葛城歴史散歩

葛城氏は5世紀頃にこのあたりを地盤として繁栄した豪族で、その後の時代に勢力を持った蘇我氏の祖先でもある。

現在の御所市を中心とする地域で、3年ほど前に一度歩いているけれど、一度山無しでいろんな見どころを訪ねてみたいと思っていた。

この週末は天気予報では雨模様だったので山はあきらめて、多少の雨でも何とかなりそうな里歩きならということで 6/27 の土曜日に出かけることにした。

6時過ぎに家を出て8時過ぎに近鉄御所駅に到着。駅のそばで準備を整えて、8時15分に出発した。まずは葛城山を正面に見ながら3年前と同じ道を行く。

まずは鴨山口神社。全国にある山口神社の本社。

葛城の道に入って、前回は寄らなかった駒形大重神社(こまがたおおしげじんじゃ)にお参り。

そして前回も立ち寄った九品寺(くほんじ)。行基が開いた。

前回もここまでは来たけれど、今日の目的は裏にある千体石仏。南北朝時代、南朝側の楠木正成公のために一族を引き連れて参戦した楢原氏が、身代わりのため石仏を彫って菩提寺だった九品寺に奉納したという言い伝えがある。このまわりや地中にもたくさんあるらしい。ちなみにこのあたりの地名は「楢原」。

明日香村方面。後ろの山々は御破裂山あたり?

綏靖天皇の葛城高丘宮跡。

欠史八代と呼ばれる天皇の御陵は多くが葛城地域にある。これらの天皇の実在性はさておいて、ヤマト王権が成立する前にはこのあたりに実権を持つ王のようなものが支配している時代があったのではないかという説がある(「神々と天皇の間」鳥越憲三郎)。

そして一言主神社へ。

今回の目的は「蜘蛛塚」。

神武天皇が葛で網を作って土蜘蛛(大昔の日本において朝廷や天皇に恭順しなかった土豪たちを示す名称)を捕り、頭と胴と脚との三部分に切断し、別々に境内に埋めて、その上に巨石をすえて置かれたとか。

頭の部分は社殿の下。胴の部分は拝殿の横。

そして足の部分は石段下の参道に埋められいる。

ところで一言主の神は役行者に縛られて谷に捨てられたままのはずだけれど、脱出したのか?

ここからはしばらく交通量が多くて歩道の無い車道を行かなければならない。少し西の方に旧道があるのだけれど、ちょっと下らなければならないし、いずれにしてもまた戻ってこなければならない。

車におびえながら登り坂をえっちらおっちら 30 分ほど行って、極楽寺へ。

陽がさしてきたので帽子と日除けをかぶる。

少し車道に戻ってからようやく山道に入る。20 分ほどで橋本院へ。これは本堂の観音堂。

そして車道を 10 分足らずで高天彦神社。

地図ではここから一旦また車道に出なければならないのだけれど、前回金剛山から下ってきた時に南の方に向かう山道の分岐があったことを覚えていたので、そちらに向かうことにした。

行基ゆかりの伏見山菩提寺。白山を開いた泰澄もここで修行し、弘法大師も修行している。

少し進むと展望台。ここでおにぎり休憩にした。真ん中の突起が大天井ヶ岳。その右に山上ヶ岳。ずっと右にいくと稲村ヶ岳。

このすぐそばに八幡神社。真ん中が応神天皇。向かって左が天児屋根命(あめのこやねのみこと)。右が天照大皇神。

このあとまた車道に出てしまったが、このあたりは歩道があった。そして適当に西に入って高宮廃寺跡を目指す。が、次第に道が荒れてきて、ついにヤブヤブに。足下はコンクリートなのでかつてはしっかりした道だったはず。

今日はヒザの出ているトレラン用短パンで来ているので泣きたい気分だが、戻るのもつらい。道はまったく消えたが、少し開けた斜面を適当に進む。今日はこんなつもりではなかったのだけれど・・・。

ウロウロしていたら踏み跡のようなものが出てきて、少し進むとありました。寺の詳細は不明だが、建立は奈良時代あたり?。標高 550m に位置している。

少し進むと金剛山からの道に合流して、もう安心という気分になった。

それにしてももう 12 時。出発して4時間近く経っている。この先は下道ばかりだけれど、距離的にはまだ半分も来ていない。思ったよりも時間がかかっている。

車道を走って、高鴨神社へ。全国の鴨(加茂)社の総本宮。ちなみに私の生まれた場所は京都の上賀茂神社にほど近い所。

そして風の森神社へ。高鴨神社と一対になっていると言われている。風の森峠の頂上部分。道標も案内板も何もなく、事前に情報を得ていなければとても気がつかないような場所にある。

そして車道の風の森峠。

ようやく距離的には半分くらいだろうか。もう出発してから4時間を過ぎている。今日は大半が下道の走りなので疲労感が大きい。

メインの車道をはずれて旧道を進む。少し行った所に公民館があって、建物の前にベンチが置かれていたのでそこでまんじゅう休憩にする。次の目標の日本武尊白鳥陵までは 5km 以上ありそう。

室宮山古墳に立ち寄るつもりだったけれど、場所がわからず。帰ってから確認したら場所を少し間違っていた。

車道を淡々と走っていたら、吉野へ車で行く時にしばしば利用するコンビニ。この前の交差点はちょっと変わった構造で、タイミングによってはずいぶん待たされる。

風の森峠から1時間 10 分ほどかかって、ようやく日本武尊白鳥陵に到着した。吉野からの帰りに車で立ち寄れば簡単に来られるのだけれど、それでは値打ちが無い。

日本武尊の御陵は宮内庁の治定で三ヶ所ある。ここはそのうちの一つ。

午前中に山裾を辿った葛城山(右)と金剛山(左)。

ちょっとした峠を越えて、JR 和歌山線の掖上(わきがみ)駅。

終盤戦に入ってきた感じだが、平地でもしばしば歩きになる。

次の目標は斉明天皇陵。しかしこれが場所がよくわからない。ウロウロして一度諦めて、工場の片隅のような場所にある自動販売機でサイダーを買って、そばに腰掛けて休憩した。

これが功を奏したのか気力が少し戻って、せっかくここまで来たので何とか見つけようとそれらしい方向に向かった。

何とか石段の登り口を発見して、しばらく登るとまず大田皇女の陵。

さらに登ってようやく到着。

研究者の間では真の斉明天皇陵は牽牛子塚(けんごしつか)古墳の可能性が高いと言われている。すぐそばにある越塚御門古墳が大田皇女だろうと。

元に戻って、嗛間(ホホマ)神社。

中を覗くと。

そして神武天皇社へ。

隙間から本殿を覗くと。

神武天皇社にまつわる話はこんな感じ。

これがおそらく「掖上の嗛間の丘」。

またしばらく車道を走って、今日のメインの吉祥草寺へ。役行者誕生の地。

本堂はタダで入れるけれど撮影は禁止。さすがに修験道の寺だけあって護摩を焚く場所が用意されている。

裏にある写経道場には役行者の像が置かれているけれど、ここも入れるけれど撮影は禁止。

最後に鴨都波(かもつば)神社。役行者は鴨氏の出自。

午後4時前、ようやく御所駅に戻ってきた。疲れた。着替えとビールのために駅のそばのライフへ。

休憩スペースでビールを呑んでいたら「飲酒禁止」という貼り紙が。最後にちょっと落ち着かない気分になってしまったけれど、もはや移動する気力は無し。

7時間 45 分、約 37km でした。

加賀禅定道から楽々新道

ようやく県をまたぐ移動自粛も解除されて、高速の休日割引も復活したので、久しぶりに手応えのあるルートへ行こうと思った。

白山の北にある加賀禅定道は以前から気になっていた。しかし長い。登りの標準コースタイムは 10 時間近いし、標高差も 1800m ほどある。

実は一里野スキー場からのルートなら標高 1000m あたりまで車で上がれるということを最近知った。これなら稜線までのピストンならば行けそうだ。しかし今一つ魅力に欠ける。

それならばということで思いついたのが、新岩間温泉に車を置いて、まずは車道をハライ谷の登山口まで戻って、そこから加賀禅定道を七倉山の稜線まで登って、そこから楽々新道を下ってくるというもの。もし余裕があれば大汝峰まで足を伸ばす。

しかし大汝峰まで行かないにしても標高差 1800m、30km 近い距離がある。

ちょうど 4 年前に中宮レストハウスを基点にして楽々新道から大汝峰、中宮道の周回をやったけれど、長距離長時間歩行能力の最盛期だった頃で、もはやそんな体力は無いということはわかっている。

しかし最近は体力低下の影響で気力まで衰えてきているので、たまには挑戦的なこともやらなければますます衰える一方になる。

最悪、途中でもうムリと思ったら往路を引き返すということにして、好天予報の 6/21(日) に実行すべく、土曜日に新岩間温泉に向かった。

何年か前に家族で泊まった山崎旅館は休業していた。

夜は冷え込むかと思って中綿ジャケットまで持ってきたけれど、まったく不要だった。満天の星空のもと、午前 1 時 55 分に駐車場を出発した。

登山口までは車道をスロージョグで行く。思ったよりも遠かった。5km 弱を 40 分ほどかかってようやく登山口に到着した。

大昔はハライ谷にルートがあったそうだが、今は谷の東側の稜線を辿っている。いきなり急坂をジグザグで上がる。今日はポールを持ってきているので、少しでも脚力を残すために腕を使って登っていく。

今日は夏至なので夜明けが一年で一番早い。4時を過ぎると東側の空にきれいな朝焼け。

足下にギンリョウソウ。

花はいろいろ咲いているけれど、写真を撮るのは下りにして先を進む。

4 時 15 分、檜の新宮に到着。かつては加賀禅定道第一の行場として栄えたそうだが、今は北陸電力が献上した祠があるのみ。

4 時 30 分、一里野からの道に合流するしかり場に到着。標高 1550m くらい。

4 時 44 分、ご来光を拝む。

5 時 1 分、口長倉山(1660.5m)を通過。

ようやく前方の全容が望めた。右端が四塚山(2519.4m)。まだまだ遠い。

しかし思ったよりも残雪が多い。前回の楽々新道もちょうど同じ時期で、アイゼン無しで苦労した記憶が無かったので、今年は雪が少ないだろうと思ってアイゼンは持って来なかった。それよりも長丁場を想定して食糧を多めに持ってきた。

奥長倉避難小屋。ここも水は無さそう。

稜線に上がってからはアップダウンの繰り返しでなかなか標高が上がらない。こういうのは体力もさることながら気分的に疲れる。

美女坂を這い上がって、百四丈滝(ひゃくよじょうのたき)を望む。このルートに来た目的の一つがこの滝を眺めること。落差 90m。

池塘がチラホラ。

いつものことですが、白山は活火山です。

標高 2000m を超えると雪が出てきた。

加賀室跡。かつては宿坊のようなものがあった。

天池。

この先で前方に単独行の登山者が見えた。私よりも早く出た人がいたのだろうか。

残雪に苦労しながら進んでいたら、ジャンクションピークの雪の斜面を先行者が登っている。しかし雪の切れた場所にはトラバースルートがあるように見える。

目を凝らして見渡してみたらそれらしいトレースが見えたので、私はそちらに向かった。

ジャンクションピークを越えたあたりでまた残雪斜面のトラバースに苦労していたら、後ろから登山者が現れた。おそらく先ほどの単独行者で、ジャンクションピークで追い抜いた模様。

油池。

前方を見るとあとはハイマツ斜面をひたすら登るだけと思っていたら、思いがけず雪のガリーが現れた。

左側のヤブを支えにして右手に2本のポールを持って、斜面の端ギリギリを強引に登った。

標高差であと 200m くらいだが、さすがに疲れてきた。時々立ち止まって足を休める。もはや大汝峰までという気持ちは微塵も無い。

9 時 26 分、ようやく稜線の分岐点に到着した。出発してから 7 時間半。登山口から 6 時間 50 分かかった。

大汝峰への未練はまったく無い。前回、楽々新道を登った時はここから大汝峰へ向かったのだけれど、あの時はこんなに雪は無かったような・・・。

楽々新道への道の状況が心配なので先の様子が見える場所まで進んで、展望のいい場所でおにぎり休憩にした。

辿ってきた稜線。

そしてこれから下る楽々新道の尾根。

東側に地獄尾根。背後には前回下った中宮道の稜線。

足下にはハクサンイチゲ。

このあともしばしば残雪斜面が現れて苦労させられた。トレランシューズの最大の弱点は雪の斜面で、キックステップが効かないのでツマ先やカカトを雪面に蹴り込んで歩くということができない。

登山靴なら気楽にカカトで踏み込んで下れるような雪面でも一歩ずつ慎重に下りなければならない。

そうやってゆっくり下っていたら、後ろから「さっき追い抜かれた方ですね」という声が。登りで追い抜いた単独行者だった。彼は登山靴を履いているので何ということもなく下りてきた。その後、相前後しながら下っていった。

キヌガサソウ。

イワカガミ(コイワカガミ?)。

岩間道は通行止め。

ここでまた単独行者と出会って少しお話し。今朝どこから来たのか尋ねてみたところ、奥長倉避難小屋で前迫したとのこと。ハライ谷の登山口に軽自動車が停まっていたが、その所有者だった。

少し進んだ所に湧水があったので、そこで水を補給した。彼は小桜平避難小屋の水を煮沸するとのこと。

なかなか標高が下がらないのにうんざりしながら歩いていたら、足下で突然ガサガサという物音が・・・。

ふと見たら、ヘビを踏んづけていた!!!。結構大きなヘビだった(体長 1m くらい)。シマ模様は無かったのでマムシではなかったと思う。

マイヅルソウ。

ゴゼンタチバナ。

午後2時3分、ようやく車道に下りたった。前回登った時はここに道標があったような気がするのだけれど。

あとは林道を淡々と下るだけ。とても走る気にはならない。ジャリ道というせいもあるけれど。

午後2時 24 分、ようやく駐車場に戻ってきた。

行動 12 時間半、約 30km。これが今の限界と感じた。

温泉は「一里野高原ホテルろあん」へ。私が利用している山岳保険の jro と提携していて、入浴料金が割引で 500 円になる。

わりと小ぶりの風呂で、露天は定員4人くらい。あまり温泉という感じのしないお湯だったけれど、すいていたし、コロナの影響か非常に清潔な感じだったのが良かった。

帰り道はスイスイで、残したおにぎりやパン、コーヒーなどを飲みながらでも4時間ほどで家に帰りつくことができた。

久しぶりにほぼ目一杯という行動で満足感はあったけれど、ほとぼりが覚めてから冷静に振り返ると、上部の残雪のあった場所ではかなり危険な所が何ヶ所かあった。

沢に落ちる雪の斜面の上部を何度かトラバースしたのだけれど、もし一度でも足を滑らせていたら今ここにはいない。

残雪期に 2000m を越えるような山へ行く場合は、アイゼンとピック付きポールは必須だと思った。

本来なら登山靴で行くべきなのだが、トレランシューズの軽さに慣れてしまうと本格的な雪山以外では登山靴を履こうという気になれない。特に今回のように一部でも走れる部分があることがわかっていると、走れるシューズという選択になってしまう。

トレランをやるようになってからはどうしても軽量化ということを最重視する傾向があったのだけれど、これからは安全面を最重視するようにしなければと思った。

どうせもう山道で走るという体力は無いので、多少重くなっても安心感を感じられるような装備の準備をしなければと思い直した。

競技場練習会

6/14(日) は久しぶりに陸上クラブの練習会だった。

コロナウィルス感染予防のために3月途中から練習会を控えていたが、緊急事態宣言も解除されて少し時間も経ったので、短縮メニューでの再開となった。

普段は9時に集合して準備体操、アップ、そして本練習。その後、各自ダウンという流れだけれど、10時集合で本練習のみというやり方になった。アップとダウンは各自で、ということでたくさんの人が集まる時間帯を少なくなるように配慮した。

この日のメニューは 1000m×5 のインターバル。一人で走っている時はせいぜいキロ6分をちょっと切るくらいが上限なので、はたしてどれくらいのペースで走れるだろうか。

1本目は5’01″。思ったよりはマシだった。その後少しずつペースアップできて、5本目は 4’45” で終えた。これくらいならまぁいいかという感じ。

たまには息の上がる走りも気持ちいいけれど、もはや一人でこれはできません。

伯母ヶ峯、日本岳

台高山脈と大峰山脈は伯母峰峠でつながっている。大峰側の稜線には七窪尾根、笙ノ窟尾根という名前がつけられているが、どこで区切られているのかよくわからない。この稜線は吉野川と北山川の分水嶺になっている。

台高側には伯母ヶ峯というマイナーピークがあって、かねてより一度行ってみたいと思っていた。

調べてみると大台ヶ原ドライブウェイの駐車スペースがちょうど具合のいい場所にあるので、ここを基点にして伯母峰峠から伯母ヶ峯、そして尾根筋を通って大普賢岳まで往復してみようと思った。

6/7 の日曜日は快晴の予報だった。朝5時過ぎに家を出て、2時間少々で予定の駐車スペースに到着した。

7時35分に出発して、旧道に入って少し行った所に長い階段が設置されていて、これを上がる。

階段を上がってからしばらくジグザグに登るのだけれど、結構な急斜面で、足を滑らせたら間違いなく下の車道まで落ちる。帰りが心配。

ほどなく稜線に出た。しかし展望は無し。

まずは東の伯母ヶ峯に向かう。階段を下って伯母峰峠。

昔の人はここを南北に歩いて越えたのだろう。

道というほどはっきりした道ではないけれど踏み跡は明瞭。所々に古いテープがあるだけで、道標は皆無。

8時14分、出発して 40 分ほどで伯母ヶ峯(1262m)に到着したが、山名のプレートのようなものは何も見当たらなかった。三角点も無し。

木々の間からの台高山脈。

写真を撮ったら早々に引き返す。

伯母峰峠を越えて大峰へ。しばらくはアップダウンの少ない穏やかな尾根道が続く。誰にも逢わずに静かで快適。

ちょうど新伯母峯トンネルの上あたりのコルで今日初めての道標に出会った。

古いテープに導かれて進んでいると次第に傾斜が急になって、大峰らしい山容になってきた。

テープも見なくなり、もはや踏み跡とは思えない厳しい斜面を木の枝を支えに進む。

岩の突起を回り込んだら目の前が崖斜面になった。

崖の下までは 3〜4m くらい。頼りなげな古い細いロープが垂れている。その前のピークもかなり厳しそう。

ここから先に進むとまたここに戻ってこなければならない。ロープはところどころほころびていて、とてもこのロープに体重をかける気にはなれないが、ほぼ垂壁なのでロープ無しではとても下れない。

おそらくほとんど人の通らないルートだと思うので、ここで倒れたりしたら当分誰にも見つけてもらえないだろう。ココヘリ(ヘリ捜索用の電波発信器)は持っているけれど、家人が捜索依頼するとしたらおそらく夜になってから。

今日の主目的だった伯母ヶ峯とこの稜線はほぼトレースしているので、ここで引き返すことにした。10時17分。

今日、数少ない展望で、おそらく弥山、八経ヶ岳。

帰ってから gps のトレースを見てみたら、笙の窟(しょうのいわや)へは少し手前で斜面の南側へ下りなければならなかったのが、そのまま稜線伝いに来てしまっていた。結果的にはこの引き返した場所が日本岳(1505m)だったようだ。

やはり大峰は修験道の山だけあって厳しい。奥駆道はそれなりの登山者もあるのでわりと整備されているけれど、横道にそれるとこういう場所が随所に出てくる。京都の山を歩くような気分で適当に進むととんでもないことになる。

苦労して登った急斜面を慎重に下って、なだらかになってしばらくしたら行きには木の影で見えなかった和佐又山ヒュッテへの道標があった。ただしこの道はヒュッテまで下ってしまうので、当初の予定のルートではない。

もう少し進んだ所で今日初めて腰をおろしておにぎり休憩にした。

車道への階段の上の斜面を慎重に下って、11時52分、無事車道に降り立った。

ドライブウェイから大台ヶ原の山が望めたけれど、山名はわからず。

11時58分、駐車場に戻ってきた。

久しぶりに静かな山歩きが味わえて気持ち良かった。大普賢岳には行けなかったけれど、もともと今日のコースではおまけの位置付けだったので、それほどの残念感は無い。

それよりも、引き返した場所が実は日本岳だったというのがうれしかった。もし予定通りのルートを歩いていたら日本岳には寄れなかったので、すでに登ったことのある大普賢岳よりもこちらの方が値打ちがあった。

結果的には納得できる一日でした。