6/30(月)はクライマックスでいよいよ太宰の故郷の金木まで行く。
ホテルで朝食をとって、深浦駅に向かう。2.6kmの道のり。朝食がたっぷりだったので腹ごなしの散歩にちょうどいい。
港の一本杭。


地元の人たちがおしゃべりされている横を通りかかったが、まったく理解不能の言語だった。
駅の少し先にある大岩。あそこまで行っている時間は無い。

弘前行きの電車ではまたもやツアーの団体に遭遇した。

千畳敷。

11時頃に五所川原駅に到着した。

五所川原で思い起こすのは私の場合は陸上の福士加代子選手。
次の津軽鉄道まで1時間くらいあるので街に出る。
駅前の通りはやっぱり閑散としている。

前回、来た時は気づかなかったのだが、太宰の『まちなか「思ひ出」パーク』という施設があるそうなので、行ってみることにした。

太宰が幼少の頃「母」と慕った叔母キヱの一家が、太宰の生家である金木の津島家から分家した際に建てられたもの。
平成23年(2011年)の解体まで現在の場所にあったもので、平成26年8月に再築されたとのこと。
小ぢんまりした施設だが、ビデオはなかなかいい内容だった。
そして駅に戻る。

電車に乗り込む。

行きは金木駅の一つ先の芦野公園駅まで行く。五所川原から30分ほど。

旧駅舎を活用して営業されている喫茶店の「駅舎」。前回は休日で入れなかったので、できることなら入っていきたいのだが、この先の予定の関係で諦める。

ここに来た目的は「川倉賽の河原地蔵尊」を再訪すること。
25分ほどでたどり着いた。

ここの地蔵尊堂は有名なのだが、前回来た時は閉まっていて入れなかった。
が、あとから考えたら玄関は閉まってはいたけれど、ひょっとしたら扉が閉まっていただけで、開けることができたのではないかという思いが湧いてきて、いつかぜひ再訪したいと思い続けてきた。
その地蔵尊堂まで行くと、扉が開いていた。

入り口に近づいたら中からお経をあげる声が聞こえてきた。
そっと入ってみると、どなたかがお勤めをしてもらっているようだった。

有名なお地蔵様はこの裏側にある。
ここにいていいのかどうか心配だったが、間もなくお勤めが終わりそうな感じだったので、そのまま静かにして待っていた。
そしてお経が終わってお坊さんのお話しが始まったタイミングで、そっと横を通って裏側へ行ってみた。幸い、何も言われなかった。
これを見るためにわざわざここまでやってきたのだ。大満足だった。
満足感に満たされて、お次は金木の「太宰治 思い出広場」へ。
25分ほどで到着した。前回は来なかったところ。

こんなところ。
そして雲祥寺へ。

太宰が幼少の頃、女中のたけに連れられてしばしばここを訪れて、展示されている地獄絵を見せられて、道徳を教えられた。
ここは前回も来たけれど、その地獄絵は見られなかった。本堂に入らなかったのか入れなかったのか、よく覚えていない。
今回は入りました。

「・・・・。嘘を吐けば地獄へ行つてこのやうに鬼のために舌を拔かれるのだ、と聞かされたときには恐ろしくて泣き出した。(思ひ出)」の図。

太宰の生家の斜陽館はこのすぐそば。前回来た時は外装が改装中だったが、今日はきれい。

前回はコロナ中なのにわりと混雑していたが、今日は何故か閑散としていた。しかし今日は入らなかった。
近くの土産物店で昼食用にサンドイッチを買って、駅の休憩室で食べた。

五所川原への電車でまたまた団体客に遭遇した。
ホームから岩木山。

電車では団体客がいたせいか、車中でアテンダントの沿線解説があった。ついつい車内販売のクリアファイルを買ってしまったが、今回の旅で唯一の自分のお土産になった。
五所川原での乗り換えはまた1時間ほどあった。駅の近くにコンビニがあったのを覚えていたのでコーヒーを買ってきて、駅の待合室でのんびりした。
弘前駅も立派だった。

駅の近くのホテルにチェックイン。

秋田での夕食を失敗したので、ホテルの近くにあった全国チェーンの居酒屋へ入った。こういう店なら大きくはずれることはないだろうという期待で。
が、またもやはずれだった。
メニューにスプリングバレーがあったので注文したら、今日は無いとのこと。注文したつまみと出てきた付き出し(枝豆)が似たようなもので、そこそこボリュームもあったので、それだけでお腹いっぱいになりそうだった。
川倉賽の河原地蔵尊と雲祥寺で非常に満足のいく一日だったのだが、最後ががっかりだった。