霊仙山

鈴鹿の霊仙山は3年半ほど前に登ったことがある。しかしこの時は講座が終わってから出発したので、駆け足で時間との競争になってしまって、おまけに山頂エリアが風が強くて寒くて、とんぼ返りになってしまった。

最大の心残りは最高標高地点に立ち寄ることができなかったこと。

そんなこともあって、いつか再訪したいと思っていた。

日曜日(10/27)、午前8時前に柏原駅に到着して、準備を整えて8時5分に出発した。

天候は曇り。伊吹山は見えない。しかし天気予報では午後からは晴れるとのことで、歩くにはこれくらいの天候の方が楽だ。

しばらく車道の緩い登りで、数分で登山口の道標に出会った。

このあともしばらく林道で、その後ようやく登山道になって、歩き始めて40分くらいで一合目の標識まで来た。標高400mくらい。

沢沿いが荒れているのが懸念されたが、それほどはひどくなくて、尾根筋の取り付きになる二合目までは一合目から13分くらいだった。

このあと10分くらい、標高差で100mくらい上がった所でまた二合目の標識が出てきた。このあとも同じ合目の標識が二カ所に設置されているということが何度かあった。どこの山でもそうだけれど、何合目という標識はどういう基準で設置されているのかまったくわからない。

気持ちのいい道を進む。このルートは霊仙山への最長ルートだけれど、歩きやすいので距離が苦にならない。それに電車の駅から出発できるというのが非常に便利でいい。

とは言っても上の方になると滑りやすくてロープの張られたのガリーも出てくる。

出発して2時間20分ほどで樹林帯を抜けて山頂エリアまで来た。ここには避難小屋がある。

前方に経塚山が霞んで見える。

経塚山を越えて、一旦コルに下ってから最後の登り。石灰岩のカレンフェルト。

10時45分、出発して2時間40分でようやく霊仙山の山頂(1083.5m)に到着した。遠方の展望はほとんど無し。

さすがに霊仙山は登山者が多い。写真を撮ったら早々に最高標高地点を目指す。これからが今日の本番。

霊仙山から10分ほどで最高標高地点(1094m)に到着した。

御池岳などの南の方は雲がかかっていて、どこがどこだかはっきりわからない。

ここも人が多くて、おまけに風が強くて寒かったので、すぐに西南尾根の下山路に向かった。

それにしてもカレンフェルトで歩きにくい。まるで北八ツのよう。

こういう場所はトレランシューズは不利だ。きっちりした場所に足を置かないと不安定だし、そばの岩角に踝をぶつけたりする。

早く標高を下げてこういう場所から逃れたいのだけれど、あいにくの地形でなかなか標高が下がらない。

風のあたらない場所で腰を下ろしておにぎり休憩を取って、さらに先に進む。

近江展望台から鈴鹿山脈方向。

反対方向はかすかに琵琶湖が見えていたが、写真ではわからない。

このあと一気に下って、ようやく樹林帯に入った。やれやれ。

ガンガン下る。車道に出る手前に宗金寺。本当にお寺?

最高標高地点から1時間40分ほどで車道に下り立った。距離のわりには時間がかかった。

しばらく車道を行って、山道に入って汗フキ峠に向かう。

もうあとは大したことはないだろうと思っていたが、沢筋に入ると橋が崩落していた。実際は問題無く渡れたけれど。

さらに進むと右岸の道が崩壊していて先に進めない。実はこの手前で前からやってきた数人のパーティとすれ違ったので、彼らはここを下ってきたはずだ。

どうしたものかと迷っていたら、霊仙からの下りで追い抜いた人がちょうどやってきた。この方はここをよくご存じのようで、一旦沢を渡ってからまた渡り返すとのこと。何年か前の台風で元の道が崩れてしまって、その後修復されていないらしい。

普段は飛び石伝いに渡れるらしいが、今日は最近の雨で増水している。

結構な水かさで流れも早いので、浅そうな場所を探してバシャバシャと渡った。先ほどの方はすでに先に進まれている。

さらにまた渡り返すとロープの垂れている急な斜面になった。ここでまた先ほどの方に先行する。

ロープの終点まで進むとかなりいやらしい斜面になった。おそるおそる進む。が、先ほどの方が後ろから声をかけてこられて、ここは左の斜面に上がるとのこと。見返すとそういう踏み跡が見えた。

またもおそるおそる元に戻って、また滑りやすい急斜面を這い上がった。ようやく汗フキ峠に到着。

ここから霊仙への道は霊仙山への最短ルート。

ジグザグを下ると「かなや」という山小屋。営業しているようには見えない。

ほどなく林道に出るとまもなく駐車場があった。車がたくさん停まっている。先ほどの方もここに車を停めておられて、ここで別れた。あそこでこの方に出会わなかったら本当に途方に暮れたと思う。

しばらく緩い下りの車道をジョグで進む。先ほどの方が後ろから車で来られて、「乗って行きますか?」と声を掛けていただいたけれど、ここまで来て車に乗るわけにはいかない。丁重にお断りした。

30分ほどのジョグで醒ヶ井養鱒場まで来て、ここから本日最後の目標の松尾寺跡に向かう。登り口の分岐の所に霊山寺。

霊仙三蔵は最澄、空海と一緒に唐へ渡った人で、日本の僧で唯一「三蔵」の称号を贈られている。

ここの前のベンチで大福休憩にして、最後の登りに備えた。

朽ちた急な林道を登る。午後からは晴れるという予報だったのに、晴れるどころか雨が降ってきた。すぐに止むのではと思ったが、以外としっかりと降ってきたので、このままで濡れるとまずいので、仕方無く雨具のジャケットとザックカバーを着用した。

松尾寺は役行者が開いた。松尾寺の七不思議というのがあるそうで、これはそのうちの一つで「役行者の斧割水」。山の上に開く松尾寺での水を得るために、役行者が弟子に斧で自然石を割らせたところ、その割れ間から水がこんこんと湧き出たと言う話。

これ、ひょっとしてポンプで水をくみ上げているのでは?

苔むした石段を上がって、松尾寺跡。

重要文化財の石造九重塔。13世紀のもの。

山頂へはこの横からさらに登る。真新しい鎖がつけられているけれど、一体何人の人がここを訪れるのだろうか。

七不思議の一つの「影向(こうよう)石」の案内板があったのでそちらに向かってみたけれど、何も見つからないうちに道が消えてしまった。

さらに登って、ようやく松尾寺山(503.7m)に到着した。結構な登りでした。案の定、雨はほんの数分程度で上がったので、ジャケットを脱いだ。

さらに七不思議の一つの「夫婦杉」。弘法大師がここを訪れた時に、昼食に用いたお箸を突き刺したところ、芽が出て現在の杉に成長したというお話。

このあと、地形図にあった道で下りようと思ったが、そういう道は見あたらない。適当に進んでみたがどうも方向が変で、正しい方向は斜面がいやらしそうだったので、あきらめて元に戻った。

松尾寺跡への登り口まで戻って東に向かう。丁石が出てきた。

一丁は約109m。訳のわからない合目の印と違ってこれはわりと正確に設置されている。松尾寺跡から20分くらいで一丁目まで下りてきた。

松尾寺山の上には朽ちたベンチがあった。醒ヶ井からの林道脇には朽ちたゲストハウスの跡もあって、このあたりはハイキングコースとして賑わった時期もあったようだが、もはや訪れる人は非常に少ないように思える。

しかし案内板はわりときれいに整備されていて、特に上部の鎖は極めて新しかった。

当初想定していたよりは以外とまともな山道の上り下りだったので、子供連れのハイキングにはちょっと厳しいかもという感じはする。

その後、車道を走って、午後4時過ぎに醒ヶ井駅にゴールした。

駅のそばには霊仙三蔵の像が立っていた。

西南尾根を下りて車道に出た時は、これで今日はほとんど終わったようなものと思ったが、実はその後もなかなか手応えがあった。

車道の走りもそこそこあって、トータル約28kmでした。

三国山

三国(みくに、さんごく)という名前のついた山は全国にたくさんある。いずれもかつての国境に位置する山で、三つの国境になっているが、今では二つの県境になっていることが多い。

日曜日(10/20)に講座で登ったのは滋賀県と福井県の境にある三国山(みくにやま)。かつての若狭、近江、越前の境に位置している。

ちょうどこの7月に行った高島トレイルのコースとほとんど重なっている。

JRのマキノ駅に集合して、バスで白谷温泉まで行った。ここから歩き始める。

しばらく車道を行って、その後、荒れた林道を歩く。

1時間半ほど歩いて黒河峠(ころことうげ)に着いて、ここから登山道に入る。

結構な登りだったことは覚えているけれど、こんな鎖場があったことはまったく記憶に無い。

稜線に上がると展望が開けてきた。正面左は伊吹山。その右は鈴鹿連峰。

センブリ。

12時15分、三国山(876.1m)に到着して、ここで昼食にした。

赤坂山を目指して、まずは明王の禿に向かう。電車からも見えていた。

明王の禿から赤坂山を望む。

午後1時40分、赤坂山(823.6m)に到着した。

赤坂山から若狭湾方面を望む。正面奥は天王山?

あとはマキノ高原に向けて下るだけ。それにしても今日は団体客が多い。

3時半頃、マキノ高原まで下りてきた。スキー場跡はオートキャンプ場になっている。

マキノ高原温泉さららに到着して、ここで解散した。

解散とは言ってもみんな一緒にここからバスでマキノ駅へ向かった。

蒜山三山

先の三連休を楽しみにしていた方はたくさんおられただろうと思う。私は土曜日に随行の仕事が入っていたけれど、残りの二日で遠出しようと考えていた。

ところがまたもや台風。土曜日の講座は中止になった。日曜日は天気が回復する予報だったが、台風通過の最中に翌日の準備をする気分にはなれず、それに山はまた強風や大雨で荒れている可能性がある。

最後の月曜日はと言うと、関西から東はどこも降水確率が高く、とても山へ行けそうな雰囲気ではない。

しかしせっかくの三連休。どこへも行かずに終える訳にはいかない。

行くとするなら西に向かうしかない。

天気予報によると大山あたりは降水確率はそれほど高くない。しかし昼頃に雨雲が発生しそう。

以前にこのあたりを通りかかった時、蒜山の山脈が美しかったのを記憶している。端麗な三山だった。

大山は随分以前に登っている。その時の印象で言えば、バリエーションルートにでも行かない限りはまた行きたいと思えるほどの山ではなかった。もはやそんなルートには行かない。

ちょっと遠いけれど、蒜山なら早朝発で日帰りできるだろうと思った。三山を縦走してぐるっと一周すればちょうどいいくらいの行程だ。

朝4時半に家を出て、途中でカップ麺とおにぎりの朝食。そしてコーヒー。想定外の道間違いがあって、起点の塩釜ロッジに着いた時はもう8時を過ぎていた。

準備を整えて出発したのは8時半だった。三山は雲に隠れて見えない。

まずは南側の自転車道路を走って、下蒜山の登山口に向かう。

1時間足らずのジョグで登山口に入る。そばの駐車場はすでに満杯で、路上駐車も何台かある。足元はぐちゃぐちゃ。

駐車場がいっぱいだったので氷ノ山の再来を恐れながら進む。ほどなく傾斜が急になってきて、木の階段が現れた。

さらに急になって、鎖の斜面が続く。最近の雨のせいで滑りやすい。

登山者にはそこそこは出会うけれど、氷ノ山ほどは多くない。それにこの道の状況なら小学生の団体に出会うようなことは無いだろう。

急登を上がり切ったら気持ちのいい笹の稜線になった。比良の稜線のよう。ただし展望は無し。

10時20分、登山口から1時間足らずで下蒜山の山頂(1100.4m)に到着した。

展望も無いので写真を撮ったら早々に先に進む。

幻想的でいい雰囲気。ブナ林?

たまにガスが切れて下界が見える時がある。

ヤマラッキョウ。

リンドウ。

最低鞍部のフングリタワ。

また鎖斜面の登り返しがあって、11時23分、下蒜山からほぼ1時間で中蒜山(1123.4m)に到着した。

そろそろ補給したいタイミングではあったけれど、山頂は人だらけなので先に進む。少し下ったところにちょうどいい具合のスペースがあったので、そこで今日初めて腰を下ろしておにぎり休憩にした。天気予報通り、小雨がぱらついてきた。

幸い、雨は本降りになることはなく、最後のピークの上蒜山を目指す。フラットな場所は走った。ほんのちょっとだったけれど。

登りにさしかかるとまたもや鎖斜面。蒜山はどの山も結構厳しい。氷ノ山のような混雑ではなかったのはそういう山容のせいもあるのだろう。

12時5分、上蒜山(1202m)に到着した。

地形図によると少し北西にあるピークが上蒜山となったいたので、そこまでピストンするつもりだったけれど、標高はここの方が高く、標識にも「上蒜山」と書かれていたので、ここから下山することにする。

展望場所から蒜山高原を見下ろす。

シラヤマギク(ゴマナ?)。

12時51分、無事上蒜山登山口に下りてきた。

しばらく未舗装路を下る。何かを放牧しているのだと思うが(フンの臭いがぷんぷん)、今は何もいない。正面は蒜山の南側の山々。

舗装路に出たら走る。ほどなく自転車道路に合流した。

今日はウォーキングのイベントが行われているようで、ちょうどこの自転車道路がコースになっている。みんな反対向きに歩いているので、不審な目で見られる。

1時40分、塩釜ロッジに戻ってきた。

思っていたより早く戻って来られたので、温泉に寄って帰ることにする。

休暇村蒜山高原のラドン温泉へ。いいお湯でした。

蒜山三山は期待以上の山々だった。下から全容を望むことはできなかったけれど、以前に見た時の記憶ではいずれも顕著なピークを形成していて、実際に歩いてもその通りの地形だった。

結果的に今日のコース取りはベストだったと思う。急な鎖斜面がたくさんあるが、今日の方向だとそのほとんどが登りになる。今日のような雨上がりの滑りやすい状態では反対向きはかなり歩きにくかっただろうと思う。

温泉でさっぱりして気分良く帰路についたのだが、帰りは工事渋滞に巻き込まれて家まで4時間かかってしまった。

遠かったけれど、なかなかいい山でした。ただし再訪は無いと思うけれど。

雲母坂

水曜日(10/9)は講座で比叡山の雲母坂を登ってきた。

集合は叡電の修学院駅。しばらく車道を歩いて鷺宮神社へ。

曼殊院の前を通って雲母坂へ。

少し登ったところで今日初めて参加された人が早くも脱落。私が付き添って白川通りの手前まで送り届けて、再度本隊を追いかける。

水飲対陣跡の上の展望場所で追いついた。

この上の浄刹結界の碑の所で昼食。

この上にも展望場所がある。

いつもと同じく、千種忠顕の碑に立ち寄る。後醍醐天皇に仕えて、足利直義と戦ってこのあたりで戦死した。碑が建てられたのは大正時代。

その後、ケーブルの駅で解散した。

私はいつも通り八瀬まで歩いて下りるつもり。駅の裏からスキー場跡に向かって行こうと思ったところ、左の方に古い道が残っているのが目に入った。山肌をトラバースしていて、方向からしていつもの下山路に合流しそうな感じ。ただし草がかなり茂っていて、もうほとんど歩かれていない感じ。

踏み跡がしっかり残っているかどうか不安はあったが、まだ時間もあるのでダメなら戻ってくればいいと思って突っ込んだ。

途中、倒木で行く手がふさがれている場所があったけれど、強引に乗り越えて、10分くらいでスキー場跡からの道に合流した。

ケーブル駅から20分くらいで峠まで来た。

先日、思いがけない苦労をさせられた場所はうまく回避して、3時前、ケーブル駅からほぼ1時間で八瀬駅に下り立った。

乗った電車は「ひえい」でした。

愛宕山

月曜日(10/7)は講座で京都の愛宕山へ行ってきた。

JR山陰線の保津峡駅に集合して、自治会バスで水尾へ。そこから裏参道で愛宕山を目指す。

急坂の住宅地を上がって、ようやく登山道に入る。登山道に入ってからもそれなりの登りが続く。登り一辺倒の道。

歩き出して1時間半ほどで水尾の分かれに到着した。ここで表参道と合流する。

ここからは階段が続いて、黒門へ。

愛宕神社の境内で昼食にした。

せっかくなので本殿にお参り。

時間があるので三角点(889.8m)に立ち寄った。正面に比叡山。ちなみに愛宕山の最高地点は愛宕神社の中で、標高 924m。

下山は表参道へ。水尾の分かれのちょっと上で東に向かう踏み跡に入る。

ケーブル愛宕駅跡。戦前には清滝からここまでケーブルがあった。ホテルや遊園地、山頂の北側にはスキー場もあったが、戦争の影響ですべて過去のものとなってしまった。

表参道を下る。かつてあった祠が昨秋の台風のせいで無残な姿に。

ようやく清滝まで下りてきた。このすぐ左側にケーブル山麓駅の跡がある。

このあと、清滝のバス停で解散となった。

私はいつもと同じく、一周トレイルのコースを辿って、JR保津峡駅に向かう。清滝川。

清滝から40分少々で保津峡駅に到着した。

好天に恵まれて、楽しい一日でした。

吉野探訪

この終末は天候もそこそこで、絶好の遠出のチャンスだったのだけれど、残念ながら月曜日に講座があるのであまりムリはできない。

で、土曜日(10/5)に吉野へ行ってみることにした。

吉野はこれまでも何度も訪れているけれどいつも奥駆道ばかりで、横道はあまり歩いたことが無い。

前登志夫氏の「吉野紀行」によると、このあたりは周辺の集落などもいろいろと見所がありそうで(と言ってももう50年以上も前の書物なのだけれど・・・)、一度歩き回ってみたいと思っていた。

そこで、まずはこれまで何度も近くまで来ていながら訪れる機会が無かった桜木神社に立ち寄って、それから吉野の山へ上がって、西側に一度下りてからまた戻ってくるという周回ルートを設定した。

5時3分の始発に乗るべく5時前に家を出て、早朝のせいで天王寺からはずっと各停で、家から3時間かかってようやく吉野神宮駅に到着した。

8時5分に出発。しばらく吉野川の左岸を走る。この道は2年前にも走った。

40分少々で宮滝の手前へ。夢のわだ。

ここからは今日が初めての道。出発して1時間足らずで桜木神社に到着した。天武天皇が祀られている。

万葉集でも読まれている像(きさ)の小川。

このあと10分ほどで車道が終わって、ようやく近畿自然歩道の山道になった。

このあたり、そばが広い駐車スペースになっている。ちょうど左の斜面に上がる階段があって、そのままの道は駐車スペースに行く道なのかと思って、その階段を上がった。

なかなかの急な階段で、階段が終わってからの山道はさらに険しい急斜面だった。

本当にこれが近畿自然歩道なのだろうかと訝ったが、一応踏み跡はある。

次第に手を使わないと登れないほどの斜面になってきた。これは変と思って gps で確認したところ、本当は沢筋を行かなければならないのが尾根に入り込んでしまっているということがわかった。

下りも苦労するような斜面だったけれど、下るしかない。何とか元に戻って、本来の道を進んだ。20分少々のタイムロスだった。

学生の10人くらいのグループと3つほど出会った。何かの学校行事のようだ。それ以外にも何人かのハイカーと出会って、無事吉野の車道に出た。

ちょうど花矢倉の少し下のあたりで、普段は登山道を歩いて車道をショートカットしている場所なので、こういう道が合流してきているということは知らなかった。

今日は余裕があるので展望台へ寄っておく。正面に金剛山(左)と大和葛城山(右)。おそらく先ほどの学生グループの関係者だろう、おにぎりや軽食、飲み物などを並べて待っている人たちがいた。

しばらく慣れた道で、吉野水分(みくまり)神社。もう何度も入っているので中には入らず。

時間があるので高城山(たかぎやま)にも寄っておく。左の一番奥の霞んでいるのが二上山。その手前のなだらかな尾根が高取山で、その右が先週行った芋ヶ峠

反対方向の南には大天井ヶ岳。

お次は金峯(きんぷ)神社。吉野山の総地主の神。世界遺産。

隠れ堂にも寄っておく。大峯修行堂の一つだが、義経がここに隠れたという謂われもある。

お次の目的地は西行庵だが、一旦上がって宝塔院跡から下ることにする。ここから先は初めての道。

そして西行庵。今の感覚ならよくこんな場所にと思うけれど、その当時は近くに寺院がたくさんあったはず。すぐそばには湧き水が流れていて、それは今も流れている。

鳳閣寺への道に戻ってしばらく快適な道を進むが、百貝岳(ひゃくかいだけ)へ向かうべく、不明瞭な尾根に入る。

ここが百貝岳かと思っていたら、鎌倉岳という表記。

百貝岳はまだ先でした。

12時13分、百貝岳(863m)に到着した。ここで今日初めて腰を下ろしておにぎり休憩。

道標に従って「石の廊塔・鳳閣寺」を目指すが、どんどん南の方に下って行く。鳳閣寺はもっと西のはずで、どんどん離れていく。石の廊塔というのは地図に載っていないのでどこにあるのかわからない。

しかし道はしっかりしているし、さほど古くない道標もあるので、そのまま下ることにする。もはや戻る気にはならない。

10分少々で石の廊塔に出た。理源大師聖宝の墓所と伝えられている。理源大師は醍醐寺の開祖。

この後、道はヘアピンカーブで北に向かった。10分足らずで無事、鳳閣寺に到着した。

車道を少し下ると鳥住春日神社。

この神社の前の細い道を下って、地蔵峠へは向かわずに県道を目指す。無事、県道に合流できた。

そして今日最大の不安要素はこのあと。県道をしばらく北上してから沢沿いに岩倉に向かう。分岐には真新しい車の轍があって一安心。このあたりは松茸山らしい。

しかし林道を進んで行くといつの間にやら変な方向に向かっていた。このまま東に向かいたいのに、南寄りの沢に入り込んでいる。

このまま進んで車道に出ればいいけれど、往々にしてこういう林道は突然終わってしまうことが多い。

県道まで戻ってさらに北へ行ってしっかりした車道で上に戻るしかないかと思って戻ったところ、ロープが張られた分岐に気がついた。実は来た時もこのロープには気がついていたけれど、その先がヤブだったので無視した。

思い切ってそこに入ってみたところ、かすかな踏み跡が残っていた。どうもこれが行きたい道のようだ。さらに進んだところ、またもや先週と同様に踏み跡は消えて、沢筋に入り込んでしまった。

ここまで来たらもう戻るわけにはいかない。「またかよ〜」とぼやきながら倒木を支えにして登ったら、民家の庭先に飛び出した。そしてほどなく車道に合流した。やれやれ。

下り基調の車道を走って、竹林院のそばに出た。何度も歩いている車道を少し行って、いつも上に上がる分岐を下に行って如意輪寺に向かう。

道標に導かれて午後2時47分に如意輪寺に到着。

そして後醍醐天皇陵へ。かつて後醍醐天皇足跡マラニックという大会に何度か参加したので、たったそれだけの理由で後醍醐天皇には近親感がある。

役行者の像もあります。

これで今日の目的地は予定通りすべて訪れることができた。少し戻って吉野駅に向かう。

吉野駅まではもうさほど時間はかからないと思うけれど、ここで一息入れたい気分になって、道ばたでどら焼き休憩にした。

スマホで電車の時間を確認したところ、次の電車まではあと30分。時間的には十分間に合うはずだけれど、乗る前にはやはり着替えたい。その時間を考えるとあまり余裕が無い。30分に1本なので何とか間に合わせたい。

ちょっと気合いを入れて走って、午後3時20分、次の電車まで17分を残して吉野駅にゴールした。

きれいな公衆トイレで着替えて、近くの売店で缶ビールを買って、電車に飛び乗った。

車道が多かったせいもあって、全行程約 31km でした。