関門トンネル人道、壇ノ浦

9/28(土)は最終日。

山陰本線も完走したので最後のおまけで関門トンネルの人道に行ってみる。

下関駅からバスで御裳濯(みもすそ)川まで行く。バスターミナルは大きくて立派。

10分ちょっとで御裳濯川に到着した。

橋は高速道路の関門橋。

人道の入り口はここから見えるところにある。

エレベータに乗って地下に降りる。通行は無料。自転車は20円だが料金箱が置いてあるだけ。夜間は閉鎖されている。

ここから県境まで400mの緩い下り。県境から門司側までは380m。

ジョギングしている人もいる。自転車はもちろん押し歩き。

のんびり歩いて10分ほどで門司側に到着した。

上に上がって下関側を眺める。

そばに和布刈(めかり)神社。

ここでは散骨ができるもよう。

下関に戻って、関門橋のふもとにある壇ノ浦古戦場址へ。

源義経と平知盛の像。

壇ノ浦の戦いは、そういう名称の大きな戦いがあったということは知っていたけれど、詳細はほとんど知識がなかった。今回、ここを訪れることになったのでにわか知識で少々調べた。

数え年で8歳(満6歳4か月)だった安徳天皇が祖母にあたる二位尼(にいのあま、平時子)に抱かれて入水した場所。

母である建礼門院(高倉天皇の中宮)も入水しているが、義経側の兵に引き上げられて、晩年は大原の寂光院で隠棲した。入水はしていないという説もあるとか。

そして安徳天皇を祀った赤間神社へ。

安徳天皇の陵。

さすがに天皇を祀った神社だけあってきれいだった松陰神社よりもさらに立派。

豪華です。

そばには耳なし芳一の「芳一堂」。この物語はこのあたりにあったと言われる阿弥陀寺が舞台になっている。

その横には平家一門のお墓。

その後、バスで下関駅に戻って、さらに山陽本線で新下関駅に行った。

新幹線の新下関は各停しか止まらないのでかなり待たされて、ようやく岡山行きのこだまに乗った。見たことのない車両だった。

徳山でさくらに乗り換えて新大阪に向かって、午後の早い時間帯に帰宅することができた。

山陰本線、松蔭神社

9/27(金)は山陰本線で下関まで行く。

山陰本線の山口県エリアは本数が少なくてなかなか大変と言われている。おまけに昨年夏の大雨で路線の一部が損傷して不通になっており、不通区間は代行バスの運行になっている。

いずれにしても1本ですんなり下関まで行くことはできないので、萩で時間潰しをしながらのんびりと向かうことにした。

9時半頃の普通列車で東萩まで行く。益田から先は普通列車しかない。

2両編成になっている。私が乗った車両は私一人で、もう一方の車両も誰も乗ってきた気配がなかった。

海岸沿いを走る。このあたりは海岸のゴミがなくてすっきりしている。

最終的に数人くらいの乗客で、益田から1時間15分くらいで終着の東萩駅に到着した。

萩は萩焼で有名だが、実は明治維新にゆかりのある人物の関連地がたくさんある。

もうちょっと観光地っぽい街かと思っていたが、そういう雰囲気はまったくなかった。もう一つ先の萩駅はどうなのだろうか。

15分ほど歩いて吉田松陰を祀った松陰神社に到着した。

吉田松陰は名前こそ知っているもののどういう人物だったのかはあまり知識がない。ただ、松浦武四郎と付き合いがあったようで、武四郎のことを書いた本で何度か見かけた。

松下村塾は有名なので知っている。

ただし松下村塾は松蔭が開いたものではなく、別の人物が始めたものを引き継いだ。指導していた期間もわずかだが、その中からは明治維新に大きな影響を及ぼした人物が何人か出ている。

幕府にはむかって捕らえられて、幽閉されていた建物。

松蔭神社の本殿。

個人、しかも幕府に逆らって殺された人間を祀っているにしてはずいぶん立派な造り。このあたりの人々にとっては英雄なのだろうと思う。

歴史館に入ってみる。500円なり。

幕末の時代なので写真はほとんど(まったく?)無かったが、解説のパネルだけではなくリアルな造りの人形がたくさん並んでいた。

こういうのが10箇所以上(約70体)あった。

なかなか手間がかかっている感じ。

相当頭のいい人間だったようだが、かなり過激な人物でもあったもよう。安政の大獄で処刑されて30歳で人生を終えたが、こういう人物にはふさわしい人生だったのかも知れない。

当初は午後2時台の電車に乗る予定だったのだが、ここで昼食をとって、一本手前の1時台の電車に乗ることにした。

先ほどと同じような車両で長門市に向かう。今度は数人の乗客があった。

また海岸沿いを行く。

50分ほどで長門市に到着した。

今回の旅に来るまで、長門市というのは福岡県あたりの九州の都市だと思っていた。

ここから先の一部で不通区間があるため、長門市駅から小串駅までは代行バスに乗る。小串駅まで1時間半くらい。

乗客は数人程度だったが、ほとんどみんな地元の人たちで、観光客風情の人は一人も見当たらなかった。

またまた海岸沿いを行く。

とんでもなく不便な地域なのだが、どこかに高校があるようで、高校生が何人か途中で乗ってきたり降りたりしていた。一日に数本くらいしか便のないような場所で学校に通うのは本当に大変だと思う。

今はネット通販があるのでたいがいのものは通販で買えるが、日常生活用品の調達は不便だろうと思う。

小串駅までの途中でスーパーのような店はまったく見かけなかった。

午後5時過ぎに小串駅に到着した。

ここから下関駅までは45分くらいで、電車の本数もそこそこある。

午後6時過ぎに下関駅に到着した。久しぶりに都会に来た感じ。

無事、山陰本線完走を果たした。

まずは駅の近くのホテルにチェックイン。

明日は最終日で、関門トンネルを歩いて九州に上陸するつもり。一息ついたら駅に戻って明日のバスの時刻をチェックした。

そして、下関と言えばやはり「ふぐ」でしょう。シーズンではないかも知れないけれど、それほどのグルメではないので気にしないことにしよう。

駅のそばの店にお手頃価格のセットがあったので迷わずそこに入った。

このあたりでは「ふく」と呼ぶらしい。「ふく」というのが正しい表現という説もあるとか。

ふぐを食べるのは何年振りがわからないくらい久しぶり。なのでどんな味がおいしいのかどうかよくわからないが、とにかく満足できました。