沼島

7/24(木)は今回の旅のメインイベントの沼島(ぬしま)へ。

灘漁港へ向かう途中の道から。

ターミナルに到着した。

時刻表の発着港を見間違えていて、出港が10時半になってしまった。

島まではほんの10分ほど。

上陸。

島の観光案内図。

いちばん外側のピンク色のルートが一周コースで、約7.9km、標準時間4時間とのこと。

ターミナルで準備を整えて、10時45分に出発した。

案内には標識が整備されているので迷うことはないと書かれているが、そんな標識はどこにも見当たらない。

右の坂道を上らなければならないのだが、少し行き過ぎてから戻った。標識はリゾートホテルのもの。

しばらく登るとハイキング道らしくなってきた。

それにしても暑い。日除けの薄い長袖ジャケットを羽織っているが、すでに汗でじっとり。おおむね木陰になっているのがせめてもの救い。

ところどころに捕獲用の檻。イノシシだと思う。

45分ほど歩いて初めて道標に出会ったが、倒れている。

草刈りなどの手入れはされているが、歩いている人は極めて少ない感じ。

八十八ケ所の霊場のお地蔵さんが出てきた。明治時代に整備されたらしい。

沼島灯台。

山ノ大神社への鳥居。足元は草が茂っていて、短パンで来たので神社までは行かず。

12時過ぎに上立神岩(かみたてがみいわ)の近くまで来た。いびつな交差ポイントなのだが標識は何も無し。

上立神岩は海なので下っている方に向かったが、実は反対だった。GPSでしっかり確認しないといけない。

少し登ったら展望場所に出た。

ここからは上立神岩は見えないので、海岸の方に下っている細い道を下ったら、ようやく上立神岩がお目見えした。

『伝説によると、イザナギとイザナミの2柱の神がオノゴロ島に降り立ち、イザナギが左から、イザナミが右から天の御柱(あめのみはしら)を回って婚姻を行おうとしたが、その方法を知らないことに気づいた。そのときセキレイが2羽舞い降りてきて、付近にある「ゆるぎバエ」(揺波培)という岩礁の上にとまって尾を上下に揺すってイザナギとイザナミに方法を教えたとされ、上立神岩が天の御柱のモデルであるといわれている』(Wikipediaより)

上立神岩のそばまでは行けない。道の最終地点から。

その後、30分ほど歩いたら道標が現れた。

今日のコースの最終目的地はおのころ神社で、そこに直接行ける道があるもよう。しかしそうすると一周コースの最後をカットすることになってしまう。

今日のコースはさほどハードではないけれど、半端ない暑さにはかなりやられている。

どうしようかと迷ったが、もう最後なので一周コースを完歩することにした。

その後、10分少々で海辺まで出てきた。

しばらく歩くとおのころ神社への案内板。

実は他に立派な表参道があるのではないかと思いながら細い道を上ると長い階段が現れた。

熱中症一歩手前のような状態でこの階段は厳しかった。途中で一息入れながらやっとの思いで上がった。

拝殿を回り込んで本殿へ。

すぐそばにイザナギとイザナミの像。

水分補給したかったが、立ち止まるとアブが寄ってくるので、早々に退散した。

沼島八幡宮の石段は上がる気になれず。

神宮寺も下から眺めるだけ。

ちょっと頭がぼぉっとしてきたので冷房の効いたターミナルに早く入りたいと思ってきた。

ところがそのせいか、ターミナルの真ん前を通ったのに気が付かずに先に進んでしまって、何やら見覚えのある風景。

GPSで確認したらやはり朝に歩いた道だった。

2時前に無事、ターミナルに戻ってきた。

2時40分の便で淡路島に戻る。

灘漁港に戻ったら港の近くの小さな店でお好み焼きをいただいた。地元のなじみ客だけがお客さんというような雰囲気の店で、私が入った時は他の客はゼロ。

少ししたら馴染みという感じの男性が入ってきて店の女主人と世間話を始めた。

そういう和やかな雰囲気になったせいか、デザートにコーヒーゼリーとアイスコーヒーをサービスしてくれた。

具たっぷりのミックスお好み焼き800円でした。

沼島一周で結構疲れたので、帰りはすんなり高速で帰ることにした。

淡路のサービスエリアでお土産を購入。行く前に見ていた、サービスエリアにあるという石碑はここにありました。

中国吹田ICまではスイスイだったが、それ以降は家までほぼずっと渋滞だった。

淡路島

イザナギとイザナミの国生み神話において、いちばん最初に造られたのが淡路島ということになっている。

ということで、その神話のゆかりの地を訪ねてみようと思った。

7/23(水)は淡路島本島をぐるっと回って、翌日に沼島(ぬしま)に訪れることにした。

時間は余裕があるのだが道の渋滞を懸念して、朝の5時半に家を出た。

道はスイスイで、2時間少々で明石海峡大橋を渡った先の淡路のサービスエリアに到着した。

ここで高速を降りてすぐそばの岩屋漁港の駐車場に入った。

駐車場のすぐそばに柿本人麻呂の歌碑がある。

すぐそばの岩山が大和島。

大和島という名称は後世につけられたもので、歌碑の解説にあるように、人麻呂が「大和島」と歌ったのは遠くに見える故郷の生駒や葛城山などの山々のこと。

駐車場からは指呼の距離に絵島(えしま)が見える。

絵島は今回の旅の重要訪問地の一つ。

島のそばには西行の歌碑がある。

「千鳥なく 絵島の浦に すむ月を 波にうつして 見るこよいかな」

絵島を近くから見ると、

橋の向こうにフェンスがあって、そこから先は立ち入り禁止。

フェンスのそばに説明板がある。

「太古、イザナギ・イザナミの二神が、国づくりの最初に生まれた国が「オノコロ島」であり、淡路島を指すとされていますが、この絵島であるという説もあります。

島の頂上にある石塔は、平清盛の兵庫築造の祭に、人柱となった侍童、松王丸の菩提を弔うために建てられたものと伝えられています。

この島は、砂岩でできており、もとは陸つづきでしたが波の作用によって島となりました。

この自然が生み出した絵島は、周囲の山水との調和も見事で、特に夜景は「海に浮かぶ光の舞台」として、神秘的な姿で人々を魅了します。

島の美しさは万葉の昔から歌い詠まれ、多くの人々に愛されています。」

前の車道を少し進むと左側に恵比寿神社。

本殿。

そしてこの奥に岩樟神社。

ヒルコ(水蛭子、蛭子神、蛭子命)は不具の子に生まれたため、葦船に入れられオノゴロ島から流されてしまう。

洞窟の反対側は何と物置!!

駐車場に戻って次に向かう。駐車場は1時間以内は無料だった。

今日の目的地は他にもいくつかあるけれど、すんなり向かうと時間を持て余してしまうので、とりあえず海岸線を反時計回りに下道で走ることにした。

まずは明石海峡大橋の真下にある「道の駅あわじ」で時間潰し。

まだ時間が早いので店は開いていない。

橋を見上げる。

対岸には須磨浦公園。

地図を見ていたら北淡歴史民俗資料館というのが見つかったので行ってみることにした。

50年から100年前くらいの時代の生活用具などが展示されている。先日の青森の「深浦町歴史民俗館・美術館」と同じような内容。一日に何人くらいの人が訪れるのだろうか。

そして今日の目的地の一つの伊弉諾神宮へ向かった。平日の午前中だが、ここはそれなりの人が訪れていた。

『わが国最古の歴史書「古事記」や国史「日本書紀」は天地(てんち)開闢(かいびゃく)の説話から始まる。「天地(あめつち)はじめて(ひら)けしとき」に、高天地に造化(ぞうくわ)三神が現はれ、続く神世七代で現れた伊弉諾尊(男神)と伊弉冉尊(女神)に、「この(ただよ)へる国を修理固成(つくりかためな)よ」と命ぜられた。

二柱神は(あめの)浮柱(うきはし)に立ち、天沼(あめのぬ)(ほこ)で大海原をかき回し、矛の先から滴り落ちた(しずく)が「()()()()島」となる。

この島に降り立った二神は、夫婦(めおと)の契りを結び、国生みの儀式を行ひ、最初に誕生したのが淡路島(淡道之(あはぢの)穂之狭(ほのさ)(わけの)(しま))で、続いて四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州と生まれ、「大八洲(おほやしま)」といふ古代日本の国土が出来上がった。』(伊弉諾神宮ホームページより)

さざれ石。

橋を渡って正門へ。

正門。

拝殿は工事中でした。

本殿を横からのぞくと、

本殿の横には夫婦大楠。

そしてここにも蛭子神の岩楠神社。「楠」の字が先ほどの神社は「樟」だった。

お次は景勝地の慶野(けいの)松原へ。駐車場が700円という文字が目に入って、あわててUターンした。それほど長居するつもりはないので、少し離れた場所の広いスペースに停めた。

浜辺沿いに高そうなホテルがいくつか並んでいた。

ここへ来た目的は柿本人麻呂の歌碑。

「飼飯の海の庭好くあらし刈薦の乱れ出づ見ゆ海人の釣船」

”飼飯(武庫)の海の海上は穏やからしい。漁をする漁師の釣船が波の上遠く見える”

このあたりは日本有数の瓦の生産地らしい。

そろそろ昼時なので「うずの丘 大鳴門橋記念館」に向かった。夏休みのせいか平日なのに駐車場に入るのに少し待たされた。

うず潮は見えない。

食事処は混雑していて、おまけに躊躇する価格帯なので、うずしおドームなないろ館に向かった。

咸臨丸。

ここのレストランはあまり混んでいなかったので、たまねぎそうめん(1000円)をいただいた。

そして「淳仁天皇 淡路陵」へ向かったが、google map のナビでとんでもない細道(畑の畦道)に追い込まれてあせった。こんなところで脱輪でもしたりしたらJAFの車が入ってこれないと思う。

google map の細道案内は有名で、私もこれまで何度か怖い目に逢ってきて、そのたびにもう使うのはやめようと思うのだが、目的地検索の能力が他とは桁違いに高いので、結局戻ってしまう。

「淳仁天皇 淡路陵」は淡路島で唯一の天皇陵。淳仁(じゅんにん)天皇は藤原仲麻呂の力で天皇になったが、仲麻呂の乱の失敗で仲麻呂が倒されて後ろ盾を失い、孝謙上皇によって廃位されて淡路島へ流された。

幽閉状態から脱出しようとしたが失敗して、その後に亡くなった。殺されたのだろうと言われている。

しばらく歴代天皇の一人とは認められてこなかったのだが、陵は同時代の他の天皇陵と変わらない立派なものだった。

今日、最後の訪問地は自凝(おのころ)島神社。ここもイザナギとイザナミが祀られている。

昭和57年に建てられた鳥居は巨大だが、神社そのものは小さい。

鶺鴒(せきれい)石。

正殿。

その後、コンビニでコーヒーを飲んでからホテルにチェックインした。

帰阪

7/3(水)はついに最終日。この7日間で電車を1200kmくらいは乗ったと思うので、帰りは一気に飛行機で。

いろいろ調べていたら青森から大阪へはおおむね3万円くらい。ところが神戸空港行き2万円というのが見つかったので、これで帰ることにした。

午前中には空港に行くので、青森での時間は2時間くらい。

特にこれと言って行きたいところはないのだが、前回は行かなかった太宰の下宿地が近いところにあるのをふと思い出した。

ホテルから10分くらいだった。

その後、港の方に向かっていたら雨が降ってきた。

青森港の公園へ。

雨はほどなく止んだ。

東屋でしばらくのんびりしてからそばの物産館へ。

お土産を買ってから駅に戻って、リムジンバスで空港に向かった。

バスの窓から八甲田山。

40分ほどで空港に到着した。

空港の展望エリアから八甲田山。

乗ったのはフジ・ドリーム・エアラインズという会社の便。

LCCとはサービス内容が若干違って、荷物は20kgまでなら追加料金無しで預けることができる。

左右2席ずつの小さめの機体だが、以前に乗ったPeachなどに比べると若干席の幅が広いように感じる。

ちょうど左側の窓際の席だったので、八甲田山を眺めながらの離陸となった。

ほどなく雲の上に出た。飛行機からこういう景色を眺めるのは初めてかも。

機内サービスが出てきた。

東北の日本海側のどこか。

1時間半ほどで神戸空港に到着した。須磨浦公園が見える。

ポートライナーで三ノ宮へ。

5時頃に家に帰ってきて、8日間の東北電車旅が終了した。

黒石、そして青森へ

7/1(火)はたっぷり時間がある。

安価に泊まれるホテルを探した結果、昨夜は弘前で、今日は青森泊。弘前から青森まではJRの普通列車でも1時間足らず。

青森にはさほど行きたい場所が見当たらないので、3年前に一度訪れた「太宰治まなびの家」などを再訪してみようかと考えたのだが、イザベラ・バードが黒石に滞在していたことを思い出した。

ここでバードは通訳の伊藤をつけずに、人力車をやとって一人で郊外に出かけている。

バードが訪れたのは中野神社と温湯(ぬるゆ)温泉。

ただ、いずれも黒石の中心から10kmほど離れていて、バス便も一日3本程度で、これでは半日程度で往復することは不可能で、歩くには遠すぎる。

黒石の古い街並みを散策するくらいが関の山かと思っていたら、観光案内所で自転車が借りられるということがわかった。

観光協会の開くのが9時なので、それに合わせて弘南鉄道で黒石に向かった。

40分ほどで終点の黒石駅に到着した。

観光案内所は駅のすぐそば。

建物の前にママチャリが2台だけ置いてあった。

最近はレンタサイクルでも電動自転車があったりするのだが、ここの自転車は超シンプル。ただしヘルメット付きで500円なり。

google mapを見ながらまずは中野神社を目指す。

郊外に出るとおおむね登り基調で、おまけにわりと向かい風があって、この自転車では本当に苦しかった。

1時間ほどかかってようやく温湯温泉の入り口まで来た。

帰りはここに出てくる予定。

汗まみれになってさらに10分ほどかかって、ようやく中野神社に到着した。

ここは紅葉の名所らしい。

自転車を置いて、石段を下ると不動の滝。

「・・・・、森の中の大きな滝は雪の降るように白く輝きながら下の黒い滝壺に飛び散り、遠く旅をしてやって来る価値が充分にあるにちがいない。これほど私を喜ばせてくれたものを今まで見たことがない。」

「美しい橋があり、二つのすばらしい石の鳥居がある。きれいな石灯籠があって、それから壮大な石段の急な坂を登って山腹を上る。それは杉の並木で小さな神社に至る。」

本殿。

本殿の横にもみじ山への石段があった。

観楓台(かんぷうだい)。

そして温湯温泉へ。

おそらくバードが入ったであろう、鶴の名湯。

私も入りたい気持ちは山々だったが、フロセットは持ってきていないし、入ってもすぐに汗まみれになるのは目に見えているのであきらめた。

こんな郊外の小さな集落の中なのだが、平日の午前中にもかかわらず、私が写真を撮ったりしているわずかな間だけでも二人ほど入浴客があった。

坂道を上がって国道に出た。

行きに1時間かかった道を40分くらいで帰ってきた。

黒石観光の中心地の「中町こみせ通り」。

黒石はやきそばが有名らしい。「つゆやきそば」というのが特に有名だそうで、ちょうど昼時なので看板のかかっている店に入ってみた。

和そばのような麺がソース味の普通のやきそばのように調理されていて、その上に和風出しがかけられいる。

「まずはかきまぜる前に和風出しを味わってほしい」というアドバイスで一口すする。ごく普通の味。そして麺を口に入れるとソース味。

奇妙な取り合わせだがなぜかおいしい。

満足したが、また食べたいかと聞かれると微妙。

店を出たら雨が降ってきた。近くに広場があったので、そこの東屋で雨宿りした。

黒石から青森へはバス便があるので、それで青森に向かおうと思っていたのだが、バスまではまだ1時間くらいある。

雨では時間潰しも難しいので、また電車で弘前に戻ることにした。弘前からJRで行っても、青森までのトータルの交通費はバスよりも若干安いくらい。

雨具のジャケットを着て観光案内所に戻ったが、本降りだった雨はあっさりと止んでしまった。

弘前では電車の乗り換え時間がたっぷりあったので、駅のそばのコンビニでコーヒーを買って、駅前の広場で時間潰しした。

弘前駅から青森駅までのJR乗車券はICカードだと682円、キップを買うと680円だった。この値段の違いはなぜ? ICOCAカードが使えたので682円になった。

青森駅もこれまで通ってきた大きな町の駅と同じ雰囲気だった。

翌日のリムジンバスの乗り場と時刻表をチェックして、ホテルにチェックイン。

京都から青森まで、電車を乗り継いで7日かけてやってきた。1200kmくらい?

夕食はチェーン店ぽい居酒屋へ入ったが、今度は納得できる内容だった。

金木へ

6/30(月)はクライマックスでいよいよ太宰の故郷の金木まで行く。

ホテルで朝食をとって、深浦駅に向かう。2.6kmの道のり。朝食がたっぷりだったので腹ごなしの散歩にちょうどいい。

港の一本杭。

地元の人たちがおしゃべりされている横を通りかかったが、まったく理解不能の言語だった。

駅の少し先にある大岩。あそこまで行っている時間は無い。

弘前行きの電車ではまたもやツアーの団体に遭遇した。

千畳敷。

11時頃に五所川原駅に到着した。

五所川原で思い起こすのは私の場合は陸上の福士加代子選手。

次の津軽鉄道まで1時間くらいあるので街に出る。

駅前の通りはやっぱり閑散としている

前回、来た時は気づかなかったのだが、太宰の『まちなか「思ひ出」パーク』という施設があるそうなので、行ってみることにした。

太宰が幼少の頃「母」と慕った叔母キヱの一家が、太宰の生家である金木の津島家から分家した際に建てられたもの。


平成23年(2011年)の解体まで現在の場所にあったもので、平成26年8月に再築されたとのこと。

小ぢんまりした施設だが、ビデオはなかなかいい内容だった。

そして駅に戻る。

電車に乗り込む。

行きは金木駅の一つ先の芦野公園駅まで行く。五所川原から30分ほど。

旧駅舎を活用して営業されている喫茶店の「駅舎」。前回は休日で入れなかったので、できることなら入っていきたいのだが、この先の予定の関係で諦める。

ここに来た目的は「川倉賽の河原地蔵尊」を再訪すること。

25分ほどでたどり着いた。

ここの地蔵尊堂は有名なのだが、前回来た時は閉まっていて入れなかった。

が、あとから考えたら玄関は閉まってはいたけれど、ひょっとしたら扉が閉まっていただけで、開けることができたのではないかという思いが湧いてきて、いつかぜひ再訪したいと思い続けてきた。

その地蔵尊堂まで行くと、扉が開いていた。

入り口に近づいたら中からお経をあげる声が聞こえてきた。

そっと入ってみると、どなたかがお勤めをしてもらっているようだった。

有名なお地蔵様はこの裏側にある。

ここにいていいのかどうか心配だったが、間もなくお勤めが終わりそうな感じだったので、そのまま静かにして待っていた。

そしてお経が終わってお坊さんのお話しが始まったタイミングで、そっと横を通って裏側へ行ってみた。幸い、何も言われなかった。

これを見るためにわざわざここまでやってきたのだ。大満足だった。

満足感に満たされて、お次は金木の「太宰治 思い出広場」へ。

25分ほどで到着した。前回は来なかったところ。

こんなところ。

そして雲祥寺へ。

太宰が幼少の頃、女中のたけに連れられてしばしばここを訪れて、展示されている地獄絵を見せられて、道徳を教えられた。

ここは前回も来たけれど、その地獄絵は見られなかった。本堂に入らなかったのか入れなかったのか、よく覚えていない。

今回は入りました。

「・・・・。嘘を吐けば地獄へ行つてこのやうに鬼のために舌を拔かれるのだ、と聞かされたときには恐ろしくて泣き出した。(思ひ出)」の図。

太宰の生家の斜陽館はこのすぐそば。前回来た時は外装が改装中だったが、今日はきれい。

前回はコロナ中なのにわりと混雑していたが、今日は何故か閑散としていた。しかし今日は入らなかった。

近くの土産物店で昼食用にサンドイッチを買って、駅の休憩室で食べた。

五所川原への電車でまたまた団体客に遭遇した。

ホームから岩木山。

電車では団体客がいたせいか、車中でアテンダントの沿線解説があった。ついつい車内販売のクリアファイルを買ってしまったが、今回の旅で唯一の自分のお土産になった。

五所川原での乗り換えはまた1時間ほどあった。駅の近くにコンビニがあったのを覚えていたのでコーヒーを買ってきて、駅の待合室でのんびりした。

弘前駅も立派だった。

駅の近くのホテルにチェックイン。

秋田での夕食を失敗したので、ホテルの近くにあった全国チェーンの居酒屋へ入った。こういう店なら大きくはずれることはないだろうという期待で。

が、またもやはずれだった。

メニューにスプリングバレーがあったので注文したら、今日は無いとのこと。注文したつまみと出てきた付き出し(枝豆)が似たようなもので、そこそこボリュームもあったので、それだけでお腹いっぱいになりそうだった。

川倉賽の河原地蔵尊と雲祥寺で非常に満足のいく一日だったのだが、最後ががっかりだった。

深浦へ

6/29(日)は深浦へ向かう。

深浦は太宰が「津軽」執筆のために津軽半島を旅した時に泊まっており、疎開のための帰省の時にも再訪しているところで、ここにはぜひ泊まってみたいと思っていた。

移動距離は少ないので、途中で時間潰しをしながらゆっくり向かう。

ホテルは朝食付きだったが、コーヒーはインスタントしかなかったので駅のコンビニで買ってコンコースのベンチでゆっくり飲んだ。

時間潰しに八郎潟へ立ち寄ってみる。

かつて湖だったあたりに向かって歩いて行く。

町役場の建物は立派。パリ・オリンピックでバドミントンのダブルスで銅メダルを取った志田千陽(しだちはる)選手は八郎潟の出身らしい。

見渡す限りの田んぼ。

かつての湖の場所まではまだかなりあるので、このあたりで引き返すことにした。

八郎潟駅から東能代駅まで奥羽本線に乗って、東能代駅で五能線に乗り換える。

五能線はリゾート列車の「しらかみ」がメインで、普通列車は本数が少ない。今日は日曜日なのできっとリゾート列車は団体客で混んでいるだろうし、そもそも今回の旅の目的にはそぐわないので、数少ない普通列車で深浦に向かう。

白神山地への入り口の駅でたくさんの人が降りていったが、その3倍くらいの団体客が乗り込んできた。まさかこんな普通列車にツアー客が大勢乗り込んで来るとは思わなかった。

日本海の海岸線は時たましか見えない。

12時過ぎに深浦駅に到着した。

例の団体ツアー客も深浦で下車したが、駅に迎えに来ていたバスに乗り込んでいた。

駅の近くに焼肉とラーメンの店があった。この先、昼食を取れる店がどのくらいあるかわからないので、ここで食べておくことにした。ラーメンと小どんぶりのセットにしたが、満腹になった。

目的地の「ふかうら文学館」に向かって、おそらく深浦町のメインストリートであろう車道を歩く。商店街のようなものはまったく無し。

ここの町役場も立派。

左側に「深浦町歴史民俗館・美術館」があった。

今日は深浦のホテルに泊まるので、まだまだ時間はたっぷりある。どうやって時間を潰そうかと考えていたところだったので、ちょっと覗いてみることにした。

入り口に看板があって、深浦の3つの施設に入れる共通券が600円(個別だとそれぞれ300円)とのことだったので、それを買って入ることにした。主目的のふかうら文学館もそれに含まれている。

美術館はまったく知らない人の作品。正直、絵画を楽しむ素養は持ち合わせていない。

博物館は昔の生活用具などが並べてあるだけで、あまり興味を惹かれるものはなかった。

唯一、おもしろいと感じたのは、古い新聞のこの広告。

戦前にはこんなものが市販されていたのだ。戦前は売春は合法だった。

ここで深浦の観光案内パンフレットをもらったので、それを眺めながら歩いて行く。

少し行くと猿神鼻洞門。

昔はこのすぐそばまで海だったようで、向こう側へ出るために掘られたトンネルのあと。向こう側は、

深浦港。

目指すふかうら文学館はかつて太宰が泊まった「秋田屋旅館」だった建物。

駅から1km少々だが、疎開の時は駅に到着したのが夜で、太宰の奥さんの津島美知子さんの「回想の太宰治」には、

「・・・・、まだかまだかというほど遠い。家並も見えぬ暗い夜道を、太宰は、同じ列車から降りた中年の人と道連れになって、元気よく先立って歩いてゆくが、そのあとに赤ん坊を背負い、四つの子の手をひいてとぼとぼ従いながら、私は次第に恨みがましい気持になってきた。」

と書かれている。

文学館は2階のみで、この建物は地元の人たちの図書館も兼ねている。

隣の部屋には自筆の手紙や葉書がいくつか展示されていた。10分ほどのビデオもなかなかいい内容だった。

他に大町桂月の間、成田千空の間というのがあったが、いずれも私はまったく知らない人で、さらっと眺めただけ。

お次は風待ち館。

入るまで何のための施設なのかわからなかったのだが、北前船の歴史を展示した施設だった。

深浦は北前船の寄港地として栄えた。

展示内容もビデオの内容も充実していた。特にすごかったのがこれ。

以前にテレビの番組で少し見た記憶があるのだが、今はこんな立派な仏壇を作れる職人はいないという話だったと思う。

予想外の充実した内容に満足して、ロビーで缶コーヒーで休憩してから、すぐ隣りの円覚寺に行った。

このお寺のことは太宰の「津軽」で紹介されている。

宝篋印塔。

本堂。

本堂の裏側に寺宝館があって、有料(500円)で解説付きの案内があるのだが、どうも先客があるようで、まぁいいかなという感じ。

まだ3時半だが、意外と時間潰しができたのでホテルに向かう。

少し歩いたら右手に岡崎夕陽展望所という案内があったのでそちらに向かったみたが、閉鎖されていた。

ここから海の方を見ると弁天島という突起があって、上の方に手すりのようなものが見えるので行けるはず。

海岸の方に降りられる道があったので海岸に出てみたら、弁天島に行けそうに見えた。

もうすぐそこ。

上に上がって海を眺めてみた。

ホテルはこの近くだった。

チェックインしたらさっそく温泉で汗を流した。

鳴子温泉から秋田へ

6/28(土)は新庄から奥羽本線で秋田に向かう。

陸羽東線は昨年7月の大雨の影響で、鳴子温泉から新庄までは代行バスでの運行になっている。

9時前のバスで新庄に向かう。

出発時は10人くらいの乗客だったが、途中でどんどん乗客が増えてきた。まれに途中で下車する人もいた。実は地元の人たちにとっては大切な生活路線なのだ。

わりと混雑した状態になって、10時40分くらいに新庄駅に到着した。新庄駅は新幹線が来ているだけあって立派な建物だった。

山形盆地を北上して1878年7月に新庄に到着したイザベラ・バードは、新庄のことを「みすぼらしい町(a wretched place)と書いている。

戊辰戦争で城下が焼き払われた新庄の戦いから10年くらいなので、まだその余韻が残っていたのであろう。

次の電車まで30分くらいだったので街には出なかったが、駅のコンビニでお昼用のサンドイッチを買った。

次の電車でまずは院内に向かう。

バードは金山を通っているが、奥羽本線は真室川沿いで院内に向かう。

院内で秋田行きに乗り換えて飯詰で下車した。

バードは横手の北にある六郷という集落で、裕福な商人の葬儀に参列する機会を得た。葬儀が執り行われたお寺の名前は記していないが、記述内容から推測すると本覚寺に違いないとのこと。

ちょうど今回の旅のルートの途中なので、下車してこのお寺を訪ねてみようと思った。

駅から片道約4km。次の電車まで2時間少々なので、頑張って歩けば何とか往復できそう。

帽子をかぶってサングラスをして、単調な車道を淡々と歩く。

駅から45分くらいで本覚寺に到着した。

近年に改築されているようで立派な建物である。

本堂からはお経の声が聞こえてきた。

バードは茶屋で日本の着物を借りて、頭巾をかぶって参列したため、外国人とは気づかれずにすんだ。

葬儀のことは詳細に記述しており、「六郷のお寺は非常に美しい」と記している。

時間に余裕があるので帰りはあまり焦らずに同じ道を戻った。上部に雲のかかった鳥海山が正面に見えた。

そして次の電車で二駅先の神宮寺でまた途中下車。

バードはここから船で雄物川を下って秋田(その当時は久保田)に向かっている。

次の電車は2時間後と思っていたのだが、駅の時刻表を見たら1時間後に秋田行きがあった。雄物川まで片道1.5kmくらいなので1時間あれば往復できそうだ。

駅から15分ほどで川の堤防に出た。

河川敷の大きなグラウンドを抜けて、雄物川のすぐそばまで行った。

列車や車などの陸上交通が発達するまでは、船は最重要の交通機関だった。バードも「陸路だったら2日の長旅になったところを、わずか9時間が走破できた」と書いている。

今日、最後の電車で秋田へ。

午後5時過ぎに秋田駅に到着した。ここも立派な駅だが、甲府、郡山、仙台と、どこも同じ印象。どこに行ってもミニ東京ばかりだ。

まずはホテルにチェックイン。

ここは老夫婦とアルバイトで営業しているように見える小ぢんまりしたホテル。

私はホテルに泊まる時はいつもネットの予約サイトで予約するのだが、予約の際に住所、氏名などの個人情報を提供してるにもかかわらず、ほとんどのホテルでチェックイン時にもう一度住所氏名等を書かされる。

なぜこんな手間なことをしなければならないのかいつも不愉快に感じていて、こういうのが日本がデジタル化が遅れていると言われる一つの例ではないかと感じているのだが、今回の旅で唯一、このホテルだけがそういう二度手間をされなくて済んだ。

どう見ても顧客データをデジタル管理しているであろうと思われる大手のチェーンでもほとんど二度手間やらされるのに、こんな小さなホテルがそうではないというのはちょっと不思議な感じがするが、これまでの記憶でも意外と小規模の宿泊施設の方が二度手間やらされない傾向にあるような気がする。

一息ついてから夕食に出た。

せっかく秋田に来たので地元の料理を食べたいと思って、ここまで来る時にそういうタイプの店に目をつけておいた。ただ、土曜日の夜なので一人で入れるかどうか心配だったのだが、意外と店は混んでいなくてすんなり入れた。

今日はわりと歩いたので、ビールのあとには地酒でも楽しもうと思って、きりたんぽなどの地元料理のセットものを注文した。

しかし出てきた料理は非常に貧弱なものだった。がっかりして酒は飲まずに店を出た。

なぜこんなに空いていたのかよくわかった。おそらく地元の人は知っているから入らないのだろう。

何となく、こういう大きな町の方が質の悪い店が多いような気がする。

郡山から鳴子温泉へ

6/27(金)は鳴子温泉まで。

時間に余裕があるので仙台で時間潰ししようと思って、8時42分の電車で郡山を出て、福島と白石で乗り継いだ。

仙台には11時過ぎに到着した。駅ビルは巨大。

次に電車まで1時間半ほどあるので、仙台市歴史民俗資料館にでも行ってみようと思った。

駅前のメインストリートを歩いて榴岡(つつじがおか)公園へ。

大きな公園で、資料館は入った場所のほぼ反対側にあった。

旧陸軍の兵舎だった建物。

しかしすでに次の電車まで1時間くらいしかなかったので、入るのは諦めて戻った。

何とか昼食はすませたいと思って駅のそばのフードコートでまぐろねぎトロ丼をかきこんで、発車の数分前に小牛田(こごた)行きの電車に乗り込んだ。

電車はすでに満席状態だったが、二駅くらいでかなりの人が降りて、ほどなく座ることができた。

これまで上野からずっと東北本線で来たが、小牛田で陸羽東線に乗り換える。

最初は乗客は少なかったが、古川駅で東北新幹線と接続しているので、ここでたくさんのお客さんが乗り込んできた。

みんな終着の鳴子温泉まで行くのだろうと思っていたが、意外と途中の駅で降りるひとがいた。

鳴子温泉には午後3時過ぎに到着した。

鳴子温泉は2年前に来た

この時の印象がわりと良かったので、今回はぜひとももう一度ここで泊まりたいと思った。

まずは前回は訪れなかった温泉神社に行ってみる。

奈良時代からある温泉で、神社も式内社で格式が高い。

本殿。

少し戻って、ホテルにチェックイン。前回も泊まったリゾートホテル。

ホテルのすぐそばにある共同浴場のタダ券がもらえたので、一息ついてから行ってみた。

ここ「滝の湯」は湯浴みするだけのところで、小ぶりの浴槽が二つあるだけ。お湯は濁った濃厚な硫黄泉で気持ちよかったが、いささか熱かった。

ホテルに戻ってから夕食前にさらにもう一度風呂に行った。

食事はバイキングで、前回はアルコールもフリーだったが今回はアルコールは別料金になっていた。

満腹感がおさまったらさらにもうひと風呂。

前回もそうだったが、こういうホテルにしてはめずらしくWiFiのサービスが無い。

郡山へ

6/26(木)は甲府から福島県の郡山まで行く。郡山には特に目的があるわけではなく、普通列車を乗り継いで行くのに時間がちょうど良かったから。

前日にコンビニで買っておいたパンと牛乳、そしてコーヒーの朝食を取って、8時前の甲府発高尾行きの列車に乗り込んだ。

1時間半ほどで高尾に到着して、ここで東京行きの特別快速に乗り換える。

出発時点で満席になった。

通勤通学の時間帯は過ぎているのだが、関西での通勤ラッシュなみの混み方だった。

新宿から湘南新宿ラインで宇都宮に向かえばだいぶ時間短縮できるのだが、太宰は上野から東北本線に乗っているので、その経路を辿ることにする。

なつかしの母校(東京理科大学)。建物は50年前とは様変わりしている。

1時間ほどで東京駅に到着した。東京駅の構内はまるで百貨店のよう。昼食用におにぎりを買った。

東北本線で宇都宮へ。

2時間かかってようやく宇都宮に着いた。

すでに1時を少し過ぎているのだが、わりと乗客が多かったのでおにぎりを食べるのははばかられた。

次の黒磯行きは北に向かうのでおそらく空いているだろうと思っていたら、何と高校生の大群で大混雑。何でこんな時間にこんなにたくさんの高校生が?

そのうちにどこかの駅でどさっと降りていくのだろうと思っていたが、実は高校は複数あって、少しずつ降りて行くという状態だった。

5駅くらい行ったところで何とか座れたが、終着の黒磯まで乗っていた高校生もいたし、途中の駅で乗ってくる高校生もいた。何でこんな時間に?

この路線は避暑地の那須高原のそばを通っていて、まさかこんな場所に高校がいくつもあるとは思わなかった。

黒磯には2時過ぎに着いた。乗り換え時間が小一時間あるので、駅の待合室でようやくおにぎりにありついた。

そして白河へ向かう。今度は空いていた。

白河と言えばやはり「白河の関」が有名。奈良時代から重要な関として位置付けられていたが、現代人にとってはやはり高校野球だろう。

2022年の夏の大会で仙台育英高校が優勝するまで、東北勢は白河の関を越えられないと言われてきた。東北を飛び越して北海道の高校は何度か優勝しているのだが。

その白河で今日最後の列車の郡山行きに乗り換える。

午後4時半にようやく郡山駅に到着した。甲府から360kmほどの列車旅だった。

駅の近くのホテルにチェックイン。

今日は電車に乗りっぱなしでまったく運動していないので、夕食は駅のフードコートでラーメンと小どんぶりのセットで簡単に済ませた。喜多方ラーメンということだったが私はそれほどラーメン通ではないので、違いはあまりよくわからなかった。

甲府へ

太宰治は戦時中、東京の三鷹の借家で暮らしていた。

次第に空襲が激しくなり、妻子は奥さんの実家の甲府に疎開したが、三鷹のあたりも空襲が激しくなってきたため、本人も甲府に疎開することになった。

しかしその甲府にも米軍機がやってきて、疎開先の家が空襲の被害にあって住む家が無くなり、しばらく奥さんの親戚の家などを転々として過ごしたが、そんな生活をいつまでも続けるわけにはいかず、致し方なく太宰の生まれ故郷の津軽に一家で疎開することにした。

その時のことが「たずねびと」という作品に書かれている。

ここでの出来事はおそらく創作だと思われるが、記述されている津軽への道のりは真実だと思う。

その当時は上野から青森までの急行列車というのが運行されていたのだが、その頃の電車の混雑ぶりは殺人的で、小さな子供を二人連れた家族連れが乗り込めるような状態ではなかった。

やむなく途中までの普通列車を乗り継いで仙台の先の小牛田(こごた)までたどり着いたのだが、ここに至る途中での出来事がこの作品の舞台になっている。

ここまでは東北本線でやってきたのだが、青森の方も空襲で、このまま東北本線で行っても青森まで到達できるかどうかわからない状況だったので、ここから陸羽東線で山形の新庄に出て、そこから奥羽本線で秋田を経由して東能代へ。

ここで五能線に乗り換えて五所川原まで行って、そこから津軽鉄道で金木に至るという経路で実家を目指すことにした。

この作品を読んだのはわりと最近のことなのだが、読み終わってからこの経路を自分も電車で辿ってみたいという気持ちがにわかに湧いてきた。それも新幹線や特急は使わずに普通列車で。

太宰は4日かけて甲府から津軽まで行ったのだが、私は甲府から5日かけて行く行程にした。出発地点の甲府までは新幹線と特急で行く。

ということで6/25(水)に京都駅から新幹線に乗って、まずは名古屋駅にやってきた。

少し早めに着いて、きしめんを駅の立ち食いで食べた。

そして「しなの」で塩尻へ。

電車旅の特権でビールを買って乗り込んだのだが、飲んだ後の気分は今ひとつだった。

塩尻では乗り換え時間が3分しかないので心配だったが、何とか「あずさ」に乗り込むことができた。

「あずさ」ではめずらしく車内販売が回ってきた。まだ車内販売が残っている列車があるのだ。

韮崎あたりでは一時強い雨だったが、甲府に近づくにつれて止んできた。

甲府には午後3時頃に到着した。甲府に来るのは2年ぶり

コンビニのコーヒーを飲んで、武田信玄にご挨拶。

時間があるので舞鶴城へ。当然、信玄のお城と思っていたが、実は武田家滅亡後の秀吉政権の時代の築城とのこと。

鉄門(くろがねもん)。

天守台。

南の方を望むが富士山は見えない。

金峰山や国師も見えず。暑くてたまらず、ベンチに腰掛けて休憩した。

稲荷櫓はちょうど入り口が閉門されてしまった。

そしてホテルにチェックイン。

一息ついてから夕食は駅のそばまで戻って、前回行ったほうとうの店に行った。

「ほうとう」は「きしめん」の太いバージョンという感じで、お昼とかぶってしまった。

前回も苦労して完食したのだが、今日はビールを飲まなかったにもかかわらず完食できなかった。