国見山

火曜日(9/26)は今月6回目の随行で、台高山脈の国見山へ行ってきた。
昨年行った薊岳の近くで、この時の下山路で国見山を往復した。
今回も貸し切りバスで京都駅から片道3時間という遠征だった。

薊岳の登山口の笹野神社でトイレ休憩。
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バスでさらに林道の終点まで行って、しばらく舗装路を歩く。
ハガクレツリフネソウ。
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アケボノソウ。
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登山路に入るとしばらく沢沿いを行く。
飛び石伝いに沢を渡る所が何カ所かあるけれど、私はバランスが悪いのでこういうのはニガ手。
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しばらく登ると明神滝。
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出発から2時間ほどかかって明神平に到着した。ここで昼食。
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昨年はあちらから下りてきた。
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食事後は国見山に向かう。
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少し登ると水無山。
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国見山山頂手前には大峰方面が良く見える展望場所があった。
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国見山(1418.9m)には午後2時に到着した。
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山名から考えるとかつてはあたりを見渡せたのだろうけれど、今は木が茂っていて展望はまったく無し。と言うことで、先ほどの展望場所に戻ってしばらく展望を楽しんで、往路をそのまま下山した。
京都駅に帰ってきたのは7時半を過ぎていた。

額井岳、戒場山

9/24 の日曜日は台風の影響で1週間延期になった随行で、奈良の額井岳、戒場山へ行ってきた。
朝夕はかなり涼しくなってきたものの、昼間の日射しはまだまだ厳しい一日だった。

近鉄・榛原駅からバスに 10 分少々乗って、まずは住宅街からスタートする。
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田園地帯に入ると正面には目指す額井岳。
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しばらく車道を登って、十八神社(いそはじんじゃ)。
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ここからの南方の展望はなかなか素晴らしい。右の方は音羽三山。ずっと奥は吉野から大峰か。
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南西には高見山など。
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ここで先着した 35 人の大集団とかち合わせる。向こうも中高年主体のパーティで、先を譲られたけれど、こちらものんびり行きたいのでしばらく展望を楽しんでゆっくり出発した。
ようやく山道へ入る。
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道標はしっかりしている。
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お昼前に額井岳山頂(812.8m)に到着して、ここで昼食にした。例の 35 人パーティも一緒。
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午後は西に向かって戒場山を目指す。
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1時間少々で戒場山(737.4m)に到着した。
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戒長寺に向けて急な下りを行く。雨だったらいやらしそうだ。
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戒長寺は歴史の古い(平安時代後期にかなり栄えていたらしい)お寺だそうだが、今は訪れる人も少ない感じ。
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ここにも大きなお葉つきイチョウがある。
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ここからは車道でスタート地点に戻る。
山部赤人の墓(という伝承があるとか)。
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あちこちにヒガンバナ。白花もあります。
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おおむね予定通りの3時半過ぎにバス停に帰り着いて、往路とまったく同じ経路で帰ってきた。

藤原京跡から吉野宮滝 〜 持統天皇吉野行幸の道

三連休は台風 18 号が日本列島を縦断した。しかし関西エリアは日曜日の夜中に通過して、月曜日(祝日)は好天が期待できそうだった。
そこで、かねてから構想していたけれど、暑さのために回避していたコースに行ってみることにした。台風で山道は荒れていることが予想されるので、ほぼ下道というコース。
飛鳥時代の歴史を眺めていると、斉明天皇が宮滝に離宮を造営して以降、代々の天皇がここを訪れている。
特筆されるのは持統天皇で、夫の天武天皇が崩御してから孫の文武天皇に譲位するまでの 11 年間に 31 回もここを訪れている。通算では 33 〜 34 回に及ぶらしい。
その理由はいろんな人が様々な意見を述べられているけれど、共通しているのは持統天皇の吉野宮に対する愛着の強さという点。
死期の迫っている実父・天智天皇を近江京に残して、夫の大海人皇子(のちの天武天皇)と吉野に逃れて、壬申の乱に立ち上がるまでの数ヶ月間をここで過ごしたことへの思い入れが強く残っていたからだろうと言われている。
持統天皇は在位中に藤原京遷都を果たした。そこで、持統天皇の吉野行幸の道と言えば藤原京跡をスタートとするのが一般的だろう。
奈良盆地から吉野へ行くにはいくつかの道があって、いずれも峠を越えなければならない。それらの峠は西に行くほど標高が低くなるけれど、その分、距離は長くなる。
おそらくこの道を通っていたのだろうと思われているのが、飛鳥川を遡って芋ヶ峠(芋峠)を越えて、千股川沿いに吉野川に降り立つというルート。
今は県道が通っているけれど、車なら西や東にもっと走りやすい道があるので、交通量はあまり多くない。そこに、県道から少し離れた位置に古道が残っていて、道標が整備されている。
奈良県がコースガイドの情報をホームページに掲載しているので、これを参考にしてコース設定をした。

スタートは交通の便と藤原京跡への近さを考えて、近鉄の大和八木駅。駅前で準備して、ちょうど午前 8 時に出発した。
適当に間の道に入って、下ツ道を南へ向かう。
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東に折れておふさ観音。
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20 分ほどで藤原京跡の中心部に到着。向こうの山は天香具山(手前の丘)。
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台風が通過したばかりなので足元の芝生は水たまりだらけ。
次は天香具山に向かう。ただし山には登らず、麓をなめるだけ。
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前を通ったので天岩戸神社。
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大官大寺跡を通って明日香村中心部へ向かう。いい風景だ。
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明日香村のいいところは、飛鳥時代の風景もそれほど大きくは違わなかったのではないかと感じられること(本当はそんなことはないのだろうけれど)。
奈良県は観光客は京都に取られ、宿泊客は大阪に取られで、観光客誘致に必死になっているらしいけれど、個人的には今くらいで推移していってほしいと思う。あまり廃れるのは困るので。
飛鳥寺は何度も訪れているけれど、実は飛鳥大仏は眺めたことが無かった。9時開門のちょうどだったので、空いていてチャンスだと思って 350 円を払って中に入った。
「写真撮ってもいいですよ」ということで、飛鳥大仏。
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仏像ファンという人たちがたくさんおられるそうだけれど、私には価値はわからない。
5月に遺跡めぐりで来た時の伝飛鳥板蓋宮跡からさらに南へ行った所にまたもや「伝飛鳥板蓋宮跡」。たぶん広い敷地だったのだろう。
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石舞台には寄らずに祝戸へ。
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しばらく車道を行くと、ちょっと横に入った場所にマラ石。何てリアルな!!
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稲淵の棚田の風景は美しい。車がたくさん停まっていた。
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稲淵の綱掛神事の男綱(おづな)。
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栢森(かやのもり)には女綱(めづな)。
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このすぐそばには高取山の猿石への道が分かれている。
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栢森の家並み。
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入谷(にゅうたに)へ少し向かったあたりから古道に入る。
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今日、初めての山道。
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小峠の手前あたりは結構な急坂だった。この坂を篭を担いで登るのは大変だっただろうと思う。もちろん飛鳥時代も同じ道だったかどうかはわからないけれど、篭に乗せられていても中でバランスを維持するのは非常に疲れただろうと思われる。
壬申の乱で吉野から美濃へ向かう時、桑名のあたりで持統天皇(その時は鸕野讃良皇女)が疲れ果ててそこに留まったという話がある。さもありなんという感じ。
小峠(466m)に到着。
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ここからしばらくは走れそうな下りなのだけれど、台風の影響か、小さな枯れ枝がたくさん落ちていて、これが絡まって走れない。しばらく下って、車道に合流した場所に役行者像。
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またすぐに山道に入って、三軒茶屋跡。
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登り切ったと思われる場所に道標。
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竜在峠は今年1月に御破裂山から竜門岳へ向かった時に通った。
峠の頂点はまだ上にあるのかと思って急登を少し上ってみたけれど、ずっと登りが続く感じ。はたと「ここが芋峠の頂上という意味だ」と思って、下りてきた。まぎらわしい表記だ。
ここから少し下ると県道に出た。11 時 20 分。
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先の道標は、県道の芋ヶ峠は本当の峠の頂では無いという意味なのだろう。
ちょうど車道と出会う場所にあった案内板。
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詩歌を愛でるような高尚な感性は持ち合わせていないけれど、古道を歩く楽しさはそれなりに感じている。
ここからも高取山への道が分かれているけれど、随分人通りが少ない感じだ。
このあとはずっと車道になりそうなので、山道に少し入った所で大福休憩にした。
ここからは車道を南へ下る。少し下った場所にこんな道標が。
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芋峠から下ってきたのに下る方向を向いて道標が立っている。それはないだろうと思って、そのまま車道を下った。
少しして gps を見てみると、何とルートからはずれてきている。
今日は例の奈良県のホームページにあったガイド図と共に、ヤマレコで見つけたこのルートを歩いた人のトラックデータを gps に入れてきている。
ガイド図ではここは車道を下ることになっていたのだけれど、ヤマレコの人は古道を歩いていた。そうか、あの道標は実は吉野に向かう古道だったのだ。
まだ十分に戻れる距離だったので、先ほどの道標の場所まで登り返した。
それにしてもこの道標の向きはひどい。人通りの少ない道では道標が間違って設置されているということが時々あるのだけれど(あらぬ方向を向いてしまっている?)、この道標はわりと新しく設置されたもののように思える。
この道も荒れていた。道路が舗装された場所でも一面コケに覆われて、人が歩いている様子がほとんど無い。
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峠から 30 分ほどで県道に合流して、千股川せせらぎ公園。峠からの下りで吉野川が見える場所があるのではないかと期待していたけれど、残念ながらそれは見あたらなかった。
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それから約 20 分、標高が下がって暑くなってきた車道をジョグで下って、吉野川に降り立った。
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ここから宮滝へは吉野川の右岸を行くのだけれど、その道は R169(R370)で交通量が多いので、妹背大橋を渡って左岸の道を行く。
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20 分少々のジョグで、また右岸に渡る柴橋まで来た。暑い!!。
下流の景観。
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上流。
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橋を渡って、宮滝遺跡。ただしこの遺跡は縄文、弥生時代の遺跡。
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実は今年の7月に大普賢岳へ行った時に、ここを車で通っている。下山が早かったので、帰りに立ち寄る時間は十分にあった。
その時はすでに今日のコースの事を思いついていた後だったのだけれど、「宮滝を訪れる時はぜひとも芋ヶ峠を越えて自分の足で」という思いが強かったので、あえて立ち寄ることをしなかったのだ。
R169 を渡って、吉野歴史資料館へ。
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せっかくなので 200 円を払って中に入ったけれど、ショボイ。休日の昼過ぎだというのに誰もいなかった。
やや右の奥に見えるのが青根ヶ峰だろうか。
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柴橋のそばの自動販売機でジュースを買って休憩して、来た道を戻って、さらに近鉄の吉野神宮駅に向かった。
駅前がちょうど吉野神宮への登り口になる。
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駅に着いたのは午後2時ちょっと過ぎ。幸か不幸かあと3分くらいで電車が来る。
本当は着替えて、ビールでも飲んでゆっくりしたかったのだけれど、電車は1時間に2本しかない。まぁ「2本もある」とも言えるかも知れないけれど。
どうもこういう時にのんびり構えられない性格なので、着替えもせずにやってきた電車に乗り込んだ。着替えは阿部野橋駅までお預けとなってしまった。
やはり奈良の歴史街道歩きは楽しいと改めて思った。途中でお寺や資料館などに立ち寄ってゆっくりしながら、約 33km、6時間ちょっとの旅でした。

清滝から鳥居本のち米買い道

水曜日(9/13)は京都一周トレイル講座の随行で、清滝から鳥居本を歩いてきた。
講座修了後は個人的に米買道を水尾まで。

集合は前回解散した清滝のバス停。私はいつも通り、保津峡駅から歩いて行った。この日の行程の前半の道を逆に歩いたことになる。
愛宕山の表参道の鳥居に寄って行く。
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清滝川に下りると与謝野晶子の歌碑。
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前回は台風の後で清滝川の水もかなり濁っていたけれど、今日はきれい。しかし前日に雨が降ったので水量は多い。
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清滝川を渡る橋の手前の広場で昼食となった。米買道はここから入って行くことを初めて知った。
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昼食後はちょっと寄り道して保津川の展望場所へ。
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芭蕉の歌碑にも寄り道。
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ここからは車道を登って六丁峠に到着。
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峠を下ると鳥居本。ここが元々の愛宕山参拝口。
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今日は行程の都合で嵐山へは向かわずに試峠(こころみとうげ)から清滝に戻る。
車道を少し登って愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)。
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メインの車道から分かれて試峠に到着。愛宕山に登れるかどうかを試すという意味で付けられた名前だそうだ。
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車も通れるので、峠には道の上にバックミラーが設置されている。
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2時頃に清滝のバス停に戻って解散となったので、私は同じ道をこの日3回目で、昼食をとった場所に向かった。米買道はここから始まっている。
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すぐにこんな張り紙が。
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そのまま進むとさっそく障害物。
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倒木と蜘蛛の巣の波状攻撃を受ける。往時を偲ぶ余裕などまったく無い。
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お地蔵さんも苔むしている。
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さすがにこれはたまらんと思って、荒神峠からは水尾へは向かわずに保津峡駅に下りようと思った。
峠に近づいて沢筋から離れて山肌を行くようになると、障害物もほとんど無くなった。
清滝からほぼ1時間で荒神峠に到着。
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一息ついて地図を眺めてみたら水尾までの道は沢筋ではなくて山肌に付けられているようなので、ここまでほどひどいことは無いだろうと思って、予定通り水尾に向かうことにした。
予想通り、所々に倒木はあるものの、前半に比べたらほとんどハイウェイのような道。
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東の田んぼ跡。
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お米を担いだ人が歩いていた時代をイメージしながら歩いて(たぶん反対向きだっと思うけど)、峠から 25 分くらいで水尾に下りてきた。
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あとは車道を保津峡駅に向かって下るだけ。途中で遊歩道に入った。
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4時ちょっと過ぎに保津峡駅に到着した。
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終わってみれば楽しい一日でした。

神津嶽から暗峠

月曜日(9/11)は随行で生駒の神津嶽(かみつだけ)から暗峠(くらがりとうげ)へ行ってきた。

スタートは枚岡神社。河内国一之宮だけあって大きい。
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生駒には道がたくさんある。特に西側の○○園地には舗装道路もたくさんあるが、できるだけ土道で登る。
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展望台から大阪方面を望む。正面奥は六甲。
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枚岡神社創祀の地が神津嶽(約310m)。
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結構な登りがあって、しばしば通るなるかわ休憩所に出た。
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また坂を上がってぼくらの広場を目指す。途中に万葉植物展示園があるのでちょっと寄り道。
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ぼくらの広場(524m)からの大阪方面。淡路島の山並みも見えていた。ここで昼食。
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奈良方面も見える。
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わずかで暗峠。
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ここからは車道を奈良側に下る。棚田がきれい。
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矢田丘陵がくっきりと見える。
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ちょっと寄り道して石造阿弥陀如来立像。
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何とか天気は持ちこたえていたのだけれど、このあとついに雨が降ってきた。
また寄り道して、応願寺の十三重石塔。
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南生駒駅近くからの矢田丘陵。雨は止んでいる。
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近鉄・南生駒駅で解散となった。
朝夕は涼しくなってきたものの、昼間はまだまだ暑い日でした。

経ヶ峰

9/8 はこの週3回目の随行で布引山地の経ヶ峰へ行ってきた。
今回も家から集合地の近鉄・津新町駅まで3時間。そこからさらにバスを2本乗り継ぐという遠征だった。

家を出たのは6時過ぎ。4時間かかって 10 時過ぎにようやく経ヶ峰登山口バス停に到着した。
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しばらく舗装された林道を行くと、お地蔵さん。
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1時間少々歩いてようやく登山道に入る。
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植林帯を登って、別の登山道に合流。
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ここからは稜線になる。とは言っても樹林帯。
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地元では人気の山のようで、平日にも関わらずすでに下りてくる人にたくさん出会った。
もうすぐで山頂。
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12 時 40 分頃、山頂エリアに到着して昼食となった。山頂(818.8m)は 360 度の絶景だけれど、強風にさらされている。
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北の鈴鹿方面。
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南西の大台ヶ原方面。
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南東は伊勢湾。
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絶景を楽しんだら南側に下山する。
40 分くらいで林道に出た。
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舗装道路を歩いてバス停に向かう。
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バスの時間に合わせるためにちょっと寄り道をしたりして、3時 40 分にバス停に到着した。
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帰りはバスは1本で、私は往路と同じ経路で同じくらいの時間で帰ってきたけれど、他のみなさんは津駅まで行かれた。
帰りの電車も乗り継ぎはスムーズで、大阪までは座って帰ってくることができたけれど、それにしても遠かった。お尻が痛くなった。

暁晴山

二日続きの随行で、9/5 は兵庫県の雪彦山の北に位置する暁晴山(ぎょうせいざん)へ行ってきた。
京都駅から貸し切りバスで、片道3時間半という遠方。自宅から京都駅までの時間も含めると片道ほぼ4時間半。1日で乗り物9時間というとんでもない行程だった。

峰山高原のホテルリラクシアは標高 930m。ここまでバスで、山頂まではほぼ車道。
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30 分少々であっさり暁晴山の山頂(1077.1m)に到着して、早くも昼食となった。
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ここから砥峰(とのみね)高原に向けて歩く。
このあたりはススキの名所で、秋のシーズンには観光客で混雑するらしいけれど、観光シーズンにはちょっと早め。
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ちょっと不明瞭な箇所もあり、登山道は少しわかりにくい。
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出発したホテルからぐるっと廻って北東に向かう。
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峰山の山頂(1037.9m)は登山道から少し横にあるけれど、しっかり三角点を踏みに行く。
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三角点はヤブの中。
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湿原のような所をしばらく歩くと車道に出た。
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また登山道に入って、砥峰高原のエリアへ。
白山でも見たツリガネニンジン。
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ヤマジノホトトギス。
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展望台。
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このあたりは映画「ノルウェイの森」の撮影地だそうです。私は映画やドラマはまったく見ないので知りませんが。
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キキョウ。
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とのみね自然交流館に到着。
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バスはここまで迎えに来てくれているのだけれど、ここから少し北の砥峰のピークを踏みに行く。
25 分ほどで山頂(972.1m)に到着。訪れる人は少ない感じ。
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何とか持ちこたえていた天気も自然交流館に下りてくると同時に雨になった。
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山そのものは砥峰を除いてはハイキング程度だったけれど、とにかく現地までの往復に疲れました。

雪野山

月曜日(9/4)は久しぶりの随行で湖東の雪野山へ行ってきた。
朝はわりと涼しめで、今日は楽かもと思ったのだけれど・・・。

近江八幡からバスで東に向かって、川守という停留所で下車した。
正面に雪野山(または龍王山)を眺めながら、しばらく車道を歩く。
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天神社(何て読むの?)。
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ちょっと寄り道して野寺城趾。
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標高が低い山並みのわりには眺望はなかなかいい。三上山が見える。
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大岩(?)からは7月に登った飯道山が望める。
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雪野山山頂には古墳がある。とは言っても調査後は埋め戻されている。
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山頂(308.8m)で昼食。
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涼しかったのは朝だけで、もうかなり暑い。
峠に下ってからまた展望東屋へ向かう。
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東屋の展望は木々に遮られていまひとつで、石段を下ってまた別の天神社。ここの見所は七層石塔。詳細は不明だけれど、鎌倉時代のものらしい。
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車道に出て登山道はこれでおしまい。
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しばらく車道を歩いて倉橋部のバス停に向かう。暑い。振り返ると雪野山
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1時間に1本のバスを待って、近江八幡に戻った。
ハイキングコースとして道標はしっかり整備されているけれど、実際に歩いている人はあまり多くない感じだった。そのせいか、平野部のちょっとした丘程度の山にも関わらず、わりと山歩きをしたという印象の残るコースだった。