日曜日は随行の予定なので、土曜日の午後はまた高槻方面へ行きたいと思っていた。
ところが午後の降水確率が高くて、ちょうど昼頃には雨模様になってしまった。これでは山田池のジョグでお茶を濁すしかないかなと思っていたら、雨が止んで晴れ間が出てきた。
天気予報では不安定な天候なので晴れていても傘は必須とか言っていたが、これなら出かけないわけにはいかない。
と言うことで、予定していた高槻の安満宮山古墳(あまみややまこふん)へ向かうことにした。
ここは登山講座のお客さんから教えていただいたところで、卑弥呼が魏から贈られた銅鏡の可能性があるというものが出土した古墳。
家から直線距離なら 10km もないくらいだけれど、枚方大橋で淀川を渡らなければならない。
午後2時半すぎにジャケットとゴアテックスの帽子をザックに入れて出かけた。
淀川の河川敷は菜の花が満開。
枚方大橋を渡って、今日は右岸を遡る。
檜尾川に入って車道を行くが、狭い車道で交通量が多く、歩道も無い。下の住宅街は道が入り組んでいるようで、下を行けそうに見えた所で車道から下りた。
目指す安満宮山古墳は手前の丘陵地の左すそ野あたり。
その前に弥生時代の遺跡という安満遺跡に立ち寄った。
もう少し整備されているのかと思っていたが、整備はこれからのよう。グラウンドにパネルが表示されているだけだった。
住宅街を抜けて、名神高速をくぐって、いよいよ安満宮山古墳へ。
ここは高槻の公園墓地の中にある。大きな墓地で、桜がきれいだった。
駐車場のそばから少し山道を登る。
安満遺跡と違って、こちらはかなり整備されていた。
ここも阿武山古墳と同じように、山の斜面の眺めのいい場所にある。いわゆる墳丘は無い。
ちょうど古墳の部分がスケルトンになっていて、発掘された時の状態が再現されている。
出土したものから考えると、相当な地位にあった人の墓のようだ。
名神高速のそばでは大がかりな道路工事が進められている。
帰りはあの狭い車道は通りたくないので、住宅街を適当に南へ向かう。
この頃から小雨が降ってきたが、それほど強くはならなかった。
R170 に出てしまったが、往路の狭い車道よりはマシ。
淀川に帰り着いた頃には雨も止んでいた。
枚方側の河川敷から安満宮山古墳方面を眺める。
高槻にはこういう遺跡がたくさんある。
大昔は水路は重要な交通網で、瀬戸内海につながる淀川は重要な川だったようで、高槻に遺跡がたくさんあるのは淀川に近いので賑わったということなのだろう。
それなら枚方にも同じように遺跡がたくさんあっても良さそうに思うけれど、枚方はそれほどではない。
高槻はまだ何カ所か行きたい所が残っているけれど、途中の経路があまりランに向いていないのが難点。
良さそうな経路を地図で探すのも楽しみの一つではあるのだけれど。