3連休

3連休くらいなら年間に何度もあるような気がするけれど、3日間好天続きという予報で迎えられるチャンスはそうそうは無いだろう。
4/28 から 4/30 までの3連休は、天気が良さそうだったらぜひ3日間の行程でどこかの山へ行こうと思っていたけれど、まさかこんな好天予報になるとは思わず、直前になってあわてて行き先を考えた。
せっかくなので雪山に行きたいと思ったけれど、それほど重厚な登山を目指すつもりは無い。何せ本格的な雪山を歩ける靴が無い。できれば急斜面のあまり無い広々とした山域を、まったりと散策してみたいと思った。例えてみればスノーシューハイク向きの山域のようなものだろうか。
ところがそんな都合のいい山域は近場では皆無で、まともに雪が残っている場所を求めるとどうしてもアルプス方面になってしまう。東北や北海道に行けばいくらでもありそうだけれど、いくら何でもそこまでは行けない。
立山は自然条件は絶好なのだけれど、ゴールデンウィークのアルペンルートなんてとても近づく気にならない。
白馬方面まで行けば八方尾根や栂池あたりでそれに近いことが楽しめそうな気もするけれど、いささか遠い。一昔前なら平気だったけれど、もう片道 400km の運転はしんどい。
そんなわけで、そういう山域を選ぶのは諦めて、ルート的には普通の登山ルートを余裕を持った日程で歩いてみようと考えた。
まったく様子を知らない場所というのは不安なので、白山方面を考えた。昨年、白山四峰を登ったので、三ノ峰を含めて白山五峰を3日かけて歩いてみようと思った。
金曜日(4/27)の夜に出る予定で、ふと思って朝に道路状況を調べたところ、何と市ノ瀬までの林道がまだ開いていない!!。帰ってから調べたら 28 日に冬期閉鎖解除された模様。
夜に出発したいので、あわてて次なる行き先を考えた。そして思いついたのはこれも昨年歩いた飛越新道。10 年以上前のちょうどこの時期に山スキー目的で行ったのだけれど、雪が少なくて、薬師岳を歩きで往復しただけで帰ってきたルート。これを再訪してみようと考えた。
出発する前にナビでルートを検索したところ、どういう訳か昨年走りやすかったルートが出てこずに、あの狭いクネクネ道しか出てこない。何か理由があるのだろうか。走りやすかったルートはナビに従って走ったので、はっきりした記憶が無い。
どうも意欲が減退気味で、それでも予定通り出発した。しかし走っているうちに昨年運転で疲れたことが頭に大きくのしかかってきて、またあんな道を深夜に走りたくないという気持ちが強くなった。
そこでふと思いついたのが乗鞍岳。平湯からスカイラインを歩いて山頂直下の適当な所まで行って、その後、山頂を目指すというルートが頭に浮かんだ。地図を持ってきていないけれどスカイラインは迷うことなどあり得ないし、gps にはちょっとした地図が入っている。それにスマホには地形図を見られるアプリを入れている。おそらく乗鞍なら携帯の電波は入るだろうと思った。
深夜の1時半頃、平湯のキャンプ場の駐車場に入った。ここはかつて山スキーで四ッ岳へ行く時に何度も利用させてもらった駐車場なのだけれど、どうもすでにキャップ場は営業している様子。勝手に停めておいて大丈夫だろうか?
着いた時は停まっている車は数台程度だったけれど、夜中のうちにどんどん増えて、朝にはほぼ満杯になっていた。

半国高山

私と同年代で若い頃に京都の北山に足を運んだ人達は、おそらくそのほとんどが「京都周辺の山々」(金久昌業著)を参考にしたことと思う。
その金久昌業(かねひさまさなり)さんが昭和 50 年代前半に書かれた著書で「北山の峠(上中下)」という3冊の本がある。
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もう何十年も前に絶版になっていて今では入手困難で、ちなみにアマゾンでは古本が1冊2万円くらいで出品されている。
私は中学、高校では北山へは何度も足を運んだものの、二十歳を過ぎてからは登山の対象として興味を持つ山域では無くなっていた。30 台の頃は金毘羅の岩場へは何度も行ったけれど、山歩きの対象としてまた行くようになったのはここ数年のことだ。
そんなわけで私がこの本のことを知ったのはごく最近で、興味は持ったもののさすがに万単位のお金を払ってまで手に入れたいとは思わなかった。しかし図書館にあるということがわかって、借りて読んでみた。
わずか2週間の貸出期間で読み終えられるような軽い内容ではなく、ガイドブックという範疇をはるかに凌駕する峠の文化論だった。
何とか手元に置いてゆっくり読んでみたいと思ったけれど、ネットの中古書店でもなかなか見つからない。
そんな時、オークションで3冊 6,000 円で出品されているのを見つけた。販売時の定価は 1,900 円で若干の上乗せはあるけれど、アマゾンに比べれば極めて良心的な値段である。
入札が競合して値段が’上がっていくのを恐れたけれど、何と競合無しで 6,000 円プラス送料 510 円で落札することができた。
品質は極めて良好で、外側は若干の劣化があるのもの、中身はほとんど読まれた形跡が見あたらないくらいきれいなものだった。
京都市内から見える北山エリアから始まって、若狭湾に出るまでの約 100 の峠が取り上げられて、ルートガイドと共にそれぞれの峠の歴史が綴られている。
もはやガイドブックとしての価値はほとんど無いと思われるけれど、これらの峠たちが今どのようになっているのか、ぜひこの目で見てみたいという気持ちにかられた。
まずはその第1回として周山あたりの峠をいくつかつないで、それから懐かしの桟敷ヶ岳まで足を延ばそうと思った。

4/22 の日曜日、京都駅から周山行きのバスに乗って、杉坂口で下車した。下車したのはもちろん私一人。
橋を渡って車道の脇で準備を整えて、出発したのはすでに9時5分だった。gps のルートでは 27km くらいだったので、そんなにあわてなくても大丈夫だろうと思っていた。
すぐに未舗装の林道に入って、緩い登りをスロージョグで進む。
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そして最初の目標の供御飯峠(くぐいとうげ、くごいとうげ)に向かう。この分岐に車が1台停まっていた。
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次第に傾斜が急になってきて、足元も次第に荒れてきた。ほとんど歩かれていない感じ。
ところが、上から女性の声が聞こえてきた。結構な歳のお二人で、山仕事に来られているのだろうか。あの車はこの人達のものだったのか?
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「供御飯峠へ行くんか?」と聞かれたので「そうです」と返事したら、「こんなとこよう知ってるなぁ」と感心された。たぶん登山者は少ないのだろう。
教えてもらった方向に登っていくが、踏み跡は不明瞭。急傾斜をジグザグに登ったら、供御飯峠に到着した。ちょうど9時半。
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少し上にはお地蔵さん。きれいに整備されている。小野郷からの道の方がしっかりしているのかも。
天皇が召し上がる食べ物のことを「供御(くご)」と呼ぶらしい。貢納米を運んだ道だったのかも・・・は「北山の峠」から。
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清滝川は名前に似合わず荒々しい川で、河床のすぐそばの両岸がガケになっている部分がたくさんある。道路工事技術が未熟だった時代はそういう場所に道を造ることができず、そのかわりに峠を越えて反対側に出る道が随所に造られた。そういう生活のための峠がこのあたりにはたくさんある。と言うか、峠というのはそのほとんどが生活道路として利用されてきたもので、登山者はそれを借用しているに過ぎないのだ。
しかし陸上交通が発達してからは多くの峠が忘れ去られてしまって、今や利用者のほとんどが登山者やハイカーになっている。
さて、これで稜線に上がったので、これから北の半国高山(はんごくたかやま)を目指す。
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道は不明瞭な部分もあるけれど、テープマークが所々にあり、稜線を忠実に辿れば迷うことは無い。
急登をしばらく上がって、供御飯峠から40分で半国高山(670m)に到着した。
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写真を撮ったら早々に出発。テープマークを追っていたら急な下りになってきて、古いロープが出てきた。北山でもこんな厳しい山があるのかとびっくりしながら下った。
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標高差で 100m くらい下った頃、ふと左腕に着けた gps の画面が目に入った。何と、とんでもない方向に下っていた!! 山頂から北に向かわないといけないのに、東に下っていた。
さすがにこの急斜面の登り返しは気持ちが折れた。何とかトラバースでごまかせないかと進んでみたが斜面の傾斜がかなり急で、どうしても登ってしまう。結局元の道に戻ってしまって、山頂まで登り返すことになってしまった。約20分のタイムロス。
次なる峠の岩谷峠には10時43分に到着した。目立たない峠だった。
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ここからの登り返しもなかなか厳しかった。この稜線のデコボコは標高差こそ大したことが無いけれど、結構傾斜がきつい。おかげで思ったほどペースが上がらない。
この次のピークでまたもやロストしかかったけれど、様子がおかしいと気付いて大きなロスにはならなかった。戻ってきたら古い道標が目に入ったけれど、来た時は気が付かなかった。
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「北山の峠」には登場しない青谷峠。
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シャクナゲ。
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ようやく縁坂峠(えんざかとうげ)が見えてきた。
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しかし足元は石垣があって真っ直ぐには下りられない。少し西側に回り込んで、11時半にようやく縁坂峠に到着した。
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この稜線は予想以上に厳しかった。予定のルートを踏破するのはムリではないかと思い始めた。
とにかく大森の集落に向けて下る。つづら折れを10分ほど下ったら林道に出た。
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集落手前に首無し地蔵。ずいぶん古いものらしい。
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集落の中をジョグで進みながら、これからの行程を考えた。あまり北へ行ってしまうと雲ヶ畑に下りなければならない。ここのバス便は1日2便しかないので、何とかそれは避けたい。周山なら1日10本以上あるので、断念するなら早い方がいい。
とは言うものの、いくら何でもまだ戻るには早すぎる。茶呑峠へ直行しようかと迷ったけれど、思い直して当初の予定の伏見坂に向かった。
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このあたりは京都一周トレイルの京北コースの一部になっているらしい。おかげで整備されている。とは言っても峠はこんな感じ。
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このあとも一周トレイルコースを下ったけれど、コースはずっと南下していく。しかし私は北へ向かいたいのですぐそばの車道に下りたいのだけれど、ちょっとした溝があって水が流れている。濡れずに渡れそうな場所を探して、何とか車道に下り立った。
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このまま車道を北上して、地図だとこのあたりが河原峠(こほろとうげ)。車道はまだ登っているのでここが峠とは思えないのだが・・・。
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東俣へはここを入って行くと思うのだけれど、少し先にゲートが。
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横から勝手に入って進むが、東俣への分岐がよくわからない。林道が上がっているのでそこに行ってみたらほどなく行き止まりだった。
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戻ってきて少し進んだら小さな標識がころがっていた。
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しかしこの先はかなりの急登で、しかも踏み跡も不明瞭。せめて茶呑峠までと思ったりもしたけれど、もう気持ちが萎えた。
ここで今日初めて腰を下ろしておにぎり休憩にして、周山からのバス停に向けて戻ることにした。
しばらく車道を行く。緩い下りという好条件なのだけれど、気持ちが切れて走る気分になれない。おまけに暑い。ちょっと走ってはしばらく歩いてを繰り返して、伏見坂の南にある雲月坂に向かった。
伏見坂は一周トレイルコースなので整備されていたけれど、こちらはもはや廃道状態。2014年の登山地図には実線で書かれているけれど、ホンマかいなという感じ。
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このあと踏み跡がわからなくなって適当に進んでいたら、下ってくる踏み跡に遭遇した。本当の峠は通らずに来てしまった。
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さらにこの下では道が完全崩壊。横の斜面を適当に下った。
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午後2時前に車道に出た。
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スマホでバスの時刻を調べてみると、2時10分に周山を出るらしい。小野郷は2時20分くらいだろう。バス停までは 2km くらいなので、走れば間に合いそう。
こういう目標ができるとまた走れるもので、バス停に向かってひたすら走った。
バス停の手前に岩戸落葉神社。源氏物語のモデルになった落葉姫と関連があるとか。
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2時15分に小野郷のバス停に到着した。時刻表を見たら次のバスは2時23分だった。
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それにしても北山の風情は昔とは激変した。数年前から北山に再訪しだした頃から感じていた事だけれど、昔は北山と言えばササ藪だったのだけれど、そういう藪はほとんど見かけなくなってしまった。ササというのは数十年のサイクルで繁栄を繰り返すという話を聞いたこともあるので、いつの間にか枯れるサイクルに入っているのかも知れない。
「北山の峠」の写真を見ても、道の両側はほとんどササが茂っている。
実は私が北山に行かなくなった主たる要因はササ藪で、ヤブ漕ぎがいやで北山に行かなくなってしまったのだ。
その当時と比べると本当に歩きやすくなった。その代わりに木が成長して展望が遮られるようになってしまった。滝谷峠や仰木峠など、昔は眺望の名所だったのに今はその面影も無い。
おそらく私が現役で山へ行ける間にまたササ藪が復活するようなことは無いだろう。せっかくなのでまた北山にもまた目を向けたいと思っているのだけれど、交通機関が難点である。

藤原岳

先の日曜日(4/15)は講座で鈴鹿の藤原岳へ行ってきた。
藤原岳はちょうど3年前に別の講座で訪れているけれど、この時は雨で登りに時間がかかって、山頂に到達することができなかった。
講座が違うので参加者は前回とはほとんど重なっていないのだけれど、今度こそは好天を期待してということだったのに、何とまたもや雨。
前回は聖宝寺道を登って大貝戸道を下ったが、今回は大貝戸道を往復する。
マイクロバスでの道中は雨だったけれど、幸い次第に小降りになってきた。

小雨の中、傘をさして出発したのはちょうど 10 時だった。※写真は下山時のもの
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神武神社の横から登山道に入る。
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ほどなく雨は止んで、四合目で一休み。
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この道は登り一辺倒。聖宝寺道と合流した八合目に 11 時 45 分頃に着いて、ここで昼食にした。
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このあたりから少しずつ花が出てきた。まずはヒトリシズカ。
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藤原岳と言えばフクジュソウ。ただしもうほとんど終わっている。
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1時ちょうどに藤原山荘に到着した。
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トイレを済ませて山頂へ向かう。あと一頑張り。
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1時 28 分、無事山頂(1140m)に到着した。残念ながら眺望は無し。
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時間の余裕があれば天狗岩もと思っていたけれど、それは諦めて早々に下山に移る。
下の方では下界を眺めることができた。
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神武神社のすぐそばにはマムシソウ。
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眺望が無かったのは残念だったけれど、無事登頂して終えることができた。

瓜生山から修学院

4/11(水)は京都一周トレイルの講座で銀閣寺道から瓜生山、修学院までを歩いてきた。
天気予報では午後は降水確率が高かったけれど、昼頃にほんの少しパラパラした程度で、何とか降られずに終えることができた。

銀閣寺道のバス停のそばからしばらく住宅街を歩く。
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いつものように天神宮神社に立ち寄る。
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バプテスト病院わきから山道に入って、瓜生山への急登になる。
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白幽子厳居之跡。
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そして石切場跡。
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歩き出して1時間少々で瓜生山(301m)に到着した。
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西側が開けている場所があった。愛宕山が雲の真下にある。
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ミツバツツジの回廊。
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鳥居のある広場まで行きたかったのだけれど小雨がパラついてきたので、木陰になる場所で昼食にした。
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幸い雨はほんのわずかで、鳥居の広場へ。
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沢を3回渡って、雲母坂を横切って沢筋に下りる。
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修学院離宮のそばを通って修学院に下山。音羽川の橋から雲母坂のある方向を望む。
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この講座はいつも参加者がわりと少なめなのだけれど、今期は 18 名となった。近くに他のパーティがいなければいいのだけれど、そうでない場合は人数確認がなかなか大変だ。

果無山脈

3月以降は気温の上昇で、山では雪解けが一気に進んでいるらしい。
行きたい所はいろいろとあるけれど、まずは残した宿題をやり終えておかないと、すっきりした気持ちで次に向かえない。
そんなわけで、まだちょっと早いかも・・・という気持ちもあったけれど好天の期待できる予報だったので、1月に敗退した果無山脈に再挑戦することにした。

前回、車を停めたのはバス停のそばの広場だったのだけれど(休日はバスは運行していない)、勝手に停めてもいいのかどうか不安だったので、そばのキャンプ場に入ってみた。ところがそこには車やバイクが何台か止まっていて、大きなレジャーテントがいくつか張られている。
これはきっと夜は騒々しいだろうと思って、結局またバス停そばの広場の片隅に停めることにした。
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前回、以外と時間がかかるということを体感したので今回は1時間早く、3時出発にした。2時に目覚ましをセットしていたのだけれど、雨音?
何と、雨が降っている。さっきトイレに起きた時は満天の星空だったのに・・・。
予想外の出来事に気持ちは大きく落ち込んだけれど、天気予報から考えると本降りになるようなことは無く、おそらくそのうちに止むだろうと思って、雨でも出発しようと開き直った。
期待通り、出発する頃には雨は止んでいたけれど、予報通りで気温が非常に低い。今回こそは軽快に行動したいと思って防寒対策は最低限度で、超ペラペラのライトジャケットとパンツ、そしてこれもペラペラの中綿ジャケットで来ている。
しかし出発してすぐに登りで、ほどなく急登になるので、そのうちに身体は暖まってくるだろうと思って、午前2時50分、ジャケットは羽織らずに出発した。しかしあまりにも寒くて、民家の前の防犯灯の明かりを借りて、ライトジャケットを羽織った。
霧雨かと思ったら雪が舞ってきた。
登山道に入ったら1月には無かったネットが設置されていて、ちょっとあわてた。
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何と、まさかの雪。しかしこれは残雪ではなくて、最近下界で降った雨がこのあたりでは雪だったのだろう。
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急登でも身体は暖まらないけれど、1時間10分くらいで和田ノ森(1049m)を通過。
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前回、道がわからなくなってウロウロした所はそのままヤブを強引に突っ切って、和田ノ森から40分くらいで安堵山(あんどさん 1184.1m)に到着した。あまりにも寒くて、中綿ジャケットを羽織って、ビーニーをかぶった。
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少し林道を歩いて、冷水山への登山道に入る。
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前回3時間くらいかかった敗退地点のあたりまで2時間15分くらいで来た。5時過ぎ。ここから先は未知の領域になる。
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この先、部分的には結構な急登があって、前回はあそこで敗退して正解だったと思った。
ようやく空が少し明るくなってきて、5時24分に黒尾山(1235m)を通過。このあたりが果無山脈の最高標高地域。
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そして5時43分に果無山脈最高峰の冷水山(ひやみずやま 1262.3m)に到着した。
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ここで気分的には往路の半分という感じ。まだまだ先は長い。
少し下ってカヤノダン(1178m)。
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見晴らしのいい場所に出たら、太陽が上がっていた。6時13分。しかし日が昇っても気温はほとんど上がらない。
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もう出発してから3時間以上、ジャケットを羽織った時以外はノンストップで飲まず食わずで来ているので、そろそろちょっと補給したいところなのだけれど、とにかく止まると寒い。北風が吹いていて、ゆっくりできる場所がなかなか見つからない。
このあと、ちょっと複雑な地形になって、北風が遮られるなだらかな場所に出たので、そこでぼたもち休憩にした。しかし雪があるので腰は下ろせず、冷たいお茶で流し込んで早々に出発した。
公門崩の頭(くもんつえのかしら 1155.4m)。
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果無山脈の名前の由来はいくつか説があって、「山脈からは山々が果てしなく望める」というのがあるそうだけれど、実は大半が樹林帯で、眺望の開けた場所は限られている。昔はどうだったのかはわからないけれど。
その限られた場所からの大峰方面。
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このあたりは地形図通りの形状で、わりと走れる部分がある。何かシャカシャカした音が耳に入るので何の音かと思ったら、ペットボトルの水が少し凍っていた。
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この先、筑前タワ、ミョウガタワと進んでいたら、生足を出したトレラン二人組に出会った。ちょっとびっくりしたけれど、向こうも同じように感じていたようだ。こんな時間(8時近く)にこの場所で西に向かっていて、どういう予定なのだろうか。随分軽装だった。
最後のピーク、果無山(1114m)には8時22分に到着した。折り返し地点の果無峠はもうすぐそこだ。
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早く着きたいという気持ちが強かったのだろうか、下り斜面でつま先が何かに引っかかってつんのめった。横にあった木に手を伸ばして止めようとしたけれど、掴んだ手を軸に身体が半回転して、頭を下にして斜面に転倒した。そして転倒した瞬間、後頭部を木に打ちつけた。幸い、大事には至らなかったけれど、頭を打った瞬間はちょっと気が動転した。
人通りの多い果無峠まではもうほんの 200m くらいなので、意識がしっかりしていれば何とかなるけれど、こんな季節にこんな場所で倒れていたら、あっと言う間に低体温症でおしまいである。
実は過去にも一度、山で頭をケガしたことがある。
20年くらい前にヨーロッパアルプスへ行った時、アルジャンチエール峰に登って、氷河のモレーン地帯を歩いている時、つまずいて転倒して頭を岩に打ち付けた。意識を失うことは無かったけれど、打った直後に頭頂部から生暖かい液体がじわっと流れてきた時の気持ち悪さは今もありありと思い出す。
その時は登る途中からたまたま一緒になったイギリス人と一緒に歩いていて、彼が自分のTシャツを頭にくくりつけてくれた。他にはケガは無かったので、出血が止まったら歩いて下山して、シャモニの病院で縫ってもらった。
山に限らず、ケガで一番恐いのは頭部だ。意識さえあれば何らかの対処方法を考えることができるけれど、意識を失ってしまったら誰かが助けてくれるという幸運を祈るしかない。
実はトレランを始めた頃から転倒時の頭部保護の重要性というのは意識にはあって、もう随分以前にこんなものを買っている。
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転倒した瞬間にすっ飛んでしまわないように、自分であごヒモを付けたりしたのだけれど、実は一度も使ったことが無い。
最近はアルプスに行くとヘルメットをかぶっている人をしばしば見かけるし、先月比良の堂満岳に行った時も、山頂で出会った3人パーティはヘルメットを着用していた。
私は帽子というものが生理的に嫌いで、雨天か真夏の炎天下、もしくは冬の極寒というような条件でなければ基本的に帽子はかぶらない。しかし講座で「帽子はかぶった方がいいですか?」などと聞かれると、もっともらしい顔で「帽子や手袋は安全のためには着用した方がいいです」なんて言っている。
ヨーロッパで転倒した時は帽子をかぶっていたし、今回もたまたまかぶっていたビーニーに覆われていた部分を打ったので、薄い帽子1枚分でもあると無いとではずいぶん違うということは自分でも経験して感じている。
さすがに一般登山道でヘルメットはちょっと抵抗があるけれど、一人で山へ行く時はこれからは帽子くらいはかぶるようにしようと思った。
さて、果無峠には8時26分に到着した。出発してから5時間36分。心密かに目標にしていた5時間には及ばなかった。
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気持ちを落ち着けるのも兼ねておにぎり休憩にしたけれど、止まっていると寒くて、一つを食べきれずに引き返すことにした。
冷水山から2時間40分くらいだったので、帰りはもう少しかかるだろう。
体感的には気温はまったく上がっている感じがしないし、樹林帯では陽の光もまったく届いていないのだけれど、復路になると一気に雪が溶けてきていた。
見通しのいい場所から果無山脈を望む。
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来た時は一面雪だったのに、早くもこんな感じ。
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小さなアップダウンを繰り返して、冷水山には11時21に戻ってきた。果無峠から2時間45分くらいだった。上にある往路の写真と見比べて下さい。
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これでようやくヤマを越えたという気分でちょっと気楽になって進んでいたところ、前の方で声が聞こえる。近づいたら、何と行きに出会ったトレラン二人組だった。
聞くところによると彼らは私とは逆に熊野側から果無山脈を往復しようとしていて、ここで道を間違えて引牛越の方にずいぶん下ってしまったとか。確かにそういう標識があった。林道で本来のルートに戻ろうとしたけれど途中で道が崩れていて進めず、やむなく戻ってきたらしい。今日は諦めて引き返すとのこと。
八木尾から果無峠までだけも結構な距離と標高差があるので、再挑戦するにしてもなかなか大変そうだ。ヤマセミ温泉までは下らずに、和田ノ森で引き返しても十分という気がするけれど。
前回の敗退地点はすでに雪は消えていた。
林道に下りたって、ここからはしばらく林道を行くことにする。前回、休憩した掘っ立て小屋を今日も使わせてもらって、おにぎり休憩にした。
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風が当たるのは避けられたけれどそれでも寒くて、早々に出発した。
安堵山は林道でパス。どういうわけかこのあたりから左足のスネの下の方に痛みが出てきた。
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和田ノ森も林道でパス。前回は登山道に戻れるかどうかハラハラしながらだったけれど、今回は気楽だ。
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登山道に戻ったら急坂を 30 分ほど下って、小森の集落に戻ってきた。
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最後の舗装路は走ろうと思ったけれど、左足が痛むので歩きにした。
サクラが満開。
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13時34分、ヤマセミ温泉に戻ってきた。10時間45分、約 38km だった。
今回は営業しているヤマセミ温泉に入ることにした。
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なかなかいい温泉だったと思うけれど、私が入っていた時は入浴していた男性は私を含めて3人。玄関を出る時に若い夫婦が一組やってきたくらいで、日曜日だというのにガラ空き状態で、これで営業が成り立っているのだろうかという感じ。あまり大きなフロではないので空いている方がありがたいけれど。
途中、非常に道幅の狭い箇所もあって、こんなところに温泉のためだけに来るような人は相当な秘湯マニアではないかと思った。たぶんもう来ることは無いだろうと思う。
久しぶりに充実感のある、満足できる一日だった。

三好山

4/2 の月曜日は講座で摂津峡そばの三好山へ行ってきた。私にとっては初めての山。
このあたりは四半世紀前に東海自然歩道ランで一度通過しただけで、ポンポン山には何度も行っているけれど、三好山というのはこれまで聞いたこともなかった。

JR高槻駅に集合。本当は高槻駅へは自転車で行きたかったのだけれど、万が一ケガでもしたら大変なので、枚方市からのバスに乗った。渋滞を警戒して早めに出たおかげで、集合時間の1時間近く前に着いてしまった。
バスで上の口へ
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しばらく車道で摂津峡へ向かう。サクラが満開。
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摂津峡入り口に到着。ただし今日は摂津峡へは行かずに展望エリアに向かう。
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まずは白滝。
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早くもミツバツツジが満開。
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上の広場でトイレ休憩。実はここは標高 226m で、三好山よりも少し高い。
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このあと少し歩いて昼食。
そして公園に下った。月曜日だけれど花見客でいっぱい。
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これから三好山へ向かう。三好山には芥川山城が広がっている。こんなところにこんな大きな山城跡があるとはまったく知らなかった。
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途中に立派なサクラ。
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40 分ほどの登りで三好山山頂(180m)へ。
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三好長慶が祀られた祠。
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解説板。最近、整備されたらしい。
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淀川方向は遠くは霞んでよく見えない。
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大手道を少し下ると大手石垣。
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昭和初期まで使われていたという井戸の跡。
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このあと行きに歩いた道に合流して、また上の口のバス停に戻って解散となった。

峰床山、大悲山

京都北山の大悲山(だいひさん)は中学生の頃からの憧れの山だった。
その頃に憧れたのは廃村八丁、八丁平、そして大悲山。京都人と言えどもその頃の中学生にとってはこのあたりは最果ての地で、一日2便程度のバスはあるものの、強い意欲が無ければ近づきがたいエリアだった。
八丁平だけは中学3年生の時に仲間とテント泊で行ったものの、その後しばらくは北山は自分にとって登山の対象エリアではなくなってしまって、ようやく廃村八丁に訪れたのはわずか2年前だった。
残された最後の課題は大悲山。
廃村八丁や八丁平は往時から登山道があるけれど、大悲山だけはいまだに登山地図には道が無い。しかし登られた記録はたくさんあるので、踏み跡程度はあるのではないかと思った。
麓の峰定寺(ぶじょうじ)までは車で入れるし、峰定寺の裏山なので、ここだけを目標に行くのはちょっともったいない。
そこで最近一段と有名になった三本杉から稜線を辿って峰床山。そこからさらに寺谷峠、桑谷山、そして大悲山に登って峰定寺に戻るという周回ルートを設定した。
距離的には 20km 程度だけれど、今回のルートの半分くらいは登山地図には道が記載されていない。はたして実際はどんな様子なのだろう。

4/1 の日曜日、家から1時間 45 分くらいで峰定寺に到着した。すでに駐車場には結構車が停まっている。
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8時 15 分くらいに駐車場を出発して、まずは林道を三本杉の方へ向かう。
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15 分ほどで三本杉に到着。ここは4年前、講座で峰床山へ行った時に訪れた。
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この3本のうちの1本は高さが 62.3m で、昨年正確に計測した際に高さ日本一ということが判明した。そのせいか今回は周りにロープが張られていて、根を踏まないようにという注意書きが立っていた。
このあと、踏み跡程度の急登で稜線に這い上がる。
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しばらく上がると林道に出た。
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さらに広い林道に合流して、八丁平への道標が立っていた。しかしこの道標通りに進むとずっと林道を行ってしまうので、適当に南側の稜線に這い上がった。そこは「こもれびの森」という立派な散策路になっていた。
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タムシバ。
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こもれびの森の山頂(871m)。出発してちょうど1時間。
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この道標に従って八丁平方面に下ったら、またもや林道に出てしまった。尾越方面に向かうべきだった。
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致し方なくしばらく林道を走る。そして予定していた道に出会った。
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このあとも少し林道を行って、わかりにくい分岐から山道に入る。
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しばらく不明瞭な道だったけれど次第にはっきりしてきて、俵坂峠。随行で来た時はここから大悲山口に向けて下りた。
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イワカガミ。
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10 時 15 分、出発して2時間で峰床山(970m)の山頂に到着した。京都府の最高峰は皆子山(971m)ということになっているけれど、皆子山は滋賀県との県境に位置しているので、完全に京都府に属している山では峰床山が最高峰。
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ここで腰を下ろしてどら焼き休憩にした。杉峠の鉄塔はわかるけれど、山々の山名はまったくわからない。
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そしてこれから北に向かうのだけれど、その方向には道らしきものは見あたらない。しかしやや西に向かってきわめて整備された道が下りていたのでこれを下ってみたところ、電波施設のための道だった。
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行きたい方向からはずいぶん違っているのだけれど、このまま行くと林道に出会って、その林道を戻ると目的の方向に向かえるので、そのまま下った。
林道はすぐに足元に見えてきたのだけれど、側壁が急峻に削られていて、道に下りることができない。
ウロウロして、ようやく何とかずり落ちられそうな場所を発見して、そこから林道に下りた。
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北側にはまだわずかに雪が残っている。
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さて、この林道をしばらく行って、寺谷峠に向けてまた登山道に入るのだけれど、これがまたわからない。
ちょうどそれらしい位置に白テープが下がっていたので、ここがその印ではないかと判断して斜面に下りた。
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しかしこの先は踏み跡すら見つけることができず、方向としては斜面をトラバースぎみに進みたいのだけれど、ヤブ斜面のトラバースはあまりにもアルバイトが多くて進めないので、ここの沢を強引に下ることにした。
地図を見るとこの沢を下ると林道があって、その林道から寺谷峠方向に登り返す道がある。
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北山なので沢を下りても何とかなるだろうと思っていたけれど、それでもなかなか大変だった。荒れている部分は右岸の斜面をへつって、何とか朽ちた林道に出会った時にはもう寺谷峠に登り返す気力は無くなっていた。
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実際に格闘していたのはほんの 20 分くらいなのだけれど、もともとオマケ程度の位置づけだった桑谷山はあきらめることにして、そのかわりに大悲山だけは何が何でも登るということに気持ちを切り替えた。
この林道は朝、駐車場からしばらく歩いた道で、大悲山から下りてくる予定だった場所に出会う。
それらしい場所に近づくと北側斜面を注視して、何かテープでも無いかと探した。
ちょうどそのあたりに朽ちた道が上がっていて、そばの木に赤テープが巻いてあった。しかしこういうテープは道の印ではなくて林業の人が巻いたテープということがしばしばある。この道を少し上がってみたのだけれど、ほどなく途切れてしまっていた。
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しかしこのあたりを強引に上がるしかないので、ちょっとした沢を強引に上がることにした。
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写真ではわからないのだけれど、実は手を使わなければ上がれないくらいの急傾斜で、正直なところ下りが不安だった。
しばらく登って、沢から横の斜面に逃れた。
この斜面もかなりの急斜面だったけれど、強引に上がって行くと赤テープが出てきた。そして傾斜が緩くなってきた。
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大きな杉や奇妙な木が現れて、朽木の山のような雰囲気。
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テープマークはわりと短い間隔で現れたけれど、踏み跡はまったく無し。
gps を頼りに登り続けて、そろそろ頂上ではないかと思った頃、急にヤブが濃くなってよくわからない地形に入り込んだ。
gps の画面を拡大して確認したところ、何とすでに山頂を越えてしまっていた。しかしここから戻るのが一苦労だった。
ヤブの濃い部分を避けて、何とか元に戻ることができた。大悲山の山頂(741m)は 12 時 52 分だった。
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山頂を示す標識はこの赤い板しか無く、登ってきた方向からは背面の死角になっていて気が付かなかったようだ。
下りはテープマークを見落とさないように慎重に下った。
最後の急斜面は強引に登った沢の横の尾根を下っていた。沢を下るよりはマシだったけれど、それでも最後の方はかなりの急斜面だった。
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北山のすべての山を登ったわけではないけれど、ある程度の知名度のある山では大悲山がいちばん登りにくい山なのではないかと感じた。まぁそこまでして登るほどの値打ちのある山かどうかと言えば微妙なところだけれど。
峰定寺は 12 世紀の創建とか。昔ほど社寺が辺鄙な所や山の上にたくさんあったりする。今よりはるかに人口の少ない時代、その頃の人達の宗教心はどんなものだったのだろう。
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駐車場に戻ったのは午後1時 50 分だった。時間的にはまだまだ早かったけれど、大悲山の上部の様子から想定すると、桑谷山へは行かなくて良かったと感じた。翌日は講座が控えている。
北山へ車で行くのは帰りの渋滞が憂鬱だ。今日はまだ少し時間が早かったので少しはマシなのではないかと期待していたのだけれど、その期待はあっさりと裏切られて、1号線の渋滞を避けて桂川沿いの道へ逃げたものの、何と八幡の背割りのサクラのおかげで御幸橋でまたもや大渋滞。行きよりも1時間以上余分にかかった。
気分的には若干消化不良感が残ったのだけれど、フロの後にいつも通り体重計に乗ったら、久しぶりに 50kg を割っていた。
私が足腰の疲労のバロメーターにしているのは、夜中にふと目覚めた時の下半身の疲れ具合で、結構重かった。