使い捨ての携帯トイレを100円ショップで買ってきた。今度の山行での携行品。
登山者の多い山域では携行するようにしているとのことだが、今回のコースのように山小屋がある場所では実際に使うことは無いようだ。
登山における糞尿の処理の問題はなかなか難しい。昔はほとんどの山小屋では糞尿は垂れ流しだったが、人気山域では自然分解をはるかに越える量が溜まるようになり、その処理が大きな問題になっている。
糞尿処理の設備は多大なコストがかかるため、山小屋にとっては大きな負担となる。トイレを有料にしている小屋もたくさんあるが、それはそれで少し離れた場所にこっそり・・・というのが後を絶たない。
ペットの糞尿と同様に、量がわずかであれば自然分解するし、自然な肥やしになるという側面もある。ずっと以前はさほど問題にはならなかったことだ。私自身も、トイレがある場所ではそこを利用するようにしているが、無い場所では陰でこっそり・・・というのが本当のところだ。
この春に落石を受けて亡くなった山スキーヤーの方は、自分の出した糞尿はすべて持ち帰るようにされていたらしい。大したものだと思うが、自分にはそこまではできないという気持ちも少なからずある。ゴミは小さいものでも必ず持ち帰るようにしているが、さすがにウ○コをザックに入れて持ち帰る気にはなれない。
まだまだ修行が足りません。
カテゴリー: 日記
週末は西穂高岳へ
今週末は西穂高岳へ行くことになった。
所属している山岳会の人が某カルチャーセンターの登山教室の講師をやっておられて、その補助要員ということで行くことになった。
信州の山へ行くのは、昨年8月に野口五郎へ行って以来だ。最近はアルプスの稜線でも、真夏はそれほど涼しくない。もちろん、天気が荒れれば疲労凍死することもあり得るが、最近は何日もかけて縦走するような山行はやらないので、そういう悪天に捕まることはまず無い。
このところはアルプスでも日帰りのトレランばかりだったので、小屋泊まりで2日間山に入るというのは本当にひさしぶりだ(実質的には半日プラス半日程度だが)。しかも中高年中心の登山教室なので、おそらく歩くペースもゆっくりだろうと思う。
単純に考えるとストレスが溜まりそうだが、そこは気持ちを切り替えて、引率という仕事という責任感と、たまにはのんびりゆっくり登山を楽しむという気持ちで、楽しんできたいと思う。
明日は生駒へ
明日どうするかは随分迷った。
今週の初めあたりは、山田池で長時間持久走をやろうと思っていたのだが、トレイルでの下りもしっかり走っておきたいという気持ちになって、それなら思い切って京都トレイル完走(70kmくらい?)を考えてみた。
しかし明日もかなり暑くなりそうで、いくら暑さ耐性が少しは向上してきているとは言うものの、昨夏に何度か惨敗したことを考えると、あまりにも飛躍しすぎだろうと・・・。
と言うことで、今年2月にキャノンボールの準備としてやった、生駒山往復(約60km)の夏ヴァージョンにトライすることにした。
昨年8月には、生駒を信貴山口まで行こうと思いながら、室池手前で早々と断念して、四条畷に敗退した実績がある。
いくら何でもそれ以上は走れると思うが、正直なところ、これに失敗すると精神的ダメージが大きそうで、かなりプレッシャーを感じている。
再起動
記録会は 3000m + 1000m + 50m と、距離的にはほんのわずかだったものの、普段なら絶対に出さないスピードで走ったので、思いの外、疲労が残った。
しかし今日まで二日間のスロージョグで、ほとんど回復した。
身体的なことよりも、気持ちが切り替わってきたということ。
次の目標は100マイル!! 一時的な高揚だけで完走できる舞台では無い。そのためにはしっかりとした準備が欠かせない。
暑い夏場に長時間の練習をこなしていくためには、何よりもメンタルを強くしなければならない。その前提は、自然な意欲が湧いていること。無理矢理な精神状態では絶対に続かない。
ようやくそういう状態になってきたと感じている。
週末の走り込みをどうしようかと考えている。当初は近場のトレイルで長い距離にチャレンジしようと思っていたのだが、あえて山田池で一人8時間走なんてのもいいかなと思ったりしている。
この時期、暑い平地で、いつでも止められる環境で、一人で長時間耐えるというのは、肉体的にも精神的にも厳しいトレーニングになると思う。山田池なら水は持たなくても良いというメリットもある。
明日はナイター練習会。どういうメニューになるのかわからないが、ひとまず明日はスピード練習だ。
シューズ新調
新しいトレイルシューズを買った。めずらしい Columbia のモデル。トレイルランナーで Columbia のシューズを履いているという話は聞いたことが無いが、軽いということで購入してみた。
定価 12,600 円がネットで 5,000 円!!。これに惹かれてしまった。オムニテックとか言う防水透湿素材を使っているとのことで、雨の日なんかにいいんじゃないかと思った。
カタログデータで重さはだいたいわかっていたが、実際に手にとってみると以外と重たい。計ってみると、これまで使っていた Montrail の2足がいずれも 300g 未満なのに対して、Columbia のモデルは 325g だった。片足でおおむね 50g 重い。おそらく防水透湿素材が重いのだろう。
さっそく夕方の山田池ジョグで試し履きしてみた。
トレイルシューズなのでロードには向かないことは承知の上。やはり多少の重さは感じるが、中敷きのクッション性は Montrail よりはやわらかい感じ。比良山縦走のような、距離はさほど長くないが、道はほとんどが山道というような時にいいんじゃないかと感じた。
本当は、今度の八ガ岳のような、林道主体で舗装道路も結構あって、山道は一部分というようなコースで履けるシューズがほしかったのだが、あてがはずれてしまった感じ。
このところそういう条件のレースではいつも、ソールがやや厚めのランニングシューズを使っていて、長い距離を何度も走っているのでかなりくたびれてきていて、シューグーで何とか寿命を延ばしている状態なので、そろそろこれの後継シューズがほしいのだ。
しかしこれはこれでモノとしては良品だったと思うので、うまく使い分けていこうと思う。
「遊ぶ」が勝ち
今朝、起きたとき、まだ脚筋疲労を感じたので、今日は思い切って休養日にした。
で、居眠りしたりしながら読んだのが、先日、図書館で借りてきた『「遊ぶ」が勝ち』。400メートルハードル日本記録保持者の為末大の著書である。
為末氏には現役の頃から、一般的なアスリートのイメージとはちょっと異なる印象を感じていた。
現役時代でも『インベストメント ハードラー』という投資関係の本を書いたりしているし、都心の路上にハードルを置いて走ったりするようなイベントを開催したり、東北大震災の後もいち早く、アスリートを中心とした支援組織を立ち上げたりしていた。
現役引退後はテレビのリポーターやインタビュアーのようなことをやったりもしているし、一流アスリートが引退後は指導者の道に進むという、一般的な進路とは異なる道を歩んでいる。有森裕子の男性版と言ったところだろうか。
現役時代も、所属していた大阪ガスを辞めてプロ宣言をしたり、コーチを付けずに自分で練習メニューを考えるなど、他の選手とはかなり異なるスタイルでやっていた。レースも海外に積極的に出かけるなど、マネージメントも自らこなしていた。
やはりこういうふうな人生を歩んできた人は、単なる一流アスリートというのとは少し違うなと感じてしまう。
この本は、歴史学者ホイジンガの著書『ホモルーデンス』を基軸にして、『遊ぶ』ということの本質をスポーツ行為との対比で解説しようとしているもの。しかしここで言う『遊び』はもちろん、刹那的な快楽主義のことではない。
日本のスポーツ選手がなかなか大舞台で実力を発揮できないのは、この『遊ぶ』という感覚を自分のものとして消化できていないということと、そういう表現を許さない社会の雰囲気にあるのではないかと伝えている。
私のようなアマチュアの場合は、いくらハードなレースであったとしても、それは『遊び』でしかないのだが、オリンピックレベルのトップアスリートにとっては、まったく別次元の行為であろうことは疑いの余地も無い。
強化選手などは強化費として国からのお金も支払われているので、なかなか『遊び』という気持ちになれないだろう。特にメダルが期待されるようなレベルであればなおさらだ。
ただ、ここで述べられている『遊び』というのは先にも述べたように、コスプレでマラソンを走るようなことを言っているわけではない(コスプレを非難したり、見下したりしているわけではありません)。
そこには奥深い考察があるわけで、そういうレベルでの『遊び』のできる人は、とてつもなく深く考えているのである。そのあたりは勘違いしないようにしたい。
同窓会
私は同窓会というものにあまり興味が無い。中学校の同窓会が5年に1回、高校は毎年、案内が来るが、今までに出席したのは中学校の同窓会に10年ほど前の一度きりだ。小学校と大学は案内をもらった記憶すら無い。
何らかのきっかけで昔の知人と出会って、その当時の話題で盛り上がることは楽しい。しかしこの楽しさは過去を振り返るものであって、それが将来につながることは無い。
一度だけ参加した時の印象で言えば、毎回のように同窓会に参加するメンバーが何人かいて、その人たちで仲良しグループのような雰囲気が出来てしまって、初参加というような人間はその輪の中に入りづらいのだ。
もちろん、そのクラスでの人気者だったり、スポーツや学業で目立った成績を残したような人であればそういうことも無いのだろうが、別に何の取り柄も無く、良くも悪くも目立たない存在だった私などは、彼らの記憶にはほとんど残っていないのだろうと感じた。
実は今夜は、かつて勤めていた会社でのとある製品担当チームの同窓会である。その製品が会社でそれなりの売り上げを上げていたのはもう25年くらい前のことだ。その会社に中途採用で入社して、最初に配属されたグループだった。
まだ若くて仕事にも燃えていた頃で、会社員時代で言えば全盛期だった。自分のやりたいことが、かなりのレベルでやりたいようにやらせてもらえた時代だった。ちょうど時代もバブル真っ盛りで、ボーナスが年間7ヶ月なんて年もあった。
仕事そのものはかなり忙しい時だったが、結果的にはマラソンもその頃が全盛期だった。
その製品に関わった人間はトータルでは50人近くになると思うが、今もその会社に残っているのはおそらく半分以下だろう。
時代はすっかり様変わりしてしまった。しかし単純に『あの時代は良かった』とは思わない。今の方が良い面もたくさんあるし、私の今までの歩みは、自分という人間にとっては必然の道筋だったように思う。
この同窓会も2〜3年ごとにやっているが、毎回参加者が減ってくる。特に会社を辞めた人にその傾向が強い。私などはもっとも早く会社を辞めた人間だが、それでもしつこく参加している。
同じ目標を持って仕事に携わったというのは、単にたまたま同じクラスだったというのとは随分気分も違う。同窓会嫌いの私でも、こういうのは楽しみである。
八ガ岳スーパートレイル100マイル
UTMF の DVD で刺激を受けてしまったようで、勢いでこの9月に開催される八ガ岳スーパートレイルの 100 マイルにエントリーしてしまった。
ロードの 100km すら走ったことが無いというのに、我ながら無謀だと思う。今年の初めに六甲縦走キャノンボールの往復コースにエントリーした時も同じような感覚だったが、何と言っても 100 マイルである!!。
しかしこういうのはいくら考えていても走れるようになる訳ではない。歳も歳なので、過激なことにチャレンジできる時間はもう残り少ない。100km から順を追って、なんてことをやっても、次のパフォーマンスが前回を上回れるという保証はどこにも無い。
それなら一気に高い目標を設定してしまおうと思ったのだ。
昨年は11月に開催されたこの大会。今年は2回目だ。
昨年は夜間に気温が氷点下10度くらいまで下がる厳しいコンディションで、おまけに関門タイムが厳しく、完走率は 27% くらいしかなかったそうだ。サポート体制もかなり貧弱だったようで、救急車が何度か走ったらしい。ネットでの報告を見ても、かなり厳しい評価が多く見られる。
しかし今年は9月開催なので、そこまで気温が下がることは無いだろう。むしろ好天で気温が上がることの方が懸念される。特に暑さの苦手な私にとっては。
関門タイムは昨年より少し緩くなって、ゴールは33時間。UTMF の48時間に比べるとかなり厳しいが、コースは林道と舗装道路がほとんどで、本格的な山道はほとんど無いようだ。トレイルレースとは言うものの、実態はアップダウンの多い林道レースというところだろうか。
参加費2万5千円は、これまでの最高額1万円(鯖街道)をはるかに上回る高額だが、どうもそれに見合うようなエイドやサポートは期待しない方が良さそうだ。しかし他に選択肢が無いので致し方ない。
希望としては、この大会を何とか完走して、それを資格にして来年の UTMF というのが理想のシナリオなのだが、はたしてどうなるだろうか・・・。
UTMF
UTMF(ウルトラトレイル マウントフジ)の DVD を借りてきた。
このところランナーズのような雑誌をまったく見なくなったので、新しい情報に疎くなっている。昨年のUTMFのことは、終わってからもしばらくまったく知らなかった。NHKでドキュメントが放送されたことも知らず、何かのきっかけで知ったのは大会が終わって何ヶ月か経ってからだった。
何とかこの映像を見てみたいと思ったが、すでに再放送も終了していて、結局ネットの英語放送で少し見ることができたくらいだった。わざわざ購入するのはもったいないと感じていた。
かつて1年ほど使っていたネットの定額レンタルを再開したのがきっかけで、そこでこのDVDがあることを知って、さっそく予約したものが昨日届いた。
なかなか見応えのある内容だった。前半はトップランナーが主体で、後半は一般ランナーがメイン。トップランナーをしばらく追っている映像など、カメラマンもかなりの強者だと感じた。
トップランナー編では何と言っても石川弘樹選手のリタイアが印象的だった。全盛期は過ぎたかも知れないが、私のお気に入りのランナーなので、ぜひとも完走してほしかった。
一般ランナー編ではハセツネ優勝経験者の大内直樹選手と父親の大内輝夫さんが共に参加されていて、最後は親子一緒にゴールされたのが感動的だった。66歳の輝夫さんの明るさがとても印象的だった。自分もあんな風に歳を重ねていきたいと思った。
走るテクニックなどにも言及しており、単なる感動物語にはなっていない。
できれば鏑木氏がこの大会の実現に向けて努力されてきたことなどにも触れてほしかったが、それを入れるとあと1回分の放送が必要になるだろう。
今年は日本人が優勝して盛り上がったが、来年はどうなるだろうか。
さて、当然だが私はこの大会には参加経験が無い。それどころか参加申し込み資格すら無い。
資格云々はさておいて、参加してみたいかどうか自分に問いかけてみると、気持ちは微妙だ。出たいような気もするし、それほどでもないという感じもある。
正直、決められたコースよりも自分でコースを考えて、それにチャレンジするということにより惹かれてきているのは確かだ。
ただ、レースでなければ出せない自分というものを見たい気持ちもあるし、ギリギリまで追い込めるのはやはりレースだ。
あまり認めたくないのだが、参加しても完走できない可能性があると感じているという面もある。
年齢的に考えると、やはり早いうちに一度は参加しておくべきだろうと思う。一度でも参加するのとしないのとでは大違いだ。ハセツネも随分前に一度参加しただけだが、それでも一度完走しているので今はもういいという気分になれる。
ただ、UTMFのためにはまず参加資格を得なければならないし、さらに抽選に当たらなければならない。残念ながらハードルはまだまだ高い。
川内優輝選手のこと
スポーツナビに、川内優輝選手の手記が二日間、掲載されていた。淡々とした調子で語られているが、なかなか中身の濃い、諮詢に富んだ内容だと思う。
私自身はどちらかと言うと保守的な方なので、2年前の東京マラソンで川内選手が好記録で日本人トップになった時も、さほど大きな期待はしていなかった。
あの、ファイトむき出しのスタイルにはちょっと違和感を感じたし、あれでマラソンをずっと走り続けられるのだろうかという疑問も感じた。
しかしその後もポイントのレースではかなり安定した結果を出して、ロンドンオリンピックの代表こそはずれたものの、実業団のトップ選手とも互角、場合によっては互角以上の実力を示している。
そんなわけでマスコミに登場する機会も多くなり、インタビューなどでの発言などを聞いていると、徐々に『これはただ者では無い』と感じるようになってきた。
特に衝撃的だったのは今年の別府大分毎日マラソン。私自身、過去に何度かこの大会を走っており、今とはコースが若干異なるが、非常に思い入れの大きい大会だ。全般的にフラットなコースだが、ゴール手前の舞鶴橋のゆるやかなアップダウンなどは今もはっきりと覚えている。
どう見ても、最後には中本選手が勝つであろうと思われたレース展開で、あれだけのハイレベルのスパート合戦を勝ち抜いたのは川内選手の方だった。国内の大会で、日本人選手同士の終盤勝負で、あれだけハイレベルのものはかつて無かったと思う。
この手記で川内選手はいくつかポイントになるようなことを語っているが、一番重要な事は、川内選手自身が自分のこれまでの練習とその結果から、自分に合った練習方法を見いだして、それを自分で実行しているということであろう。
つまり、しっかりと考えて、頭を使って練習し、レースの望んでいるということである。
川内選手の練習方法を、形だけ実業団の選手が真似をしたら、おそらくタイムを落としていくだろうと思う。その実例が、福士加代子選手の初マラソンの大阪国際女子マラソンだ。
福士選手はその前にエチオピアへトレーニングに行って、ゲブレセラシエなどのトップ選手の練習に触れてきた。アフリカのトップ選手は、日本人選手のように長い距離を走る練習はあまりやらず、短めの距離でのスピード練習を多くやっているらしい。
そこで、福士選手はかつて日本の女子マラソンが強かった時代の有森裕子、高橋尚子、野口みずきといった選手のような月間1000kmを越えるような走り込みはやらずに、持ち前のスピードを活かした練習を主体としてマラソンに臨んだようだが、結果は無残なものだった。
つまりこの練習は福士選手自身が自分で考えて、自分で感じて取り組んだものではなく、エチオピアのトップ選手がやっているからということだけで取り入れたのではないだろうか。
その後は福士選手もそれなりと走り込みをやるようになっているようで、今年の世界選手権の代表には選ばれているが、タイム的に見れば彼女のトラックのスピードからはまったくもの足らない数字でしかない。何となく、彼女は2時間以上も集中して走りきるというところがメンタル的に向いていないのではないかと思うのだが。
川内選手のように、自分で考えて、自分でトレーニングをやっていける選手が出てきたのは非常によろこばしいことだと思う。やはりスポーツでも真のトップは自分でしっかりと考える能力がなければならない。
イチロー選手や、全盛期の清水宏保などもそうだった。
優れた指導者がいても、選手自身が考えて練習に取り組める能力が無ければ結果は得られない。有森裕子や高橋尚子、水泳の北島康介選手などもそうだと思う。
どうやって自分の能力を最大限に活かすか、それを考えることは楽しい。特に我々のようなアマチュアで、しかも加齢とともにパフォーマンスが落ちてきている者にとっては、それが唯一の楽しみと言っても良い。
そういった取り組みができる限りは、いくつになっても続けていけるのだろうと思う。100歳でもそういう工夫を惜しまなかった三浦敬三さんのように・・・。