新聞購読を止めて

新聞購読を止めて 10 日が経った。
いざ止めるとどういう気分になるだろうと自分で自分のことが興味深かったが、最初の2、3日はちょっと物足りなく感じたものの、新規導入したタブレット端末のおかげでもう慣れてしまった。少なくとも情報収集という点に関してはまったく何の問題も無い。
天声人語もネットで読めるし、ポータルサイトを利用すれば他のメディアの情報も効率よく得ることができる。
長文のコラムやインタビュー記事などが無料では読めないのがちょっと残念なところだが、そのためだけにまた月 4,000 円も払おうとは思わない。これでは新聞購読者数が減少しているのもむべなるかなというところだ。
売り上げが減少しているために広告単価が下がって、それを補うためにたくさんの面積を広告が占める。そうすると私のような人間が新聞を止めてしまうという循環になっているのかも知れない。
昨秋にあった地平線会議のイベントで久しぶりに再会した人は、東京の大学で週に何コマかの講座を持っているのだが、最近の大学生で新聞を読んでいるのは2割くらいしかいないとのことだった。
広告の主戦場がネットに移っているのは時代の流れとして必然なのだろうと思う。
私自身、テレビ(NHK のニュース以外はほとんど見ないが)や新聞の広告がきっかけで何かを購入したということは記憶に無いが、ネットの広告が目に入って、それがきっかけで何かを購入したということは何度かある。
google や amazon などにいつの間にか個人情報が蓄積されているのはあまり気持ちの良いことではないが、便利さとの兼ね合いを天秤にかけると、これをシャットアウトしてしまうのはちょっともったいないという気持ちもある。
最近ではシューズやウエアなどもほとんどネットで買っているが、サイズがまったく合わなかったということは一度も無い。
シューズなどは、ほしいけれど定価や1割引きくらいでは買う気にならないようなものが、まれに在庫処分のような価格で出ることがある。こういうのがネットでは個人向けにカスタマイズされた広告に表示されるのだ。
毎日大量に入る新聞の折り込み広告などは本当に資源の無駄遣いだと思う。ウチではたまに野菜を包むのに使うくらいで、ほとんどはまったく見ることも無く古新聞入れ行きになっていた。
新聞の無い生活というのは生まれて初めての経験だが、いざやってみるとほとんど困ることは無いということがわかった。
とは言ってもネットはガセネタが多いので、そのあたりを適切に峻別する眼力は必要だとは思うが。