高島・乗鞍岳

5/25(日)は講座で高島トレイルの乗鞍岳へ行ってきた。終日、小雨だった。

JRマキノ駅からバスで国境スキー場(今は別の名称になっている)へ。

ここが高島トレイルの起点。

駐車場への車道を少し歩いてからゲレンデの斜面に入る。

スキーでは何度も滑っているが、無雪期に歩くのは初めて。

20分ほどの登りでゲレンデトップへ。

そして山道に入る。

30分ほどがっつり登って稜線に出た。

なだらかな稜線を30分ほどで乗鞍岳の山頂(865.1m)に到着した。

天気が良ければ気持ちのいい稜線なのだが、今日は生憎の天候。

鉄塔のある広い場所で昼食にした。

その後、稜線から少し分かれた芦原岳へ立ち寄り。

また稜線から少し離れて猿ヶ馬場山(651.5m)へ。ここは三角点がある。

午後1時半頃に黒河(くろこ)峠に降り立った。

そばの東屋でトイレ休憩。

あとはひたすら林道を歩いて白谷のバス停に向かう。

3時前、予定よりも1時間ほど早くバス停に到着することができた。

予定よりも1本早いバスで帰ることができた。

天河大辨財天社

5/23(金)はいよいよ奥駆道南部に向かう。

白谷トンネル入り口手前の行仙岳登山口のそばのスペースに車を停めて、6時頃に出発した。

最初は急な階段。

さっそく階段を登り始めたが、出だしから体調が非常に悪い。脚が重くて力が入らない。

昨年末に心電図の検査で不整脈が発覚した。ここ1〜2年、たまに身体が重くてだるいということがあったが、どうも不整脈が原因だったもよう。1月の北海道も今ひとつ気力が出なかったが、これも不整脈が原因だったのかも知れない。

医者から「カテーテル・アブレーション」という治療を勧められて、3月の末に施術を受けた。

これでもう安心できるのかと思いきや、残念ながらその後の体調は今ひとつ芳しくない。

日常生活においては改善しているように思われるが、運動時は相変わらず身体が重くて、長年の日課だったジョギングもこのところ散歩に切り替えている。

講座の仕事は問題なくこなせているのだが、今日はいきなり急な階段登りだったせいか非常に調子が悪い。

階段が終わってなだらかな登りになったが、それでも復調の兆しが感じられない。

せめて行仙岳まででも思ったが標高差が400mくらいあるので、この調子ではとても辿り着けそうにない。

出発してまだ10分も経たないくらいだが、無理して進んでさらに体調が悪化したら下れなくなってしまう。携帯は圏外だし、平日のこんな場所では人に出会う可能性は低い。

また来ようと思えばいつでも来られるくらいの場所なので、今日は諦めることにした。

車に戻って後片付けをしてもまだ7時前。このまま往路を戻るだけではあまりにも虚しいので、ひとまず十津川村の方に向かうことにした。

もし対向車が来たらどうしようかとハラハラしながら1時間以上走って、ようやく十津川村まで辿り着いた。

できれば温泉に入りたかったのだが、さすがにこの時間では空いているところが見つからないので、とりあえず北に向かう。

このまま北上すると五條市に出るのだが、ふと思いついて天川村の天河神社(天河大辨財天社)に行ってみようと思った。

途中から天川村に向かう道に入ったが、これもまた離合不可能な狭い道が延々と続いた。何度か対向車に出会ったが何とかすれ違うことができた。

9時過ぎにようやく天河神社に到着した。平日の午前中だが、そこそこの参拝客がおられた。神社の職員も忙しそうだった。

石段を上がって、本殿。

反対側に降りると役行者堂。

すぐそばに天石。

戻って、本殿の少し下には五社殿。

実はここは南朝とのつながりが濃いらしいのだが、そのことは帰ってから知った。残念。

行動食を食べたりして時間潰しをして、橿原市でようやく温泉に入ることができた。

地下から汲み上げた炭酸泉で、浸かっていると肌に小さな泡がついてくる。漢方釜風呂というのがあって入ってみたが、薬草の香りのするサウナだった。寝そべると背中にお湯のながれる寝湯もあって、なかなか楽しめる温泉だった。

平日の午前中だというのに結構な数の入浴客がいて、しかも若い人たちもそこそこいたのが意外だった。

あとはのんびりと帰るだけでした。

金剛寺、瀧川寺

大峰奥駆道の半分以上は歩いていると思うが、南側に大きな未踏エリアがある。

奥守岳から笠捨山までがそれで、何度か足を踏み入れようとしたものの、未だに手を触れることができないでいる。

とにかく交通が不便で、周回ルートもとれないので、テント泊にするとアプローチと下山後が大変。往復するには今となっては距離が長過ぎる。

しかしどうにも諦めがつかず、何とかならないだろうかと考えて、引き出した答えは「白谷トンネルから行仙岳に上がって北に向かう。できれば奥守岳まで行って戻ってくる」というもの。

往復で25kmほどになるが標高差はあまり大きくないので、12時間くらいかければ行けるのではないかと考えた。

ただし早出しなければならないので前日中に麓まで行っておかなければならない。

ということで5/22(木)の午後に家を出た。天気予報では翌週はずっと雨模様なので、翌日の晴れがラストチャンスだった。

こういう機会に訪れておきたい場所が二ヶ所ある。

一つ目は川上村神之谷の金剛寺で、以前に一度訪れているが、ぜひ再訪したいと思っていた。

前回来た時は誰にも会わず、ひと気のまったくない雰囲気だった。今日も平日なので誰もいないだろうと思っていたが、到着したら車が停まっていて、3人の人がおられた。みんな首から名札を提げていて、いかにも仕事という感じ。何の仕事だろう。向こうもちょっと意外な感じでこちらを見ている。

車を停めてお寺に向かう時に「こんにちは」と声をかけられたので、同じように返事して石段を上がったら、今度は上にある管理のための建物のそばに車が停まっていて、何か荷物を運んでいる人がおられた。またまたびっくり。

向こうは私のことに気が付いていないようなので、だまってさらに上の石段を上がった。

本堂はうっすらと記憶がある。

靴を脱いで扉の前まで行ってみたがやはり戸は閉められていた。しかし格子の隙間から覗くことはできた。

役行者が大峰山から投げたという地蔵菩薩はどれ? 真ん中にあるのは鏡のように見えるけれど。

本堂の右には自天親王神社。

二つの祠が少し角度のついた位置で並んでいる。

左が八坂神社(素戔嗚尊)で右が本殿。本殿は自天王と忠義王(南朝皇胤の兄弟。自天王が兄)を祀っている。両宮は1457年、長禄の変において赤松家の賊によって殺害された。

禁闕の変(1443年)において三種の神器の二つが奪われたが、その時に宝剣は奪い返された。しかし神璽はそのままで行方不明になったが、その後、このあたりに隠されているということがわかって、赤松家がそれを奪い返すための武力行動を起こした。

本堂の左には河野宮(忠義王)の陵がある。長年、川上村では自天王の墓としていたのだが、明治時代に宮内庁が忠義王の墓に治定した。

しかしここに上がる石段のたもとにはこんな石が。

「南帝自天皇陵」と読める。右は「後亀山天皇玄孫(おそらく)」。

そばには尊秀王の墓。

この写真の「尊」の字体はパソコンには登録されていない。

尊秀王は後南朝の指導者だが詳細は不明。禁闕の変の首謀者の一人で、この時に殺されているらしいが詳細は不明。

尊秀王とは自天王のことという説もあるが、そうではないという説の方が有力。

長禄の変の時、忠義王はこのあたりに潜んでいた模様。

駐車場所に戻ったらさっきの人たちはいなくなっていた。

お次はさらに30分ほど南に向かって、上北山村小橡(ことじ)の瀧川寺へ。ここは初めて。

明治時代に宮内庁によってこちらが自天王の墓と治定された。

「北山宮」というのは自天王のこと。

山門の横にも。

山門をくぐると正面に本堂。

本堂の向かいには神社。これが「北山宮」?

本堂の横に宮内庁の案内板。

石段の前に簡単な柵が置かれていたけれど、さほど厳しく立ち入りを禁じているような感じではなかったので、石段を上がってみた。

本堂に戻って扉に手をかけてみたら開けることができた。中に入ってみるとかすかに線香の香りが残っている。

お札が置かれていたので賽銭箱に千円入れてもらってきた。

長禄の変の際、自天王はこのあたりに潜んでいた模様。神璽が隠されていたのもこのあたり?

となると三之公のカクシ平は何? ここにあったお墓は「尊義親王」と書かれていた。

なお、後南朝の歴史に関しては不明な部分が多く、ここに書いたことが必ずしも史実として確定しているわけではありません。

ここに述べたような事件があったことはほぼ事実だが、当事者が誰であったかということでは不明な点が多い。

このあと、下北山スポーツ公園の駐車場に車を停めた。小さいながらもきれいなトイレがあって快適でした。

よく知られているのか、翌朝にはたくさんの車が停まっていた。

比良岳、烏谷山

5/18(日)は講座で比良の比良岳と烏谷山を歩いてきた。

びわ湖バレイのロープウェイで山頂まで行く。

奥に武奈ヶ岳(左)とコヤマノ岳(右)。手前の稜線がこれから歩くルート。

まずはスキー場のコースを下って木戸峠に向かう。

キャンプ場のあたりにクリンソウ。

イワカガミ。

少し登り返して木戸峠に出た。

その後、稜線を辿って40分ほどで比良岳(1051m )へ。

ぐっと下って葛川越へ。

下った分を登り返して烏谷山(からとやま。1076.5m)へ。ここで昼食にした。

びわ湖方面はあまりはっきり見えない。

まだどんどん下る。シロヤシオ。

振り返ると打見山と蓬莱山。

20分ほどの下りで荒川峠へ。

ここからJR志賀駅に向かって下る。まだシャクナゲが残っていた。

沢筋に降り立ったところに湧水があった。

しばらく下ると車道に出た。

あとはずっと車道。

時間潰しに松の浦の浜辺でひと休み。

3時20分に志賀駅に戻ってきた。稜線のあたりは雲がかかっていた。

清水山

5/14(水)は京都一周トレイルの講座で清水山を歩いてきた。

京阪の清水五条駅に集合して、しばらく五条通りを東に歩く。

歩道橋の上から清水山を望む。

間の道を歩いて、渋谷街道の旧道に入る。

五条通りのトンネルを潜ってから石段を上がると右手に清閑寺。

清水寺に裏から入って本堂を望む。平日の午前中だがとんでもない人混み。

トイレ休憩のために少し下って、音羽の滝に立ち寄る。

少し戻って一周トレイルのコースに入る。

20分ほど登って清水山(242.2m)へ。

その後、東山山頂公園で昼食にした。

ここからの比叡山は気が茂って見えにくくなってきた。

昼食後はそばの展望場所から京都市内を眺める。これは愛宕山方面。

都ホテルのそばを通って、尊勝院。開いていた。

粟田神社の前から三条通りに出た。

その後、三条通りを地下鉄の東山駅まで歩いて、そこで解散した。

岩間山

5/12(月)は講座で滋賀と京都の県境の岩間山へ行ってきた。

JR石山駅からバスで中千町へ。バス停から岩間山が望める(鉄塔の奥)。

ちょっと畑の畦道でショートカットしてから車道を歩く。

出発して30分ほどで東海自然歩道に入る。

ノリウツギ。

しばらく階段が続く。

その後、車道に出て、奥宮神社へ。

本殿。

本殿のそばから岩間山を望む。

岩間山に向かう。先ほど見えていた電波塔。

11時18分に岩間山の山頂(443m)に到着した。

少し戻って奥宮神社下の展望場所で昼食にした。

展望場所から湖南アルプス方面。

その後、宇治方面に下山した。藤の花。

あとはひたすら車道歩き。

1時間半ほど車道を歩いて、南郷中学校のバス停で解散した。

霊仙山

4/27(日)は講座で鈴鹿の霊仙山へ行ってきた。

天候悪化のために途中で下山した昨年のリベンジだったが、私は途中で下山された方に付き添ったために山頂までは行けなかった。

JRの南彦根駅からタクシーに分乗して山女原(あけびはら)へ。そしてしばらく林道を歩く。

20分少々で登山口へ。

10分少々の登りで宗金寺。誰が管理しているのだろうか。

40分ほど登って笹峠で一休み。

いよいよ石灰岩の歩きにくい場所が始まる。

この先から一人の方が遅れるようになり、前が見えなくなってしまった。

少し平らなところに出たが、このペースでは今日の周回コースを歩き切ることは不可能なので、この方はここで引き返していただくことにする。標高900mくらい。

霞んではっきりは見えないが、琵琶湖方面。

もう一人、体調があまり良くない方がおられて、その方も一緒に下山されることになった。

笹峠で昼食を取って、無事登山口に降り立った。

帰りもタクシーに来てもらうので、少し先の神社のあるところまで行く。

お二人にはここで待っていていただいて、私は大洞谷を遡って本隊を迎えに行く。

ここは以前に個人的に歩いている

少し林道を歩いて、山道に入ると危なそうな橋。前回もあったようだが記憶に無い。下山パーティと出会って、渡ってから振り返って撮ったもの。

飛び石伝いに沢を渡る。好天の日曜日なので下山パーティにたくさん出会う。

その後、また沢を渡って、ロープの垂れた急斜面を上がって、神社から30分ほどで汗ふき峠に到着した。ここも人だらけ。

さらに30分ほど登ったところで下りてきた本隊に出会った。標高800mくらい。

登ってきた道をひたすら下る。沢も渡る。

一人で登りにかかったのとほぼ同じ1時間くらいで神社のところまで下りてきた。

このあとタクシーの待ち時間にちょっと横道を歩いたりして、迎えに来てくれたタクシーでJR南彦根駅に戻った。