国境高原スノーパーク

2年前の冬に、また山スキーをと思って何度かゲレンデ練習をしてから春に白馬乗鞍に出かけた。

しかしこの時は散々な結果で、やはり山スキー復活はもう無理だと諦めた。そして昨冬には歩くスキーの Hok スキーを買って、美ヶ原乗鞍高原などに出かけた。

来年はいよいよ念願の北海道の山にデビューしようと思っている。

北海道は山はおろかそれ以外でもほとんど行ったことが無い。たった一度の北海道経験は、20 年以上前に京都府山岳連盟で遭難対策委員をやっていた時に日本山岳協会の遭難対策委員全国大会が札幌であって、それに派遣された時のこと。

その時は土曜日の朝に出かけて空港から会場のホテルに直行して、ホテルで会議。夕食もホテル。夕食後もミーティング。そして翌日曜日も朝から会議で、昼食をとったら空港に向かって、ホテルまでの往復のみで終わってしまった。そんなわけで北海道は実質的には未経験である。

会社員の時代は夏休みに有給を足して 10 日から2週間程度の休みを取って、ヨーロッパアルプスなどに何度か出かけたりしたが、この頃の国内線は LLC のような格安運賃は無くて、パッケージツアーでも利用しない限りは飛行機に安く乗れる方法が無かった。

その点、国際線は格安チケットが当時からあったので、コストパフォーマンスを考えると海外に行ってしまう方が割安と感じていた。

会社を辞めて一人で仕事をするようになってからは平日に長く休むことは病気にでもならない限りは不可能になってしまったので、もう 20 年以上、長期の山行きはまったくやっていない。

が、一人での仕事も今年いっぱいで辞めることにした。

今年 65 歳になって高齢者の仲間入りをして、さらに 60 を過ぎてからは体力低下が著しいので、何とか自分で納得できる山行きができるのはあと数年が限界だと感じている。

年金も満額で受け取れるようになったので、このあたりが潮時だと決断した。

私は山が一番美しいのは雪山だと思っている。北海道の山ならなおさらである。

北海道の山が現実的になってくると、やはりスキーしか思いつかない。

一度は諦めた山スキー復活だが、もう一度再挑戦しようという気になった。

幸い今月半ばに近場でも結構雪が降ったおかげで、今シーズンは滋賀県のスキー場も大半がすでに滑れる状態になっている。

これまでもゲレンデ練習に何度も出かけている国境高原スノーパークも全面滑降可となっている。

ここは火曜日がシニアデイで、シニア(何と 50 歳以上)はリフト一日券が半額になる。もともとシニア割引が設定されているのだが、それがさらに半額で 1650 円なり。駐車場の 1000 円を入れても 2650 円で一日楽しめる。二年前に来た時には半日券があったが、それは無くなっていた。

ということで 12/29(火)に今シーズンの初スキーに出かけた。

8時半のリフト開始で、9時前に到着した。平日だが思いのほか車が多かった。一番上の第1駐車場はすでに8割くらい埋まっていた。

しかしゲレンデに出てみると、滑っている人はそれほど多くはなかった。リフトの待ち時間はほぼゼロ。

昼食は車に戻って、持参したカップ麺とイナリ寿司ですませた。こういう人は他にも結構多かった。昼時の駐車場はさながらオートキャンプ場の様相だった。

コーヒーブレークをはさんで3時半過ぎまで滑った。一番下の初心者ゲレンデのリフトのみでひたすら基礎練習をやった。

この年になってこんな練習を一人で繰り返して、はたして効果が出るのだろうかと疑念を感じることもないわけではないが、とにかくやるしかない。

北海道での山スキーに向けて!!(もちろん厳冬期は行きませんが)

薊岳、明神岳

台高山脈の桧塚奥峰(ひのきづかおくみね)が以前から気になっていた。しかし主稜線からはかなり離れているので、ちょっと寄り道というわけにはいかない。

ここを主目的として大又から往復というのは行程としてはちょっと物足らない感じがする。

何とかうまいコース設定ができないものかと調べていたら、大又から薊岳へ直接上がれるルートがあるということを知った。地図には記載されていないが、そこそこ登られている模様。

大又からまず薊岳へ登って、それから明神岳。そして桧塚奥峰を往復して明神平から通常ルートで大又に下れば満足できそうに思った。

しかしなかなか実行に移すチャンスが無いまま年末になってしまった。

今月最後の週末はおそらく今年最後の山行になるだろう。

最後を締めるには十分価値のあるルートだが、むしろこの積雪期にこのコースを踏破できるかどうかという方が問題だ。

天気予報では土曜日の方が天気が良さそうだったので、12/26(土)の早朝に大又に向けて車を走らせた。

家から2時間少々で大又の駐車場に到着した。まだ7時半のちょっと前だが、すでに半分以上が車でうまっている。私が着いた時にも前後して4台くらいの車がやってきた。

この時期にこんなにたくさんの人がやってくるとは思っていなかった。こんなことは初めてだ。

準備を整えて7時45分に駐車場を出発した。今日は上部はたっぷり雪があることは間違いないので、靴はしっかりしたゴアテックスの登山靴にした。ただし念のためにと思って持って来たワカンは置いていくことにした。

朽ちた林道を少し行ったところにある階段が薊岳へのルートの取り付きになる。

なかなか急な階段だが、その上の道はさらに急斜面だった。写真では傾斜の程度がよくわからないけれど、足を滑らせたらまず下まで止まらないような急斜面で、こんな道は絶対に下りたくない。

本日デビューのブラックダイアモンドのウィペットポール(ピック付きポール)のピックまで登場する場面もあった。

地面には先行者の足跡がうかがえる。

ルートが不明瞭な場所もあってちょっと苦労したが、30分もすると傾斜が穏やかになってきた。

標高が 1000m を過ぎると雪が出てきて風が冷たくなって耳が冷えるので、ネックゲイターを出して帽子の上から被った。

さらにそこから数分で雪が多くなってきたのでアイゼンを着けた。今日は 10 本爪のアイゼンを用意してきている。装着する時に、前方に単独行者がちらっと見えた。

しばらく快調に登っていたのだが突然、右のアイゼンがはずれた。何と、前と後ろをつないでいるプレートを止めるネジがはずれて無くなってしまっている!!

取りあえずバンドをきつくしばって歩いてみたが、やはりその程度ではまたすぐにはずれてしまう。

これは困った。このあともずっと雪の斜面だと言うのに。

やはりここは諦めて下りるしかないのだろうか。

一度は安全最優先で下山と思ったのだが、もっと総合的に考えるとあの急斜面を下るのはそれほど安全なことではない。

もうかなり上まで来ているし、稜線は何度か歩いたことがあって、ほとんどなだらかで危険な箇所はなかったはず。

気持ちを取り直して先に進むことにした。ただしこの時点で桧塚奥峰は諦めることにした。明神岳まで行って、明神平から下山する。

幸い、雪はキックステップが効く程度の固さで、斜面も序盤のような急な場所は出てこなかったので、思いのほかすんなりと稜線に登り上げた。

まずは西にある薊岳を目指す。風が冷たいがヤッケを羽織るのは面倒くさい。

だいぶ山頂に近づいた頃、上から一人の登山者が下りてきた。たぶん登りの時に前にいた人だと思う。

10時6分、三年ぶりの薊岳(1406m)に到着した。

残念ながら展望はまったく無し。

写真を撮ったら早々に引き返して明神岳に向かう。

大又から登り上げたところを過ぎてしばらく進むと、先ほど出会った単独行者に追いついた。ここから先は新しい踏み跡は無かった。明神平から薊岳に向かう登山者がいるだろうと思っていたが、そういう人には出会わない。

風が当たらない場所で今日初めて腰を下ろして、クッキーなどを少し口に入れた。

明神平の手前の前山を越える。

明神平はと言うと・・・。

ここまで来るとちらほら登山者に出会うようになってきた。どうもこのあたりは雪山入門ハイキングコースのようになっているようだ。

11時32分、明神岳(穂高明神、1432m)に到着した。実は薊岳よりも高い。ここは一年半ぶり

桧塚奥峰はここから先に進むのだが、今日はやめておく。おそらくラッセル間違い無しだと思う。

何人かの登山者とすれ違いながら明神平に向かって下る。

テントを張っているパーティがあった。もう雪山テント泊はやりたいとは思わない。

明神平の中心部の東屋には休んでいる人が何人か見えた。おそらくコンロでも出しているのだろう。私は最短経路で下山路に向かう。

下山路の途中にある湧水はこの時期でもまだ流れていた。

もう少し下って、見覚えのあるベンチに腰掛けておにぎり休憩にした。

まだまだ登ってくる人たちがいる。駐車場はどうなっているのだろうか。

下りでは片足アイゼンはやはり要注意だ。たくさんの人が歩いて踏み固められているので、うっかり足を下ろすとずるっと滑ってしまう。

沢の水嵩は少なめで、何ヶ所かの渡渉地点はまったく問題無かった。

ようやく林道の終点が見えてきた。

ここの橋を渡ったところでアイゼンを脱いだ。

林道のそばに滝があった。二階滝というらしい。記憶に無い。

登った斜面を見上げてみたら、女性が一人で下りてきていた。大したものです。

午後1時20分、駐車場に戻って来た。やはり車はあふれていた。

今日も温泉は無しで帰ることにする。そして今日の締めは・・・

丹生川上神社中社。これまで何度も前を通りながら、一度も立ち寄ったことが無かった。


今年は丹生川上神社上社丹生川上神社下社にも参拝したので、これで三つとも参拝したことになる。何かご利益があるだろうか。

序盤のアイゼントラブルで一時はどうなることかと思ったが、あそこで下山しなくて良かった。まぁ結果論かも知れないけれど、一年最後の山行が途中敗退ではあまりにもなさけない。

今年はコロナ禍で例年に比べると出かけにくい状況ではあったけれど、そういう状況の元ではそこそこ満足することができた一年だったと思う。

十三石山

12/20(日)は今年最後の講座で京都北山の十三石山(じゅうさんごくやま)へ行ってきた。

実はコースの半分くらいはその前の京都一周トレイルの講座と重なっていた。

集合は西賀茂車庫前のバス停。出町柳からでも1時間くらいで歩いて行けるのだが、帰りも1時間くらい歩くことになるので、地下鉄の北大路駅から加茂川を歩くことにした。これなら距離は半分くらいですむ。

西賀茂車庫からは大文字の船山が間近に見える。

バス停から少し歩いたところの公園で準備をして、しばらくは車道を歩く。

山幸橋までは行かずに手前から車坂に入る。

先ほどまで快晴だったのに、小雨が降ってきた。

地元の人だけが車で入れる道を登って、一周トレイルコースに合流した。

ここからしばらくは前回の講座と同じ道を行く。

夜に雪が降ったようで、氷室手前の小峠はうっすらと雪が残っていた。

ここからは一周トレイルコースをはずれて北に向かう。急登をしばらく登って展望台へ。

展望台から京都市内方面を望む。正面は東山の山並み。左の方に比叡山。

この道は歩く人が少なくて、倒木がたくさん出てくる。

小峠から 30 分ほどで満樹峠。

それから 20 分ほどで十三石山(495.3m)に到着した。昔から知っている山だけれど、実は来るのは初めて。ここで昼食にした。

昼食後は氷室を目指して来た道を戻る。ただし展望台の手前で横道にそれて小峠はカット。氷室の手前で一周トレイルコースに合流した。

今日は氷室跡には寄らずに氷室神社へ。

今日は京見峠を越える。ここは氷室から来ると下りの途中になるので峠のようには感じないが、鷹峯から上がってきて杉坂へ向かうと、明らかに峠になっている。

京見峠から少し下ったところから京を見る。昔はもっと展望が開けていたのだろう。

そして今日は古道に入らずにそのまま車道を下って釈迦谷山に向かう。

当初予定されていた尾根道の取り付きが入れなくなっていたようで、しばらく車道を下ってからヤブ斜面に取り付く。

ほんのわずかだがヤブをかきわけて進む。

車道から 10 分ほどで釈迦谷山(290.9m)に到着した。

下りは薄い踏み跡を辿って、先ほど取り付いた場所より少し南で車道に降り立った。

そのまま車道を辿って、然林房の前へ。

そして今日も源光庵前のバス停で解散した。

私は前回と同じく実家前を通って加茂川に出て、河川敷を出町柳まで歩いた。

河川敷や車道をたくさん歩いたので、講座にしては結構疲れた。

びわ湖毎日マラソンの終焉

びわ湖毎日マラソンが来年で終わるという報道があった。

大きなショックを受けた。

私はびわ湖毎日マラソンに出場したことはない。実際は「したことはない」のではなくて「できなかった」のである。

私の全盛期の頃は男子では福岡国際マラソン、東京国際マラソン、びわ湖毎日マラソン、別府大分毎日マラソンの4大会がテレビで全国中継されるメジャー大会で、女子は東京国際女子マラソン、大阪国際女子マラソン、名古屋国際女子マラソンの3大会だった。

その頃の日本のマラソン大会は世界の趨勢とは異なっていて、これらはいずれも上位選手だけが出場できる大会で、市民マラソンはトップ選手は出場しない別のカテゴリーのような位置づけになっていた。

その一方で、世界ではボストンやロンドン、ベルリン、ニューヨーク、シカゴなど、いずれもトップ選手から市民ランナーまで何万人ものランナーが参加する大会が一般的だった。

市民ランナーはいろんな人がいるので一括りにはできないが、多くの市民ランナーは日本のこういう大会に参加できることを目標に、そして夢として憧れていたのではないだろうか。

私もそんな中の一人だったので、別府大分毎日マラソンの参加記録をクリアできた時は、それまでの人生で最大のよろこびの瞬間のだった。

しかし東京マラソンの発足がきっかけで、日本のマラソン大会も世界の潮流に乗ることになった。

そのこと自体を否定するつもりは毛頭ないのだが、かつてのエリートマラソンが次々と無くなっていく、もしくは市民マラソン化していくことが非常に寂しかった。

おそらく運営資金の問題などもあるのだろう。

オリンピックや世界陸上となるとあまりにもハードルが高すぎるので、もう少し手の届く場所にあって、けれどそれほど簡単ではない、参加できただけで満足感が得られるような大会がいくつかはあってほしかった。

そういう位置づけで今まで残っていたのが男子はびわ湖毎日マラソン、女子は大阪国際女子マラソンだけだった。

その最後の砦であったびわ湖毎日マラソンがついに来年で終わりを遂げることになってしまった。

この2大会だけは何としても維持してほしかった。

非常に落胆している。

が、視点を変えれば、無くなる方がすっきりしていいかも知れない。

今のほとんど市民マラソン化してしまった別府大分毎日マラソンをテレビで見ると、「これがあの別大か・・・」とがっかりしてしまう。

これも時代の流れなのであろうが、昔の夢が壊されてしまったようで、落胆の感を禁じ得ない。

山ノ神ノ頭、馬ノ鞍峰

コロナ感染が拡大していて、大阪では外出自粛要請が出ている。

後ろめたい気持ちも多少はあったが、人の少ない山間部ならあまり迷惑をかけることはないだろうということにして、12/13(日)に奈良の台高山脈に出かけた。

昨年の夏に三之公(さんのこ)からカクシ平を経由して馬ノ鞍峰を往復した。

この時には心残りが一つあって、もう一度はどうしても行かなければならないと思っていた。

しかしまた同じルートで単純な往復ではあまりにも芸が無い。かと言って稜線をさらに進むにしてもそれほど魅力的なピークがあるわけでもなく、いずれにしても往復ルートしか取れない。

何かいいルートがないだろうかと調べていたら、三之公からその東にある山ノ神ノ頭に登れる踏み跡があるということがわかった。

これならそのまま稜線を北上して馬ノ鞍峰まで行って、前回のルートで下りてくることができる。絶好の周回ルートだ。

となれば善は急げで、さっそく行ってみることにした。

7時半に三之公の駐車スペースに着いて、7時45分に出発した。

まずは山の神様に今日の無事をお祈りする。

そしてこのすぐ横の立入禁止のところに入っていく。このあたりは水源地として管理されていて、水を汚さないために人の立ち入りを禁じているのだが、私は川を渡ったらすぐに山の斜面に入っていくので、お許しいただきたいと思う。

すぐに橋で対岸に渡る。

取り付きがよくわからず、明神谷の左岸を少し北に行ってから横の斜面を適当に這い上がった。なかなかの急斜面で、踏み跡などもちろん無いのだが、古いテープがあった。

しかしこのまま上に上がるのは厳しいのでトラバースぎみに進んだら、古い矢印が現れた。どうも沢を渡ったところにあった休憩所の裏あたりが取り付きだったようだ。

ここからは踏み跡が少しはっきりしてきた。しかし結構な急斜面で、ジグザグにはなっているが落ち葉が道を覆っていて滑りやすい。

たまには階段の痕跡もあって、かつてはしっかりした道だったのだろう。

だいたいのルートは gps に入れてきているが、地形はかなり複雑で、しかも踏み跡も出たり消えたり。いつの間にやらロストしていた。

あわてて戻るが、戻っている道が来た道なのかどうかすらもよくわからない。

少し戻ったら印があった。ここはルートが屈曲しているところなのだが、来た時にここを通ったのかどうかよくわからない。

その後はロストすることもなく、9時48分、無事山ノ神ノ頭(1099m)に到着した。たかだか標高差 600m 程度で、ほとんどがしっかりした登り斜面だったのに、2時間もかかってしまった。

稜線に出れば道ももう少しはっきりするだろうと思っていたが、期待に反して進む方向がわからない。道標も無い。

おおむねの方向を定めて少し下ったら銘板があったので、そちらに進んだ。

狭い稜線を慎重に下る。しばらくしてふと gps を見たら、またまたロストしていた。

山ノ神ノ頭で稜線が直角に近い角度で折れ曲がっているのだが、大台ヶ原へ向かう方向に下ってしまっていた。あわてて戻って、北に向かう。

しばらく下って、父ヶ越。そういう銘板が地面にあったが、登山地図のカコウギ越のこと?

気持ちのいい稜線だが、西からの風がかなり冷たい。

高見山が見えると思っていたが、帰ってから確認したら白鬚岳だった。

台高ではヒメシャラをよく見かける。気持ちのいい稜線で、こういうところを独り占めして歩けるのは単独行ならではの快感。

そんな気分で歩いていたら、またもやロスト。どうも少し手前で斜面を下らなければならないようだ。

少し戻ったら古い道標が目に入った。来た時には気づかなかった。

しかしこの斜面、目印のようなものは何も無い。広い斜面をただただ下に向かって下っていく。

最低鞍部に下りたら地池越(読み方不明)だった。風が冷たくて寒いが、ジャケットを着るのが面倒なのでそのまま進む。

ここから先は小さなピークの連続でうんざりした。一つ一つは標高差 50m もあるかないか程度のものだが、これだけ続くと体力的にも気力の面でも疲れてくる。馬ノ鞍峰までがこんなに遠いとは思っていなかった。

山頂の標識と思われるものが目に入った時はやれやれと思った。

12時15分、ようやく馬ノ鞍峰の山頂(1177.7m)に到着した。稜線なので山ノ神ノ頭から2時間もあれば行けるだろうと思っていたが、小さなアップダウンにシゴかれて2時間20分ほどかかった。

ここを再訪するとは思っていなかった。風を避けて、今日初めて腰を下ろしておにぎり休憩にした。

寒いので10分ほどの休憩で早々に下りに入る。ここからは以前に歩いた道なので安心感はあるが、記憶はあまり無い。

稜線から折れて斜面を下るところには印がたくさんあった。

急斜面を下って沢筋に出た。山頂からここまではピンクのテープがずっと続いていたが、ここで突然目に入らなくなった。沢筋を下るだけなのだが、前回来た時に比べてかなり荒れていて、どこを歩くか慎重に判断しなければならない。

しばらく下ったら道の痕跡が出てきた。そして記憶のある道標が現れた。

南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に三種の神器を渡して退位したことで、南朝はその歴史に終わりを遂げた。しかし南朝の皇胤はこれで途絶えたわけではなく、その後、何度も反乱を起こした。

その要因は朝廷や幕府がその後、南北和解の条件であった、天皇を南北交互にするという約束を反故にしたからである。

尊義(たかよし)親王は、正史における南朝が消滅した後に即位したとされている南朝側の天皇となっているが、このあたりの歴史は正式なものが存在しておらず、正史とは見なされていない伝承でしか残っていない。

「後南朝」という用語は歴史学では公認されている言葉ではないそうだが、一般的にはこの頃の歴史のことを表している。

我々のような素人にとってはそういう「不確実さ」が興味をそそる。

前置きはさておいて、昨年来た時にこの道標の矢印に従ってあたりを探してみたが、それらしい史跡を見つけることができなかった。

それが心残りで、どうしてももう一度来て御墓を見つけたいと強く思っていた。今回の主目的はこれなのだ。

その後さらに詳しい情報を調べて、この近くの斜面にあるということがわかった。

道標の矢印の方向に向かうと沢に出てしまうのだが、後ろにある斜面を上がってみた。

何となく道の痕跡ではないかと思われるような地形だ。

ほどなく、前方に石碑が見えた。やはりここだった。

石碑の前にはまだ新しいみかんが供えてあった。

今日の最大の目的にたどり着くことができて、この時に本当の満足感を得ることができた。

何度か後ろを振り返りながら、カクシ平に向けて下っていった。

その後はまた荒れた沢筋を下っていった。しかしカクシ平を見つけることができない。

確か沢筋のそばだったと思っていたので、ひょっとしたら豪雨で流されてしまったのかもと思ったりした。

そうこうするうちに記憶のある道標が出てきた。これは前回来た時にカクシ平の手前にあったもので、いつの間にか通り過ぎていた。

もし豪雨で流されたのだとしても何らかの痕跡はあるはずと思って引き返したところ、左岸の斜面を上がる道が目に入った。

こういう地形だった記憶は無いのだが、念のために上がったところ、行宮跡の石碑が前方に現れた。

こんなに沢筋から離れているという記憶は無かったのだが、沢筋に近いと濁流で流される危険性があるので、少し小高い場所に行宮を設けるというのは理にかなっている。

これで今日の目的は完遂できた。あとは三之公に向けて下るだけ。

しかし前回来た時もそこそこ荒れていた道はさらにひどくなっていた。

先月の筏場道ほどではないが、慎重に下らなければならなかった。

おそらくもう来ることは無いと思うので、昨年に訪れた明神滝にも立ち寄っておくことにした。

午後2時35分、駐車スペースに戻ってきた。山の神様に無事のお礼をした。

戻ってきた時も車は他には一台も停まっていなかった。このあたりの山を歩いたのは今日は私一人だったかも。

今日は温泉は無しで帰ることにした。マスク無しで他人と近接することになるので、この状況ではやめておいた方が良さそうだ。

帰りに家の近くのスーパーで買い物をしたが、この日に他者とすれ違ったのはこのスーパーだけだった。

満足の一日だった。

山幸橋から鷹峯

12/9(水)は京都一周トレイルの講座で山幸橋から氷室を経由して鷹峯まで歩いてきた。

山幸橋から氷室までの道は二年前の台風で大きな被害を受けて、しばらく通行不可となっていた。そんなわけで前回はこの部分をスキップしたりしたので、ここを歩くのはずいぶん久しぶりだ。

地下鉄の北山駅からタクシーに分乗して山幸橋まで行った。

車道を少し歩いて一周トレイルコースに入る。

しばらく進むと荒れた谷筋に入る。

50分ほどで氷室の手前の峠に到着。

以前は無かった林道が通っていた。何のための道かは不明。

氷室の集落に入る。

昔(電気冷蔵庫ができる前まで?)はこのあたりは氷を貯蔵する場所のある地区だった。京都市内よりは標高が高い。

そのかつての氷室跡で昼食にした。ヤブに穴のような形状がいくつか残っているだけだが。

昼食後は集落の車道を歩いて、まずは氷室神社に参拝。

車道を登り返して城山の峠でひと休み。

予定のコースではこのまま車道を南へ向かうのだが、トイレ借用のためにハンバーグで有名な「はせがわ」に立ち寄っていくことにした。

このあとは元の車道には戻らずに山道で京見峠の方に向かう。

途中の展望場所から京都市内方面を望む。

京見峠の少し南で元の車道に出た。

峠茶屋はもう営業はしていない。

この先で古道の長坂道に入る。

意外と坂は急で、千束まで下る。正面奥の建物は然林房(ねんりんぼう)。

千束の急坂は古道で上がって、光悦寺の参道。

源光庵のバス停で解散した。

その後、私はここから歩いて 15 分程度のところにある実家の様子を見に行った。

昨年の8月まで母親が一人で暮らしていたが、90 歳で亡くなった。その後は空き家になっているが妹が相続して、今は管理会社に管理してもらっている。

外から異常がないことを確認して、母校の紫竹(しちく)小学校の横を通った。正面の校舎はひょっとしたら昔のままでは?

それから加茂川の河川敷に出て出町柳に向かう。このあたりは会社員時代に長年、朝夕の通勤で走っていたコース。退職後もしばしば歩いたり走ったりしているので、特別な感慨というものはまだない。

半国山

12/7(月)は講座で亀岡の半国山(はんごくやま)へ行ってきた。半国山はちょうど5年ぶりの2回目。

5年前は亀岡からバスを乗り継いで千ヶ畑まで来たが、今日はJR千代川駅からバス1本で来た。コミュニティバスなので運賃は 200 円。

少しだけ車道を歩いて、ハイキング道に入る。

この山はオフロードバイクで入ってくる輩がいて、前回は日曜日だったせいもあって山頂で数台のバイクに出くわした。

登山口にはバイクや自転車は禁止という案内が書かれているが、今日はさらに鎖が張られていたのでちょっと安心した。

しばらく朽ちた林道のような道を進んで、次第に登山道らしくなってくる。

ぐいっと上がると稜線に出る。

ここから稜線を辿って、快晴の山頂(774.2m)に出た。

今日は時間の余裕があるので山頂でゆっくりした。まぁ、帰りのバスの本数が少ないので時間調整ということなのだが。

この季節はもう少し時間が早いと亀岡盆地が雲海に覆われているのが見えることがあるのだが、すでに昼で雲は消えてしまっていた。

正面奥は愛宕山。

これは南の方で、奥は六甲山系。

下山は北の方に向かう。途中の展望場所からの亀岡盆地。真ん中のちょっと尖った山はおそらく山上ヶ峰。

そして金輪寺(きんりんじ)に下山した。創建は奈良時代。

石造五重塔は鎌倉時代のもの。

ここまで車道があるのだが、古い参道で下る。

下りたところに宮川神社。式内社で、創建は金輪寺よりもさらに古い文武天皇の時代らしい。

このあとは細い車道を辿って、宮前(みやさき)のバス停からバスで亀岡に出た。

帰りのバスは通常の民営バスなので、朝よりも短い距離だが 650 円かかった。

クリスマスチャリティーマラソン

以前に勤めていた会社で同僚を誘って駅伝を始めたのは 30 年前のこと。

その時はそれを続けようというような気持ちはまったくなくて、単に一回限りのつもりだったのだが、なぜかその後、毎年走ることになって、出場する大会はいろいろと変遷してきたが、いつの間にか 30 年が経っていた。ただ、諸般の事情で走れなかった年もあるので、30 年連続ではない。

さすがに今年はちょっとムリなんじゃないかと思っていたが、直前の大阪自粛勧告にも拘らず、この「クリスマスチャリティーマラソン」が長居公園で開催された。

長居公園は本当に久しぶり。おそらく 2014 年の大会以来だと思う。

主催者から規模を最小限にして行うという案内があったが、それにしても参加者が少なくて、個人種目もいろいろとあったようだが、ハーフのリレーマラソンの参加チームは数えるくらい。何とか二桁というくらいの規模だったのではないかと思う。

今回初めて知った大会だが、2012 年から開催されていて、大会名が表しているように、参加費は東北大震災や熊本地震などの被災地に寄付されているらしい。でもそれほど高額ではなかった。

一周約 2.8km の周回道路を7周半走るというレースで、ウチのチームは5人で参加したので、3人が複数回走った。私は1周のみ。

私自身は今回を最後にしようと思っていて、メンバーにもそのことは伝えておいた。

ロードレースは 2015 年の篠山が最後で、トレイルは 2017 年のキャノンボールが最後。

その後の大会参加は年末恒例の駅伝のみだったが、それも今回で最後にしようと決めていた。

大会参加をやめる理由はきわめて単純で、大会でめいっぱい走るということが楽しいと感じられなくなってきたから。

私は極めて利己的な性格の人間なので、自分が楽しいと思えないことはやらない、やれない、やりたくないのだ。

ナンバーカードを着けての最後の走りは意外と淡々としていた。そのせいか今としては予想外にいい走りができた。

一周が 13’20” で、キロ4分台で走り切れた。

チームとしてのタイムは 1°35’17″。順位は不明。

スタートが午後で、終わったのがすでに3時を過ぎていたので、コロナ禍の大阪市内を避けて枚方の居酒屋で打ち上げ兼忘年会をやった。

5年前にロードレースに終止符を打った時、また走りたくなれば走ればいいと思っていたが、幸か不幸かその後またレースを走りたいという気持ちは起こっていない。

今はもう、他人が決めた枠の中で争うよりも、登山のようにすべてを自分で決めて実行するようなことの方がはるかに楽しいと感じている。

もちろんレースのように決められた枠だからこそ限界まで頑張れるという楽しみ方もあるのだが、もうそれはいいかなという感じだ。