奈良県立橿原考古学研究所に友史会という組織がある。会費を払えば(年額5000円)誰でも入れて、毎月会報が送られてくる(年間10回)。月に一度例会が開催されて(これも年間10回)、年に数回はいろんな遺跡を訪ねて講師が説明していただける(参加費無料)。
昨年に入会して、この例会を楽しみにしていたのだが、運悪く随行の仕事とかちあってしまって(毎月第3日曜日)、これまで参加することができなかった。
幸か不幸か随行の仕事を昨年いっぱいで辞めることになったので、ようやくこの例会に参加できることになった。
3/15(日)は「太安萬侶が通った道」というタイトルで、橿原市の新ノ口(にのくち)から下ツ道を北上して平城宮跡まで行って、JR奈良駅にゴールするという約24kmのコースに参加することにした。
集合は午前10時に近鉄橿原線の新ノ口駅。

参加者は多いだろうとは思っていたが、ざっと見てゆうに100名は超えている(報告によると146名)。
講師の方がFM電波を発信するマイクを持たれていて、随行の方の何人かが小型のスピーカーを首から下げておられる。FMラジオを持参すれば自分でもその電波を受信できるが、私は知らなかったので持参していなかった。
10名足らずの随行の方が付いて、大行列で狭い道を歩き始めた。
15分ほど歩いてまずは松ノ下古墳へ。

畑の中のちょっとした盛り上がりで、かつては「太安萬侶卿の墓」という標柱が立っていた。
太安萬侶の墓は墓誌が出てきた古墳が有名なのだが、発掘調査でこの古墳が造られたのは安萬侶の死後何十年か後のことで、それまでどこかに埋葬されていたはずで、この松ノ下古墳がそうではないかという説があるそうだが、この古墳は発掘調査がされていないので確証は得られていない。
お次は多坐弥志理都比古(おおにいますみしりつひこ)神社へ。

このあたりは多地区で、太安萬侶の本拠地だった。

下ツ道に戻って北上する。西に二上山。

淡々と北上する。

随所に古い道標が残っている。

田原本町の役場でトイレ休憩。人数が多いのでトイレ休憩も時間がかかる。

鏡作坐天照御魂(かがみつくりにいますあまてらすみたま)神社へ。

鏡石。


ここで昼食休憩。
その後、近鉄天理線の二階堂駅のところで何人かの方が終了された。

さらに少し歩いて郡山のジャンクションそばの下ツ道歴史広場でトイレ休憩。

さらに北上して稗田の集落へ。

今も残る環濠。

賣太(めた)神社。

佐保川の堤防を行く。

このあたりでJRか近鉄の郡山駅に向かわれる方が何人かおられた。
平城京羅城門跡公園。

午後4時45分、ようやく平城宮跡までやってきた。この時点で約50名。

ここからは東に向かって歩いて、午後5時20分にJR奈良駅にゴールした。

最後の方で都合のいい駅やバス停などに向かわれた方がたくさんおられて、最終的に奈良駅まで行ったのは20名くらいだった。GPSによると約25km。
当初はこのあと近鉄奈良駅まで歩こうと思っていたのだが、さすがに疲れて、ちょうど十数分後に京都行きの列車があるので、それに乗ることにした。
随所で講師の方の解説を聞きながら歩けるのは非常に良かったが、それにしても参加者が多い。事前申し込み不要で、途中で離れるのも自由である。
来月の予定は纏向遺跡で、過去にあった似たようなコースの例会では300名以上の参加者があった模様。こんな人数が小さな駅に集まったらどんなことになるのだろうか。