屯鶴峯、二上山

先の日曜日、まだ体調は十分ではなく、天気も午前中は雨が残りそうだけれど、そういう状況だからこそというコースを用意していた。翌日は随行の仕事なのであまりムリはできないので、ちょうど実行のチャンスだと思った。
ダイトレの起点は屯鶴峯(どんづるぼう)の麓にある。ダイトレ全山をやった時はこのあたりは真夜中で、起点の石はわからず、屯鶴峯も例の奇岩をちょっと味わった程度で山頂への道はわからなかった。
そして二上山。ここもダイトレでは近くには何度も来ているけれど、山頂はダイトレのコースからはずれているのでまだ登っていない。
しかしもはやあのダイトレの木道には行きたくないので、この二カ所を目的にして、その後は遺跡めぐりにしようと計画した。

コースも短いし、雨が上がることを願って朝は遅めで、近鉄大阪線の関屋駅を出たのは9時 20 分を過ぎていた。まだ雨が残っているので雨具兼用のジャケットとパンツは着たまま。
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前回も屯鶴峯までの道はよくわからなくてウロウロしたけれど、今回も似たようなものだった。ただ、手書きのテープが所々にあった。
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近鉄南大阪線横の車道に合流したあたりで雨が止んだので、雨具の上下を脱いだ。
そして少し進むと道の脇にこんなものが。
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危険なので登るなという立て札が立っていたけれど、そう言われると登りたくなる。
雨で濡れて滑りやすい急斜面を強引に這いずり上がって、実物にご対面した。
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下りは慎重に、ちょっとした出っぱりに足を置いて踏ん張ったところ、雨で地面が緩んでいたのだろう、その出っぱりがもろくも崩れて、頭が下になってごろんと転がった。
落差は1メートルちょっとくらい。ごろんと転がったのでケガはまったく無く、ドロで何カ所か汚れたくらいで済んだ。
少し進むと屯鶴峯の入り口にさしかかって、そのすぐそばにダイトレ起点の石があった。
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帰ってから気が付いたのだけれど、転倒した時にスマホが飛び出して、カメラのレンズの部分が汚れてしまっていた。
奇岩の光景もはっきり見えない。
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小さなテープマークが所々にあって、それに導かれて山頂を目指す。
ちょっとしたピークに壊れた東屋か展望台のようなものがあって、この先は少し下っていた。標識が無いのがちょっと不思議だったけれど、おそらくこれが山頂だろうと思った。木が茂っているので周囲はあまり見通せない。スタートして1時間弱だった。
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ここから引き返して、元の車道に戻った。
ところが家に帰ってから gps のトラックを確認すると、何と真のピークはもう少し先だった。
そんなことはまったく知らずに、二上山への山道に入っていった。
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二上山は意外と遠い。送電線の鉄塔の所から初めてすっきりと望めた。
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このあたりまではほとんど人に出会わずにいい雰囲気だったけれど、二上山が近づいてくると徐々にハイカーが現れてきた。
林道に合流してからの道がよくわからなかった。
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登山道はいくつかあるのだけれど、どこも道標が設置されていない。適当に上を目指して、雌岳(473.9m)に到着した。
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そして少し戻って馬の背から雄岳(517m)へ。
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山頂を少し越えた所に大津皇子の墓があった。実際の墓はここではないという説もあるらしい。
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馬の背まで戻ってしっかりした道を下る。眺めのいい場所でおにぎり休憩。
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当初は平石峠から「近つ飛鳥風土記の丘」に下ろうと思っていたけれど、休憩の時に地図を眺めていたら、雄岳を先に登って、雌岳から岩屋峠へ下った方が良かったということに気が付いて、ほんのわずかというは言うものの岩屋峠へ登り返す気力が無くなってしまった。
と言うことで、竹内街道を目指して早々と下る。
鹿谷寺跡。
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展望台から大阪方面を望む。
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竹内街道に出て、しばらく車道を行く。
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竹内街道から分かれて科長神社へ。
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そして小野妹子の墓。
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ショートカットしようとしたら道が無くなってしまって、ヤブをかきわけて車道に出て、二子塚古墳へ。
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一部地面がむき出しで、発掘調査中なのだろうか。
そしてすぐ近くにある推古天皇陵。
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さらに住宅街を抜けて用明天皇陵へ。
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最後は聖徳太子の叡福寺。入山料を取られるのではないかと思ったが、無料だった。
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聖徳太子は我々が子供の頃のような聖人扱いはされなくなってきているらしい。
一部では「実在の人物ではない」という説もあるそうだけれど、おおむね「厩戸皇子(うまやどのみこ。聖徳太子のこと)という人物は実在したが、様々な実績は太子自身の功績というよりはその当時の政治家たち(蘇我馬子など)との共同作業の結果」という評価が一般的になっているらしい。
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また車道で上ノ太子駅を目指す。途中で住宅街の向こうに二上山が眺められた。
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近鉄南大阪線の上ノ太子駅に到着したのは午後2時ちょっと前。おおむね期待通りの楽しいコースだった。

六甲縦走キャノンボールラン

六甲縦走キャノンボールランは今回で7回目の参加になる。毎年、春と秋の二回の開催で、初参加は2013年の3月だった。
これまで春秋それぞれ3回づつ参加していて、結果は須磨スタートゴールの春は2回完走、1回は序盤の転倒で膝を痛めて往路のみで終わった。宝塚スタートゴールの秋は3回とも完走している。
2年前の篠山マラソンを最後にロードレースから退いてしまった今、唯一参加したいと思えるのがこの大会だ。しかし今回はこれまでに比べるとワクワク感が乏しかった。
土曜日は気温が低くて寒かった。しかし動けば身体も暖まるだろうと思って、上はノースリーブのメッシュシャツに長袖ジップシャツ。下はヒザ下までのタイツにカーフサポーターにした。ウィンドブレーカーはザックにしまっておく。シューズはもちろん HOKA の Rapa Nui。
前回から始まった夜間片道クラスのせいか、参加者がずいぶん多い。前回はそれほど増えたとは感じなかったのだけれど。
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定刻の9時より2分ほど早めにスタートになった。今回は後ろの方からのんびりスタートする。
階段を上りきる頃には身体も暖まってきた。
序盤に出てくるエイドは今回もアルコール類ばかりで、寒いのでパスする。
菊水山は0時 15 分に到着。
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菊水、鍋蓋の登りは適度なペースの集団に入ったので、ほとんど疲れを感じずに行けた。
鍋蓋から下りて、大竜寺でようやくまともなエイドに出会えた。ここで一口おにぎりと豚汁をいただく。
さらに市ヶ原でも予想外のエイドが。ここでも小さなおにぎりと具入りスープをいただいた。おいしかった。
摩耶山の登りはほとんど前後に誰もいない時間帯が続いた。
スタートして5時間 20 分ほどでようやく掬星台に到着した。相変わらずここのカレーはおいしい。
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エイドを出たとたん、寒さで震えがきた。しかしここからもおおむね登り基調なので、そのうちに暖かくなるだろうと期待してそのまま進んだ。
しばらくすると震えは収まったものの、かなり寒い。これまでのキャノンボールで最も低温だったと思う。風が無いのが幸いだ。
このあとのエイドも酒やコーラだけだったのでパス。
寒いが、東六甲縦走路に入れば多少はマシになるだろうと思ってそのまま進む。
一軒茶屋あたりのおそらくこの日の最高標高点あたりでは手がかじかんでなかなかうまくシャッターが押せなかった。
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摩耶山あたりまではおおむね想定通りの展開で、いつもなら掬星台まで来れば山場は越えたと感じるのに、今日は何故か気分がまったく盛り上がらない。むしろ意欲が落ちていく感じだ。
ロングレースではこういうことは必ず一度はあるので、そこをしのげばまた復活してくると期待しているのだが、なかなか復活の兆しが見えない。
東六甲縦走路で下りに入ると一段とモチベーションが落ちてきて、もう片道で終わってしまおうかという気分になってきた。
そろそろ夜が明けてきて、宝塚の街が望める。
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9時間1分で塩尾寺下の折り返し地点に到着した。タイムはそれほど悪くはないが、気持ちはもうほとんど切れている。
もうこのまま帰ってしまおうという気分だったけれど、とにかく持ってきたおにぎりを食べて一服した。
一息ついたらやはりこのまま帰るわけにはいかないという気持ちが出てきた。
ウィンドブレーカーを羽織って、急な階段を須磨に向かって上りだした。
しかしその気持ちは5分ともたかった。はやりもう緊張感は失ってしまっていたし、身体が進むことを拒んだ。
結局、急な階段をまた下ることになった。
広場で身なりを整えて、宝塚の駅に向かって下った。片道コースに参加する人達がたくさん登ってきた。陸上クラブの知り合いにも出会った。
2年前のこの大会で転倒の影響で片道で終わった時、キャノンボールはもう卒業と思った。しかしエントリーの時期になるとなぜか見過ごすことができなかった。
おそらくこの大会が気に入っていたのだと思う。
しかし実際のところは「大会」というものに対する意欲がなくなってきていたのだと思う。
マラソンで納得のいく走りができなくなってからも何度も大会に参加したけれど、完走しても満足感のようなものはまったく無く、ただ「やれやれ」と感じるだけになっていた。
今回のキャノンボールも、これまでなら感じていたような楽しさを覚える局面がまったく無かった。ただ義務感だけで足を進めていたようなものだった。
六甲全山往復というのはそんな気持ちでできるほど楽なものではない。
もう潮時だと悟った。
このところ自分で計画した山行きの楽しさが一段と増しているのも大きな要因の一つに違い無い。
UTMF と同様に、キャノンボールにも感謝している。こんなに身近でこれほどの満足感の味わえる大会は他には無かった。
ランナーとしての参加はもう無いと思うけれど、機会があれば私設エイドをやってみたいという気持ちは前から持っている。
けんこう堂やチンタ、ロールアウト他、ボランティアでこの大会の運営に携わっていただいている皆さま、本当にありがとうございました。

高野山黒河道から京大坂道

高野山はずっと興味の対象では無かった。
随行の仕事をするようになる前は吉野や高野山はごちゃごちゃの印象で、登山の対象として見たことが無かった。
随行の仕事のおかげで近郊の低山のおもしろさに気付いて、ここ何年かはこれらの地域へ頻繁に足を延ばすようになってきたが、めぼしい未知のロングルートがだんだんと少なくなってきた。
朽木や大峰などは致し方なく車で行くけれど、車だと元に戻ってこなければならないし、帰りは時間的にどうしても部分的には渋滞に巻き込まれてしまう。
だからできる限り公共交通機関で行きたい。
この週末はできれば大峰の山上ヶ岳へ行きたいと思っていたのだが、ヤマレコで最近行った人の記録を見ると、かなりの積雪のようだ。
雪山は好きだけれど、そうは言っても今さらラッセルはやりたくない。
そこで地図を眺めていて目に入ったのが高野山。
高野山にどんな山があるのかすら知らなかったのだけれど、調べてみると標高はせいぜい 1000m で、直近でも積雪はそれほど大したことが無さそうだった。
それに電車の駅からのロングルートが設定できそうで、もうこれしかないと思った。
設定したルートは、南海(JR)の橋本駅をスタートして黒河道(くろこみち)というルートで高野山に上がって、高野三山を周回。
その後、金剛峯寺を通って天狗岳に登って、京大坂道(きょうおおさかみち)を下る。
京大坂道は極楽橋から下はずっと車道のようだけれど、ランナーの端くれならやはりここは走って橋本駅まで戻るしかないだろう。
40km くらいにはなりそうだけれど、久しぶりにワクワクしながら始発電車で暗い中を出かけた。

橋本駅前で準備を整えて、出発したのは7時7分くらいだった。
気温は低かったけれど、今日はわりと走れるパートが多いのではないかと思って、上は長袖クロロファイバーシャツにトレラン用長袖ジップシャツ。下はロングタイツのみにした。シューズは HOKA の Stinson ATR。
橋本橋で紀ノ川を渡る。
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南海の高野線の踏み切りを渡るといきなり細道に入るようで、ちょっと迷ったけれど、すぐに世界遺産登録ののぼりなどがたくさん出てきた。
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道は車道(と言っても細いコンクリート舗装の坂道)になったり土道になったり。
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少し登ると見晴台に出た。
昨年、何度か足をはこんだダイトレの紀見峠から岩湧山の稜線。
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登山道は杉の枯れ葉がたくさん落ちていて、登山者は少なそうな気配だ。比叡山の登山道のようなものをイメージしてきたのだけれど、ずいぶん雰囲気が違う。
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「黒河道」と言っても一本道ではなく、途中で分かれている所が何カ所かある。どちらへ行っても先では合流するのだけれど、距離や歩きやすさなどは違いがあるようだ。
今回はあらかじめ、最短距離のルートを gps に入れてきた。
よくわからなかったのが明神ヶ田和という分岐で、予定のルートはずっと下っている。ここまできてこんなに下りが続くというのは思っていなかったので(調べていればわかったことなのだが)、少し不安を感じたけれど、所々に道標はあるので、沢沿いの道を下りて行った。部分的には足を滑らせると沢に落ちてしまうような箇所もあった。
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高野山はわりとクマがよく出没するらしい。冬は大丈夫だと思うけれど、山スキーへ行っていた頃に3月の乗鞍周辺で何度もクマに遭遇しているので、注意は必要だ。
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出発して2時間半で久保小学校(廃校)に到着した。
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10 時 20 分に、ようやく今日最初のピークの雪池山(ゆきいけやま)への分岐に着いた。
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このあと、少し登って四等三角点のあった所で、今日初めて腰を下ろしておにぎり休憩にした。
樹林帯で展望がきかないので、ここが雪池山の山頂かと思っていたのだけれど、実は山頂はもう少し先だった。
ピーク(988m)へはなかなかの急登で、おまけに踏み跡もあまりはっきりせず、わずかではあったけれど息を上げて登った。
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ほとんど 1000m だと言うのに、雪はほとんど無い。緯度がほとんど同じくらいの大峰は、最近の豪雪の前でも 1000m まで上がればかなり雪が現れてきていたのに、どういうことなのだろう。おまけに北斜面だと言うのに。
予定ではこのまま南下して楊柳山(ようりゅうやま)の方へ向かうつもりだった。
実はその方向に踏み跡があったのだけれど、そちらは方向がおかしいと思い込んでいて、実は変な方向にあったテープマークに引かれてそちらへ下りてしまった。
少し下りて方向がおかしいということに気が付いたのだけれど、あの急登をまた登り返す気力が出ず、ピークを巻いて元の道に戻ることにした。
無事、黒河道に戻って、南へ向かう。平坦な道だ。
途中、雪池山への分岐の標識があったので、あの踏み跡を辿ればここに出てきたのかも知れないと思った。
楊柳山への分岐の子継峠(こつぎとうげ)に到着。
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この先で、今日初めて単独行の登山者に出会った。
楊柳山(1008.6m)には 11 時 27 分に到着した。出発して4時間 20 分。
写真を撮っただけで先を急いで、11 時 52 分に摩尼山(まにやま、1004m)。
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ここから一旦、弘法大師廊へ下る。どういうわけかこのあたりはわりと積雪がある。
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地形図ではこのあたりから左へ、転軸山(てんじくやま)へ上がる道があるのだが、その登り口がわからない。
さすがにこのあたりは観光客で混雑していて、こんな所にこんな場違いな格好でウロウロしていたくない。
この左(西側)の転軸山の斜面のあたりに古いお墓がたくさん建っている所があったので、そこに突入して行った。
ヤブはそれほど濃くなかったので、そのまま強引に gps のルートの方向に上がって行った。
ほどなく、かすかな踏み跡に合流した。
それを辿ると、無事、転軸山の山頂(915m)に出ることができた。
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さて、これで今日のメインイベントの高野三山を巡ることができた。
できれば 12 時には高野山の街に出たかったのだけれど、街に出るのは午後1時くらいになりそうだ。
金剛峯寺までの道は以外とわかりにくかった。一度は大きな公園に入ってしまって、分岐に戻るのが面倒で車道脇のヤブを這いずり上がった。まさか街中でヤブこぎをすることになるとは思わなかった。
当たり前と言えば当たり前なのだけれど、宗教色の強い街だ。
立派な建物がたくさんあって、これだけの施設を維持しようと思ったら、財テクでもやらないと資金繰りが大変なのかもと思ったりした。
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メインストリートを西に向かって大門へ。
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そして最後のピークの弁天岳へ向かう。
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ここの登りはなかなか苦しかったが、午後1時 45 分に弁天岳山頂(984.2m)に到着した。
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登山道で女人堂に下りる。女人禁制の時代の名残。
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あとは京大坂道をひたすら下るだけだが、まだ距離はたっぷりある。
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不動坂は土道の旧道と石畳の道があって、私は旧道を下ったのだが、部分的にはずいぶん荒れていた。
距離的には旧道の方が若干短いけれど、時間的には石畳の道の方が早そうだった。
極楽橋には午後2時 35 分に到着した。
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ひょっとしたら「ここから電車で」という気持ちが出るかも、と恐れていたけれど、幸いそういう気持ちはまったく湧かず、迷うことなく車道を下った。
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ここの車道は道幅が狭くて、中型車なら歩行者は思いっきり避けないとすれ違えないくらいなのだが、生活道路などでわりと車が走る。朽木の県道をもっと道幅を狭くしたような感じだ。
途中に見所は所々あって、白藤小学校(廃校)。
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結構な急坂があったりして、随分下りてきたのだが、進む方向に丘があるのが気になる。
ここは九度山で、丹生神社・日輪寺の前から登り坂が始まった。
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あとは淡々と下るだけと思っていたので、この期に及んでの登りは気分的に(体力的にも)堪える。
とは言っても登りは 10 分くらいで、峠に上がるともう登りの無い景色が広がっていた。
学文路(かむろ)では苅萱堂へ立ち寄った。
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最後の悪魔の囁きの学文路駅への誘惑も断ち切って、紀ノ川まで戻ってきた。
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橋本高野橋を渡って、橋本駅には午後4時 50 分にゴールした。
約 42km、9時間 45 分の旅でした。

枚方高槻古墳めぐり

先週の週末は自由時間が土曜日の午後しかなかったので、久しぶりに淀川のロングジョグかなと思ったりしたのだけれど、そういう単調な走りにはもはや意欲が湧かない。
このところちょっと興味を持っている飛鳥の歴史にしばしば登場する藤原鎌足(中臣鎌足)が埋葬されている可能性が高いと言われている古墳が高槻にあるということを知って、その「阿武山古墳」へ行ってみようと思った。
先月、御破裂山へ行った時に、御破裂山の山頂にあった「藤原鎌足の墓」というのは何なのかという気もするけれど。
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ずいぶん新しいお墓だった。
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今日はせっかくなので、枚方の古墳も経由していくことにした。

午後2時に家を出て、まずは家から歩いても 10 分足らずのところにある牧野車塚古墳。もう何度も来ている。
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以前は案内板が立っていたように思うのだが、見あたらなかった。
次は初めて訪れる禁野(きんや)車塚古墳。
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公園になっている。
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しばらく車道を行って、淀川の枚方大橋に向かう。
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高槻のゴルフ場横を通って、芥川へ。
堤防からは阿武山古墳方面が望める。ただし途中で今城塚古墳と闘鶏山古墳に寄って行くつもり。
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新幹線を越えて芥川から別れた細い川を遡って、阪急や JR などを越えていかなければならないのだが、JR の踏み切りになかなか出会えず、結局、摂津富田駅の地下道まで遠回りさせられてしまった。
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次の目標の今城塚古墳は駅前から車道を北上すれば出られるので、そのまま車道を行く。片側1車線の細い道だが、バスも通って交通量が多い。しかも歩道が無いという最悪の道だ。
今城塚古墳に着いた時はほとんど4時になっていた。
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ここは大きな古墳で、考古学的には継体天皇の墓という説が有力なのだが、宮内庁はここから少し南西にある古墳を継体天皇稜に治定している。
おかげでこの古墳は公園として整備されていて、墳丘も立ち入り自由になっている。
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埴輪がたくさん出土したらしい。
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これらはもちろんレプリカ。
時間的に、このまま予定のコースを行くと、帰るのは確実に暗くなる。
となると、古墳をゆっくりと見る余裕も無く、あわただしく駆け抜けることになってしまいそうだ。
せっかくここまで来たけれど、阿武山古墳は時間を取ってゆっくりしたいので、この先はまた日を改めて来ることにしようと思った。
あの交通量の多い道は摂津富田駅に向かって車が渋滞していた。止まっている車の横ギリギリをすり抜けながら(もちろん歩きで)、遠回りにならないような道を選んで芥川に向かった。
5時過ぎにようやく枚方の河川敷公園まで戻ってきた。
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家に帰り着いたのは5時 40 分。何とか暗くなる前に帰ることができた。
30km 少々、3時間 45 分の古墳めぐりでした。
次回は枚方の古墳は割愛して、継体天皇陵にも立ち寄って回ってみたいと思う。

巻向山、龍王山

今日はかなりの荒天予報だったので、コース設定に苦心した。
本当は大峰に行きたかったけれど、遠路はるばる行くのであればもう少しいいコンディションの日にしたかったので、あまり欲張らずにショートコースで設定した。

JR 巻向駅をスタートしたのは8時 45 分。
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せっかくなので箸墓古墳に寄っておくことにした。
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ここは「卑弥呼の墓」という説もあるらしいが、否定的な説の方が多そうだ。
県道を笠地区の方にしばらく行って、林道に入る。
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地図で山奥にお寺の記号があったので、どんな寺なのか興味があって目指したのだけれど、結構しっかりした林道で、車が走った新しい轍が残っている。
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10 時前に巻向山奥不動寺に到着。
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ここから三輪山を目指すが、少し登った分岐に「進入禁止」の表示が・・・。
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ということで、このあとは割愛します。
奥不動寺に戻って、巻向山に向かう。
ここは車の通らない林道で、足跡はウサギだけ。
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昨秋に来た時にはもう巻向山に来ることは無いだろうと思っていたのに、4ヶ月も経たないうちに再訪することになった。
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昨秋はここから三輪山を目指すつもりが道がわからなくて北の県道の方に降りたのだけれど、実はこの林道をそのまま下れば良かったのだ。
ここからしばらくは昨秋に歩いた道を辿る。しかし今日は雪がかぶっているので、昨秋以上にわかりにくい。
頻繁に出てくるテープマークを確認しながら進む。
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何度かルートをはずしたけれど、そのたびにテープマークまで戻って、正しいコースをたどった。
昨秋に下った沢を見送って、おだやかな下りになって、このまますんなりと県道にでられるだろうと安心していたのだが、突然テープマークが無くなった。
テープマークまで戻って何度かうろうろしてみたけれど、どうにも見あたらない。しかも下は沢筋ですんなりとは下れなさそうだ。
gps のルートははずしていないので、地図で地形を確認して、横の尾根に上がってから沢筋に降りることにした。
しかしここはかなりの急斜面で、足を滑らせると谷底まで落ちてしまいそう。チェーンスパイクを着けたいところだが、こんな場所でそんなことをしていたら荷物を落としてしまう。
微妙な間隔で生えている木を頼りに、慎重に下る。
大物主大神のたたりか?。
所々踏み跡のようなものが出てくるけれど、それもすぐに消えてしまう。
ルートはそれほどはずしていないので、沢筋を下ったところ、前方に車道が見えた。
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やれやれと安堵したけれど、道に上がるには巻向川を渡らないといけない。もちろんこんなところに橋など無い。
あたりを見渡してみたところ、ちょっとした堰堤があって、そこに大きな岩があって道路に這い上がれそうだった。
堰堤を渡る時に片足を水たまりに落としてしまったけれど、ゴアテックスのシューズにスパッツを着けていたので、足は濡れなくてすんだ。
車道に上がってみると、ちょうど私が渡った場所のすぐそばに赤いテープがあるのを見つけた。やはりここは山道の取り付きなのだろう。
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車道を少し西に下って、また林道に入る。
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この道も本当に龍王山までつながっているのかどうかわからないけれど、ダメなら戻ればいいという気分で行くことにした。
ここで今日初めて腰を下ろしておにぎり休憩にした。12 時 18 分。
つまらない朽ちた林道をしばらく登ると、ヘアピンカーブになった所で沢筋を上がれそうに見えた。
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しばらくは踏み跡があったけれど、やっぱりそれも消えてしまった。あとは登れそうな斜面を上に向かって上がるだけ。
倒木をまたぎながら登ったら、赤テープが出てきた。
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ここからはしばらく笹藪で、全身雪まみれになった。
予想通りの場所に出て、ちょうど午後1時に龍王山(585m)に到着した。
このところ奈良の山によく来ていて、大和三山も訪ねたので、ここからの眺めはこれまでとは随分印象が違った。
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少し前までは奈良の山から眺める景色は葛城金剛や生駒山しか念頭になかったけれど、今日は今朝訪ねた箸墓古墳や大和三山などの方に見とれて、寒い中、しばし眺望を楽しんだ。
とは言っても山頂にいたのはほんの数分で、下山は柳本龍王社を通っていく。
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随行で来た時には寄らなかった長岳寺奥の院にも寄り道した。
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何か建物でもあるのかと思ったが、おそらく修行場だろう。
時間があるので櫛山古墳にも立ち寄った。
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崇神天皇陵も。
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そして最後は黒塚古墳。
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柳本駅には午後2時半過ぎに到着した。
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悪天を予想して軽めのコース設定にしたつもりだったけれど、巻向山からの下山は想定外の事態だった。
天気が荒れなかったおかげで無事終えることができたけれど、事前の軽い気持ちとは裏腹に、なかなか手応えのある一日になった。
帰りは近鉄奈良駅から大阪線に乗ったおかげで、あの平城京旧跡を横切る光景を眺めることもできた。
最近は古代史にも興味を感じてきていて、奈良は山と歴史の両方が楽しめるので、何度でも再訪したいと思っている。

御破裂山、竜門岳、音羽三山

昨日は大阪国際女子マラソンだったけれど応援には行かずに、またまた奈良の山へ行ってきた。
本当は山上ヶ岳へ再挑戦したかったけれど、午後から天候が悪化するという予報だったので、多少崩れても大丈夫なように、かねてから気になってきた竜門岳をメインにしたコースを設定した。

8時 15 分に近鉄の岡寺駅を出発。天気はいいけれど、朝は気温が低い。
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ウエアは上はクロロファイバーの長袖アンダーにトレラン用長袖ジップシャツ。下は冬用のトレランタイツ。シューズは HOKA の Stinson ATR。
しばらく車道で、今月4回目の明日香村。向こうの山は御破裂山?
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先日の大和三山の時に通った道に合流して、石舞台古墳はトイレのみで通過。
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県道からはずれて旧道に入って、さらに県道をショートカットしているハイキング道路に入る。なかなかいい雰囲気だが、あまり人が歩いていない感じ。
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「御破裂山」という道標はまったく見あたらなかったけれど、林道を上がって9時 40 分に御破裂山(ごはれつざん、618m)に到着した。
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談山神社(たんざんじんじゃ)に下ろうと思ったら、
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ということだったので来た道を引き返した。
談山神社の西端で県道を歩道橋で渡る。
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ここから竜門岳の稜線までの間が今日の核心部と思っていた。地形図には道が記載されているけれど、本当のところどんな状態なのかまったくわからない。
しかし実際は道標もしっかりしていて、アップダウンのほとんど無いなだらかな道で、ジョグで進める部分も多かった。
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そのせいか道路にはバイクが走った痕跡がある。それもかなり新しい。せっかく静かでいい雰囲気なので、エンジン音には絶対に出会いたくない。
冬野では畑仕事をしている人がいた。
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竜在峠の手前には「むかしの茶屋跡」。
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竜在峠はこのすぐ先だった。
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このあたりは山深い所に小さな集落が点在していて、そこを結ぶ道がたくさん残っている。次回はこういう道を辿ってみたいと思う。
が、ここから先がわからない。ここから東に向かなければならないはずなのだが、そういう道が見あたらない。
しかし目をこらして見ると、東側の急な斜面に登ったような痕跡が見える。そこでここを強引に上がって、ヤブをかきわけて進んでみる。
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かすかに踏み跡のようなものが残っているが、急にこんなに不明瞭になるのはちょっと変だ。
と思っていたら、前方に東屋のようなものが見えた。
こんな道に建物が残っているのは不思議だと思って近づいたら、何とさっきの茶屋跡だった。
さっき通った位置からは注意して見ないと見えない位置に分岐と道標が立っていた。ただし「細峠」と表記されてうぃる。こういう峠名は地図には無い。
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しかし方向としてはこちらしかないので、これを進むことにした。
竜在峠までの道に比べると荒れているけれど、部分的にはロープも張ってあって、手入れはされているようだ。
さらに進んだら突然、林道に飛び出した。
しばらくそのまま進むと次第に山道になってきて、細峠に到着した。
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あまり歩かれていない感じの道だが、道標は随所にある。
11 時半にようやく竜門岳への稜線に合流した。
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さて、これから竜門岳のピストンだ。しかしここまで来れば道はしっかりしているだろうと安心していた。
ところが、竜門岳方向に進むとにわかに道が悪くなってきた。ずいぶん荒れている。
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竜門岳までは結構距離があるので、こんな状態が続くと非常に時間がかかってしまう。
風の当たらない場所で今日初めて腰を下ろして、おにぎり休憩にした。
10 分足らずの休憩で再出発して、しばらく行くと道が良くなってきた。部分的には走れる箇所もある。
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そろそろ雪が出てきた。しかし足跡はおそらくシカで、人の足跡は見あたらない。
鉄塔を越えて、最後は急な雪の斜面をキックステップで這い上がった。
今日はこれまで山道では誰一人会わずに静かな歩きを楽しんできたのだが、竜門岳には年配の3人パーティがいた。
ちょうどこちらに下りてくる時で、入れ替わって山頂(904m)に到着した。稜線に乗った所から 47 分かかった。
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雪の斜面の下りに備えてポールを出して、早々に下山を開始した。
すぐに3人パーティに追いついて、先に行かせてもらった。
鉄塔の場所からは熊ヶ岳が望める。
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竜門岳ピストンは1時間 20 分かかった。
大峠には午後1時 12 分に到着した。
ここから先はこれまでに2度歩いている。この先はなかなかの急登が待ち構えているのを知っているので、ここでまた腰を下ろしてどらやき休憩にした。
熊ヶ岳周辺はいつも通りのクマザサ原で、足元が見えなくて歩きにくい。
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熊ヶ岳(904m)には午後1時 39 分に到着。
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経ヶ塚山(889m)には午後2時1分。道の雪を見ると今日は誰も歩いていない。
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音羽山(851m)には午後2時 14 分に到着した。
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空模様があやしくなってきたので、下山を急ぐ。
たまにぽつりとくることもあって、何とか電車に乗るまでは持ちこたえてほしいと願った。
展望台からの金剛、葛城は霞んでいる。
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昨年、随行で来た時に、登山道の下の方で、展望台を経由して音羽山へ上がる道標があったのを記憶していたので、展望台からそのまま下に下った。
植林の管理のための道のようで、山肌が苅られてまだ木が高く育っていない状態なので、開けて明るい斜面だが、まったく味気ない道だった。
尼寺の善法寺。
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濡れていると滑って危険なコンクリート急坂をジョグで下りて、県道に合流して今日のコースは実質終了した。
桜井駅まで走るつもりをしてはきたけれど、ここの車道はあまり走るには向いていない道だということはわかっていたので、もしバスの待ち時間がわずかならバスに乗ろうと思った。
下居(おりい)のバス停で時刻表を見たら、次のバスまでまだ 40 分以上あったので、予定通り車道をジョグで下った。幸い、雨は降ってきていない。
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桜井駅に到着したのは午後3時 25 分だった。
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結局、山中で出会ったのは竜門岳山頂での3人パーティだけで、本当に静かな山歩きを楽しむことができた。
随行で音羽三山には2回来ていて、そのうち昨年は日曜日だったけれど、いずれの時も他の登山者にはまったく出会わなかったように思う。
まだまだ静かで楽しい所はいっぱいありそうだ。
さっそく次のルート設定のために地図を眺めている。

大和三山

この連休は久しぶりに乗鞍あたりにでも遠出してみようかと思ったりしていたのだけれど、残念ながら不安定な天候のためにあきらめて、ここならこの天気でもそこそこ楽しめるだろうと思って、奈良の大和三山へ行くことにした。

スタートは畝傍御陵前を午前9時とゆっくりめだった。
駅前の道を真っ直ぐ西に向かう。
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一旦、神武天皇陵へ。
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畝傍山への登り口がよくわからなくて、道標の無い踏み跡を適当に南に向かった。
あまり人が通らない登山道のようだが、こういう場所は市街地のすぐそばだけれど自然林が残されているので気持ちいい。
山頂(198.5m)には人がいたけれど、静かで清らかな感じ。
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金剛山の上部は雲がかかっている。
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せっかくなので橿原神宮へ。
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お次はしばらく車道を走って、甘樫丘へ。
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展望台からの畝傍山は意外と遠くに見える。後ろは二上山。
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稜線(?)を縦断して南側に下りて、またしばらく車道を走って石舞台古墳へ。
入場料 250 円を払って入ってきた。
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休憩所のベンチに腰掛けていなりずし休憩。
県道を北上して岡寺へ寄ったけれど、ここは入り口まで。
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さらに北上して、つい先日、花の講座の下見に来た八釣地区を再度探索。しかし新発見は無かった。
次なる目標は天香具山だが、地図を見誤っていて変な所をウロウロしてしまった。
地元の人に道を尋ねて、ようやく山の麓に近づいてきた。
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道標の無い道を適当に行ったら、公園のような場所に山頂への道標が立っているのに出会った。
天香具山の山頂(152m)も静かだった。山頂の國常立(くにとこたち)神社。
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麓には天香具山神社。
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さらに天岩戸神社。
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また車道を走って耳成山を目指すが、雨が降り出してきた。車道も歩道の無い狭くて交通量の多い道で、一気に気分が憂鬱になってきた。
次第に本降りになってきたので、道路脇の畑のあぜ道に入って、雨具を上下とも羽織った。
藤原宮跡はただの広場という感じ。
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この車道を走り続けるのはたまらないと思って、畑のあぜ道を適当に北上することにした。
耳成山までは JR と近鉄を越えなければならず、交通量の多い道も渡らなければならないので、右に行ったり左に行ったりを繰り返すことになった。
ようやく耳成山がすぐそばに近づいてきた。雨も止んできた。
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耳成山の山頂(139.3m)は三角点はあったものの、残念ながら眺望はまったく無かった。
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静かな山を後にして、耳成山を振り返りながら大和八木駅に向かった。
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午後2時 35 分に大和八木駅に到着。
終わってみればなかなか楽しい行程だった。
何よりも良かったのは、思いのほか人が少なかったこと。
季節と天候のせいもあったと思うけれど、休日にこれほどの観光スポットめぐりがこんなに静かにできるとは思ってもみなかった。
このところたて続けに奈良に来ている。
京都人としてはちょっと悔しい気持ちがあるけれど、日本の歴史や文化の源はやはり奈良(大和)だと思う。
たまにはこういうのもいいものだと感じた。
歴史の勉強をして、予備知識をしっかり持って再訪したいと思う。

UTMF 2017

予想されたことではあるけれど、UTMF 2017 の開催見送りが発表された。
2012 年の第1回大会から 2014 年までは春の開催だったが、山地での夜間の冷え込みの厳しさなどから 2015 年から9月末の開催になった。
この時期は台風の影響などの天候に対する懸念が当初からあったけれど、はからずもそれがこの2年は的中してしまった。
天候は誰にも制御できないので結果論と言えば結果論ではあるけれど、想定内の結果ではあった。海外のトレランサイトでも「UTMF は春の開催に戻るだろう」というコメントは昨年から散見されていた。
個人的にはもう UTMF を目指すことは無いと思ってはいたけれど、いざこういう結果になると一抹の寂しさは感じざるを得ない。
今年の大会が消化不良で終わったあと、ポイント取得を目的にどこかの大会に参加しようかと思う気持ちもまったく無かったわけではないし、STY にエントリーしようかという考えも多少はあった。
何とか自分の気持ちに決着をつけようと少しあがいていた。
しかしこれでもうすっきりした。
2年後の UTMF を目指すなんてもはや考えられない。
マラソンで結果を出すという目標を失ってさまよっていた時、UTMF という思いがけない目標に出会えたことは幸せだった。
UTMF 2015 の参加権を得たときはかつて別大マラソン完走を目指していた頃の気持ちを思い出した。
ただ、気持ちは戻っても身体は思うように反応してくれなかった。
それでも大きな目標を持って過ごす日々はひと味違って充実していたし、UTMF という目標があったからこそ実現できた山行もいくつかあった。
夢を見させてくれた UTMF には感謝したいし、世界に誇れる大会として今後も続けてもらいたいと思う。

矢田丘陵

矢田丘陵は生駒山地の東に南北に走る丘陵地。せいぜい標高 300m 少々なので、山というほどではない。
生駒や奈良の山へ行くといつも見える場所で、一度歩いてみたいという興味は持っていた。
しかしながら仕事ならいざ知らず、丘陵歩きにわざわざ自分で出かけるのも面倒で、これまで訪れる機会が無かった。
昨日は天気予報ではあまりすっきりしない天候が予想された。まともな山だと雨に遭うかも知れない。それにこのところ不明瞭な路でヤブ歩きが続いていたので、たまには気楽に行けるルート設定にしてみたいという気持ちになった。
そこで直前になってふと思いついたのがこの矢田丘陵。地図を見ると最南端が法隆寺のあたりで、法隆寺をスタートして北上して最北端の生駒市の総合公園まで行って、それから道をうまくつなげると飯盛霊園を経由して家まで帰れそうだった。
総合公園から飯盛霊園までの道が不明瞭だったが、ヤマレコを検索したらちょうどこのあたりを歩いた人のデータがあった。
この情報を元にしてルート設定したところ、自宅まででおおむね 40km 程度だった。これなら丘陵歩きなので大丈夫だろうと思った。

8時過ぎに法隆寺駅に着いて、駅前の案内板のあるベンチで用意して、8時 20 分頃に出発した。
天気予報では随分気温が下がると言っていたが、それほどではない。
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法隆寺はおそらく初めてだと思う。
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まだ時間が早いせいか、参拝客はあまり多くない。拝観料を払って中に入るつもりはないが、外から見えるあたりはざっと歩いてみた。
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ついでなので向かう方向とは逆の西に向かって、藤ノ木古墳も訪れておく。
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もう一度法隆寺に戻ってトイレを拝借して、いよいよ矢田丘陵への道に向かう。
gps にルートを入れてきたので迷わずに行けたが、随分細い道で、あのヤマレコのデータに出会わなければ苦労しただろう。
最初の目標は松尾寺。
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ゴルフ場の中を抜けて行く。
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地元の人に馴染みの寺なのか、この時間でも下ってくる人がたくさんいる。
法隆寺界隈で時間を使ってせいで、1時間少々でようやく松尾寺に到着した。
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寺の上に松尾山神社というのがあったので、ひょっとしたらここから松尾山へ行ける道があるかもと思って上ってみたが、期待ははずれて結局元に戻ることになってしまった。
年配の参拝客が多かったが、実は車道がすぐそこまで入っていた。
このあとは一般車が入れない細い車道を登って、最後は急登を少し上がって松尾山山頂(315m)へ。
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山頂エリアは電波塔か何かの工事をやっていた。
この日の最高標高点だと思っていたけれど、帰ってから確認したら交野山のエリアの方がここより高かった。
※実は矢田峠のそばに 340m 地点があったのだが、まったく気が付かなかった。
ここからはしばらく山道になる。すれ違うハイカーもちらほらと。
展望台からの東側の眺めは素晴らしかった。やや南向きのアングルで、左端は龍王山と三輪山。正面向こうは音羽山のあたりだと思う。
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矢田峠はどこなのかよくわからなかった。
道標はわりと整備されているけれど、どうも表示がわかりにくい。管理道路などもあって、表示に従って歩いたら余計な回り道をさせられたりする。
一度はまた元に戻ると思ってしばらく下ったが、これはおかしいと気付いて元に戻った。今回はこういうロストは無いはずだったのに・・・。
今度の展望台からは生駒山が正面に。
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このコースは道そのものはしっかりしているし、アップダウンも少ないので、ほとんどが走れる。だから逆にしんどい。ちんたら歩ける部分があまり無いのだ。
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こんな道はオフロードバイクが入ってくるのではないかと懸念していたが、バイクには出会わなかったもののマウンテンバイクには何度もすれ違った。
一度細い車道に出て、すぐにまた山道に入る。
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帝塚山大学に近づいてくると、グラウンド(おそらく)からの大きな声がたくさん聞こえてきた。
大学の正門そばで一旦車道に出る。
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ルートはこの道を渡るのだが、前方には道らしきものが見あたらない。それに交通量も多い。こういう場所ではよく地下道か横断歩道があるのだが、それも見あたらない。
たまたま大学の正門に警備員の方がおられたので尋ねてみたら、この道を渡って少し西に行った所から山に入るとのこと。
峠になっているので向こう側から来る車が見えにくくて緊張したが、何とか無事渡ることができた。
後で矢田丘陵の案内パンフレットを見たら、もっと西の横断歩道を渡るのが正規ルートだったようだ。
木道の急な階段を上がって、また細い車道に出て、ここの展望エリアでおにぎり休憩にした。11 時半で、出発して3時間少々。
この先の展望橋からの生駒の眺め。
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いよいよ矢田丘陵も終盤のエリアに。
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このあともまた一度街に下りてしまいそうになって戻るはめになった。
しかし幸いヤブこぎになることはなく、出発して4時間で総合公園への車道に出た。これで矢田丘陵は実質的にお終い。
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gps に入れてきたルートでは総合公園の中を突っ切っている。ルートに従って進んでいたら、グラウンドで行き止まりになってしまった。
さて道はどこ? と眺めていたら、かすかな踏み跡があるのに気付いた。
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確かにここを通っているようだが、これまでの道とはうってかわって不明瞭な道で、枝道もあってややこしい。
踏み跡に従って進んでいたら、ルートからずいぶんはずれてきた。変な方向に行ってしまいそうだったので、はずれた場所まで戻ったが、そのあたりには分岐は見あたらない。
今日はヤブこぎはしたくないと思っていたので、踏み跡を辿ってみることにした。しかしこの踏み跡も消えてしまった。
またもやヤブこぎになってしまった。もう道は無いので、gps を頼りに本来のルートの方向を目指して適当に行く。そうしたらピンクのテープが張られているのが目に入った。
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それほど古いテープではなさそうだったので、このあたりに踏み跡があるかも知れないと思ってテープを辿ってみたが、それらしい道は見あたらず。
車の音が聞こえるので、車道には近いようだ。
gps を頼りに急な斜面を谷に下りたら、かすかな踏み跡に合流した。ここから車道まではわずかだった。
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このあともしばらくは郊外の、車も入れないような細い道をしばらく辿って、田原台の住宅街に出た。
それにしてもこのルートを歩いたヤマレコの人、一体どうやってこんな道を見つけたのだろうか。
ようやくむろいけ園地へ向かう道と出会って、実質的な今日のコースが終わった。出発して5時間だった。
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あとはもう消化試合なのだが、距離はまだまだあるし、しんどい登りの三連チャンが待っている。気を緩めるわけにはいかない。
飯盛霊園に入ったところでどら焼き休憩を取って、霊園の登り車道を何とかジョグで上がりきった。
ほしだ園地はこれまで見たことが無いほど人が多かった。R168 の付近は路上駐車がいっぱいで、一体何を求めて来ているのかまったくわからない。紅葉がきれいとも思えないのだが。
ゴルフ場の登り車道も何とかジョグで上がりきって、残すはくろんど園地のみ。
この登りの三連チャンはいずれも傾斜が何とかジョグで上がれるくらいなので、よほど疲れていない限りは歩くわけにはいかない。標高差は 100m から 150m くらいなので、時間にすれば 10 分少々というところだ。
最後のくろんど園地は未舗装なので、一番しんどい。しかしここをジョグで上がりきるかどうかはその後の納得感に大きく影響するのだ。
くろんど園地を上がり切った時はほっとした。
交野山も国見山も山頂はパスして、最短経路で家を目指した。
お腹が空いたので、津田サイエンスヒルズの公園で最後の総菜パンを食べた。朝よりも寒い感じ。
穂谷川の堤防では足の裏が痛かった。今日は HOKA ではなく、久しぶりに Salomon の Sense Mantra にしたが、距離が長くなるとやはり痛い。
家に着いたのは午後4時 20 分頃。出発してからちょうど8時間で、距離は約 43km だった。

経ヶ岳から三国峠、根来坂峠へ

昨日は秋晴れの好天だったので、練習会をさぼって高島トレイルの南部を歩いてきた。
高島トレイルに行ったというよりは、地図を見て設定したルートがたまたま高島トレイルの一部分だったという感じ。

久しぶりに土日に予定が入っていなかったので、天気が良ければ遠出しようかと以前から考えていた。ラストチャンスの白山にでもと思ったりしていたのだが、金曜日の随行が結構疲れた。歩きそのものはそれほどではなかったけれど、何度も乗り換える交通機関の長さに疲れてしまった。
土曜日は長距離運転する気分になれず、かと言ってせっかくの好天の休日を山田池の練習会だけで終えてしまうのはあまりにももったいない。もはやロードレースを目指しているわけではないのだ。
そんなわけで地図を見て直前に設定したのがこのコースだった。
朽木の桑原橋近くに車を置いて、ここからまず経ヶ岳。それから北西に向かって三国岳(さんごくだけ)を経て地蔵峠、三国峠(みくにとうげ。地形図には三国岳と表記されているが、登山者の間では三国峠と呼んでいる)。
さらに北東に向かって根来坂峠(ねごりざかとうげ)から百里ヶ岳まで足を延ばして鯖街道を桑原に戻るというコースを設定した。
gps 用にルートを引いたら 28km くらいだった。終盤の数キロは平坦な車道なので、これなら楽勝だと思った。
7月に久多へ行った時に使った湖西道路経由で1時間 40 分ほどで桑原橋に到着して、ヤマレコで得た情報で橋を少し越えた所のちょっとしたスペースを見つけた。
たまたま年配の男性がタバコを吸いながら立っておられたので、恐る恐る「ここに車停めても大丈夫ですか?」と尋ねたところ、「どうぞどうぞ」という気軽なお返事。ほっとした。
準備を整えて出発したのは8時 20 分だった。
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ここはちょうど高島トレイルの南端になる。
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ヤマレコの情報では今日の予定コースはおおむね道ははっきりしているようで、迷う心配はあまり無さそうだ。
と思って気楽な気持ちで進んだらいきなりコースミス!!。山手に入らなければならないところをそのまま沢沿いに進んでしまった。ほんの数十メートルで堰堤になって引き返した。
さらに山手に入ってすぐ、はっきりした道をそのまま真っ直ぐ進んだら急に道が消えてしまった。
あわてて戻ったら斜面を這い上がるのが正式ルートだった。
ロスタイムはほんのわずかだったけれど、まったく想定外のスタートだ。
かなりの急登が続く。途中で中高年の3人パーティを追い抜く。
朽ちて読めない札の残るお茶屋跡。
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歩き出して 45 分で稜線(丹波越)に出た。峠には年配の男女がおられた。意外と登山者がいる。
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一旦ここから南に向かって経ヶ岳を目指す。
道はかなり不明瞭だ。かすかな踏み跡と所々にある古いテープをあてにして歩いていたら、突然林道に飛び出した。こんな林道は地図には載っていない。
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林道を進むと下って行くので、強引に稜線の方を歩いてみたが、また林道に出てしまった。
経ヶ岳とおぼしきピークが右前方に見えたあたりでまた山道に入った。
かすかな踏み跡のある急斜面を這い上がって、スタートして1時間少々で経ヶ岳のピーク(889m)に到着した。
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帰りはしばらく林道を進んだが、どうも山道に戻る所を通り過ぎてしまったようだ。適当に斜面を這い上がって gps のトラックを頼りにうろうろしたが、なかなか元の峠に戻れない。
古いテープが見つかったと思ったらまた変な方向に行ってしまったりして、結局戻るのに行きと同じくらいの時間がかかってしまった。
ここからも道は非常にわかりづらかった。ちょうど落ち葉の季節なので、落ち葉に覆われていてどこが道なのかさっぱりわからない。
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まぁどこでも歩けると言えば歩けるのだが。
中高年の5人ほどのパーティがこちらに向かってくるのに出会った。彼らもトレースを見失っていた。
三国岳(959m)へはルートから少しだけ西に入った所にピークがある。
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7月に来たばかりで、こんな山にこんなにすぐに再訪することになるとは思いもしなかった。
何だかんだで出発してからすでに2時間が経過している。思ったより時間がかかっていて、今日のコースはそれほど甘くないという気がしてきた。
それでもこのあたりからは少しルートがはっきりしてきた。所々に黄色の「高島トレイル」というテープが巻かれている。
古屋(ふるや)からの道が合流する岩谷峠。
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カベヨシ(818m)でおにぎり休憩にした。三国岳から1時間かかっている。
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好天だがずっと樹林帯なので日射しは避けられている。それでも気温はやはり高めで、冷えることを想定して少し厚着(ノースリーブメッシュシャツの上に長袖ジップシャツ)で来たので暑い。水分の補給量がいつもより多い。
林道のある地蔵峠まではここから 30 分くらいでいけるのではと思っていたが、結局 45 分ほどかかった。
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峠に下りる手前で単独行の男性が登ってくるのとすれ違ったが、この時間(12時過ぎ)にこれからどこへ向かおうというのだろうか。
三国峠への登り口がよくわからなかった。最初、林道をさらに奥の方へ少し行ってしまったが(gps のルートがその位置だった)、三国峠側の斜面から離れるのと、以前に随行で三国峠へ行ってここへ下山した時、確か峠の少し東側に下りたような記憶があったので、戻って少し東へ下ったところ、無事道標を発見した。
ここの登りもなかなかの急登だ。以前に来た時は下りだったのだが、小雨で滑りやすかったと書いている。
途中一カ所少し下って登り返す所があったが(まったく記憶にない)、このあたりのトレースを見失ってしまって、とんでもないヤブに突入してしまった。しかしこのまま突っ切るしかない。
5分ほど格闘して何とかトレースに戻ることができた。こういうロストが一番痛い。
地蔵峠から 40 分ほどで三国峠(776m)の山頂に到着した。山頂なのだがなぜか峠と名づけられている。
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そろそろ補給したかったが、人が多くて煩わしいので、写真を撮っただけで眺望も眺めずに早々に下山した。
前回来た時に沢筋を上がってきたクチクボ峠までは 10 分足らずだった。ここでどら焼き休憩。
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地図を開いてこの先を考える。すでに午後1時。根来坂峠まではまだまだ距離がある。
この季節の日暮れの速さを考えると、根来坂峠2時というのが百里ヶ岳へ向かうタイムリミットだろうと思った。それを過ぎると下山後の車道で日が暮れてしまうだろう。ヘッドランプは持ってきているけれど、狭い車道の薄暗い道を走るというのは事故に遭う典型的なパターンだ。この道は鯖街道ウルトラマラソンなどで何度か通っているので、そこそこ車が走るということは知っている。
途中で東側に展望の開けた場所があった。東山などの朽木の稜線や、その向こうに比良山系が見えているはず。足元にはこの後で走ることになるであろう県道もちらっと目に入る。
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この稜線も部分的にはアップダウンが厳しかった。根来坂峠2時はもはや不可能で、おにゅう峠から車道を下ろうかと思った。
オクスゲノ池では東向きに方向転換するのだが、そのまま北へ行きそうになった。
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落ち葉の少ない季節ならもう少しスムーズに歩けるのかも知れないが、それにしてもトレースの不明瞭なコースだ。こんなコースを gps 無しで地図とコンパスだけで迷わずに歩けるような人は天才じゃないかと思った。
このあたりはおそらく歩く人も少ないのだろう、素晴らしい自然が残されていて、こんな美しい光景を独り占めできるのはありがたいことだ。景色や風景にはあまり感動を覚えない私でも、この光景にはさすがに立ち止まって見とれてしまった。
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おにゅう峠手前のジャンクションピーク手前の斜面の眺望も素晴らしかった。
一番高いのはおそらく武奈ガ岳。その左側がツルベ岳だと思う。
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横に目を向けると根来坂峠下の車道が見える。
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おにゅう峠に着いたときはすでに2時半を少し過ぎていた。
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このまま車道を下るつもりで走り出したが、思ったより車が多いのに閉口して、根来坂峠までのトレイルに入ることにした。
根来坂峠には午後2時 45 分に到着した。これで鯖街道に合流したことになる。
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百里ヶ岳への道を見送って下り始めたが、やはり百里ヶ岳へ向かうべきだったかもという気持ちがふつふつと湧いてきた。体力的にはまだ余裕があったので、問題は時間だけだった。あと1時間早くスタートしていればと思ったが、いささか軽く見過ぎていた。
少しやり残しがあるくらいの方がいいのだと自分に言い聞かせて、足元に気を付けて下った。
鯖街道ウルトラマラソンを最後に走ったのはまだほんの2年前のことなのだが、もう記憶が曖昧になっていた。
このあと車道に出て少し下ってからまた山道に入って、そのまま下まで山道が続いていたように記憶していたのだが、実はもう一度車道に出てから再度山道に入っていた。
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これで今日の山道は終了。
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小入谷(おにゅうたに)に出る手前で水の流れを二カ所渡らなければならない。最後の最後で足を濡らせたくなかったのだが、二カ所目の最後の二歩で結局濡らすことになってしまった。
ここは「おにゅうだに」と読むのだが、小浜側の「遠敷」も「おにゅう」と読む。県境を隔てて北側と南側で、おなじ発音で字が異なる地名があるというのは不思議な感じだ。
車まではあと 5km くらいだろうか。午後4時に着くかどうかというところだ。もし百里ヶ岳へ行っていたら間違い無く車道で夕暮れになった。
生杉(おいすぎ)の大宮神社。
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古屋(ふるや)のあたりは何となく記憶がある。
車に戻ったのは4時ちょっと前だった。約 28km、7時間 40 分だった。
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家にメール連絡しようと思ったが、au の携帯は圏外。しかし docomo 回線のスマホは問題無かった。そろそろ MNP で全面的に乗り換えるべきだろうか。
鯖街道ウルトラマラソンではこのあたりの車道は長くて、小入谷から久多まで 17km くらいある。車で走りながら、よくこんな道を走ったものだと自分で感心した。もう二度とやることは無いだろう。