狸谷山から比叡山

今年はカレンダーの関係で講座の初日が 1/4(月)になっているため、正月の遠出はあきらめた。どうせ今年からは自由の身になるので、こんな時期にわざわざ遠出する必要は無い。

ということで、講座前日の 1/3(日)に翌日に疲れを残さない程度の軽いルート設定で愛宕山か比叡山に行こうと思った。

最終的には電車の乗り換えが面倒な愛宕山は却下して、これまで歩いたことのない道を拾いながら比叡山を歩くことにした。今年はきっと雪もしっかりあるだろう。

朝はゆっくりめで、8時35分に叡電の一乗寺駅を出発した。

車道を行くと目の前に瓜生山。

ゆっくり登ると右手に詩仙堂。入ったことが無いが、中はまだ開いていなかった。

ちょっと寄り道して八大神社にも参拝しておく。

お次は「一乗寺降魔不動明王」。

いよいよ狸谷山不動院のエリアに入る。階段を上がると「弘法大師 光明殿」。

さらに上がると本殿が現れた。写真では何度か見ているが、本物を見るのは初めて。

階段を回り込むと「宮本武蔵修行の滝」。

さらに階段を登った所から登山道が出ていた。

9時8分、ようやく登山道に入って、マスクをはずす。

道はいろいろあってよくわからないが、一番歩かれていそうな所を選んで登ったところ、登山道に入ってから 10 分足らずで一周トレイルコースに合流した。ここは瓜生山から少し下った場所で、道路崩壊で迂回路になっていた所が歩けるようになっていた。

しばらく一周トレイルコースを辿って二ノ鳥居。

ここからはまだ歩いたことのない林道でドライブウェイに向かう。

途中でチェーンスパイクを着用した。

林道を 30 分ほどでドライブウェイに出た。車道を渡って東海自然歩道に入る。

ここから無動寺谷まではトレイルレースの試走などで何度も歩いて(走って?)いるが、雪のシーズンは初めて。

無動寺谷のエリアに出る手前は元々の道が荒れているのか、一度沢に下ってから登り返すルートになっていた。

延暦寺のエリアに入ると道に雪が無くなった。標高は高いはずなのだが。

よく見たらどうも清掃されているようで、若い修行僧の仕事なのだろう。私はチェーンスパイクを履いているので雪があった方がいいのだけれど。

11時22分、ケーブル延暦寺駅に到着して、ここの展望台でおにぎり休憩にした。

展望台から琵琶湖方面の眺め。

これは比良の南部。

ここから大比叡に向かう。この道は初めて。登山口がよくわからなかったが、ケーブル駅のすぐ前に上に上がる階段があったので、そこを行ってみる。

西尊院堂の前を通ってドライブウェイを渡ったら、すぐそばに登山道があった。

登山道に入ってすぐのところにはお墓がたくさんあって、踏み跡につられて変な方向へ入ってしまったが、すぐに戻って上に向かった。

ここからは何人ものハイカーが下山してくるのにすれ違った。わりと急な登り。

智証大師(円珍)の御廟。空海の甥にあたるらしい。

延暦寺からの道に出会って、緩やかな道を行く。短パンのトレイルランナーが下りてきた。

12時ちょうどに大比叡(848.1m)に到着した。

あとは知っている道で八瀬に下山の予定。

駐車場から北山の山々。麓は大原の集落。

スキー場跡。近年では雪が多い。

ネットの隙間から下山口へ。

少ないながらも踏み跡はあった。

回峰行の道に合流して、浄刹結界石。

午後1時18分、八瀬駅に下山した。

帰りの電車は「ひえい」でした。

満足の本年登り初めでした。

薊岳、明神岳

台高山脈の桧塚奥峰(ひのきづかおくみね)が以前から気になっていた。しかし主稜線からはかなり離れているので、ちょっと寄り道というわけにはいかない。

ここを主目的として大又から往復というのは行程としてはちょっと物足らない感じがする。

何とかうまいコース設定ができないものかと調べていたら、大又から薊岳へ直接上がれるルートがあるということを知った。地図には記載されていないが、そこそこ登られている模様。

大又からまず薊岳へ登って、それから明神岳。そして桧塚奥峰を往復して明神平から通常ルートで大又に下れば満足できそうに思った。

しかしなかなか実行に移すチャンスが無いまま年末になってしまった。

今月最後の週末はおそらく今年最後の山行になるだろう。

最後を締めるには十分価値のあるルートだが、むしろこの積雪期にこのコースを踏破できるかどうかという方が問題だ。

天気予報では土曜日の方が天気が良さそうだったので、12/26(土)の早朝に大又に向けて車を走らせた。

家から2時間少々で大又の駐車場に到着した。まだ7時半のちょっと前だが、すでに半分以上が車でうまっている。私が着いた時にも前後して4台くらいの車がやってきた。

この時期にこんなにたくさんの人がやってくるとは思っていなかった。こんなことは初めてだ。

準備を整えて7時45分に駐車場を出発した。今日は上部はたっぷり雪があることは間違いないので、靴はしっかりしたゴアテックスの登山靴にした。ただし念のためにと思って持って来たワカンは置いていくことにした。

朽ちた林道を少し行ったところにある階段が薊岳へのルートの取り付きになる。

なかなか急な階段だが、その上の道はさらに急斜面だった。写真では傾斜の程度がよくわからないけれど、足を滑らせたらまず下まで止まらないような急斜面で、こんな道は絶対に下りたくない。

本日デビューのブラックダイアモンドのウィペットポール(ピック付きポール)のピックまで登場する場面もあった。

地面には先行者の足跡がうかがえる。

ルートが不明瞭な場所もあってちょっと苦労したが、30分もすると傾斜が穏やかになってきた。

標高が 1000m を過ぎると雪が出てきて風が冷たくなって耳が冷えるので、ネックゲイターを出して帽子の上から被った。

さらにそこから数分で雪が多くなってきたのでアイゼンを着けた。今日は 10 本爪のアイゼンを用意してきている。装着する時に、前方に単独行者がちらっと見えた。

しばらく快調に登っていたのだが突然、右のアイゼンがはずれた。何と、前と後ろをつないでいるプレートを止めるネジがはずれて無くなってしまっている!!

取りあえずバンドをきつくしばって歩いてみたが、やはりその程度ではまたすぐにはずれてしまう。

これは困った。このあともずっと雪の斜面だと言うのに。

やはりここは諦めて下りるしかないのだろうか。

一度は安全最優先で下山と思ったのだが、もっと総合的に考えるとあの急斜面を下るのはそれほど安全なことではない。

もうかなり上まで来ているし、稜線は何度か歩いたことがあって、ほとんどなだらかで危険な箇所はなかったはず。

気持ちを取り直して先に進むことにした。ただしこの時点で桧塚奥峰は諦めることにした。明神岳まで行って、明神平から下山する。

幸い、雪はキックステップが効く程度の固さで、斜面も序盤のような急な場所は出てこなかったので、思いのほかすんなりと稜線に登り上げた。

まずは西にある薊岳を目指す。風が冷たいがヤッケを羽織るのは面倒くさい。

だいぶ山頂に近づいた頃、上から一人の登山者が下りてきた。たぶん登りの時に前にいた人だと思う。

10時6分、三年ぶりの薊岳(1406m)に到着した。

残念ながら展望はまったく無し。

写真を撮ったら早々に引き返して明神岳に向かう。

大又から登り上げたところを過ぎてしばらく進むと、先ほど出会った単独行者に追いついた。ここから先は新しい踏み跡は無かった。明神平から薊岳に向かう登山者がいるだろうと思っていたが、そういう人には出会わない。

風が当たらない場所で今日初めて腰を下ろして、クッキーなどを少し口に入れた。

明神平の手前の前山を越える。

明神平はと言うと・・・。

ここまで来るとちらほら登山者に出会うようになってきた。どうもこのあたりは雪山入門ハイキングコースのようになっているようだ。

11時32分、明神岳(穂高明神、1432m)に到着した。実は薊岳よりも高い。ここは一年半ぶり

桧塚奥峰はここから先に進むのだが、今日はやめておく。おそらくラッセル間違い無しだと思う。

何人かの登山者とすれ違いながら明神平に向かって下る。

テントを張っているパーティがあった。もう雪山テント泊はやりたいとは思わない。

明神平の中心部の東屋には休んでいる人が何人か見えた。おそらくコンロでも出しているのだろう。私は最短経路で下山路に向かう。

下山路の途中にある湧水はこの時期でもまだ流れていた。

もう少し下って、見覚えのあるベンチに腰掛けておにぎり休憩にした。

まだまだ登ってくる人たちがいる。駐車場はどうなっているのだろうか。

下りでは片足アイゼンはやはり要注意だ。たくさんの人が歩いて踏み固められているので、うっかり足を下ろすとずるっと滑ってしまう。

沢の水嵩は少なめで、何ヶ所かの渡渉地点はまったく問題無かった。

ようやく林道の終点が見えてきた。

ここの橋を渡ったところでアイゼンを脱いだ。

林道のそばに滝があった。二階滝というらしい。記憶に無い。

登った斜面を見上げてみたら、女性が一人で下りてきていた。大したものです。

午後1時20分、駐車場に戻って来た。やはり車はあふれていた。

今日も温泉は無しで帰ることにする。そして今日の締めは・・・

丹生川上神社中社。これまで何度も前を通りながら、一度も立ち寄ったことが無かった。


今年は丹生川上神社上社丹生川上神社下社にも参拝したので、これで三つとも参拝したことになる。何かご利益があるだろうか。

序盤のアイゼントラブルで一時はどうなることかと思ったが、あそこで下山しなくて良かった。まぁ結果論かも知れないけれど、一年最後の山行が途中敗退ではあまりにもなさけない。

今年はコロナ禍で例年に比べると出かけにくい状況ではあったけれど、そういう状況の元ではそこそこ満足することができた一年だったと思う。

十三石山

12/20(日)は今年最後の講座で京都北山の十三石山(じゅうさんごくやま)へ行ってきた。

実はコースの半分くらいはその前の京都一周トレイルの講座と重なっていた。

集合は西賀茂車庫前のバス停。出町柳からでも1時間くらいで歩いて行けるのだが、帰りも1時間くらい歩くことになるので、地下鉄の北大路駅から加茂川を歩くことにした。これなら距離は半分くらいですむ。

西賀茂車庫からは大文字の船山が間近に見える。

バス停から少し歩いたところの公園で準備をして、しばらくは車道を歩く。

山幸橋までは行かずに手前から車坂に入る。

先ほどまで快晴だったのに、小雨が降ってきた。

地元の人だけが車で入れる道を登って、一周トレイルコースに合流した。

ここからしばらくは前回の講座と同じ道を行く。

夜に雪が降ったようで、氷室手前の小峠はうっすらと雪が残っていた。

ここからは一周トレイルコースをはずれて北に向かう。急登をしばらく登って展望台へ。

展望台から京都市内方面を望む。正面は東山の山並み。左の方に比叡山。

この道は歩く人が少なくて、倒木がたくさん出てくる。

小峠から 30 分ほどで満樹峠。

それから 20 分ほどで十三石山(495.3m)に到着した。昔から知っている山だけれど、実は来るのは初めて。ここで昼食にした。

昼食後は氷室を目指して来た道を戻る。ただし展望台の手前で横道にそれて小峠はカット。氷室の手前で一周トレイルコースに合流した。

今日は氷室跡には寄らずに氷室神社へ。

今日は京見峠を越える。ここは氷室から来ると下りの途中になるので峠のようには感じないが、鷹峯から上がってきて杉坂へ向かうと、明らかに峠になっている。

京見峠から少し下ったところから京を見る。昔はもっと展望が開けていたのだろう。

そして今日は古道に入らずにそのまま車道を下って釈迦谷山に向かう。

当初予定されていた尾根道の取り付きが入れなくなっていたようで、しばらく車道を下ってからヤブ斜面に取り付く。

ほんのわずかだがヤブをかきわけて進む。

車道から 10 分ほどで釈迦谷山(290.9m)に到着した。

下りは薄い踏み跡を辿って、先ほど取り付いた場所より少し南で車道に降り立った。

そのまま車道を辿って、然林房の前へ。

そして今日も源光庵前のバス停で解散した。

私は前回と同じく実家前を通って加茂川に出て、河川敷を出町柳まで歩いた。

河川敷や車道をたくさん歩いたので、講座にしては結構疲れた。

山ノ神ノ頭、馬ノ鞍峰

コロナ感染が拡大していて、大阪では外出自粛要請が出ている。

後ろめたい気持ちも多少はあったが、人の少ない山間部ならあまり迷惑をかけることはないだろうということにして、12/13(日)に奈良の台高山脈に出かけた。

昨年の夏に三之公(さんのこ)からカクシ平を経由して馬ノ鞍峰を往復した。

この時には心残りが一つあって、もう一度はどうしても行かなければならないと思っていた。

しかしまた同じルートで単純な往復ではあまりにも芸が無い。かと言って稜線をさらに進むにしてもそれほど魅力的なピークがあるわけでもなく、いずれにしても往復ルートしか取れない。

何かいいルートがないだろうかと調べていたら、三之公からその東にある山ノ神ノ頭に登れる踏み跡があるということがわかった。

これならそのまま稜線を北上して馬ノ鞍峰まで行って、前回のルートで下りてくることができる。絶好の周回ルートだ。

となれば善は急げで、さっそく行ってみることにした。

7時半に三之公の駐車スペースに着いて、7時45分に出発した。

まずは山の神様に今日の無事をお祈りする。

そしてこのすぐ横の立入禁止のところに入っていく。このあたりは水源地として管理されていて、水を汚さないために人の立ち入りを禁じているのだが、私は川を渡ったらすぐに山の斜面に入っていくので、お許しいただきたいと思う。

すぐに橋で対岸に渡る。

取り付きがよくわからず、明神谷の左岸を少し北に行ってから横の斜面を適当に這い上がった。なかなかの急斜面で、踏み跡などもちろん無いのだが、古いテープがあった。

しかしこのまま上に上がるのは厳しいのでトラバースぎみに進んだら、古い矢印が現れた。どうも沢を渡ったところにあった休憩所の裏あたりが取り付きだったようだ。

ここからは踏み跡が少しはっきりしてきた。しかし結構な急斜面で、ジグザグにはなっているが落ち葉が道を覆っていて滑りやすい。

たまには階段の痕跡もあって、かつてはしっかりした道だったのだろう。

だいたいのルートは gps に入れてきているが、地形はかなり複雑で、しかも踏み跡も出たり消えたり。いつの間にやらロストしていた。

あわてて戻るが、戻っている道が来た道なのかどうかすらもよくわからない。

少し戻ったら印があった。ここはルートが屈曲しているところなのだが、来た時にここを通ったのかどうかよくわからない。

その後はロストすることもなく、9時48分、無事山ノ神ノ頭(1099m)に到着した。たかだか標高差 600m 程度で、ほとんどがしっかりした登り斜面だったのに、2時間もかかってしまった。

稜線に出れば道ももう少しはっきりするだろうと思っていたが、期待に反して進む方向がわからない。道標も無い。

おおむねの方向を定めて少し下ったら銘板があったので、そちらに進んだ。

狭い稜線を慎重に下る。しばらくしてふと gps を見たら、またまたロストしていた。

山ノ神ノ頭で稜線が直角に近い角度で折れ曲がっているのだが、大台ヶ原へ向かう方向に下ってしまっていた。あわてて戻って、北に向かう。

しばらく下って、父ヶ越。そういう銘板が地面にあったが、登山地図のカコウギ越のこと?

気持ちのいい稜線だが、西からの風がかなり冷たい。

高見山が見えると思っていたが、帰ってから確認したら白鬚岳だった。

台高ではヒメシャラをよく見かける。気持ちのいい稜線で、こういうところを独り占めして歩けるのは単独行ならではの快感。

そんな気分で歩いていたら、またもやロスト。どうも少し手前で斜面を下らなければならないようだ。

少し戻ったら古い道標が目に入った。来た時には気づかなかった。

しかしこの斜面、目印のようなものは何も無い。広い斜面をただただ下に向かって下っていく。

最低鞍部に下りたら地池越(読み方不明)だった。風が冷たくて寒いが、ジャケットを着るのが面倒なのでそのまま進む。

ここから先は小さなピークの連続でうんざりした。一つ一つは標高差 50m もあるかないか程度のものだが、これだけ続くと体力的にも気力の面でも疲れてくる。馬ノ鞍峰までがこんなに遠いとは思っていなかった。

山頂の標識と思われるものが目に入った時はやれやれと思った。

12時15分、ようやく馬ノ鞍峰の山頂(1177.7m)に到着した。稜線なので山ノ神ノ頭から2時間もあれば行けるだろうと思っていたが、小さなアップダウンにシゴかれて2時間20分ほどかかった。

ここを再訪するとは思っていなかった。風を避けて、今日初めて腰を下ろしておにぎり休憩にした。

寒いので10分ほどの休憩で早々に下りに入る。ここからは以前に歩いた道なので安心感はあるが、記憶はあまり無い。

稜線から折れて斜面を下るところには印がたくさんあった。

急斜面を下って沢筋に出た。山頂からここまではピンクのテープがずっと続いていたが、ここで突然目に入らなくなった。沢筋を下るだけなのだが、前回来た時に比べてかなり荒れていて、どこを歩くか慎重に判断しなければならない。

しばらく下ったら道の痕跡が出てきた。そして記憶のある道標が現れた。

南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に三種の神器を渡して退位したことで、南朝はその歴史に終わりを遂げた。しかし南朝の皇胤はこれで途絶えたわけではなく、その後、何度も反乱を起こした。

その要因は朝廷や幕府がその後、南北和解の条件であった、天皇を南北交互にするという約束を反故にしたからである。

尊義(たかよし)親王は、正史における南朝が消滅した後に即位したとされている南朝側の天皇となっているが、このあたりの歴史は正式なものが存在しておらず、正史とは見なされていない伝承でしか残っていない。

「後南朝」という用語は歴史学では公認されている言葉ではないそうだが、一般的にはこの頃の歴史のことを表している。

我々のような素人にとってはそういう「不確実さ」が興味をそそる。

前置きはさておいて、昨年来た時にこの道標の矢印に従ってあたりを探してみたが、それらしい史跡を見つけることができなかった。

それが心残りで、どうしてももう一度来て御墓を見つけたいと強く思っていた。今回の主目的はこれなのだ。

その後さらに詳しい情報を調べて、この近くの斜面にあるということがわかった。

道標の矢印の方向に向かうと沢に出てしまうのだが、後ろにある斜面を上がってみた。

何となく道の痕跡ではないかと思われるような地形だ。

ほどなく、前方に石碑が見えた。やはりここだった。

石碑の前にはまだ新しいみかんが供えてあった。

今日の最大の目的にたどり着くことができて、この時に本当の満足感を得ることができた。

何度か後ろを振り返りながら、カクシ平に向けて下っていった。

その後はまた荒れた沢筋を下っていった。しかしカクシ平を見つけることができない。

確か沢筋のそばだったと思っていたので、ひょっとしたら豪雨で流されてしまったのかもと思ったりした。

そうこうするうちに記憶のある道標が出てきた。これは前回来た時にカクシ平の手前にあったもので、いつの間にか通り過ぎていた。

もし豪雨で流されたのだとしても何らかの痕跡はあるはずと思って引き返したところ、左岸の斜面を上がる道が目に入った。

こういう地形だった記憶は無いのだが、念のために上がったところ、行宮跡の石碑が前方に現れた。

こんなに沢筋から離れているという記憶は無かったのだが、沢筋に近いと濁流で流される危険性があるので、少し小高い場所に行宮を設けるというのは理にかなっている。

これで今日の目的は完遂できた。あとは三之公に向けて下るだけ。

しかし前回来た時もそこそこ荒れていた道はさらにひどくなっていた。

先月の筏場道ほどではないが、慎重に下らなければならなかった。

おそらくもう来ることは無いと思うので、昨年に訪れた明神滝にも立ち寄っておくことにした。

午後2時35分、駐車スペースに戻ってきた。山の神様に無事のお礼をした。

戻ってきた時も車は他には一台も停まっていなかった。このあたりの山を歩いたのは今日は私一人だったかも。

今日は温泉は無しで帰ることにした。マスク無しで他人と近接することになるので、この状況ではやめておいた方が良さそうだ。

帰りに家の近くのスーパーで買い物をしたが、この日に他者とすれ違ったのはこのスーパーだけだった。

満足の一日だった。

山幸橋から鷹峯

12/9(水)は京都一周トレイルの講座で山幸橋から氷室を経由して鷹峯まで歩いてきた。

山幸橋から氷室までの道は二年前の台風で大きな被害を受けて、しばらく通行不可となっていた。そんなわけで前回はこの部分をスキップしたりしたので、ここを歩くのはずいぶん久しぶりだ。

地下鉄の北山駅からタクシーに分乗して山幸橋まで行った。

車道を少し歩いて一周トレイルコースに入る。

しばらく進むと荒れた谷筋に入る。

50分ほどで氷室の手前の峠に到着。

以前は無かった林道が通っていた。何のための道かは不明。

氷室の集落に入る。

昔(電気冷蔵庫ができる前まで?)はこのあたりは氷を貯蔵する場所のある地区だった。京都市内よりは標高が高い。

そのかつての氷室跡で昼食にした。ヤブに穴のような形状がいくつか残っているだけだが。

昼食後は集落の車道を歩いて、まずは氷室神社に参拝。

車道を登り返して城山の峠でひと休み。

予定のコースではこのまま車道を南へ向かうのだが、トイレ借用のためにハンバーグで有名な「はせがわ」に立ち寄っていくことにした。

このあとは元の車道には戻らずに山道で京見峠の方に向かう。

途中の展望場所から京都市内方面を望む。

京見峠の少し南で元の車道に出た。

峠茶屋はもう営業はしていない。

この先で古道の長坂道に入る。

意外と坂は急で、千束まで下る。正面奥の建物は然林房(ねんりんぼう)。

千束の急坂は古道で上がって、光悦寺の参道。

源光庵のバス停で解散した。

その後、私はここから歩いて 15 分程度のところにある実家の様子を見に行った。

昨年の8月まで母親が一人で暮らしていたが、90 歳で亡くなった。その後は空き家になっているが妹が相続して、今は管理会社に管理してもらっている。

外から異常がないことを確認して、母校の紫竹(しちく)小学校の横を通った。正面の校舎はひょっとしたら昔のままでは?

それから加茂川の河川敷に出て出町柳に向かう。このあたりは会社員時代に長年、朝夕の通勤で走っていたコース。退職後もしばしば歩いたり走ったりしているので、特別な感慨というものはまだない。

半国山

12/7(月)は講座で亀岡の半国山(はんごくやま)へ行ってきた。半国山はちょうど5年ぶりの2回目。

5年前は亀岡からバスを乗り継いで千ヶ畑まで来たが、今日はJR千代川駅からバス1本で来た。コミュニティバスなので運賃は 200 円。

少しだけ車道を歩いて、ハイキング道に入る。

この山はオフロードバイクで入ってくる輩がいて、前回は日曜日だったせいもあって山頂で数台のバイクに出くわした。

登山口にはバイクや自転車は禁止という案内が書かれているが、今日はさらに鎖が張られていたのでちょっと安心した。

しばらく朽ちた林道のような道を進んで、次第に登山道らしくなってくる。

ぐいっと上がると稜線に出る。

ここから稜線を辿って、快晴の山頂(774.2m)に出た。

今日は時間の余裕があるので山頂でゆっくりした。まぁ、帰りのバスの本数が少ないので時間調整ということなのだが。

この季節はもう少し時間が早いと亀岡盆地が雲海に覆われているのが見えることがあるのだが、すでに昼で雲は消えてしまっていた。

正面奥は愛宕山。

これは南の方で、奥は六甲山系。

下山は北の方に向かう。途中の展望場所からの亀岡盆地。真ん中のちょっと尖った山はおそらく山上ヶ峰。

そして金輪寺(きんりんじ)に下山した。創建は奈良時代。

石造五重塔は鎌倉時代のもの。

ここまで車道があるのだが、古い参道で下る。

下りたところに宮川神社。式内社で、創建は金輪寺よりもさらに古い文武天皇の時代らしい。

このあとは細い車道を辿って、宮前(みやさき)のバス停からバスで亀岡に出た。

帰りのバスは通常の民営バスなので、朝よりも短い距離だが 650 円かかった。

筏場道

筏場道は川上村の筏場(いかだば)から大台ヶ原へ行く道で、ドライブウェイができるまでは大台ヶ原へ至るメインルートだった。

しかしドライブウェイ開通後は歩く人が激減して、昨今は大雨や台風などによる登山道崩壊が随所にあって、その後の修復もあまりなされず、登山道としては立入禁止になっている。

しかしながら大台ヶ原から大台辻の間は大台ヶ原から歩く人も結構あって、私自身もつい先日歩いたばかり。

そこで残り半分の筏場から大台辻までも歩いてみたいと思ったが、新しい情報はほとんど得られなかった。

昨年買った大台ヶ原の登山地図では随所に崩壊の注意書きはあるものの、道としてはかろうじて残っているような感じなので、とにかく行ってみようと思った。

登山地図には登り口になる林道終点に有料駐車場が記載されている。こんな場所に有料駐車場があるのか?

確かにありました。

私が着いた時には隅の方に軽のバンが一台だけ停まっていたが、何となくずっと置いてあるような感じだった。

準備を整えて、7時50分に出発した。

車道を少し進むとすぐに登山道への看板があった。

こんな注意書きも。

ここの渓谷はなかなか美しい。

少しするとかすかに硫黄の匂いが漂ってきた。実はもう少し先に温泉の跡がある。

ほどなく立派な道標があって、このあたりが五色湯跡。

硫黄の匂いがするのでどこかにお湯が湧いているのだろう。聞くところによると河原に源泉が湧き出している場所があるそうだが、温度はそれほど高くはなく、秘湯マニアでもお湯を楽しむというわけにはいかないらしい。

ここのことは谷崎潤一郎の「吉野葛」にも出てくるが、氏が本当に訪れたのかどうかはわからない

ちなみに河原はこんな感じ。

さらに進むとこんな場所も出てくる。

新しい鎖がしっかりと設置されているので危険は無い。

出発して50分足らずで吊り橋まで来た。

ここから先は通行止めです。

左側が切れ落ちた斜面をトラバースしていく。崩れた場所もところどころにあって、慎重に進む。

15分ほど進むと道が急カーブして右側の斜面を登るようになった。崩壊した休憩所の跡。

大台辻までまだあと 1.6km ある。

道が穏やかになってきてやれやれと思っていたが、またもや右側に切れ落ちた急斜面のトラバースになった。こういうのが何度が出てきた。

ロープは古くてとても頼りにはならないので、万が一の気休めにとりあえず持っておくだけ。

とんでもない障害物も。

だいぶ大台辻に近づいてきたと思っていたら、突然目の前に大きな崩壊斜面!!

対岸にロープが垂れているが、踏み跡らしきものは見当たらない。多分、登山道に張られていたロープが崩壊で垂れてしまったのだろう。

左側の斜面を登れないかと見てみた。ずっと上の方にテープが見える。おそらく行っている人がいるのだろう。

で、少し登ってみたが、急斜面で足元が非常に脆い。登るだけなら何とかなりそうだが、ここを下るのはあまりにも危なすぎる。足を滑らせたらこの崩壊斜面に墜落する。

今日はここでお終いにしようと思った。大台辻は先日行っているし、危険をおかしてまで行くようなルートではない。時間は10時5分。

少し戻った場所でもう少し緩い斜面があって、ここも上の方にテープが見えたが、もうやめておこう。こんな場所で事故は起こしたくない。

帰り道も際どいトラバースが続くので緊張する。どちらかと言うと登りよりも下りの方が危ない。

1時間少々で吊り橋まで戻ってきた。ようやく危険地帯は脱した。

それにしてもこのあたりの渓谷は美しい。

12時5分、駐車場に戻ってきて本日の行程が終了した。


戻ってきたら車が一台停まっていたが、山道では誰にも出会わなかった。どこへ行かれているのだろうか。

出発してから途中では一度スポーツドリンクを少し飲んだだけだったので、地面に座っておにぎりやどら焼きをのんびり食べた。

歩いた距離や時間、標高差は大したことはなかったが、危険箇所が多かったせいか、思いのほか疲労感があった。

R169へ戻る途中に入之波(しおのは)温泉山鳩湯という温泉があって、昨年、馬ノ鞍峰へ行った時に立ち寄った。

なかなかいい温泉で、機会があればまた来たいと思っていたが、その時は随分混んでいたのが印象に残っている。

今日はどうだろうと思って通りかかったところ、案の定、すでに駐車場は満杯で路肩駐車まで並んでいる。

人混みが極端にニガ手な私としてはこれは諦めるしかない。

結局、このところ定番になってきた橿原市の「あすかの湯」に向かった。

ここは施設が大きいのがいい。浴槽もいくつかあって、洗い場もたくさん設置されている。

久しぶりにサウナにも入ったりしてのんびりして、暗くなる前に家に帰ってきた。

白山御前峰

ここ数年は毎年、白山へ登っている。しかし今年はまだだった。

6月に加賀禅定道を登ったが、この時は山頂はどこも踏んでいない。

今年はコロナの影響などもあって、もうダメかと半分諦めていたが、例年 11 月の半ばには通行止めになる白峰の林道が今年はまだ開いている。ただし通れるのは市ノ瀬までで、市ノ瀬から別当出会までの 5km 超は自力で往復しなければならない。しかも市ノ瀬の標高が 850m なので、標高差で 1850m の登り下りになる。

さて、どうするか。もっと早い時期なら迷わずジョグだが、この時期の白山にトレランシューズで行くわけにはいかない。つまり下りでも走れない。歩きなら往復で3時間近くかかるだろう。

となると選択肢はマウンテンバイク(MTB)しかない。

山スキーをやっていた頃はアプローチの林道に MTB を利用することは何度もやったけれど、もはや 10 年以上前のこと。果たして坂道をまともに上がれるだろうか。

しかしたとえ行きは大半が押し歩きになったとしても、帰りの楽さのメリットは捨てがたい。押し歩きと言っても担ぐわけではないので、普通の歩きに比べても若干のタイムロスくらいですむはずだ。

先の連休が白山のラストチャンスと思って数日前から天気予報を見ていて、最終的に 22 日(日)の午後に出かけて 23 日に登ることにした。

しかし直前になって前日午後からこの日の午前中にかけては天気が良くないという予報に変わってしまった。

これがまだシーズン半ばなら先送りするところだが、もはやそういう余裕は無い。覚悟を決めて行くことにした。

順調に走って午後5時過ぎに市ノ瀬に着いた。ずいぶん久しぶりの感じがする。市ノ瀬に車を置くのは3年ぶりだ。

予報通り夜になったら雨が降り出した。どしゃぶりとまではいかないが本降りの雨。もし朝もこんな状態だったらちょっと出る気になれないと弱気になっていたが、3時に起きた時には小降りになっていた。

準備を整えて4時5分に出発した。気温は高めだが小雨が降っているので山用のヤッケ上下を着ざるをえない。

ギアを一番軽い状態にして坂道を上がる。暑い。

どれくらい漕いでいたかよくわからないが、上りが急になってきたのと汗をかきそうになってきたのとで、押し歩きに切り替えた。

乗ったり押したりを繰り返して、5時 20 分にようやく別当出会に到着した。物陰に自転車を置いて、幸い雨は止んでいたのでヤッケを脱いだ。そして5時 30 分に出発した。ここからは2年前とまったく同じルートを辿る。

砂防新道への吊り橋はすでに板がはずされて立入禁止になっていたので観光新道へ入る。

道が歩きにくいせいもあって今日はなかなかモチベーションが上がってこない。雨が上がってくれたのがせめてもの救いだ。

1時間少々でようやく稜線に出た。

遠方は見えないが周辺はおおむね見渡せる。真ん中は黒ボコ岩のあたりかな。それにしても雪が少ない。

いつものことですが・・・。

ようやく殿ヶ池避難小屋が見えてきた。

7時 43 分、小屋に到着して小屋の前のベンチでちょっと休憩した。小屋には男性が一人だけおられた。

数分の休憩で出発したが、標高が 2000m を超えるとさすがに風が冷たくて寒くなってきたのでヤッケの上を羽織った。

小屋から 50 分ほどで黒ボコ岩に出た。ここで砂防新道と合流。

誰もいない弥陀ヶ原。

9時6分、ようやく室堂に到着した。

風のあたらない場所でおにぎり休憩にして、軽アイゼンを着用した。そして最後の登りに向かった。

今朝までの雨はこのあたりでは雪だったようで、ところどころに吹き溜りがあって足がもぐる。と言ってもせいぜい足首くらいまでだけれど、すでに疲労も溜まっていてかなりつらい。

風が正面から当たるとフードがあおられて耳が痛い。アイゼンはすぐにダンゴになるし、何か口実が見つかればもうやめたい気分。

ようやく奥宮の石垣が見えた。室堂から 45 分ほどかかってようやく奥宮にたどり着いた。市ノ瀬から6時間かかった。

いつもながらここの石垣は本当にありがたい。しかしザックの中からお賽銭を出す余裕は無い。

あらかじめすぐに出せる場所に忍ばせておいたスタンドをデジカメにセットして、御前峰(2702.1m)に向かった。

やれやれ。これで心おきなく今年を終えることができると思ってほっとした。

下りで一瞬ガスが晴れて室堂が見下ろせた。

室堂ではアイゼンを脱いだ。室堂の上と下ではまるで別世界だった。

弥陀ヶ原を上から見下ろす。

あとはひたすら来た道を戻るだけ。何と、避難小屋の少し上で男女の二人連れが登ってくるのに出会った。山頂を目指すような雰囲気では無かったけれど、何が目的でここまで来ているのだろうか。しかもわざわざ市ノ瀬から歩いてきたのだろうか・・・。

別当出会と室堂のちょうど中間あたりに岩のゲートがあります。

午後1時 32 分、別当出会に戻ってきた。

ちなみに例の吊り橋はこんな感じ。

この写真ではわからないけれど、下の川までは相当な高さがあります。もちろん谷瀬の吊り橋ほどではないけれど。

山スキーをやっていた頃に2〜3回渡ったことがあって、その頃はこのような立入禁止のロープは張っていなかった。

おそらく冬の積雪対策として板を外しているのだろう。十字の鉄骨もあるので足を踏み外したからと言って落ちてしまうようなことはまずないけれど、歩くためには下を見なければならないので、はるか下を流れる川面が見えて非常に緊張する。

ロープを越えて渡る人も少なくないが、今朝は雨で鉄骨が濡れていたと思うので、危険は犯したくなかった。ただ登山道としては観光新道よりも砂防新道の方がはるかに歩きやすい。距離的にはほとんど変わらないけれど、時間的には 30 分くらいは違うのではないかと思う。

どうしてもここを渡るしかないような状況でなければ渡りたくないというのが正直なところだ。

あとは市ノ瀬まで MTB で下るだけ。もう終わったようなものだ。

期待通り、下りは快適!! と言いたいところだったが、いざ走り出すと向かい風でチョー寒い。しかし停まってヤッケを羽織るのはあまりに面倒なのでそのまま下り続けた。

下りのエネルギー消費はブレーキ操作の指運動だけで、15 分もしたら橋まで戻ってきた。

そして今日こそは白峰総湯へ。ここはお気に入りの温泉なのだが地元でも人気で、休日の午後は駐車場がいっぱいで入れないことがしばしばある。このところ何度か続けて敗退している。

今日も温泉日和なので心配だったが、予想外に駐車場が空いていた。コロナのせいだろうか。

露天や内風呂をゆっくり堪能して、気持ち良く帰路についた。

この連休は人出が多いとニュースで聞いていたのでひどい渋滞を懸念したが、恐れたほどではなかった。

光明山、天台山、青貝山

11/15(日)は講座で北摂の山へ行ってきた。このあたりは5年前に一人で歩いているが、ほとんど記憶が残っていない。

阪急の池田駅からバスで川尻の停留所まで行った。

しばらく車道を歩く。前方が光明山(右)と天台山(左)かな?

これは反対方向で、右の山が明ヶ田尾山。

ところどころ車道をショートカットして法輪寺へ。中には入らず。

この先からようやく登山道に入る。

この道は古くは妙見山への参道だったもよう。古い道標が残っている。

稜線に上がって、まずは北の光明山に向かう。車道のそばの登山道を少し上がって山頂(639m)へ。

以前の記憶がまったく無かったのだが、帰ってから確認したらここでロストしていた。

そして来た道を戻る。前回来た時はこの道にはまったく気がつかなかった。

少し車道を行く。

そして車道と林道の間の山道に入る。前回はこの山道に気がつかずに林道を行った。

しばらく登ると電波塔か何かの施設があって、その横を少し東に行ったところが天台山(639.7m)の三角点だった。

前回来た時はまだ工事中で、そこが山頂だと思ってこの三角点までは来なかった。

ここで昼食にした。そして午後は最後の青貝山へ向かう。このあたりは前回はどこを歩いたのかまったく記憶にない。

途中の展望場所で南東方向。真ん中奥は箕面方面。右が明ヶ田尾山。

そして午後1時 50 分、青貝山(391.2m)に到着した。

30分少々で東ときわ台の住宅街に下りてきた。向かいには高代寺山

午後2時50分、妙見口駅に到着して解散した。

駅の近くは観光客が多かった。もちろんハイカーも。このところ近場の観光地はずいぶん賑わっている感じがする。

横高山、水井山

11/11(水)は京都一周トレイルの講座で比叡山北方の横高山、水井山を歩いてきた。京都一周トレイルではいちばん標高の高い山域になる。

集合は横川のバス停。ここへ行くのはなかなか面倒で、バスを乗り継いで行かなければならない。

なので私はいつも大原へ向かうバスの登山口停留所からせりあい地蔵を経由して歩いて行く。

紅葉の季節のせいか、大原へ向かうバスは非常に混んでいた。これまではいつも余裕で座れていたのに、今日は出町柳ですでにほぼ満員状態。

途中の停留所での乗降客も結構あって、思ったより時間がかかってしまった。

登山口のバス停に着いた時はすでに9時を少し過ぎていた。集合は 10 時半なのでちょっと急がなければならない。

小雨がパラつく中を数分登って、青龍寺への分岐。

ここからは比叡山のトレイルレースのコースだが、普段は歩く人は少ない。

倒木があったりする。

出発してから 50 分足らずでせりあい地蔵まで来たが、頑張ったせいで汗まみれ。すでに雨は止んでいる。

10時10分に横川のバス停に到着した。バスの到着時刻より早く着いてやれやれという感じ。しかし汗冷えで少し寒い。雨具の上を羽織った。

観光客目当ての露天が出ていた。それなりの数の車がすでに停まっていた。不安定な天候で、また少し小雨がパラついてきた。

みなさんが到着して、まずはせりあい地蔵に向かう。

せりあい地蔵に到着して、ここから横高山への急登になる。

15分ほどの登りで横高山(767m)に到着した。

お昼にはまだ少し時間があるので水井山に向かう。

途中で木にたくさんのナメコが。

12時ちょっと前に水井山(793.9m)に到着して、ここで昼食にした。ここは京都一周トレイルコースの最高標高地点。

昼食後はほぼ下りで仰木峠へ。

峠から稜線を少し北に行ったところに展望場所がある。真ん中の二本の木の間に見えているのが伊吹山。その右が霊仙山。

その後ボーイスカウト道を下って、戸寺の集落まで下りてきた。

午後3時前に戸寺のバス停に到着して解散した。