甲府へ

太宰治は戦時中、東京の三鷹の借家で暮らしていた。

次第に空襲が激しくなり、妻子は奥さんの実家の甲府に疎開したが、三鷹のあたりも空襲が激しくなってきたため、本人も甲府に疎開することになった。

しかしその甲府にも米軍機がやってきて、疎開先の家が空襲の被害にあって住む家が無くなり、しばらく奥さんの親戚の家などを転々として過ごしたが、そんな生活をいつまでも続けるわけにはいかず、致し方なく太宰の生まれ故郷の津軽に一家で疎開することにした。

その時のことが「たずねびと」という作品に書かれている。

ここでの出来事はおそらく創作だと思われるが、記述されている津軽への道のりは真実だと思う。

その当時は上野から青森までの急行列車というのが運行されていたのだが、その頃の電車の混雑ぶりは殺人的で、小さな子供を二人連れた家族連れが乗り込めるような状態ではなかった。

やむなく途中までの普通列車を乗り継いで仙台の先の小牛田(こごた)までたどり着いたのだが、ここに至る途中での出来事がこの作品の舞台になっている。

ここまでは東北本線でやってきたのだが、青森の方も空襲で、このまま東北本線で行っても青森まで到達できるかどうかわからない状況だったので、ここから陸羽東線で山形の新庄に出て、そこから奥羽本線で秋田を経由して東能代へ。

ここで五能線に乗り換えて五所川原まで行って、そこから津軽鉄道で金木に至るという経路で実家を目指すことにした。

この作品を読んだのはわりと最近のことなのだが、読み終わってからこの経路を自分も電車で辿ってみたいという気持ちがにわかに湧いてきた。それも新幹線や特急は使わずに普通列車で。

太宰は4日かけて甲府から津軽まで行ったのだが、私は甲府から5日かけて行く行程にした。出発地点の甲府までは新幹線と特急で行く。

ということで6/25(水)に京都駅から新幹線に乗って、まずは名古屋駅にやってきた。

少し早めに着いて、きしめんを駅の立ち食いで食べた。

そして「しなの」で塩尻へ。

電車旅の特権でビールを買って乗り込んだのだが、飲んだ後の気分は今ひとつだった。

塩尻では乗り換え時間が3分しかないので心配だったが、何とか「あずさ」に乗り込むことができた。

「あずさ」ではめずらしく車内販売が回ってきた。まだ車内販売が残っている列車があるのだ。

韮崎あたりでは一時強い雨だったが、甲府に近づくにつれて止んできた。

甲府には午後3時頃に到着した。甲府に来るのは2年ぶり

コンビニのコーヒーを飲んで、武田信玄にご挨拶。

時間があるので舞鶴城へ。当然、信玄のお城と思っていたが、実は武田家滅亡後の秀吉政権の時代の築城とのこと。

鉄門(くろがねもん)。

天守台。

南の方を望むが富士山は見えない。

金峰山や国師も見えず。暑くてたまらず、ベンチに腰掛けて休憩した。

稲荷櫓はちょうど入り口が閉門されてしまった。

そしてホテルにチェックイン。

一息ついてから夕食は駅のそばまで戻って、前回行ったほうとうの店に行った。

「ほうとう」は「きしめん」の太いバージョンという感じで、お昼とかぶってしまった。

前回も苦労して完食したのだが、今日はビールを飲まなかったにもかかわらず完食できなかった。