釈迦岳敗退

新春登山は比良の武奈ヶ岳へ行こうと思った。
昨年の2月に堂満岳から武奈ヶ岳へ行ったので、今年は釈迦岳経由にしようと考えた。
ただし今は随分雪が多い。直近の情報ではイン谷口ですでにそこそこの積雪のようで、はたして釈迦岳へのトレースがあるのかどうかがちょっと不安だ。他人のトレースをあてにした雪山登山など邪道だということは十二分に承知しているけれど、もはやそんな気力も体力も無い。ワカンもスノーシューも持っていない。
もし釈迦岳に向かうトレースが無かったら早めに引き返して青ガレ経由で武奈ヶ岳へ向かおうと思った。
今回はまともな雪山登山になることは間違い無いので、昨年新調した登山靴で家を出た。登山靴で家を出るなんて一体何十年ぶりだろうか。

8時18分に比良駅を出発した。寒いので中綿ジャケットは羽織ったまま。生憎の小雨模様だ。
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どんよりした曇り空で、昨年よりは随分雪が多い。
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小雨がみぞれのようになってきたので、中綿ジャケットを脱いで登山用のアウターに着替えた。
堂満岳への分岐点を通過。昨年はこのあたりはほとんど雪が無かった。
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ほどなくイン谷口へ。
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そして車道の終点。昔はここからリフトが運行されていた。
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みぞれがほとんど止んで暑くなってきたのでアウターを脱いだ。そしてショートスパッツを着けて登山道に入った。この道は2年ちょっと前に講座で登った。幸い、しっかりしたトレースがあった。かなり新しい足跡もある。これで一安心。
神璽谷(しんじたに)への分岐。
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このあたりから道が急になって、雪も増えてきた。足元が不安定になってきたのでピック付きポールを出した。
トレースが2本に分かれている所があって、本道の方は少し先がヤブになっていたのですっきりした直登のトレースを選んだ。
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ヤブは無いものの足元はさらに不安定で、ヒザまでのツボ足ラッセルになってしまった。本道の方が良かったかもと後悔したが、数分くらいで本道に合流した。
結構段差のある箇所などがあって歩きにくいので、さらにもう一本、トレランポールを出した。
どういう訳か次第にトレースが浅くなってきた。あの新しいトレースの人はどこへ行ったのだろうか。
10時37分、リフト駅の跡に到着した。展望はまったく無し。雪が強くなってきたのでまたアウターを羽織った。
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少し登ると釈迦岳へ向かう道と稜線に向かう道の分岐に出たが、ここでトレースは消えていた。釈迦岳へ向かうには右側を登って行くはずだけれど、吹き溜まり状態でトレースらしきものは皆無。
最初の急登部分を腰までのラッセルで這い上がったが、上を見てもトレースらしきものはまったく見あたらなかった。
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写真で見ると大した斜面には見えないけれど、実は40度くらいはありそうな溝になっていた。
ここで標高 800m ちょっと。まだ釈迦岳までは標高差で 200m 以上登らなければならない。ツボ足ラッセルで標高差 200m なんてあり得ない。諦めの早さには自信がある。だからこの程度の実力でもこれまで大きな事故は起こさずにやってこられたのだと思っている。
稜線に向かう道はうっすらと轍は見えるけれど、ここもスネくらいのラッセルだったので早々に引き返した。
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11時6分、ここを最終到達点にして引き返すことにした。
戻る時、神璽谷への分岐の所で単独で登ってくる男性に出会った。もう12時近いというのに、ちょっと遅すぎるんじゃないですか。無雪期ならいざ知らず。
大津ワンゲル道はトレースは無かった。
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来た道を淡々と歩いて、12時55分の電車がちょうどホームに入ってきた時に階段を駆け上がって飛び乗った。
かつて山スキーを楽しんだ者からすると、ツボ足やワカンでのラッセルは苦行以外の何物でも無い。下りで滑れないスノーシューには興味は無いし、やはり雪山はスキーに限ると改めて再認識した。
ただ、もう山スキーから離れてほぼ10年。体力の衰えもあって、再開するのがオソロシイというのが本音だ。きっとがっかりするだけだろう。道具はまだ大丈夫のはずなので、気持ちさえあればやってみることはできる。
私はあまりあちこちの山に出かけるという趣味はなくて、気に入った地域に何度も行くタイプだ。百名山などまったく興味が無い。
とは言っても死ぬまでにぜひ行っておきたい山というのはいくつかあって、それは北海道の山。まだ行ったことが無い。行くならぜひ残雪期にスキーで行きたいのだ。そのためにはそれなりの準備をしなければならない。
年齢的に考えるとここ2〜3年くらいがタイムリミットじゃないかと思うので、まずはゲレンデからでも再開した方がいいのではないかと思ったりしている。