ソチ・オリンピックも終盤になってきた。ウクライナの何人かの選手が、祖国でのデモ弾圧に対する抗議で棄権を表明しているが、懸念されたテロなどの事件は今のところ押さえ込まれているようだ。
オリンピックともなると政治と切り離して行うことなど現実的に不可能だが、何とか穏便に終わってほしいと思う。
それにしても耳にタコができそうなのが、多くの日本選手の発する『支えてくれた人たちへの感謝』という言葉。こうも何度も聞かされると感謝の大安売りのようで、『またか』という気持ちしか湧いてこない。
オリンピック選手ともなれば周囲のサポートも大変なものだろうし、選手個人に対して税金も投入されている。自分一人の成果のようには思ってほしくないが(思っていないとは思うが)、それにしてもこういうことをいちいち言葉に出す必要があるのだろうかと思ってしまう。
東北出身の選手からは『被災者を勇気づける』というような台詞も聞かれたが、こういうのもよくわからない。私自身、選手でもないし、被災者でもないので、理解できないと言うしかない。
オリンピックは、建前としては純粋な競技大会であって、興行ではない。興行であればお金を払って見に来てくれた人たちに感動を与えるようなプレーをすることは重要だし、プロとしてギャラをもらってプレーしている試合であれば、勝ちさえすれば良いというものでもない。
オリンピックで勝つということは、東北楽天イーグルスが日本一になって『被災者に勇気と感動を与えた』というのとは違うはずだ。
『自分で自分をほめたい』と言った有森裕子や、『チョー気持ちいい!!』と言った北島康介のように、本当に心に響く言葉を発してもらいたいと思う。
たんぽぽコーヒー
木津川マラソン後にカゼをひいた。3日ほど熱が出たので体温を計っていたのだが、平熱に下がった時の体温がずいぶん低かったので、その後も頻繁に体温をチェックしている。
その結果、私はどうも低体温ぎみではないかと思うようになった。
実は若い頃から末端冷え性ぎみなのははっきりと感じていた。冬山登山から足を洗ったのもこれが最大の要因で、とにかく手足の指先が冷えるだ。もちろん冬山へ行けば身体が冷えるのは当たり前のことだが、周りの人たちと較べると手先の冷え方がかなり大きいと感じていた。
靴紐を結ぶ時や食事の時に素手になる時など、他の人がわりと平気でいる時も、私は非常に冷たくて(と言うよりも痛いくらい)、あわてて手袋をするということが何度もあった。しかし一度冷えると手袋をしてもなかなか暖まらない。
50歳を境にマラソンのパフォーマンスが一気に低下して、山スキーへ軸足を移していた時期があったが、この時も同じだった。手の指先に軽い凍傷を負ったことも2回ほどあった。
生姜湯を飲んだり、ニンニクを食べたりしてみたがさしたる効果も無く、挙げ句はヒーター入り手袋を試したりしてみたが、かさが高くて使い心地が悪かった。
身体そのものはさほど寒がりではないと思っていたので、どちらかと言うと冬場でも薄着で過ごす方だ。あまり暖かくしてしまうと耐寒性が落ちてしまうような気もしていた。
しかしどうも根本原因は体温が低いということだったように思う。
体温は個人差があるし、時間帯によっても変動する。昼間が高めで、夜から朝にかけて低くなる。
どうも日本人は全体的に、この数十年で体温がかなり下がっているらしい。数十年前は36.5〜36.6度くらいだったのが、今は36度少々くらいになっているらしい。
私も昼間で36度ちょうどから36.2度くらい。朝方は36度未満である。
冬場はやはり体温が低めになるそうだが、それにしてもやはりこれでは低いと感じる。
ちなみにかつてヨーロッパアルプスへ登山に出かけた時に、白人の耐寒能力の高さにびっくりしたことが何度かあるが(日本人はだいたいみんな同じ経験をする)、白人は体温がかなり高いらしい。平常時でも37度近くあるとか。
小さな子供が寒さに強いのも、体温が高いせいだろう。加齢と共に体温も下がってくるのだ。
『体温が上がると免疫力が上がる』というような書物がいくつかあるようだが、これはおそらく真実だろうと思う。
そこで、体温を上げる対策に少し本気で取り組んでみようと思った。
体温を上げる対策はいくつかあるが、最も効果が大きいのは食事の改善である。身体を冷やす食品を避けて、身体を温める食品を増やすこと。
特に影響の大きいのが飲み物で、身体を冷やす最もポピュラーなものはビールである。逆に身体を温めるのは日本酒とか。
そこで、ちょうど今は寒い季節なので、思い切ってビールを止めることにした。今の時期は350の缶ビール1本だけだが、それでも食事の最初に冷たいビールが胃に入ると、身体を冷やす効果は絶大らしい。
私は日本酒は大好きなので、この対策は今の時期であればほとんど抵抗が無い。
もう一つはコーヒー。私はコーヒーも好きなのだが、そうは言っても朝と午後の2杯だけ。
そこで、コーヒーの代替飲料で身体を温める飲み物ということで『たんぽぽコーヒー』というものが紹介されていたので、さっそくこれを購入して試してみた。
思った以上にいける。値段もさほど高くないので、これなら続けられそうだ。
朝のパンの時の牛乳は適当な替わりが見つからなかったので、温めて飲むことにした。
生野菜も好きなのだが、これも控え気味にすることにして、これをしばらく続けてみたいと思う。
3ヶ月ほど続ければ多少は効果が出てくるだろうと期待している。
競技場ペース走
今日の練習会は競技場。どんな練習メニューにするか、気持ちがまったく決まらなかった。まだカゼが抜けきっていないし、ハイレベルのスピード練習はちょっと意欲が落ちている。
予定のメニューは変化走だったが、変化走をやる人は誰もいないようで、ペース走からビルドアップのグループがいくつかできそうだったので、そこで適当なグループに入ることにした。
スタートはキロ5分弱くらい。最初、付いて行こうと思ったグループは、もう少しペースアップしそうだったので、少し離れ気味に走っていたら、後続のグループに吸収された。ここでキロ 4’45” くらいでずっと行くことにした。
どれだけ走るかも決めずにスタートしたが、体調とペースを考えて、終盤少しペースアップして 12000m ということにした。
他のメンバーは 10000m で終わったが、私はあと 2000m をキロ 4’30” くらいで走り終えた。
まだ若干の余裕はあるが、それほど楽でもないという感じだった。先日の木津川の序盤よりも遅いペースだったが、体感的には木津川の時の方が楽だった。
長居の大会ではキロ5分くらいで行くつもりだが、この調子ではキロ5分もさほど余裕のあるペースではなさそうだ。
若干カゼの影響があるとは言え、不安の残る練習だった。
山田池30km走
今日は本当は六甲へでも行きたかったのだが、さすがにこの天気でトレイルへは行けない。スノートレイルが好きという人もいるけれど・・・。
午前中はまだ雨が残りそうな予報だったが、朝起きた時は雨は止んでいた。
と言うことで、山田池へ向かう。出る時に少し小雨がぱらついたが、希望的観測で帽子はかぶらず。
特にペース設定はしないが、キロ5分台の後半くらいを想定している。
山田池は部分的には路面にわりと雪が残っていて、最初のうちは車の轍を選んで行かなければならないような場所もあったが、次第に溶けてきて気にならなくなった。
キロ6分くらいでスタートしたが、自然とペースが上がって巡航スピードがキロ5分半くらいになった。
心拍数的にはもう少し上げた方がいいのだが、まだカゼが抜けきっていないし、明日は競技場での練習会なので、このままのペースで行くことにする。
20kmを過ぎた頃、小雨が降ってきた。そのうちに止むだろうと思っていたが、止みそうな気配はなく、結局そのまま最後まで降り続いた。
山田池から家までの道はちょうど冷たい雨に向かい風で、体感的にはフルのラストくらい苦しかった。
しかしペースダウンは無く、心拍数も落ちずに最後を踏ん張れたので、いい終わり方ができたと思う。
30km走でも納得のいく終わり方をするためには、これくらいのペースに抑えなければダメということだ。
淀川ジョグ
今日は予定通り、クラブの仲間の淀川 30km 走に行ってきた。ただし私はマイペースの 20km ジョグ。
集合の9時に少し遅れたので、枚方大橋下にはすでに誰もいなかった。しかし今回は世話人のマンションを知っていたので、おそらくそこで準備しているのだろうと思って行ってみたところ、やはりすでにみんなこちらに移動してきていた。
それにしても今日は寒い。冷たい風が上流から下流に向けて吹いている。
今日のコースはこのあたりをスタートにして、下流方向に 2km。そこで折り返しての往復 4km を各自好きなだけというもの。私は 20km を目安ということにした。家からここまでの往復を入れるとトータルで 30km 少々ということになる。
集まったのは男5人、女3人だが、みんな実力者揃い。みんな4分半くらいのペースでスタートしたので、私は早々にマイペースでキロ6分くらい。
往路は追い風でやや暖かいが、復路は向かい風が冷たい。みんなは本練習モードのウェアだが、私だけはジャージ上下にウィンドブレーカーの上下の完全装備。少し暑いかなと思ったが、結果的にはこのペースならちょうどいいくらいだった。
途中でトイレ休憩やらジェルの補給やらでのんびりして、先頭グループからは2周遅れで5往復、約2時間で終了した。先頭の3人は2時間少々で 30km を走っていた。
何人かはこの後、水分補給とやらでどこかの店へ行くようだが、私はまだカゼがすっきりしないので、そのまま帰宅した。
山田池ジョグ
淀川スロージョグ
木津川マラソン以来、一週間ぶりに、淀川で 10km ほどスロージョグをやった。カゼはまだ抜けきっていないが、体温もすっかり平熱まで下がったので、そろそろ軽いジョグなら大丈夫だろうと思った。何よりも、走らないと食事がおいしくないし、そろそろおいしい酒も味わいたいというのが本音だった。
夕食をおいしくというのが主目的なので、スタートは夕方。しかしずいぶん日が長くなってきた。1ヶ月ほど前ならそろそろ暗くなってくる時間帯だったが、まだ昼間の明るさを残している。
淀川へ出てもまだ太陽は地平線の上だった。
6日も完全休養するとさすがに気持ちもリフレッシュされる。これまでに何百回と走ったコースだが、何か新鮮で爽やかな気分だ。
とにかく気持ち良く走りたいと思って、あえて時計はしてこなかった。
予定通り、枚方大橋の下で折り返して、10km 少々を1時間少々で帰ってきた。
ウィンドブレーカーの上下を着て走ったので、スロージョグだが少し汗をかいた。久しぶりに運動の汗をかいて、本当に気持ち良かった。
明日からは通常のパターンに戻していけるだろう。
猛練習と科学的トレーニング
久しぶりにとんでもない大作を読了した。何と二段組み700ページという作品で、単行本の厚みは5cm近くある。
学生時代はドストエフスキーやトルストイなどを粋がって読んだりはしたが、はっきり言って『読んだ』ではなく『読み流した』というのが実情だった。
しかし今回は本当にしっかりと読了した。
それは、増田俊也著『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』。
一時期、格闘技の熱いファンだった私は、この本は発売当初から知ってはいたが、あまりの大作にいささか腰が引けていた。しかし最近、図書館で借りられる状態になっているのを見つけて、さっそく借りてきたというわけである。
これまでの木村政彦に関する知識と言えば、若い頃のエリオ・グレイシーに勝ったこと、力道山に負けたこと、史上最強の柔道家と言われているらしいということくらいだった。格闘技は好きだが、柔道やプロレスにはさほど興味が無いので、気になるのはエリオとの試合だけだった。
この本の内容は、木村政彦の生涯を俯瞰したようなものだ。それにまつわる柔道の歴史にもかなりのページが割かれている。若干注意が必要なのは、著者の増田氏が『木村信者』だということ。特に力道山に対する嫌悪感は相当なものが感じられる。
それはさておいて、木村政彦の若い頃の練習は、本当にすさまじい!!。こんな練習を生身の人間が何日も続けることが可能なのかと疑いたくなるくらいだが、それを何年か続けていたようだ。
昨今はスポーツのトレーニングはできるだけ科学的なメニューを作って、最小の努力で最大の効果を得ようとしている。そのこと自体は決して間違いではないとは思う。
ただ、並みの一流を飛び抜けて超一流を目指すのであれば、常識や科学を超越した猛練習が必要なのではないかと思わせる著作である。
様々なスポーツの分野で往年大活躍した元選手が、『今の選手は練習が足りない』と言われるのをしばしば耳にする。
野球では頻繁に聞かれるし、サッカーの釜本氏や、マラソンでは瀬古氏などにも同様の発言があったように思う。
私自身はどちらかと言うと根性論よりも科学的なアプローチの方が好みなのだが、この本や年配者のお話を総合すると、どうもそれだけでは越えられないハードルがあるのではないかという気がしてくる。
『スポーツ』というカタカナ言葉だとどうしてもスマートなイメージが先行してしまうのだが、往年の大選手達は自分たちのやっている競技に対して、いわゆる『スポーツ』という言葉で表現される以上のものを表現しようとしていたのではないかと感じられる。
昔の柔道などは特にそうだろう。
野球にしても、川上や中西、長島、王と稲尾、金田、村山などの対決は、武士の真剣勝負のような気持ちで戦っていたのではないかと思う。
瀬古にしても、中村監督が『マラソンは芸術です』と言っているように、その精神面を非常に重視していたはずだ。
今の選手が種目に関わらず全般的に小粒に見えるのは、このあたりが軽視されているからではないかと感じてしまう。
まぁ、自分自身とはかけ離れた異次元の世界の話ではあるが、たまにこういう文章に出会うと大いに刺激を受ける。
今さら血を吐くような練習をやりたいとは思わないが、ロングトレイルのレースなどで、幻覚を見るくらいのところまで自分を追い込んでみたいという気持ちはまだ少なからずあるのだ。
完全休養5日目
木津川マラソン以降、今日で5日目の完全休養である。久しぶりに風邪をひいてしまったせいだ。しかし週の前半の体温38度状態からは回復してきたので、日曜日あたりにはまたジョグを再開しようと思っている。おそらくインフルエンザではないだろう。
先週の後半に嫁さんが風邪をもらって帰ってきて、ちょっとやばいなぁと感じていた。土曜日の夜にはノドに若干の違和感を感じていたが、何とかレースは無事終了することができた。
しかしこれで体力が落ちたようで、月曜日の午後あたりから一気に風邪の症状が出てきた。おかげでこの4日ほどはアルコールも入っていない。
こんなに長い間ジョグもアルコールも無いという生活はいったいいつ以来なのかよくわからない。はっきりとした記憶であれば10年少々前に、急性の腸閉塞で10日ほど入院したことがあって、それ以来ではないかという気がする。
そう言えば2年半前に鎖骨を骨折した時も、手術の後は数日間感染症予防のための抗生物質を飲む必要があって、その時はアルコールを控えていたかも知れない。
フルの直後だったのが不幸中の幸いだった。このところ不発弾のような状態が続いていた左足首と股関節右側の痛みも、レースに大きな支障が出るほどのことはなかったが、レース後には明らかに悪化している感じだったし、こういうのを治すのは本当は完全休養が一番なのだ。
そうとわかってはいても、そのためだけに完全休養というわけにもいかない。
タイミングとしても非常にいい時期に休養が取れたと思う。
明日は山田池の練習会だが、これも幸か不幸か天気が悪そうなので、行かなくても残念な思いをしなくてすみそうだ。
うまい具合に来週は祝日があるので、久しぶりに六甲へでも行ってみようかと思っている。おそらく東六甲縦走路は雪のトレイルということになるだろう。
六甲縦走キャノンボールランエントリー
またまた六甲縦走キャノンボールランにエントリーしてしまった。須磨からと宝塚からの両方の往復をやったので、もういいかなという感じはあったのだが、いざエントリーが近づいてくると、またあの楽しさを味わいたくなってきた。
今回のエントリー開始は昨日の午前6時。目覚ましをセットしておいたのだが、マラソン翌日ということもあってなかなか起きる気になれず、結局いつも通りの7時に起きてから速攻でエントリーした。
ちょうど1年前に初めてエントリーした時は、確か始まってから3日くらいで満員になったようにおもうのだが、今回は片道コースは2時間、往復も4時間くらいで一杯になってしまったようだ。
今回は須磨スタートゴールだが、こちらの方が断然良い。須磨からの方が道がわかりやすいので、夜中でもロストする可能性は低いし、宝塚にはコンビニがある。
復路は一般縦走者の多くと反対向きになるので、すれ違いのわずらわしさはあるが、渋滞につかまる可能性が低い。
それに夕刻の明石海峡の眺めは何とも言えない。昨年はたまたまこのあたりを数人のグループで歩いていて、東京から来たという女性が『しんどかったけれど、もう終わるのかと思うとちょっと淋しい』と言っていたのが印象に残っている。
この大会は第7回まではすべて雨や雪だったそうだが、私が参加するようになってからの2回はいずれも雨には遭っていない。できれば今回も良い天気になってほしいと思っている。