ニセコアンヌプリ

10/25(火)の朝は冷え込んだ。氷点下5度くらい。

今日の予定はショートコースなので朝はのんびりして、神仙沼レストハウスの登山口に向かった。

何度も走っている道だが無雪期は初めて。今日のアプローチは五色温泉へ向かう道ではなくチセヌプリスキー場の先を直進していくのだが、何と通行止めになっていた。積雪期はいつも通行止めなのだが積雪のせいだろうか。

となると五色温泉に向かうしかない。少し戻ってスキー場からチセヌプリへ向かうルートもあるが、とにかく五色温泉まで行ってみる。

ほどなく路上に雪が出てきた。さすがにまだスタッドレスは履いていないので慎重にゆっくり進む。

いつもの駐車スペースに着いたら車が1台停まっていた。快晴で、ニセコアンヌプリが目の前に鎮座している。こちらへ向かおうと思った。

8時50分に駐車場を出発した。さすがに今日は登山靴だが、天気がいいのでジャケットは羽織らずに雨具をザックに入れておいた。右手にウィペット、左手は普通のポール。

地図によるとアンヌプリへの登山口は少し戻ってからキャンプ場の横にある。車道を戻ろうとしたらすぐそばにキャンプ場の方へショートカットできそうな踏み跡が目に入った。こちらへ行ってみよう。

期待通りキャンプ場に出て、キャンプスペースを進むと登山口の道標が見つかった。

しばらくぐちゃぐちゃの道を登る。

出発して20分足らずで見返り坂との分岐に出た。ここからはほ尾根伝いになる。

雪が増えてきて、しばしばササヤブの障害物が現れてわずらわしい。

わりと新しい先行者のトレースがある。

標高が上がって展望が開けて上部が見えてきた。

イワオヌプリ、ニトヌプリ、チセヌプリの方面が大きく広がっており、すでにイワオヌプリより高くなっている。これは南西方面の眺め。

西峰への斜面が目の前に広がっている。そして稜線伝いに本峰もはっきり見える。

西峰を越えてなだらかな吊り尾根を進んで、山頂が近づいてきた。

昨年、山スキーで滑った斜面はまだヤブヤブ。

10時41分、山頂(1308m)に到着した。

羊蹄山がど〜ん。

反対側はイワオヌプリ、ニトヌプリ、チセヌプリ、シャクナゲ岳など。

ぐるっと一周。

遠くに駒ヶ岳が見えていた。この日と同じくらいの好天だ。スケジュールを変更して本当に良かった。

誰もいなかったのでのんびり自撮りを楽しんで、名残惜しいが下山に向かう。

1時間少々でキャンプ場に下りてきた。こんな駐車場があったのだ。

駐車場からニセコアンヌプリを振り返る。

まだ昼過ぎだがせっかくここまで来たので五色温泉に入ることにする。

露天から目の前にニセコアンヌプリが望める絶好の場所だが、設備がしょぼいわりには入浴料が高い(800円)のが玉にキズ。宿泊は民宿並の料金のようだが。

今晩もニセコの道の駅で過ごして、明日は羊蹄山に向かうことにしよう。

樽前山、風不死岳

10/24(月)の朝がやってきた。夜中に何台かの車が来ていて、朝にはすでに10台くらい停まっていた。平日の早朝だと言うのになかなかの繁盛ぶりだ。

天気は悪くないがとにかく風が強い。この季節でこの風だと雨具では心許ないので、まともなヤッケの上下を羽織った。

頭はフリース タイプの目出帽に簡易ヘルメットを入れた。手はブレスサーモのインナー手袋に防寒テムレスで完全装備で7時少し前に出発した。念のためにポールをザックにしのばせておく。

しばらく木の階段が続いた。

かなりの強風だったが何とか寒さには耐えられた。身体が温まってきたらちょうどいい感じ。

海側の展望がすばらしい。室蘭もよく見える。

30分少々で稜線に出た。

ちょうどここに先行者がおられて、「ブロッケン」が見えると教えて下さった。確かに噴火口側に小さな虹があって、ブロッケン現象ができていた。ただし薄かったので写真ではほとんどわからない。ブロッケン現象に出会うのは久しぶりだ。

強い横風を受けながら樽前山の東山(1021.9m)に7時37分に到着した。活火山のために本当の最高地点(1041m)には立ち入れない。風が強くて寒いので写真を撮ったらすぐに先に向かった。

少し下ると地形的な影響か次第に風が弱まってきた。荒々しい本峰が見えている。

このあたりでぐるっと見渡してみると、

しばらくなだらかな道を下り気味に進む。支笏湖がよく見える。

目の前に932m峰が座っている。登ろうとしている人が見えたが私はトラバースルートを行く。右に分かれるヒュッテ方面への分岐が2カ所あった。

このあたりまで来ると活火山の樽前山とはがらっと様相が変わって、樹林帯になってきた。

鞍部のあたりで下山予定の分岐をやり過ごしてしばらく進むと岩々した急な登りにさしかかった。なかなか厳しい登りで、ロープが張ってある場所も何カ所かある。

急登が終わってからも歩きにくい馬の背のような道が続く。

ようやくピークが見えたかと思ったが実はさらにまだ先だった。

ようやく本当の山頂が見えてきた。

9時21分、風不死(ふっぷし)岳の山頂(1102.3m)に到着した。誰もいなかったのでゆっくり自撮りした。

そうこうしていたら支笏湖側から単独行の男性が登ってきた。ちょうど入れ違いで下山開始。

来し方の樽前山を眺めながら進む。真ん中が本峰。左に東山。

駐車場にたくさん車が停まっていたわりには山ではほとんど人に遭わないと思っていたが、登ってくるパーティに二つほど出会った。

岩場を下りきってやれやれ一安心。

分岐からヒュッテ方面に下る。

少し下ったところでおにぎり休憩にした。樽前山の眺めもなかなかいい。暑いのでヤッケの上を脱いだ。下も脱ぎたかったがザックが小さくて入らないので致し方なくはいたまま。

支笏湖と1月に登った支笏紋別岳の山頂の電波塔がはっきり見える。下山後はぜひまた支笏湖へ立ち寄って、下から樽前山と風不死岳を眺めようと思った。

荒々しい沢筋。噴火した時に溶岩が流れたのだろう。

下の方では紅葉も美しかった。

11時11分に7合目ヒュッテに下山した。

平日だというのに駐車場は8割方埋まっていた。

後片付けをして支笏湖へ向かった。

ところがしばらくしたら本降りの雨になってきた。さらに支笏湖に着いたら1月には無料だった駐車場が有料になっている。山も見えないのに有料の駐車場に入る気にはならないので、立ち寄らずにニセコに向かうことにした。

雨は途中で止んだ。

ニセコに近づいて羊蹄山が目に入って愕然とした。

これほどの積雪は予想していなかった。アンヌプリ方面もかなりの雪だ。アイゼンは4本爪の軽アイゼンしか持ってきていないしワカンも無い。ピック付きストックのウィペットは持ってきているが。

とりあえずニセコ駅のすぐ前にある温泉に行った。これまでに何度か来ている。

先日のトイレ付き駐車場は観光バスがたくさん停まっていたので、道の駅に向かった。

明日は羊蹄山の予定だったのだが、この積雪にはちょっとびびった。2日ほど好天が続く予報なので、明日はチセヌプリあたりにでも行って積雪の様子を確認して、羊蹄山は明後日にしようと思った。天気予報でも明後日の方が寒気が緩むと言っている。

夜はぐっと冷え込んだ。念のためにというくらいの気持ちで持ってきたダウンシューズを履いて寝た。

倶多楽湖、知里幸恵 銀のしずく記念館、室蘭岳

10/23(日)のニセコは予報通り朝から本降りの雨だった。さすがにこの中を羊蹄山に向かう気にはなれない。明日も雨の予報で、どうやって二日間も過ごせばいいのだろうか。

しかし天気予報では東の太平洋に近い地域ではそれほどの雨ではないようなので、せっかくニセコまで来たけれど最後に行く予定だった登別の「知里幸恵銀のしずく記念館」へ先に行くのがいいのではないかと考えた。

ニセコからは 100km ほどあって昨日の遠距離移動がほぼ無駄になってしまうが、雨やどりの無駄な時間をここで過ごすよりはいいだろう。

登別に向かうにはこの1月に泊まった洞爺湖を通る。いつの間にか雨は止んでいた。ニセコでは降っているだろうけれど。

オロフレ峠を越えて、1月に滑ったサンライバスキー場の横を通って登別温泉に出るのだが、1月は冬期道路閉鎖で行けなかった倶多楽(くったら)湖に立ち寄ることにした。

途中の日和山展望台から大湯沼を見下ろす。

沼の側壁は上の方で噴煙が上がっている。

その後、道幅が狭くて離合できないような道になって、倶多楽湖に到着した。

ここは穏やかな湖だった。

そして開館時間ちょうどの9時半に「知里幸恵 銀のしずく記念館」に到着した。

実はこの1月もすぐ近くを通っていたのだが、その頃は知里幸恵のことは知らなかった。

入館料を支払っていったん入ったのだが、係の方がこの建物の横にある「知里森舎の森」を解説しながら案内して下さるとのことだったので、まずはそこを散策した。

本来の植生を何とか維持しようとされているのだが、温暖化の影響で樹木が異常に成長したりして、近年は維持に苦労されているとのことだった。

記念館そのものは小さな建物だが、知里幸恵の自筆の手紙や日記などがたくさん展示されてあって、内容は充実していた。

知里幸恵は生まれつき心臓が弱くて、19歳で死んだのもその要因は僧帽弁狭窄症で、親からの遺伝性とのこと。「結婚できないと言われた」と書かれているのが何とも切なかった。

記念館のすぐそばには登別川が流れている。

アイヌ名では「ヌプル・ペッ」と呼ばれていた。これは「(水色の)濃い川」という意味で、上流に温泉があるためにそこから濁った水が流れ込んでいた。今は上流に温泉施設がたくさんできているために濁ってはいない。「のぼりべつ」という地名はこの名前から来ている。

記念館で1時間ほど過ごしてから近くの「知里真志保の碑」へ。知里幸恵の弟で、アイヌ出身で東京大学に入って博士号まで取ったという秀才。知里幸恵と同じく金田一京助に招かれた。

それから少し離れた富浦墓地にある「金成マツの碑、知里幸恵の墓」へ。

知里幸恵は最初は金田一京助によって東京に埋葬されていたが、1975年にこちらに改葬された。

金成マツは知里幸恵の叔母にあたる人で(母親の姉)、知里幸恵が金田一京助に招かれて東京へ出る前までは旭川で一緒に暮らしていた。金成マツの碑が十字架になっているのは彼女がクリスチャンだったからだろう。宣教師のジョン・バチェラーの元で布教活動をしていた。ちなみに知里幸恵もクリスチャンだった。

まだ昼頃。とりあえずアヨロ海岸に行って時間潰しをする。

車の中で北海道の山のガイドブックを眺めていたら、室蘭岳というのが目に入った。半日あれば登って下りられるくらいの山で、登山口までここからなら1時間もかからない。これは行くしかないだろう。

山麓公園の駐車場を出発したのは午後1時半過ぎだった。地図は用意してきていないのでガイドブックをザックに入れておいた。

だんパラスキー場の横を行く。

10分少々で白鳥ヒュッテ。

なかなかのガッツリした登りが続く。

室蘭の街が見下ろせるようになってきた。

ダケカンバの美しい森。しかしこのあたりからあられのような小雨がパラパラ降り出してきた。

次第にあられが強くなってきて、致し方なく雨具の上下を羽織った。しかし案の定、少ししたら止んで虹が見えた。

山頂のほんの少し手前に三角点(911.1m)。

午後2時42分、山頂に到着した。登山口から1時間と数分だった。

誰もいなかったのでのんびり自撮りしてから下った。

室蘭の湾のあたりがすっきり見える。1月に行った測量山や地球岬などのあたりも見えているのだが、どれがどこだかはよくわからない。

午後3時40分、登山口に戻ってきた。

温泉は登別駅を越えてしばらく行ったところの「虎杖浜(こじょうはま)温泉ホテル」へ。

ホテルの温泉で、露天や水風呂、もちろんせっけんシャンプーもあって600円という良心的な価格だった。

明日は樽前山へ向かおうと思う。このあたりは道の駅が無いのでどこか大きな駐車スペースでもないかと注意しながら走ったが見当たらず、結局ガタガタ未舗装路をしばらく走って七合目登山口まで来てしまった。この駐車場は非常に混雑すると書かれていたが、さすがに日曜日の夜8時には他には一台も停まっていなかった。夜中には星がたくさん出ていたが強風が吹き荒れていた。時々車が揺れた。

駒ヶ岳、黄金温泉、ニセコ

北海道では連日山の予定。まずは北海道駒ヶ岳。

10/22(土)は朝から快晴だった。北海道の山でこんな好天は本当に久しぶりだ。

ガタガタの未舗装林道を走って登山口の駐車場に着いて、7時前に歩き出した。

槍ヶ岳のようなピークが見えているが、活火山なので山頂までは行けない。

広い一本道を淡々と登る。

シラタマノキ。

30分ほどで早くも九合目。

出発して40分ほどで最終地点の馬の背(892m)に到着した。さすがに活火山の様相だが噴煙などは見えない。

本当の山頂の剣ヶ峰(1131m)はまだまだ先。

右に目を向けると双耳峰の砂原岳(1112.2m)。

反対側は足元に大沼公園。

こんな好天の日に1時間足らずの登りで下山してしまうのは忍びないが、周遊コースなどもまったく無いので下りるしかない。

8時10分には駐車場まで下りてきてしまった。わずか1時間15分くらいで、昨日の函館山往復と同じくらいだった。

このあとはニセコに向かう予定なのだが、天気予報ではニセコ地域は翌日から天気が悪い。しかし山岳気象の予報を見ると羊蹄山はそれほど悪くない予報が出ているので、予定通り向かうことにする。

駒ヶ岳の麓を走り抜けて、森地区の道の駅の展望台から駒ヶ岳を振り返る。

長万部を経由してニセコ手前の黄金温泉へ。ここはぜひ行きたいと思っていた。

ほぼ浸かるだけのようなシンプルな温泉で、洗い場は二人分しかないのだが、せっけんシャンプーが備えられていた。

露天からはニセコの山々が目の前に眺められて、ぬるめのお湯でゆったりすることができた。

これはニセコアンヌプリ。

羊蹄山は山頂部は雲に覆われていた。

そしてここで提供されていた野菜カレーのランチをいただいた。500円なり。この温泉とカレーで合計1000円はコストパフォーマンス最高。

ニセコではまずはコインランドリーで洗濯。使い方がよくわからずに300円ほどムダ金を使ってしまった。

その後、道の駅で時間潰し。これまでここへは雪の季節にしか来たことがなかったので、あまりの混雑にびっくりした。

コンビニで食料を買って、ニセコ大橋そばのいつものトイレ付き駐車場へ。

明日は羊蹄山の予定だが雨予報。明日、明後日と雨予報なので、最悪2日間ニセコ沈殿かも。何をして過ごそう。

仏ヶ浦、大間崎、函館山

10/21(金)は午後のフェリーで大間埼から函館へ渡る。時間はたっぷりあるので途中でできるだ時間つぶししていく。

とりあえずかわうち湖の写真。

お次は仏ヶ浦。聞いたことのない場所だけれど何となく観光地っぽいので立ち寄ってみることにする。駐車場は海岸よりはかなり高いところだった。

最初は土道で、その後は長い階段。

10分ほど下りて海岸まで下ったら思いがけない光景が目の前に広がっていた。

東尋坊とはタイプが違うがかなりの迫力。桟橋の突端まで行ってみた。

ビデオを撮りながら、もしいま大きな波が襲ってきたらどうしようかと不安を感じた。

駐車場まで戻って、しばらく海岸沿いに走っていたらちょうど願掛岩が見えるところに駐車スペースがあった。

男女が抱き合っているように見えるということで信仰の対象になっていた。

さらに進んで津軽海峡文化館アルサスで時間潰し。

ここから仏ヶ浦を海から眺める遊覧船が出ているもよう。館内をざっと見学して、ちょっとしたお土産を買った。

10時前に大間埼に到着した。平日にもかかわらず駐車場にはたくさんの車が停まっていた。

北海道はもっと間近に見えるのではないかと思っていたが、意外と遠かった。

大間に来たのならマグロを食べるしかないだろう。お昼は駐車場のそばの店でマグロ丼2500円なりを味わった。

おいしかった。襟裳岬のしょぼい海鮮丼とは大違いだった。

フェリーターミナルへナビで向かっていたら何と一通行にぶち当たった。こんなことは初めて。無料のナビなので仕方ないのかも。結構ウロウロさせられた。

それにしても北海道のフェリーは高い。わずか1時間半少々の乗船で 15,000 円くらい。利尻や礼文も車で乗ると舞鶴・小樽間の半額以上の金額になる。

4日間を過ごした青森を離れて、ついに函館が見えてきた。

函館に到着したのは4時前なので際どい時間なのだが、予定通り函館山に向かうことにする。

登山口の駐車場に向かおうとしたら登山口に入る少し手前で通行規制のために入れなかった。どうしようかと思ったら、すぐ近くの神社の参道のそばにちょっとしたスペースがあって、1台停まっていた。駐車スペースではないのだが、ここに置いてしまおう。

秋の夕暮れはつるべ落としなのでヘッドランプを確認して、午後4時ちょっと過ぎに出発した。しばらく車道を上がって、旧登山道という標識に従って登山道に入る。

ほどなく1合目。

木の階段があったりして、何度か車道を渡る。函館山は山頂まで車で行けるが、今はバスとタクシーだけのようだ。

出発してから30分ほどで5合目。

5合目から10分ほどで山頂エリアまで来た。

展望台まで来てあまりの人だらけにびっくり。夜景を見に来る人たちなのだろうか。

午後4時50分。函館山の山頂は標高 334m で、332.6m の三角点があるのだが、どこかわからず。

夜景というにはまだまだ明るい。

人込みをかき分けて写真を何枚か撮って、早々に下山に移る。早く下りないと暗くなってしまう。

やはりあっと言う間に暗くなってきた。ヘッドランプを出すかどうか迷いながらも足元に注意して下り続けた。

午後5時23分、何とか無事下山できた。

フロは花の湯へ。今回初めてスーパー銭湯的な温泉で、露天や水風呂も味わえた。ただし480円という料金のせいかせっけんシャンプーは無し。持参した旅行セットの石けんが残り少なくなってきた。

となりのマックスバリューで買い物してから道の駅「なないろ・ななえ」まで走った。ここは昨日の道の駅とは真逆でかなり混雑していた。

✳︎翌朝に撮ったもの。

恐山、釜臥山展望台

二日間にわたる太宰治追憶ツアーが終わって、10/20(木)は長年の憧れの場所であった恐山に向かう。

時間はたっぷりあるのでコンビニでコーヒーを飲んだり、道の駅で休憩したりしながら向かっていると、駐車場の少し手前で太鼓橋を発見。傷みが激しくて渡れない。流れる川が三途川。

橋のたもとには奪衣婆(だつえば)と懸衣翁(けんねおう)の像。

外に出ると硫黄の匂いがただよっていた。

駐車場は平日の午前中にもかかわらずすでに多くの車が停められていた。

総門のそばに六地蔵。

入山料500円を支払って総門から中に入る。

総門をくぐると正面に山門が見える。

なぜか恐山菩提寺の本堂は山門の手前の左側にある。

山門をくぐる。

参道のそばに無料の温泉(薬師の湯)がある。帰りに入ろう。女湯は参道の反対側。

いよいよ写真などで何度も見た光景が目の前に現れてきた。何とも言えない異様な雰囲気。死者が蘇ってくると考えられたのもわかるような気がする。

参道を進むと地蔵院。

ここの左側から核心部のエリアに入る。

恐山で見かける風車は、このあたりは火山性ガスが漂っていてローソクや線香などの火の気は危険なので、そのかわりに据えられているらしい。

いきなり硫黄臭の漂うただならぬ雰囲気。

まずは奥の院に向かう。階段を上がると不動明王。

少し戻ったところからの全景。

元の道に戻って、できるだけ大回りに歩く。

八葉地蔵菩薩。

歩いていたら足元からボコボコと噴火音が。石に触れてみたら少し暖かかった。

このあと水が流れているところでは手をつけてみたが、いずれもただの水だった。

血の池地獄。何年か前の写真では別府温泉の血の池地獄のような赤い色だった。

そして宇曽利湖(うそりこ。地形図では宇曽利山湖と記載されている)の極楽浜へ。

宇曽利湖は山の中の小さな湖なのだが意外と波が立っていた。

東日本大震災供養塔。

展望台に上がると五智如来。

ここからの宇曽利湖の眺め。

岩の割れ目から煙が上がっていたのだが、写真には映らなかった。

1時間ほどかけてぐるっと回って元に戻ってきた。

さて、温泉へ。小さめの浴槽が二つあったが、一方はかなり高温だった。ただ、水は自由に出せるのでたまたまそうなっていたのかも知れない。

普通の銭湯ではないので洗い場などは無く、ただお湯につかるだけ。しかしいかにも温泉という感じの白濁した濃厚なお湯で、浸かっているだけでも気持ち良かった。

もう12時を過ぎているので駐車場のそばにあった店で昼食でもと思ったが、メニューがまったく張り出されていないのでやめた。

時間はたっぷりあるので釜臥山(かまふせやま)展望台へ寄り道する。

途中の恐山展望台からの宇曽利湖。

その先のむつ湾展望台からのむつ湾。

そして釜臥山展望台に到着。

恐山から宇曽利湖の対岸の山の上に何かの施設があるのが見えていたのだが、それがこの展望台だった。

展望台からのむつ湾。すごい強風だった。

そばにレーダー施設があるが立ち入ることはできない。

さて、そろそろお腹が空いてきた。今日もコンビニランチでは味気ないのでネットで探してむつ市郊外の食堂へ行くことにした。

こんな店が今もあるのかと驚くような昭和の食堂で、高齢の女性が一人で切り盛りしていた。4人も入ればいっぱいになるくらいの店で、入った時にはいかにも地元の人という感じの男性が一人焼きそばを食べていた。

迷ったあげく肉うどんを注文した。関西人なら肉うどんと言えば牛肉を思い浮かべると思うのだが、入っていた肉は豚肉だった。ただ、量はしっかり入っていたし、味も悪くなかった。これで400円なら満足です。

その後、念のために燃料を補給して、コンビニで食料を調達した。

今夜はかわうち湖の道の駅の予定。あえて寄り道したい場所も無いのでのんびり走っていたら「ふれあい温泉かわうち」という温泉があった。恐山温泉では浸かっただけだが、特に汗をかくようなこともやっていないので、もういいかと思っていたのだが、時間つぶしにちょうどいいと思って入った。

ここも地元の人のための温泉というシンプルな温泉で380円なり。もちろんせっけんシャンプーは無し。ここで会話されている人たちの言葉は津軽と違ってごく一般的な日本語だった。

道の駅は定休日だった。どうせ買い物などはしないので問題ない。トイレさえ開いていればそれでいいのだ。

夜を過ごす車は他には一台も無かった。

五所川原、小泊、龍飛崎、蟹田、青森

今回も車で来ているのだが、津軽鉄道にはぜひ乗りたいと思っていた。

10/19(水)は朝から津軽鉄道に乗って五所川原まで往復してから龍飛崎に向かう。

芦野公園駅のそばの駐車場に車を置いた。駅舎は今までに見たどの駅舎よりも鄙びた感じ。芦野公園はそれなりに大きい立派な公園なのだが。

横にある旧駅舎はカフェが営業されているのだが、生憎水曜日は定休日。どちらが旧なのかよくわからない感じ。

津軽鉄道の駅にはすべてこのような手書き風のおしゃれな看板が設置されている。

電車を待っているうちに雨が降り出してきた。そして高校生が二人やってきた。

津軽鉄道は冬場はストーブ列車が有名だが、今の季節はまだストーブは置かれていない。通学の高校生が何人か乗っていた。

その後、高校生がどんどん乗ってきて、いつの間にやらほぼ満員状態になった。

五所川原の少し手前に農業高校があって、ここで多くの生徒が下車していったが、最後の五所川原駅まで乗っている高校生もたくさんいた。

五所川原は元陸上選手の福士加代子の出身地でもある。

外は本降りの雨。しかも風も強くなってきた。傘をさして閑散とした駅前の通りを西に向かう。目指すは岩木川にかかる乾橋。

乾橋は「津軽」で、太宰が五所川原を訪れた時に知人の娘さんに案内されて訪れた場所。

駅から 15 分くらい歩いただろうか。もう足元はびしょびしょ。

河川敷に下りてのんびりできるような天候ではないので、写真を撮ったら早々に引き返す。

駅前通りもシャッター街。まだ午前9時前という時間のせいもあるのだろうが。

次の電車まではまだ1時間以上あるのだが、とてもこの雨のなか外を出歩く気にはならない。コンビニでコーヒーでもと思ったが、あいにく駅の近くにはコンビニが無い。仕方なくまた雨の中を数分歩いてコンビニへ行って、コーヒーを買って傘をさしながら寒い外で飲んだ。

帰路の電車の乗客はほんの数人程度。バスガイドならぬ電車ガイドの女性がおられて、沿線の案内をしてくれた。これはなかなか楽しかった。意図的か少し津軽弁を交えた口調で。ただし昨日の風呂で聞いた言葉とはずいぶん違った。

中では津軽鉄道グッズの販売も行われて、必死の営業努力が感じられた。

あれがぼんじゅ山脈?

今時珍しい硬い紙の切符を記念にもらって芦野公園駅で下車した。ようやく雨が止んだ。

次は今回のハイライトの一つの小泊(こどまり)へ向かう。時間に余裕が無いので十三湖は通過した。

左から太宰治、幼少の頃の津島修治(太宰治の本名)、修治を世話していた頃のタケ。

そして写真で何度も見た二人の再会の場面の銅像。

「津軽」のラストシーン。太宰の長女の津島園子さんが書かれたもの。

200円払って記念館に入る。ショートムービーや15分程度のビデオを楽しんだ。タケさんご本人がしゃべっておられる音声を聞くことができたが、やはり昨日の銭湯で聞いた会話は地元の津軽弁だったのかもと思った。字幕無しにはとても理解できない言葉だった。

充実した内容で、これなら500円くらいでも納得できる施設だった。

お次は龍飛崎へ向かうが、途中の眺瞰台に立ち寄った。

展望台の上からは北海道が間近に見える。

午後1時前にようやく龍飛崎に到着した。

まずは灯台のある岬の先端へ行った。雨は止んでいたが風が強い。

そばには灯台。

そろそろ昼食にしておきたいところだが、駐車場にあった食堂はどうも入る気がしない。夏に襟裳岬で食べた食堂がよろしくなかったのが頭に残っていて、この先にどこか店があることを期待して素通りした。

海岸線に下りてまた太宰の文学碑へ。

「津軽」で龍飛崎を訪れた時の文章が記されている。

そばには太宰たちが泊まった旅館跡。ここにもいくつかの展示物があり、無料で見学できた。

その後、車で行ける終点まで行った。「鶏小屋に頭を突っ込んだ。」と書かれていたのはこのあたりのことだろうか。

車道の終点。

次に向かったのは義経(ぎけい)寺。太宰たちも訪れている。

義経は実は平泉では死んでおらず、北上してモンゴルまで行ったという寓話があるのは昔から知っていたが、実際にそのいわれのある社寺がいくつか存在しているということはわりと最近まで知らなかった。実は北海道の日高にも義経(よしつね)神社があって、二風谷のアイヌコタンへ行った時にすぐそばを通っていた。義経がアイヌにいろいろなことを教えたという伝説があって、ずいぶん昔からアイヌから敬われていた。イザベラ・バードが明治初期に訪れた時にもアイヌに案内されて訪れている。

ただし学術的にはこの説はほぼ否定されている。

こちらの義経寺は今もしっかり管理されているようで、私が訪れた時も本堂の中から何人かの女性の話し声が聞こえてきた。

どこか適当なところで食事を思っていたがコンビニすらまったく現れず、すでに2時を過ぎている。

たまたま海岸沿いの広い道に出たところにコンビニがあったので、ここで巻きずしを買って食べた。

次は蟹田の観覧山へ。ここにも太宰の文学碑がある。

「正義と微笑」に書かれている「かれは人を喜ばせるのが何よりも好きであった」という文章で、井伏鱒二氏が選んで佐藤春夫氏が筆をとったもの。

蟹田港を見下ろす。

さて、このあとどうするか。青森市内でも行きたい場所が何カ所かあるが時間的にかなりタイト。青森近代文学館は5時までで、ナビによると到着予定は4時過ぎ。とにかく向かってみる。

何とか4時15分くらいに到着できたが建物の正面が工事をしていて入口の場所がわからず、建物の反対側まで行ってまた戻ってくることになった。

太宰のコーナーは一部だったが自筆の手紙などが展示されており、行った価値はあった。

次に太宰の学生時代の下宿跡にも行きたかったが、近くにタダで駐車できそうな場所が無い。碑が建っているだけのようなので今回はあきらめて、学生時代にしばしば訪れていた合浦公園に向かった。

すでに薄暗くなった公園を少しだけ散歩して、浅虫温泉に向かう。ここも太宰がしばしば訪れたところ。今宵の予定の浅虫の道の駅に温泉が併設されているので、そこに行った。

道の駅にある温泉とは思えない貧弱な施設で、せっけんシャンプーは無し。ひどいのは洗い場が狭い上に内向きにカーブしていて、並ぶと隣の人と触れてしまうくらい。平日なので空いていたので何とかなったが、休日ならとても利用できない。安かった(360円)けれど二度と行きたくない。

近くのコンビニで買い物をしてから道の駅の駐車場に戻った。

弘前、金木

5時半過ぎにフェリーを下船して一路弘前へ向かう。

1時間ほど走ったあたりのコンビニで朝食のパンと飲み物を買って、車中で食べた。

青森郷土文学館が開くのが9時なのであまり早く行っても仕方がない。

雨が降ったり止んだり。

コンビニでコーヒー休憩をして、9時前に観光駐車場に駐車した。

運良く今日は郷土文学館の入館料がタダだった。まぁ払っても100円なのだけれど。

1時間足らずの見学でお次は太宰治の下宿跡へ、10時に一番乗りで入る。ここはタダ。

カルチモン自殺をはかったのもここの部屋。

実は道路工事の影響で本来の場所から少し移設されているらしい。タダにしてはずいぶん充実していた。

見学している間に強い雨が降ってきた。走って車に戻った。

次は金木の斜陽館へ。ナビに裏側に案内されてしまったがすぐに見つかった。正面が少し工事しているもよう。

600円払って入る。すごい豪邸。一体何部屋あるのか。

私はこういう所で自分の土産などは買わない主義なのだが、ついついコースターを買ってしまった。

お次は疎開先の家へ。入口が小さい割には入場料が500円もするので一度はやめておこうと思ったのだが、もう二度と来ることもないだろうと思って入っておくことにした。

ちょうど斜陽館の裏側で離れのような場所になる。戦争末期に激しい爆撃から逃れるために家族連れでここに疎開した。「故郷」で病床の母親に対面したのはここ。

ここでもクリアファイルを買ってしまったが、やはりこの入場料は高すぎ。

斜陽館の向かいにある土産物店で500円のラーメンを食べて、幼少の頃にタケに連れられて来たという雲祥寺へ。すぐにわかった。

思ったよりも早めにスケジュールがこなせているので予定通り藤の滝へ向かう。途中から非常に細い道になって不安になってきた。戻れる場所があるだろうか。

ナビが到着地点と言った場所にはそれらしいものは見当たらず、別のナビで確認したら実はもっと先だった。

この道をさらに進むのは不安だったが、ここまで来て到達できずに帰るわけにはいかない。

材木が積まれていてここなら切り返しができるという場所があった。何と、ちょうどそこが藤の滝だった。朽ちた看板が置かれていた。ここを入ると滝の上に出る。

その当時はこんな辺鄙な場所に茶店を開くほどの客がやってきたのかと思うと信じられない気持ちだ。バスが走るような広い道があったとも思えないし、長い距離を歩くしかなかったはずだ。

「魚服記」では滝壺のそばに茶店を開いたと書かれているが、滝を下から眺められる場所は無さそうだった。

朽ちた柵から滝を覗き込む。

次は鹿の子滝。またこんな道だったらいやだなと思ったが、幸いこちらはしっかりした道だった。滝の音は聞こえるものの木が茂っていて滝が見えない。

ガードレールの隙間にかすかなふみ跡あったので沢筋に下ってみたら滝の上だった。

道路からは少しだけ滝の見える場所があった。

そして川倉賽の河原地蔵尊へ。ここは太宰治とは関係なし。

もうひとつの恐山とか言われているらしい。

訪れている人は他には誰もおらず、本堂は入れなさそうな感じだった。

お地蔵さんも思ったより閑散としていた。

「いたこ」はここが本家らしい。

最後に芦野公園へ。ここには太宰の文学碑と像がある。

これは「葉」の冒頭に引用されているポール・ヴェルレーヌの詩。

そばには大きな銅像。太宰治はマント姿が有名。

金木は津軽三味線発祥の地でもあるらしい。

そろそろ夕暮れ時のいい時間になってきたので、地元の人たち御用達というような雰囲気の温泉へ行った。道中で岩木山がかすかに望めたが、今回、岩木山が見えたのはこの時だけだった。

入浴料 320 円で、せっけんシャンプーは無し。他の人たちの会話がまったく理解できなかった。何語なのかすらもわからない。テレビでたまに聞くような津軽弁ともずいぶん違う。これが本場の津軽弁なのだろうか。

スーパーで食材を買って、芦野公園の駐車場に戻ってナベで一人宴会にした。

津軽へ

私は山に関してはその山名の響きに惹かれることがよくある。ふと地図で変わった山名の山を見つけると、そこへ行ってみたいと思ってしまう。例えば比叡山北方の「宮メズラ山」など。

地域に関しても同様で、「利尻」や「知床」などはまずその地名の響きに惹かれた。

そしてこれもずっと昔から憧れのような気持ちを持っていたのが「津軽」である。

昨年、初めて北海道へ行った時、フェリーが津軽海峡を通過しているとわかった時に何とも言えない本当に遠くに来たという気持ちになった。

このところ Amazon の Kindle で無料で読める古い小説をいろいろと漁っている。作家やタイトルは昔から知っていても、実際には読んだことがないという作品が山ほどあって、タダで読めるのならということで適当に有名どころを乱読していたところ、太宰治にはまってしまった。

太宰治は津軽の出身で、そのものずばりの「津軽」という名作がある。もちろん Kindle で初めて出会ったのだが、これはすばらしい作品だった。

太宰治の作品を読み進めるうちに、ぜひ津軽へ行って太宰治ゆかりの場所を訪ねてみたいという気持ちになった。

どうせ青森まで行くのならついでに恐山にも行ってみたい。テレビなどでは何度も映像は見ているが、ここもぜひ現地へ行ってみたい。

当初は青森まで飛行機で往復して、現地は公共交通機関でと考えていたが、竜飛岬や大間崎まで足を伸ばそうとすると公共交通機関ではあまりにも不便である。今夏の豪雨で電車が不通になっている区間もあるし、太宰治ゆかりの地では藤の滝などバスの無い場所もある。

今回は津軽探訪というアイディアから思い立ったものだが、やはりどこも山に行かずに終わるわけにはいかない。しかしながら4月の東北遠征で主だったところはいくつか行っているので、東北の山ではなかなかうまいコース設定が思い浮かばない。

いろいろとルートを調べていたら大間から函館へのフェリーがあるということを知った。

それなら4月と同様にフェリーで秋田へ行って、まずは津軽探訪。それから下北半島へ。そして大間崎からフェリーで函館に渡って、北海道南部の山をいくつか登るというのが楽しそうだ。函館に近い場所では駒ヶ岳など興味深い山もある。

4月と同様に月曜朝の週1便のフェリーに乗って出かけることにした。

10/16(日)は講座だったが、それほど遅くはならなかったので、気分的には余裕があった。

10/17(月)の早朝に家を出て、8時頃に無事敦賀のフェリーターミナルに到着した。これで一安心。

海は穏やかで、新潟を経由して予定通り翌日朝5時過ぎに秋田に到着した。

桟敷ヶ岳

10/16(日)は講座で京都北山の桟敷ヶ岳へ行ってきた。

いつの間にやら雲ヶ畑へのバスが無くなっていて、北大路駅前から大型タクシーで運行している「雲ヶ畑バスもくもく号」で岩屋橋まで行った。

しばらく車道を歩く。岩屋橋からすぐのところにある惟喬神社。

30分足らず歩いて志明院のそばから山道に入る。

やや荒れた沢筋を薬師峠に向かう。

志明院から30分足らずで薬師峠に到着した。

尾根歩きになって岩茸山(811m)へ。

展望場所から比叡山と横高山などの北方稜線。

少し先の展望場所から比良山系。右に蓬莱山。真ん中左に武奈ヶ岳。

12時過ぎに桟敷ヶ岳(895.7m)に到着してここで昼食にした。

帰りのバスの時間の関係で最短路で祖父谷に向けて下る。滑りやすい急斜面を慎重に下る。

30分少々の下りで車道が見えてきた。

何と、知らないうちにヒルにやられていた。シャツの右脇腹あたりが血に染まっている。

あとは車道を岩屋橋に向かって戻るだけ。

1時間以上車道を歩いて出発地点の岩屋橋に戻ってきた。

私の中学や高校の頃は桟敷ヶ岳は人気の山で、雲ヶ畑行きのバスはいつも満員だった記憶がある。いつの間にこんな雰囲気になってしまったのだろうか。しかし秋の好天の日曜日に静かな山歩きが楽しめて良かった。