先の日曜日(4/15)は講座で鈴鹿の藤原岳へ行ってきた。
藤原岳はちょうど3年前に別の講座で訪れているけれど、この時は雨で登りに時間がかかって、山頂に到達することができなかった。
講座が違うので参加者は前回とはほとんど重なっていないのだけれど、今度こそは好天を期待してということだったのに、何とまたもや雨。
前回は聖宝寺道を登って大貝戸道を下ったが、今回は大貝戸道を往復する。
マイクロバスでの道中は雨だったけれど、幸い次第に小降りになってきた。
小雨の中、傘をさして出発したのはちょうど 10 時だった。※写真は下山時のもの
神武神社の横から登山道に入る。
ほどなく雨は止んで、四合目で一休み。
この道は登り一辺倒。聖宝寺道と合流した八合目に 11 時 45 分頃に着いて、ここで昼食にした。
このあたりから少しずつ花が出てきた。まずはヒトリシズカ。
藤原岳と言えばフクジュソウ。ただしもうほとんど終わっている。
1時ちょうどに藤原山荘に到着した。
トイレを済ませて山頂へ向かう。あと一頑張り。
1時 28 分、無事山頂(1140m)に到着した。残念ながら眺望は無し。
時間の余裕があれば天狗岩もと思っていたけれど、それは諦めて早々に下山に移る。
下の方では下界を眺めることができた。
神武神社のすぐそばにはマムシソウ。
眺望が無かったのは残念だったけれど、無事登頂して終えることができた。
カテゴリー: 登山
瓜生山から修学院
4/11(水)は京都一周トレイルの講座で銀閣寺道から瓜生山、修学院までを歩いてきた。
天気予報では午後は降水確率が高かったけれど、昼頃にほんの少しパラパラした程度で、何とか降られずに終えることができた。
銀閣寺道のバス停のそばからしばらく住宅街を歩く。
いつものように天神宮神社に立ち寄る。
バプテスト病院わきから山道に入って、瓜生山への急登になる。
白幽子厳居之跡。
そして石切場跡。
歩き出して1時間少々で瓜生山(301m)に到着した。
西側が開けている場所があった。愛宕山が雲の真下にある。
ミツバツツジの回廊。
鳥居のある広場まで行きたかったのだけれど小雨がパラついてきたので、木陰になる場所で昼食にした。
幸い雨はほんのわずかで、鳥居の広場へ。
沢を3回渡って、雲母坂を横切って沢筋に下りる。
修学院離宮のそばを通って修学院に下山。音羽川の橋から雲母坂のある方向を望む。
この講座はいつも参加者がわりと少なめなのだけれど、今期は 18 名となった。近くに他のパーティがいなければいいのだけれど、そうでない場合は人数確認がなかなか大変だ。
三好山
4/2 の月曜日は講座で摂津峡そばの三好山へ行ってきた。私にとっては初めての山。
このあたりは四半世紀前に東海自然歩道ランで一度通過しただけで、ポンポン山には何度も行っているけれど、三好山というのはこれまで聞いたこともなかった。
JR高槻駅に集合。本当は高槻駅へは自転車で行きたかったのだけれど、万が一ケガでもしたら大変なので、枚方市からのバスに乗った。渋滞を警戒して早めに出たおかげで、集合時間の1時間近く前に着いてしまった。
バスで上の口へ
しばらく車道で摂津峡へ向かう。サクラが満開。
摂津峡入り口に到着。ただし今日は摂津峡へは行かずに展望エリアに向かう。
まずは白滝。
早くもミツバツツジが満開。
上の広場でトイレ休憩。実はここは標高 226m で、三好山よりも少し高い。
このあと少し歩いて昼食。
そして公園に下った。月曜日だけれど花見客でいっぱい。
これから三好山へ向かう。三好山には芥川山城が広がっている。こんなところにこんな大きな山城跡があるとはまったく知らなかった。
途中に立派なサクラ。
40 分ほどの登りで三好山山頂(180m)へ。
三好長慶が祀られた祠。
解説板。最近、整備されたらしい。
淀川方向は遠くは霞んでよく見えない。
大手道を少し下ると大手石垣。
昭和初期まで使われていたという井戸の跡。
このあと行きに歩いた道に合流して、また上の口のバス停に戻って解散となった。
峰床山、大悲山
京都北山の大悲山(だいひさん)は中学生の頃からの憧れの山だった。
その頃に憧れたのは廃村八丁、八丁平、そして大悲山。京都人と言えどもその頃の中学生にとってはこのあたりは最果ての地で、一日2便程度のバスはあるものの、強い意欲が無ければ近づきがたいエリアだった。
八丁平だけは中学3年生の時に仲間とテント泊で行ったものの、その後しばらくは北山は自分にとって登山の対象エリアではなくなってしまって、ようやく廃村八丁に訪れたのはわずか2年前だった。
残された最後の課題は大悲山。
廃村八丁や八丁平は往時から登山道があるけれど、大悲山だけはいまだに登山地図には道が無い。しかし登られた記録はたくさんあるので、踏み跡程度はあるのではないかと思った。
麓の峰定寺(ぶじょうじ)までは車で入れるし、峰定寺の裏山なので、ここだけを目標に行くのはちょっともったいない。
そこで最近一段と有名になった三本杉から稜線を辿って峰床山。そこからさらに寺谷峠、桑谷山、そして大悲山に登って峰定寺に戻るという周回ルートを設定した。
距離的には 20km 程度だけれど、今回のルートの半分くらいは登山地図には道が記載されていない。はたして実際はどんな様子なのだろう。
4/1 の日曜日、家から1時間 45 分くらいで峰定寺に到着した。すでに駐車場には結構車が停まっている。
8時 15 分くらいに駐車場を出発して、まずは林道を三本杉の方へ向かう。
15 分ほどで三本杉に到着。ここは4年前、講座で峰床山へ行った時に訪れた。
この3本のうちの1本は高さが 62.3m で、昨年正確に計測した際に高さ日本一ということが判明した。そのせいか今回は周りにロープが張られていて、根を踏まないようにという注意書きが立っていた。
このあと、踏み跡程度の急登で稜線に這い上がる。
しばらく上がると林道に出た。
さらに広い林道に合流して、八丁平への道標が立っていた。しかしこの道標通りに進むとずっと林道を行ってしまうので、適当に南側の稜線に這い上がった。そこは「こもれびの森」という立派な散策路になっていた。
タムシバ。
こもれびの森の山頂(871m)。出発してちょうど1時間。
この道標に従って八丁平方面に下ったら、またもや林道に出てしまった。尾越方面に向かうべきだった。
致し方なくしばらく林道を走る。そして予定していた道に出会った。
このあとも少し林道を行って、わかりにくい分岐から山道に入る。
しばらく不明瞭な道だったけれど次第にはっきりしてきて、俵坂峠。随行で来た時はここから大悲山口に向けて下りた。
イワカガミ。
10 時 15 分、出発して2時間で峰床山(970m)の山頂に到着した。京都府の最高峰は皆子山(971m)ということになっているけれど、皆子山は滋賀県との県境に位置しているので、完全に京都府に属している山では峰床山が最高峰。
ここで腰を下ろしてどら焼き休憩にした。杉峠の鉄塔はわかるけれど、山々の山名はまったくわからない。
そしてこれから北に向かうのだけれど、その方向には道らしきものは見あたらない。しかしやや西に向かってきわめて整備された道が下りていたのでこれを下ってみたところ、電波施設のための道だった。
行きたい方向からはずいぶん違っているのだけれど、このまま行くと林道に出会って、その林道を戻ると目的の方向に向かえるので、そのまま下った。
林道はすぐに足元に見えてきたのだけれど、側壁が急峻に削られていて、道に下りることができない。
ウロウロして、ようやく何とかずり落ちられそうな場所を発見して、そこから林道に下りた。
北側にはまだわずかに雪が残っている。
さて、この林道をしばらく行って、寺谷峠に向けてまた登山道に入るのだけれど、これがまたわからない。
ちょうどそれらしい位置に白テープが下がっていたので、ここがその印ではないかと判断して斜面に下りた。
しかしこの先は踏み跡すら見つけることができず、方向としては斜面をトラバースぎみに進みたいのだけれど、ヤブ斜面のトラバースはあまりにもアルバイトが多くて進めないので、ここの沢を強引に下ることにした。
地図を見るとこの沢を下ると林道があって、その林道から寺谷峠方向に登り返す道がある。
北山なので沢を下りても何とかなるだろうと思っていたけれど、それでもなかなか大変だった。荒れている部分は右岸の斜面をへつって、何とか朽ちた林道に出会った時にはもう寺谷峠に登り返す気力は無くなっていた。
実際に格闘していたのはほんの 20 分くらいなのだけれど、もともとオマケ程度の位置づけだった桑谷山はあきらめることにして、そのかわりに大悲山だけは何が何でも登るということに気持ちを切り替えた。
この林道は朝、駐車場からしばらく歩いた道で、大悲山から下りてくる予定だった場所に出会う。
それらしい場所に近づくと北側斜面を注視して、何かテープでも無いかと探した。
ちょうどそのあたりに朽ちた道が上がっていて、そばの木に赤テープが巻いてあった。しかしこういうテープは道の印ではなくて林業の人が巻いたテープということがしばしばある。この道を少し上がってみたのだけれど、ほどなく途切れてしまっていた。
しかしこのあたりを強引に上がるしかないので、ちょっとした沢を強引に上がることにした。
写真ではわからないのだけれど、実は手を使わなければ上がれないくらいの急傾斜で、正直なところ下りが不安だった。
しばらく登って、沢から横の斜面に逃れた。
この斜面もかなりの急斜面だったけれど、強引に上がって行くと赤テープが出てきた。そして傾斜が緩くなってきた。
大きな杉や奇妙な木が現れて、朽木の山のような雰囲気。
テープマークはわりと短い間隔で現れたけれど、踏み跡はまったく無し。
gps を頼りに登り続けて、そろそろ頂上ではないかと思った頃、急にヤブが濃くなってよくわからない地形に入り込んだ。
gps の画面を拡大して確認したところ、何とすでに山頂を越えてしまっていた。しかしここから戻るのが一苦労だった。
ヤブの濃い部分を避けて、何とか元に戻ることができた。大悲山の山頂(741m)は 12 時 52 分だった。
山頂を示す標識はこの赤い板しか無く、登ってきた方向からは背面の死角になっていて気が付かなかったようだ。
下りはテープマークを見落とさないように慎重に下った。
最後の急斜面は強引に登った沢の横の尾根を下っていた。沢を下るよりはマシだったけれど、それでも最後の方はかなりの急斜面だった。
北山のすべての山を登ったわけではないけれど、ある程度の知名度のある山では大悲山がいちばん登りにくい山なのではないかと感じた。まぁそこまでして登るほどの値打ちのある山かどうかと言えば微妙なところだけれど。
峰定寺は 12 世紀の創建とか。昔ほど社寺が辺鄙な所や山の上にたくさんあったりする。今よりはるかに人口の少ない時代、その頃の人達の宗教心はどんなものだったのだろう。
駐車場に戻ったのは午後1時 50 分だった。時間的にはまだまだ早かったけれど、大悲山の上部の様子から想定すると、桑谷山へは行かなくて良かったと感じた。翌日は講座が控えている。
北山へ車で行くのは帰りの渋滞が憂鬱だ。今日はまだ少し時間が早かったので少しはマシなのではないかと期待していたのだけれど、その期待はあっさりと裏切られて、1号線の渋滞を避けて桂川沿いの道へ逃げたものの、何と八幡の背割りのサクラのおかげで御幸橋でまたもや大渋滞。行きよりも1時間以上余分にかかった。
気分的には若干消化不良感が残ったのだけれど、フロの後にいつも通り体重計に乗ったら、久しぶりに 50kg を割っていた。
私が足腰の疲労のバロメーターにしているのは、夜中にふと目覚めた時の下半身の疲れ具合で、結構重かった。
国見山
昨日(3/19)は随行で国見山へ行ってきた。「国見山」という山名の山はたくさんあるけれど、今回は奈良の春日山の近くにある国見山。
この講座は登山講座の中で最も初心者クラスで、前日昼前の気象庁の天気予報で行き先方面の降水確率が 50% を越えると延期になる。当初は 3/5 に予定されていたのだけれどそのせいで延期になってしまった。実は2日ほど前にはまたもや延期になりそうな雰囲気だったのだけれど、前日の予報では 30% になってくれて、かろうじて決行となった。
しかし午後の降水確率は高くて、今日は間違い無く雨という覚悟で集合の近鉄奈良駅に向かった。家を出る時はすでに雨が降っていた。
奈良は雨が多いという印象があるが、近鉄奈良駅に着いた時は雨は降っていなかった。路面も濡れていない。
しかし日程が変更になったり、今日も雨予報ということで欠席者が多くて、わずか5名のご参加となってしまったのだけれど、参加者の顔ぶれを見るとスムーズに行動できそうな感じ。
当初、バスで登山口まで行く予定だったけれど、何と二日前にバスがダイヤが変わっていて、予定の便が無くなっていた。致し方なくタクシーに分乗して行ったのだけれど、4人乗車ならバス代より少し高いくらいの費用で済んだ。郊外のバスは割高だ。
バス停から南に見えるのが国見山。標高 680m の山なのだが、ここはすでに 400m くらい。
しばらく車道を行く。
春日宮神社。志貴皇子(しきのみこ)が奉られている。壬申の乱では大海人皇子(天武天皇)についたけれど、天智天皇の皇子だったので出世とは無縁で、政治よりも和歌など文化の世界に生きた。
写真右下の歌碑は万葉集にある「石ばしる 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも」。
ようやく登山道に入る。
路面がコンクリートの急坂を登る。もし雨だったら滑って登れないかも・・・と思えるくらいの急坂だった。
急登が一段落すると西側の展望が開けた。奥は生駒山。その手前にはほんの2日前に駆け抜けた矢田丘陵。右の方には交野山も見えていた。
最後のひと登り。
11時過ぎに国見山(680m)に到着した。
ここからの葛城金剛や市街地の眺めも素晴らしく、ちょっと早いけれど昼食タイムにした。
昼食後は稜線を東に向かう。15分ほど歩いて三角点(666.2m)。
さらに10分ほどで塔の森の六角六重石塔(奈良時代の創建当時は十三重だったらしい)。
ここは稲荷神社で、参道を下ると日吉神社。そばにはフキノトウがあった。
少し下ると車道に出た。
車道を北に向かってしばらく行くと南田原磨崖仏。鎌倉時代と室町時代に彫られたもの。
このころからついに雨がポツリポツリと落ちてきたけれど、幸い小雨程度。
少人数で足が揃っていたので帰りのバス停には乗る便の1時間以上前に着いたので、ちょっと足を延ばして太安万侶の墓に向かった。
ちょっと遅い感じがするけれど、ロウバイ。
20分ほど歩いて、今度も急なコンクリート急坂を上がった所にあった。
昭和54年に茶畑の改植中に発見されたらしい。銅製の墓誌が出土して、奈良時代の遺構にしてはめずらしく出土状況がはっきりとわかった。
バス停には3時過ぎに戻ってきた。
完全に雨の一日を覚悟してきたのだけれど予想外の天気で、晴れ間こそ無かったものの山頂からの展望は素晴らしく、太安万侶の墓まで訪れることができて、充実した一日だった。
大文字山
水曜日(3/14)は京都一周トレイルの講座で大文字山に登ってきた。
このところ朝方はまだ冷えるけれど、昼間は 20 度くらいまで気温が上がるという日が続いている。どんな服装で出かけたらいいのか悩ましい。
快晴の元、蹴上駅に集合した。
まずは蹴上発電所を橋の上から見下ろす。まだ現役?
ねじりマンボ。南禅寺側から見るとねじれているのがよくわかる。
インクライン跡。
日向大神宮へ。
天の岩戸に入る。
七福思案処。7つの道が交差しているけれど、今は荒れて途中で途切れている道もある。
山科方面を望む。気温が高くて、遠方は霞んでいる。
今度は西側の京都市内方面。
鹿ヶ谷へ下る分岐の四ツ辻。
おそらく何らかの事情があったのだろうと思うけれど、京都一周トレイルコースは大文字山には登らずにここから鹿ヶ谷へ下りている。
しかし山頂はすぐ近くなので、山頂に寄って昼食にした。
山頂(466m)からの京都市内方面。
昼食後は四ツ辻に戻って鹿ヶ谷へ下りる。
俊寛僧都忠誠之碑。
そして桜門の滝。なかなか立派です。
ほどなく車道に出て、急な舗装道路を下る。
途中、法然院などに立ち寄りながら、銀閣寺道で解散となった。
まだ2時半くらいで時間はたっぷりあったのだけれど、翌日も講座がひかえていたのですんなり帰ることにした。
友ヶ島
友ヶ島というのは関西エリアでは有数の観光地だそうだけれど、私はこれまでまったく知らなかった。
おそらく仕事でもなければ来ることは無いだろうと思えるその友ヶ島に、随行で行ってきた。
南海の加太駅から 15 分ほど歩いて、港から船に乗る。
ちょうど観光シーズンだそうで、船の予約の都合でもともと 3/18 の予定だったのが 3/11 になった。
港に着いた時はほとんど客がいなかったのだけれど、乗船時間が近づくとたくさんの人がやってきた。
定員 100 人少々という船がほぼ満員で出港。沖ノ島に近づいてきた。
20 分ほどで野奈浦桟橋に到着した。
まずは西の方に向かう。
この島は明治時代に日本軍が、大阪湾に侵入する外国船を防ぐために砲台を造った。その後も第二次大戦までは要塞施設として使用されて、一般人は立ち入ることができなかったらしい。
ただ、これらの砲台は実際に使用されることは無かったとのこと。
まずは第二砲台跡。
まだ現役の友ヶ島灯台。
淡路島はすぐそこだけれど、行こうとすると明石海峡大橋経由でないと行けない。
旧海軍聴音所跡。
第五砲台跡。
小展望台からは北に六甲。
大展望台で昼食にした。
すぐそばにはコウノ巣山三角点(119.7m)があります。
お次は第三砲台跡。ここはヘッドランプ必携。
当初は東端の虎島まで行く予定だったのだけれど時間切れのため、深蛇池に向かった。
すぐそばの浜辺からは加太が望める。
日曜日とあって観光客も多く、午後は船が 30 分毎に運行されていたので、スムーズに帰ることができた。
廃墟マニアには人気のエリアだそうだけれど、こんな機会でもなければ来ることも無いだろうという感じ。
ただ、快晴無風の絶好の天候だったので、気持ちのいい一日を過ごすことができました。
東六甲縦走路
昨日(3/3)は登山講座の六甲全山縦走最終回で、有馬温泉から出発して東六甲縦走路を宝塚まで歩いてきた。
集合は神戸電鉄の有馬温泉駅。
金の湯の前を通過します。
車道を 20 分ほど歩いて魚屋道(ととやみち)の登山口へ。
しっかりした広い道を歩いて、茶屋跡で休憩。
それから 50 分ほど歩いて一軒茶屋前の広場に出た。ちょっと早いけれどここで昼食。
ここから前回の続きで宝塚を目指す。
このあとも忠実に縦走路を辿ります。
例のトンネルも登山路で上を越える。崩壊箇所有り。
その後はしばらく車道を行って、縦走路に入る。
船坂峠。
その後も順調に進んで、2時 45 分頃に塩尾寺(えんぺいじ)に到着した。
塩尾寺下のカーブから眺める大阪方面。奥にうっすらと見えているのは生駒山系。
3時半過ぎに無事、宝塚にゴールした。
昨年 10 月から6回に渡って歩いてきた講座がこれで終了した。
個人的には大会などで六甲全山縦走は 20 回くらいはやっていると思うけれど、一軒茶屋から東の部分など、これまで一度も歩いたことの無かった部分が歩けたのは楽しかった。
私にとっては六甲イコール全山縦走という感じで、稜線の途中に出る道はあまり歩いたことが無かったので、そこを歩けたことも良かった。
これまでいつも駆け抜けていた所で、実は見所がいくつもあったというのも新たな発見で、楽しい半年間でした。
堂満岳、武奈ガ岳
この冬は雪が多いのでぜひ比良に行ってみたいと思っていたのだけれど、天候がうまく合わなくて、まだ一度も行けないでいた。
昨日の土曜日(2/24)は好天予報で、いよいよチャンス到来ということで、久しぶりに雪の比良に向かった。
8時過ぎに比良駅に到着した。気温は低めだったけれど穏やかな好天で、ライトジャケットも脱いで長袖アンダーと長袖シャツで8時20分に出発した。
比良駅で下車した登山者は 10 人足らず。私以外はみんな冬山装備で、私も若い頃はこの時期の比良と言えばそれなりの気合いと覚悟で入山していた。
今日は果無山脈敗退の教訓でポールとチェーンスパイクは持ってきたものの、シューズはゴアテックスのトレランシューズだった。
駅前からは正面に今日の最初の目標の堂満岳が見える。
しばらく車道を走る。
目の前にびわ湖バレイの打見山(左)から堂満岳(右)へのスカイラインが望める。
未舗装と舗装路が交互に現れて、出発して 23 分で堂満岳への分岐に出た。
この道は2年前に随行で堂満岳へ行った時に降りてきた。
まさかこんな所で道を間違うはずは無いと油断していたら、いつの間にやらずいぶんルートからはずれていた。本当はすぐに左の沢を渡らなければならないのだけれど、沢沿いの踏み跡をそのまま進んでいた。
実際はほんの数分程度だったと思うのだけれど、なぜかすぐに引き返すという判断ができず、地図を見て、このままこの沢をつめていけば正しいルートに合流できると考えて、強引に突き進んだ。
すぐに古い堰堤が現れて、左岸から乗り越えた。上部ではちょっと緊張した。
また沢に下りて、ポールを出して少し進んだら、ちょっとした滝が出てきた。
強引に越えようとすれば越えられないことはなさそうだったけれど、両側が迫ってきているのが不気味で、このまま進むと行き詰まってしまうと思った。比良の沢は甘くは無い。
諦めて戻ることにした。失望感で一杯だった。まだ序盤で時間はたっぷりあったけれど、そういう冷静な気持ちになれなかった。
堰堤は今度は右岸から越えようとした。しかし上に上がると、沢に下りる斜面がかなりの急傾斜で、ちょっと躊躇した。
しかし逆に斜面の上の方はそれほどの急傾斜ではなく、ヤブも大したことが無さそうで、地図を見るとこの斜面を上がれば正しいルートに出られそうだ。
木の根をつかんで強引に這い上がったら、踏み跡のような地形に出会った。赤テープもある。
こういう植林のテープはルートの目印ではなくて林業者が仕事のために付けたようなものがよくあるので、安易に追っていくととんでもない所に行ってしまうことがしばしばあるので、gps で現在地を確認しながらこの踏み跡を追った。
うまい具合に本来のルートに近づいてきて、いつの間にやら正しいルートに合流していた。
ほどなくノタノホリに出た。
ここまで出発してから1時間5分だったので、おそらくロスタイムはほんの10分くらいだっただろう。これで気分がすっかり回復した。
本来のルートに出ると路面が踏み固められているので、チェーンスパイクを着用した。
沢筋に出ると登りが急になって、ぐいぐい高度が稼げる。おかげで汗が滴ってきた。
斜面を上がると気持ちのいい稜線に出た。
そして最後の登りにさしかかる。
この斜面は無雪期にはロープが張られている箇所で、かなりの急傾斜が続く。
チェーンスパイクはツァッケが小さいので、堅い雪面なら良く効いてくれるのだけれど、軟雪だとほとんど役に立たない。おまけに手に持っているのはピッケルではなくて超軽量トレランポールなので、もし足を滑らせたらどこまで落ちていくことやら・・・。今日の装備ではここを下ることはできない。
一歩一歩雪面にシューズを蹴り込んで急斜面を這い上がって、10時45分に堂満岳の山頂(1057m)に到着した。出発して2時間25分だった。山頂の標識は完全に雪に埋もれている。
比良は高い山でも 1000m 少々なのだけれど、琵琶湖側から登ると出発地点が標高 100m くらいしかないので、登る標高差はなかなかのものだ。京阪神から日帰りエリアでこれだけの標高差が登れるのは比良くらいしか無いのではないだろうか。
山頂から武奈ガ岳を望む。
ジェルを補給して写真を撮ったら早々に金糞峠に向かう。
20分ほどで金糞峠に到着。
沢に下りて、中峠に向かう。
今日はできるだけ同じ道を通らなくて済むようにルート設定してきた。中峠からコヤマノ岳を経て武奈ガ岳に向かうつもり。
沢を渡ったらすぐ前の斜面にはっきりしたトレースが上がっていた。中峠へのルートとはちょっと違うような気はするのだけれど、あまりにもはっきりしたトレースで、方向としては悪い方向ではないので、このトレースを追うことにした。
どうも中峠を経ずにコヤマノ岳に直接上がるルートのようだ。ただ、このルートは手元の登山地図にも地形図にも載っていない。テープマークもしっかりしているので、積雪期限定のルートということもなさそう。
日が陰ってきて気温が下がってきていて、山頂に上がると風が吹いているかも知れないので、山頂のちょっと手前の樹林帯でおにぎり休憩にした。
そして沢筋から 50 分ほどでコヤマノ岳(1181m)に到着した。
鞍部に下りると、武奈ガ岳の山頂が指呼の距離に望める。山頂の人混みがはっきり見える。
上部は寒そうなのでここでライトジャケットを羽織った。
武奈ガ岳で雪庇を見るのは初めて。
12時22分、混雑する武奈ガ岳山頂(1214.2m)に到着した。比良駅からほぼ4時間だった。
遠方は霞んでいて、展望は今ひとつ。これは北方で、手前が釣瓶岳(ツルベ)、後方は蛇谷ヶ峰。
写真を撮ったら早々に下山。ここの下山路は無雪期は歩きにくいのだけれど、今日は雪で舗装されていて快適に下れる。
樹林帯に入ると一気に暑くなってきたのでライトジャケットを脱いだ。
イブルキのコバを通過。
スキー場のゲレンデ跡。
八雲が原でちょっと休憩しようと思っていたのだけれど、やはり何人か人がいたので、北比良峠へ少し向かった所でいちご大福休憩にした。
武奈ガ岳からほぼ1時間で北比良峠まで下りてきた。
このあとはダケ道を下りる予定なのだけれど、実はこの先に不安ポイントがある。左側に崩れた急斜面があって、滑りやすい道をトラバースしなければならない。はたしてそこの雪がどんな状態になっているだろうか。
写真では見えないけれど、ここの左下は無木立の急斜面が下の沢まで落ちている。ここで滑ったらまず生きては帰れない。
登山靴にアイゼン、ピッケルであればそれほど困難な斜面ではないのだけれど、いかんせんチェーンスパイクにトレランポール。
考えても仕方無いので足を踏み出した。一歩一歩足元をしっかり確認してトラバースをやり過ごし、軟雪の急斜面を這い上がって上に出た。何と、上に出たらこのトラバースを避けているトレースがあった。どこから始まっているのだろう。
ここが過ぎればあとは淡々と下るだけ。
途中、木の間から堂満岳を東から眺めることができた。登った斜面はやはりなかなかの急傾斜。40度くらいはありそう。まぁ40度ならスキーでも滑れる斜度ではあるけれど(今はムリ)。
北比良峠から50分ほどで大山口に降り立った。
チェーンスパイクを洗って、ポールをしまって、舗装車道は走った。
イン谷口の出合小屋は土台のみ。
このあとも舗装車道は走って、比良駅が見えてきた。
比良駅には午後2時50分に戻った。出発してから6時間半だった。
やはりと言うべきか、冬の比良は甘くは無かった。正直なところ、今日の装備で行ける限界を超えていたと思う。先日の果無山脈や昨年の大峰など、やはり 1000m を越える山域ではまともなアイゼンとピッケルは必須だと思った。
ただ、シューズに関してはこのくらいの山域で好天、日帰りならトレランシューズ(ただし防水機能があること)の方が軽くて楽だ。車道や林道で走れるというメリットもある。
昨年3月の山上ヶ岳ではトレッキングシューズと、amazon で買った安いアイゼンで十分だったので、今度はトレランシューズにこのアイゼンを試してみようと思う。
大峰山
日曜日(2/18)は随行で北摂の大峰山へ行ってきた。
大峰山は2年前に別の講座で登っている。
JR の武田尾駅を出発して、少し車道を歩く。
ほどなく廃線へ。
さっそくトンネルが出てきたけれど、ここは出口が見えているのでライト無しで通過。
トンネルを抜けて、大峰山の周回路に入る。
前回来たのは1月で、満月滝が氷結していたけれど、今日はごく一部につららが垂れている程度。
ナメ滝の下を渡る。
前回は寄らなかった安倉山(465m)へ。
ちゃんと三角点もあります。そしてここで昼食。
昼食後、北に向かって大峰山(552.3m)に到着。
途中の展望場所から北西方面を望む。真ん中あたりの三角の山は大船山?
元に戻ってきました。
今回も最後は廃線歩き。
その後、この廃線跡を JR がハイキング道路として少し整備したそうで、鉄橋の線路部分はずいぶんきれいになっていた。
鉄橋からの武庫川の眺めはなかなかのものです。
その後も長いトンネルをいくつか抜けて、西宮名塩駅にゴールした。
朝方はずいぶん冷え込んだけれど、昼間の日射しは春の訪れを感じさせてるものだった。
暑い季節が苦手な私にとっては、一抹の寂しさを感じる季節感になってきた。