鯖街道所感

鯖街道は初めてだった。まだ残りが10km以上あるとは言え、後はおおむね下り基調の車道と河川敷なので、距離はさておいて地形的にポイントになるような所は無いので、おおむねコース全体のイメージを得たと言っても良いだろう。
まだ本番を迎えていないのにこんなことを言うのも何だが、正直言ってあまり楽しくないコースである。
コースの半分以上は車道。トレイルの部分もかつては林道で、別に良い道ができたために車が走らなくなって、かと言って雰囲気が良いという訳でもないので歩く人もあまりいなくて荒れているというような部分が多い。
試走したのは土曜日だったにも関わらず、トレイル部分では最後までただの一人も出会うことが無かった。
八丁平も保護のためかいたるところにネットが張られており、せっかくの湿原の景観を著しく損ねている。
そこそこ気持ちが良かったのは前半部分だけだった。後半は八丁平周辺以外は道も荒れていて、杉峠手前は廃車や大型ゴミがいたるところに散乱していて、目を背けたくなるような状態だ。
鯖街道という歴史的な意味が無ければほとんど存在意義が見いだせないようなコースだと感じた。
大会そのものはかなり評判が良い。エイドが充実していて、総合的に見て参加費1万円は現在では他の大会に較べると割安ということらしい。
そんな評判に惹かれて今回エントリーしたのだが、コースそのものに関して言えば何度も走りたいと思えるようなものではないと感じた。

鯖街道試走

明日は鯖街道の試走へ行こうと思っている。
しかし朝に家を出発ではさすがに全コースは時間的に厳しいので、バスを小浜の手前で降りて、そこから鞍馬まで行くつもり。これならトレイル区間はすべてカバーしているし、距離も60kmくらいになるので、試走としては十分だろう。
走り出しが9時過ぎくらいになるので、あまりのんびりしていると暗くなってしまうかも知れない。
できれば8時間以内、夕方5時くらいには鞍馬に着きたいところだ。

ボストンマラソン

私が一度は走りたいと思っている唯一の海外マラソンはボストンマラソン。そこで今回、テロ(おそらく・・・)が発生した。多くのマラソンファンが大きな衝撃を受けたことと思う。私もその一人だ。
ボストンマラソンは田中繁樹さんに始まり、山田敬蔵さん、君原健二さん、瀬古利彦さんなど、日本人優勝者も何人かいて、日本人には馴染みの深い大会でもある。
もう20年ほど前になるが、出張で3日ほどボストンを訪れたことがある。歴史を感じさせる街並みで、ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学などがあり、文化性の豊かな街でもある。ニューヨークが東京だとすると、さしずめボストンは京都と言ったところだろうか。
あまりテロの舞台にはならなさそうな雰囲気の街がそのターゲットに選ばれたということは、ある意味ニューヨークのテロよりもアメリカ人にとっては衝撃が大きいかも知れない。
こういう行為はいかなる理由をもってしても許されることではないし、オバマ大統領も容疑者割り出しに強い姿勢で臨むことを表明している。
アメリカの大統領は常にテロとの闘いを大きなメッセージとして掲げてきているが、いくら事件の容疑者を逮捕して処分したとしても、そんなモグラ叩きのようなことをいくら繰り返してもテロは決して無くならないだろう。
アメリカ人はこれを機会に、アメリカ軍の無差別爆撃で殺されたイラクやアフガニスタンの何万人という一般市民の気持ちも、少しは考えてみたらどうだろうか。
今回のテロの容疑者がどういう背景なのかはまだわかっていないが、こういうことが起こるたびにそんなことを考えてしまうのだ。

英語学習

このところ英語学習に取り組んでいる。これまでも何度かトライしてきたが、いつも中途半端でフェードアウトしてきたので、今度こそは何とかモノにしたい。
30歳台の頃は何度も海外に出かけて、一人でも英語が通じれば何とかやってきたが、いつも心の底では『こんないい加減な英語力では本当の意思疎通はできない』とずっと思っていた。
会社員時代は会社の英会話クラスに参加したり、50歳を過ぎてからも地域の英会話サークルに参加したこともあったが、どれもこれも中途半端にしかならなかった。
2年ほど前に初めてTOEICを受験してみたが、630点という結果は自分としては非常に中途半端なスコアだった。
再度気合いを入れ直してまだ1ヶ月。きっかけはとある英会話教材の紹介ビデオで、あの日本語ぺらぺらのジェームス・スキナーが『英語学習は発音から』というものだった。ただ、その教材を購入するほどの金銭的な余裕が無いので、似たようなアプローチの学習素材が無いかどうか探していたところ、運良く図書館にあったCD付きの書籍を見つけた。
それは松澤喜好氏の『単語耳』という本。
さっそくamazonで中古を購入し、本文で推奨されていた『多読』にもトライしつつある。
amazonでは中古の安いものがたくさん購入できるが、そうは言っても調子に乗るとカードの請求で慌てることになりかねない。
無料の素材が無いかいろいろと探したところ、kindleの無料版で子供向けのやさしい洋書がいくつかあるのを見つけた。kindleではおまけに無料の辞書がダウンロードできて、本文の単語が簡単に調べられる。
多読では流れを切らせずに読み進むことが重要だが、そうは言っても意味がまったくわからない状態ではなかなか読み進められないので、この辞書機能は非常に助かる。
使わなくなったandroid端末の思いがけない復活にほくそ笑んでいる。

ようやく疲れが取れてきた

キャノンボールランの疲れがようやく取れてきた。こんなに疲れが残ったのは本当に久しぶりだ。
全盛期の頃はフルマラソンをうまく走れた後はだいたいこんな感じだった。レース後2週間くらいは疲れが残っていて、まともな練習を再開するのは1ヶ月くらい経ってからだった。
ところが最近はさほど疲れが残らないし、レースの翌週の練習会でインターバルをやったりすることもある。
疲れがあまり残らないのは、レースでうまく力を使い切れていないということだろう。以前も失敗レースの後はすぐに練習を再開することができた。
キャノンボールランではそこまで力を出し切ることができたということで、これは喜ばしいことに違いない。
このところはマラソンの終盤でいつも失速するので、どうしても抑え気味のスタートになってしまうのだが、今度は少しアグレッシブに行ってみようと思う。
来週はダイトレだ。
キャノンボールランの疲れでモチベーションが戻るかどうか不安だったが、あと1週間あれば持ち直せそうに思う。
できればこの週末は少し長い距離を走っておきたいのだが、どうもかなりの悪天になりそうである。少なくともトレイルは止めた方が良さそうだ。

体重の話

体重の変化はなかなかおもしろい。
基本的には食べたカロリーより消費カロリーが多ければ体重は減るし、消費カロリーの方が少なければ体重が増える。排泄が規則的であればそうなるはずだ。
しかしその増減の程度は、必ずしも運動量や食事量を正確には反映しないように思える。もちろん、ある程度の期間で見るとおおむね運動量と食事量の相関関係は保たれていると思うが、短期間の変動は必ずしも運動量と食事量の関係とは一致しないことがしばしばある。
それが一番顕著に現れるのは、2000mを越えるような山へ行った後だ。高い山から帰った翌日は、食事量がさほど普段と変わらなくても、必ず1kgくらいは体重が増える。
その後2日間くらいはその状態が続くが、その後は次第に体重が落ちて元のレベルに自然に戻る。その間の食事量や運動量は普段と変わらない。
1000m未満のトレイルではこのような変化は起こらないが、少し高い山へ行くとこういう現象が現れる。山スキーへ行った後も同じようなことがよくあった。
普通のロングジョグで長い距離を走った後に体重が落ちていることはあるが、その後にリバウンドのように大きく増えることはなく、おおむね食事量に比例した程度の変化にすぎない。
なぜこのようなことが起こるのか、これまでそういう文章に出会ったことが無いのだが、個人的には、肉体的に厳しい自然環境にさらされると、身体の防衛本能が働いて、カロリーを貯めようとするのではないかと考えている。
2000mも上がれば気圧は平地に較べると明らかに低くなるし、気温も低くなる。自覚症状は無くても心電図などを取れば肉体は変化を感じているはずで、それに対して何らかの反応が起こることは容易に想像できる。
しかしある程度長い期間、そういう場所に留まっていると、身体がそういう環境に適応してくる。つまり平地よりも厳しい環境に身体が適応すると、その後平地へ戻ると以前以上のパフォーマンスを発揮できるというのが高地トレーニングの考え方だが、高地トレーニングも賛否両論があるので、そう単純なものではないようにも思える。
運動量と食事量に対する体重変化の割合に関しては、基礎代謝量の変化が大きく影響しているように思える。基本的には加齢とともに基礎代謝量が減ってくるので、食事量と運動量が同じレベルをずっと続けていると、体重が徐々に増えてくることになる。いわゆる『中年太り』というのはこれが原因である。
幸いなことに私は高校生の頃からもう40年ほど、体重があまり大きくは変わっていない。20年ほど前のマラソン全盛期の頃に較べると練習量は減ったが、食事量もそれに伴って減ってきた。感覚的には記録の低下と食欲の減退が比例しているように思える。おかげで中年太りとも無縁である。ありがたいことだ。

山代温泉

週末は久しぶりに、家族で山代温泉へ行ってきた。
好天の土曜日は東尋坊へ行って海鮮どんぶりを食べて散策してから山代温泉へ。
山代温泉は初めてだったが、お湯は普通のお湯とほとんど変わらない感じで、温泉と言われなければわからないくらいだった。おまけに旅館の露天風呂は屋根が覆い被さってまったく空が見えず、かろうじて外気が入ってくるだけという造りで、何とも風情の無いところだった。
街並みも閑散としていて、これまでに行った温泉地の中では一番活気が無かった。
日曜日は天気が悪いのがわかっていたので、朝は旅館の近くを少し散策してから永平寺へ向かった。
雨が降ってきたが、永平寺は寺の中をぐるっと巡れるようになっていて、修行僧と観光客が行き交うユニークなシステムだった。
いつの間にか雨は止んでいて、土産物店でそばを食べて、夕方には帰ってきた。
こんな温泉旅行をこのところ年に2回くらいやっているが、温泉そのものに関して言えばこれまでで一番温泉らしくないお湯だった。
もちろん硫黄のにおいがしたり、お湯がヌルヌルしていたり、色が透明で無かったりということばかりが温泉という訳でもないだろうが、普通のお湯と何の違いも感じられないようなお湯ではちょっともの足らないというのが正直なところだ。
それほどの温泉通というわけでもないので、やはりどうせ行くなら温泉らしいお湯に出会いたいものだ。
これならスパバレイ枚方の温泉のお湯の方が良いくらいだった。

シール・エミコさん

昨日はシール・エミコさんの報告会に行ってきた。久しぶりに地平線会議の人たちとも出会って、アフターの一杯も楽しんできた。
エミコさんは自転車ライダー。元はバイクライダーで、世界を走り回っていたところ、のちのパートナーとなるオーストラリア人の自転車ライダー、スティーブと出会って自転車の楽しさに目覚め、それからはスティーブと一緒に自転車で世界を回ってきた。
ところが旅の途中で体調を崩し、診断を受けた結果はかなり進んだガン。帰国して大きな手術を受けて、一時はカムバックして旅の続きも再開したが、またしてもガンが再発し、その後はずっと治療生活を続けている。
手術、抗がん剤、放射線など、ありとあらゆる治療法を試したが、芳しい結果は得られず、医者にも見放されて昨年オーストラリアに渡り、そこで大きな手術を受けて、ようやく少し体力が回復してきたということで、今回の報告会のはこびとなった。
腹部の内臓はほぼ全摘出で、骨盤もかなり削られたようで、普段は車椅子。杖をついて何とか立ち上がれるという状態だが、それでもまた自転車に乗るという希望は捨てていないとのこと。
彼女と初めて出会ったのはちょうど10年ほど前で、一度目のガンから復活して間もない頃だった。
その後、何度か会う機会があったが、再発して以降は初めてで、おそらく数年ぶり。しかもずっと闘病生活なので、さぞかしやつれていることだろうと思っていたが、思いの外明るく、表情も以前とまったく変わらない。
とにかくどんな話題を話す時も笑顔で明るいのが彼女の特徴で、それはまったく変わっていなかった。表情だけを見ていればとてもそんな大病を患っている人間とは思えない。
それにしてもガンと戦う闘志は常人離れしていて、それは医者も驚くほどだったようだ。
あの小さな身体のどこにそれだけのパワーがあるのか、とても不思議に思える。
私は死ぬならガンで。もしガンになったら何も治療せずに、と思ったりしているが、あれだけ本気でガンと戦って、余命半年と言われてからもう12年も生き続けている彼女を見ていると、そんなことは軽々しく言うべきではないという気持ちになってくる。
とにかく、彼女が一日も早く体力を回復して、また自転車に乗れるようになることを願ってやまない。

祭りのあと

燃え尽き症候群である。
レースの終盤は自分でも信じられないくらい脚が残っていて、ゴール後はまだ余裕がありそうなくらいだった。
しかし電車を乗り継いで家にたどり着いて玄関に座り込むと、それまでの緊張感が一気に緩んで、ショーズも脱げずに横たわってしまった。空腹感があったので何とか着替えて食事を済ませたが、そのまま床で横になると、もう朝まで起きることができなかった。
筋肉痛はそれほどではなかった。終盤にポールを使ったせいか、大腿四頭筋にはほとんど筋肉痛が残らず、むしろ大臀筋やハムストリングなど、背部に大きな疲労が残った。これはいい身体の使い方ができていた証拠だ。
翌日は当然のごとく完全休養。その次の日も朝は走りに出かける気分にならなかった。
その後、軽いジョグは再開しているが、まだまだ身体の芯に大きな疲れが残っている。
今週末は温泉旅行の予定なので、ちょうど良かった。ここでゆっくり疲れを取ってこようと思う。
六甲往復を終えて思ったのは、自分にとってはおそらくおんたけウルトラトレイルよりも充実感のあるコースだったであろうということ。これならおんたけがエントリーできなかったこともさほど残念ではないと本気で思えた。
おんたけはトレイルとは言っても実際はコースのすべてが林道で、山道の部分はまったく無い。私が目指す高山のロングルートとは性質の異なるコースだ。
そういう意味では、今回完走できたことで、今夏の水晶往復の可能性が大きくふくらんできたと言える。次回は新穂高からの往復で再チャレンジしようと思っている。

いよいよ

いよいよ六甲縦走キャノンボールランだ。今晩10時、須磨浦公園スタート。
何故か昨日の朝ジョグの後、突然右の内転筋と股関節に違和感!!。大事をとって夕方は走らず。その後の状態は変化無しだが、歩きでは何とも無いのでおそらく大丈夫だろう。
メンタル面では以前より少しはタフになってきたと思う。以前ならレース直前にこういう状態になったらパニックのような気分になったに違いないが、今回は『痛くなったらそれはその時のこと』という気分になれた。
ロングトレイルでは最後までどこにも痛み無く走り切れることの方がまれなはずなので、痛みと共に走るのも練習のうち。それを楽しめるくらいにならなければ。もしアルプスの稜線でそういう状態になれば這ってでも自力下山しなければならない。それに較べれば六甲なら庭先程度のものだ。
何とか完走したい。