藤原岳

先の日曜日(4/15)は講座で鈴鹿の藤原岳へ行ってきた。
藤原岳はちょうど3年前に別の講座で訪れているけれど、この時は雨で登りに時間がかかって、山頂に到達することができなかった。
講座が違うので参加者は前回とはほとんど重なっていないのだけれど、今度こそは好天を期待してということだったのに、何とまたもや雨。
前回は聖宝寺道を登って大貝戸道を下ったが、今回は大貝戸道を往復する。
マイクロバスでの道中は雨だったけれど、幸い次第に小降りになってきた。

小雨の中、傘をさして出発したのはちょうど 10 時だった。※写真は下山時のもの
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神武神社の横から登山道に入る。
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ほどなく雨は止んで、四合目で一休み。
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この道は登り一辺倒。聖宝寺道と合流した八合目に 11 時 45 分頃に着いて、ここで昼食にした。
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このあたりから少しずつ花が出てきた。まずはヒトリシズカ。
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藤原岳と言えばフクジュソウ。ただしもうほとんど終わっている。
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1時ちょうどに藤原山荘に到着した。
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トイレを済ませて山頂へ向かう。あと一頑張り。
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1時 28 分、無事山頂(1140m)に到着した。残念ながら眺望は無し。
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時間の余裕があれば天狗岩もと思っていたけれど、それは諦めて早々に下山に移る。
下の方では下界を眺めることができた。
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神武神社のすぐそばにはマムシソウ。
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眺望が無かったのは残念だったけれど、無事登頂して終えることができた。

瓜生山から修学院

4/11(水)は京都一周トレイルの講座で銀閣寺道から瓜生山、修学院までを歩いてきた。
天気予報では午後は降水確率が高かったけれど、昼頃にほんの少しパラパラした程度で、何とか降られずに終えることができた。

銀閣寺道のバス停のそばからしばらく住宅街を歩く。
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いつものように天神宮神社に立ち寄る。
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バプテスト病院わきから山道に入って、瓜生山への急登になる。
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白幽子厳居之跡。
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そして石切場跡。
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歩き出して1時間少々で瓜生山(301m)に到着した。
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西側が開けている場所があった。愛宕山が雲の真下にある。
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ミツバツツジの回廊。
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鳥居のある広場まで行きたかったのだけれど小雨がパラついてきたので、木陰になる場所で昼食にした。
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幸い雨はほんのわずかで、鳥居の広場へ。
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沢を3回渡って、雲母坂を横切って沢筋に下りる。
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修学院離宮のそばを通って修学院に下山。音羽川の橋から雲母坂のある方向を望む。
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この講座はいつも参加者がわりと少なめなのだけれど、今期は 18 名となった。近くに他のパーティがいなければいいのだけれど、そうでない場合は人数確認がなかなか大変だ。

果無山脈

3月以降は気温の上昇で、山では雪解けが一気に進んでいるらしい。
行きたい所はいろいろとあるけれど、まずは残した宿題をやり終えておかないと、すっきりした気持ちで次に向かえない。
そんなわけで、まだちょっと早いかも・・・という気持ちもあったけれど好天の期待できる予報だったので、1月に敗退した果無山脈に再挑戦することにした。

前回、車を停めたのはバス停のそばの広場だったのだけれど(休日はバスは運行していない)、勝手に停めてもいいのかどうか不安だったので、そばのキャンプ場に入ってみた。ところがそこには車やバイクが何台か止まっていて、大きなレジャーテントがいくつか張られている。
これはきっと夜は騒々しいだろうと思って、結局またバス停そばの広場の片隅に停めることにした。
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前回、以外と時間がかかるということを体感したので今回は1時間早く、3時出発にした。2時に目覚ましをセットしていたのだけれど、雨音?
何と、雨が降っている。さっきトイレに起きた時は満天の星空だったのに・・・。
予想外の出来事に気持ちは大きく落ち込んだけれど、天気予報から考えると本降りになるようなことは無く、おそらくそのうちに止むだろうと思って、雨でも出発しようと開き直った。
期待通り、出発する頃には雨は止んでいたけれど、予報通りで気温が非常に低い。今回こそは軽快に行動したいと思って防寒対策は最低限度で、超ペラペラのライトジャケットとパンツ、そしてこれもペラペラの中綿ジャケットで来ている。
しかし出発してすぐに登りで、ほどなく急登になるので、そのうちに身体は暖まってくるだろうと思って、午前2時50分、ジャケットは羽織らずに出発した。しかしあまりにも寒くて、民家の前の防犯灯の明かりを借りて、ライトジャケットを羽織った。
霧雨かと思ったら雪が舞ってきた。
登山道に入ったら1月には無かったネットが設置されていて、ちょっとあわてた。
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何と、まさかの雪。しかしこれは残雪ではなくて、最近下界で降った雨がこのあたりでは雪だったのだろう。
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急登でも身体は暖まらないけれど、1時間10分くらいで和田ノ森(1049m)を通過。
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前回、道がわからなくなってウロウロした所はそのままヤブを強引に突っ切って、和田ノ森から40分くらいで安堵山(あんどさん 1184.1m)に到着した。あまりにも寒くて、中綿ジャケットを羽織って、ビーニーをかぶった。
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少し林道を歩いて、冷水山への登山道に入る。
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前回3時間くらいかかった敗退地点のあたりまで2時間15分くらいで来た。5時過ぎ。ここから先は未知の領域になる。
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この先、部分的には結構な急登があって、前回はあそこで敗退して正解だったと思った。
ようやく空が少し明るくなってきて、5時24分に黒尾山(1235m)を通過。このあたりが果無山脈の最高標高地域。
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そして5時43分に果無山脈最高峰の冷水山(ひやみずやま 1262.3m)に到着した。
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ここで気分的には往路の半分という感じ。まだまだ先は長い。
少し下ってカヤノダン(1178m)。
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見晴らしのいい場所に出たら、太陽が上がっていた。6時13分。しかし日が昇っても気温はほとんど上がらない。
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もう出発してから3時間以上、ジャケットを羽織った時以外はノンストップで飲まず食わずで来ているので、そろそろちょっと補給したいところなのだけれど、とにかく止まると寒い。北風が吹いていて、ゆっくりできる場所がなかなか見つからない。
このあと、ちょっと複雑な地形になって、北風が遮られるなだらかな場所に出たので、そこでぼたもち休憩にした。しかし雪があるので腰は下ろせず、冷たいお茶で流し込んで早々に出発した。
公門崩の頭(くもんつえのかしら 1155.4m)。
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果無山脈の名前の由来はいくつか説があって、「山脈からは山々が果てしなく望める」というのがあるそうだけれど、実は大半が樹林帯で、眺望の開けた場所は限られている。昔はどうだったのかはわからないけれど。
その限られた場所からの大峰方面。
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このあたりは地形図通りの形状で、わりと走れる部分がある。何かシャカシャカした音が耳に入るので何の音かと思ったら、ペットボトルの水が少し凍っていた。
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この先、筑前タワ、ミョウガタワと進んでいたら、生足を出したトレラン二人組に出会った。ちょっとびっくりしたけれど、向こうも同じように感じていたようだ。こんな時間(8時近く)にこの場所で西に向かっていて、どういう予定なのだろうか。随分軽装だった。
最後のピーク、果無山(1114m)には8時22分に到着した。折り返し地点の果無峠はもうすぐそこだ。
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早く着きたいという気持ちが強かったのだろうか、下り斜面でつま先が何かに引っかかってつんのめった。横にあった木に手を伸ばして止めようとしたけれど、掴んだ手を軸に身体が半回転して、頭を下にして斜面に転倒した。そして転倒した瞬間、後頭部を木に打ちつけた。幸い、大事には至らなかったけれど、頭を打った瞬間はちょっと気が動転した。
人通りの多い果無峠まではもうほんの 200m くらいなので、意識がしっかりしていれば何とかなるけれど、こんな季節にこんな場所で倒れていたら、あっと言う間に低体温症でおしまいである。
実は過去にも一度、山で頭をケガしたことがある。
20年くらい前にヨーロッパアルプスへ行った時、アルジャンチエール峰に登って、氷河のモレーン地帯を歩いている時、つまずいて転倒して頭を岩に打ち付けた。意識を失うことは無かったけれど、打った直後に頭頂部から生暖かい液体がじわっと流れてきた時の気持ち悪さは今もありありと思い出す。
その時は登る途中からたまたま一緒になったイギリス人と一緒に歩いていて、彼が自分のTシャツを頭にくくりつけてくれた。他にはケガは無かったので、出血が止まったら歩いて下山して、シャモニの病院で縫ってもらった。
山に限らず、ケガで一番恐いのは頭部だ。意識さえあれば何らかの対処方法を考えることができるけれど、意識を失ってしまったら誰かが助けてくれるという幸運を祈るしかない。
実はトレランを始めた頃から転倒時の頭部保護の重要性というのは意識にはあって、もう随分以前にこんなものを買っている。
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転倒した瞬間にすっ飛んでしまわないように、自分であごヒモを付けたりしたのだけれど、実は一度も使ったことが無い。
最近はアルプスに行くとヘルメットをかぶっている人をしばしば見かけるし、先月比良の堂満岳に行った時も、山頂で出会った3人パーティはヘルメットを着用していた。
私は帽子というものが生理的に嫌いで、雨天か真夏の炎天下、もしくは冬の極寒というような条件でなければ基本的に帽子はかぶらない。しかし講座で「帽子はかぶった方がいいですか?」などと聞かれると、もっともらしい顔で「帽子や手袋は安全のためには着用した方がいいです」なんて言っている。
ヨーロッパで転倒した時は帽子をかぶっていたし、今回もたまたまかぶっていたビーニーに覆われていた部分を打ったので、薄い帽子1枚分でもあると無いとではずいぶん違うということは自分でも経験して感じている。
さすがに一般登山道でヘルメットはちょっと抵抗があるけれど、一人で山へ行く時はこれからは帽子くらいはかぶるようにしようと思った。
さて、果無峠には8時26分に到着した。出発してから5時間36分。心密かに目標にしていた5時間には及ばなかった。
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気持ちを落ち着けるのも兼ねておにぎり休憩にしたけれど、止まっていると寒くて、一つを食べきれずに引き返すことにした。
冷水山から2時間40分くらいだったので、帰りはもう少しかかるだろう。
体感的には気温はまったく上がっている感じがしないし、樹林帯では陽の光もまったく届いていないのだけれど、復路になると一気に雪が溶けてきていた。
見通しのいい場所から果無山脈を望む。
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来た時は一面雪だったのに、早くもこんな感じ。
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小さなアップダウンを繰り返して、冷水山には11時21に戻ってきた。果無峠から2時間45分くらいだった。上にある往路の写真と見比べて下さい。
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これでようやくヤマを越えたという気分でちょっと気楽になって進んでいたところ、前の方で声が聞こえる。近づいたら、何と行きに出会ったトレラン二人組だった。
聞くところによると彼らは私とは逆に熊野側から果無山脈を往復しようとしていて、ここで道を間違えて引牛越の方にずいぶん下ってしまったとか。確かにそういう標識があった。林道で本来のルートに戻ろうとしたけれど途中で道が崩れていて進めず、やむなく戻ってきたらしい。今日は諦めて引き返すとのこと。
八木尾から果無峠までだけも結構な距離と標高差があるので、再挑戦するにしてもなかなか大変そうだ。ヤマセミ温泉までは下らずに、和田ノ森で引き返しても十分という気がするけれど。
前回の敗退地点はすでに雪は消えていた。
林道に下りたって、ここからはしばらく林道を行くことにする。前回、休憩した掘っ立て小屋を今日も使わせてもらって、おにぎり休憩にした。
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風が当たるのは避けられたけれどそれでも寒くて、早々に出発した。
安堵山は林道でパス。どういうわけかこのあたりから左足のスネの下の方に痛みが出てきた。
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和田ノ森も林道でパス。前回は登山道に戻れるかどうかハラハラしながらだったけれど、今回は気楽だ。
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登山道に戻ったら急坂を 30 分ほど下って、小森の集落に戻ってきた。
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最後の舗装路は走ろうと思ったけれど、左足が痛むので歩きにした。
サクラが満開。
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13時34分、ヤマセミ温泉に戻ってきた。10時間45分、約 38km だった。
今回は営業しているヤマセミ温泉に入ることにした。
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なかなかいい温泉だったと思うけれど、私が入っていた時は入浴していた男性は私を含めて3人。玄関を出る時に若い夫婦が一組やってきたくらいで、日曜日だというのにガラ空き状態で、これで営業が成り立っているのだろうかという感じ。あまり大きなフロではないので空いている方がありがたいけれど。
途中、非常に道幅の狭い箇所もあって、こんなところに温泉のためだけに来るような人は相当な秘湯マニアではないかと思った。たぶんもう来ることは無いだろうと思う。
久しぶりに充実感のある、満足できる一日だった。

三好山

4/2 の月曜日は講座で摂津峡そばの三好山へ行ってきた。私にとっては初めての山。
このあたりは四半世紀前に東海自然歩道ランで一度通過しただけで、ポンポン山には何度も行っているけれど、三好山というのはこれまで聞いたこともなかった。

JR高槻駅に集合。本当は高槻駅へは自転車で行きたかったのだけれど、万が一ケガでもしたら大変なので、枚方市からのバスに乗った。渋滞を警戒して早めに出たおかげで、集合時間の1時間近く前に着いてしまった。
バスで上の口へ
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しばらく車道で摂津峡へ向かう。サクラが満開。
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摂津峡入り口に到着。ただし今日は摂津峡へは行かずに展望エリアに向かう。
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まずは白滝。
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早くもミツバツツジが満開。
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上の広場でトイレ休憩。実はここは標高 226m で、三好山よりも少し高い。
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このあと少し歩いて昼食。
そして公園に下った。月曜日だけれど花見客でいっぱい。
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これから三好山へ向かう。三好山には芥川山城が広がっている。こんなところにこんな大きな山城跡があるとはまったく知らなかった。
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途中に立派なサクラ。
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40 分ほどの登りで三好山山頂(180m)へ。
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三好長慶が祀られた祠。
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解説板。最近、整備されたらしい。
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淀川方向は遠くは霞んでよく見えない。
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大手道を少し下ると大手石垣。
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昭和初期まで使われていたという井戸の跡。
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このあと行きに歩いた道に合流して、また上の口のバス停に戻って解散となった。

峰床山、大悲山

京都北山の大悲山(だいひさん)は中学生の頃からの憧れの山だった。
その頃に憧れたのは廃村八丁、八丁平、そして大悲山。京都人と言えどもその頃の中学生にとってはこのあたりは最果ての地で、一日2便程度のバスはあるものの、強い意欲が無ければ近づきがたいエリアだった。
八丁平だけは中学3年生の時に仲間とテント泊で行ったものの、その後しばらくは北山は自分にとって登山の対象エリアではなくなってしまって、ようやく廃村八丁に訪れたのはわずか2年前だった。
残された最後の課題は大悲山。
廃村八丁や八丁平は往時から登山道があるけれど、大悲山だけはいまだに登山地図には道が無い。しかし登られた記録はたくさんあるので、踏み跡程度はあるのではないかと思った。
麓の峰定寺(ぶじょうじ)までは車で入れるし、峰定寺の裏山なので、ここだけを目標に行くのはちょっともったいない。
そこで最近一段と有名になった三本杉から稜線を辿って峰床山。そこからさらに寺谷峠、桑谷山、そして大悲山に登って峰定寺に戻るという周回ルートを設定した。
距離的には 20km 程度だけれど、今回のルートの半分くらいは登山地図には道が記載されていない。はたして実際はどんな様子なのだろう。

4/1 の日曜日、家から1時間 45 分くらいで峰定寺に到着した。すでに駐車場には結構車が停まっている。
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8時 15 分くらいに駐車場を出発して、まずは林道を三本杉の方へ向かう。
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15 分ほどで三本杉に到着。ここは4年前、講座で峰床山へ行った時に訪れた。
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この3本のうちの1本は高さが 62.3m で、昨年正確に計測した際に高さ日本一ということが判明した。そのせいか今回は周りにロープが張られていて、根を踏まないようにという注意書きが立っていた。
このあと、踏み跡程度の急登で稜線に這い上がる。
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しばらく上がると林道に出た。
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さらに広い林道に合流して、八丁平への道標が立っていた。しかしこの道標通りに進むとずっと林道を行ってしまうので、適当に南側の稜線に這い上がった。そこは「こもれびの森」という立派な散策路になっていた。
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タムシバ。
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こもれびの森の山頂(871m)。出発してちょうど1時間。
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この道標に従って八丁平方面に下ったら、またもや林道に出てしまった。尾越方面に向かうべきだった。
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致し方なくしばらく林道を走る。そして予定していた道に出会った。
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このあとも少し林道を行って、わかりにくい分岐から山道に入る。
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しばらく不明瞭な道だったけれど次第にはっきりしてきて、俵坂峠。随行で来た時はここから大悲山口に向けて下りた。
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イワカガミ。
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10 時 15 分、出発して2時間で峰床山(970m)の山頂に到着した。京都府の最高峰は皆子山(971m)ということになっているけれど、皆子山は滋賀県との県境に位置しているので、完全に京都府に属している山では峰床山が最高峰。
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ここで腰を下ろしてどら焼き休憩にした。杉峠の鉄塔はわかるけれど、山々の山名はまったくわからない。
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そしてこれから北に向かうのだけれど、その方向には道らしきものは見あたらない。しかしやや西に向かってきわめて整備された道が下りていたのでこれを下ってみたところ、電波施設のための道だった。
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行きたい方向からはずいぶん違っているのだけれど、このまま行くと林道に出会って、その林道を戻ると目的の方向に向かえるので、そのまま下った。
林道はすぐに足元に見えてきたのだけれど、側壁が急峻に削られていて、道に下りることができない。
ウロウロして、ようやく何とかずり落ちられそうな場所を発見して、そこから林道に下りた。
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北側にはまだわずかに雪が残っている。
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さて、この林道をしばらく行って、寺谷峠に向けてまた登山道に入るのだけれど、これがまたわからない。
ちょうどそれらしい位置に白テープが下がっていたので、ここがその印ではないかと判断して斜面に下りた。
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しかしこの先は踏み跡すら見つけることができず、方向としては斜面をトラバースぎみに進みたいのだけれど、ヤブ斜面のトラバースはあまりにもアルバイトが多くて進めないので、ここの沢を強引に下ることにした。
地図を見るとこの沢を下ると林道があって、その林道から寺谷峠方向に登り返す道がある。
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北山なので沢を下りても何とかなるだろうと思っていたけれど、それでもなかなか大変だった。荒れている部分は右岸の斜面をへつって、何とか朽ちた林道に出会った時にはもう寺谷峠に登り返す気力は無くなっていた。
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実際に格闘していたのはほんの 20 分くらいなのだけれど、もともとオマケ程度の位置づけだった桑谷山はあきらめることにして、そのかわりに大悲山だけは何が何でも登るということに気持ちを切り替えた。
この林道は朝、駐車場からしばらく歩いた道で、大悲山から下りてくる予定だった場所に出会う。
それらしい場所に近づくと北側斜面を注視して、何かテープでも無いかと探した。
ちょうどそのあたりに朽ちた道が上がっていて、そばの木に赤テープが巻いてあった。しかしこういうテープは道の印ではなくて林業の人が巻いたテープということがしばしばある。この道を少し上がってみたのだけれど、ほどなく途切れてしまっていた。
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しかしこのあたりを強引に上がるしかないので、ちょっとした沢を強引に上がることにした。
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写真ではわからないのだけれど、実は手を使わなければ上がれないくらいの急傾斜で、正直なところ下りが不安だった。
しばらく登って、沢から横の斜面に逃れた。
この斜面もかなりの急斜面だったけれど、強引に上がって行くと赤テープが出てきた。そして傾斜が緩くなってきた。
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大きな杉や奇妙な木が現れて、朽木の山のような雰囲気。
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テープマークはわりと短い間隔で現れたけれど、踏み跡はまったく無し。
gps を頼りに登り続けて、そろそろ頂上ではないかと思った頃、急にヤブが濃くなってよくわからない地形に入り込んだ。
gps の画面を拡大して確認したところ、何とすでに山頂を越えてしまっていた。しかしここから戻るのが一苦労だった。
ヤブの濃い部分を避けて、何とか元に戻ることができた。大悲山の山頂(741m)は 12 時 52 分だった。
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山頂を示す標識はこの赤い板しか無く、登ってきた方向からは背面の死角になっていて気が付かなかったようだ。
下りはテープマークを見落とさないように慎重に下った。
最後の急斜面は強引に登った沢の横の尾根を下っていた。沢を下るよりはマシだったけれど、それでも最後の方はかなりの急斜面だった。
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北山のすべての山を登ったわけではないけれど、ある程度の知名度のある山では大悲山がいちばん登りにくい山なのではないかと感じた。まぁそこまでして登るほどの値打ちのある山かどうかと言えば微妙なところだけれど。
峰定寺は 12 世紀の創建とか。昔ほど社寺が辺鄙な所や山の上にたくさんあったりする。今よりはるかに人口の少ない時代、その頃の人達の宗教心はどんなものだったのだろう。
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駐車場に戻ったのは午後1時 50 分だった。時間的にはまだまだ早かったけれど、大悲山の上部の様子から想定すると、桑谷山へは行かなくて良かったと感じた。翌日は講座が控えている。
北山へ車で行くのは帰りの渋滞が憂鬱だ。今日はまだ少し時間が早かったので少しはマシなのではないかと期待していたのだけれど、その期待はあっさりと裏切られて、1号線の渋滞を避けて桂川沿いの道へ逃げたものの、何と八幡の背割りのサクラのおかげで御幸橋でまたもや大渋滞。行きよりも1時間以上余分にかかった。
気分的には若干消化不良感が残ったのだけれど、フロの後にいつも通り体重計に乗ったら、久しぶりに 50kg を割っていた。
私が足腰の疲労のバロメーターにしているのは、夜中にふと目覚めた時の下半身の疲れ具合で、結構重かった。

競技場練習会

今日の練習会は競技場。普段以上の力が出せる場はもう練習会しかないので、都合がつく限りは参加することにしている。
朝方は少し空気が冷たかったけれど、走るには絶好のコンディションだ。
基本メニューはインターバル 1000m x 5 だったのだけれど、どうしようかと迷っていたところ、10000m のペース走をやるという人達がいたので、そこに入れてもらうことにした。
キロ 5’30” の設定とのことだけれど、このところ一人ではキロ6分以上のペースでしか走れないので、今の自分にとっては決して余裕のあるペースではない。しかしそこは練習会。こういう時しかできないことをやるしかない。
出だしは設定よりも速めのペースだったけれど、以外と余裕があった。
2000m を越えたあたりからペースが安定してきて、5’35” くらいで落ち着いた。
以外と余裕がある。飛び出したい気分だけれど、そこはぐっと抑えて、10000m が終わってからあと 2000m をペースアップしようと思った。
9000m から 10000m までを 5’20” くらいで行って、そのあとギアチェンジした。
せめてキロ4分台という気持ちだったけれど、この 1000m は 4’31” だった。体感よりはいいタイム。
まだ少し余裕があったので、ラストは目一杯という気持ちで、4’18” でフィニッシュした。
こういう息の上がる走りは本当に久しぶりだ。息の上がる走りのあとの爽快感を久しぶりに味わった。
キロ4分台前半の走りなんてもうムリと思っていたけれど、うまくペースアップしていけばまだこれくらいは走れるということがわかって、ちょっとうれしかった。

六甲縦走キャノンボール

1年ぶりにやってきたキャノンボール。これまでに2回、卒業宣言をしたのだけれど、またもや復学してしまった。
今回で8回目の参加で、7回連続参加した防府読売マラソンを越えて同一大会最多参加となった。ただしキャノンボールは春秋の年2回開催なので、7年継続したわけではない。
これまでの7回はすべて往復にエントリーしてきたのだけれど、今回は夜間の片道にした。1年前、特に故障なども無いのに復路を断念した記憶が重くのしかかっていて、今回は最初から片道でエントリーすることにした。
「六甲の縦走は夜間が最高」というのが持論なので、2年前から始まった「ナイトスピード」部門での参加となった。

キャノンボールにしては異例の好天予報で、恒例のレオちゃんマンの宣誓のあと、夜9時に須磨浦公園をスタートした。昨年は寒さにやられたので今年は暖かくしようと思っていたのだけれど、結局上はメッシュのノースリーブの上に半袖シャツとアームカバー、下はヒザ下までのタイツにカーフサポートということにした。
今回は片道なので押し気味に行くことにしているが、スタート直後の狭い階段は渋滞した。
階段をしばらく上がって、旗振山から明石海峡大橋。厚着でスタートした人たちが上着を脱いでいる。
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何度来ても緊張する須磨アルプスを無事に通過した。出発してから1時間10分。
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横尾の住宅街に出る手前にはいつものサシミ、日本酒エイドがあったけれど、混雑していたのでパスした。
高取山は10時50分に通過。ここの公園でジェルを補給した。
丸山の住宅街もできるだけ走るようにした。
鈴蘭台の水処理場にエイドの明かりが見えたので、暖かいものにありつけるかと期待したのだけれど、酒とビールしかないとのこと。せっかくなのでビールをいただいた。
日付が変わった0時12分に菊水山に到着。ここまで3時間12分なので、タイムとしては悪くない。ここで持参したようかんを食べた。
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期待した大竜寺のエイドは、つきたて餅一切れという淋しいものだった。ここはいつも豚汁やおにぎりがあって、ほっと一息つける重要エイドなのだけれど。
キャノンボールの夜のエイドは、その時によって非常に充実している時と貧弱な時の差が大きいように思う。エイドの情報は SNS で発信されてはいるけれど、実態はそこに行ってみないとわからない。今回はまるで OSJ の大会のよう。
摩耶山の菊星台には2時15分に到着した。これでヤマを越えた感じ。
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ここのカレーエイドはいつも通り、期待を裏切らない味でした。
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ここで15分ほど休んで、ライトジャケットを着て出発した。
1時間15分でガーデンテラスに到着。3時45分。今回は片道なので、せめて9時間以内と思っていたのだけれど、ちょっと微妙なタイムだ。あと2時間15分でゴールしなければならない。
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一軒茶屋手前で最後の南側の夜景。これは大阪方面。
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一軒茶屋にもエイドは無く、今回、夜間のまともなエイドは菊星台だけだった。
東六甲縦走路の下りは苦手だ。どうも気分が乗らない。特に前半はちょっとした登り返しが多くて、なかなか高度が下がらない。掘れて歩きにくい場所も何カ所かある。
昨年はこのあたりでどんどん意欲が減退していったのだけれど、今回も同じような感じになってきた。「最低でも9時間以内」という目標達成も怪しくなってきて、それがさらに意欲減退に拍車をかけた。
今度こそ大会参加はこれを最後にしようと改めて思った。長時間のレースではゴールが見えてくるとたとえタイムが悪くてもそれなりの気分になってくるのだけれど、昨年、今年と、もうそういう気分にはなれなくなってしまった。
マラソンでも50歳を越えてからの大会ではゴールしても充実感や満足感を感じたことはほとんど無かった。
気持ちを切り替えて、残りは「大会」という雰囲気をしっかり味わっておこうと思った。
持参したスィートポテトを食べて、薄ら明るくなってきた山道をゆっくり走った。
が、塩尾寺が近づいて来た時、ここで一踏ん張りすれば9時間以内でゴールできそうだと思い直した。
車道を下って、展望台からの下りを車道を走るか階段をショートカットするか迷ったけれど、距離の短い階段を選択した。
ゴールの塩尾寺下の広場に到着したのは5時57分。8時間57分だった。
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片道ではゴールしても満足感や充実感というものはまったく無く、最低限度のタイムは何とかクリアできたという安堵感だけだった。50歳を過ぎてからのマラソンのゴールの時と同じ気持ち。
行く前には、ゴールしたらひょっとして往復したいという気持ちが出てくるのではないかと思っていたのだけれど、そんな気持ちは微塵も起こらなかった。
家に帰り着いたのは朝の9時前。素晴らしい好天の日曜日だ。こんなに素晴らしい天気の週末を、六甲の夜間走のためだけに潰してしまったのがもったいないという気持ちになった。
大会にエントリーすることでその大会に向けて多少の準備はするし、それによって少しでも体力低下が抑えられれば、それが登山の体力維持にもつながるという面はあるので、大会参加を辞めることによるマイナス面も考えないわけにはいかない。
ただ、昨今は大会参加費が高騰しており(キャノンボールは除く)、今さら荒天のレースを致し方なく走るというようなことまでしたくは無いので、ひとまず大会参加はこれで終わりにしようと思う。

国見山

昨日(3/19)は随行で国見山へ行ってきた。「国見山」という山名の山はたくさんあるけれど、今回は奈良の春日山の近くにある国見山。
この講座は登山講座の中で最も初心者クラスで、前日昼前の気象庁の天気予報で行き先方面の降水確率が 50% を越えると延期になる。当初は 3/5 に予定されていたのだけれどそのせいで延期になってしまった。実は2日ほど前にはまたもや延期になりそうな雰囲気だったのだけれど、前日の予報では 30% になってくれて、かろうじて決行となった。
しかし午後の降水確率は高くて、今日は間違い無く雨という覚悟で集合の近鉄奈良駅に向かった。家を出る時はすでに雨が降っていた。

奈良は雨が多いという印象があるが、近鉄奈良駅に着いた時は雨は降っていなかった。路面も濡れていない。
しかし日程が変更になったり、今日も雨予報ということで欠席者が多くて、わずか5名のご参加となってしまったのだけれど、参加者の顔ぶれを見るとスムーズに行動できそうな感じ。
当初、バスで登山口まで行く予定だったけれど、何と二日前にバスがダイヤが変わっていて、予定の便が無くなっていた。致し方なくタクシーに分乗して行ったのだけれど、4人乗車ならバス代より少し高いくらいの費用で済んだ。郊外のバスは割高だ。
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バス停から南に見えるのが国見山。標高 680m の山なのだが、ここはすでに 400m くらい。
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しばらく車道を行く。
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春日宮神社。志貴皇子(しきのみこ)が奉られている。壬申の乱では大海人皇子(天武天皇)についたけれど、天智天皇の皇子だったので出世とは無縁で、政治よりも和歌など文化の世界に生きた。
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写真右下の歌碑は万葉集にある「石ばしる 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも」。
ようやく登山道に入る。
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路面がコンクリートの急坂を登る。もし雨だったら滑って登れないかも・・・と思えるくらいの急坂だった。
急登が一段落すると西側の展望が開けた。奥は生駒山。その手前にはほんの2日前に駆け抜けた矢田丘陵。右の方には交野山も見えていた。
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最後のひと登り。
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11時過ぎに国見山(680m)に到着した。
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ここからの葛城金剛や市街地の眺めも素晴らしく、ちょっと早いけれど昼食タイムにした。
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昼食後は稜線を東に向かう。15分ほど歩いて三角点(666.2m)。
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さらに10分ほどで塔の森の六角六重石塔(奈良時代の創建当時は十三重だったらしい)。
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ここは稲荷神社で、参道を下ると日吉神社。そばにはフキノトウがあった。
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少し下ると車道に出た。
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車道を北に向かってしばらく行くと南田原磨崖仏。鎌倉時代と室町時代に彫られたもの。
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このころからついに雨がポツリポツリと落ちてきたけれど、幸い小雨程度。
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少人数で足が揃っていたので帰りのバス停には乗る便の1時間以上前に着いたので、ちょっと足を延ばして太安万侶の墓に向かった。
ちょっと遅い感じがするけれど、ロウバイ。
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20分ほど歩いて、今度も急なコンクリート急坂を上がった所にあった。
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昭和54年に茶畑の改植中に発見されたらしい。銅製の墓誌が出土して、奈良時代の遺構にしてはめずらしく出土状況がはっきりとわかった。
バス停には3時過ぎに戻ってきた。
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完全に雨の一日を覚悟してきたのだけれど予想外の天気で、晴れ間こそ無かったものの山頂からの展望は素晴らしく、太安万侶の墓まで訪れることができて、充実した一日だった。

矢田丘陵

来週末はキャノンボール。何だかんだ言ってもやはり大会を控えると「準備をしなければ」という気持ちが自然と湧いてくる。
そんなこともあって先週は磐船神社まで往復したのだけれど、今週も走れるコースということで矢田丘陵に行くことにした。
矢田丘陵は一昨年の秋に法隆寺から家に向かって走ったのだけれど、今回は逆コースで行くことにした。
その心は、生駒市の総合公園の先でロストした部分をクリアしたいと思ったから。
気温はやや低めだけれど天気は快晴で、7時25分に家を出た。

穂谷川の河津桜はこの1週間でほぼ葉桜になっていた。
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8時48分に交野山(341m)に到着。実は今日の最高標高地点。観音岩の上から愛宕山を眺める。
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今日はほしだ園地に入って、久しぶりの飯盛霊園。
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むろいけ園地への道を見送って、田原の住宅街を越え、R168 を渡って前回ヤブ漕ぎして下りてきた道に入った。
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ほとんど人が入っていない感じだけれど、一部不明瞭な所を強引に進んで、見覚えのある鉄塔に出た。
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ここまで来ればもう大丈夫。無事、運動公園のグラウンドに出た。
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しばらく車道を走って、ようやく矢田丘陵の入り口に到着した。10時52分。出発してから約3時間半。距離的には半分を少し超えている。
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静かな山道を走って、どんでん池へ。
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阪奈道路を橋で渡る。
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ムノ峯上池のベンチでおにぎり休憩。
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県道702に下りる。
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この道を反対側に渡るのだけれど、本来は信号のある所まで行かなければならない。しかしそれが非常に遠い。往復で1kmくらいあるのではないかという感じ。
前回来た時はわりとあっさりと車道を渡れたのだけれど、今日はどちらの方向も車が多い。片方が空いたら反対側が混むという状態がしばらく続いたのだけれど、信号のある場所まで行く気にはならない。
数分くらい様子を見ていただろうか。ようやく車間が少し開いているタイミングがあったので、そこで強引に渡った。ここは何とかしてほしいというのが正直な気持ち。
帝塚山大学のそばを通って、気持ちのいいトレイルを進む。
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12時10分、榁木(むろのき)峠に到着。
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矢田山(340m)には12時半に到着した。展望やぐらの上からは生駒山がすぐそこに見える。
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矢田峠を越えて、まほろば展望休憩所からの桜井、明日香村方面。ここでぼたもち休憩。
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午後1時すぎに松尾山(315.1m)に到着した。
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前回来た時はここまで車道を上がってきたのだけれど、随行で来た時に、ここから松尾寺に出られるのではないかと思える道に出会ったので、そこへ行ってみることにした。
期待通り、松尾寺の上に出ることができた。
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前回来た時、松尾寺の上から松尾山に行く道があるのではないかと思って上に上がってみたのだけれど、結局見つけることができずに戻って車道を行った。今日、下りてきた所はその時に上がったはずの場所なのだけれど、どうして気が付かなかったのだろうか。
あとは法隆寺まで淡々と下るだけだったのだけれど、途中で「古道七曲道(ななまがりみち)」という標識に出会った。看板を見て、何となくゴルフ場の方に下りられるような気がして、吸い込まれるようにそちらに行ってしまった。
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どうも下る方向があまりうれしくない方向だと思っていたら、車道に飛び出した。松尾寺に上がる車道だった。
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下りたのは数分程度だったので登り返そうかと思ったのだけれど、前回と同じ道を行くよりは知らない道を行った方が楽しいかも思って、ここまま車道を下ることにした。
ちゃんと抜けられるのだろうかと不安を感じながらゴルフ場の取り付け道路に入ったのだけれど、うまく抜けることができた。
そして前回通った道に戻って、斑鳩神社。
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せっかくなので法隆寺にも立ち寄った。ただし中には入らず。
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JR法隆寺駅に着いたのは午後2時15分だった。
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前回は藤ノ木古墳に寄ったり、何度か道迷いがあったりして、43km で8時間だったのだけれど、今回はおおむねスムーズに行けたので、40km で6時間50分だった。
走るにはちょうどいい気候で、気持ちのいい日だった。

大文字山

水曜日(3/14)は京都一周トレイルの講座で大文字山に登ってきた。
このところ朝方はまだ冷えるけれど、昼間は 20 度くらいまで気温が上がるという日が続いている。どんな服装で出かけたらいいのか悩ましい。

快晴の元、蹴上駅に集合した。
まずは蹴上発電所を橋の上から見下ろす。まだ現役?
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ねじりマンボ。南禅寺側から見るとねじれているのがよくわかる。
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インクライン跡。
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日向大神宮へ。
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天の岩戸に入る。
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七福思案処。7つの道が交差しているけれど、今は荒れて途中で途切れている道もある。
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山科方面を望む。気温が高くて、遠方は霞んでいる。
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今度は西側の京都市内方面。
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鹿ヶ谷へ下る分岐の四ツ辻。
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おそらく何らかの事情があったのだろうと思うけれど、京都一周トレイルコースは大文字山には登らずにここから鹿ヶ谷へ下りている。
しかし山頂はすぐ近くなので、山頂に寄って昼食にした。
山頂(466m)からの京都市内方面。
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昼食後は四ツ辻に戻って鹿ヶ谷へ下りる。
俊寛僧都忠誠之碑。
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そして桜門の滝。なかなか立派です。
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ほどなく車道に出て、急な舗装道路を下る。
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途中、法然院などに立ち寄りながら、銀閣寺道で解散となった。
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まだ2時半くらいで時間はたっぷりあったのだけれど、翌日も講座がひかえていたのですんなり帰ることにした。