笠捨山

10/25(日)は大峰奥駆道南部の笠捨山へ行ってきた。

大峰奥駆道は釈迦ヶ岳までの北半分はごく一部を除いてはほぼ全コース歩いているが、南部は奥守岳までしか歩いていない。

さすがにこれより南部は日帰りでは難しいと思っていたが(玉置山だけなら可能)、上葛川までなら3時間くらいで行けそうだ。それなら奥駆道南部で最難と思われる地蔵岳や笠捨山に行ける。

いつかは奥駆道全コースを踏破してみたいと思っているので、このあたりは一度は歩いておきたいと思っていた。

途中でカップ麺とおにぎり、コーヒーの朝食をとって、3時間少々で上葛川に到着した。事前の情報では葛川トンネルの手前に駐車スペースがあるとのことだったが、上葛川にもありそうだったので集落の方まで行ってみた。

集落の手前にちょっとしたスペースがあったので、そこに車を置いた。運良く、奥駆道に上がる道のすぐそばだった。

準備を整えて7時55分に出発した。

20分少々で稜線の奥駆道に出た。ここは古屋の辻。

さすがに奥駆道はしっかりしている。ほどなく木の階段の急登になった。

ガンガン上がると目の前に大きな岩が現れて、「貝吹之野」というらしい。

何箇所かの急登を経て9時30分、出発して1時間35分で香精山(こうしょうやま、1121.9m)に到着した。

少し進むと送電線の鉄塔があって、そこから正面に笠捨山が望めた。送電線の左が地蔵岳。

少し進んで檜之宿跡。

お次は拝み返し。

そして四阿之宿(あずまのやど)。

ここから少し北へ行って、東屋岳(1230m)のピークを踏んでおく。

いよいよ地蔵岳の岩場が始まった。

しばらく鎖場が続く。鎖は新しいものも多くてしっかりしているので慎重に行動すれば危険は無いが、千年前はどんな状態だったのだろうか。

小さなコブをいくつも越えて、槍ヶ岳の岩の北側を巻く。地蔵岳のピークはどこだったのかわからなかった。


岩の上にはとても行けそうにない。

鎖場は 30 分足らずくらいだったろうか。ようやく道が穏やかになってきた。私がこれまでに歩いた奥駆道の中では一番厳しい場所だったように思う。

また送電線の鉄塔に出会って、笠捨山がちょっと近づいた。

11時7分、葛川辻に到着した。ここで腰を下ろしておにぎり休憩にした。

11時39分、笠捨山(1352.7m)に到着した。

真ん中奥の突起は大普賢岳。左の端の方のピークが釈迦ヶ岳。釈迦ヶ岳の右に八経ヶ岳。

この先で奥駆道と分かれて蛇崩山(だぐえやま)へ向かう。

「難路」と書かれているが危険というわけではなくて道らしい道が無いということ。たまに古いテープが出てくるだだが、稜線は明瞭で下生えもほとんど無いので問題なく歩ける。

笠捨山から 45 分くらいで上葛川への分岐まで来た。

まずは蛇崩山に向かう。

分岐から 20 分少々で蛇崩山(1172m)に到着した。展望は無し。

ここで腰を下ろして豆餅休憩にした。

先ほどの分岐まで戻って、稜線を辿って上葛川に向かう。途中で振り返ると蛇崩山が立派。

このあと稜線をはずれて西側の斜面を下らなければならないのだが、このあたりからルートがよくわからなくなってきた。元々かすかな踏み跡程度しかなかったのだが、倒木が増えてきていちだんと先が不明瞭になってきた。

ちょっと不安になってきたころ、またかすかな踏み跡に出会った。これで一安心。

うまい具合に踏み跡は斜面を集落の方に下って行っている。今日は会心の一日だったと満足感にひたりながら下っていたら、分岐のようなものが出てきた。

方向としては左の方なのだが、右の方が踏み跡が若干明瞭な感じがしたのでそちらに行った。ところが下るにつれて本来の方向から次第に離れてきた。

ここの下は川を橋で渡らなければならない。こんなところの川べりに道などあろうはずがないので、橋からあまりに離れた場所に下りてしまうと川の中を辿らなければならなくなる。

このままではまずいと思ったが、分岐に戻るにはかなり下ってしまっていたので、斜面をトラバースして元の方向に戻ろうと思った。

斜面は結構急なので、何とか進めそうな場所を選んでトラバースする。

しばらく進むと鹿除けネットが見えた。こういうネットのそばには踏み跡があったりするのでそちらに向かってみたが、残念ながら踏み跡は無かった。それどころかヤブが一段と濃くなって、おまけにイバラまで出てきた。この期に及んで泣きたい気分。

下の方に集落が見えた。しっかりした道ならほんのすぐそこなのだが、この状態ではあとどれだけ時間がかかるのかまったく予想できない。

橋からは少し離れているが、もうこのまま川まで下るしかない。ただし問題は川のすぐそばの斜面。上からは死角になっていてその状態が見えないので、下っていったら崖だったというのは最悪パターンである。昨年の白髭岳と同じパターンにはまり込んだ。まったく学習効果が無い。

もはや登り返す気力は無く、地形図で崖マークが無いことを確認してから慎重に急斜面を下った。幸い、川にはさほどの苦労も無く降り立つことができた。

橋まではわずかのはずで、橋を渡ればあとは車道を少し行くだけなので、浅瀬の部分をじゃぶじゃぶと進んだ。

左岸の河原の部分を進んだら橋が見えた。やれやれ。

車道は緩い下りなのだが走る気分にはなれずにとぼとぼと歩く。

こういう集落の人たちはどういう生活をしておられるのだろうか。バス便は通ってはいるのだが。

午後3時12分、無事駐車スペースに戻ってきた。

せっかく十津川村まで来たので十津川温泉に入って帰ろうと思ったが、二ヶ所ある公衆浴場はいずれも満杯状態。混んでいる温泉に待ってまでは入りたくないので、R168沿いの大塔温泉夢乃湯に立ち寄った。

あまり温泉ぽくなくてカルキの匂いがぷんぷんしていたが、すいていてゆっくりできて、わりと安め(660円)だったのでまぁ良かった。

家に帰り着いたのは午後8時前だった。

私の若い頃は大峰はとにかく交通の便の悪い所という印象があって、大峰へ行くくらいならアルプスへ行った方がマシというイメージが強かった。京都から奈良へはひたすら下道を辿るしかなかったので、車でも非常に時間がかかったし、道も狭くて走りにくかった。

上北山村や十津川村などはまだまだ遠いけれど、昔に比べると車道が整備されて広くなって、部分的に高速をうまく使うと日帰りできるエリアになってしまった。大台ヶ原もしかり。

あまり激しく山肌を削ったりするのは控えてほしいけれど、道路が整備されることのメリットは少なくないと言わざるをえない。

笹間ヶ岳

10/18(日)は講座で湖南アルプスの笹間ヶ岳へ行ってきた。湖南アルプスは7月にもこの講座で堂山へ行ったばかり。

JR石山駅に集合してバスで「アルプス登山口」へ。

しばらく車道を歩いてから山道に入る。バス停そばの道は新名神の工事で道が変わっている。

前日は終日雨だったので、岩場はかなり濡れていて滑りやすい。

矢筈ヶ岳への分岐。この道は数年前に一人で歩いた。

上りきると平坦地になって、所々池塘がある。実は沢筋に堰堤があって、すでに埋もれてしまっているのだが、このあたりはその堰堤の上の土砂が溜まっていた場所。

この先の池塘のそばで早めの昼食にした。

しばらく山道を辿ると車道に出た。

このすぐ先の展望場所からの琵琶湖と比叡山。

またすぐ山道に入ってしばらくで笹間ヶ岳(432.9m)に到着した。

山頂の岩の上から琵琶湖と比叡山。

一気に下ってまた車道に出る。

すぐにまた山道に入って、今度は南の方の展望。左奥に鷲峰山。

集落そばまで下りてきた。

足下にセンブリ。

午後3時前、関津のバス停に到着した。

前日は雨で気温も低かったが、この日は穏やかな天候で歩きやすかった。

松尾山

10/14 は京都一周トレイルの講座で嵐山の松尾山へ行ってきた。

集合は阪急の嵐山駅。

時間に余裕があるので大堰川の疎水のあたりを散策する。これは保津川下りの船を引き上げる場所。

疎水のそばを歩く

少し車道を歩いてから一周トレイルの山道に入る。

しばらくしっかり登って展望場所へ。

展望場所から北を望む。左に愛宕山。

松尾山(275.6m)で早めの昼食にした。

西芳寺に向けて松尾大社の裏山を歩く。このあたりは秦氏のものと思われる古墳がたくさん残っている。

最後の展望場所から南東方向を望む。遠方は鷲峰山など宇治田原あたりの山々。

最後は一気に下って西芳寺の林道へ。

あとは車道で苔寺のバスターミナルへ。

まだ時間があるので松尾大社まで歩くことにする。

摂社の月読神社。

午後2時前に松尾大社に到着して、ここで解散した。

このあと、神社の裏から山へ入れる道が無いか探ってみたが、残念ながら見当たらなかった。

嵐山のあたりは日本人の観光客がかなり戻ってきているという話も聞いていたけれど、この日はそれほどではなかった。

ただしこの日はトレイルルート上ではこれまでになく多くのハイカーと出会った。

能郷白山

岐阜の能郷白山は関西の山ヤには人気のある山だが、私はこれまで行ったことが無い。

場所が中途半端で、前泊するほど遠くはないけれど日帰りにはちょっと遠いと感じていたのだが、高速も延びて十分日帰りできるということがわかった。

北の温見峠(ぬくみとうげ)からだと2時間もあれば登れるらしいが、これではあまりに物足らない。

南の能郷谷ルートだと標高差が 1200m ほどあって、通常登り4時間くらいらしいので、ここを往復することにした。

10/11 の日曜日、途中でカップ麺とおにぎり、コーヒーの朝食を取って、2時間半ほどで能郷根尾まで来たのだが、またもや google のナビで変な所に追い込まれて、とんでもない狭い荒れた林道をウロウロさせられてしまった。

何とか正しい場所に着いて、駐車スペースを出発したのは8時5分だった。すでに1台停まっていた。

しばらく舗装された林道を歩く。横の沢から水が流れ出している場所が出てくるが、最初の関門は沢側を飛び石伝いに越えた。ポールがあって助かった。

道端にツリフネソウ。

舗装道路が終わった。

と思ったら、舗装道路の残骸が現れた。

出発して1時間足らずで登山口に到着。

すぐに橋を渡る。

尾根に取り付いて急登を上がる。ロープが垂れている場所もいくつか出てきた。

20分ほどヒイコラ上がると少しなだらかになってきた。まだまだ先は長い。

標高 1000m あたりに突然ガードレールの残骸が。

最初歩いた林道は昔はここよりもっと先まであったようだが、もはやどこが道路だったのかまったくわからない。おそらく林業ではなくて、堰堤を作るための作業路だったのだろうと思う。

それにしても地形図の道は山間部ではまったくあてにならない。記載されている山道が現地に行くとまったく消滅していたなんてことはこれまでに何度もあった。

こういうのは遭難事故につながることなので、もう少し責任を持って管理してほしいと思う。すべて国土地理院で調査するのは不可能だと思うので、各種山岳団体などに情報を求めればいいのではないだろうか。

また急登が出てくる。短時間で標高がかせげるので効率がいい。「お迎えブナ」。

そのすぐ上に「ももすり石」。腿のこと? いずれにしても何か歴史的な謂れのあるようなものには見えない。

1/6 から 30 分近くかかってようやく 2/6。まだあと 3.5km もある。意外と時間がかかりそう。

山頂につながる東側の稜線が近づいてきた。

振り返ると左に能郷谷、右は徳山湖。能郷谷のずっと向こうには岐阜の平野が見えていた。

頂上稜線に上がって 4/6。3/6 は見落としたよう。

頂上稜線はなだらかで、しばらく緩い下りが続く。あまり下りたくないのだが・・・。

山頂はガスがかかって見えない。

山頂まであと 500m 少々。

最後の登りを越えて、たぶんあれが山頂への分岐。

まずは山頂へ。

11時21分、能郷白山の山頂(1617.4m)に到着した。出発してから3時間16分だった。

やはり山頂エリアはハイカーが多い。ほとんどは温見峠からの人たちだろう。展望も無いので早々に引き返して奥の院へ向かう。

ここにも休憩している人たちが何人かいた。それにしても味気ない祠。

ここの貼り紙を読むと、山頂の看板と自分を撮影した写真を見せると、麓のうすずみ温泉が割引料金(850 円-> 500 円)になるとのこと。

ということで、山頂におられた方にシャッターを押していただきました。ワキにぶら下げているのは熊除けスプレー。

残念ながら展望は無し。

上部にはリンドウがたくさんあったが、まだほとんどが蕾。一輪だけちょっとだけ開いていた。

山頂から少し下った所で腰を下ろしておにぎり休憩にして、上から2時間少々で登山口まで下りてきた。

下の林道は舗装部分は走った。

午後2時4分、駐車スペースに戻ってきた。出発からほぼ6時間だった。

後片付けをしたら「うすずみ温泉」へ。この近くに「うすずみ桜」という桜の名所がある。

露天はもちろん、ジャグジーや水風呂もあって良かったけれど、コロナ対策で元々それほど多くない洗い場が一つおきに制限されていて、少し待たなければならなかった。仕方のないことだけれど、コロナ後に行った温泉でこういうのは初めて出会った。休憩室のソファなどはどこでもそういう制限をしているけれど。

そろそろ 1000m 超だと寒いかもと思って暖かい用意をして行ったが、この日はかなり暑くなって、急登もあって汗かきまくりだった。

予想外に帰り道は渋滞も無く、6時過ぎには家に帰り着くことができた。

箕作山

10/5 は講座で滋賀県の箕作山(みつくりやま)へ行ってきた。ここは三年前にも別の講座で歩いた。

近江鉄道の太郎坊宮前駅に集合したが、JRが人身事故で大きく乱れて、予定の電車に乗れない人が出た。

間に合った人たちだけで先発してもらう。これは駅から見た太郎坊。

私は遅れた人たちと後から追いかける。長い石段の始まり。

本殿手前の夫婦岩。

展望台から南の方を望む。なだらかな山並みは二月に行った十二坊

すぐそばに本殿。

少し戻ってハイキング道に入る。

まずは太郎坊山へ。山頂から琵琶湖方面を望む。遠方は比叡山。

その後、箕作山(372m)に到着して、ここで昼食にした。

東南の尾根を下って車道に下りる。

そして延命公園へ。古墳があります。

展望台から鈴鹿方面。遠方は見えない。

街まで下りてきて太郎坊を振り返る。

新八日市駅にゴールした。歴史のある古い駅舎らしい。

この講座は半年ぶりの再開だったが、新しい方も何名かおられて楽しいスタートを切れた。

吉野山散歩

※吉野郡は奈良県の面積の半分以上を占める広大な地域なので、桜で有名な吉野地区のことをここでは「吉野山」と表します。

吉野山の街は何度も歩いている。

しかしいつも山の行きか帰りなので、時間をかけてゆっくり見て回ったことは無い。

いちど街歩きを主目的にして訪れてみたいと思っていたが、なかなかいいタイミングが無かった。

翌日に講座の仕事が入っている 10/4 の日曜日、あまり疲れが残るような山行きは躊躇する日で、しかも天候もちょっと不安定な感じだったので、これは格好のチャンスだと思った。

こんな時でもなければ立ち寄らないような場所もいくつかピックアップしていたので、気楽な気分で出かけることにした。

司馬遼太郎のような文章が書けるわけはないけれど、気分は「吉野山散歩」である。

家から2時間半かかってようやく六田(むだ)駅に着いた。車ならこの時間帯であれば1時間半あれば来られるのだけれど。

8時23分に六田駅を出発した。しばらく国道を走って、まずは「柳の渡し」。奥駆道の北端で、逆峰(吉野から熊野に向かう時)の時はここで身を清めて修行に入る。元々はもう少し上流にあったらしい。

美吉野橋を渡って吉野川の左岸へ。役行者の像がある。奥駆道75靡の75番目。

この先を左に曲がってわずかで行者堂があるはずなのだが、なかなか見当たらない。そこから旧道に入るので、不安になって細い道を適当に入った。

山の斜面の畑の畦道で、少し登ったら畑作業をされているご夫婦がおられたので「吉野神社へ行く古い道はどこですか?」と尋ねたら、「そういう道は知らないけれど、前の道はずっと続いている」とのことだったので、斜面の上に向かって細い踏み跡を進んで行った。

しばらく登ると少しはっきりしてきて、テープもいくつか出てきた。

左に車道が見えたので、これが吉野神宮へ行く道だと思って車道に下りたが、どうも様子がおかしい。すぐ先にゲートがあって通れなくなっている。

細い道が分かれていたのでそちらに進んだところ、まもなくヤブになった。そして強引に進むと太陽光発電の大きな場所に出た。

今回はコース全体の地図は持ってきておらず、ポイントの周辺を拡大したものしか用意していない。

gps も画面が小さくて、自分のいる場所がはっきりわからないので、スマホも使って確認したところ、何と、吉野神宮の西の左曽川のさらに西にいることがわかった。

美吉野橋を渡って左に曲がって、すぐに行者堂があると思い込んでいたが、帰ってからその本(新吉野紀行・桐井雅行著)を見直すと「すぐ」ではなくて「しばらく」と書いてあった。

左曽川を越えてから山道に入らなければならないのに、その前に斜面に入ってしまっていたのだ。何たること!!

結構進んでいるけれど、諦めて戻ることにした。先ほど出会った車道で本来の道に出会えそうなので、そこをジョグで戻った。

しかしここでまたもやミス。吉野神宮に向かう車道が2本あって、ここからだと大回りになる方に入ってしまっていた。

諦めてこのまま進むかどうか思案したが、また戻って本来の道に向かうことにした。

車道を忠実に辿ると大きなヘアピンカーブを登らなければならないのだけれど、ちょうどカーブの始まりあたりで斜面の上に向かって細い道が伸びていたので、ショートカットできるかもと期待してそこに入った。正解でした!!。

車道を進むとほどなく行者堂が現れた。私が読んできた本は 1996 年の出版で、その後ここに移設されたようだ。

本に紹介されていた旧道の「一之坂」もわからず、そのまま車道をジョグで進んだ。

9時58分、ようやく吉野神宮に到着した。

後醍醐天皇が祀られているが、明治になってから創建された神社なので、それほど長い歴史があるわけではない。

昔はこのあたりに「丈六山」という74番目の靡があった。

また車道をしばらく進んで「村上義光公の墓」。

村上義光(むらかみよしてる)は大塔宮護良親王が北条幕府とこのあたりで戦った時、護良親王の身代わりとなって壮絶な最後を遂げた様子が太平記に残されている(らしい)。

急な登り坂を上がると下千本の駐車場に出る。ここの南にあるちょっとした小山が嵐山。

実は京都の嵐山はここが元祖。亀山天皇が吉野山の桜を京都に移し植えて、名称もそのまま移された。

そして、東側に谷を隔てて眺められる尾根が「ホウヅキ尾」。ここは尾根だが、京都の「保津峡」もこれが名称の由来。

ホオヅキ尾の向こうに龍門岳(左)と烏ノ塒屋山(右)

少し進んで、芭蕉の句碑。判読不能。

このあたりは駐車場に車を置いて歩いておられる観光客がチラホラ。コロナの影響もあるだろうが、元々吉野山は桜の季節以外は観光客はあまり多くない。

「攻ヶ辻」。対幕府軍との激戦地だった。

このすぐ先に「大橋」。元々は城を守るための堀に架けられていた橋。いつもは吉野駅から、左側に見える階段を上がってここに出てくる。

ここから先はもう何度も歩いた道。まずは黒門。金峯山寺の総門。

そして「銅鳥居(かねのとりい)」。日本三鳥居の一つ。

鳥居のそばにある行者堂の役行者像。

いよいよ金峯山寺へ。仁王門は相変わらず改装中。

手前が大塔宮御陣地の四本桜で奥に蔵王堂。

今日は拝観料を払って蔵王堂の中に入った。初めて蔵王権現像を眺めたが、正直仏像の価値はよくわからない。

石段を下って、吉野朝宮跡へ。

後醍醐天皇など南朝四帝の歌が彫られた五角柱の文字碑。

また境内に戻って、村上義光が壮絶な最後をとげた場所。

吉野山ビジターセンターは閉まっていた。

奥駆道ツアーをやったり、宿坊もやっている東南院。

何度か来たことのある吉水神社にも寄っておく。ここは昔は吉水院という寺だったが、明治の廃仏毀釈で神社になった。

後醍醐天皇や源義経の過ごした部屋を見てみたい気持ちもあったけれど、拝観料が 600 円もするので躊躇した。

今日の目的の大きな目玉はこの後にある。

古事記より・・・

『尾のある人、井より出て来たりき。その井に光ありき。
ここに「汝は誰ぞ」と問ひたまへば、
「あは国つ神、名は井氷鹿(いひか)と謂ふ」と答へ曰しき。
こは吉野首(よしののおびと)等の祖なり。』

神倭伊波礼毘古(かむやまといわれびこ–神武天王)が八咫烏に導かれて熊野から吉野にやってきた時の話で、井氷鹿にまつわる伝承のある井光(いひか、いかり、いひかり)神社が吉野山周辺に何箇所かある。

「役行者–修験道と海人と黄金伝説(前田良一著)」によるとそのうちの二箇所がこの近くにあるとのこと。

メインストリートから横道にそれて、行き止まりになった場所のそばに古びた祠があった。

前述の著書の写真では標柱に「井光神社」の文字が読み取れたが(出版は 2006 年)、もはや判読不可能だった。祠も手入れされているようには見えず、遠からず倒壊するのではないかという感じ。

メインストリートに戻って少し進むと勝手神社があって、その前の道から右への石段を下ると大日寺。村上義光・義隆父子の菩提寺。

勝手神社の境内には、静御前が義経の無事を祈って舞った場所といわれる舞塚。

少し進むと右側に「井光神社八幡宮」。ここは手入れはされているようだが、境内も無く、囲いの向こうに祠があるだけ。

吉野川右岸の川上村井光にも井光神社がある。ここはもう少し立派な神社のようだが、まだ行ったことが無い。

お次は喜蔵院。宿坊をやっている。中に入るのは初めて。これは本堂。このあたりの寺はみんな修験道の寺なので、本堂の前に護摩を焚くための場所が設えられている。

そして今回の大きな目的の一つが善福寺。

この本堂の裏の斜面を下ると、井氷鹿が出てきたと云われる井戸がある。

「井氷鹿の井戸」の伝承地も実は三箇所ある。詳細は後ほど。

次に桜本坊へ。

役行者の下駄に乗ってお参り。

そして竹林院へ。

さらに進んで天王橋。ここも城の堀にかけられた橋。

当初は水分神社あたりまで行くつもりだったが、序盤のミスで余計な時間と体力を浪費してしまったので、ここから如意輪寺へ向かうことにした。

山道に入って少し行って、五郎平茶屋跡。

谷の向こうに如意輪寺が見える。

谷に下ってから登り返して如意輪寺へ。

宝物殿には入らずに後醍醐天皇陵へ。

石段を引き返して、車道を吉野駅に向かう。この道はちょうど一年前に辿った

吉野駅前からケーブルの駅の横を通って幣掛(しでかけ)明神へ。ここもこれまでは前を素通りするだけだった。

「一之行場」となっているが、奥駆道からははずれている。飯貝からここを通って七曲りを上がって大橋に出る経路は昔から一般的だったもよう。

ここにも行者堂がある。

また車道に戻って飯貝へ向かう。目指すは飯貝の水分(みくまり)神社。その目的は・・・。

ここにも「井光の井戸」があります。

神社の境内まで行ってみたが、肝心の井戸がどこかわからない。

境内の奥にヤブに入っていく踏み跡があったが、すぐに消えてしまった。

仕方なく参道を戻ったところ、先ほどの看板の向かいに危なっかしい板の道が下に向かっていた。

50m ほど下るとありました。

標柱の文字はもはや読めない。「神武天皇」という文字がかすかに残っているようだが。

私は神武天皇の実在を信じているわけではないが、日本の神話は何かその起源になるような人物や出来事があったのではないかとは思っている。

井氷鹿の「尾のある人」というのも、山伏や山仕事をやる人がお尻に着けている毛皮のことではないかという説もある。

私は学者ではないので史実を探究しようという気持ちはあまり無くて、一種のロマンとしてこういう伝承を楽しんでいる。

そして今日、最後の訪問地は本善寺。

今、吉野山では「寺宝めぐり」という行事が行われているのだが、ここはそれには含まれていない。

蓮如上人が創建した真宗の寺で、真宗を普及させようとして金峯山寺とは何度も諍いを起こした歴史がある。

山肌の墓地の一番上には蓮如上人の御廟がある。

これで今日の予定はすべて完了。上市の街並みを見下ろしながら上市駅に向かう。

午後2時37分、大和上市駅にゴールした。

次の電車が数分後だったので大慌てで上だけ着替えて、ホームに入ってきた電車に飛び乗った。一人打ち上げのビールが楽しめなかったが、駅に来る途中も買えそうな所は無かった。

吉野山のお寺のほとんどは中に入るのに拝観料が必要になる。だいたい 500 円。今回は金峯山寺だけは入ったが、他には入らなかった。

仏像に興味や知識のある人には値打ちがあるのかも知れないが、寺の大きさから考えると 500 円はずいぶん高いように感じる。

「寺宝めぐり」で紹介されている寺が9箇所あって、吉水神社を含めると 10 箇所になる。全部入ったらほぼ 5000 円。いくら何でも高すぎる。

本気で集客したいのであれば割安のチケットなども考えた方がいいのではないかと思った。

個人的には満足できる一日でした。