釈迦岳

7/16(日)は陸上クラブの仲間と比良の釈迦岳へ行ってきた。

このところ体力の低下でみんなと一緒に走るのはしんどいのでずっと避けていたのだけれど、19日からの北海道遠征を控えて今の体力がどの程度なのか確認しておきたいという気持ちもあって、みなさんの計画に同行することにした。

湖西線の北小松を9時に出発した。

17分ほどで楊梅の滝へ。

まずは雌滝。

お次は雄滝に寄り道。こちらは立派です。

このあと山道になって、出発してから1時間足らずで涼峠。

早々に少しエネルギー補給して、涼峠から30分ほどで寒風峠に到着した。

ここからは稜線だが意外と道がわかりにくい。まずはヤケ山。

琵琶湖が見えてきた。

ガッツリ登って11時半にヤケオ山に到着した。

さらに雄大な琵琶湖の眺めが広がっていた。

12時過ぎに釈迦岳(1060.1m)に到着した。

最後に神爾の滝に立ち寄る。

もっとしょぼい滝だったような記憶あったのだが、思いのほか立派な滝でした。

水につかって、中には頭からしぶきをかぶっているような人も何人かおられたけれど、私は濡れるのはあまり好きではないので近づくだけでした。

車道に出てからはジョグで比良とぴあへ向かう。

午後2時15分、比良とぴあにゴールした。

温泉のあとはビールとちょっとしたつまみでリフレッシュして、送迎バスで比良駅まで送ってもらった。

駅前から釈迦岳を振り返る。

登りはまぁまぁ歩けたけれど、平坦なところや下りはペースアップできなかった。

入院の影響はそれほどではなさそうなのでそれだけは安心材料でした。

唐櫃越から小塩山、ポンポン山、天王山

京都一周トレイルの西山コースは松尾山から西芳寺に下りたところが登山道の終点になっている。「一周」と銘打っていながら実は逆Uの字のルートで、山の無い南側は欠落している。

これを繋いで本当の一周にしようという企画もあるそうだがどの程度実行されているのかは知らない。

そこで、個人的にこの先をトレイルで繋ぐルートを設定してみようと以前から企てていたので、この連休の好天の日に実行してみることにした。

ただし伏見桃山まではあまりにも遠いし、おまけに無理やり繋ぐとしても桂川や宇治川の河川敷を辿ることになると思うのでそこは省略する。

5/5(金)に阪急の上桂駅まで行って、ホームのベンチで準備を整えて8時半に駅を出発した。

しばらく住宅街をスロージョグで進む。このまま真っ直ぐ進むとすんなり唐櫃(からと)越に入れるのだが、一周トレイルの終点から繋ぐためにここを右に曲がって西芳寺のそばを通ってそこまで行くことにする。

駅から15分ほどで渡渉地点に到着した。昔はここは飛石伝いに渡るしかなかったのだが、何年か前から木の橋がかかっている。

ここから唐櫃越への道は初めて歩くのだが、意外としっかりした道で、わかりにくい分岐には案内板が設置されていて、迷うことなく10分少々の登りで唐櫃越に合流した。

唐櫃越は何度も歩いているのだが、実は前回歩いたのはもう5年目で、かなり記憶があいまいになっていた。

展望場所から比叡山と東山の山並みを眺める。右の奥は音羽山方面。

沓掛(くつかけ)山まではすぐと思っていたのだが、唐櫃越に合流してから1時間以上かかって9時46分にようやく山頂(414.7m)に着いた。

少し進んだところからの愛宕山。

山頂から30分ほどで車道に出た。

ここで唐櫃越と別れてしばらく車道を下る。フジの花。

このあと辿る西山連山。

20分ほどの下りで老ノ坂峠に出た。この歩道橋を渡る。

このあと山道の入り口がわからず、一旦少し反対方面(京都市内方面)に行ってしまってから引き返して入り口を発見した。実はこの道が見つけられるかどうかが今回の一番の懸念点だった。

この道に一歩入ると国道9号の喧騒からは想像できないようなひなびた雰囲気になって、しばらく歩くと小さな道標が目に入った。

「大枝山(おおえやま)」という山があるのを知っていたので迷わずにこちらに入ったが、しばらく急登の厳しい登りが続いた。

急登を20分ほどで人工施設跡に出た。大枝山がどこだったのかよくわからなかったが、このあたりだったのかも知れない。

この先で西山団地に出るので、その手前の倒木に腰掛けておにぎり休憩にした。

こんなところに団地があるというのは不思議な感じがする。民家は少なくて、だいたい作業場や工場のような建物が多かった。

団地の端にはグラウンドがあって、中学生くらいが野球の練習に励んでいた。

この先で登山道に入って、しばらく進んで車道に合流し、また登山道で小塩山に向かう。

12時20分、小塩山山頂(642m)の淳和天皇陵に到着した。

ここからは以前に一度歩いた道を逆に辿るのだが、それはもう8年前のこと。

25分ほどの下りで森林公園に出た。

以前に来た時にここの休憩所で休んだ記憶がある。今日もここで腰掛けてどら焼き休憩にした。

さて、ここからポンポン山の山頂までが今日一番の登りで、標高差で 300m 少々ある。ポンポン山から先もまだかなり距離が残っているのであまり疲れないように登った。

45分ほどの登りでリョウブの丘まで来た。

午後1時56分、おおむね予定通りの森林公園から1時間でポンポン山の山頂(678.8m)に到着した。

山頂から大阪方面の眺め。真ん中が生駒。右奥が葛城・金剛山系。

写真を撮ったら早々に先に進む。20分足らずで釈迦岳(630.8m)に到着。

ここからの下りも8年前に下ったのだが、よくわからない分岐がしばしば出てくる。まったく記憶の無い展望台(大沢山大展望台)に出てルートがわからなくなってしまったが、何とか正規ルートに戻れた。

右手にゴルフ場が現れた。

展望場所から比叡山と東山の山々。左奥には比良も見える。

この先で車道に出て一旦車道を少し走ってから、前回見落としたショートカットの山道に入った。

ちょっとした峠を越えて、車道を渡ってからまた天王山へのハイキング道に入った。

そして午後4時15分に天王山の山頂(270m)に到着した。ようやく終わりが見えてきた感じ。

石段を下って車道に下りてきたが、前回とは違う場所に下りてきた。どこに分岐があったのかよくわからない。

都合でJRの山崎駅に立ち寄る。前回、知らずに改札の無い北側に行ってしまったことを覚えていたので、今日は踏切を渡って南側へ向かった。

できればここをゴールにしてしまいたいところなのだが、淀川の向こう側は八幡で、距離にしたらわずかしかない。ここでJRや阪急に乗って京都まで戻るのはシャクなので、最後の意地で八幡まで行くことにする。

阪急の線路をくぐってR171を渡って堤防から八幡方面を眺めて愕然とした。渡る橋がこんなに遠いとは思っていなかった。

しかしここまで来て今さら駅まで戻るわけにはいかない。覚悟を決めて超スロージョグで橋に向かった。

河川敷から車道に上がったり、車道から下に下りられる場所は限られているので、それだけでもうんざりするほど遠回りをさせられた。

山崎駅から1時間近くかかってようやく木津川の御幸橋までたどり着いた。

京阪の八幡駅にゴールしたのは午後5時46分だった。

何となく軽く考えていたが、結果的には9時間超、約 36km という長丁場だった。30km 超の行程は久しぶりで、まだ何とかなるとプラスに考えるのか、もうこういう距離だとまともに走れないとあきらめるのか、微妙な結果だった。

金剛山、大和葛城山

先日、六甲へ行った仲間に「次はダイトレ(ダイアモンドトレイル)に行こうか」とうっかり言ってしまった。

ダイトレはこれまでに何度かのレース参加や個人的な全コース走破など何度も走っているが、いずれも10年近く前のことで、もはやこういうことはできない。

せめて核心部の大和葛城山と金剛山だけでも思って以前の記録を見返してみたが、これでも 28km くらいあった。

もうしばらく 20km を越えるトレイルランはやっておらず、先日の六甲もたかだか 16km くらいの歩きだったが終盤はかなり脚が疲れたし、7月に和束へ行った時も距離こそ 35km ほどあったが走れたのは序盤のロードのみで、平坦なロードや月ヶ瀬への下りすらまともに走れなかった。

しかしスタートゴールを電車の駅でルート設定しようとするとこのコースくらいしか思いつかない。

いくら頭で考えてもどうにもならないので、とにかく行ってみることにした。当初は御所スタートで考えたが、スタート地点の標高を考えて前回と同じく天見スタートにした。

10/8(土)、朝6時過ぎに家を出て8時過ぎに天見駅に到着。

昔、ダイトレのレースでゴールになっていた駅前のスペースで準備をして、8時12分に出発した。

しばらく車道を走ったり歩いたりして(一部崩壊して車道が付け替えられていた)、20分少々で山道に入る。前回よりもさらにわかりにくくなっていた。歩く人が少ないのだろう。昔はこれがレースコースだったが、今はゴールが紀見峠の方に変わっているらしい。

登山道そのものははっきりしていて、出発して1時間ほどで稜線に出た。

しばらくは緩い登りだったが、ほどなく走れる道になってきた。思い切って走ってみたら意外と走れた。

稜線に出てから 40 分足らずで行者杉を通過。

そばには役行者の祠。

千早峠も走って通過。

登りはあまり頑張らずに歩いて、中葛城山(937.6m)。

11時17分に伏見峠に着いた。思ったより早く来られた。まだ脚も残っている。

観光客の歩いているしっかりした道をしばらく上がって、屋根のある休憩所でおにぎり休憩にした。

大阪府最高地点(1053m)に立ち寄る。一般的に大阪府の最高峰は金剛山と言われているが、実は金剛山の最高地点は奈良県。本当の最高峰は大和葛城山だがここも奈良県との県境になる。完全に大阪府に入っている最高峰はどこ?

金剛山の山頂はダイトレのコースからはずれるが、せっかくなので寄っておく。

11時53分、金剛山山頂(1125m)に到着した。神社の神域のせいか三角点は無い。

引き返してダイトレのルートをひたすら下る。階段はやはりみんなイヤなようで、横の斜面に踏み跡がたくさんついている。

山頂から55分ほどで水越峠のゲートまで下りてきた。

どこか適当な場所があれば登りの前に補給しようと思ったが適当な場所が見当たらず、そのまま最後の登りにさしかかる。

トリカブトがたくさん咲いていた。

大和平野と大和三山。

約50分の登りで大和葛城山の山頂(958.6m)に到着した。ポストは廃品の再利用?

大阪市街と大阪湾。後ろには六甲。

金剛山は上部に雲がかかっている。

トイレまで下って、そばの展望場所でアンパン休憩にした。

ここからも大和三山。

以前はこのあたりから下る道があったはずなのだが、それが見当たらない。ロープウェイの駅の方にちょっと下ったり、逆の方に少し戻ったりしてみたが見つけることができない。

しかたなくロープウェイ駅の方に下って、見つからなければ北尾根で下ろうと思ったところ、道標を発見。

ここを下ったら前回下った道に合流した。

歩きにくい道だったが40分足らずで谷筋に下りてきた。奥の方にチラッと見えるのはくじらの滝?

無事、ロープウェイ駅まで下山。

不安だった最後の車道も何とか25分ほどのジョグで駅のそばのライフにゴールして、ここのトイレで着替えた。

狭いトイレでの着替えは苦労した。本当ならここで缶ビールでも買いたいところなのだが、昨今はコロナの関係でこういう場所での飲食が制限されているので、家まで我慢することにした。

約 28km をほぼ7時間。思いのほか最後までしっかり動けた。このところちょっと意欲が減退してきていたが、これならまだもう少し楽しめるかなと思った。

神童子、和束、童仙房、野殿

先日インターネットの映像で和束の茶畑の風景を見た。私は普通の郊外の風景に惹かれることはあまりないのだが、この和束の茶畑の光景は以前から好きで、このあたりのトレランは何度も行っている。

久しぶりに和束へ行ってみようと思って、何か魅力的なコース設定ができないかと考えて、以前に加茂町から海住山寺、神童子に行ったコースと、加茂町から和束を経由して童仙房、野殿に行ったコースをつなげてみようと思った。

久しぶりの長距離。地図でのルートでも 30km 以上ある。はたして完走できるだろうか。そんな一抹の不安を抱えながら 6/27(月)の朝、家を出た。

出かける時にうっかり冷凍庫に入れておいた水を取り忘れるという失態を演じて、おかげで電車が予定よりも1本遅くなってしまって、JR奈良線の棚倉駅を出発したのは9時前だった。

しばらく車道で、案内に従って神童寺(じんどうじ)に向かう。それにしても今日も朝から暑い。ネッククーラーを持ってくるのを忘れてしまった。

神童寺は前回参拝しているので今日はパスして山城神童子の集落を進む。

前回、まさかと思うようなところに下りてきたことを覚えているので、たぶんここだろうと判断して横に入った(左の舗装道路の方)。

ほどなくクモの巣だらけのヤブに突入したが、かすかな踏み跡。おそらく地元の人ですら歩いていないだろう。

数分ほど上がると突然しっかりした道に合流した。こんな道、前回あったのかどうか思い出せないのだが、そばの茶畑のための道のよう。車が走った轍がある。

そのうちに轍が消えて竹藪になってきた。

しばらく進むと道標が出てきた。

かすかな記憶のある鳶ヶ城の案内。確か前回立ち寄ったはずなので今日はパス。

北側の森林公園への分岐。

出発して1時間半ほどで海住山寺まで来たが、ここも前回参拝したので今日はパス。

こんな道だったかなあと思いながらかすかな踏み跡を下りていたら、いつの間にかロストしていた。どこで間違ったのかまったくわからない。

三角形の二辺を辿って正しいルートに戻って、車道から加茂町を見下ろす。

和束までずっと車道なのだが、まだ4分の1くらいしか来ていないのに早くも脚が疲れてきた。緩い下り坂でもスロージョグ程度でしか走れない。

これでは到底予定のルートを走り切ることは不可能だと思ったが、和束まで行くとエスケープもなかなか大変。

しかし昔のマラニックの大会で走ったルートでJR玉水駅に戻るのではあまりになさけないので、なんとか童仙房までは行って、大河原へ下ろうと思った。

和束のエリアに入ると大きな茶畑が出てきた。

玉水へ向かう分岐のそばに日除けのかかったベンチがあったので、腰を下ろしてようかん休憩にした。

和束茶カフェを横目で見送って通り過ぎる。

和束川の北側の道から和束の街並みを見下ろす。

いつも通り和束川の川縁の道を進んでいたら、突然通行止めのフェンスが現れた。脇を通り抜ける。新しい橋がかかるらしい。

間違って一つ手前の大きな橋を渡ってしまったが、すぐに気づいて引き返した。

いつもの小さな橋のたもとから鷲峰山を望む。

東海自然歩道に入って、お好みの茶畑の畦道を登る。ようやく待望の景色に出会えました。このためにここまで来たのだ。

茶畑が途切れたあたりの木陰でおにぎり休憩にした。

出発から5時間。ようやく堂仙房への車道に出た。

緩やかな車道に出たがもうまともには走れない。しかし気持ちはもう野殿まで行こうと開き直っていた。大河原への分岐は迷うことなく見送る。

道端にホタルブクロ。

童仙房の中心街に入るが、来るたびに閑散としてくる。人の気配がまったく感じられない。

大河原へ下りなかったのは大きな理由があって、確かこのあたりに自動販売機があったはずと記憶していたから。まだ若干の水分は残っているが、冷たいものが飲みたい。

期待通りこの少し先で自動販売機を発見して、100円の缶コーラを乾いた胃に流し込んだ。

野殿へはまだ距離もアップダウンもある。一昔前はほんのひと頑張りだったけれど今日はただひたすら歩くのみ。

野殿に近づいたらお墓が見えた。お墓があるということは水道があるはず。やはりありました! 今日、初めて顔を洗って首筋などを冷やした。さすがに飲む勇気はなかったけれど。

ほどなく野殿の集落へ。今日は平日なので陸上クラブの仲間の別荘訪問はやめておいた。

つづら折れの車道を下って、押原まで1時間かかった。昔はここを50分で上ってきたのだけれど。

あとは交通量の多いR163を行くだけ。道の駅は通過。

何とか予定通りのルートを完走(完歩?)して、午後4時20分にJR月ヶ瀬口駅にゴールした。

駅やその周辺には自動販売機も無いというおそろしく閑散とした駅で、実はこれまでに何度か利用したことがあるのだけれど、そんなことはまったく記憶になかった。時間があるので残り物のパンを食べたかったけれど、それは途中の駅での乗り換え時間にジュースを買えるまでお預けとなってしまった。

約35km、7時間半。疲れました。

国見山、交野山

緊急事態宣言中なので個人山行は自粛している。

コロナ感染を恐れているわけではなくて、医療環境が逼迫しているので、もし山で事故を起こしたら大変なことになる可能性がある。

いつも一人で出かけるので、高齢者単独登山の事故は大きな批判を受けることは逃れられない。自分がそういうニュースを見た時もそういう気持ちを持つので。

そんなわけで今月は週末は淀川で2時間くらいのジョグをするだけでお茶を濁してきたが、さすがにストレスも限界に近づいてきた。

しかし遠方に車で出かけるのはまだ憚られるので、久しぶりに交野の山へ行ってみることにした。

昨年末からはずっと雪山ばかりだったので、トレランシューズを履くのは昨年の 12 月以来で、このコースへ行くのはほぼ2年ぶりだ。

5/29(土)の午後2時過ぎにティッシュとスマホだけを持って家を出た。

穂谷川沿いの道を津田に向かう。川べりの道から分かれて、交野の山が近づいてきた。

住宅街を抜けてスパバレイの前の坂道を行く。

サイエンスヒルズの最後の階段。はたして上までジョグで上がれるだろうか。

何とか階段をジョグで上がり切って、ようやくハイキング路に入る。

久しぶりのトレイルは新鮮で気持ちがいい。

今日は国見山経由で行く。

家から1時間少々で国見山の山頂(284m)に到着した。

山頂からポンポン山などを望む。

しばらくフラットなトレイルが続くので、このあたりは気持ち良く走った。

白旗池。

最後の急登をぐいっと登って、観音岩が見えた。

山頂(341m)から大阪市内方面の眺め。かすかに阿倍野ハルカスが見えている。

ゴルフ場のクラブハウスの方に下りた。

ここまで家から 10km 弱。今日はここから戻る。

帰りは国見山はパスして最短路でサイエンスヒルズへ下りる。

緊急事態宣言中なので競技場は閉鎖している。

対岸は山田池公園。もうずいぶんご無沙汰している。おそらく人が多いだろう。

5時前に家に戻ってきた。

久しぶりのトレランは楽しくて気持ち良かった。もうトレイルはほとんど走れないんじゃないかと恐れていたのだが、思ったよりも走れてほっとした。

ただ、こんな短いコースだったにもかかわらず、実際の疲労は意外と大きかったのかも知れない。翌日、どろどろだった車を洗っている時に腰痛が出た。思いのほか重症で、今日もまだほとんど良くなっていない。ヘルニア再発でないことを祈るのみである。

音羽山から宇治へ

山科から宇治にかけての山々はまだ歩いたことのないところが点在している。もう 30 年以上の前に東海自然歩道を箕面から三重に入ったあたりまで分割して辿ったことがあって、その時にこのあたりを走っているのだけれど、コースからはずれていて登っていない山々もいくつか残っている。

そんな山々を車道でつなぎながら辿ってみようと思った。

10/31(土)の朝7時48分、京阪京津線の大谷駅を出発した。

東海自然歩道を走っていた時は1号線の歩道橋を渡ったが、5年ほど前に講座で来た時には渡れなくなっていた。今回も階段の登り口がチェーンで閉鎖されていた。

確かその時は少し京都側に戻ったところから山道に入った記憶があって、そちらの方向に向かったみたが、私有地で立ち入り禁止になっていた。

1号線に戻って峠を越えて大津方面に少し下ったが、こちらも山道に入れそうな場所が見当たらない。

結局、立ち入り禁止の看板のところを強引に入ることにした。「東海自然歩道には行けません」と表示されている。

確かに道が完全に崩れてヤブ斜面になってしまっている。

しかしもはやここを突っ切るしか無い。ヤブを這い上がったら踏み跡が出てきて、しばらく登るとダイトレのような階段が現れた。

このあたりの東海自然歩道はどうなっているのだろうか。東海自然歩道はもはや放置されてしまっているような場所を何度も目にしているけれど、このあたりもそうなのだろうか。

8時50分、音羽山の山頂(593.1m)に到着した。山頂には数人のハイカーがおられた。どこから登って来られたのだろうか。

びわ湖と比叡山、奥には比良山系の眺め。

高射砲の砲台跡もまだ健在。

このあと山頂をそのまま先に進もうとして方向がおかしいことに気がついて、山頂から少し戻った分岐を千頭岳(せんずだけ)の方に向かった。

東海自然歩道で石山寺へ下る道を左に見送って先に進む。なかなか気持ちのいい道だ。

千頭岳の山頂(600m)ははっきりと気がつかないうちに通過してしまった。西の方に別れる道の道標があったのだが、実はそこが山頂だった。そのあとずっと下っていくので地図を確認したら後から気がついた。

途中の朽ちたベンチでカロリーメイトを一つだけ食べた。なぜかここにも東海自然歩道の標識が立っている。

どんどん下って車道に出た。

少し西へ行って林道に入るのだが、そこは工事で入れなくなっている。もう少し進むとヤブ斜面にかすかな踏み跡が。

踏み跡はすぐに消えたが、強引に上がると工事用と思われる道に出た。この日は工事はしていないようだったので良かったが、もし工事の人がいたら追い出されただろう。

しばらく登ると広い道が終わってしまったが、その手前に朽ちた林道の痕跡があった。

ほとんど誰も通っていない感じ。荒れ放題の道を進むと立入禁止のテープが張られていた。

少し進むと人の声が。横の台地に上がるとそこは展望台で、バードウォッチングの人たちでした。

荒れた林道を下るが、ここはモトクロスバイクの走路になっているようだ。

奥宮神社へ。

本殿そばの展望台の眺めが素晴らしかったので、ここのベンチでおにぎり休憩にした。ちょうど 11 時。右奥の方は金勝アルプスだろうか。

岩間寺は入山料がいるようなのでここで引き返す。

東笠取の集落に向かって東海自然歩道を下るが、この道も荒れている。

10分少々の下りで集落に出た。

しばらく車道を上がる。知らないうちに本来の道をショートカットしていた。峠の手前あたりに清瀧宮という神社。

このあと山道になるのかと思っていたら、実際はしっかりした車道だった。笠取山のあたりは私有地で立入禁止だった。

ジグザグの車道を下りて西笠取川へ。

ここから瀬田川までもずっと車道。京滋バイパスと交差する。

ずっと下りと思っていたらこのあと登りがしばらく続いた。

12時47分、ようやく瀬田川のそばまで下りてきた。曽束大橋がすぐそこ。

橋は渡らずに右岸を行く。が、車道の下に踏み跡のような道が見えているのだがそこに入る入り口がわからない。ウロウロしてようやくガードレールの隙間を発見した。

しかしこの道ももはや朽ち果てている。

しばらく瀬田川の右岸を進んで、川が屈曲するところで山に入っていく。

ますます踏み跡は不明瞭になってきたが、何とこんな場所の斜面のちょっと上の方に女性が一人で腰を下ろしている。どこから来たのだろう。

あまりにも予想外のことで言葉も交わさずに通り過ぎた。

もはや踏み跡は消滅。一瞬、戻って先ほどの女性にどこから来たのか尋ねてみようかと思ったが、戻るのも面倒なのでそのまま進むことにした。

少し沢沿いに行ったが先は困難な感じで、横の急斜面を強引に這いずり上がる。少し上がったら古いテープを発見。

一見踏み跡のように見えるがこの先も手前も急斜面。このまま上に這い上がる。掴める木もまばらなので緊張する。今日はこんなつもりではなかったのだが・・・。

斜面が少し緩やかになってきたら古い踏み跡が出てきた。

踏み跡はしばらくして消えてしまったが、足下に池尾の集落が見えたのでそちらに下った。そして集落からは車道になった。やれやれ。

民家の庭に人を見かけたが、こういう場所の人たちはどういう生活をされているのだろうか。山奥の集落を通るたびにそういう疑問が湧いてくる。こんな山奥では農耕も限られているし、林業で生計をたてるのも難しいだろうと思う。

そんなことを考えながら緩い登りの車道を歩いていたら、後ろからマウンテンバイクの男性がすぐ横を走り抜けて行った。まさかこんな場所で自転車に出会うとは思わなかったのでびっくりした。

しばらく登ると展望の開けた場所に出た。マウンテンバイクの男性が止まって何か食べていた。正面やや左の山が岩間山。

峠からしばらく下って喜撰山ダムのダム湖のそばを走って喜撰山に向かう。マウンテンバイクが抜いて行った。

フェンスのそばに「喜撰山」の標識を発見。ここが登山口?

しばらく登ったら前にマウンテンバイクの男性がおられた。ダム湖のそばに道があると思っていたが無かったとのこと。確かに地形図には道が書かれている。

山頂手前で法師洞への分岐があったので、そちらを経由してから山頂へ向かおうと思った。

しかし法師洞に出会わないうちに山頂を過ぎてしまっている感じ。知らないうちに法師洞を過ぎてしまったのかと思って、山頂に向かうヤブ斜面に入った。この期に及んでまたヤブ斜面。

午後2時15分、今日最後のピークの喜撰山(415.9m)に到着した。

天ヶ瀬ダムに向かって下りる方向から登ってきたと思い込んでいたので、来た方向の踏み跡に向かったところ、実は北に逆戻りしていた。

gps で気がついて「あれっ?」と思ったら先ほどの法師洞への分岐に出た。

再度、法師洞へ向かう。先ほど山頂に向かった場所を過ぎてしばらく進むと法師洞があった。

小倉百人一首に歌のある喜撰法師の石像。

そのまま先に進むと結局また山頂そばまで登り返すことになってしまった。

はっきりした登山道をしばらく下るとフェンスのある林道に出た。

ここでカロリーメイトの残りを食べたが、この先の道がよくわからない。林道の横の斜面は枯れ枝だらけの朽ちた踏み跡があるだけで、とても歩けそうにない。

しばらくうろうろしたが、ひょっとしたらこの林道が正しい道なのかもと思って少し進むと、gps が正解だと教えてくれた。

しばらく林道を進んで、森林公園の散策路に入る。

散策路はいくつかあるので、案内板を見ていちばん短かそうなルートを選んで天ヶ瀬ダムのそばまで下りてきた。

ここからダムの堰堤まで下りる道がまたわからなかった。車道はどうも違う方向に下っているもよう。

下りてきた場所まで戻ると車道の終点の通行止めのフェンスの横にダムに下りる階段があるのを発見した。

堰堤から来し方を振り返る。後ろの山は喜撰山ではないと思う。

あとは宇治駅まで車道を走るだけなのだが、宇治川右岸の道は通行止めで入れないとのこと。左岸の交通量の多い歩道の無い道を行かなければならない。最後の最後までスムーズにいかない一日だった。

15分少々走ってようやく本道から分かれて川沿いの石畳の道に入ることができた。観光客が出てきたのでここでマスクを着用。

メインストリートは結構な観光客で賑わっていた。

ようやく宇治橋へ。

午後4時18分、京阪宇治駅に到着した。

約 35km。こんなに厳しい行程になるとは思っていなかったが、終わってみれば楽しい一日でした。

四寸岩山、大天井ヶ岳

以前から気になっていた吉野の高原から四寸岩山(しすんいわやま)への道。高原の福源寺から稜線を辿って四寸岩山に出る。地形図には道は表記されていないが、登山地図には波線で記載されている。

記録を探るとわずかながら歩いている人もいる模様。しかしそれほどはっきりした道があるわけではなさそう。

先日の蝶・常念は登山者のマナーは予想以上に良くて、思ったよりは気持ちよく歩けたが、やはり人の多い場所は好みではない。

四寸岩山からは南へ行って林道を経由すると、周回して高原に戻ってこられる。しかしこれではちょっと物たらない感じがするので、大天井ヶ岳まで足を伸ばすことにした。ここなら人と出会うことは少ないだろう。

家からほぼ2時間で高原の福源寺に到着した。途中で一時小雨が降ったが、天気は良くなるはず。福源寺のすぐそばにちょっとしたスペースがあったが、ここにずっと停めておくのはまずそうな感じがしたので、少し戻った広場に車を停めた。

7時半に駐車場所を出発した。まずは福源寺へ。ここは役行者の開基で、聖宝理源大師の中興とあり、南朝皇胤の二宮忠義王(河野宮)の位牌があるらしい。惟喬親王の御所だったという伝承もある。

登山口はよくわからない。とりあえず本堂の裏に上がってみたら供養塔が立っていて、その後ろの斜面にかすかな踏み跡と古いテープがあった。

倒木や枯れ枝などで道は無いに等しいが、テープマークは次が見える距離で続いている。

取り付き直後は荒れていて歩きにくかったが、主稜線に上がるとすっきりして歩きやすくなった。と言ってもそれほどはっきりした道があるわけではないのだが。

足下にはヒカゲノカズラ。

8時38分、高原山(1087.5m)に到着した。

このあとしばらく歩きやすいなだらかな道(?)が続いていたが、尾根がカーブする所が一部急な下り斜面で方向がよくわからず、gps のおかげで正しいルートに進むことができた。が、岩がごろごろしていて歩きにくい。

正面の上に空がうかがえて、あと少し。

9時41分、四寸岩山(1235.9m)に到着した。

展望はまったく無し。

ここから先は奥駆道で何度も歩いた道。しかし昨今の豪雨のせいか、道に大量の水が流れたような痕跡が何箇所かあって、滑りやすくなったり、溝の横に踏み跡が付いたりしている。

足摺宿。きれいに整備されている。

走れそうなところは走る。久しぶりのトレランモード。

下山する予定の車道は一旦見送って、二蔵宿。ここの横のベンチでおにぎり休憩にした。

さて、最後の標高差 350m の登り。ここは急登が何箇所かあるが、高度が稼げるので都合がいい。

山頂の少し下にある祠。大天井茶屋の跡?

この先は古いロープのある崖斜面が何箇所かある。

11時26分、大天井ヶ岳(1439m)に到着した。

ここでも展望は無し。

早々に引き返す。すごい色のキノコ。

二蔵宿から下の緩い下りは軽く走って車道に出た。

ちょうど車道の横に山仕事であろうご夫婦の車が停まっていた。私が高原へ下りる方向に向かったところ、「どこへ行く?」との声。

吉野駅とは反対方向なので、間違っていると思われたのではないだろうか。

「高原へ下ります」と答えて、緩い下りの車道を走った。

少し下った所で「杉の湯」という標識が未舗装の荒れた林道に立っていた。「杉の湯」は高原の国道そばにあるホテルのこと。こちらに入る。

もはや車は走れない荒れた林道を下る。地形図では林道をショートカットする道が記載されているが、気がつかずに通り過ぎてしまった。一瞬、引き返して確認しようかと思ったが、あったとしてもおそらく荒れていると思われるので、遠回りと言ってもそれほど大した距離ではないので、このまま林道を下ることにした。その後、倒木に腰掛けて野菜バーを補給した。

分岐から30分ほど下って、高原洞川林道の舗装路に合流した。

この頃から小雨がパラついてきた。天気は良くなると期待していたが、逆に悪くなってきている。

次第に雨が強くなってきて、諦めてライトジャケットとザックカバーを着けたところ、案の定すぐに雨は止んでしまった。

車道を 35 分ほどで高原の集落に戻ってきた。

今回はもう一つ大きな目的がある。そこに向かって地図を手に方向を見定めながら進む。

ありました。「南帝王の森」。

「南帝王」というのは特定の個人ではなく、後南朝皇胤全体を称しているようで、宮内庁の陵墓参考地に指定されているが個人名は表記されていない。

すぐ隣には自天親王神社。自天親王神社は近くの金剛寺にもあるのだが・・・。

福源寺までの道があるのかどうかわからなかったが、お寺の方向に向かって歩いて行ったら、参道と思われる苔むした石段が出てきた。

そのまま上がると期待通り、福源寺に戻ることができた。

午後1時43分、無事戻ってくることができた。

さて今日は、これまで何度もすぐ近くを通りながら、ほんの少し横道に入るのが面倒で訪れたことの無かった丹生川上神社上社に寄っていく。帰り道の途中にある。

天武天皇時代(675年)の建立で、御祭神は高龗大神(たかおかみのおおかみ)。龍神にて水、雨を掌られる大神様だそうです。

ただし元々は吉野川畔にあったが、大滝ダムの開発のためにダム湖に沈んでしまって、現在の建物は平成 12 年に造営されたもの。

温泉は今月、大台ヶ原へ行った時に立ち寄った「あすかの湯」に行った。

今回は期待以上に満足感が大きかった。山歩きだけではなく、かねてから訪れてみたいと思っていた高原の歴史史跡を訪ねることができたのが良かった。

それと、久しぶりに山道を走った。もちろん登りは走っていないけれど、あの快感をまた感じることができて、とても楽しかった。

やっぱり私にはこういうスタイルが一番合っているのかなと思い直した一日だった。

天辻峠から高野山

久しぶりに好天の週末がやってきた。

車中泊で白山あたりにでもと思っていたが、コロナが拡大している。予定していた岐阜県は独自に緊急事態宣言が出されてしまって、圏外ナンバーの車で出かけるのは躊躇してしまう。

それなら電車で日帰りの範囲でということで、昨年、天辻峠でリタイアした弘法大師の道の続きをやってみることにした。

昨年、天辻峠で終わった後は、このルートはもうこれで終わりだと思っていた。日を改めて続きをやるのは無意味とすら思った。

今回、電車で行ける日帰りエリアで考えたところ、久しぶりに高野山へ行ってみたいと思った。しかし黒河道町石道、京大坂道はすでに歩いているし、正直もう一度行きたいと思えるほどではない。となると残された道はもはや弘法大師の道しかなかった。

8/2の日曜日、朝5時過ぎに家を出て、京阪、JR、南海、JR、バスと乗り継いで、9時過ぎにようやく「星のくに」の停留所に到着した。そばの道の駅大塔で準備を整えて、9時20分に出発した。

天辻峠への車道を登る途中で細い道との分岐があった。こんな分岐あったかなと思ったが、車道の方は「天誅組本陣遺跡」という案内が出ていたので、細い道の方へ入った。

昨年下った時はもっとしっかりした車道だったように思ったけれど、しばらく登ると「天誅組本陣遺跡」が現れた。昨年はこんなものに出会った記憶は無い。

少し進むと車道に合流して、そこに案内板が出ていた。昨年はずっと車道を下ったのでこの遺跡前は通らなかったのだった。

出発して 25 分ほどで天辻峠へ。この光景ははっきり覚えている。

ここからしばらくの区間は「9月から11月までは止山のため入山禁止」という案内が貼ってある。「止山」って何? 松茸山? まだ8月なので山道に入る。

少し進むと急登になった。13分ほどで大日山(897.3m)。

少し進むと道のそばにマムシ!!(たぶん)。

踏まなくてよかった。それにしてもマムシというやつは近づいても逃げない。

今日初めて例の標識に出会った。

そして激下りになった。先日の教訓で今日はポールを持ってきている。

出屋敷峠で車道に出会う。

このあとは 25 分ほどの激登りで白石岳(903m)。

昨年は天辻峠で敗退して本当に良かったと思った。あの状態で先に進んでいたらかなり悲惨な状況になっただろう。

アップダウンは少し緩やかになって、ほどなく松村山(915m)。

そしてセト山(907.5m)。

そして今井峠。

誰にも遭わなくて快適だけれど、野坂岳から三国山のような自然感あふれる道ではない。単に登山道としての魅力が無いだけと言ったら怒られるか?

走れそうな所では走る。

道が広くなってきた。かつては林道だったもよう。まるで京都北山の大見尾根のような状態。

午後1時 40 分、車道に出た。

このあとの陣ヶ峰は大会ではカットして車道を行っているけれど、私はピークに行くつもりだったので、車道を渡って薄い踏み跡を辿った。

が、ちょっと変だと思って地図を確認したところ、これは陣ヶ峰ではなくて手前の的場山だった。戻るのはシャクなので稜線伝いに車道に降りた。

そうしたら役行者像があった。

そして天狗木(てんぐき)峠。

陣ヶ峰へはここから稜線に上がるのだけれど、登り口が見当たらない。高野山方面に少し進んだら急登の踏み跡が。

こんな道が続くのかと思ったら、ほどなく広い道に出た。おそらく天狗木峠から野迫川方向に行った所に登り口があるのだろう。

路面がコンクリート敷きになっているけれど、次第に傾斜が急になって、おまけにあまり人が通っていないようでコケが生えている。とても車で登れるとは思えない。

数分登ると金刀比羅宮。

稜線を少し南へ行って、午後2時4分、陣ヶ峰の山頂(1106.2m)に到着した。

一等三角点があるけれど、展望はほとんど無し。高野山エリアでは最高峰のように思うけれど、登山者はかなり少なそう。

下山は稜線を西に向かった。傾斜はそれほどではなかったけれど、そのせいでなかなか車道に出ない。車道は右下に見えているけれど、うかうか下るとコンクリート壁で道に降りられない可能性がある。

30分近く下って、ようやく車道に降り立った。道標は無く、木にテープが巻かれているだけだった。

いよいよ高野山の街が近づいてきた。桜峠のあたりで住宅街にショートカットできるかもと思って、道端のヤブに入ってみた。

うまい具合に住宅街に出られそうになったが、今度は壁に遮られてしまった。しかし何とか降り口を発見できた。

午後3時前、奥の院への入り口まで来た。ここまで来ると観光客が多い。

そして午後3時22分、ようやく金剛峯寺に到着した。

ここまで来たらやはり根本大塔まで行かなければ。

ここで戻って女人堂へ向かうつもりだったのだけれど、道を間違えて大門の方に向かってしまった。

想定外の登りを 20 分ほどで弁天岳(984.2m)。まさかここへ二度も来るとは思ってもみなかった。

15分ほどの下りで女人堂。

京大坂道を舗装道路で下って極楽橋駅へ。

駅には午後4時45分に到着した。ここから電車に乗って帰るのは初めて。高野山にはそれなりの観光客もいて、バス停に待っている人たちもたくさん見かけたので、電車の混雑具合が心配だったのだけれど、実際にはガラ空きでした。

これで「弘法大師の道」は全コースを辿った。その印象を一言で言うと、トレランの大会のコースとしてはおもしろそうだけれど、一般的な登山者やハイカーにとってはあまり魅力のあるルートとは思えないと感じた。

大峯奥駆道のような歴史や遺跡があるわけでもないし、魅力的なピークがあるわけでもない。交通の便も悪いし、稜線上では水場はどこにも無い。

おまけに道の付け方がかなり乱暴で、急斜面でもほとんど真っ直ぐに付けられている。登りはいいとしても下り、特に雨天時などは危険である。

展望が得られる場所も限られているし、高島トレイルのような美しいブナ林などがあるわけでもない。

「弘法大師の道」と銘打たれているけれど、私の個人的な印象としてはこの道(もちろんその当時は道など無かったはず)で弘法大師が高野山に向かったとは思えない。私は前登志夫氏の意見に賛同する。

随所にある標識によると学術調査が行われたようだが、どういう調査結果が得られたのか、ネットで調べた限りではわからなかった。もし重要な痕跡などが見つかっていればそれなりの標識などが設置されるはずなので、そういうものが何も無いということはそういう発見は無かったということではないのだろうか。

ここ何年か頭の片隅にずっとこびりついていた「弘法大師の道」だが、これでようやく気持ちがすっきりした気がする。

三浦誠司さん逝去

先の四連休は非常に楽しみにしていた。例年なら梅雨明け直後の安定した好天が続く頃で、高山へ行くには絶好の時期だ。

ようやく雲ノ平テント泊ができると楽しみにしていたのだが、梅雨前線は停滞したまま。連日の雨で近場日帰りすら行けず、陸上クラブの練習会や淀川のジョグだけで終わってしまった。

結果的には終日雨という日はなくて、もしどこかへ行っていたとしても一時的な雨くらいですんだのではないかという気もするけれど、連日の雨でおそらく道はぐちゃぐちゃ。ヤブに入ると雨露でびしょびしょという状況だったと思うので、まぁ行かなくて良かったのではないかと思うようにしている。

それでも行く人は行くもので、今朝たまたまネットでこんなニュースを見かけた。

本当にびっくりした。

これまでトレイルランナーの事故情報には何度も出会ってきたけれど、いずれも個人的には面識の無い方ばかりだったが、もう 10 年少々前になるけれど、三浦さんの主催されている練習会やイベントなどに何度も参加したことがあった。

おそらく三浦さんは私のことなどもう忘れておられると思うけれど、それまで 20 年以上ほぼ一人で走ってきた私が初めて集団での練習会に継続して参加したという出来事だったので、私はその頃のことを今でもはっきりと覚えている。

ランニングショップの run-walk style は JR 森ノ宮駅のそばにある。どうやってこの店の情報を知ったのかは忘れてしまったけれど、50 歳を過ぎてから坂道をころがるように走力が落ちて、それに伴ってモチベーションも落ちてきた。

その頃は山スキーもやっていたのだけれど、ランニングの質が落ちるに従って山での体力も目に見えて落ちてきた。

このままではいけないと思ったが、もはや一人では追い込む練習などできない。

しかし走友会などに入るのはわずらわしいと思っていたので、一回 500 円程度で気軽に参加できる練習会を主催していたここに何度か出かけた。

大阪城公園でペース走をやったり、室池でのクロカン走、六甲縦走などに出かけた。

ただ、常連参加者はおおむね私より一回りくらいは年下で、しかも女性が多かったので、次第に足が遠のいていった。参加していたのは一年くらいではないかと思う。

その後、地元の陸上クラブが会員を募集しているのを見つけて、そこに入れてもらうことにして、run-walk style からは完全に離れた。

三浦さんはその当時はまだ 30 台で、トレランのレースでは大きな大会でも上位に入るくらいの実力者だった。ロードのマラソンは2時間 40 分くらいだったのではないかと思う。

個人的に生駒へ行った時に、お客さんを連れて走っておられるのに出会ったりしたこともあった。

どうしてこんな天気の日に滝のそばなどに行かれたのだろうかと思ったが、情報によるとランの予定がほぼ終了して、滝壺のそばで汚れ物を洗おうとしていた女性が溺れそうになって、それを助けようとして深みにはまりこんでしまったらしい。

亡くなった三浦さんは本当に無念だろうけれど、この女性も本当につらいだろうと思う。お客さんだったのか走友だったのかはよくわからない。

ご冥福をお祈りいたします。

葛城歴史散歩

葛城氏は5世紀頃にこのあたりを地盤として繁栄した豪族で、その後の時代に勢力を持った蘇我氏の祖先でもある。

現在の御所市を中心とする地域で、3年ほど前に一度歩いているけれど、一度山無しでいろんな見どころを訪ねてみたいと思っていた。

この週末は天気予報では雨模様だったので山はあきらめて、多少の雨でも何とかなりそうな里歩きならということで 6/27 の土曜日に出かけることにした。

6時過ぎに家を出て8時過ぎに近鉄御所駅に到着。駅のそばで準備を整えて、8時15分に出発した。まずは葛城山を正面に見ながら3年前と同じ道を行く。

まずは鴨山口神社。全国にある山口神社の本社。

葛城の道に入って、前回は寄らなかった駒形大重神社(こまがたおおしげじんじゃ)にお参り。

そして前回も立ち寄った九品寺(くほんじ)。行基が開いた。

前回もここまでは来たけれど、今日の目的は裏にある千体石仏。南北朝時代、南朝側の楠木正成公のために一族を引き連れて参戦した楢原氏が、身代わりのため石仏を彫って菩提寺だった九品寺に奉納したという言い伝えがある。このまわりや地中にもたくさんあるらしい。ちなみにこのあたりの地名は「楢原」。

明日香村方面。後ろの山々は御破裂山あたり?

綏靖天皇の葛城高丘宮跡。

欠史八代と呼ばれる天皇の御陵は多くが葛城地域にある。これらの天皇の実在性はさておいて、ヤマト王権が成立する前にはこのあたりに実権を持つ王のようなものが支配している時代があったのではないかという説がある(「神々と天皇の間」鳥越憲三郎)。

そして一言主神社へ。

今回の目的は「蜘蛛塚」。

神武天皇が葛で網を作って土蜘蛛(大昔の日本において朝廷や天皇に恭順しなかった土豪たちを示す名称)を捕り、頭と胴と脚との三部分に切断し、別々に境内に埋めて、その上に巨石をすえて置かれたとか。

頭の部分は社殿の下。胴の部分は拝殿の横。

そして足の部分は石段下の参道に埋められいる。

ところで一言主の神は役行者に縛られて谷に捨てられたままのはずだけれど、脱出したのか?

ここからはしばらく交通量が多くて歩道の無い車道を行かなければならない。少し西の方に旧道があるのだけれど、ちょっと下らなければならないし、いずれにしてもまた戻ってこなければならない。

車におびえながら登り坂をえっちらおっちら 30 分ほど行って、極楽寺へ。

陽がさしてきたので帽子と日除けをかぶる。

少し車道に戻ってからようやく山道に入る。20 分ほどで橋本院へ。これは本堂の観音堂。

そして車道を 10 分足らずで高天彦神社。

地図ではここから一旦また車道に出なければならないのだけれど、前回金剛山から下ってきた時に南の方に向かう山道の分岐があったことを覚えていたので、そちらに向かうことにした。

行基ゆかりの伏見山菩提寺。白山を開いた泰澄もここで修行し、弘法大師も修行している。

少し進むと展望台。ここでおにぎり休憩にした。真ん中の突起が大天井ヶ岳。その右に山上ヶ岳。ずっと右にいくと稲村ヶ岳。

このすぐそばに八幡神社。真ん中が応神天皇。向かって左が天児屋根命(あめのこやねのみこと)。右が天照大皇神。

このあとまた車道に出てしまったが、このあたりは歩道があった。そして適当に西に入って高宮廃寺跡を目指す。が、次第に道が荒れてきて、ついにヤブヤブに。足下はコンクリートなのでかつてはしっかりした道だったはず。

今日はヒザの出ているトレラン用短パンで来ているので泣きたい気分だが、戻るのもつらい。道はまったく消えたが、少し開けた斜面を適当に進む。今日はこんなつもりではなかったのだけれど・・・。

ウロウロしていたら踏み跡のようなものが出てきて、少し進むとありました。寺の詳細は不明だが、建立は奈良時代あたり?。標高 550m に位置している。

少し進むと金剛山からの道に合流して、もう安心という気分になった。

それにしてももう 12 時。出発して4時間近く経っている。この先は下道ばかりだけれど、距離的にはまだ半分も来ていない。思ったよりも時間がかかっている。

車道を走って、高鴨神社へ。全国の鴨(加茂)社の総本宮。ちなみに私の生まれた場所は京都の上賀茂神社にほど近い所。

そして風の森神社へ。高鴨神社と一対になっていると言われている。風の森峠の頂上部分。道標も案内板も何もなく、事前に情報を得ていなければとても気がつかないような場所にある。

そして車道の風の森峠。

ようやく距離的には半分くらいだろうか。もう出発してから4時間を過ぎている。今日は大半が下道の走りなので疲労感が大きい。

メインの車道をはずれて旧道を進む。少し行った所に公民館があって、建物の前にベンチが置かれていたのでそこでまんじゅう休憩にする。次の目標の日本武尊白鳥陵までは 5km 以上ありそう。

室宮山古墳に立ち寄るつもりだったけれど、場所がわからず。帰ってから確認したら場所を少し間違っていた。

車道を淡々と走っていたら、吉野へ車で行く時にしばしば利用するコンビニ。この前の交差点はちょっと変わった構造で、タイミングによってはずいぶん待たされる。

風の森峠から1時間 10 分ほどかかって、ようやく日本武尊白鳥陵に到着した。吉野からの帰りに車で立ち寄れば簡単に来られるのだけれど、それでは値打ちが無い。

日本武尊の御陵は宮内庁の治定で三ヶ所ある。ここはそのうちの一つ。

午前中に山裾を辿った葛城山(右)と金剛山(左)。

ちょっとした峠を越えて、JR 和歌山線の掖上(わきがみ)駅。

終盤戦に入ってきた感じだが、平地でもしばしば歩きになる。

次の目標は斉明天皇陵。しかしこれが場所がよくわからない。ウロウロして一度諦めて、工場の片隅のような場所にある自動販売機でサイダーを買って、そばに腰掛けて休憩した。

これが功を奏したのか気力が少し戻って、せっかくここまで来たので何とか見つけようとそれらしい方向に向かった。

何とか石段の登り口を発見して、しばらく登るとまず大田皇女の陵。

さらに登ってようやく到着。

研究者の間では真の斉明天皇陵は牽牛子塚(けんごしつか)古墳の可能性が高いと言われている。すぐそばにある越塚御門古墳が大田皇女だろうと。

元に戻って、嗛間(ホホマ)神社。

中を覗くと。

そして神武天皇社へ。

隙間から本殿を覗くと。

神武天皇社にまつわる話はこんな感じ。

これがおそらく「掖上の嗛間の丘」。

またしばらく車道を走って、今日のメインの吉祥草寺へ。役行者誕生の地。

本堂はタダで入れるけれど撮影は禁止。さすがに修験道の寺だけあって護摩を焚く場所が用意されている。

裏にある写経道場には役行者の像が置かれているけれど、ここも入れるけれど撮影は禁止。

最後に鴨都波(かもつば)神社。役行者は鴨氏の出自。

午後4時前、ようやく御所駅に戻ってきた。疲れた。着替えとビールのために駅のそばのライフへ。

休憩スペースでビールを呑んでいたら「飲酒禁止」という貼り紙が。最後にちょっと落ち着かない気分になってしまったけれど、もはや移動する気力は無し。

7時間 45 分、約 37km でした。