三浦誠司さん逝去

先の四連休は非常に楽しみにしていた。例年なら梅雨明け直後の安定した好天が続く頃で、高山へ行くには絶好の時期だ。

ようやく雲ノ平テント泊ができると楽しみにしていたのだが、梅雨前線は停滞したまま。連日の雨で近場日帰りすら行けず、陸上クラブの練習会や淀川のジョグだけで終わってしまった。

結果的には終日雨という日はなくて、もしどこかへ行っていたとしても一時的な雨くらいですんだのではないかという気もするけれど、連日の雨でおそらく道はぐちゃぐちゃ。ヤブに入ると雨露でびしょびしょという状況だったと思うので、まぁ行かなくて良かったのではないかと思うようにしている。

それでも行く人は行くもので、今朝たまたまネットでこんなニュースを見かけた。

本当にびっくりした。

これまでトレイルランナーの事故情報には何度も出会ってきたけれど、いずれも個人的には面識の無い方ばかりだったが、もう 10 年少々前になるけれど、三浦さんの主催されている練習会やイベントなどに何度も参加したことがあった。

おそらく三浦さんは私のことなどもう忘れておられると思うけれど、それまで 20 年以上ほぼ一人で走ってきた私が初めて集団での練習会に継続して参加したという出来事だったので、私はその頃のことを今でもはっきりと覚えている。

ランニングショップの run-walk style は JR 森ノ宮駅のそばにある。どうやってこの店の情報を知ったのかは忘れてしまったけれど、50 歳を過ぎてから坂道をころがるように走力が落ちて、それに伴ってモチベーションも落ちてきた。

その頃は山スキーもやっていたのだけれど、ランニングの質が落ちるに従って山での体力も目に見えて落ちてきた。

このままではいけないと思ったが、もはや一人では追い込む練習などできない。

しかし走友会などに入るのはわずらわしいと思っていたので、一回 500 円程度で気軽に参加できる練習会を主催していたここに何度か出かけた。

大阪城公園でペース走をやったり、室池でのクロカン走、六甲縦走などに出かけた。

ただ、常連参加者はおおむね私より一回りくらいは年下で、しかも女性が多かったので、次第に足が遠のいていった。参加していたのは一年くらいではないかと思う。

その後、地元の陸上クラブが会員を募集しているのを見つけて、そこに入れてもらうことにして、run-walk style からは完全に離れた。

三浦さんはその当時はまだ 30 台で、トレランのレースでは大きな大会でも上位に入るくらいの実力者だった。ロードのマラソンは2時間 40 分くらいだったのではないかと思う。

個人的に生駒へ行った時に、お客さんを連れて走っておられるのに出会ったりしたこともあった。

どうしてこんな天気の日に滝のそばなどに行かれたのだろうかと思ったが、情報によるとランの予定がほぼ終了して、滝壺のそばで汚れ物を洗おうとしていた女性が溺れそうになって、それを助けようとして深みにはまりこんでしまったらしい。

亡くなった三浦さんは本当に無念だろうけれど、この女性も本当につらいだろうと思う。お客さんだったのか走友だったのかはよくわからない。

ご冥福をお祈りいたします。

堂山

今月からようやく文化センターの登山講座が再開になった。この講座は二月以来の5ヶ月ぶり。

7/19の日曜日、コロナの関係で遠方は避けて、湖南アルプスの堂山に向かった。

前日までの天気予報では降水確率が高かったのだけれど雨にはならなさそうな雰囲気で、むしろ蒸し暑くなりそう。

JR石山駅からバスに乗って、新免から歩き出す。

右を見ると今日の目標の堂山。

新宮神社で準備を整える。

登山道に入ってしばらくするとアルプス風情になってきた。

わずか 384m の山なのだけれど、風化した花崗岩の急登が続く。

気候のせいか、お一人熱中症のような症状でしばし休憩。

何とか落ち着いてこられたので遅れて稜線に出たところ、ここでまた別の方がダウン。

堂山の山頂はここから少し西へ行ったところだけれど、下山は南東方向に向かうので、私はダウンした方と一緒にここで待っていることにした。

ここからは琵琶湖越しに比叡山。

北の方には金勝アルプスの竜王山。

みなさんが堂山から戻ってこられてからここで昼食にした。

昼食後は鎧ダムに向かう。鎧ダムは地形図では池のような表記になっているけれど、砂で埋もれてもはやそれほどの水量は無い。

そして鎧堰堤。金勝アルプスのオランダ堰堤と同じくヨハネス・デレーケ氏の設計による。

さらに下ると迎不動堰堤。これは近年のもの。

ほどなく天神川の車道に降り立った。このあたりは人だらけ。

あとは車道でバス停まで。

午後3時過ぎ、バスの出る数分前にアルプス登山口のバス停に到着した。

かなり余裕を持った行程だったのだが、結果的にはちょうどバスの時刻にぴったりで終わった。

野坂岳、三国山

先週末も天気予報は各地雨。三日前くらいからしばしば予報をチェックしていたところ、今回も全般的に北の方がマシな感じだった。

降水確率は高いけれど、先週の様に本当のところは行ってみないとどうなるかわからない。

そこで、先週は本当はここに行きたかった、野坂山地の野坂岳から三国山へのコースに出かけることにした。

野坂岳も三十三間山と同様、京都の山ヤにはポピュラーな山だが、私はまだ行ったことが無い。これまで行っていない理由は三十三間山と同じで、昔はこういう低山にはまったく興味が無く、最近は適当なコースが見出せなかったから。

昨冬、たまたま敦賀のあたりに来た時に、雪の野坂山を眺めることができた。その時、この山はぜひ来なければと思った。

記録をいろいろと調べてみると、三国山からの稜線を辿ることができそうだ。

マキノから入山して野坂に下りるという縦走コースがすっきりしていていいのだけれど、如何せん家からでは交通機関が大変で、非常に時間がかかる。

距離が長くなるけれど、野坂側から三国山まで往復するしかないだろう。三国山からマキノまでは何度か歩いている。

天気予報はめまぐるしく変わって、それまでは曇り模様だったのが次第に降水確率が高くなってきた。午前中の方が確率が高い。

朝、起きた時に雨が本降りだったら止めにしようと思ったが、幸い朝方は家のあたりでは降っていなかったので、湖西道路を走って、2時間20分くらいで野坂いこいの森の駐車場に到着した。

走っている間に雨模様になってきたので、こんな日に来る人はいないんじゃ無いかと思っていたが、意外とすでに2台の車が止まっていた。いずれもまだ中に人がいた。

車の中で雨具を着て、出発の準備をした。このまま雨なら野坂岳だけで帰ってこようと思った。

7時44分に出発した。せっかく雨具を着たのに雨はほとんど止んでいた。駐車場の前から登山道に入る。少し前にもう1台の車の主が出発していった。

やはりこのあたりはクマが出るもよう。熊除けスプレーは持ってきている。

登りに入ると暑くなってきたので雨具を脱いだ。そしてほどなく先行者を追い抜いた。

ニの岳という札が建っているが、ピークのようには見えない。

美しいブナ林。ブナ林はこういう天気の方が幻想的でいいかも。

そして三の岳。山頂が一の岳かと思っていたが、そうでは無さそう。

避難小屋が現れた。

このすぐ先が野坂岳の山頂(913.3m)だった。9時4分。

展望がまったく無かったので、早々に先に向かう。雨に濡れて滑りやすい急斜面を下る。ポールを持ってくれば良かった。

小雨が降ってきて、風も強くなってきたので雨具の上を羽織った。

道は思ったよりはしっかりしていた。しばらく進むと送電線の鉄塔が現れた。

そしてこの先に左に山村という標識があった。この道はしっかりしている感じだが、まっすぐの方向は枯れ枝が置かれている、こっちには行くなという印だろう。が、私の行きたいのはこっち。

予定の方向に進んだところ、意外と踏み跡はしっかりしていて、所々にテープもある。

このあたりもブナ林が美しい。

ただの水溜りなのか池塘なのかわからなかったが、このあとこういうのはいくつか出てきた。大きなガマガエルにも出会ったので、おそらく池塘なのだろう。

意外と小さなアップダウンがあって、おまけに次第にテープがまばらになってきた。踏み跡はあるような無いような状態で、尾根が広くなって行先がわかりにくいような場所で次のテープが見えない。

変な方向に進んでしまうことが何度かあったけれど、いずれも gps のおかげですぐに修正できた。

どんどん下って、ついに標高が 600m を切るくらいまでになった。三国山までの最低鞍部で、これから標高差で 300m ほど登り返さなければならない。

溝のようになった古い道があった。どうしてここだけ突然こんな道が残っているのか不思議だけれど、落ち葉や枯れ枝が積もっていて、ほとんど歩かれていない。

雨も止んで風も治まっているので、暑くなりそうなので雨具を脱いだ。

急登を上っていったらまた送電線の鉄塔が二つ続いて出てきた。

12時16分、ようやく三国山(876.1m)に到着した。野坂岳から3時間10分、出発してから4時間半だった。

山頂には誰もいなかったので、雨具の上を羽織って、今日初めて腰を下ろしておにぎり休憩にした。意外と寒い。

10分ほどで引き返す。不明瞭な踏み跡をいきなりはずして変な方向に下りてしまった。

来た道を戻るだけなのだけれど、やはりわかりにくい。gps に往路の軌跡が残っているので、それを頼りに進む。それでもルートをはずしたりした。

長距離長時間行動で、さすがに疲れてきた。部分的な急登ではしばしば立ち止まってヒザに手を当てて呼吸を整えなければならなくなってきた。実際には呼吸が苦しいのではなくて、脚筋がもう売り切れ状態。

野坂岳の方が三国山より標高が高くて、おまけに疲労がたまってきているので、復路の方が時間がかかる。

何とか鉄塔手前の分岐まで戻ってきたが、ここが標高 700m くらい。まだあと 200m 少々登らなければならない。

これまでの細かいアップダウンの繰り返しのダメージが大きくて、先日の白山加賀禅定道の最後の登りよりも苦しかった。

野坂岳に戻ったのは午後3時51分だった。まさかこんな時間には誰もいないだろうと思っていたら、何とトレラン風情の男性が一人、タバコをくわえて立っている。遠回りで早々に通り過ぎた。

しばらくしたらこの男性がクマ鈴を鳴らしながら下ってきたので先を譲った。軽快に下っていったように見えたけれど、実は登山口に着いたのはほとんど同じくらいだった。

途中で今日初めて展望が得られた。敦賀市街と敦賀湾。

午後4時48分、ようやく駐車場に戻ってきた。

約9時間、24km くらいだった。本当に疲れた。体力的にはもちろんだけれど、野坂岳から三国山の間、特に鉄塔と鉄塔の間は大半がルートが不明瞭で、精神的にも疲れた。天気が良ければ気持ちのいいルートかも知れないけれど、今日のような天候では気分も今ひとつ盛り上がらない。ブナ林の幻想的な風景が眺められたのは良かったけれど。

これからは勝手知ったるルートへ行く時以外は必ずポールを持つようにしようと思う。加齢と共に筋力が低下してバランスが悪くなる。それでなくても私はバランスが悪いので、ポールを持った方がいいというのはずいぶん以前から認識していた。

しかし昔からの習慣で両手が塞がれてしまうということに抵抗感があって、利便性よりもわずらわしいという気持ちの方が大きかった。

あと1ヶ月少々で名実ともに高齢者の仲間入りなので、つまらないことでの事故やケガが無いようにしたいと思う。

三十三間山、ろくろ山

7/5(日) の天気予報は京阪神エリアはほぼ雨。しかし先週は山歩きはしていないのでどこかの山へは行きたい。

各地の予報を見ていたら北の方なら午前中は何とかもちそうな感じだったので、半日で楽しめそうなコースを探した。

野坂山地の三十三間山は京都の山ヤの間ではポピュラーな山だけれど、私はまだ行ったことが無い。昔は近場の低山にはまったく興味が無かったし、近年で言えば満足できそうなコース設定がやりにくそうだったから。

しかしいくら半日コースと言っても一般路ピストンでは短かすぎる。と思っていろいろと情報を探っていたら、尾根を南の方に辿ると周回できそうだった。これなら昼くらいには下山できそう。

ルートを最終決定したのは前日の夕方だった。

朝5時過ぎに家を出て、2時間少々で登山口の駐車場に到着した。着いた時は他には車は停まっていなかったけれど、準備をしている間に1台やってきた。国道にも登山口の大きな案内板が建っているくらいなので先行者がいるだろうと思っていたが、天気予報のせいか思いのほか空いている。

準備を整えて7時半に出発した。来る途中でちょっと霧雨が降ったりしていたけれど、今は雨は降っていない。

登山口には山名の由来を描いた石碑が置いてある。

三十三間堂を建てた時の棟木をこの山中から切り出したとのことだが、他にもいくつかの説があるらしい。

しばらく沢沿いの朽ちた林道を行って、15分ほどで登山道に入る。

風神の滝。読みはわからず。

結構な登りが続く。最近の雨で路面が濡れていてよく滑る。高々 840m くらいの山だけれど登り口が 100m に満たないようなコースなので結構登りごたえがある。

ここには石碑が建っているそうだけれど、気がつかなかった。

出発して1時間10分ほどで稜線に出た。

標高 800m とは思えないようなササ原。

三重嶽方面はガスで見えないけれど、若狭町の街並みは少し見える。

8時53分、展望の無い山頂(842.1m)に到着した。

このあたりは強風のせいで木が南側に傾いている。

展望も無いので早々に引き返す。ちょっとガスが晴れてこれから向かう稜線が望めた。

道標に従って稜線を辿るが、一気に道が不明瞭になって、ササの水滴で膝から下がびしょ濡れになる。

踏み跡が消えて、適当に進んでいたらまた踏み跡が現れるということを何度か繰り返していたら、初めて赤テープに出会った。

このあとしばらく赤テープが続いたが、ろくろ山は地形図には山名が記載されていないのでどの山だかわからない。

ちょっとしたハゲたピークがあって、ここがろくろ山かなと思ったが、そういう標識は建っていない。

次第に展望が開けてきて、背後には三十三間山。

その右に昨秋歩いた三重嶽。山頂は雲の中。

さらに右に行って、湖北武奈ヶ嶽。

ろくろ山はこの先で、9時 36 分に山頂(662.3m)に到着した。

このあと下山の尾根を少し間違えたが、黄テープに導かれて不明瞭な踏み跡を辿る。

ちょっとした小径に出会ったのでそこを辿ってみたが、方向がおかしいので戻った。黄テープに書かれた手書きの文字で方向を定める。

踏み跡を見失って、このあとはテープも見当たらず、この下あたりで林道に出るということはわかっていたので下の方をうかがってみたところ、沢の下の方に林道のようなものが見えた。

ヤブを適当に下って林道に降り立って、しばらく林道を進む。

そして林道がヘアピンカーブするところでまた尾根に乗る。

ここから先は踏み跡があるような無いような状態で、一度違う尾根を少し下ってしまったが gps のおかげで元に戻って、いよいよ国道そばの末端まで来た。

最後の急斜面を枝を掴みながらずり落ちて、無事国道脇の林道に下山した。

それにしても天気予報では次第に雨とのことだったのに、逆に晴れ間が出てきた。

このあとは歩道の無い交通量の多い国道を5分ほどジョグして、登山口への看板のある分岐へ。

11時 5 分、駐車場に戻ってきた。

駐車場にはおそらく地元の人たちであろう、芝刈りの作業の人たちがたくさんおられた。朝に私の後に来た車はすでに無く、他には一般車は停まっていなかった。

朝から塩アメ1個だけしか口に入れていないので、ここで少しゆっくりしようと思っていたのだけれど、芝刈り作業の方がたくさんおられるので、早々に出発した。

時間があるので北へ向かって、「みかた温泉きららの湯」へ行った。入り口で体温検査をされた。

露天も岩風呂で、水風呂もあって、お湯はあまり温泉ぽく無かったけれど、まぁまぁでした。

わずか3時間半の山行だったけれど、思いのほか満足感があった。後半がルートファインディングをしながらだったので、それが楽しかったのだろうと思う。

実は先週の葛城散歩でも高宮廃寺跡を目指していてヤブで道が無くなった時、何となくアドレナリンが出ているのを感じていた。

もはや岩場の危険な場所には行きたいとは思わないけれど、この程度のルートファインディングは多少はあった方が楽しい。ただしヤブが濃い場所では悲惨なことになるので、事前調査は必須です。