2年に一度開催されるトランスジャパンアルプスレース(TJAR)は、富山湾の日本海岸をスタートして北アルプス、中央アルプス、南アルプスを縦走して静岡の太平洋岸をゴールとする 400km を越える超ハードレースで、今回で7回目になる。
スタートしたのは台風が本土に近づいていた 10 日の午前0時。スタートを遅らせるのではないかと思ったが、危険な剱の早月尾根を避けて立山室堂経由にコース変更して、予定通りに開始された。事前の選考会をクリアした 30 名ほどが参加している。
昨年、NHK でドキュメンタリーが放送されて一躍知名度が上がった。私も概要は知っていたが、詳しく知ったのはこの放送がきっかけだった。
途中で何カ所か関門があって、ゴール制限は8日間(今回は急遽3時間延長されることになった)。スタートして2日近くだが、トップは早くも上高地を越えているようだ。
大会記録は5日と6時間くらいらしいが、今回は台風の影響によるコース変更(距離が延びた)や途中の停滞などもあったようなので、記録更新はおそらくないだろう。
興味はあるとは言うものの、さすがにこの大会は参加したいとは思わない。一番の理由は、この暑い時期に長いロードを走らなければならない(おそらく走れないと思うが)というのは苦痛以外の何物でも無いということだ。
ただ、アルプスの稜線の一気の縦走はいつか挑戦してみたいという気持ちは持っている。その場合は北アルプスなら栂海新道から焼岳。中央アルプスは木曽駒から摺古木山。南アルプス甲斐駒から光岳だ。
はたしてこれらに挑戦する時間と体力が残っているかどうかが最大の問題なのだが。
山田池ビルドアップ
今日は競技場での練習会の日だった。
朝、目覚ましで起きるとやはり本降りの雨。おまけに台風が近づいてきているので、さすがに練習会へ行くのは止めることにした。
7月は一度も練習会に参加できず、今月も行けるのは今日だけ。月末に志賀高原エクストリームトライアングルがあるので、できれば追い込む練習をしておきたいと思っていたが、これではまともな練習はムリだろう。
昼前にスーパーに買い物に出かけたところ、近所の田圃へ水を引く溝があふれかかっている。このあとさらに雨脚が強くなることが想定されるので、万が一に備えて避難できるような最低限度の用意はしておいた。
幸いなことに雨はそれほど強くならず、3時頃にはほとんど止んでくれた。昨日も夕方はしばらく雨が止んで、思いがけず 15km ほど走れたのだが、今日は台風が去っていく方向なので、しっかりと走れそうだ。
と言うことで、山田池へ向かった。
志賀高原エクストリームトライアングルのことを考えて、今日はアップダウンの多い練習会でのコースを行くことにする。8周して 20km 弱。山田池までの往復を加えるとおおむね 25km になる。
最初のうちは体感よりもペースが遅く、気持ちが上がらなかったが、4周行ったところで後半はしっかりペースアップしようと気持ちを入れ替えた。
後半はキロ5分台前半で、山田池の個人練習としてはまぁまぁそこそこのペースで走ることができた。
台風でこの週末は散歩程度しかできないのではないかと思っていたのだが、結果的には二日間で約 40km。内容的にも終盤ペースアップしてキロ5分くらいまで上げる走りができたので、少しほっとした。
おんたけウルトラトレイルが終わって、しばらく気が抜けたような状態だったので、これで少し気持ちを切り替えることができたように思う。
金糞岳
昨日は登山教室の随行で、滋賀県と岐阜県の県境にある金糞岳(1317m)へ行ってきた。
台風の影響で行けるかどうか懸念されたが、台風の動きが遅いので予定通り決行となった。しかしその影響と、先週末に御嶽山を終えたばかりということで、参加者は普段の半分程度の 10 人だけだった。
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京都駅から貸し切りバスで出発。天候の悪化が懸念されるため、早めに下山できるようにということで若干コースを短縮して、鳥越峠から登ることにした。
峠からはかろうじて琵琶湖方面が望める。
10 時 20 分頃に峠をスタート。峠がすでに 1000m 近い標高なので、11 時 30 分には金糞岳に到着した。
それにしても蒸し暑い。台風からの湿った空気が入り込んでいるのだろう。
予定通り、この先の白倉岳を目指す。
途中ではケモノのにおいが漂っていたりして、どうもクマがいそうな雰囲気。
白倉山には 12 時過ぎに到着して、ここで昼食にする。
下山は大朝の頭、小朝の頭を経て連状口へ。
時折小雨がぱらついたりしたが、幸い大きく崩れることはなく、2 時 40 分頃には下山することができた。
気楽な半日コースという感じだった。
御嶽山
先週末は登山教室の随行で御嶽山へ行ってきた。天候が不安定でどうなるか心配だったが、曇り時々小雨、時折晴れという程度で、無事予定のコースを歩いてきた。
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※頂上付近で大きく飛び出しているのは gps の誤動作。
京都からバスで御岳ロープウェイスキー場へ行って、ロープウェイで飯森駅に上がる。天候は曇りだが、空は厚い雲に覆われていつ降りだしても不思議ではないような天候だ。
御嶽山は信仰の山で、修行登山をする方が多い。登山路の至る所に鳥居や像があって、信仰心の無い私にはいささか異様な感じを受ける。
歩き出したのは1時半過ぎくらい。八合目には山小屋と、大きな鳥居がある。
それにしても蒸し暑い。九州の西の方に台風が来ているので、南からの暖かい湿った空気が送り込まれているのだろう。
急登を上がって頂上稜線に出たのは4時半くらいだったと思う。このあたりまで来ると風が強くなって、体感温度は一気に下がってきた。みんなジャケットを羽織っているが、私は面倒なのでメッシュのノースリーブと薄い長袖シャツのまま。
左側には最高峰の剣が峰が見える。
5時過ぎに二ノ池本館に到着。修行の山なので夕食のメニューは質素な精進料理で、味噌汁とご飯をおかわりしてお腹を満たした。
日曜日はご来光を拝むために4時過ぎに空身で小屋を出る。
30 分ほどで剣が峰(3063m)に到着。雲の上に八ガ岳や南アルプス、中央アルプス、そして富士山を望むことができた。
が、いよいよご来光という時間になると急にガスがかかってきて、太陽は見えたものの背景は雲のみになってしまった。
小屋に戻って朝食をいただいて、7時前に岐阜の濁河温泉を目指して出発する。
賽の河原は小さな地蔵などがたくさんあって、何とも言えない異様な雰囲気だ。
摩利支天(2959m)へは荷物を置いてピストンした。
しばらく下ってからほんの少し登って9時 10 分頃に飛騨頂上へ到着。
濁河温泉へ向けて少し下ると、このあたりはコマクサの群生地。ちょうど見頃だった。
石のゴロゴロする歩きにくい道を延々と下って、12 時 50 分頃にようやく濁河温泉に到着した。この道は修行者の道ではないようで、途中に地蔵などはまったく無かった。
軽い高度障害の症状が出た方や、転倒して少しケガをされた方などもあったが、幸い大事にはいたらず、無事全員下山できて、ほっとした。
Chromecast
先日、たまたま開いたジョーシンのチラシで見つけた google の Chromecat。おもしろそうなのでオークションを利用して少し安く入手した。
基本機能は YouTube の動画をテレビ画面で再生できるというものだが、これはなかなか便利だ。
最近は YouTube で1〜2時間のライブがフルで登録されているものもたくさんあるが、やはりこういうのはテレビの大きな画面でゆっくり見たい。これまでは一旦手元にダウンロードして、それを dvd に焼いていたのだが、長いもので pc でしっかり内容を確認せずに焼いてしまって、見たら実はあまりおもしろくなかったということもあった。それに dvd に焼くのは時間もかかる。
しかし Chromecat を使うとその場ですぐにテレビで再生できる。画質も元データが良ければなかなかの品質だ。これで定価 4,200 円(税別)はなかなかのお買い得だと思う。
さて、今週末はまた御嶽へ。
今度は登山教室の随行なので登山路を頂上まで行くのだが、中高年の皆さまと一緒なので、ゆっくりハイキングというところ。3,000m は私自身も久しぶりだ。天気も悪くなさそうなので、のんびり楽しんできたいと思う。
トレイルランナーの遭難
トレイルランナーの相馬剛さんがマッターホルンで遭難されたと報道されてから数日が経過した。荷物は発見されたものの、ご本人はまだ見つかっていないようだ。
当初から、稜線から 800m ほど滑落されたと報道されていたので、生存の可能性は極めて少ないと思われていたが、もはや絶望的と言わざるを得ない。
相馬さんは 40 歳。最近の成績を見るとそろそろピークを下りかけているかなという感じだが、まだまだトップレベルにあることは間違い無い。少し前までは日本人のトップスリーは鏑木さん、石川さん、相馬さんと言われていた。
ハセツネでの2回の優勝や信越五岳3連覇、ロードのマラソンでも 2 時間 30 分を切るレベルのランナーだった。
長年勤めておられた海上保安庁を辞めて、昨年トレイルランナーとして独立されたばかり。今回は Eiger Ultra Trail を 11 位で完走されて、おそらく楽しみ気分でマッターホルンに登られたのだと思う。
トレイルランニングの前はトライアスロンやクライミングを経験されていて、おそらくクライミングのレベルでは私より上だと思う。楽しみ気分とは言っても決して軽い気持ちで挑まれたのではないはずだ。
私も 20 年少々前にマッターホルンに登っているが、私が登った山の中では間違い無く一番難しい山だった。
単にクライミングのグレードで言えばもっと難しいルートはいくらでも行っているが、登山として求められるトータルな技術力という意味ではマッターホルンは剱や穂高の岩場を攀じるのとはちょっと違う。
ルートのグレードとしては上部でも3級くらいで、このあたりは固定ロープが張ってある。しかし傾斜が中途半端な箇所がたくさんあって、急な壁なら手も使ってよじ登れるのだが、なまじ傾斜が緩いと足元の悪い傾いた平均台の上をバランスを取りながら渡るような状態になってしまう。おまけに左右は北壁と東壁で、バランスを崩したらまず助からない。
ガイド登山であればガイドがロープで確保してくれるが、相馬さんは単独だったようで、私も単独だったので、まさに命がけである。
800m も滑落されたということは、このあたりでバランスを崩されたのではないかと思う。浮き石もあるし、場合によっては落石に当たるということも有り得る。
トレイルランニングという言葉がまだ無かった 1986 年に『ランニング登山』という刺激的な本を書かれたのは東工大の教授だった下嶋浩さん(出版当時は助教授)。私より 10 歳ほど年上の方だった。
この頃、富士登山競争はあったがハセツネはまだ始まっていなかった。今は無くなってしまった六甲全山縦走タイムトライアルで、下嶋さんのタイムを上回った時は本当にうれしかった。
その下嶋さんも、1999 年にマッターホルンで滑落して死亡された。下嶋さんも登山のベテランだった。
普段、山を走っていると、本能的に岩場でもスタスタと行きたくなるものだ。特にクライミングの経験があると、これくらいなら大丈夫という気持ちがどうしても出てきてしまう。
本格的な岩場のルートならロープを使って安全を確保するのだが、マッターホルンのルートというのはこれが微妙なレベルで、私もそうだったが、ロープを出して確保するのが面倒なのだ。
単独で岩場でロープを使うとすると、同じラインを2度登らなければならない。下を固定して登って、上を固定してまた下まで下りて、固定をはずしてまた上に登るということになる。急な壁なら致し方ないが、マッターホルンくらいの傾斜だとどうしても行ってしまいたくなるのだ。
相馬さんにしても下嶋さんにしても、事故の時の状況が実際のところどうだったのかはわからないが、私自身経験したことのあるルートなので、非常にリアルにイメージできてしまうのだ。
相馬さんはまだ子供さんも小さいし、公務員も辞めておられるので、ご家族のことを思うと何ともやり切れない気持ちになる。
せっかくこれまで事故を起こさずにやってこられたので、山では絶対に死なないようにしたいと再び強く思った。
Mid Summer Games
今日は競技場でクラブの Mid Summer Games だった。
恒例の真夏の記録会。おんたけの1週間後ということでどんな走りになるのか、自分でも戦々恐々だった。とにかく、1週間前に 100km を走ったということは考えないようにしようと思った。
まずは 3000m。まだ若干の余裕があるという感じで 1000m は 3’56″。予想外の好タイムにほくそ笑んだが、こういう走りはここまでだった。
その後は明らかなペースダウンで 4’09″、4’08″。トータル 12’13” だった。しかし今日の体調でこのタイムは予想以上の結果だった。
このダメージが大きかったのか、次の 1000m ではまともに走れたのは 200m くらいまで。先日のナイター練習会での体調不良のような状態になってしまったが、今日は記録会でクラブ外の人たちもたくさん来ている。
いくら何でもここで DNF という記録を残すわけにはいかないということで、あとはただ完走を目指すだけだった。タイムを取り損ねたが、おそらく 4’25” くらいだっと思う。
身体の芯までの疲労感がどっしりと残って、時間が経つにつれて頭もぼうっとしてきた。
そんな訳で、午後の懇親会には行かずにそのまま帰ってきた。
おんたけの余韻もこれで吹っ飛んでしまった感じ。
本当に疲れた・・・。
Herbie Hancock
今年2回目のライブは9月2日の Herbie Hancock になった。
Hancock は私のもっとも好きなジャズピアニストだが、これまで 10 回くらいは見ているし、年も年なので(74歳)、もういいかなと思ったのだが、バンドのメンバーを見ると何とドラムが Vinnie Colaiuta ではないか!!。
これは行くしかないということで、ネットで購入してセブンイレブンで発券してもらってきた。
すでに一般販売が始まって何日かたっていたので、後ろの方しか残っていないだろうと思っていた。座席番号を見るとC列となっていたので、最後列がA列なのだろうと思って、帰ってから会場の座席表を見たところ、何と前から3列目だった。横 38 席の 35 番なのでかなり端の方ではあるけれど、それほど大きくない会場なので(森ノ宮ピロティホール)、間近で見られそうだ。
ただ、おそらくピアノは左の方に配置されると思うので、Hancock はピアノの陰に入ってしまうかも知れない。しかし Colaiuta はしっかりと見られるだろう。
そんな話を嫁さんにしたら、『Herbie Hancock なんて誰も知らん!!』と一蹴されてしまった。
おんたけウルトラトレイル公式結果
おんたけウルトラトレイルの公式結果が公開された。タイムは 14 時間 55 分 49 秒で、出走 881 名、完走 736 名中、317 位ということだった。60 歳台の方が私の前に3名おられた。
順位に対するこだわりはまったく無いが、特別な参加資格は必要無いとは言え、全国から実力者の集まるメジャーな大会でのこの結果には満足している。結果的には天候に恵まれたと思うし、再挑戦してもこのタイムを更新することは難しいと思う。
途中の経過は、第1関門(約33km)が 5:02:37 で 447 位。第2関門(約 65km)までが 4:46:29 で区間 389 位。第3関門(約 82km)までが 2:22:58 で区間 310 位。そして残りが 2:43:44 で区間 234 位とのことだった。
体感的には序盤をセーブしたつもりは無いし、中盤はやや弱気になった局面もあって、決してペースが上がったわけではない。たまたまペースダウンする人が多かっただけのことだ。ただ、そのせいで終盤にペースアップできる余裕が残せたのだと思う。
走っていて強く感じたのは、4月に奥熊野いだ天を走ったことで身体が 100km という距離を覚えていたことだ。キャノンボールは往復で 90km ほどあるが、片道を終えた所で少し休憩するし、鯖街道は一気に走りきるが 77km ほどしかない。やはり 100km を一気に走るというのはこれらとはかなり違うということは感じた。
今回はさらにトレイルで、林道ばかりで走れるコースとは言え、アップダウンは奥熊野いだ天以上、路面は非常に悪い。これがどのくらいのダメージになるかは走ってみないとわからないというところだったが、結果的には思ったほどはダメージは大きくなかった。
最後の 10km で思い切ったペースアップができたのも、奥熊野いだ天で一度 100km を完走した経験があったからだと思う。
さて次なる目標は来月末の志賀高原エクストリームトライアングルである。この大会は距離は 63km とそれほどではないものの、累積標高が 4700m あるというハードなコース設定になっている。キツさという意味ではおんたけウルトラトレイルより厳しいと思う。走れるパートは限られるだろう。
制限時間が 20 時間で、途中関門も2カ所あり、私のレベルでは関門時間も意識しておかなければならない。
今回が第1回なので、昨年公表の UTMF ポイント対象レースには含まれていないが、コースから考えれば今年は絶対に含まれるはずだ。少なくとも2ポイントにはなるはずで、完走できればおんたけウルトラトレイルの3ポイントと合わせて申し込み基準の4ポイントをクリアできる。
この大会に申し込んだのはこのポイントを得ることが最大の目的なので、タイムよりも確実に完走することを重視しようと思っている。
おんたけウルトラトレイル
2年越しの目標だったおんたけウルトラトレイル。結果は、目標ではあったけれどまずムリだろうと思っていた 14 時間台で 14:55 くらいだった。機械の故障で完走証は後日郵送とのことで、正確なタイムはまだ不明。
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※gps 不調のため部分的にトラック欠落
天気予報では曇り時々雨、もしくは時々晴れというような不安定な感じだったが、快晴になると時間のかかるランナーには暑さが厳しいようなので、大雨でなればこれくらいがいちばんいいかも知れない。
土曜日は道中、一時土砂降りの大雨。現地に着いてからも一時かなりの雨だったが、夜には止んでくれた。
夜中の0時スタートなので、食事はノンアルコールで我慢する。食後、少しでも睡眠を取っておこうと横になったが、はやりまったく眠れない。しかし4時間ほど目をつぶって横になっていたので、身体は休めることができたと思う。一時会場の方向が騒がしかったが、20 時に 100 マイル部門がスタートした時だったと思う。
今回は自分としては真新しいスタイルで走る。上は暑さを想定してノースリーブのジップシャツ。ただし雨も有り得るのでインナーにファイントラックのメッシュシャツを着ておく。下は今ポピュラーなトランクスタイプの短パンにした。タイツではぴったりしすぎて暑そうだが、ランパンではちょっと・・・という気持ちだった。それにふくらはぎに圧着ストッキングをはいた。
OSJ の大会のエイドの貧弱さを想定して、ジェルや大福餅など、補給食はしっかり用意した。
スタート前のコース説明では関門通過のためのポイントのようなことがしっかり説明されて、こういうのを聞いていると他人事ではないという気持ちになってくる。アクシデントでもない限りは関門にひっかかることは無いと思っているのだが、なんせ初めて走るコースなので、起伏の程度などは走ってみないとわからない。
予定の午前0時に 1000 人余りで一斉にスタートする。昨年までの参加者のブログなどでは装備チェックがあったように書かれていたので、必須のものはしっかりと用意してきたのだが、そうは見えない軽装のランナーがたくさんいる。今回は装備チェックは無かった。
昨年まではこの会場から少し離れた場所がスタート地点で、そこまでバスで移動していたようだが、今年からはコースが変わったらしい。事前のバス移動は面倒なので、この方が断然良い。
しばらくは舗装道を行く。登り傾斜になって、しばらく行くと未舗装の林道に入った。横幅2〜3人分程度の道幅。少し小雨が降ってきた。ノースリーブなので少し寒いが、そのまま行く。
10km は 1:29。登りということを考えるとまずまずのペースだ。登りは適当に歩きで行こうと思っていたが、これまではずっとジョグのリズムで来ている。ちょうど息が上がらない程度の快適なペースだ。
10km を越えると下りになる。傾斜も適度なので、自然とペースが上がる。また登りになって少し行くと 20km ポイントだった。が、何と gps が止まっている。時間的にはこの 10km は 1:12 くらい。
再度 gps をスタートさせたが、この後何度も同様の現象に出会うことになってしまった。おかげて今回は全体のトラックやタイムがまったく得られなかった。
最初のエイドは何と水のみ。さすが OSJ!!。何人かが並んでいるのを見て早々に通り過ぎる。そして歩きながらジェルを補給する。今日、初めての歩きだ。
ついでにコース状況をチェックしようと思って、コピーしてきた小さな高低図を出そうと思ったところ、それが無くなっていることに気付いた。スタート前に見ていた後にザックに入れたとき、変な場所に入れてしまったようで、そこはポケットではなく底の抜けている箇所だったようで、走っている間に落ちてしまったようだ。
全体的な高低は頭にイメージが入っているが、関門の箇所の正確な場所までは記憶していない。仕方ない。
第1関門は 33km だが、関門に近づいたあたりから少しずつ疲れを感じてきた。それまでずっと登りもジョグのリズムで走ってきたが、このあたりで初めて歩きを入れる。奥熊野の時はエイドが頻繁にあったので、そのたびに自然と休憩することができたのだが、エイドが無いと止まるタイミングが無い。ペースは遅いとは言え、長丁場なので適度に休憩を入れないと持たないような気がする。
30km の標識は気付かず、第1関門のタイムも忘れてしまった(公式タイムが公表されたら記載されるはず)。
第1関門ではおにぎりがあったので、水で流し込む。ただの塩むすびだが、少し暖かさが残っていておいしかった。
5分程度の休憩で再スタートする。スタート前の説明によると、第2関門(65km)に引っかかるランナーが多いらしい。第1関門から第2関門の間はかなり走れるコースなので、ここをしっかり走るようにしてほしいということだった。
確かにしばらく下って、その後はわりとフラットな場所もあり、40km のタイムは忘れたが、50km は 7:04 くらいだった。このままのペースなら 14 時間台だが、コース状況を考えると後半はかなりペースが落ちると考えなければならない。しかしうまくいけば 15 時間台はいけるかもと思った。
三浦貯水池のそばの道は完全にフラットで、道も走りやすいおだやかなコースだったが、いかんせんすでに 50km 以上走ってきているので、気持ちとは裏腹に足は進まない。
池を離れると道はまた登り勾配になってきた。これでは 16 時間くらいかかってしまうのではないかという気持ちも浮かんできた。休憩も兼ねて、ゆっくり歩きながら大福モチをほうばった。
登りが続くと右股関節に痛みが出てくる。下りが続くと左膝が怪しい。これを繰り返しながらも何とか爆発はせずに持ちこたえていた。
第2関門(65km)に入ったのは 9:48 くらいだっと思う。ここの制限時間は 12 時間なので、たっぷり余裕を持って入ることができた。
ここではドロップバッグを受け取って、コーラを飲んだ。晴れていないおかげでそこそこおいしく飲めるくらいの温度だった。この時、このところ不安だった腰の痛みを感じたが、それほど強いものではない。
それにしても大きなポイントになる関門のエイドだと言うのに、飲み物は水のみ。あとはバナナとオレンジ、パワーバーを小さく切ったものだけ。
水を補給して、一度靴を脱いで入り込んだ砂を出して、10 分少々の休憩で出発した。出発前のコース説明で第2関門から第3関門が結構厳しいというようなことが言われていたような気がして、それが頭にこびりついていたのだ。
実際のところはそれほど厳しくはなかった。これまでとほとんど同じような感じで、80km の通過は 12:02 くらいだったように思う。あと 20km を3時間で行ければ 15 時間を切れる。この時に初めて 15 時間切りを少し意識した。
左膝、右股関節、腰と次々に違和感が襲ってくるが、何とか小康状態を保っている。
第2関門から第3関門までは 2:10 くらいだった。事前の説明でこの間を2時間半はかなり厳しいという言葉があったので、3時間くらいを想定していたのだが、どうもこれは第2関門を制限ギリギリくらいで通過した人の場合のようだった。
第3関門のエイドではそうめんがあったので、2杯いただいた。しかしこれもネギすらない、ただのそうめんとダシだけ。
第3関門のすぐあとの登りはこのコースでもっとも厳しいものだった。ここで 15 時間切りはもうムリと観念した。おまけに陽が差してきて暑い。しかし残りの距離を考えると 15 時間半くらいはいけそうに思った。うまくいけば 15 時間台前半もいけるかもと思った。これなら十分満足できるタイムだ。
干し梅やジェルなどを補給しながら緩い登りは何とかジョグのリズムで上がった。
以前から薄々とは気付いていたが、今回はっきりと認識したのは、とにかく私は登り坂の歩きが遅いということ。緩い坂で多くの人が歩くような場所でもゆっくりジョグで上がれるのだが、それ以上の傾斜になって歩きになると、一気に周囲よりも遅くなる。ダベりながら歩いているような人たちにも簡単に抜かれていくのだ。
90km までの 10km はエイドでの休憩やエイド直後の登り坂などのせいで、1:40 少々というところだった。しかし残り 10km で 15 時間までは 1:10 分ほど。ここからはずっと下りで、終盤はロードに出るということを考えると、15 時間切りも不可能ではないように思われた。
ここで気持ちが切り替わった。と同時に、突然強い雨が降ってきた。しかしこの雨がさらに私の気持ちにスィッチを入れてくれた。近くの人たちはみんな雨具を出しているが、雨具を着る時間が惜しいので、止まらずに進む。いずれにしてもこれからは下るのみで、ゴールすればそれで終わりだ。濡れたって構わない。
しばらく行くと最後のエイドが現れた。ぱっと見たところここも水のみ。残りの距離を尋ねたところ、あと 7km 弱とのこと。時計と見比べると、残り 7km としてキロ6分で行くとちょうど 15 時間だ。行くしかない。幸い、雨も止んでいる。
しかしこの直後、緩い登りになった。走れる程度の傾斜だが、どう頑張ってもキロ6分以上はかかる。ちょっと気持ちが萎えたが、何とか気持ちを切らさずにゴールを目指す。このあたりではもう頭の中は 15 時間切りということだけで、これまですでに 90km 以上走ってきたことなどすっかり忘れてしまっていた。
ちょうど昨年の鯖街道の最後がこんな感じだった。賀茂川の河川敷に下りて残り 4km になって、予想外の快調さでどんどんペースアップした。が、この時は残り 2km になって持ちこたえられなくなり、最後の 1km はフラフラ状態に陥ってしまった。
ついに車道に出た。残りの正確な距離はわからないが、時間はまだ 30 分近くある。ほぼフラットは道が続き、前方にランナーが何人か見える。私を抜いて行く人もいるが、追えるだけの余裕は無い。
さすがにこのあたりになるとラストスパートの疲れが出てきて、ちょっと弱気な気持ちもちらついてきた。見通しのきく場所でずっと前にランナーが見えると、諦め気分も湧いてくる。
前方に登り坂が見えた時はもうダメだと観念した。残り時間はあと 10 分ほど。会場に入る橋はまだ見えない。
登り坂を上がり切ると、待望の会場への橋が右前方に見えた。この橋の入り口がちょうど 100km 地点だった。と言うことは、実際は 100km 少々あるということ。100km なら 15 時間を切れていたということにしておこうという気持ちが頭をよぎったが、ここで 14:52。15 時間を切れる可能性を大きく感じた。
橋を渡ると右に曲がって、駐車場への登り坂になる。残り距離がよくわからないのだが、あと 1km は無いはずだ。15 時間を切れると思ったが、必死の思いで登り坂でギアチェンジして、本当のラストスパートに入った。
この時点でこんな走りができていることが自分でも信じられなかった。キロ4分台まではいっていないと思うが、5分少々くらいにはなっているはずだ。最近はマラソンのラストでもキロ6分くらいかかると言うのに。
奥熊野の時と同じく、最後は帽子とサングラスを取って、両手を挙げてゴールした。ゴールゲート上のタイマーは 14:55:?? だったと思う。