吉野山散歩

※吉野郡は奈良県の面積の半分以上を占める広大な地域なので、桜で有名な吉野地区のことをここでは「吉野山」と表します。

吉野山の街は何度も歩いている。

しかしいつも山の行きか帰りなので、時間をかけてゆっくり見て回ったことは無い。

いちど街歩きを主目的にして訪れてみたいと思っていたが、なかなかいいタイミングが無かった。

翌日に講座の仕事が入っている 10/4 の日曜日、あまり疲れが残るような山行きは躊躇する日で、しかも天候もちょっと不安定な感じだったので、これは格好のチャンスだと思った。

こんな時でもなければ立ち寄らないような場所もいくつかピックアップしていたので、気楽な気分で出かけることにした。

司馬遼太郎のような文章が書けるわけはないけれど、気分は「吉野山散歩」である。

家から2時間半かかってようやく六田(むだ)駅に着いた。車ならこの時間帯であれば1時間半あれば来られるのだけれど。

8時23分に六田駅を出発した。しばらく国道を走って、まずは「柳の渡し」。奥駆道の北端で、逆峰(吉野から熊野に向かう時)の時はここで身を清めて修行に入る。元々はもう少し上流にあったらしい。

美吉野橋を渡って吉野川の左岸へ。役行者の像がある。奥駆道75靡の75番目。

この先を左に曲がってわずかで行者堂があるはずなのだが、なかなか見当たらない。そこから旧道に入るので、不安になって細い道を適当に入った。

山の斜面の畑の畦道で、少し登ったら畑作業をされているご夫婦がおられたので「吉野神社へ行く古い道はどこですか?」と尋ねたら、「そういう道は知らないけれど、前の道はずっと続いている」とのことだったので、斜面の上に向かって細い踏み跡を進んで行った。

しばらく登ると少しはっきりしてきて、テープもいくつか出てきた。

左に車道が見えたので、これが吉野神宮へ行く道だと思って車道に下りたが、どうも様子がおかしい。すぐ先にゲートがあって通れなくなっている。

細い道が分かれていたのでそちらに進んだところ、まもなくヤブになった。そして強引に進むと太陽光発電の大きな場所に出た。

今回はコース全体の地図は持ってきておらず、ポイントの周辺を拡大したものしか用意していない。

gps も画面が小さくて、自分のいる場所がはっきりわからないので、スマホも使って確認したところ、何と、吉野神宮の西の左曽川のさらに西にいることがわかった。

美吉野橋を渡って左に曲がって、すぐに行者堂があると思い込んでいたが、帰ってからその本(新吉野紀行・桐井雅行著)を見直すと「すぐ」ではなくて「しばらく」と書いてあった。

左曽川を越えてから山道に入らなければならないのに、その前に斜面に入ってしまっていたのだ。何たること!!

結構進んでいるけれど、諦めて戻ることにした。先ほど出会った車道で本来の道に出会えそうなので、そこをジョグで戻った。

しかしここでまたもやミス。吉野神宮に向かう車道が2本あって、ここからだと大回りになる方に入ってしまっていた。

諦めてこのまま進むかどうか思案したが、また戻って本来の道に向かうことにした。

車道を忠実に辿ると大きなヘアピンカーブを登らなければならないのだけれど、ちょうどカーブの始まりあたりで斜面の上に向かって細い道が伸びていたので、ショートカットできるかもと期待してそこに入った。正解でした!!。

車道を進むとほどなく行者堂が現れた。私が読んできた本は 1996 年の出版で、その後ここに移設されたようだ。

本に紹介されていた旧道の「一之坂」もわからず、そのまま車道をジョグで進んだ。

9時58分、ようやく吉野神宮に到着した。

後醍醐天皇が祀られているが、明治になってから創建された神社なので、それほど長い歴史があるわけではない。

昔はこのあたりに「丈六山」という74番目の靡があった。

また車道をしばらく進んで「村上義光公の墓」。

村上義光(むらかみよしてる)は大塔宮護良親王が北条幕府とこのあたりで戦った時、護良親王の身代わりとなって壮絶な最後を遂げた様子が太平記に残されている(らしい)。

急な登り坂を上がると下千本の駐車場に出る。ここの南にあるちょっとした小山が嵐山。

実は京都の嵐山はここが元祖。亀山天皇が吉野山の桜を京都に移し植えて、名称もそのまま移された。

そして、東側に谷を隔てて眺められる尾根が「ホウヅキ尾」。ここは尾根だが、京都の「保津峡」もこれが名称の由来。

ホオヅキ尾の向こうに龍門岳(左)と烏ノ塒屋山(右)

少し進んで、芭蕉の句碑。判読不能。

このあたりは駐車場に車を置いて歩いておられる観光客がチラホラ。コロナの影響もあるだろうが、元々吉野山は桜の季節以外は観光客はあまり多くない。

「攻ヶ辻」。対幕府軍との激戦地だった。

このすぐ先に「大橋」。元々は城を守るための堀に架けられていた橋。いつもは吉野駅から、左側に見える階段を上がってここに出てくる。

ここから先はもう何度も歩いた道。まずは黒門。金峯山寺の総門。

そして「銅鳥居(かねのとりい)」。日本三鳥居の一つ。

鳥居のそばにある行者堂の役行者像。

いよいよ金峯山寺へ。仁王門は相変わらず改装中。

手前が大塔宮御陣地の四本桜で奥に蔵王堂。

今日は拝観料を払って蔵王堂の中に入った。初めて蔵王権現像を眺めたが、正直仏像の価値はよくわからない。

石段を下って、吉野朝宮跡へ。

後醍醐天皇など南朝四帝の歌が彫られた五角柱の文字碑。

また境内に戻って、村上義光が壮絶な最後をとげた場所。

吉野山ビジターセンターは閉まっていた。

奥駆道ツアーをやったり、宿坊もやっている東南院。

何度か来たことのある吉水神社にも寄っておく。ここは昔は吉水院という寺だったが、明治の廃仏毀釈で神社になった。

後醍醐天皇や源義経の過ごした部屋を見てみたい気持ちもあったけれど、拝観料が 600 円もするので躊躇した。

今日の目的の大きな目玉はこの後にある。

古事記より・・・

『尾のある人、井より出て来たりき。その井に光ありき。
ここに「汝は誰ぞ」と問ひたまへば、
「あは国つ神、名は井氷鹿(いひか)と謂ふ」と答へ曰しき。
こは吉野首(よしののおびと)等の祖なり。』

神倭伊波礼毘古(かむやまといわれびこ–神武天王)が八咫烏に導かれて熊野から吉野にやってきた時の話で、井氷鹿にまつわる伝承のある井光(いひか、いかり、いひかり)神社が吉野山周辺に何箇所かある。

「役行者–修験道と海人と黄金伝説(前田良一著)」によるとそのうちの二箇所がこの近くにあるとのこと。

メインストリートから横道にそれて、行き止まりになった場所のそばに古びた祠があった。

前述の著書の写真では標柱に「井光神社」の文字が読み取れたが(出版は 2006 年)、もはや判読不可能だった。祠も手入れされているようには見えず、遠からず倒壊するのではないかという感じ。

メインストリートに戻って少し進むと勝手神社があって、その前の道から右への石段を下ると大日寺。村上義光・義隆父子の菩提寺。

勝手神社の境内には、静御前が義経の無事を祈って舞った場所といわれる舞塚。

少し進むと右側に「井光神社八幡宮」。ここは手入れはされているようだが、境内も無く、囲いの向こうに祠があるだけ。

吉野川右岸の川上村井光にも井光神社がある。ここはもう少し立派な神社のようだが、まだ行ったことが無い。

お次は喜蔵院。宿坊をやっている。中に入るのは初めて。これは本堂。このあたりの寺はみんな修験道の寺なので、本堂の前に護摩を焚くための場所が設えられている。

そして今回の大きな目的の一つが善福寺。

この本堂の裏の斜面を下ると、井氷鹿が出てきたと云われる井戸がある。

「井氷鹿の井戸」の伝承地も実は三箇所ある。詳細は後ほど。

次に桜本坊へ。

役行者の下駄に乗ってお参り。

そして竹林院へ。

さらに進んで天王橋。ここも城の堀にかけられた橋。

当初は水分神社あたりまで行くつもりだったが、序盤のミスで余計な時間と体力を浪費してしまったので、ここから如意輪寺へ向かうことにした。

山道に入って少し行って、五郎平茶屋跡。

谷の向こうに如意輪寺が見える。

谷に下ってから登り返して如意輪寺へ。

宝物殿には入らずに後醍醐天皇陵へ。

石段を引き返して、車道を吉野駅に向かう。この道はちょうど一年前に辿った

吉野駅前からケーブルの駅の横を通って幣掛(しでかけ)明神へ。ここもこれまでは前を素通りするだけだった。

「一之行場」となっているが、奥駆道からははずれている。飯貝からここを通って七曲りを上がって大橋に出る経路は昔から一般的だったもよう。

ここにも行者堂がある。

また車道に戻って飯貝へ向かう。目指すは飯貝の水分(みくまり)神社。その目的は・・・。

ここにも「井光の井戸」があります。

神社の境内まで行ってみたが、肝心の井戸がどこかわからない。

境内の奥にヤブに入っていく踏み跡があったが、すぐに消えてしまった。

仕方なく参道を戻ったところ、先ほどの看板の向かいに危なっかしい板の道が下に向かっていた。

50m ほど下るとありました。

標柱の文字はもはや読めない。「神武天皇」という文字がかすかに残っているようだが。

私は神武天皇の実在を信じているわけではないが、日本の神話は何かその起源になるような人物や出来事があったのではないかとは思っている。

井氷鹿の「尾のある人」というのも、山伏や山仕事をやる人がお尻に着けている毛皮のことではないかという説もある。

私は学者ではないので史実を探究しようという気持ちはあまり無くて、一種のロマンとしてこういう伝承を楽しんでいる。

そして今日、最後の訪問地は本善寺。

今、吉野山では「寺宝めぐり」という行事が行われているのだが、ここはそれには含まれていない。

蓮如上人が創建した真宗の寺で、真宗を普及させようとして金峯山寺とは何度も諍いを起こした歴史がある。

山肌の墓地の一番上には蓮如上人の御廟がある。

これで今日の予定はすべて完了。上市の街並みを見下ろしながら上市駅に向かう。

午後2時37分、大和上市駅にゴールした。

次の電車が数分後だったので大慌てで上だけ着替えて、ホームに入ってきた電車に飛び乗った。一人打ち上げのビールが楽しめなかったが、駅に来る途中も買えそうな所は無かった。

吉野山のお寺のほとんどは中に入るのに拝観料が必要になる。だいたい 500 円。今回は金峯山寺だけは入ったが、他には入らなかった。

仏像に興味や知識のある人には値打ちがあるのかも知れないが、寺の大きさから考えると 500 円はずいぶん高いように感じる。

「寺宝めぐり」で紹介されている寺が9箇所あって、吉水神社を含めると 10 箇所になる。全部入ったらほぼ 5000 円。いくら何でも高すぎる。

本気で集客したいのであれば割安のチケットなども考えた方がいいのではないかと思った。

個人的には満足できる一日でした。

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