ほしだ園地、交野山マラニック

13日の日曜日は前日から悪天予報だった。
この日はクラブ恒例のマラニック大会の予定だったけれど、おそらくみんなこれでは中止やむなしと思っていただろう。
前日の夜になって、朝に最終判断するという連絡が入った。となると起きて準備をしておかなくてはならない。
決行になっても大丈夫な時間に起きて、食事を摂っていたら、決行するという連絡が入った。
まだ雨は降っていないけれど、今にも降り出しそうな雰囲気で、午後は大雨という予報が出ている。
「ホンマに行くの?」と思ったけれど、後尾のサポート役を頼まれていたので行かないわけにはいかない。
いつも通りのコースでゴールがスパバレイなので、ここまで自転車で行ってデポしておくつもり。
家を出るやいなや雨が降り出してきて、あわてて雨具を着込んでスパバレイに向かった。

雨はさほど強くはならなかったので、スパバレイで雨具を脱いで、集合地の河内森駅にジョグで向かった。
約 5km、30 分ほどで河内森駅に到着した。さすがに例年よりは随分少なかった。
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ここからロング約23kmのAコース、ミドル約15kmのBコース、ショート約10kmのCコースに分かれるのだけれど、Cコースは希望者が一人だけだったので無理矢理Bコースに引きずり込んだ。私はBコース。
ほしだ園地に入ったあたりから雨が降り出した。おかげで星のブランコは誰もいない。
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展望台で集合写真。
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ここからちょっと大回りして磐船神社そばに下りて、きさいちカントリークラブの取り付け道路を上る。ほとんどどしゃぶり。
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くろんど園地も林道ではなくトレイルで上って、交野山へ。それにしても寒い。
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寒いので国見山はパスしてスパバレイにゴールした。
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約19km、3時間15分でした。私は行きの分5kmプラス。
ここで温泉に入ってもまた自転車で濡れて帰らなければならないので、このまま帰ってしまおうかと思ったりもしたのだけれど、とにかく寒くてやはり一度暖まった方がいいかもと思い直して、フロに入ってビールとあたたかいラーメンで身体を温めた。
しかしこのマラニックの代償は大きかった。
ようやく2年かけて分割払いが終わったスマホが、この雨で瀕死状態になってしまった。防水モデルで、これくらいの雨ならこれまで何度も出会っていたのだけれど、これまでに道路に落としたり、落とした直後に蹴飛ばしてしまったりと、荒っぽい扱いを何度かやってきたので、少しずつ隙間などができてきていたのだろうと思う。
翌月曜日にお知らせ LED が点灯しなくなって、あれっと思っていたら、火曜日の朝には液晶画面がひどい状態で、画面操作ほぼ不可能に陥ってしまった。通話のみ何とか。
想定外の散財にがっくり。

雲母坂

水曜日(5/9)は京都一周トレイルの講座で比叡山の雲母坂(きららざか)を登ってきた。

京福電鉄の修学院駅に集合して、まずは鷺森(さぎのもり)神社へ。
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創建は千年以上前だそうだが、創建当時は別の場所だったらしい。
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次は曼殊院(まんしゅいん)へ向かう。正面にこれから登る比叡山が望める。
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曼殊院は外から眺めるだけ。
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いよいよ雲母坂へ。今日のルートは上り一辺倒で、この講座の中では一番キツイ。
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このあたりにはかつて雲母寺という寺があったそうだけれど、正確な場所などはわかっていない。
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1時間20分少々かかってようやく前回終点の水飲対陣跡に到着した。
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展望場所から愛宕山など。
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浄刹結界跡で昼食。
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午後もずっと登りで、千種忠顕の碑。この碑が建てられたのは大正で、それほど古いものではない。
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今日のゴールはケーブル比叡駅なのだけれど、時間があったのでちょっと寄り道した。
昔のスキー場跡。私が初めてスキーを体験したのはたぶんここだったと思う。
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それからケーブル比叡駅に着いて、展望場所に寄り道。展望場所は2カ所あって、南の方からは生駒方面が望める。
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今日のゴールはここ。
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皆さんはケーブルで下山されたけれど、私はいつも通り山道で下る。ただし一人だけ歩いて下りたいという方がいらっしゃったので一緒に下った。
登山地図には載っていない道で、歩く人は少ない。滑りやすい急斜面を下って、回峰行の道に合流。
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この道も下の方に浄刹結界跡がある。
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その後、ケーブル八瀬駅を通過して、京福の八瀬比叡山口から家に向かった。思いのほか寒い日だった。

乗鞍スカイライン復路

夜中にトイレに起きた時、きっと星空が素晴らしいだろうと思ってメガネをかけて出たところ、期待はずれで星はほんの少ししか見えない。何故かと言うと、月明かりで影ができるほどのド満月だった。
たっぷり寝て、外がちょっと白んできたと感じた5時頃に起きた。
朝は定番の棒ラーメンにサラミを入れる。
食事の用意をしていたところ、何やら奇妙な物音が耳に入った。風はほとんど吹いていない。例えてみれば動物が鼻や喉を軽く鳴らすような音。
クマ?????
全身が凍り付いた。テントを破ってくるのではないか。もし襲われたらどうしよう。ケガをしてもあの携帯エリアまでたどり着ければ何とかなるかも知れない。
そんなことが一瞬にして頭を駆け巡った。
息をひそめてしばらくじっとしていたが、幸い何事も無く時間が過ぎて行った。恐ろしくてテントの外を見る気にならない。
やはり熊よけスプレーは早く入手すべきだと思った。
すっかり明るくなってから外に出たが、今となってはあの音が何だったのかは知る由もない。

ザックに軽食と水分と雨具だけを入れて、アイゼンを装着して出発したのは6時ちょっと過ぎだった。
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鶴ヶ池のそばの雪の斜面を上がると、スキーとスノーシューのトレースに出会った。わりと新しいトレースだが、スノーシューは歩きにくいんじゃないかという感じがする。
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そのトレースを追ってしばらく進む。富士見岳の南側の斜面にライチョウが2羽いた。小さくて写真では見えないけれど。
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剣ヶ峰への道標が現れて、ようやく剣ヶ峰にご対面。まだまだ遠い。
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スキーのシュプールの残る魔利支天岳の東斜面をトラバースぎみに進むが、なかなかの傾斜で緊張する。位ヶ原を登る登山者が見える。涸沢からザイテングラードのような雰囲気。
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今日の装備でこのままこの斜面を進むのは危険と感じた。まぁ足を滑らせても雪の斜面を滑り落ちるだけで、いずれ止まるような地形だけれど、あまり格好のいいものではない。
一旦位ヶ原に下ってそこから登り返しということもチラッと考えたけれど、剣ヶ峰手前のリッジには雪庇が出ている。ここが潮時だ。
元々この時期のこのレベルの山にトレッキングシューズと軽アイゼンで山頂まで行ける可能性はあまり高くないということはわかっていたので、迷いは無かった。標高 2,800m まで上がれただけでも十分という気持ちもあった。
テントには7時半くらいに戻ってきて、装備をまとめて8時前に帰路についた。二泊分の用意をしてきたので本当はもう一日山で過ごしたかったのだけれど、あまりにも時間が早すぎる。私はのんびりぼうっと時間を過ごせるタチではないのだ。今日中に帰ることにした。
車道のすぐそばにライチョウがいた。
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多少は荷物は軽くなっているはずなのだけれど、下りにもかかわらずペースは上がらない。昨年、小辺路の車道歩きでつらかった時よりもひどいくらいの状態になってきた。
時たま立ち止まって腰をストレッチしないと歩き続けられなくなってきた。
軽装で上がってくるハイカーと MTB に出会った。
平湯峠からの下りはさらにつらくて、1〜2分ごとに立ち止まらなければならないほどになってきた。
最もつらかったのは平湯トンネルからの車道に合流してからキャンプ場までの数百メートルで、車が通らない道はあたりを気にせずに立ち止まることができたけれど、たくさんの車が通る道ばたであまりなさけない姿は晒したくない。それくらいのプライドはまだ残している。
こんなにつらい思いをしながら歩くのは近年には記憶が無いと思いながら、最後の気力を振り絞ってキャンプ場に戻ってきた。
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12 時 36 分に到着。ザックを下ろして車のそばにあった丸太に腰を下ろして、しばし放心状態だった。
そんなせいもあって、今回は敗北感はあまり無かった。本来なら「乗鞍岳敗退」というタイトルになるはずなのだが、気持ちとしては結構満足していた。
さて、一息ついたらここへ行くしかないだろう。
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初めて「ひらゆの森」に来たのはもう十数年前だけれど、その時からずっと入浴料は 500 円のまま。消費税増税でも値上げされなかった。今までいろんな温泉に行ってきたけれど、ここに来て以降、ここを上回る質の温泉には出会ったことが無い。
無事に帰宅して、翌朝起きたら足の筋肉痛がひどかった。しかも昔にトレイルレースの後に出た筋肉痛とは場所が違っていた。昔は筋肉痛が出るのは大腿四頭筋だったのだけれど、今回は股関節や下肢のあたり。こんな筋肉痛は初めてだと思う。
ここ数年はトレイルレースの後などでも筋肉痛が出ることはほとんど無かった。その要因は決して筋力がついたのではなく、自己防衛本能で余裕のあるレベルまでしか力を発揮しないようになってきているのだと考えている。
今回くらいの荷物を持って長時間歩くのは、軽装で走り歩きする時とは違う筋肉を使っているということだ。逆に言えば、短期間にこういうことを何度か繰り返せばトレーニング効果が期待できるということかも知れない。
テント泊で山歩きをするのであればせめて 15kg くらいの荷物では普通に歩けるようにしたい。
そして悩ましいのはもう少しまともな登山靴を買うかどうかということ。昨冬からまた雪山に出かけるようになって、装備の不備を感じることが何度かあった。
私に一番向いているのは軽装でロングロートを1日で駆け抜けるスタイルだということはもうわかっているのだけれど、やはり雪山やテント泊も諦めるわけにはいかない。
アイゼンとピッケルはまだ十分使えるものが残っているので、ワンタッチアイゼンが着用できる靴さえ入手すればすべて解決するのだけれど・・・。

乗鞍スカイライン往路

今日(4/28)はスカイラインを歩くだけなので朝はゆっくりめに8時に起きた。
駐車場は満杯で、外に出たら管理事務所の前に行列ができていた。何事かよくわからなかったけれど、キャンプ場の申し込みの列のようだった。そんなに人気があるのだろうか。30 分もしたら車はほとんど無くなっていた。

準備して出発したのは9時ちょっと過ぎだった。足元はトレッキングシューズ。右手に簡易ピッケルになるピック付きのポール、左手には普通の山スキー用ポールを持った。
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それにしても荷物が重い!!。家で重さを計ったところ、水分無しで 11kg くらいだった。今回は上部で水が得られない可能性があるので、2リットルほど余分に持ってきた。最悪、雪を溶かして水を得ることはできるけれど、アルコールはそれほどたくさんは持ってきていない。最終的には 15kg 近くあったのではないかと思う。
しばらくは平湯トンネルに向かう車道の脇を歩く。
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足元にはフキノトウがいっぱい。この先、森林限界くらいまでずっとフキノトウが出ていた。上部では食べられそうなものもあったけれど、荷物になるので採らなかった。
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平湯峠への旧道に入る。車はまだ入れない。
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10 時 12 分に平湯峠に到着した。標高 1,684m。
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若山牧水の歌碑があった。
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ようやく乗鞍スカイラインに入る。道路整備の人達に何度か出会った。
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山スキーで来た時は大崩山の第一尾根や第三尾根を登るので、スカイラインは時折交差するだけなのだが、今回はひたすら車道を歩く。最初からこういう予定だったら MTB で来たのだけれど・・・。
白山の全貌が眺められる。
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11 時ちょうどに夫婦松に着いた。標高 1,900m くらい。ここでおにぎり休憩。ポールが邪魔なのでザックにくくりつけた。
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少し上の展望台からは北アルプスの素晴らしい眺め。左から笠ガ岳、弓折岳。真ん中あたりに槍ガ岳。そしてその右に奥穂高、前穂高。一番右は霞沢岳。
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何と、トレイルランナーが走って下りてきた。
それにしても荷物が重い。こっちに転戦して本当に良かったと思った。飛越新道に行っていたらおそらく1時間くらいで敗退しただろうと思う。白山でも同じようなものだ。登りとは言え車道なので何とか歩けるけれど、まともな登山道の急登ならとても歩けないと思った。
正面に山スキーで何度も行った猫岳(2,581m)が見えてきた。こういうアングルで眺めるのは初めてだ。
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お次はこれも山スキーで何度も行った四ッ岳(2,744.6m)。
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四ッ岳を眺めていたらイヤなことを思い出してしまった。実はこのあたりはクマが多いのだ。
これまで山でクマを見かけたことは何度もあるけれど、半分以上はこのあたりで、特に四ッ岳での山スキーの時が際だって多い。乗鞍では何年か前に夏の観光シーズンに土産物店にクマが乱入したことがある。何せクマ牧場があるような地域なのだ。
出会わないことを祈るしかない。
ところで、以前に山スキーで四ッ岳に来た時に頂上から携帯で電話したことがあって、さすがに乗鞍はスカイラインがあるのでこんな場所でも携帯が繋がるのかと感心したのだけれど、いつの間にか圏外になっていた。
ようやく畳平の手前までやってきた。鶴ヶ池。
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宇宙線観測所が見える。
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2時 38 分、畳平のバスターミナルに到着した。標高約 2,700m。5時間半、19km、標高差 1,400m のアルバイトは楽では無かった。
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夜に風が当たらないように、森林管理署のベランダのテラスにテントを張らせてもらった。
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このテントは昨年末に新調した「ビッグアグネス フライクリーク 1LX」というモデル。シェルターでは寒い季節は厳しいので、ダブルウォールのものがほしかった。それと、通常のドーム型は一人で入るとどうしても頭が上部に当たってしまう。冬場で結露していたりすると非常に不快なので、そうならないような形状のモデルを探したところ、ちょうどこれが安く売られているのを見つけて、勢いで買ってしまった。
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重量は全部で 1.5kg くらいで、それほど軽量ではないのだけれど、軽量をウリにしたダブルウォールテントはたいていインナーの大部分がメッシュになっている。それでは保温性がちょっと心配ということで、このモデルを選択した。
さて、バスターミナルなら携帯は通じるのではと思ったが、残念ながらここも圏外だった。ひょっとしたら再起動したら繋がるかもと試してみたが、やはりダメだった。
実はこの再起動は大失敗だった。スマホの地形図アプリは圏外になってからも地図を表示してくれていたのだけれど、これは地図データをキャッシュしていたようで、再起動でそのデータが消えてしまったのだ。
gps の地図は正規の有料の登山地図ではないので、等高線や主要な道路は表示されるけれど、地形図ほどは詳しくない。私は乗鞍は初めてなので、地図が無いとどういうルートで進めばいいのかわからない。
もう山頂は手の届く所まで来ているので、このままおいそれと帰るわけにはいかない。
何とか解決策が無いかと頭をひねったところ、鶴ヶ池の向こうが大きく開けているのが目に入った。さっきそのすぐそばを工事車両が走っていたので、そこまでは除雪されているということだ。その向こう側まで行けば電波が通じるのではないかと考えて、そちらに向かった。
5分ほど歩いたら「長野県」の看板が現れた。
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ここで長野県側に出たところ、大正解!!。携帯が繋がった。さっそく地形図アプリで地図を読み込ませた。ほんのわずか岐阜県側に戻ったらもう圏外だった。
お次の課題で、どこかに水が流れていないか探してみたところ、車道の下の小さな溝にちょろちょろと水が流れているのを発見した。カップに少しずつ貯めれば利用できそうだ。沸かして飲むものはこれを利用することにしよう。
ビールと日本酒でリッチなディナーを堪能して、まだかすかに明るさが残っているうちにシュラフにもぐった。

3連休

3連休くらいなら年間に何度もあるような気がするけれど、3日間好天続きという予報で迎えられるチャンスはそうそうは無いだろう。
4/28 から 4/30 までの3連休は、天気が良さそうだったらぜひ3日間の行程でどこかの山へ行こうと思っていたけれど、まさかこんな好天予報になるとは思わず、直前になってあわてて行き先を考えた。
せっかくなので雪山に行きたいと思ったけれど、それほど重厚な登山を目指すつもりは無い。何せ本格的な雪山を歩ける靴が無い。できれば急斜面のあまり無い広々とした山域を、まったりと散策してみたいと思った。例えてみればスノーシューハイク向きの山域のようなものだろうか。
ところがそんな都合のいい山域は近場では皆無で、まともに雪が残っている場所を求めるとどうしてもアルプス方面になってしまう。東北や北海道に行けばいくらでもありそうだけれど、いくら何でもそこまでは行けない。
立山は自然条件は絶好なのだけれど、ゴールデンウィークのアルペンルートなんてとても近づく気にならない。
白馬方面まで行けば八方尾根や栂池あたりでそれに近いことが楽しめそうな気もするけれど、いささか遠い。一昔前なら平気だったけれど、もう片道 400km の運転はしんどい。
そんなわけで、そういう山域を選ぶのは諦めて、ルート的には普通の登山ルートを余裕を持った日程で歩いてみようと考えた。
まったく様子を知らない場所というのは不安なので、白山方面を考えた。昨年、白山四峰を登ったので、三ノ峰を含めて白山五峰を3日かけて歩いてみようと思った。
金曜日(4/27)の夜に出る予定で、ふと思って朝に道路状況を調べたところ、何と市ノ瀬までの林道がまだ開いていない!!。帰ってから調べたら 28 日に冬期閉鎖解除された模様。
夜に出発したいので、あわてて次なる行き先を考えた。そして思いついたのはこれも昨年歩いた飛越新道。10 年以上前のちょうどこの時期に山スキー目的で行ったのだけれど、雪が少なくて、薬師岳を歩きで往復しただけで帰ってきたルート。これを再訪してみようと考えた。
出発する前にナビでルートを検索したところ、どういう訳か昨年走りやすかったルートが出てこずに、あの狭いクネクネ道しか出てこない。何か理由があるのだろうか。走りやすかったルートはナビに従って走ったので、はっきりした記憶が無い。
どうも意欲が減退気味で、それでも予定通り出発した。しかし走っているうちに昨年運転で疲れたことが頭に大きくのしかかってきて、またあんな道を深夜に走りたくないという気持ちが強くなった。
そこでふと思いついたのが乗鞍岳。平湯からスカイラインを歩いて山頂直下の適当な所まで行って、その後、山頂を目指すというルートが頭に浮かんだ。地図を持ってきていないけれどスカイラインは迷うことなどあり得ないし、gps にはちょっとした地図が入っている。それにスマホには地形図を見られるアプリを入れている。おそらく乗鞍なら携帯の電波は入るだろうと思った。
深夜の1時半頃、平湯のキャンプ場の駐車場に入った。ここはかつて山スキーで四ッ岳へ行く時に何度も利用させてもらった駐車場なのだけれど、どうもすでにキャップ場は営業している様子。勝手に停めておいて大丈夫だろうか?
着いた時は停まっている車は数台程度だったけれど、夜中のうちにどんどん増えて、朝にはほぼ満杯になっていた。

半国高山

私と同年代で若い頃に京都の北山に足を運んだ人達は、おそらくそのほとんどが「京都周辺の山々」(金久昌業著)を参考にしたことと思う。
その金久昌業(かねひさまさなり)さんが昭和 50 年代前半に書かれた著書で「北山の峠(上中下)」という3冊の本がある。
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もう何十年も前に絶版になっていて今では入手困難で、ちなみにアマゾンでは古本が1冊2万円くらいで出品されている。
私は中学、高校では北山へは何度も足を運んだものの、二十歳を過ぎてからは登山の対象として興味を持つ山域では無くなっていた。30 台の頃は金毘羅の岩場へは何度も行ったけれど、山歩きの対象としてまた行くようになったのはここ数年のことだ。
そんなわけで私がこの本のことを知ったのはごく最近で、興味は持ったもののさすがに万単位のお金を払ってまで手に入れたいとは思わなかった。しかし図書館にあるということがわかって、借りて読んでみた。
わずか2週間の貸出期間で読み終えられるような軽い内容ではなく、ガイドブックという範疇をはるかに凌駕する峠の文化論だった。
何とか手元に置いてゆっくり読んでみたいと思ったけれど、ネットの中古書店でもなかなか見つからない。
そんな時、オークションで3冊 6,000 円で出品されているのを見つけた。販売時の定価は 1,900 円で若干の上乗せはあるけれど、アマゾンに比べれば極めて良心的な値段である。
入札が競合して値段が’上がっていくのを恐れたけれど、何と競合無しで 6,000 円プラス送料 510 円で落札することができた。
品質は極めて良好で、外側は若干の劣化があるのもの、中身はほとんど読まれた形跡が見あたらないくらいきれいなものだった。
京都市内から見える北山エリアから始まって、若狭湾に出るまでの約 100 の峠が取り上げられて、ルートガイドと共にそれぞれの峠の歴史が綴られている。
もはやガイドブックとしての価値はほとんど無いと思われるけれど、これらの峠たちが今どのようになっているのか、ぜひこの目で見てみたいという気持ちにかられた。
まずはその第1回として周山あたりの峠をいくつかつないで、それから懐かしの桟敷ヶ岳まで足を延ばそうと思った。

4/22 の日曜日、京都駅から周山行きのバスに乗って、杉坂口で下車した。下車したのはもちろん私一人。
橋を渡って車道の脇で準備を整えて、出発したのはすでに9時5分だった。gps のルートでは 27km くらいだったので、そんなにあわてなくても大丈夫だろうと思っていた。
すぐに未舗装の林道に入って、緩い登りをスロージョグで進む。
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そして最初の目標の供御飯峠(くぐいとうげ、くごいとうげ)に向かう。この分岐に車が1台停まっていた。
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次第に傾斜が急になってきて、足元も次第に荒れてきた。ほとんど歩かれていない感じ。
ところが、上から女性の声が聞こえてきた。結構な歳のお二人で、山仕事に来られているのだろうか。あの車はこの人達のものだったのか?
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「供御飯峠へ行くんか?」と聞かれたので「そうです」と返事したら、「こんなとこよう知ってるなぁ」と感心された。たぶん登山者は少ないのだろう。
教えてもらった方向に登っていくが、踏み跡は不明瞭。急傾斜をジグザグに登ったら、供御飯峠に到着した。ちょうど9時半。
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少し上にはお地蔵さん。きれいに整備されている。小野郷からの道の方がしっかりしているのかも。
天皇が召し上がる食べ物のことを「供御(くご)」と呼ぶらしい。貢納米を運んだ道だったのかも・・・は「北山の峠」から。
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清滝川は名前に似合わず荒々しい川で、河床のすぐそばの両岸がガケになっている部分がたくさんある。道路工事技術が未熟だった時代はそういう場所に道を造ることができず、そのかわりに峠を越えて反対側に出る道が随所に造られた。そういう生活のための峠がこのあたりにはたくさんある。と言うか、峠というのはそのほとんどが生活道路として利用されてきたもので、登山者はそれを借用しているに過ぎないのだ。
しかし陸上交通が発達してからは多くの峠が忘れ去られてしまって、今や利用者のほとんどが登山者やハイカーになっている。
さて、これで稜線に上がったので、これから北の半国高山(はんごくたかやま)を目指す。
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道は不明瞭な部分もあるけれど、テープマークが所々にあり、稜線を忠実に辿れば迷うことは無い。
急登をしばらく上がって、供御飯峠から40分で半国高山(670m)に到着した。
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写真を撮ったら早々に出発。テープマークを追っていたら急な下りになってきて、古いロープが出てきた。北山でもこんな厳しい山があるのかとびっくりしながら下った。
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標高差で 100m くらい下った頃、ふと左腕に着けた gps の画面が目に入った。何と、とんでもない方向に下っていた!! 山頂から北に向かわないといけないのに、東に下っていた。
さすがにこの急斜面の登り返しは気持ちが折れた。何とかトラバースでごまかせないかと進んでみたが斜面の傾斜がかなり急で、どうしても登ってしまう。結局元の道に戻ってしまって、山頂まで登り返すことになってしまった。約20分のタイムロス。
次なる峠の岩谷峠には10時43分に到着した。目立たない峠だった。
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ここからの登り返しもなかなか厳しかった。この稜線のデコボコは標高差こそ大したことが無いけれど、結構傾斜がきつい。おかげで思ったほどペースが上がらない。
この次のピークでまたもやロストしかかったけれど、様子がおかしいと気付いて大きなロスにはならなかった。戻ってきたら古い道標が目に入ったけれど、来た時は気が付かなかった。
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「北山の峠」には登場しない青谷峠。
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シャクナゲ。
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ようやく縁坂峠(えんざかとうげ)が見えてきた。
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しかし足元は石垣があって真っ直ぐには下りられない。少し西側に回り込んで、11時半にようやく縁坂峠に到着した。
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この稜線は予想以上に厳しかった。予定のルートを踏破するのはムリではないかと思い始めた。
とにかく大森の集落に向けて下る。つづら折れを10分ほど下ったら林道に出た。
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集落手前に首無し地蔵。ずいぶん古いものらしい。
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集落の中をジョグで進みながら、これからの行程を考えた。あまり北へ行ってしまうと雲ヶ畑に下りなければならない。ここのバス便は1日2便しかないので、何とかそれは避けたい。周山なら1日10本以上あるので、断念するなら早い方がいい。
とは言うものの、いくら何でもまだ戻るには早すぎる。茶呑峠へ直行しようかと迷ったけれど、思い直して当初の予定の伏見坂に向かった。
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このあたりは京都一周トレイルの京北コースの一部になっているらしい。おかげで整備されている。とは言っても峠はこんな感じ。
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このあとも一周トレイルコースを下ったけれど、コースはずっと南下していく。しかし私は北へ向かいたいのですぐそばの車道に下りたいのだけれど、ちょっとした溝があって水が流れている。濡れずに渡れそうな場所を探して、何とか車道に下り立った。
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このまま車道を北上して、地図だとこのあたりが河原峠(こほろとうげ)。車道はまだ登っているのでここが峠とは思えないのだが・・・。
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東俣へはここを入って行くと思うのだけれど、少し先にゲートが。
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横から勝手に入って進むが、東俣への分岐がよくわからない。林道が上がっているのでそこに行ってみたらほどなく行き止まりだった。
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戻ってきて少し進んだら小さな標識がころがっていた。
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しかしこの先はかなりの急登で、しかも踏み跡も不明瞭。せめて茶呑峠までと思ったりもしたけれど、もう気持ちが萎えた。
ここで今日初めて腰を下ろしておにぎり休憩にして、周山からのバス停に向けて戻ることにした。
しばらく車道を行く。緩い下りという好条件なのだけれど、気持ちが切れて走る気分になれない。おまけに暑い。ちょっと走ってはしばらく歩いてを繰り返して、伏見坂の南にある雲月坂に向かった。
伏見坂は一周トレイルコースなので整備されていたけれど、こちらはもはや廃道状態。2014年の登山地図には実線で書かれているけれど、ホンマかいなという感じ。
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このあと踏み跡がわからなくなって適当に進んでいたら、下ってくる踏み跡に遭遇した。本当の峠は通らずに来てしまった。
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さらにこの下では道が完全崩壊。横の斜面を適当に下った。
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午後2時前に車道に出た。
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スマホでバスの時刻を調べてみると、2時10分に周山を出るらしい。小野郷は2時20分くらいだろう。バス停までは 2km くらいなので、走れば間に合いそう。
こういう目標ができるとまた走れるもので、バス停に向かってひたすら走った。
バス停の手前に岩戸落葉神社。源氏物語のモデルになった落葉姫と関連があるとか。
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2時15分に小野郷のバス停に到着した。時刻表を見たら次のバスは2時23分だった。
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それにしても北山の風情は昔とは激変した。数年前から北山に再訪しだした頃から感じていた事だけれど、昔は北山と言えばササ藪だったのだけれど、そういう藪はほとんど見かけなくなってしまった。ササというのは数十年のサイクルで繁栄を繰り返すという話を聞いたこともあるので、いつの間にか枯れるサイクルに入っているのかも知れない。
「北山の峠」の写真を見ても、道の両側はほとんどササが茂っている。
実は私が北山に行かなくなった主たる要因はササ藪で、ヤブ漕ぎがいやで北山に行かなくなってしまったのだ。
その当時と比べると本当に歩きやすくなった。その代わりに木が成長して展望が遮られるようになってしまった。滝谷峠や仰木峠など、昔は眺望の名所だったのに今はその面影も無い。
おそらく私が現役で山へ行ける間にまたササ藪が復活するようなことは無いだろう。せっかくなのでまた北山にもまた目を向けたいと思っているのだけれど、交通機関が難点である。

藤原岳

先の日曜日(4/15)は講座で鈴鹿の藤原岳へ行ってきた。
藤原岳はちょうど3年前に別の講座で訪れているけれど、この時は雨で登りに時間がかかって、山頂に到達することができなかった。
講座が違うので参加者は前回とはほとんど重なっていないのだけれど、今度こそは好天を期待してということだったのに、何とまたもや雨。
前回は聖宝寺道を登って大貝戸道を下ったが、今回は大貝戸道を往復する。
マイクロバスでの道中は雨だったけれど、幸い次第に小降りになってきた。

小雨の中、傘をさして出発したのはちょうど 10 時だった。※写真は下山時のもの
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神武神社の横から登山道に入る。
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ほどなく雨は止んで、四合目で一休み。
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この道は登り一辺倒。聖宝寺道と合流した八合目に 11 時 45 分頃に着いて、ここで昼食にした。
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このあたりから少しずつ花が出てきた。まずはヒトリシズカ。
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藤原岳と言えばフクジュソウ。ただしもうほとんど終わっている。
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1時ちょうどに藤原山荘に到着した。
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トイレを済ませて山頂へ向かう。あと一頑張り。
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1時 28 分、無事山頂(1140m)に到着した。残念ながら眺望は無し。
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時間の余裕があれば天狗岩もと思っていたけれど、それは諦めて早々に下山に移る。
下の方では下界を眺めることができた。
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神武神社のすぐそばにはマムシソウ。
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眺望が無かったのは残念だったけれど、無事登頂して終えることができた。

瓜生山から修学院

4/11(水)は京都一周トレイルの講座で銀閣寺道から瓜生山、修学院までを歩いてきた。
天気予報では午後は降水確率が高かったけれど、昼頃にほんの少しパラパラした程度で、何とか降られずに終えることができた。

銀閣寺道のバス停のそばからしばらく住宅街を歩く。
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いつものように天神宮神社に立ち寄る。
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バプテスト病院わきから山道に入って、瓜生山への急登になる。
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白幽子厳居之跡。
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そして石切場跡。
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歩き出して1時間少々で瓜生山(301m)に到着した。
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西側が開けている場所があった。愛宕山が雲の真下にある。
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ミツバツツジの回廊。
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鳥居のある広場まで行きたかったのだけれど小雨がパラついてきたので、木陰になる場所で昼食にした。
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幸い雨はほんのわずかで、鳥居の広場へ。
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沢を3回渡って、雲母坂を横切って沢筋に下りる。
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修学院離宮のそばを通って修学院に下山。音羽川の橋から雲母坂のある方向を望む。
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この講座はいつも参加者がわりと少なめなのだけれど、今期は 18 名となった。近くに他のパーティがいなければいいのだけれど、そうでない場合は人数確認がなかなか大変だ。

果無山脈

3月以降は気温の上昇で、山では雪解けが一気に進んでいるらしい。
行きたい所はいろいろとあるけれど、まずは残した宿題をやり終えておかないと、すっきりした気持ちで次に向かえない。
そんなわけで、まだちょっと早いかも・・・という気持ちもあったけれど好天の期待できる予報だったので、1月に敗退した果無山脈に再挑戦することにした。

前回、車を停めたのはバス停のそばの広場だったのだけれど(休日はバスは運行していない)、勝手に停めてもいいのかどうか不安だったので、そばのキャンプ場に入ってみた。ところがそこには車やバイクが何台か止まっていて、大きなレジャーテントがいくつか張られている。
これはきっと夜は騒々しいだろうと思って、結局またバス停そばの広場の片隅に停めることにした。
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前回、以外と時間がかかるということを体感したので今回は1時間早く、3時出発にした。2時に目覚ましをセットしていたのだけれど、雨音?
何と、雨が降っている。さっきトイレに起きた時は満天の星空だったのに・・・。
予想外の出来事に気持ちは大きく落ち込んだけれど、天気予報から考えると本降りになるようなことは無く、おそらくそのうちに止むだろうと思って、雨でも出発しようと開き直った。
期待通り、出発する頃には雨は止んでいたけれど、予報通りで気温が非常に低い。今回こそは軽快に行動したいと思って防寒対策は最低限度で、超ペラペラのライトジャケットとパンツ、そしてこれもペラペラの中綿ジャケットで来ている。
しかし出発してすぐに登りで、ほどなく急登になるので、そのうちに身体は暖まってくるだろうと思って、午前2時50分、ジャケットは羽織らずに出発した。しかしあまりにも寒くて、民家の前の防犯灯の明かりを借りて、ライトジャケットを羽織った。
霧雨かと思ったら雪が舞ってきた。
登山道に入ったら1月には無かったネットが設置されていて、ちょっとあわてた。
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何と、まさかの雪。しかしこれは残雪ではなくて、最近下界で降った雨がこのあたりでは雪だったのだろう。
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急登でも身体は暖まらないけれど、1時間10分くらいで和田ノ森(1049m)を通過。
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前回、道がわからなくなってウロウロした所はそのままヤブを強引に突っ切って、和田ノ森から40分くらいで安堵山(あんどさん 1184.1m)に到着した。あまりにも寒くて、中綿ジャケットを羽織って、ビーニーをかぶった。
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少し林道を歩いて、冷水山への登山道に入る。
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前回3時間くらいかかった敗退地点のあたりまで2時間15分くらいで来た。5時過ぎ。ここから先は未知の領域になる。
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この先、部分的には結構な急登があって、前回はあそこで敗退して正解だったと思った。
ようやく空が少し明るくなってきて、5時24分に黒尾山(1235m)を通過。このあたりが果無山脈の最高標高地域。
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そして5時43分に果無山脈最高峰の冷水山(ひやみずやま 1262.3m)に到着した。
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ここで気分的には往路の半分という感じ。まだまだ先は長い。
少し下ってカヤノダン(1178m)。
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見晴らしのいい場所に出たら、太陽が上がっていた。6時13分。しかし日が昇っても気温はほとんど上がらない。
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もう出発してから3時間以上、ジャケットを羽織った時以外はノンストップで飲まず食わずで来ているので、そろそろちょっと補給したいところなのだけれど、とにかく止まると寒い。北風が吹いていて、ゆっくりできる場所がなかなか見つからない。
このあと、ちょっと複雑な地形になって、北風が遮られるなだらかな場所に出たので、そこでぼたもち休憩にした。しかし雪があるので腰は下ろせず、冷たいお茶で流し込んで早々に出発した。
公門崩の頭(くもんつえのかしら 1155.4m)。
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果無山脈の名前の由来はいくつか説があって、「山脈からは山々が果てしなく望める」というのがあるそうだけれど、実は大半が樹林帯で、眺望の開けた場所は限られている。昔はどうだったのかはわからないけれど。
その限られた場所からの大峰方面。
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このあたりは地形図通りの形状で、わりと走れる部分がある。何かシャカシャカした音が耳に入るので何の音かと思ったら、ペットボトルの水が少し凍っていた。
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この先、筑前タワ、ミョウガタワと進んでいたら、生足を出したトレラン二人組に出会った。ちょっとびっくりしたけれど、向こうも同じように感じていたようだ。こんな時間(8時近く)にこの場所で西に向かっていて、どういう予定なのだろうか。随分軽装だった。
最後のピーク、果無山(1114m)には8時22分に到着した。折り返し地点の果無峠はもうすぐそこだ。
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早く着きたいという気持ちが強かったのだろうか、下り斜面でつま先が何かに引っかかってつんのめった。横にあった木に手を伸ばして止めようとしたけれど、掴んだ手を軸に身体が半回転して、頭を下にして斜面に転倒した。そして転倒した瞬間、後頭部を木に打ちつけた。幸い、大事には至らなかったけれど、頭を打った瞬間はちょっと気が動転した。
人通りの多い果無峠まではもうほんの 200m くらいなので、意識がしっかりしていれば何とかなるけれど、こんな季節にこんな場所で倒れていたら、あっと言う間に低体温症でおしまいである。
実は過去にも一度、山で頭をケガしたことがある。
20年くらい前にヨーロッパアルプスへ行った時、アルジャンチエール峰に登って、氷河のモレーン地帯を歩いている時、つまずいて転倒して頭を岩に打ち付けた。意識を失うことは無かったけれど、打った直後に頭頂部から生暖かい液体がじわっと流れてきた時の気持ち悪さは今もありありと思い出す。
その時は登る途中からたまたま一緒になったイギリス人と一緒に歩いていて、彼が自分のTシャツを頭にくくりつけてくれた。他にはケガは無かったので、出血が止まったら歩いて下山して、シャモニの病院で縫ってもらった。
山に限らず、ケガで一番恐いのは頭部だ。意識さえあれば何らかの対処方法を考えることができるけれど、意識を失ってしまったら誰かが助けてくれるという幸運を祈るしかない。
実はトレランを始めた頃から転倒時の頭部保護の重要性というのは意識にはあって、もう随分以前にこんなものを買っている。
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転倒した瞬間にすっ飛んでしまわないように、自分であごヒモを付けたりしたのだけれど、実は一度も使ったことが無い。
最近はアルプスに行くとヘルメットをかぶっている人をしばしば見かけるし、先月比良の堂満岳に行った時も、山頂で出会った3人パーティはヘルメットを着用していた。
私は帽子というものが生理的に嫌いで、雨天か真夏の炎天下、もしくは冬の極寒というような条件でなければ基本的に帽子はかぶらない。しかし講座で「帽子はかぶった方がいいですか?」などと聞かれると、もっともらしい顔で「帽子や手袋は安全のためには着用した方がいいです」なんて言っている。
ヨーロッパで転倒した時は帽子をかぶっていたし、今回もたまたまかぶっていたビーニーに覆われていた部分を打ったので、薄い帽子1枚分でもあると無いとではずいぶん違うということは自分でも経験して感じている。
さすがに一般登山道でヘルメットはちょっと抵抗があるけれど、一人で山へ行く時はこれからは帽子くらいはかぶるようにしようと思った。
さて、果無峠には8時26分に到着した。出発してから5時間36分。心密かに目標にしていた5時間には及ばなかった。
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気持ちを落ち着けるのも兼ねておにぎり休憩にしたけれど、止まっていると寒くて、一つを食べきれずに引き返すことにした。
冷水山から2時間40分くらいだったので、帰りはもう少しかかるだろう。
体感的には気温はまったく上がっている感じがしないし、樹林帯では陽の光もまったく届いていないのだけれど、復路になると一気に雪が溶けてきていた。
見通しのいい場所から果無山脈を望む。
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来た時は一面雪だったのに、早くもこんな感じ。
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小さなアップダウンを繰り返して、冷水山には11時21に戻ってきた。果無峠から2時間45分くらいだった。上にある往路の写真と見比べて下さい。
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これでようやくヤマを越えたという気分でちょっと気楽になって進んでいたところ、前の方で声が聞こえる。近づいたら、何と行きに出会ったトレラン二人組だった。
聞くところによると彼らは私とは逆に熊野側から果無山脈を往復しようとしていて、ここで道を間違えて引牛越の方にずいぶん下ってしまったとか。確かにそういう標識があった。林道で本来のルートに戻ろうとしたけれど途中で道が崩れていて進めず、やむなく戻ってきたらしい。今日は諦めて引き返すとのこと。
八木尾から果無峠までだけも結構な距離と標高差があるので、再挑戦するにしてもなかなか大変そうだ。ヤマセミ温泉までは下らずに、和田ノ森で引き返しても十分という気がするけれど。
前回の敗退地点はすでに雪は消えていた。
林道に下りたって、ここからはしばらく林道を行くことにする。前回、休憩した掘っ立て小屋を今日も使わせてもらって、おにぎり休憩にした。
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風が当たるのは避けられたけれどそれでも寒くて、早々に出発した。
安堵山は林道でパス。どういうわけかこのあたりから左足のスネの下の方に痛みが出てきた。
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和田ノ森も林道でパス。前回は登山道に戻れるかどうかハラハラしながらだったけれど、今回は気楽だ。
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登山道に戻ったら急坂を 30 分ほど下って、小森の集落に戻ってきた。
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最後の舗装路は走ろうと思ったけれど、左足が痛むので歩きにした。
サクラが満開。
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13時34分、ヤマセミ温泉に戻ってきた。10時間45分、約 38km だった。
今回は営業しているヤマセミ温泉に入ることにした。
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なかなかいい温泉だったと思うけれど、私が入っていた時は入浴していた男性は私を含めて3人。玄関を出る時に若い夫婦が一組やってきたくらいで、日曜日だというのにガラ空き状態で、これで営業が成り立っているのだろうかという感じ。あまり大きなフロではないので空いている方がありがたいけれど。
途中、非常に道幅の狭い箇所もあって、こんなところに温泉のためだけに来るような人は相当な秘湯マニアではないかと思った。たぶんもう来ることは無いだろうと思う。
久しぶりに充実感のある、満足できる一日だった。

三好山

4/2 の月曜日は講座で摂津峡そばの三好山へ行ってきた。私にとっては初めての山。
このあたりは四半世紀前に東海自然歩道ランで一度通過しただけで、ポンポン山には何度も行っているけれど、三好山というのはこれまで聞いたこともなかった。

JR高槻駅に集合。本当は高槻駅へは自転車で行きたかったのだけれど、万が一ケガでもしたら大変なので、枚方市からのバスに乗った。渋滞を警戒して早めに出たおかげで、集合時間の1時間近く前に着いてしまった。
バスで上の口へ
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しばらく車道で摂津峡へ向かう。サクラが満開。
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摂津峡入り口に到着。ただし今日は摂津峡へは行かずに展望エリアに向かう。
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まずは白滝。
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早くもミツバツツジが満開。
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上の広場でトイレ休憩。実はここは標高 226m で、三好山よりも少し高い。
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このあと少し歩いて昼食。
そして公園に下った。月曜日だけれど花見客でいっぱい。
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これから三好山へ向かう。三好山には芥川山城が広がっている。こんなところにこんな大きな山城跡があるとはまったく知らなかった。
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途中に立派なサクラ。
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40 分ほどの登りで三好山山頂(180m)へ。
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三好長慶が祀られた祠。
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解説板。最近、整備されたらしい。
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淀川方向は遠くは霞んでよく見えない。
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大手道を少し下ると大手石垣。
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昭和初期まで使われていたという井戸の跡。
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このあと行きに歩いた道に合流して、また上の口のバス停に戻って解散となった。