新宮

9/29(金)は新宮市をめぐる。

ホテルの朝食サービスをいただいてからまずは神倉神社に向かう。山腹の本殿が見える。

入り口がよくわからなくてずいぶんウロウロしたが、ようやくゴトビキ岩への登り口に到着。

熊野三山が祀られる以前に熊野大神が降臨された場所で、優に千年以上の歴史がある神社。

五百段以上の石段を登る。部分的にはかなり急で、ザックを背負っているのでちょっと手でささえて登るような場所もあった。

いつ頃この石段が整備されたのかわからないが、この石を運ぶのは大変だっただろうと思う。

下から10分近くかかってようやく本殿が見えてきた。

巨大なゴトビキ岩。

巨大な二つの岩と、その間に挟まれるように小ぶりの岩がある。

ゴトビキ岩は堪能したので石段を下る。

実はここから熊野速玉大社に向けてちょっとした山並みが続いている。地形図では最高峰の千穂ヶ峰への道はあるものの、ずっとつながっているような道は記載されていない。

石段を下りずに山道で速玉大社に行けないだろうかと思っていたのだが、石段を少し下ったところで山の斜面に看板が見えた。

適当にヤブを這い上がったところ、やはりハイキング道の案内板だった。

道は杉の枯れ枝で覆われており、ほんの踏み跡程度だが、一応はトレースを辿れそう。時間もあるのでここを辿ってみることにした。

道標は立派なものが設置されている。

10分少々、ちょっとした沢筋を上がると稜線に出た。せっかく昨日着替えたTシャツがもう汗びっしょり。

数分で権現山へ。

展望台がある。水を持ってきておいてよかった。

展望台から新宮市街と太平洋。

北には千穂ヶ峰。

ここからの稜線は西側が熊野川に向かって切れ落ちている。

転落防止の柵が設置されている。

権現山から数分で千穂ヶ峰(253.4m)に到着した。

三角点もあります。

25分ほどの下りで三本杉登山口に下りてきた。

このあたりには千穂ヶ峰への案内板のようなものは見当たらなかったので、こちらから登る時は登山口を見つけるのが難しそう。

そして熊野速玉大社へ。

ずいぶん汗をかいたのでまずは自動販売機でジュースを買って建物の陰で休憩して、それから本殿にお参りした。

これで熊野三山のすべてにお参りした。熊野本宮大社や熊野那智大社に比べると少々小ぶりの神社だった。

川の熊野古道の権現河原というのがあるそうなので熊野川の河原に出てみたが、特に何も見当たらなかった。

時間潰しに新宮城跡へ。

本丸。

先ほど歩いてきた山並み。右から千穂ヶ峰、権現山、神倉山。残念ながら神倉山には寄らなかった。行っておけばよかった。

わりと大きな公園だが、観光客は一人もいなかった。

新宮駅にゴール。

駅のそばの寿司屋でランチをいただいてから大きなスーパーのイートインのコーナーでソフトクリームを食べた。

帰りは特急で天王寺へ。海岸線の眺めが素晴らしいのだが、ビールのおかげでいつの間にやらうとうとしていた。

もう少し涼しければ奥駈道もきっと気持ち良かったと思うのだが、それにしても暑かった。今日の千穂ヶ峰の稜線は予想外に楽しかったが、とにかく暑い三日間だった。

明日香村

9/23(土)は久しぶりに明日香村を歩いてきた。

一時期、このあたりを頻繁に訪れたが、しばらくご無沙汰している。祝日なので混雑しているだろうとは思ったけれど、残暑が厳しくて近場の山へ行く気にならないので、軽い散歩気分で出かけた。

10時半に橿原神宮前駅を出発した。

10分ほど歩いて石川池へ。地図では石川池と表記されているが、現地の標識は劔池となっている。正面の丘は孝元天皇陵。

こんなに暑くてもやはり秋はやってきている。

細い道を適当に歩いて向原寺へ。

このあたりは推古天皇ゆかりの場所。

そばには難波池。

こんないわれがあります。

そして甘樫坐神社。

甘樫丘に向かって適当に歩いていたら道が消滅してきた。

強引に進んだらほどなく公園の舗装路に出て、無事、甘樫丘(147.7m)にたどりついた。

丘から明日香村方面。背景は御破裂山。

畝傍山と後ろに二上山。

北には耳成山。

下に下りて、埋蔵文化財展示室へ。ここはタダだが展示物が充実している。エアコンがなくて扇風機が回っていた。

明日香村は田圃が広がっています。

入鹿の首塚。

飛鳥寺は以前に一度入ったので今日は入らず。

12時も過ぎてちょっと休憩したい気分なので、万葉文化館へ。

立派な建物だがここもタダ。人形を使ったちょっとした出し物などを見て、1時間ほどのんびりした。

そろそろ昼食にしたいところだが、値段が高かったり、適当なメニューはすでに売り切れだったりで、以前に一度食べたことのある石舞台古墳の方に向かうことにした。

1時半になってようやく昼食にありつけた。ライスが古代米で、地野菜が使われたプレートランチをいただいた。

石舞台古墳も何度も見ているのでパスして、最後の目的地の檜隈大内陵(天武、持統天皇陵)に向かう。

聖徳太子ゆかりの橘寺。

明日香村の役場は初めて見た。何という立派な建物!!

大きな駐車スペースがあって、休日でも開放されているもよう。

檜隈大内陵が見えてきた。

正面までは行かずにこの道を行く。

宮内庁の治定している天皇陵にはその正当性に疑義が持たれているものが少なくないが、ここに関してはまず間違いないと言われている。昔に一度盗掘されていて、その時の記録が日本書紀の記述とほぼ一致しているらしい。

あとは住宅街を通って橿原神宮前駅に向かう。飛鳥駅や岡寺駅の方が近いが、吉野線は本数が少ない。

石川池の南側に出た。朝と反対側。孝元天皇陵はこちら側が玄関口。

橿原神宮前駅に戻って、無事帰宅した。

浦河、義経神社、二風谷、そして敦賀へ

7/31(月)はいよいよ最終日。夜のフェリーで敦賀に向かう。

二風谷のコタンだけは当初から予定していたが、それだけでは時間が余ってしまうので、観光案内を見て浦河でいくつか名所を巡っていくことにした。

まずはルピナスの丘へ。情報では急な坂を登ると書いてあったが、上まで車で行けてしまった。

海が見下ろせる花壇になっているのだが、花の名前の表記がまったく無い。

こんなに暑いのにコスモスが咲いている。

次は先日、風呂に立ち寄ったレジャー施設のそばにある紅白ナナカマド。

少し走ってオロマップ展望台へ。

足元に広がっている牧場は牛ではなくて馬。日高はサラブレッドなど競走馬の産地で有名。

ぐるっと回ってオバケ桜へ。

先ほどのオロマップ展望台からも見えるようだが、花が咲いていないのでどれかわからなかった。

またしばらく走って浦河ダム展望台へ。

ダム湖のうらら湖は気が茂っていて見えず。

いよいよ今日のメインイベントの義経神社に向かう。

昨年、二風谷コタンに行ったときに「義経神社」という標識を見かけたのだが、その時は義経伝説とアイヌの関係をまったく知らなかったので、あれっと思っただけで通り過ぎてしまった。

歴史上は義経は平泉で自刀したことになっているが、実は生き延びて北上したという伝承が残っている。正史では否定されているが、その伝承を伝える場所がいくつかあって、津軽には義経(ぎけい)寺という寺があって、昨秋に津軽を訪れた時に立ち寄った。

平取(びらとり)の義経(よしつね)神社は江戸末期に幕吏の近藤重蔵翁が贈った御神像を祭るために創建された神社で、イザベラ・バードが二風谷のコタンを訪れた際にもコタンの有力者に案内されてここを訪れている。

建物は立派で、非常に良く管理されている模様。

本殿。

中に入ると、

お守りなどが置かれていて、PayPayで支払えるようになっていたので一つ買ってきた。

資料館は残念ながら休館日だった。

平取で昼食を食べてから二風谷のコタンに行った。昨年に続いて二回目。

平取で昼食を食べた時、二風谷でアイヌ料理を食べればよかったとちょっと後悔したのだが、来てみたらアイヌ料理の店は閉まっていた。

チセ(家のこと)が建っているなかを歩いて奥に向かう。

アイヌ文化資料館に入る。

ウポポイにも二回行ったし、ここも二回目なので正直、もうあまり新鮮味は無い。

昨年は気がつかなかった奥の方の展示スペースを回ってからビデオ映像を鑑賞して時間をつぶした。

そこそこの時間になってきたので土産物店の人に紹介された鵡川(むかわ)の道の駅へ。ちょうど二風谷を出た直後から豪雨になったのだが、運良く道の駅に着いた時にはほとんど上がっていた。

温泉があるのだが夜は定番のなごみの湯に行くつもりなので売店などでひまつぶし。

その後、なごみの湯でのんびりした。

ここは料金は高めなのだが(950円)風呂が大きく、露天や水風呂もあり、中のレストランが割安でしっかりした夕食がとれる。

ゆったりしたソファのある休憩室でフリー WiFi を使って遅い時間までのんびり過ごせるので、苫小牧からフェリーで出る時はここで過ごすのが定番になっている。

最後にマックスバリュでビールや朝食のパンなどを買って、フェリーターミナルに向かった。

ターミナルに到着したところ、見たこともないような高校生の大集団。ゆうに100人は超えている。これがみんな同じ船に乗るの?

実は札幌でインターハイが開催されていたのだった。

いつも以上にロビーは混雑していたし、レストランも生徒のための余分の時間なども営業してくれたおかげで恐れたほどの混雑ではなかったが、やはり今までに経験したことのない混雑ぶりだった。

風呂はあと数分タイミングがずれていたら大混雑に巻き込まれるところだったが、運良く入れ違いでやり過ごすことができた。

家に帰り着いたのは8/1(火)の夜遅くだった。

然別湖、十勝牧場展望台、幸福駅

昨日は標高差はそれほどではなかったがわりと長く歩いたので(20km少々)、意外と疲れが残った。今日(7/29)も天気は良さそうだけれどまともな山行きはちょっと厳しいと思ったので、今後の予定を考えた。

大雪のエリアは明日以降は天気が崩れそうで、南の方がまだ良さそうだったので、最後の山としてアポイ岳に向かうことにした。

アポイ岳の登山口は昨年訪れているのだが、ここからはかなりの距離がある(200km以上)。途中で観光しながら一日がかりでのんびり移動しようと思う。

まずはニペソツの登山口へ行くときに横を通り過ぎた然別湖へ。

ここは北海道ではもっとも標高の高いところにある自然湖。

早朝にもかかわらず(朝7時半くらい)中国人の団体観光客(台湾かも?)が来ていた。

近くに白雲山という山があって、わりと簡単に登れそうなので、登山口に行ってみた。

好天の土曜日のせいかすでに駐車スペースはほぼ満杯状態で、あとからもどんどん車が入ってきてハイカーであふれてきた。マイクロバスで来た団体客も。

この人混みに圧倒されて登る気力を無くした。

ネットで適当な場所を探して、次は十勝牧場展望台に向かった。

のどかな風景だがそれにしても暑い。

正面には十勝の山々が望める。地図を見てみたがどこがどの山だかわからず。

反対側は日高の山々が望めて、まさしく展望台だった。

北海道は猛暑で、特に十勝地方は熱中症警戒アラートが発令されているとラジオで伝えている。まさにそのど真ん中を走っていく。

「幸福駅」というのは昔から知っていたけれど、それが帯広にあるということはまったく知らなかった。地図を見たらちょうど通り道のようなところにあるので、立ち寄っていくことにした。

駅の手前にある幸福寺。

異様にきれいで立派な寺だった。

そして幸福交通公園へ。

人混みを恐れたがそれほどではなかった。

しばらく走って道の駅で昼食をとった。

それにしても暑い。車の温度計は 36 度を表示している。日高の方は多少はマシだろうか。

温泉は日高のレジャー施設にある風呂へ行った。

あんまり温泉ぽくないなと感じたが、あとで調べた限りでは温泉とは書いていなかった。

アポイ岳登山口の駐車スペースは車中泊禁止と書かれていて、そばのキャンプ場の駐車場を利用するようにとのことだったので、それに従ってキャンプ場の駐車場に車を停めた。

ここも海から近くて標高が低いので熱帯夜を恐れたが、先日の根室の手前ほどひどくはなかった。

納沙布岬、釧路湿原

7/28(金)も天気は良さそう。寝たのか寝ていないのかわからないような状態で車の外に出ると海に朝陽が昇っていた。

まずは風蓮湖に向かう。以前にドキュメント番組でここのオオハクチョウを見て、一度行ってみたいと思っていた。もちろん、今の季節はハクチョウはいないけど。

風蓮湖のパノラマ。

R244に戻ってしばらく走って「道の駅スワン44ねむろ」に入る。あまり寝ていないせいですぐに眠くなる。

実はここも風蓮湖のすぐそば。

さっきは「別海十景」だったけれどここは「根室十景」。

朝の5時に道の駅を出て、風蓮湖に立ち寄って、途中でちょっと居眠りして、8時に日本最東端の納沙布岬に到着した。

説明板によるとこの灯台は今も点灯しているらしい。

灯台の先から岬の先端を望む。この先は立ち入り禁止になっていた。

ここからのパノラマ。

ここから少し戻ったところに北方領土関連の施設や土産物店などがある。

遠方にうっすらと見えているのは歯舞群島の島。

北方館は時間が早くてまだ開いていなかった。

納沙布岬で一番見たかったのはこれ。

1789年の「クナシリ・メナシの戦い」で71人の和人がアイヌに殺されたことに対する墓碑なのだが、説明板にある通り「和人が殺害された原因はアイヌ民族への非道行為が原因であり、石碑の内容と史実は異なる」。

次は「ヲンネモトチャシ跡」へ。

「チャシ」はアイヌ語で「柵囲い」を意味し、砦、祭祀の場、見張り場など多目的な用途で使われていたとされている。根室にはいくつかのチャシ跡が残っている。

少し離れた場所から見ないと造りはよくわからない。

他にもチャシ跡があったけれどそれらは割愛して、北方原生花園に立ち寄る。

盛夏なので花は少ない。ハマナス?

エゾフウロ。

トリカブト。

このあとは昨年どしゃぶりの雨だった釧路湿原に向かった。

12時半頃に到着してまずはレストランでキーマカレーで腹ごしらえ。

展望台に上がってぐるっと見渡してから散策路に向かった。

昨年、ほとんど何も見えなかったサテライト展望台は今年はいい眺めだった。

パノラマ。

一周回って戻ってきたらシカがいた。

さて、明日も天気が良さそうなのでまた大雪に戻って白雲岳へ向かおうと思う。

また途中で居眠りしながら2時間くらい走って、上士幌の道の駅で温泉に入った。

何度か立ち寄ったセブンイレブンで買い出しをして、6時頃に登山口の銀泉台に到着した。

誰もおらず、スマホは圏外。

廃線めぐり、のち知床へ

7/24(月)は休養日の予定だったので、上士幌の道の駅を出てからまずは廃線めぐりをすることにした。

帯広を出発駅にして R273 と同じような経路で十勝三股まで、1978年まで士幌(しほろ)線という路線があった。

糠平湖のあたりにこの路線の廃線跡がいくつ残っていて、今はそれらを訪ねる観光ツアーも人気になっている。先日、寄り道した「タウシュベツ川橋梁」もその一つ。

今日はそれらを南から辿って北上してみる。

まずは「第三音更川橋梁跡」。各廃線跡には案内板とともに駐車スペースが設定されている。

駐車スペースから少し入ると昔の線路跡。

踏み跡を辿って少し下ると橋梁が見える。上の赤い橋は今の国道。

その後、糠平温泉にある「ひがし大雪自然館」へ。

入場無料だが展示内容は充実していた。昆虫の標本などもたくさんあったし、一泊二日のニペソツ登山の案内ビデオも楽しめた。

近くに士幌線関連の資料などが展示されている「鉄道博物館」があるのだが、残念ながら休館日だった。

廃線の一部を利用してトロッコ列車が運行されているもよう。

お次は「三の沢橋梁」。

線路跡は今は散策路になっている。

踏み跡を辿って沢筋まで下ると、

そしてお次は「五の沢橋梁」。

ここでも踏み跡を下って、

このあたりの橋梁が建設されたのはいずれも私と生まれ年と同じ。ということは私自身もこれくらい劣化しているということ。

そして「タウシュベツ川橋梁」を再訪。

実は上士幌駅以北のこのあたりの路線は音更(おとさら)線と呼ばれていた。

タウシュベツ橋梁は1955年の糠平ダムの完成で線路が敷き替えられる前に使われていたもので、ずっと古い。

次は幌加除雪ステーションの駐車スペースに車を停める。

案内板に従ってまずは「第五音更川橋梁」へ。

少し歩いて「幌加駅」へ。

ちょうどツアーのグループとかちあわせしてしまった。

さて、予定では大雪エリアでまだ行きたいところがあったのだが、しばらく天候が不安定のよう。知床のあたりの方が安定しそうなので、知床に向かうことにする。

コンビニも何も無い車道を延々と走る。天気予報通り、一時どしゃぶりの雨になった。そろそろ昼食をとりたいところなのだがそんな店は見当たらない。たまにすでに廃業している店舗跡が出てくるくらい。

2時間くらい走り続けただろうか、突然温泉の案内板が目に入った。食事処もあるようなのでそちらに行ってみた。

小綺麗な施設で、まだ昼過ぎなので温泉には入らなかったがシンプルなラーメンでほっこりした。

さらに走り続けて、斜里町で道の駅の案内板があったので、昨年行った道の駅と思って行ってみた。

ここは温泉があったのでここで温泉に入っておこうと思って立ち寄ったのだが、たどり着いた道の駅は昨年とは違うところだった。温泉は無く、そのままウトロに向かった。

オシンコシンの滝をチラッと眺めながらウトロの街に着いた。

まずは温泉へということでネットでいろいろ調べたが、道路が工事中で入れなかったりして、なかなかいいところが見つからない。

道路工事の看板を見て迂回路を辿って、丘の上の温泉にたどり着いた。

思いがけずいい温泉でした。

そしてコンビニで食料を買い込んでウトロの道の駅に入った。

苫小牧へ

ここ3年、この時期は続けて北海道へ行っている。

北海道の山でどうしても登っておきたいと思っていたのが利尻山とニペソツ山で、利尻山は2年前に登頂を果たすことができたが、行程の都合でニペソツへは近づくことすらできず、昨年は行程と天候がうまく合わず、終盤にもう一度戻ってこようと思っていたら脚を痛めて登れなくなってしまった。

数日前の天気予報では北海道地方の天候はあまり芳しくなかったが、出発が近づくにつれて好天模様になってきた。

7/19(水)の夜のフェリーで敦賀から出港する。

2年前に初めてフェリーで北海道へ行った時はコロナが猛威を奮っていた頃で、船内ではもちろんマスク着用。時間潰しのイベントもまったく開催されていなかったが、今回は初めて船上ミニコンサートというのが行われた。

若い女性アーティストのアコーディコン演奏で、童謡などポピュラーな歌が 30 分ほど演奏されたが、演奏だけで歌は無し。中山うりの歌でも歌ってくれればおもしろかったのだけれど。

このルートでは津軽海峡を通る時に何とも言えない気分になる。すでに出港から十数時間経っていて、遠くへ来たという実感が感じられからである。飛行機だとこうはいかない。

特に津軽半島は昨秋に訪れたこともあって、その時の光景がありありと浮かんできた。

あれはおそらく小泊のあたり。

そして竜飛崎。

あのハゲたところは下北半島の仏ヶ浦のあたりだろうか。

そして大間崎。

予定通り夜の8時半に苫小牧に到着して、いつもと同じくマックスバリュで夜のビールと翌日の食料を買い出しして、ウトナイ湖の道の駅へ向かった。ここはいつも車中泊の車で混雑している。

*これは翌朝に撮ったもの

甲府から帰宅

6/24(土)はもう家に帰るだけ。身延線で静岡に出て、あとは新幹線で切符を買っている。

甲府駅のホームからは甲府城が見える。

ホームに電車がやってきた。特急の指定席を買っている。

席に座っていたら後からやってきた男性が席の確認をしてきた。何と同じ席の切符が発行されている。

その男性が車掌に問い合わせて、別の席に座られることになった。こんなこともあるのかとちょっとびっくりした。

ひょっとしたら富士山が眺められるかもと思って富士山側の席をとったが、残念ながらちらりとも見えなかった。地形的に晴れていても見えなかったのかも知れない。今回は富士山は一度も眺めることができなかった。

そして静岡駅で新幹線に乗り換え。

自動改札機に切符を入れたところ、有効期限が切れているという表示で止められてしまった。えっと思って特急券を見てみたら何と昨日の日付になっている。

昨日の朝に甲府駅のみどりの窓口で特急券だけ購入したのだが、窓口の人が間違って昨日の切符を発行したようだった。今朝、甲府駅に入る時は改札機に乗車券だけを入れるようにという表記があったので、特急券は手に持ったまま入った。

今朝、同じ席の切符が発行されていたのはこれが原因だったのだ。

駅員に伝えたら甲府駅に問い合わせて、私が購入したときに記入した用紙は間違いなく今日の日付になっていたことを確認して、今日の特急券を再発行してくれて事なきを得た。

やれやれということで缶ビールを買って新幹線に乗り込んだ。

御坂峠、天上山、甲府

6/23(金)はいよいよ太宰治ゆかりの地探訪の実質最終日。

まずはレンタカーで御坂峠に向かう。

できれば公共交通機関を利用したかったのだが、御坂峠へのバスは河口湖から1日1便のみ。しかもその運行時刻は信じられないもので、午前中に河口湖を出て御坂峠の天下茶屋まで行って、即刻折り返すというもの。つまりバスで来たら御坂峠で時間を使うことができないし、滞在したらその日には帰ることができない。しかも天下茶屋は宿泊はできない。富士急はいったいどう考えているのだろうか。

河口湖へ向かう R137 の途中から旧道に入る。この道は太宰が天下茶屋に滞在した頃には甲府からバスが走っていて、老婆と乗り合わせた時のことが「富嶽百景」で述べられている。

甲府から1時間ほどで御坂峠へ着いた。

10時前で、まだ天下茶屋は開いていなかった。

本当の御坂峠へ向かう山道を少し登ると太宰の碑が見つかった。

「富士には

月見草が

よく似合ふ」

残念ながら富士山はまったく見えず。

お次は 30 分足らずで河口湖へ。河口湖は 2016 年の UTMF 以来。ただしその時、滞在した場所からは少し離れているけれど。

天上山にある太宰の碑を見ることが目的で、時間によってはロープウェイで上がってもいいと思っていたのだが、とんでもない混雑ぶり。

大半が中国人の観光客の模様。レンタカーが最短でも6時間だったので時間があるので歩いて登ることにする。

細い登り坂があったのでチラッと見てみたらハイキングコースの案内板があった。

少し登ると眼下に河口湖。あの橋は 35 年くらい前に河口湖のマラソン大会で走って渡ったことを覚えている。

道はしっかり整備されている。

麓から 20 分くらい登ったところで前方に何やら気になるものが目に入って、まさかと思ったら目的の太宰の碑だった。

「惚れたが

  悪いか」

太宰の作品の中で私がもっとも好きなのは「お伽草子」で、中でも「カチカチ山」がお気に入りだ。その最後の方の出てくる有名なセリフ。人気のある「人間失格」や「斜陽」、「走れメロス」などはあまり好きではない。

それにしてもこの碑は天上山の公園にあるものとばかり思っていたのだが、もし歩いて登らなかったら出会うことができなかったし、麓とロープウェイの山上駅の中間くらいの場所にあるので上から下るにしてもそこそこ歩かなければならない。おまけに案内板のようなものはまったく見かけなかった。

今回の旅の目的で大きなものの二つだった御坂峠の碑と天上山の碑が見られて、安堵感と満足感にひたりながら登り続けた。

20分足らずでロープウェイの山上駅が見えた。

公園にはこんな看板が。

このあたりは大変な混雑で、観光客のほとんどは中国人のよう。

やぐらは閉鎖されていた。

公園から数分で天上山の山頂(1139.9m)に着いた。標高 1000m を超える山だが登山口が 800m くらいはあるので登りは大したことはない。

展望は無いので早々に下山する。

レンタカーの利用時間を1時間以上残して、午後1時半頃に甲府に戻ってきた。途中で「天下茶屋営業中」という看板が目に入った。

駅のそばのモスバーガーでハンバーガーを食べて、甲府市内を巡る後半戦へ。

まずは太宰治僑居(きょうきょ)跡へ。

字の読み方がわからなくてあとからスマホで調べた。

ここで過ごしたのは8ヶ月間くらいとのこと。

結婚するまでのあいだ下宿していた寿館という家のそばにある清運寺。

太宰のパネルが置かれていた。ちょっと不気味。

なぜか加藤清正を祀った清正公堂がある。

寿館はこのあたりと思われるが、昔の建物は戦災で焼けてしまっている。

よく通ったという銭湯の喜久之湯。

このあたりをよく散歩したという御崎神社。

どう見てもお寺にしか見えないのだがやっぱり神社なのです。

最後に湯村温泉へ。

20分くらい歩いてようやく湯村温泉へ。兵庫県の湯村温泉とは関係ありません。

そして太宰がよく行った「明治」に到着。

少し戻ったところにある資料室は閉まっていた。

駅まで帰るのに 30 分くらいかかった。

これで今回の旅は完了した。明日は帰るのみである。

吉祥寺、三鷹

私は学生時代、吉祥寺で三年間過ごした。しかしその後 40 年くらい訪れたことがなかった。卒業後も出張などで東京へは何度も行ったが、吉祥寺は都心から西に少し離れているので、足を延ばす機会がなかった。

今日の目的地は三鷹だが吉祥寺はたった一駅手前なので、この機会に懐かしの街を訪ねてみることにした。

6/22(木)は新宿のカプセルホテルを出て吉祥寺へ。JRの新宿駅はすっかり様変わりしていて、どういう構造になっているのかさっぱりわからなかった。

ここも駅の構造はすっかり変わってしまっていたが、駅前のアーケード街のサンロードはそのままの名称で残っていた。、

学生時代の通学では住宅街を歩いていたが、そちらに行くと曲がる場所がわからなくなってしまうので、バス通りの五日市街道に出ることにした。

五日市街道に出る手前にあったスーパーの西友がまだ残っていたのはちょっとびっくりした。

五日市街道を西に向かう。

住んでいたアパートは細い道を少し右に入ったところにある。曲がり角にあったセブンイレブンがローソンに変わっていたが、曲がる場所はすぐにわかった。

住んでいた頃は大家さんの大きな家が道路に面していて、アパートはその裏側に建てられていたのだが、今は道路に面したところに小さなマンションのようなものが建っていて、裏は民家になっていた。

アパートの裏側に銭湯があったのだが、さすがにその銭湯は無くなっていた。

駅に戻るのは住宅街を歩いた。15分ほど歩いて駅に戻ったのだが、その頃、週に3回くらいは通ったジャズ喫茶がどうなっているか行ってみようと思った。

この店は歓楽街の細い道のどこかにあって、もはや場所の記憶は無い。それに残っているかどうかもわからない。

ヨドバシカメラがあって、その裏のあたりの細い道を歩いていたら、何と発見!! 「MEG」が残っていました。

しかし昔のようにジャズを前面に出したような表記は無く、ジャズ喫茶というのはもはや絶滅危惧種になっているらしい。

満足して三鷹へ向かった。

まずは線路沿いに西に向かって跨線橋へ。残っているのかどうか心配だったがまだありました。

階段のそばに朽ちた案内板。

三鷹は太宰の作家生活で一番長く過ごした地で、ゆかりの場所もたくさんあって、おそらく観光資源として利用しているのであろうが、随所にこういう案内板が設置されている。

散策ルートのパンフレットに従って、「中鉢家跡」、「うなぎ若松屋跡」、「田辺肉店離れ跡」を通って「野川家跡」へ。

ここは二階に山崎富栄さんが下宿していた場所で、晩年の太宰はそこを仕事場所にしていた。入水の時もこの部屋に遺書などを置いてここから玉川上水に向かった。

そしてすぐ近くには「千草跡」。

ここの二階も一時期、仕事場所にしていた。

そして玉川上水沿いの「風の散歩道」に出る。

上水側はこのように木が茂っているのだが、一カ所だけ流れが見える場所があった。

今はこの程度の流れだが、その当時は人食い川と言われるほど水量が多かったらしい。

しばらく行くと上水と反対側の道路のそばに銘板。

もう少し進むとようやく「玉鹿石(ぎょっかせき)」が見つかった。

このあたりに二人で川に入った痕跡が残っていたらしい。

さて、上水沿いの道から分かれて「みたか井心(せいしん)亭」へ。

ここは三鷹市が所有する文化施設だが、ここの庭には太宰の家にあった百日紅の木が移植されている。

家はこの向いあたりにあったそうだが、案内板などは見つからず。

今度は井の頭公園のそばを通ってまた玉川上水の新橋へ。

昭和23年6月14日に太宰の行方不明が報じられて、6月19日にこの新橋の下で紐に結ばれた二人の遺体が発見された。

井の頭公園の方に戻って公園のベンチで一休みしてからまずは太宰家が通った銭湯の「連雀湯跡」の前を通って禅林寺へ。

案内板に従って墓地に入ったらすぐに見つかった。

19日が桜桃忌だったせいだろう、立派なお花がたくさん供えられていた。私は手ぶらでした。

ちょうど向かいには森鴎外のお墓がある。

散策マップに従って駅の方に戻る。

桜井浜江さんの記念ギャラリーの前を通って、朝に通った時はまだ開館前だった「太宰治文学サロン」へ。

小さなスペースに太宰関連の書物がたくさん置かれていた。椅子と小さなテーブルがいくつか用意されていて、そこでじっくり読むこともできる。飲み物も売っている。入場無料。

何冊かの本を手に取ってパラパラとめくってみて、クリアファイルとコースターを買って出た。

ちょうど昼時で、ずっと歩き回って疲れてきたので、近くのファミレスで昼食にした。旅行クーポンが使えた。

それから駅前のビルに入っている三鷹市美術ギャラリーへ。ちょうど今、太宰関連の展示をやっている。

太宰が住んでいた家の間取りが再現されていた。6畳、4畳半、3畳という小さな借家で、作家という職業にもかかわらず蔵書などはほとんど無かったらしい。

愛用したマントもかけられていた。たぶん本物ではないと思う。

ここも入場は無料だったが「太宰治 三鷹とともに」という、5年前の太宰没後 70 年の記念行事の時に発行された冊子を 1000 円で購入した。なかなか充実した内容だった。

旅行クーポンがまだ 1000 円ほど残っていて、これは東京でしか使えないので、駅のそばのカフェでコーヒーにケーキとしゃれこんだ。

東京の訪問予定地はすべて訪れたので、このあとは中央線で甲府へ向かう。特急で急いで行っても中途半端に時間が余るだけなので普通列車で行った。

甲府に着いたのは4時半くらい。今日は天気予報では雨模様とのことだったが三鷹では幸い、時々パラパラときたくらいで傘はささずにすんだが、甲府は本降りになっていた。

明日は河口湖方面にレンタカーで行く予定なのでレンタカーを予約しておいた。

駅のそばに大きな武田信玄像。

そして駅の反対側のビジネスホテルにチェックイン。

今度は山梨県の旅行クーポンがもらえたので、夕食はクーポンの使える「ほうとう」の店に入った。

ほうとうは別府大分毎日マラソンで別府へ行った時に「ほうちょうだんご汁」というのを食べたのが印象に残っているのだが、一昨年の秋に行った時には昔の店は無くなっていた。

この店のほうとうも具だくさんのボリュームたっぷりで、昼食のラーメン、餃子とケーキがまだ胃袋に残っている状態だったので最後は意地で完食した。