このところ低山ばかりしか行っていないので、そろそろ山らしい山にも行かなければ、と言うことで、大峰の山上ヶ岳にこれまで歩いたことの無いルートで向かうことにした。
大峰奥駈道はいつか全部歩いてみたいと思っている。吉野から釈迦岳の少し先まではかなり歩いているけれど、一部欠落している部分がある。
山上ヶ岳から大普賢までの間が抜けているので、その一部を埋めるべく、柏木からのルートに行くことにした。ただしスタートゴールは上谷(こうだに)集落。ここが標高 580m ほどなので久しぶりの標高差 1000m 超。
日曜日は天気が悪くなりそうだったので、4/11の土曜日に車で出かけた。
久久能智(くくのち)神社のそばのスペースに車を置いて、7時12分に出発した。
ところが登山口がわからない。神社の少し手前にヘアピンカーブがあって、そこの路肩に車が1台停まっていた。ここが登山口かもと思ってそちらに向かおうとしたが、gps ではどうもそこではなさそう。
神社の石段を上がってみたけれど、ここにも道は見当たらず。
車を停めた場所の横にヤブに入っていく未舗装路があったので、そちらに向かってみた。
これが正しかったようで、一安心して先に進む。しかしそれにしてもかなりの急登。25分ほど登って稜線に出た。
稜線に出ると丁石が出てきた。大峰山まで八十二丁とのこと。7km 余り。
登りは緩やかになって、植林の中を進む。歩き出して1時間ほどでようやく標高 1000m を越えた。
おおむね斜面をトラバースする緩やかな登りだったけれど、突然枯れ沢の急登になった。
数分で上がった所がアスカベ平。川上中学校では全員でここを歩いたらしい。全員と言ってもおそらく数十人程度だと思うけれど、中学生でここを歩くのはなかなか大変だと思う。
9時27分に伯母谷覗に到着。この岩の向こうは断崖絶壁。
大普賢岳。
倒木で道がわからずに少しロストしてしまったけれど、伯母谷覗から20分ほどで女人結界門へ。ここで奥駈道に合流した。
奥駈道に入るとまれに人とすれ違うようになってきた。
大峰の稜線でよく見る立ち枯れ。
10時19分、小笹の宿に到着。赤い建物は行者堂。右は避難小屋。
不動明王像。
聖宝理源大師座像(左)。
山上ヶ岳はおそらく人が多いと思うので、ここでおにぎり休憩にした。
笹原になってきて、山頂まであと少し。
11時1分、大峰山寺に到着した。
そしてほんのわずかで湧出岩(山上ヶ岳、1719.4m)に到着した。役行者が蔵王権現を感得したという場所。
ここに来る手前で二人の登山者と出会ったけれど、その二人もいなくなっていて、山頂エリアには誰もいない。山上ヶ岳は積雪期も含めてこれまで何度か来ているけれど、他に誰もいないというのは初めて。しかも快晴無風の絶好のコンディションなのに。
せっかくなので腰を下ろしてどら焼き休憩にした。正面に稲村ヶ岳。右の突起は大日山。奥は弥山。八経ヶ岳が見えているのかどうかはよくわからない。
弥山の奥には釈迦ヶ岳。
左の方には大台ヶ原方面。
しばしのんびりして下山に向かう。
50分ほどで女人結界門まで戻って、ここで奥駆道と別れる。そして伯母谷覗は素通りして、アスカベ平から枯れ沢に入る。
私は朝に登ってきたので道がわかっているけれど、予備知識の無い人が地図のルートだけでここに来たら、ここからの下り口はわからないのではないかと思う。道標もまったく無い。
かく言う私も右の斜面に入る場所を注視していたけれど、それでも少し沢を降り過ぎてしまった。変だと思って登り返して赤テープを見つけたけれど、このテープの場所は沢筋から少し離れていて、忠実に沢を下っていると死角になる。
地形図にはここを通らずにずっと稜線伝いに伯母谷覗に出る道が書かれているけれど、まったく気がつかなかった。
あとはただひたすら下るだけ。しかし傾斜が緩いのでなかなか標高が下がらなくてうんざりしてくる。
足下に上谷の集落が見えてきた。こんな奥まった所にこういう集落がまだ残っているのは不思議な感じがする。
最後の急斜面を慎重に下って、最後は集落に出た。どこかに道標があるのではと思ったけれど、見つけることはできなかった。
午後2時15分、無事久久能智神社に戻ってきた。
せっかくなので久久能智神社に参拝しておくことにした。まだ新しいお供物があったけれど、おそらく集落の人だろうと思う。
今日は好天にもかかわらずほんのわずかしか人に出会わず、静かな登山を楽しむことができて満足の一日だった。
本当は温泉にでも寄って帰りたいところだけれど、今はできるだけ人との接触を避けるということで、そのまま帰宅した。