椎間板ヘルニア手術 その6

ようやく担当医がやってくる水曜日になった。
午前の外来診察が始まる前に回診に来てくれないかとかすかな望みを抱いていたが、やはりそれは無かった。
昼食が終わってしばらくしてから外来の様子を見に行った。やはりまだ少し診察が残っているようだった。
ひまつぶしに院内を少し歩き回って病室のフロアに戻ったところ、担当医が廊下を歩いているのに出くわした。回診までもっと時間がかかると思っていたのでちょっとあわてた。
後で回診に行くとのこと。
しばらくしたらようやく回診に来てくれた。
傷口の具合は良好とのこと。
退院についてたずねたところ、明日もう一度様子を見て、良ければその次の日くらいという返事だったので、『明日ではダメですか?』と打診してみた。
少し躊躇されたような感じがうかがえたが、『明日、具合が良ければ退院しても良い』という返事をもらえた。
昨日あたりから傷口のピリッとした痛みもほとんど消えていたので、ようやく退院できると思ってほっとした。
次の日は担当医は外来診察日ではなかったので、わりと早い時間に回診に来てくれた。
傷口の最終チェックをしてもらって、ようやく本当の退院許可が出た。8泊9日の入院だった。
支払いなどの手続きを済ませて、荷物をまとめて、お世話になった看護師さんに挨拶をして、それからリハビリルームへ行ってリハビリを担当していただいた方にも挨拶をして、荷物を持って外に出た。あやしげな空模様だが、まだ雨は降っていない。ちょうど入院した時と同じような天気だった。
さて、これから家まで無事に帰れるかどうか、若干の不安はある。
荷物はザックなので、腰の手術をした後にザックを背負って大丈夫かどうか。それに自転車も若干不安がある。
ヘルニアの症状が出ている時は自転車は大丈夫だったけれど、腰の手術の後の自転車は要注意らしい。前屈みの姿勢が良くないのと、何らかのひょうしに足を着いた時の衝撃が腰に悪影響を及ぼすことがあるらしい。
そうは言っても乗って帰るしかない。歩くにしてもザックは背負わなければならないし、それなら自転車で早く帰った方が負担が少なくてすむだろうと思った。
ゆっくりと走り始めたところ、ザックの下の方が傷口に少し当たるようで、あのピリッとした痛みを少し感じた。これは耐えるしかない。
と思っていたら、入院した時と同じように、小雨が降り出してきた。
家までは道のりは思いのほか長く感じた。

椎間板ヘルニア手術 その5

手術後3日目は日曜日。そして翌日は祝日なので医師の回診は無いが、リハビリはあるらしい。
容態はもう安定しているので時間を持て余してしまう。朝と夕方に体温と血圧のチェックがあるくらいで、あとは 30 分間のリハビリのみ。
ただ、痛み止めが点滴から飲み薬に変わってせいか、身体を動かした時に時々傷口にピリッとした痛みを感じる。例えてみると治りかけている傷口が、身体が動いたせいで引きはがされるような感じ。
しかしずっとベッドで寝ているわけにもいかないので、時々院内を歩き回ってみる。階段の上り下りもやったり、外へ出て建物をまわりをぐるっと廻ったりもしてみた。
調子は上々だ。
歩けるようになったせいか、手術後に感じていた左足スネの違和感もほとんどなくなった。
となると、いつ退院できるかが気になってくる。
入院時に渡されたヘルニア手術のスケジュール表によると、最速では手術後5日目で退院となっている。私の場合にあてはめると、次の火曜日ということになるのだが、おそらく退院は前日に担当医が判断することになると思うので、月曜日が祝日なのでこれはムリだろう。
できれば水曜日にでもと思うが、担当医は毎日勤務しているわけではなく、火曜日は来られない可能性が高いので、これも難しいかも知れない。水曜日は勤務される日なので、この日の回診での判断が最速ということになるだろう。
水曜日の回診で、その場で『もう退院していいよ』と言われるのが理想だが、それはちょっと難しいかも。
それにまだ時たま傷口の痛みが出るので、これが落ち着くまではムリに帰らない方がいいような気もする。
時間つぶしは本と iPod と携帯ラジオ。そして備え付けのテレビ。
最近はラジオを聞くことはめったに無い。車で遠出する時も iPod ばかりで、たまに天気予報を聞くためにラジオにするくらいだ。
高校を卒業して家を出てからは結婚するまでテレビの無い生活だったので、その頃はラジオをよく聞いてきた。
10 代の半ば頃はラジオの深夜放送が流行っていた時代だったので、学校での話題についていけるように眠い目をこすって遅くまでラジオを聞いていた。
その頃はロックやジャズのいい番組がわりとあったように思うが、今はどうなっているのだろう。『FM ファン』という雑誌を買って、お気に入りの音楽が流れる番組をチェックしていたのもなつかしい思い出だ。
手元に番組表が無いので適当にチャンネルを回してみるが、どうも今時の DJ の話しぶりには馴染めないものを感じる。それに流れる音楽もまずほとんど興味の無いものばかりだ。
唯一、少しおもしろさを感じたのは FM Cocolo という放送局。名前だけは聞いたことがあったけれど、実際に番組を聴くのは初めてだったが、ここの番組はわりと質がいいのではないかと感じた。
手術後5日目の火曜日には巡回の医師がやってきた。やはり担当医ではなかった。
傷口の具合は良好とのこと。『退院はいつ頃になりそうですか?』と尋ねてみたが、やはり担当医の判断とのことだった。

椎間板ヘルニア手術 その4

手術後2日目の朝を迎えた。
手術箇所はじーんとした鈍痛のような感じはあるけれど、痛みのような不快感は無い。仰向けに寝ていても特に問題は無い。
気分的にも少し余裕が出てきたので、しばらく風呂に入っていないことが気になってきた。さすがにまだ風呂には入れないと思うが、洗髪はできそうだ。
ちょうど洗髪のための設備があったので、持参してきたシャンプーとひげ剃りを持って出かけた。
久しぶりの洗髪は気持ちが良い。気分良くごしごしと洗っていたら、後ろから看護師さんの『ダメでしょ!!』という声が聞こえてきた。
一瞬、ここは勝手に使ってはいけないのかと思ったところ、腰の手術をした後しばらくは前屈みの姿勢になってはいけないとのこと。
そう言われればそのとおりだ。しかし洗髪はもうほとんど終わっているので、『もう遅い』と笑って返事しておいた。
少し心配になったので、ベッドに戻ったら横になっておいた。特に問題は無さそうだ。
そうこうするうちに巡回の医師がやってきた。担当医師とは別の方。
腰を見て状態を確認して、腰に入っていた管を抜いてくれた。痛みのようなものは何も無かった。
傷口の状態は良好とのこと。
点滴も昨夜で終わったので、これで身体に付いていた管類がようやくすべて無くなった。
今日のリハビリは1階のリハビリフロアで行うとのこと。エレベータで下りて、少し歩いて行く。
足をマッサージしてもらって、その後、軽い筋トレのような動きをやって、練習用の階段を上り下りする。
筋力チェックをしてもらったが、手術前にアンバランスだった動きもかなり改善しているようだ。
昨日に較べると余裕も出てきたので、夕方には自分で病棟のフロアをぐるっと廻ってみた。100m あるかないかというくらいの距離だったが、違和感なく歩けてうれしかった。
手術前はじっと立っているのがつらくて、ほんの数分で左足のスネに強い倦怠感が出てきたのだが、立って病棟の窓からしばらく外を眺めていても、まったく問題無かった。
昨日は手術の効果に対して少し不安を感じていたのだが、かなり希望を持てるようになってきた。

椎間板ヘルニア手術 その3

朝になって採血されて、その後、移動式レントゲン装置が部屋にやってきた。こういうのを見るのは初めて。
身体の下に板を置いて、上から撮影された。
身体を移動させるたびに看護師さんが二人がかりで持ち上げてくれるのだが、大変そうだ。ただ、私は男にしては体重はかなり軽い方だと思うので、80kg くらいある患者なら二人では持ち上げられないのではないかと思ってしまう。
朝食がやってきたが、まだベッドに横たわったまま。看護師さんがパンにジャムを塗ってくれた。
白い普通の食パンだったが、電子レンジで温められているようで、温かかった。
朝食が終わってしばらくしたら、医者がやってきた。血液検査もレントゲンも異常が無かったとのことで、ようやく拘束体勢から解放されることになった。
尿管カテーテルを抜かれる時は非常に痛いという話を聞いていたので、今か今かと戦々恐々の気分だったが、何やらごそごそとまさぐられているうちに抜かれていて、拍子抜けした。
背中の管はまだ残っているが、その上からコルセットを着ける。管につながっている袋を落とさないようにコルセットにはさんで、点滴の薬も首から提げられるような袋に入れられていた。
昼食はベッドに腰掛けて取ることができた。
昼過ぎにはさっそくリハビリ担当の方がやってこられた。
たかだか1日ベッドに横になっていただけだが、立ち上がって歩くのは若干の不安を感じる。気のせいか軽いめまいのようなものを感じる。
今日のところは部屋から出て、すぐそばの廊下で手すりを持って軽くつま先立ちをしたり、ほんの 20m ほど歩いたりするだけだったが、それでも無事にこなせたら少しほっとした。
ただその後に、左足のスネにあの違和感の残照のような感覚を感じて、やはり手術の効果はそれほどではなかったのではないかといささか落胆した。
夕方に医師が回診に来られた時に、スネの違和感が残っているという話をした。
医師の話によると、ヘルニアで神経が圧迫された状態がしばらく続いていると、神経が炎症を起こしたような状態になっていて、その炎症は圧迫を解除してもすぐには治まらないとのことだった。
それなら時間と共に快方に向かうはずなので、少し気持ちは楽になった。
尿管カテーテルを抜かれてからまだトイレに行っていなかったのだが、看護師さんが少し心配されて、あまり出ないとまた尿管カテーテルを入れなければならないという話をされたので、それはたまらんと思ってさっそくトイレへ行ってみた。
最初は痛かった。おかげで身体がこわばってほんの少ししか出なかった。しかし少しは出たので、これなら大丈夫かなと思った。そして3回くらい行ったら痛みは無くなった。

椎間板ヘルニア手術 その2

麻酔から覚めて起こされたときも、寝台に仰向けだった。
腰のあたりに手術直後の重苦しい鈍痛があるが、痛いというほどではない。
酸素マスクを着けて ICU に運ばれる。時計がちらっと目に入ったが、午後1時前くらいだっただろうか。
嫁が部屋に入ってきて、その後に執刀医師が来られたように思う。
摘出したヘルニアが小さなガラス瓶に入ったものを見せていただいた。
赤みがかったもろもろしたようなものが透明の液体に浸っていた。想像していたよりも量が多かった。
ヘルニアそのものはあまりひどくないということで、手術前の医師の話でも、これくらいのヘルニアであれば摘出しても効果がどれくらいあるか・・・というような言葉を洩らされていたので、指先ひとつまみ程度かと思っていたのだが、ざっと小さじ一杯分くらいはあったように思えた。
そして、これほど摘出されたのであればそれなりの効果が期待できるのではないかという考えが浮かんで、少し期待感が大きくなった。
今回の手術でいちばん大変なのは、実はこれから明朝までの約半日間である。この間は自力で寝返りをうつことができない。姿勢を変えるたびに看護師の助けを得なければならないのだ。
その理由は、腰椎の手術をした直後なので、そのあたりに力が入ってはいけないということと、術部からの出血を出すための細い管が切開したところから出ていて、この管が押されてつまったりするとまずいので、体位を変えるたびに確認してもらわなくてはならない。
翌朝に血液検査とレントゲンを撮って、問題がなければそこでコルセットを着用して、拘束体勢から解放される。ただし腰からの管はまだ出たままなのだが。
ICU にいるうちはまだ良かった。手術直後ということもあって看護師が頻繁に様子を見に来てくれるので、そのたびに気軽に体位変更をしてもらうことができた。
ICU に入っていたのは3時間くらいだろうか。いよいよ部屋に戻ることになった。
これから翌朝までは、体位変更をしたければそのたびにナースコールで来てもらわなければならない。もちろん呼べばすぐに来てくれるのだが、いくらそれが看護師の仕事とは言っても私の専属ではないし、看護師の仕事の忙しさは間近に見ていてよくわかっているので、こちらも遠慮してしまう。
単に寝返りがうてないだけではなく、足もあまり動かせないので、体勢を変えてもらってもすぐに凝ってくる。
今日は夕食は抜きだろうと思っていたら、食べたければ用意してくれるとのこと。お腹がすいていたというわけではないが、それならということで用意してもらうことにした。
しかしベッドに完全に横たわった姿勢で食事を取るのは大変だった。食器をのせたお盆をおく台をベッドのすぐ横に置いて、見やすい高さに調整してもらって、フォークで食べた。
さすがにこの体勢ではきれいに平らげるというわけにはいかなかったが、8割くらいは食べられた。他に何か集中できることがあった方が、身体のコリが気分的にまぎらわされて良かった。
体位変更は、身体の下に敷いたバスタオルの両端を二人の看護師さんが持ち上げて身体全体を横に移動させて、それから腰のあたりを持って身体を半回転させるようにしていただく。つまり必ず二人必要なのだ。
たまたま昨日のニュースで、どこやらの病院で、夜勤の看護師がみんな同時に仮眠を取っていて、患者の異変に気付かず死亡に至ったということが伝えられていたが、ちょっと信じられない気持ちだった。
私はこれまで親の病気での看護や、自分自身の入院などで、病院で夜を過ごしたことは何度もあるが、看護師の献身的な仕事ぶりはいつも敬意を表するくらいで、そんなひどいのは見たことが無い。単に運が良かっただけなのだろうか。
とは言え、看護師さんも人間なので、ちょっとしたミスをされることはある。
夜中に体位変更で横向きにしてもらった。横向きになると、背中の部分に大きなやや堅めのマットをあてがわれて、それにもたれるようにする。これは全身くらいの長さがある。
看護師さんが戻られてからふと気付いたら、ナースコール用のボタンが身体の後ろ側に置いたままになっているようなのだ。後ろを見ることなんて到底不可能だし、腕を回そうにもマットがじゃまになってまったく届かない。
様子を見にきてくれるまで何とか耐えようと思ったが、いよいよ我慢の限界に近づいてきた。どうやったら身体をずらすことができるか、必死で考えた。
結局、腰をわずかに浮かせて加重を軽くして、その部分のタオルを動かすと同時に腰もずらせて、それを何度か繰り返して身体を上の方向にずらせて、肩のあたりが背中のマットの端から少し出るくらいの位置まで動いて、ようやくナースコールのボタンを押すことができた。ほっとした。
やってきた看護師さんは、私が大きくずれた場所にいるのを見て、ちょっと驚かれたようだった。
その後も何度か体位変更をしていただいて、ようやく朝になってきた。おそらく 10 回以上は体位変更していただいたと思う。

椎間板ヘルニア手術 その1

今日(11/26)、退院して家に帰ってきた。8泊9日の入院だった。
入院したのは先週水曜日の 11 月 18 日。自転車で出かけた。
退院後の帰りが自転車で大丈夫かどうか不安はあったが、車で行くわけにもいかず、公共交通機関などまったく不可能で(駅や停留所まで歩けない)、タクシーというのははなから選択肢に無かった。
病院までは自転車で 10 分程度。かつて鎖骨骨折して通っていた時は、片道 25 分ほどかけて歩いていた。
怪しげな天候だったが、案の定、走っている途中から雨が降り出してきた。しかし本降りとまではいかなかったので、そのまま病院まで走り続けた。
受け付けで手続きをしたら、部屋は二人部屋とのこと。自己負担の無い四人部屋を希望していたのだが、あいにく一杯らしい。1日 3,500 円の自己負担になるので、できれば勘弁してほしかったが、そこに入らないと翌日の手術が受けられないので致し方ない。四人部屋が空いたら換えてもらえるようお願いしておいた。
手術前の検査はすでに済ませてあるので、その日はほとんど説明だけ。
手術の翌日からリハビリが始まるとのことで、リハビリ担当の方が現状チェックのために来られた。軽い負荷を与えてチェックしてみると、左足はいくつかの動きで力が入りにくかったり、震えが出たりする。
翌日の手術は午前中で、朝から点滴が始まるので、点滴用の管の挿入を夕食前にされた。そして手術用の衣服に着替える。
はたして手術でどれだけ改善するか、不安は少なくない。あまり大きな期待は持ちすぎないようにして、手術後の生活パターンをいろいろと頭に思い描きながら、眠りに入った。
翌朝は6時半までは飲み物は可とのことで、6時過ぎにお茶を飲む。
そしてほどなく点滴が始まる。
そうこうしていたら、執刀していただく担当医と、上司と思われる医師(初診を受けた医師)が部屋に来られて、手術内容の最終確認をされた。
私の症状はほとんど左足だけなので、手術する箇所も左足に関係する部分のみにしようとのこと。多少とは言え、骨や靭帯を削ることになるので、必要以上の処置はしない方がいいだろうという判断だ。
10 時前に嫁が来てくれたので、雑談をして過ごす。さほど困難な手術ではないので、話す内容は他愛もないことだけ。
看護師のお迎えが来て、手術室に向かう。
手術室のドアのところで嫁と別れて、部屋の中に入る。鎖骨骨折の時に同じような状況は経験しているので、不安感はまったく無い。
手術はうつぶせの姿勢で行われるのだが、寝台に仰向けに寝る。そしてさらに部屋の奥へ移動して、麻酔薬の投入が始まったようだ。点滴が入っている場所に少しじーんとした感覚が走る。
覚えているのはそこまで・・・。

もうすぐ手術

覚悟を決めて手術を受けることにした。
予定日までに改善することをわずかながらも期待していたけれど、やはり状態は何も変わらなかった。
今となっては早々に決心しておいて良かったと思っている。
ただ、手術の結果がどうなるかは終わってみないとわからない。それに手術直後は良かったとしても、それがそのまま続くかどうかはわからない。
手術を受けるのは人生で2回目。最初は4年ほど前の鎖骨骨折の時で、全身麻酔だったけれど、骨折そのものは単純なものだったので、手術結果に対する不安はまったく無かった。手術を受けて、ある程度の時間が経てば、必ず治るということを信じ切っていた。
しかし今回はだいぶ様子が違う。
医者からも過大な期待はしないようにと釘を刺されているし、ネットで情報を調べても、わかったのは『個人差が大きくて、他人の経験は自分の参考にはならない』ということだけだった。
症状そのものはさほどひどくないので、内視鏡での手術になるらしい。
『症状そのものはさほどひどくない』ということが逆に不安要素で、期待しているほど良くはならないのではないかと思ってしまう。
いずれにしてもここまできたら医者を信じて手術に臨むしかない。

いよいよ手術か?

昨日、MRI を持って病院へ行ってきた。
専門医の見立てではヘルニアの症状はさほどひどいものではなく、発症して1ヶ月少々ならまだしばらくは様子見という時期だが、実際の不具合の程度はそれ以上に悪く、おまけに加齢の影響もあって脊柱管狭窄症も併発しているようなので、思い切って手術に踏み切った方がいいかも知れないとのことだった。
いずれにしても最終判断はご自分で、ということで。
いざ手術となると医者は立場上デメリットを強調するので、それを聞いていると気持ちが萎えてくるが、さほど大きな迷いも無く、手術に踏み切ることにした。
予定日は 19 日なので、できることならその間に症状が改善してドタキャンしたいと思うが、おそらくそれは期待薄だろう。
医者が強調したのは、手術が成功しても不具合が完全にゼロになって元に戻るということは期待しないようにということだった。手術のほんの少し後に再発するというケースもたまにはあるとのこと。
陸上クラブで私より5歳ほど上のベテランの方が、2年ほど前にヘルニアで一時期休養されていて、手術はせずに自然治癒で回復されたが、今は以前とまったく同じように練習もレースも参加されている。
身体のことは個人差が大きいので他人の経験を自分に当てはめることはできないので、自分がどうなるかはやってみないとわからない。
いずれにしても今の状態で先が見通せないままいたずらに月日が過ぎていくというのは耐え難いと思ったので、早めに思い切ることにした。
ランニングに関しては、元々 UTMF が終わったら大会参加は一区切りにしようと思っていたので、もしレースのような走りができなくなったとしても残念な気持ちはそれほどはない。むしろちょうどいい口実ができる、くらいの気持ちだ。
トレイルも大会への意欲はもうほとんど無いので(UTMF 再挑戦は微妙だが・・・)、これもかまわない。
ただ、登山教室の随行の仕事だけは何とか続けられるようにしたい。
そして、個人的な山歩きは続けて行きたいし、その体力維持のためのジョギングは続けられるようにしたい。
そこまで戻ってくれればそれで十分なのだが・・・。

1ヶ月半ぶりのビール

今日は1ヶ月半ぶりにビールを飲んだ。
昨日に続いて昼間の気温が上がったことと、薬が無くなったから。
ただ、期待したほどのおいしさではなかった。禁酒前と同じくらいか。
さて、懸案のヘルニアだが、残念ながら具合は良くない。腰痛が発症してから5週間ほどが経過したが、治癒に向かっているとは感じられない。
これまで通っていた病院はヘルニアの専門医はおらず、手術もできない規模なので、ヘルニアの専門医のいる別の病院へ行ってみた。ここは以前に鎖骨を骨折した時に手術とリハビリで通った病院なので、ある程度の安心感はあった。
医者の話では MRI を見てみないと何とも言えないが、これまでの経過から考えると手術になる可能性があるとのこと。
危険性は低いとは言え、場所が場所だけに手術は避けたいと思っていたが、このままではいつになったら元に戻るのかまったく見通しが立たない。
先のことを考えると手術もやむなしかと思うようになった。
今日、前の病院から MRI のデータをもらってきた。
診察の時に何度か見ているが、そんなにじっくりと見たわけではないし、所詮素人なので正確なことがわかるわけではない。
自分でじっくりと眺めてみたところ、思っていたほど軽傷ではないのではないかと感じてきた。
L4L5 間だけと思っていたが、L5 と仙骨の間も少し出ているように見えるし、L4L5 間は思っていたより大きく出ているように感じる。
明日、MRI のデータを持って病院へ行って、最終判断ということになると思う。

禁酒の日々

UTMF から帰って病院で点滴を受けたのが 9 月 25 日のこと。
その後、体調不良が改善してきて、そろそろ普通の生活に戻れるかなと思っていた矢先に、強烈な腰痛に襲われた。
腰痛そのものは3日ほどでほとんど治まったものの、その後、椎間板ヘルニアが発覚して、先月末から薬漬けの日々を送っている。
UTMF の前日は当然、酒は口に入れていないので、何と 9 月 24 日からもう1ヶ月以上、酒抜きの生活を送っている。理由は薬との悪影響が無いようにということで。
1ヶ月以上も酒抜きというのは二十歳を過ぎてから初めてではないかと思う。若い頃は夕食で晩酌するという習慣は無かったけれど、少なくとも週に1回くらいは何らかの場で呑んでいたと思う。
ここ何十年かはビールが無いと夕食がノドを通らないという感じで、登山やトレランなどで車で遠方に出かけた時も、ビールのために、どんなに遅くなっても夕食は家に帰ってから食べるようにしている。ビール抜きの夕食はストレスになるので。
しかし今回の禁酒状態は、何故か呑まないことがほとんどストレスになっていない。
先月末はまだ体調不良だったので、禁酒と言うよりは呑みたいとも思わない状態だったが、この半月ほどはセキなどの症状もすっかり抜けて、ヘルニア以外の体調不良は無い。
1ヶ月以上も酒抜きの生活が続いていると、このままやめてしまえるのではないかと思えてくるし、酒をやめたら体調が良くなったという人の話を聞くこともしばしばあるので、これは酒をやめるちょうどいい機会かなと思ったりもしている。
ヘルニアの薬は、残念ながらあまり効果が感じられないので、いま手元にある分が無くなったらしばらく止めてみようと思っている。もし具合が悪くなったらまた病院へ行って処方してもらえばいいだけのことだ。
ただ、酒をやめるとは言っても買いだめしてあるビールや日本酒がまだ結構たくさんあるので、これらをこのままムダにするわけにはいかない。
おそらく、今の薬が無くなったら在庫の酒類の消費に取りかかることになるだろう。
さて、その後、在庫が無くなった、もしくは無くなりそうになった時に、そこで再度酒無しの生活に戻れるかどうか・・・・。
元々、ほぼ毎日呑んでいるとは言っても、それほど大酒飲みではない(と思っている)ので、その時にやはり元通りの生活の方がいいと思えば、ストレスを感じてまで酒無し生活に戻ろうというつもりはない。
もし酒無し生活になったとしても、仲間内での酒の席や宴会ではこれまで通りに酒を楽しむつもりだ。