次のテーマは?

ダイトレ全山が完了したので、近場で残った最後のテーマは、京都トレイルの東山から北山、西山をぐるっと一周するコース。例年9月に伏見稲荷から嵐山あたりまでの一周レースが行われているが(今年はあったのかな?)、西山の本当の終点(起点)は阪急上桂駅だ。総距離は80km近くになると思う。
伏見稲荷から鞍馬と二ノ瀬から上桂というのはそれぞれ1日で行ったことがあるが、片方だけでもそこそこ走りごたえのあるコースだ。起伏はダイトレよりは少ないが、全コースを一気に行こうとするととにかく距離が長い。鯖街道が約76kmだったが、鯖街道はロード部分がかなり多いので(と言うよりは、一部トレイルという感じ)、鯖街道の記録はあまり参考にならない。
行くとするならまた土曜の夜スタートにするしかないだろう。真冬になると北の方は積雪があるので、やるなら年内しかない。それを逃せば来年の春だ。先日のダイトレで夜間の長時間走に少し慣れたので、できればその勢いで来月にでもやってしまいたい。
幸い、このコースに関しては伏見から鞍馬は何度も走っているし、後半も一度経験しているので、コースに対する不安はほとんど無い。問題はゴールまでたどり着けるか、それだけだ。おそらく15時間以上かかるだろう。夜にスタートすると鞍馬はまだ店が開いていない時間帯に通過することになると思うので、途中で補給できるのは所々の自動販売機のみ。食べ物が買えるのは嵐山になると思うので、補給食もダイトレよりは多めに持って行かなければならない。
不安は少なくないが、計画段階でのこの不安感というのが、こういうロングトレイルの楽しみの一つでもある。期待と不安のせめぎ合い、決めてからのわくわく感、そして直前の不安感。行動中の心身の調子の波など、そんな楽しみがいっぱいあるのがロングトレイルの魅力なのだ。

ダイトレ全コース(後半)

レースの時は、ダイトレ最高峰の金剛山まで来ると、大きなヤマを越えたと感じる。もうこれ以降は長い登りは無く、距離的にはまだまだあるが、これまでに較べるとアップダウンもぐっと減る。しかし今回はまだまだ先が長い。
伏見峠からしばらくはちょっとした登りや緩いアップダウンの繰り返しで、距離の割には標高が下がらない。逆に言えば、レースならほとんどが走れる地形の部分だ。しかし今日の足の状態では快調に走るという訳にはいかない。緩い下りで走ると左足の痛みが出るので、早歩き程度で何とかごまかしている。
ずいぶん進んだ感じがしたので、行者杉は気付かないうちに通り過ぎてしまったかと思ったが、実はまだ先だった。
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レースではこの先で本来のダイトレコースから別れて天見へ下って行くのだが、そのあたりで一度休憩しようと思う。レースの時にチェックポイントのある場所だ。
『天見』と書いた小さな標識があったが、いつもの別れはもっと先だと思って、こんな道もあるのかと思いながら進んだところ、記憶に無い階段の下りになった。しばらく下ると『山の神』と書いた標識がある。これは道を間違ったと思って階段を上り直して戻ったが、どうにも分かれ道のようなものは見あたらない。GPS は電池が切れかけで、まったく当てにならない。
登山地図で確認したところ、さっき見た『天見』の標識がいつもの別れで、すでに紀見峠への道に入っていることがわかった。しばらく下りると林道、そして車道に出た。もう間もなく紀見峠だ。車道脇にトイレとベンチがあったので、ここで腰を下ろして、シューズのヒモを緩めて、長めの休憩にする。GPS は完全に電池が切れた。9:15 くらいだっと思う。
おにぎりを食べて、ライトジャケットを上下とも脱ぎ、帽子も脱ぐ。15 分くらい休んで、紀見峠へ向けて再スタートだ。もし足の痛みがおさまらなかったら南海の紀見峠駅へ行けばいいだろうと思って走り出したが、先ほどしばらくシューズを脱いだのが良かったのか、足の具合は良さそうだ。
紀見峠という標識を越えて下りになると、後ろからランナーが追いついてきた。槇尾山まで行くと言ったところ、『それならダイトレのコースを行った方がいい』と言われた。本来の分かれをすでに通り過ぎていたようだ。GPS が使えなくなったらさっそくのロストだ。
ロスタイムは 10 分くらいだったが、もしあの時にあのランナーに出会わなかったら、あのままどんどん下って行ってしまったかも知れない。いくら何でももう少し行けばおかしいと思ったかも知れないが、あのまま下ると駅に行ってしまうので、駅への誘惑に負けてリタイアしていたかも知れない。
今回、無事完走できたのは、ここであのランナーに出会えたおかげかも知れない。が、その時はこのまま駅まで下ってしまえば止めることができたのに、という気持ちも心の底には若干あった。
本来のコースは紀見峠の手前(今回は戻ったので峠を少し越えてから)に分かれがあった。すぐに山道になって、いきなり結構な登りだ。その後、登ったり下ったりして、岩湧山三合目への長い登りが始まる。
事前に地図でルートを見ていた時は、紀見峠以降は距離はあっても消化試合程度の気持ちで、しっかりと確認していなかったのだが、実は岩湧山は 900m 近くある大きな山だった。結構な登りが延々と続く。まるで岩橋峠から葛城山へ向かうような感じだ。
途中のベンチで梅干しとアミノ酸の錠剤を補給する。根古峰を越えてしばらく行くと、左に車道が見えて、しばしで車道に出た。しかしすぐにまた山路に入る。GPS が使えなくて不安なので、地図を手に持ったまま進む。いつの間にか足の痛みはあまり感じなくなっている。
少し下ったら駐車場が見えて、その先にススキの穂の生い茂った、岩湧山の山頂と思える山が見えた。
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本当の頂上はまだこの少し先だった。岩湧山へ登るイベントが開催されているようで、頂上にはゴールゲートが設置されていて、ナンバーカードを着けた人がたくさんいた。頂上に着いたのは 11:23 だった。
ベンチに腰を下ろしてジェルを補給して、早々に先を急ぐ。イベントの参加者が下山するので、下山者がたくさんいる。ただ、単なるハイキングのようなイベントではないので、下山者もそこそこのスピードで下って行く。
前に3人ほどいて、私にとっては若干余裕があるくらいのペースで下って行くので、あえて抜くことはせずにしばらく後を付いて行った。
そのうちに前の二人が後ろに回って、男性の後ろを追いかけるような形になったところ、その男性が声をかけてきた。自分はこのイベントとは関係が無く、一人で屯鶴峯からやってきて、槇尾山まで行くつもりということを話すと、『それなら前へどうぞ!!』と譲られてしまった。
もう少し速く行きたい気持ちはあったが、足の状態が状態なので、これくらいがちょうどいいのではないかと感じていたので、道を譲られたのはありがたいやら困るやら・・・。しかし譲られてしまうと、スピードアップしないわけにはいかない。ちょうど地形的にもわりと走れるくらいの路だ。
致し方なく走り出したところ、予想外に走れる!!。しばらく早歩き程度で来たので走る筋肉が休めたのか、足の痛みもほとんど無く、気分良いトレランモードになってしまった。
そのまま一気に下って、イベントのスタート地点になっている滝畑を通過して、本日最終ステージの槇尾山への路へ入った。もうこれでよほどのアクシデントでもない限りは完走間違い無しだ。
ここからもかなり急なアップダウンが続いたが、最後の急登を何とか登り切って、ようやく施福寺へ到着。観光客だらけだ。
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参道の長い階段を下って、コミュニティバスの乗り場に到着したのは 13:37 だった。12 時間もあれば踏破できるだろうと思っていたが、実際には 13:50 ほどかかった。しかしこれで心置きなくダイトレを卒業できると思うと、本当にうれしかった。

ダイトレ全コース(前半)

昨日は予定通り、ダイトレの全コース走破へチャレンジしてきた。
精神的にも肉体的にも、途中で何度もリタイアを考えたが、何とかギリギリで持ちこたえて、最後まで走り通すことができた。ただし GPS の電池が途中で切れたため、地図の履歴は紀見峠手前まで。

より大きな地図で ダイトレ を表示
本当に行くかどうかを最終決断したのは土曜日の夕方だった。前日にはけっこう期待感を感じていたのだが、いざとなると不安が大きくなってきて、いつものクセで何か止める口実が無いかと探しだしていた。
しかし一度はやると決めたこと。ここで大きな理由も無いのに止めてしまうと、後々後悔をずっと引きずることになるし、いずれにしてもいつかはやらなくてはならないテーマだ。それならはやり今回、何としても実行に移そうと思い直して、夜の 10 時に家を出た。
ウエアをどうするかを迷ったが、上は長袖の登山用下着にランニング用の長袖ジップダウンシャツ。アプローチ用にウルトラライトジャケット。下はロングタイツ。アプローチ用にはウルトラライトパンツということにした。雨の心配は無さそうだ。防寒対策にネックウォーマーにもなるふわふわしたフリースの帽子を入れた。トレランポールは無し。そしてシューズは、今日の午前中に届いた新しい Salomon の XR Crossmax Neutral。
京橋と鶴橋で乗り換えて、近鉄の関屋駅へ着いたのは 11 時 39 分。途中、河内山本駅で反対ホームに信貴山口行きの電車が見えた時、あれに乗って、勝手知った生駒のコースに変更しようかという誘惑に一瞬かられた。
思った以上に寒い。着替え用の長袖下着シャツを持ってきているが、それ以外にはもう着るものが無い。これでこの先、一段と寒くなる時間帯に 1000m を越える金剛山へ向かって大丈夫だろうかと不安を感じる。取りあえずジャケットは上下とも着たままで、ヘッドランプとハンドライトで関屋駅をスタートした(23:47)。
ここからレースのダイトレで上がる岩屋峠までは未知のコースだ。
GPS のルート表示を確認しながら進むが、新しい住宅エリアに入るとさっそくわからなくなった。屯鶴峯とおぼしき山影をコースの目安にして進むが、早くもコースロスト。GPS の表示が安定しないので、現在地がどのあたりなのかはっきりわからない。
適当に進んでいると車の多い道に出て、GPS の表示が安定してきて、ようやく現在地を把握し、正しいルートに戻ることができた。そんなことでウロウロしているうちに身体が暖まってきたので、きれいな公衆トイレでジャケットを脱いだ。パンツも脱ぎたかったが、シューズを脱がなければならないのが面倒で、しばらくこのまま行くことにした。
屯鶴峯の階段ではダイトレの起点石を少し探してみたが、見つからなかった。階段を上がって、少し行って例の奇岩を少し登ったが、休憩ベンチのようなものがあって、その先のルートがわからなかったので、ここで引き返すことにした。
二上山への道はすぐにわかった。ようやく山道に入ってほっとしたが、これから明るくなるまではおそらく誰にも会わないだろう。むしろ誰にも会いたくない。こんな深夜の山道で他人に出会うのは不気味だ。
さっそくダイトレ名物の階段が始まった。ダイトレはこれがイヤなのだ。自分のリズムで歩けないし、階段を歩いていると山を歩いている感じがしない。こういうのを称して一般的には『登山道が整備されている』と言うのだろうが、私には山の風情を破壊しているとしか思えない。ただ、自然の山路だと人がたくさん歩くとどうしても荒れてくるので、その保護のためという面は理解できなくはないが。
二上山のピークはカットして、いつの間にやら岩屋峠を通過して、竹之内峠に出た。ここは数年前、初めてのダイトレのレース前に試走で通って以来だ。本番のレースではここは通らない。
試走の時もここで道がわからなくてウロウロさせられたが、今回も少しウロウロした。正規ルートに入ったら休憩エリアがあったので、ここで腰を下ろしてジェルを補給する。このあたりだと動いているとまださほど寒くはない。
レースのダイトレのコースと合流すると、また登山道になる。時々フラットな部分もあるが、おおむね登り基調。徐々に気温が下がってくるのがわかる。しかしこの程度なら動いていれば寒くはない。
岩橋峠でまた休憩して、葛城山へ向けて長い登りに入る。右側には大阪南部、左側には奈良の夜景が時々見える。樹林帯なので、木の間から明かりがちらっと見えると一瞬どきっとする。
走り出せば気持ちも乗ってくるかと思っていたが、さすがに深夜の単独走ではなかなかそうもいかず、おまけにだんだん寒くなってくるので、むしろ気持ちは後ろ向きになってくる。途中で分岐に出会うと、一瞬下界へ向かってしまいたい気持ちが頭をもたげる。しかしこんな時間に下りてもバスはもちろん、電車も走っていない。
うんざりさせられる階段を何とか登り終えて、葛城山に到着したのは午前4時過ぎだった。レースの時はここまでだいたい2時間で来るのだが、今日はすでに4時間以上かかっている。休憩所の自動販売機のそばにベンチがあって、ちょうど明るくて風もしのげるので、腰をおろして休憩する。
パンを一切れ食べて、寒いのでジャケットを着て、そしてフリースの帽子をかぶる。
下り始めは風があって寒かったが、風がなくなると一気に暑くなってきた。頭は汗がにじんでいるし、身体も少し汗ばんできている。こういう時に汗をかくのはあまり好ましくない。しかし間もなく登りになるので、このまま足を進める。
水越峠でまた一瞬ルートがわからなくなったが、フェンスの隙間にコース設定されているのを見つけて一安心。
休憩場所で湧き水をコップ一杯飲んで、いよいよ金剛山への登りに入る。金剛山へはほとんどずっと登り一辺倒というイメージだったのだが、こうやってゆっくり登っていると、途中に以外と走れるような部分がある。レースではこういう部分は一気に走ってしまうので、ほとんど記憶に残らないのだろう。
なかなか気持ちが上向いて来ない中、どうにか金剛山までやってきた。もう6時前だ。しかしここまで来れば、少しは気持ちも楽になってきた。ここで止めるわけにはいかない。
ここからは整備された道をしばらく下っていくことになる。何とここで、ライトを点けて登ってくる人たちに何人か出会った。この山はそういう人たちが結構おられるようだ。
ところが突然、右足の甲の横あたりに痛みが出てきた。せっかくの走れる下りなのに、これでは歩くしかない。ロングトレイルでどこかに痛みが出ることはよくあることだが、だいたいはそのうちに収まってしまう。しかしこの痛みはちょっと気になる。
せっかくここまで来て、気持ちが前向きになってきたのに、おかげでまた弱気の虫が騒ぎ出してきた。ここからなら千早赤阪へ下りる簡単な道がある。まだバスは走っていないだろうが、少し待っていれば走り出すだろう。
しかしこれまでの階段にうんざりさせられて、もうダイトレはたくさんという気持ちもかなり強くなってきている。ここでリタイアしたら、どうしてももう一度は再挑戦しなければ気持ちがおさまらないだろう。となると、またこの階段を上ってこなくてはならないわけだ。それはできれば避けたい。何とか今日を最後にしたい。とにかくここで少し休憩して、それから様子を見ることにしよう。
店の陰で風を避けて、大福餅を食べる。そろそろあたりもうすら明るくなってきた。
10 分ほど休憩して、再スタート。ここで痛みが治まっていなければ諦めて下りるしかない。本音の部分では下りたい気持ちと下りたくない気持ちが半々というところだったが、幸か不幸か痛みは再発せず、覚悟を決めて先へ進むことにする。
そうと決めたらあとは何が何でも最後まで行くしかない。とギアを入れ直したところ、なぜか GPS の電池が残り少なくなっているという警告。まだほんの数時間しかたっていないのに、どうしたのだろう。GPS が本当に必要なのは、未知のルートになる紀見峠以降なのだ。
その刹那、今度は左足のくるぶし付近を急な痛みが襲ってきた。感覚的には疲労というよりも、靴紐の締め方の具合によるもののように感じられる。新品のシューズでいきなりロングルートを走ったせいだろうか。このシューズはヒモがちょっと変わっていて、細い糸のようなものにストッパーがついていて、引っ張るだけで締められるようになっている。便利と言えば便利なのだが、何となく徐々に緩んでくるような感じもするし、微妙な調整がやりにくい。
登りでは大丈夫なのだが、下りで足が前の方にずれるような力がかかると、思わず立ち止まるほどの痛みになってきた。右足の痛みは小康状態という感じで、あちらが収まればまたこちらというモグラ叩き状態だ。
ただ、普通に歩くぶんには何とかなるので、ここまで来たらもうタイムにはこだわらずに歩きでも最後まで行こうという気持ちになってきている。ガスってはいるが、夜も明けているので、真夜中とは気持ちも違ってきている。
そんな不安な気持ちを抱えながら、幻想的な樹林帯を進んで行った。
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ダイトレ フルコース

今度の週末はダイトレのフルコースへ行ってみようと思っている。
大阪チャレンジ登山は何度か参加しているが、それ以外のコースまで足を伸ばしたことはまだない。コース案内によると全長45kmとのことだが、道の状況を考えると六甲全山よりは厳しいと思う。とにかく全コースほぼすべてトレイルだ。おまけに槇尾山のあたりは交通事情が悪く、登山口へのバスは1日数本のコミュニティバスしかない。
おそらく10時間以上はかかるので、始発で出発して南下コースを取ると、最終バスの午後5時には間に合わない。電車の駅までは4kmくらいなので、普通の状態であれば走れる距離だが、ダイトレのフルコースを踏破してからの4kmはかなりつらい。
北上コースにするとスタートが9時くらいになってしまい、終盤は日没後になって、最終電車までにはたどり着けるとは思うが、帰宅がかなり遅くなる。
と言うことで、明日の夜、夕食をたっぷり摂ってから、最終電車くらいで関屋駅から南下コースで行くことにする。
これまでアルプスのトレランで朝の2時や3時に出発したことは何度かあるが、キャノンボール以外でこういう時間帯にスタートするのは初めてだ。おまけに今回は大会ではないので一人きり。当然、エイドも無し。
おそらくコース上では明るくなるまでは誰にも会わないだろう。新調したPetzlのヘッドランプのデビュー戦だ。
ちょっとわくわくしている。

街歩き、そして宴会

火曜日の夜、『職場の宴会』なるものに招かれて、久しぶりに京都の街へ出かけた。この夏からスタッフを始めた登山講座を主催しているカルチャーセンターの職場の宴会で、アルバイトのみなさんや私のようなスタッフも含めてのものだった。
場所が四条烏丸の近くだったので、少し早めに出かけてスポーツショップや書店をまわってみようと思った。
京都の繁華街は路が狭い。これはおそらく、大地震で街が壊滅でもしない限り、広くなることはないだろう。平日とは言え、ちょうど帰宅の時間帯になるので、予想通りの混雑。人通りの多いメインストリートを避けて、細い脇道に入ったりしたが、それでもかなりの混雑だ。
歩き出して数分もしたら人混みにうんざりしてきた。目的の店はあまりはっきり場所を確認してこなかったので、少しウロウロする。なまじ京都は土地勘があるので、いい加減な気持ちで出てきてしまうのだ。
目的の店はどうもすでに無くなっているようだった。はやりしっかりと確認してから来るべきだった。ユニクロは見つかったが、目的のスポーツウエアは置いていなかった。
店はずいぶん入れ替わっていて、かつての目印だったような店がことごとく別の店に変わっていた。
あの狭い四条通りの車道を逆走する自転車を何度か見かけたのには驚いた。昨今の町の自転車のマナーの悪さは底なしの低下が続いているが、何十年か前、登山でアフリカや東南アジア、パキスタンなどのいわゆる第三世界でのこういう風景を見てから日本に帰ってくると、やはり日本の道は安心できると感じたのだが、今や日本もこういう状態になってしまっている。
ジュンク堂へ行って地図を買って、その近くにある宴会の店に入った。
今日の宴会は歓送会とのこと。アルバイトで数年勤めた方が退職されるのでその送別と、その後釜の方の歓迎、ついでに私も歓迎の対象ということで、参加費を免除していただいた。
かなり変わった年齢構成の宴会で、女性が全体の3分の2くらいだが、おおむね30台後半くらいの方々が多そう。変わっていたのは男性で、若い男性は一人だけ。あとは50台くらいが私を含めて2名。あとの何名かはみなさん70以上ということで、職場の宴会でこういう年齢層の方がいらっしゃるというのは初めての経験だ。
この方々はみなさん、屋外の講座の随行員で、ちょうど私と同じ立場の人たち。定年退職後のセカンドキャリアとして楽しみでやっていらっしゃるのだろう。みなさん若々しくて、実年齢よりはかなりお若く見える。
メンバーの中で私が面識のあるのは所長さんと事務担当の女性の2名だけだったので、どうなることかとかなり不安を感じての参加だったのだが、女性陣が楽しい方々ばかりで、年配の男性も気さくな方々だったので、思いがけず非常に楽しい時間を過ごすことができた。
私は会社員時代から宴会というものはあまり好きではなかったのだが、こういう雰囲気ならまたの機会があってもいいなと感じるような宴会だった。まぁ、正職員ではないという気楽さもあるのだろうが。

横浜国際女子マラソン

それにしても惨憺たる結果と言わざるを得ない。それは昨日の横浜国際女子マラソン。
まるで時代が 20 年以上遡ってしまったのではないかと錯覚するようなレース内容で、しかも日本人トップは5年ほど前に距離スキーからマラソンに移ってきたという野尻あずさ選手。
野尻選手個人の努力は素晴らしいとは思うが、陸上競技経験の無い選手。しかも 20 代の半ばを過ぎてからマラソンを始めた選手が、国内メジャー大会で日本人のトップになるなんて、いったいどういうことなのだろう。しかもこんな平凡なタイムで(2:28:47)。
一時期、男子マラソンがなかなか2時間10分を切れる選手が出なくて低迷していた時期があったが、今まさに女子がその状態に陥っている。男子は川内優輝効果で若干上向き傾向になっているが(世界のトップとはまだまだ差が大きいとは言え)、女子は地盤沈下に歯止めがかからない状態だ。
私自身は陸上競技の経験は無いので、現場の実態のようなことはよくわからないが、かつて世界のトップレベルで戦った選手や指導者に言わせると、今の選手は練習量がその当時に比べるとかなり少ないらしい。
マラソンの練習というのは量と質のバランスが大切で、単に距離ばかり踏めばよいというものでもない。世界的に見ると日本選手の練習量はかなり多い方で、ケニアやエチオピアの選手などは月間 1000km も走るようなことはあまり無いらしい。しかし練習時のスピードはかなり速いらしい。しかもクロカンのような不整地を走ることが多いようだ。
福士選手が初めてマラソンに挑戦した時、夏場にエチオピアへ行って、ゲブレシェラシエなどの練習に参加させてもらったらしい。その時の彼らの練習パターンを真似て、量よりも質を重視した練習で臨んだところ、終盤に大失速して惨敗したという話を聞いたことがある。
やはり民族によってその体力や筋力などは特性があるのだろう。かつて世界レベルで活躍した日本選手で、月間 1000km に及ばない程度の練習量だった選手というのは聞いたことが無い。強いて言えば川内選手がそれに該当するのかも知れないが、日本人としてはトップレベルではあっても世界との差はかなり大きい。
藤原新選手もオリンピック前はスピード重視の練習メニューにしていたようだが、本番では惨敗した。
これまでの実績を見る限りでは、日本人はたっぷり走り込まないと、マラソンをきっちり走りきれる脚は作れないようだ。逆に言えば、練習でしっかり走り込めば、スピードはそれほどなくても世界と戦えるレベルまで行ける可能性があるということになる。
渋井陽子はトラックでもスピードのある選手だったが、高橋尚子や野口みずきはトラックの 5000m は 15 分台前半のレベルだ。これくらいのレベルの選手は今でもいくらでもいる。
世界のマラソンが高速化しているということで、トラックでのスピード強化にも重点が置かれているようだが、マラソンに向いているような選手は若いうちからどんどんマラソンに挑戦させれば良いのではないだろうか。
あとは駅伝との兼ね合い。実業団ではどうしても駅伝重視にならざるを得ないので、このあたりを指導者がうまくスケジュール調整する必要があるだろう。
しかし最後に重要なのは、スター選手が登場すること。最近の選手は一度いいタイムを出しても、後が続かないので、日替わりメニューのように日本人トップが変わる。変わらなければタイムが平凡。
普段、トラックレースで競っている相手がマラソンで好結果を出すと、自分にもできるのではないかという気持ちになれると思う。そういう好循環が生まれてほしいと思うが、福士選手がまたマラソンを走るかどうかはわからないし、彼女ももう若くない。それに彼女はトラックではダントツだったので、他の選手から見れば別格と映るかも知れない。
新谷仁美選手がまたマラソンを走ればおもしろいと思うが、どうもまだあまりその気は無いようだ。ただ、トラックで世界のトップと戦うのは非常に厳しいと思うので、世界レベルでの勝負がしたいのであればやはり早めにマラソンに軸足を移すべきだろう。そうしないと弘山晴美のように、初マラソンが自己ベストで終わってしまう。

山田池変則ジョグ

朝は昨日の疲れがまだしっかり残っていて、起床時の心拍数も普段よりかなり高め(54)だったので、今日は思い切って完全休養日にしようかと思った。
しかしあまりの好天で、こんな日をのんびり休養日にしてしまうのはあまりにももったいないと思い直して、山田池にジョグで出かけることにした。足は重かったが、ただのスロージョグではもの足らないので、いつものコースに少しバリエーションを加えることにした。
山田池には池の南側にちょっとした丘があって、普段のコースはここを舗装道路で登って行く。しかしてっぺんから北側の急斜面は芝生になっていて、階段が取り付けられている。その階段の横は芝生の斜面で、わずかだがトレイル的なルート設定ができる。部分的にはテクニカルな所もある。
そこで、普段のコースから少しそれてこの斜面の下の道へ行って、この急斜面を往復してからまたコースに戻るという設定にした。トレイル部分は往復でもわずか 100m くらいだが、気分転換にもなるし、油断すると躓いてケガをしかねないくらいの斜面ではあるので、多少の練習効果はあるのではないかと思った。
トータル 12 周したので 12 回、この斜面を往復した。
特に意識したわけではなかったが、結果的には徐々にペースアップしていて、いつの間にか足のだるさもかなり解消していた。
これはなかなかいいアイディアだったと自己満足している。

競技場変化走

今日の練習会は競技場で 1000m + 1000m の変化走をやった。1ヶ月ほど前の変化走は若干速めのグループについて行こうとして、ペースが速すぎて結局5本しかできなかったので、今日はグループは意識せずに自分のペースで何とか 10 本やりたいと思った。
昨年の 12 月には競技場の個人練習で 4’15” + 4’45” で 10 本をやったが、さすがにこれはムリだろうと思って、4’30″未満 + 5’未満で 10 本という目標設定にした。
おおむね予定通りのペースで始まったが、2本目の速い方が 4’15” になって、それ以降は速い方が 4’15” から 4’20” くらいを維持できた。ただ、8本目くらいでかなりきつくなってきて、どうしようかと迷ったが、せっかくここまで追い込めたのだから何とか最後まで、と気持ちを入れ替えて踏ん張った。
さすがに最後の方は遅い方は5分台、速い方の 10 本目は 4’32” まで落ちたが、ボロボロというほどではなかったので、久しぶりに充実感のある練習ができた。
おかげで練習会が終わってからの帰宅ジョグは途中で走れなくなり、半分くらいは歩いて帰ることになってしまった。クラブの練習会に参加し始めた頃には何度かこういうことがあったが、ここまで疲れたのは本当に久しぶりだった。
と言うことで、明日はロングトレイルはやめておいて、生駒方面に半日程度のコースということにしようと思っている。

倦怠感

六甲縦走キャノンボールランが終わってから、心身とも倦怠感が抜けきれない。淀川市民マラソンを棄権したこともそれを後押ししているようだ。
3月のキャノンボールランの後も少し燃え尽き症候群のような状態になったが、それでも2週間後にはダイトレをレースで走った。
9月には八ガ岳スーパートレイルで、途中リタイアとは言え 97km まで行って、10月にはキャノンボールということで、もともとレース参加頻度があまり高くない私にしては、ビッグレースが続いたせいかも知れない。
冬場はトレイルレースはシーズンオフということで、当分トレイルレースの予定は無い。こういう時こそ一人でゆっくりとロングコースを楽しみたいのだが、高い山はそろそろ雪なので、行き先も限られてくる。
明日は久しぶりに競技場での練習会。日曜日はどうするか、いまだに予定が決まらない。

ボランティア

今日は淀川で開催された大阪リバーサイドマラソンのボランティアに参加してきた。あいにくの雨模様だったが、降ったり止んだりという感じで、予想していたよりはマシだった。
仲間内のような小さな大会は別として、千人以上も参加するような規模の大会でボランティアをやるのは、30年近いランニング人生でも初めてのことだった。
事前に詳しい事情を聞いておかなかったので、終了後は弁当でも出るのかと思っていたら、受け付け時におにぎりやパン、飲み物などの昼食セットが渡されて、仕事に差し支えのないような時に自由に摂るようにとのこと。実質的に制限時間の無いような大会なので、最終ランナーは午後2時を過ぎる。
私が配置されたのは3kmの折り返し地点。3km部門の時は折り返しのコース誘導を行うが、それ以外の時は通り過ぎるランナーへの声援が仕事だ。会場に近い場所なので良かったと思っていたのだが、実は仕事時間が非常に長くなるということに後になってから気が付いた。
それにしても10kmやハーフでは、スタート直後なのにすでに歩いている人がいたのにはちょっと驚いた。いくら何でも、と思ってしまう。
折り返してからは残り1.5km地点になるので、機嫌の良さそうな人はこちらを見て微笑んでくれたり、お礼の声を返してくれたり、中にはハイタッチをしようとしてくる人も何人かいた。
ハーフではスタートしてから2時間15分くらいになるとだいぶ疎らになってきて、大半のランナーが歩いている。みなさんに拍手して、声をかけるようにしたのだが、これがプレッシャーになったのか、私に近づくとそれまで歩いていた人がゆっくり走り出し、通り過ぎて少し行くとまた歩いているという光景を何度も見かけた。
正直、私自身がマラソンの終盤でつぶれて歩いてしまった時、沿道から声援をいただくのはあまりうれしくなかった。しかし今日はスタッフという立場なので、やはり声援を送らないわけにはいかない。
自分が走る時は、参加費を払っているとは言え、多くのボランティアの人たちのお世話になっているので、たまには自分がサービスを提供する側にもならなければならないとずっと思ってきたので、初めてとは言え、ようやくお返しが少しできて良かったと思う。
ゴールを目指して最後の努力をされている姿は、タイムの遅い速いとは関係無く、すべて美しいものだったと実感した。
今日、あまり良くない天候の元で走られたランナーのみなさん、どうもお疲れ様でした。