ランニングの大会で、かつてはそこそこは速い方だったけれど大きな大会で入賞できるほどのレベルではなかった。それでもローカルな小規模大会では入賞してメダルや小さなトロフィーをもらったことは何度かあった。
しかし賞品というのはこれまで一度ももらったことが無かったのだけれど、思いがけない結果でこの期に及んで初めて入賞賞品をもらうことができた。
先日参加したOSAKAシティランニングフェスタ2017。
表彰は3位までということで、総合 10 位だったのでそそくさと打ち上げに行ってしまったのだけれど、実は男子部門で2位だったらしい。
表彰式に出なかったので、申し込みをしてくれたメンバーの所に入賞賞品が送られてきたそうで、昨夜、京都で賞品分配兼忘年会をやった。
これはもちろん一人分。
男女混合のチームが大半だったようで、総合の上位は男女混合チームが占めていた。
それにしてもあんなタイム(ハーフ:1時間 27 分 17 秒)で2位なんてどういうこと・・・と思ってしまうけれど、そういう雰囲気の大会ということなのだろう。
賞品をもらって悪い気はしないけれど、何か微妙な気分です・・・。
月: 2017年12月
高塚山から天下峰
23 日の夜は陸上クラブの忘年会だった。
例年、忘年会の日は午前中は練習会だったのだけれど、どういう訳か今年は練習会が設定されていなかった。加古川マラソンがあったから?
好天予報だったので、おいしいビールを呑むために近場のショートコースへ行くことにした。
前の日曜日の随行で醍醐山を踏めなかったのが心残りだったので、ここをすっきりさせて新年を迎えたいと思った。
ただ、先日の同じルートだと同じ結果になる可能性があるし、上醍醐への入山料も必要になる。なので地図を見て、北側から稜線を辿ってみることにした。
先日と同じく地下鉄の醍醐駅からスタートした。先日出たのとは反対方向の出口が醍醐寺方面の矢印になっていたので、そこから出発したところ、いきなりロストしかけた。あわてて軌道修正。午前8時半。
しばらく住宅街の登り坂を行く。前に見えるのが目指す高塚山だろうか。
入山料のかかる仁王門の前を左折。
長尾天満宮へ右折。
参道の右が登山道のような気がしたのでそちらへ。
ところがここを進むと正しいルートから次第に離れてきた。このまま進むと違う方向に行ってしまいそうなので、横のヤブ斜面を強引に這い上がった。
数分ほどでしっかりした道に合流した。天満宮の参道をそのまま上がったら良かったのかも。
部分的には傾斜のきつい所もあるけれど、なかなか気分のいい道だ。ハイカーと何回かすれ違った。
そろそろ高塚山かなと思って、ちょうど道が南に折れる所の北側のピークに上がってみたけれど、それらしい標識は何も無い。
地形図を取り出して確認してみたところ、なんとすでに高塚山は通り過ぎていた。まったく気が付かなかった。戻るにはちょっと行き過ぎていたので、そのまま先に進む。
ほどなく車道に合流。
正面はたぶん醍醐山。
また登山道に入る。標識の「上醍醐」の表記が消されている。
なかなかいい感じの道で、わりと走れる。
10 分少々で先日訪れた五大堂の下に出てしまった。あれっ? 醍醐山はどこ?
このあたりから見ると五大堂の建物のあたりが山頂の様に見えるけれど、そこに上がれそうな踏み跡は見あたらない。
ここも地形図をしっかり見てみると、いつの間にか通り過ぎてしまっていた。わりとずっと走っていたので、そんな登りは無かったように思うのだけれど。
二つのピークを見落として何となく気分はすっきりしないけれど、このまま進むしかない。
しばらくは先日と同じルートを辿る。
開山堂の前に「醍醐山頂」の標識が立っていた。先日も標識があるのは気付いていたけれどこの表記は目にとまらなかった。
先日と同じく「東ののぞき」。
「奥の院」。ここは先日は訪れなかった。
実はここへは来るつもりは無かったのだけれど、先日の記憶でうっかり来てしまったのだった。
本来の道に戻って、本宮の峰への分岐は注意して行かないようにして、志津川へ向かった。
道なりに進んだのだけれど、どういうわけか先日の鎖場には出会わないまま林道に出てしまった。
林道を少し行って、それから沢筋に入って、ユウレイ峠。
パノラマ岩からの眺めは先日の方が空気が澄んでいた。
このあたりは走れる。調子に乗って走っていたら、日野山に出会わないままガンガン下りだした。ひょっとして山頂をカットしてしまったしまったのだろうかと思って gps を確認したら、案の定ロストしていた。
ロストした場所まで戻ったら古びた標識があった。先日は見た記憶があるのだけれど、走っていたので気が付かなかった。
日野山へ。
供水峠を越えて天下峰へ向かう。このあたりも走れる。
天下峰には 11 時 50 分に到着した。
ここで今日初めて腰を下ろしておにぎり休憩にした。熱いお茶がおいしかった。
先日、天下峰に着いたとき、単独行の男性がおられた。その方が南の方に下りていかれるのを見ていたので、私もそちらに向かうことにした。
結構荒れていて道がわかりにくいけれど、赤いテープマークがわりと短い間隔である。
10 分ほどで車道に出た。
しばらく車道を下って、ゴルフ場の取り付け道路に入る。ここをしばらく登って、また土道へ。
しばらく進むと別のゴルフ場の中を通るようになった。ハイカーの通過を監視している人がいた。
いつの間にか当初の予定のルートとはずれてしまっていたけれど、いずれにしてももう下道を駅に向かうだけなので、地図を見ながら黄檗駅に向かった。
駅に到着したのは 12 時 50 分だった。
4時間 20 分で約 17km。忘年会前にちょうど適度な運動でした。
上醍醐から天下峰
日曜日(12/17)は今年最後の随行で醍醐の山を歩いてきた。
このあたりの山を歩いた記憶はまったく無く、醍醐寺のエリアも入るのは初めてだったと思う。
地下鉄の醍醐駅に集合して、しばらく車道を歩く。今日は寒い。
上醍醐の入山料を払って山道に入る。
道は整備されているけれど、それなりの登りの道がずっと続く。
薬師堂。
実は国宝だそうです。
五大堂。
醍醐山の山頂はこの奥の方向なのだけれど、奥はフェンスで行けなくなっているので、山頂はあきらめる。
さらに進んで開山堂。
この先から修験道に入る。
千頭岳を望む。
覗きの岩場。岩の向こう側は垂直のガケ。
今日の最高峰、本宮ノ峰(476m)で昼食にした。かなり寒い。
その後、志津川に向かって下る。沢に出会う手前にはちょっとした鎖場もあります。
車道に出会った所から西側の沢筋に入って、ユウレイ峠へ。峠名の由来はわからず。
稜線を南下して、パノラマ岩から眺める京都南部と西山の山並み。
日野山(373m)。
供水峠。
さらに南下して天下峰(348m)。展望無し。随分たいそうな山名だけれど、ここもその由来はわからず。
供水峠まで戻って、西側に下山する。
街に出るちょっと手前でちょっと横道にそれて、鴨長明の方丈石。
今でこそ住宅街まで歩いて十数分程度だけれど、その時代(平安末期?)ならかなりの山奥だったと思う。山寺ならいざ知らず、よくこんな所に一人で住めたなという感じ。
本道に戻って、ほんのわずかで車道に出た。
地下鉄の石田駅に向かって歩いていると、サクラ?
その後、石田駅で解散となった。もう5時近くで、一段と冷えてきた。寒い一日だった。
伏見桃山から伏見稲荷
水曜日(12/13)は京都一周トレイルの講座で伏見桃山から伏見稲荷まで歩いてきた。
この講座は京都一周トレイルを深草からぐるっと反時計回りに廻って西芳寺までを 16 回に分けてゆっくり歩くというもので、コースとしてはこの日が初日ということになる。
最初に京都一周トレイルが設定された頃は伏見稲荷がスタート地点だったのだけれど、何年か前から深草ルートが追加された。しかしここは大半が住宅街で、トレイルという風情はほとんど無い。
元々、地元でハイキングコースとして設定されたいたものを流用したようである。
私が担当している講座ではこの日がもっとも楽チンな日で、家を出たのは9時だった。
※出発時に GPS の電源を入れるのを忘れたために途中から。
深草ルートの起点の標柱が京阪の伏見桃山駅のそばにあるので、そこからスタートした。
まずは御香宮へ。ただし中までは入らず。
それから乃木神社のそばを通って伏見桃山城へ。
ここには昔、遊園地があって、私も子供の頃に来た記憶がある。天守閣はその時に造られたもので、秀吉・家康の伏見城とはまったく関係の無い近代のもの。
外堀のあとは公園になっている。
車の多い、歩道の無い狭い道路を通って、八科峠。
住宅街を抜けてようやく土道へ入る。
しかしこの道は土木関係の会社の私有地(?)で、大きなダンプがひっきりなしに通る。これまで2回ほど来た時はそれほどでは無かったのだけれど。
いつも通り、大岩山の展望台で昼食にした。
この日は空気が澄んでいて、遠くまで見通せた。アベノハルカスが見えているのだけれど。
ど真ん中、愛宕山の左やや下のあたりに一昨日登った山上ヶ峰が望めた。
昼食後、ようやく山道に入る。
大岩神社は結核に御利益があるとかで、かつては随分たくさんの人が訪れたらしい。
ここの見物は堂本印象画伯が寄進した鳥居が二つ。本殿横は小型版。
参道を下ると大型版。
このあとまた住宅街から笹藪を歩いて、ようやく伏見稲荷に近づいてきた。
伏見稲荷のエリアなのだけれど、伏見稲荷のはまったく関係の無い神寶神社。天照大神が奉られているとか。
この先で一周トレイルの東山ルートに合流する。ここまで来ると平日でも人だらけ。
千本鳥居を通って、本殿前で解散となった。
まだ2時半くらいなのだけれど、適当な寄り道先も無いので、そのまますんなり帰った。
明智越え、のち山上ヶ峰
昨日(12/11)は随行で亀岡から明智越えを歩いた。
「明智越え」は明智光秀が愛宕山へ参拝する時に辿った道だそうで、亀岡から水尾までがハイキングコースとして整備されている。ちょうど3年前に随行で途中まで歩いている。
今日は初心者向き講座のため、集合は亀岡からバスで1停留所分乗ったバス停。3年前の講座では亀岡から歩いた。私は当然、亀岡駅から歩いて行った。
保津橋のたもとは保津川下りの出発地点になっている。
保津橋から眺める愛宕山。こういうアングルで愛宕山を望むことはあまり無い。
集合して、しばらく車道を歩く。
ようやく山道に入る。
山道に入ってすぐに保津城跡。誰の築城かわかっていないらしい。
ちょっとした峠で一休み。
峯ん堂(むねんどう)。56代清和天皇を祀ると伝わっている塚。
こんなハイキングコースも台風の影響で道はかなり荒れている。杉の木が根こそぎ倒れるとこんな土塀が現れる。
至る所に倒木。
ハイキングコースからちょっとはずれて眺めのいい鉄塔で昼食。正面に山上ヶ峰。
本来のコースに戻ってしばらく下ると水尾の集落が見えてくる。
ほどなく車道脇の林道に合流した。
このあと車道を歩いて、午後2時 20 分に保津峡駅で解散となった。
私はここから一人で、昼食時に真ん前に眺めた山上ヶ峰に向かう。嵐山から保津峡への道はもう何度も歩いているのだけれど、山上ヶ峰はこの道からちょっとはずれていて、おまけにはっきりとした道が無いので、まだ一度しか登ったことが無い。
以前に登った時は傘をさしながらのヤブ漕ぎを強いられたのだけれど、北西の尾根を辿るとわりとすんなり登れるという情報を得たので、そこを行ってみることにした。
しかし保津川からの急登部分はこれまでに無い荒れ方。
保津川岸から 27 分ほどで林道出合まで登り切った。そこから数分で北西稜線との出合に出た。
道らしい道は無いけれど、所々にテープマークがあって、取り付きから 12 分ほどで山頂(482.2m)に到着した。標識は何も無し。ひょっとしたらこのあたりはマツタケ山なのかも。
今日はおとなしく取り付きまで戻って、あとはひたすら嵐山を目指す。
烏ガ岳(398m)だけは寄っておく。
嵐山の山頂はカットして、足元には渡月橋。
午後4時 41 分に阪急嵐山駅にゴールした。
青根ヶ峰
青根ヶ峰(あおねがみね)は大峰奥駆道のほぼ最北部と言ってもいい位置の山。標高は比叡山よりちょっと高いくらい(858.1m)だけれど、宮滝に離宮が置かれていた頃にはこのあたりの山々を眺めて歌われた万葉唄がいくつかある。
実は何年か前に登山講座で青根ヶ峰が予定されたことがあって、ロープウェイで上まで上がったのだけれど、その日はバスが運行されていないということが現地に着いてから判明して、結局、手前の高城山(たかぎやま)までしか行けなかったということがあった。
その頃はまだ古代史にはさほど興味が無かったので、特別どうということも無かったのだけれど、飛鳥時代の歴史に興味を持つと、この山はやはり行っておかなければならない。
ただ、大峰奥駆道は地形と交通機関の関係でうまい周回ルートが非常に取りにくい。青根ヶ峰も吉野駅からピストンというのがもっとも単純なコース設定なのだけれど、それではあまりにつまらないし、大天井ヶ岳では最終目標にはちょっと役不足という感じ。山上ヶ岳までではちょっと遠すぎる。
地図を眺めて思案した結果、藤原京跡から宮滝へ行った時に走った終盤のコースを逆に辿って、宮滝を再訪して、それから五社峠を越えて西河へ。そこから青根ヶ峰に向かうというコース設定をした。
昨日(12/9)は天気予報ではかなり気温が下がると伝えられていたので、薄いダウンジャケットを羽織って、まだ暗い中、家を出た。
近鉄の吉野神宮駅で降りて、駅の狭い待合室で身なりを整えて出発したのは8時半過ぎ。家を出てからほぼ3時間かかった。
50 分ほどのジョグで宮滝に到着した。このあたりの吉野川の景観は何度見ても独特の雰囲気がある。太古、神仙境とされたのがよくわかる。
前回来たときは気が付かなかった、柿本人麻呂の歌碑。
前回来たとき、宮滝の宮跡をしっかり確認できなかったので再度来てみたのだけれど、結局、はっきりした遺跡のようなものは何も残っていないらしい。「このあたり」ということで、これが遺跡というわけではありません。
また吉野川の左岸の道に戻って、旧道から五社峠を目指す。
峠の手前まではコンクリート舗装の狭い道で、上には神社があった。
このすぐ先が五社峠。
今日の核心部はここから西河まで下り。すでに道がほとんど消えているらしい。
確かに落ち葉や枯れ枝だらけではっきりとはしないけれど、かすかながらつづら折れはわかる。ただし部分的に土砂崩れで崩壊している箇所も何カ所かある。
しかし危険というほどの箇所は無く、30 分ほどで西河まで下りてくることができた。
これで気分が楽になったので、公園で腰掛けておにぎり休憩にした。しかし止まっていると寒いのでほんの数分で先に進む。
五社峠から下り始めるとすぐに下から子供の声のようなものが聞こえてきたのだけれど、ここのグラウンドで野球をやっている少年たちの声だった。
蜻蛉の滝には寄らずに先に進む。
ようやく山道に入ったと思ったら、また車道に出てしまった。心配なので登山地図で確認したら、実は車道をずっと行くのが本道で、山道はショートカットだったようだ。
ほどなく車道が終わって音無川沿いの山道になる。緩い登りなので足元が良ければ走れそうなくらいなのだけれど、あいにく道は落ち葉やら枯れ枝、小石などで、私には走れない。
途中から一気に登りがきつくなって、それに伴って気温がぐっと下がってきた。所々雪が残っている。
大峰の主稜線は積雪がありそう。
今日は山道では誰にも会わずに静かでいい時間だったのだけれど、そんな時間も終わりに近づいた。ついに車道に出てしまった。
また登山道に入って、12 時 40 分に青根ヶ峰に到着した。
山頂は木が茂っていて展望は無し。
反対側に下りて車道に出ると、女人結界の石柱。ただし現在のこのルートの女人結界は大天井ヶ岳を越えた五番関になっているらしい。
このあたりまで来ると人が多くなるのではないかと思っていたのだけれど、雪に残る足跡はほんのわずかで、このシーズンは吉野でも閑散期なのかも。
少し下った所に東屋があったので、そこでスィートポテト休憩にした。
このあとはもう完全に観光客モードで、金峯神社。
すぐそばには義経の隠れ塔。
少し下って、前回来た高城山へ。
展望台からの金剛山系。
さらに下って、吉野水分(みまくり)神社の本殿。
横川の覚範の首塚。
いよいよ吉野の中心街に下りてきて、本殿が焼失した勝手神社。
少し横道に入って、吉水神社。
金峯山寺まで下りてきて、蔵王堂。
そして、奥駆道の玄関のような銅の鳥居。
ロープウェイやケーブルに乗るつもりはまったく無く、車道をそのまま下った。ケーブルは故障で運休しているらしい。
午後2時半に吉野駅に到着した。
約 27km,6時間でした。
OSAKAシティランニングフェスタ2017
ロードレースからは身を引いたけれど、恒例の駅伝だけは辞めるわけにはいかない。かつて勤めていた職場の同僚と始めた年1回の駅伝も、もう 25 回目くらいだろうか。
ナンバーカードを着けてロード(と言っても公園の中だけれど)を走るのは昨年の駅伝以来だ。
今年は初参加の「OSAKAシティランニングフェスタ2017」という大会で、鶴見緑地公園内の1周約 1.62km を 13 周回るハーフの部門に参加した。
この1ヶ月ほど、久しぶりに淀川で週2回くらいの頻度でスピード練習をやってきた。スピード練習と言ってもせいぜいキロ4分半くらいで、スピードをつけるというよりは、このところ心拍数が上がるような走りをほとんどやっていないので、本番でいきなりペースを上げると心臓がびっくりすると思うので、不測の事態を避けるためというのが主たる目的。
5人で参加して、私は2周(1周を2回)だけだったけれど、2回とも淀川での練習ペースにも及ばない7分以上のタイムで終わった。
チームとしては1時間27分17秒で、参加 46 チーム中 10 位だった。
終わってからは京橋に出て、久しぶりに楽しい時間を過ごせた。
摩耶山のちマヤ遺跡
土曜日(12/2)は登山講座の六甲全山縦走シリーズ第3回で、鍋蓋山直下から摩耶山までを歩いてきた。
前回は鍋蓋山から北へ下山したので、今回は南側から鍋蓋山を目指す。
集合は地下鉄の大倉山駅。ここからしばらく車道を歩いて平野谷に向かう。
祥福寺の境内で一休み。
ようやく山道へ。
サザンカ。
紅葉もきれいです。
真新しい林道に合流した。
ほどなく登山道に戻って、ようやく鍋蓋山が見えてきた。
七三峠。このあたりは道がたくさんあってややこしい。
11 時半頃、ようやく鍋蓋山山頂すぐ東の全山縦走路に合流した。
大竜寺の広場で昼食。
市ヶ原の桜茶屋はめずらしく閉まっていた。
いよいよ摩耶山の登りにさしかかって、前方に黒岩尾根。
市ヶ原から1時間半ほど登ってようやく摩耶山の電波施設にたどり着いた。
掬星台から六甲アイランド、大阪方面。
ここからの北東方向の眺めはこれまで見たことが無い。
今回はここで解散となった。
私は予定通り、上野道へ向かうことにした。
神戸の「マヤ遺跡」というのがちまたで話題になっているらしい。廃墟ファンに人気で、有料のガイドツアーは毎回満員になるとか。
私は随行で青谷道を下ったことがあるのだけれど、今日は「マヤカン」を訪れるべく、上野道を下ることにした。
まずは前回も通った天上寺跡。
火災を逃れた仁王門。
この下の分岐で上野道に入る。
摩耶花壇跡。
そしてケーブルの虹の駅から摩耶観光ホテル跡(マヤカン)。
これより先は入ってはいけないことになっている。
少し下にまたボロボロの廃墟。何かわからん。
多少は興味があったけれど、わざわざそのために来ようとまでは思わない「マヤ遺跡」。ついでに訪れることができて良かった。
その後、住宅街を下って、JR の灘駅から帰路についた。