うく乗り過ごしそうになってしまった。

篠山マラソン

昨日は篠山マラソンだった。初フルがちょうど 30 年前の篠山で、30 周年記念ということでちょっとした思い入れを持って臨んだ。
しかし天気予報通り朝から雨。貸し切りバスの出る枚方市まで、自転車はやめて電車で向かった。
どしゃぶりという強い雨ではないが、気温が低いのでかなり厳しいレースになりそうだ。寒さ対策で、上はメッシュのノースリーブに半袖Tシャツ、その上に長袖Tシャツで、下はロングタイツにした。そしてゴアテックスの帽子をかぶる。手袋もメッシュのインナーの上にランニング用手袋と二重にした。
未公認だったので、スタート地点に並んでから 30 ほど待たされる。ただ、心配したほどは寒くなさそうだった。
今回の戦略も年末の加古川同様、余裕のあるペースできっちり完走を目指す。加古川では終始キロ5分15秒ペースだったので、このあたりを基準にして、身体が動けば若干速めにしようと考えていた。
10時50分にスタート。しばらくは渋滞してスムーズに走れなかったが、3km あたりからようやく自分のリズムで走れるようになった。おおむねキロ5分。加古川の時よりは少し頑張っている感じはあるが、これくらいならムリは無い。
雨はだんだん小降りになって、ほとんど止んでくれた。しかし天気予報では昼頃に強くなるらしい。
5km の通過は 25’38″。スタート直後の渋滞を考えるとまぁまぁのタイムだ。
しばらくは沿道の人の多いあたりを何度もカーブしながら進む。調子は悪くない感じで、時折キロ4分台まで上がっている。
ちょっと厚着しすぎたかもと思っていたら、再び雨が降り出してきた。10km を通過して、この 5km は 25’07″。気分が乗ってきた。
エイドでは少し歩きながらスポーツドリンクを補給する。そう言えば篠山のエイドは最後まで水とスポーツドリンクしか無かったのを思い出した。沿道でアメやチョコレートなどを配ってくれる人たちがたくさんいる。
道路の水たまりを避けたりしながら順調に進む。しかし少し身体が冷えてきた。
15km までの 5km は 25’18″。24 分台を期待したが、逆に少しペースダウンしていた。しかしこれくらいなら問題無い。
沿道のチョコレートをもらって口に入れる。かんだチョコレートが口の中で渇いた小さな粒のようになって、呼吸がしにくい。
時折のアップダウンをこなして、20km までの 5km は 25’20″。徐々に落ちきてはいるが、加古川のタイムは上回れるだろうと思っていた。
しかしハーフ地点の坂を越えたあたりから疲れを感じてきた。何よりも寒い。走っていてもどんどん体温が下がる感じ。
25km までの 5km は 25’44″。しかしまだ余裕はある。篠山のポイントはここから折り返しの 30km 過ぎまでの緩い登り坂。ここを余裕を残して走りきることが重要だ。これまではいつもこの登りで力を使い果たしていた。
ペースが落ちていることはわかっていたが、ここでムリをしてはいけない。30km までの 5km は 26’06” だったが、それでも加古川の平均ペースよりはまだ速かった。しかし急激に体力が消耗していることを感じてきた。
折り返して下りになってもまったくペースを上げることができない。と言うより、さらにペースダウンしてきて。いつものパターンに陥ってきた。
寒さで身体が硬直してきて、ほんのわずかな間に、走り続けることすら難しいと感じるようになってきた。
32km を通過して、あと1時間でゴールできるだろうかと不安になった。と同時に、もはやこれ以上走り続けるのは危険とすら感じるようになって、少し歩いて体調の回復を願った。しかし寒さのせいで、歩いても一段と身体が硬直するばかり。
ちょうどトイレが空いていたので入って一服してみたが、明らかに低体温症の状態に陥っていた。
トイレを出て少し進んでみたが、もう次のエイドまで行くのはムリだと感じて、ここでのリタイアを決めてトイレの場所に戻った。
トイレの場所はちょっとした倉庫のような建物があって、その前で簡易の救護場所になっている。すでに3人ほどがシートをかぶったりしてリタイアしている様子だった。
使い捨てカイロをもらったが、身体が冷え切っているのでまったく暖かくならない。少しうずくまっていたが、寒さはつのる一方で、しかも正式なリタイアポイントではないので、収容バスがいつ来るのかわからない。
覚悟を決めて 2km ほど先のリタイアポイントまで何とか行こうと思って腰を上げたが、50m ほど歩いてはヒザに手を置いて止まってしまう状態。おまけに少し風もあって一段と寒い。しかし前に向かうしか無い。
絶望的な気分になっていたら、道の反対側で折り返しへ向かう人が最終ランナーになったようで、その後ろに収容バスが見えた。これで助かったと安堵の気持ちがこみ上げてきた。
救われた思いでバスに乗り込んだが、バスの中は期待したほど暖かくない。これまでに途中棄権でバスに乗ったことは何度かあるが、たいていは用意されている毛布なども無い。運転手は暖房は強くしていると言っていた。気のよさそうな人だったので、おそらくその通りだったのだろう。バスは会場から少し離れた場所に着くそうなので、下りてから旅館に戻るまでが心配だ。
このままずっと最後尾をゆっくり走るのかと覚悟していたが、途中でコースを離れて会場に向かったようだ。それでもちょうど会場から最も離れた場所でリタイアしたので、何だかんだで戻るまで1時間くらいかかった。
下車してから旅館までは数百メートルだったが、やはり寒くて震えがきた。完走メダルを下げて帰ってくるランナーを見ているとなさけない気分に襲われたが、昨日はリタイアして正解だったと思う。あのままムリをしていたら最悪の結果を招いていたかも知れない。
旅館へ戻ってすぐに風呂に入ってあたたまって、ようやく心身とも平静を取り戻すことができた。
これまでフルは 50 回以上走っていると思うが、間違い無くこれまでで最も厳しい気象条件だった。唯一の救いは風があまり強くなかったこと。これで風が強かったら大会そのものが相当悲惨な状況になったと思う。
このところロードレースに対するモチベーションが急速に低下してきているが、これでその勢いに一段と拍車がかかったと思う。おそらく当分ロードレースにエントリーすることは無いと思う。
今のところエントリーしている大会は今月末の六甲キャノンボールと、7月のおんたけウルトラトレイル。UTMF は一応エントリーするだけはしておいたが、おそらく抽選になるだろうし、当選したとしても最終判断する時間はまだある。
トレイルもレースにはもうあまり積極的になれない。レースだと昨日のようなコンディションでもやらざるを得ないし、悪天候だったから印象に残ったということもまれにあるものの、はやり楽しいものではない。
レースの唯一のメリットは、レースでなければ出てこない何かが自分の中から出てくることがあること。こういうことはやはりレースでないと経験できない。実はそういうことが印象の強弱に大きな影響を与えているのだ。
しかし今の自分にとってどういうやり方が一番楽しいかと言えば、自分で地図を見てルート設定をして、天候を見ながら決行して結果を得ることだ。これなら関門など関係無いし、厳しめのコースを設定すればそれなりの満足感も得られる。
50 を過ぎてからフルをまともに走れなくなって山スキーなどに主戦場を移したが、次第に体力の低下を感じるようになった。おそらくロードレースをやらなくなったせいで追い込んだ走りをしなくなったのが体力低下の原因だろうと思って、55 歳から陸上クラブでまた追い込んだ練習をやるようになったが、結果的に言えば期待したようなものは得ることができなかった。
正直言って、これ以上レベルを落としてタイムにこだわる走りを続けたいとは思わない。
ただ、走ること自体は好きだし、ある程度追い込んで走ることの気持ち良さもあるので、クラブはクラブで続けて行きたいと思うが、しばらくはロードレースはたまの気分転換くらいにしようと思う。
このところの低山歩きのおかげで近場でも行きたいところがいくつかあるので、そろそろ暖かくなってきたのでその方面に足を延ばしてみたいと思っている。

枚方新春ハーフマラソン

今日は枚方新春ハーフマラソンだった。
年末の加古川で10年ぶりに納得のいく走りができたので、その流れで行きたいと思った。要するに、タイムやペースにはこだわらず、自分の体感を最重視してきっちりと走りきること。
気温が低かったので長袖シャツとハーフタイツにしたが、上はもう一枚重ね着した方が良かったと思うくらい寒いスタートだった。
スタート直後の混雑はあまり気にせずに、ムリの無いペースで入る。ペースは気にしないとは言ってもやはりチェックはしておきたい。何とかキロ4分台というところ。もうちょっといいペースを期待していたのだが・・・。
5km は 24 分台(24’30″)。まぁこんなところかという感じ。
一昨年の秋の大雨で被害が出た穂谷川の橋の改修工事の影響で、今年はずいぶんコースが変わった。いつもに較べて南へ長く走る。リバーサイドのように芝生を走らされると覚悟していたが、実際は河川敷公園内の舗装道路(とは言っても路面は悪い)だった。
次の 5km もほぼ 24 分(24’01″)。
まだ余裕はある。これまではいつもジリ貧だったが、今日はそんなことは無い。
時折冷たい横風に襲われるが、さほど気にはならない。
一旦会場に戻って、次の 5km は 23 分台になっていた(23’35″)。ペースアップを意識したわけではないが、自然なペースアップで気分は良くなる。
終盤はさらにペースアップしたいと思っていたが、実はこのあたりが限界だった。
18km あたりで脚筋疲労を感じて、19km あたりではかなりきつくなってきた。明らかにペースダウンしている。
あと 2km を踏ん張るのはムリと感じて少し抑えて、今日初めて給水ポイントでスポーツドリンクを補給した。
それでもこの 5km も 23 分台(23’31″)を保っていた。
後半はおおむね先行者を抜くペースで走ってきたが、ここに来て抜かれるようになってしまった。
ラストもスパートとはいかず、いささか期待はずれのゴールだった。1:41:22。せめて 1:30 分台と思っていたが、それは叶わなかった。
今の実力はこのくらいということがはっきりと認識できた。
もう半年ほどスピード練習をまったくやっていないので、その影響が大きいと思う。
次の大会は3月の篠山。これに向けてどういう準備をしてくか、悩ましいところだ。

加古川マラソン

2年ぶりに加古川マラソンを走ってきた。
絶好のコンディションで風もおだやかで、タイムは3時間43分44秒(ネットタイムは3時間43分02秒)ながら、内容的には 50 歳を越えてからではベストの走りができた。
とにかく体感を最重視して、エイドでは 5km ごとに立ち止まってしっかりと補給という戦略で望んだ。これは6月の武庫川月例マラソンでこういう走りをして、練習モードながらフルの距離を4時間ちょっとで走った時の再現を願ったから。
そうは言ってもやはりペースがどれくらいかは気になるし、気分良いペースがキロ6分ではいくら何でも淋しすぎる。
今年は陸協登録していないので一般でエントリーしたが、予想以上にスムーズにスタートできて、1キロも行かないうちに自分のリズムで走れるようになった。
で、ペースをチェックしてみるとキロ5分15秒くらい。期待通りで気分が良くなる。まだスタート直後なのに今日はうまく走れるのではないかという期待感が胸に湧いてきた。
心拍センサーを着けるのを忘れてしまったが、おそらく 140 台だろう。これなら最後まで行けるのではないかと感じられるペースだ。
最初の 5km は 26’40″。スタート直後のスローペースを考慮すればちょうどいいくらい。
時々ペースをチェックして、キロ 5’20” 台に落ちていたら少し気持ちを引き締める。ただしペースアップという対応にはならないように注意する。
約 10km で折り返して南下すると向かい風になった。ただ、走りに大きく影響するというほどではない。ペースをチェックするが、それまでとほとんど変わらない。
水門を渡って右岸を南下する。どこまで行っても代わり映えのしない風景に、気持ちが疲れてくる。これが加古川の欠点だろう。しかしこのコース設定では致し方ない。
10km がはっきりわからなかったので、15km でタイムチェック。この 10km が 52 分台だったので、当初のペースを維持している。
20km からはエイドで食べ物が出てくる。ここでは小さく切ったあんパンをスポーツドリンクで流し込む。
折り返しは 25km の手前あたり。一昨年はこのあたりではすでに気力も無くしてリタイアすら考えていたのだが、今日はまだまだ余裕がある。しかしこのあたりはちょうど対岸がスタートゴールの会場で、会場のアナウンスの声がはっきりと聞こえてくるし、アーチも見える。これは気分的にはちょっとこたえる。
30km のエイドではバナナを一切れ。そして 33km あたりでトイレに寄った。これですっきりして、気持ちもリフレッシュされた。
また水門を渡って左岸に戻る。また南下方向になるが、幸い向かい風は気になるほどではない。
35km を過ぎるとさすがに疲れを感じてきたが、ペースは落ちていない。ここまで来れば最後までいけるだろうという気持ちになってきた。
マラソンの終盤をこういう状態で走っているのは本当に久しぶりだ。最後にこういう走りをしたのは奇しくもちょうど 10 年前の加古川マラソン。49 歳の時で、結果的に最後のサブスリーになった大会だった。
2年前には苦痛だった荒れた路面も、今日はあまり気にならない。
ラスト 5km ではスイッチを入れ替えようと思っていたが、残念ながらスイッチが変わったのは気持ちだけで、ペースアップにはなっていなかった。
40km を通過したらギアチェンジと思ったが、これも身体が反応せず。
しかしラストは久しぶりに、肉体的な苦痛の中での至福感を味わうことができた。
ゴールのタイマーが3時間43分を表示しているのが目に入った時はちょっとがっかりしたが、そんな邪念はすぐに消えた。
ロードレースでこういう走りができたのは 10 年ぶりで、自分のマラソンというものをようやく取り戻したと感じた。
100% 満足のレースだった。

八幡市民マラソン

ロードレースらしいロードレースに参加するのは、先日の駅伝を除けば3月の長居公園周回コースのフル以来。ハーフの大会は今年1月の枚方新春ハーフ以来だった。
枚方新春ハーフは1時間35分台だったので、今日はキロ5分を切るくらいのペースで入って、できれば1時間40分くらいでまとめたいと思っていた。
家から会場までは自転車で。気温は低いが天気は快晴。風もほとんど無いので、走り出せば以外と暖かくなるかも知れない。
ウエアは上は薄い長袖ジップシャツ(鯖街道の参加賞)、下は最近新調したサポートタイプのハーフスパッツにした。
1時間40分以内というグループの後ろの方に入って、スタートはスムーズだった。
スタート直後はしばらく細くて曲がり角の多い住宅街のような場所を通るが、1km ほど行くと木津川の河川敷に出る。後は木津川マラソンと同じ河川敷を走って戻ってくる。
体感的には思惑通りという感じで走り出したが、時計を見ると予想外にスピードが遅い。おおむねキロ5分前後だ。しかしスタミナに不安があるので、これ以上のペースアップは危険だ。
10km の通過は49分台(正確には49分14秒)。これでは1時間45分以上かかってしまう。それはいくら何でも・・・と思ってはみても、今日の体調ではそうそうペースアップするわけにはいかない。
15km の通過は1時間13分台で、この 5km は何とか 23 分台。わずかだがペースアップしていた。
しかし 16km を過ぎたあたりから脚筋に疲れを感じてきて、このままのペースを維持するのは難しいと思った。ちょっと抑えないとラストでボロボロになりかねない。
恐ろしくて時計を見る気分になれない。明らかにキロ5分以上のペースに落ちている。
ちょっとした路面の盛り上がりでバランスを崩して、思っている以上に疲れていることを実感する。
中盤以降はたくさん抜いてきたが、ラストの 2km くらいは随分抜かれた。順位へのこだわりはまったく無いが、終盤にペースが落ちていることを実感させられるのはあまりうれしくない。
結局1時間43分36秒でゴール。何とか平均でキロ5分を切れたのがせめてもの幸いだった。
この歳でこれだけ練習のブランクがあると、これだけ力が落ちるということを再認識させられた。いい休養になったのではないかと思ったりもしていたが、とんでもない考え違いだった。
心拍数は終盤でも 160 を越えていたので、走りそのものはボロボロにはなっていない。にも関わらずキロ5分以上かかるようなペースまで落ちているので、これは自力が落ちたとしか言いようが無い。
2週間後には加古川を控えている。目標をサブ4くらいに設定した方が良いかも知れない。

とよなかシティリレーマラソン

今日はかつての職場の仲間達との恒例の駅伝で、とよなかシティリレーマラソンを走ってきた。
この仲間との駅伝はもう20年以上続けているが、この大会は初めて。服部緑地公園の中のほぼ 2km のコースを 21 周するフルという設定で、ここの陸上競技場は何度も走っているが、この大会は私自身も初めてだった。
左足の故障がすっきりしないので、はたしてまともに走れるのかどうか不安 90% というのが正直な気持ちだった。
誰がどれだけ周回するかは自由に決められるということで、今一番元気な仲間が飛び出して行った。
彼は想定内の走りだったが、二番目に走った仲間が予想外の快走をして、これは大変なことになったとあせった。
私はまずは4番目に3周の割り当て。三番目もきっちりと走ってきたので、もう行くしかない。故障云々と言ってはいられない状態だ。
アップの時は左足首に若干の痛みがあったが、タスキを受け取って走り出したときは痛みはまったく無かった。本当に大丈夫だろうかと不安一杯だったが、もう開き直った。
最初の割り当ては3周。1周目は8分台で予想以上に走れたが、徐々にペースダウンして、3周目は本当にきつかった。それでも何とか9分台でカバーしてタスキをつないだ。
みんなが頑張ってくれたおかげで予想外のサブスリーペースで、ほぼ中間地点を1時間半を切って通過した。
次は1周。何とか8分台でクリア。
ラストはアンカーで、2時間47分くらいでタスキを受け取ったので、これで3時間を超えたらゴールに戻ってこれないというプレッシャーの中、2時間55分台でゴールテープを切ることができた。
長引く故障の中、なぜ今日はこれほど走れたのか自分でもまったくわからない。
これで故障が癒えたのか、またまた大きなダメージになるのか、明日以降が心配ではある。