日曜日(5/28)は好天のもと、陸上クラブ恒例のマラニック大会だった。
今回は3種類のコースが用意されて、私は一番人気の中級コースに入った。
スタートは京阪交野線の河内森駅。ゴールはみんな同じでスパバレイ枚方南なのだけれど、バスで帰るのは面倒なので、いつも朝に自転車でスパバレイまで行って、ここに自転車を置いて集合地点の河内森駅までジョグで行く。
少し早めにスパバレイに着いたら、一緒に行こうと集まっている人達が数人いて、私もその後ろから付いて行くことにした。
しばらく第二京阪の側道を行くのだけれど、どうもみんなこのままこの道を行きそうだったので、私は JR を渡る少し手前で南の方へ行く道に入った。他にも集団から分かれる人が二人いた。
スパバレイから 30 分ほどで河内森駅に到着。すでに何人か集まっている。
今回は参加者が多く、25 人くらいはいたように思う。中級コースは 16 名だった。
最初は上級、中級とも同じ道を辿って、途中で分かれて、我々は最短距離でほしだ園地に向かう。
クライミングウォールではコンペをやっていた。
20 年くらい前に何度か来たけれど、壁の形状が昔と変わっているような気がする。昔は半分くらいまでは単調な垂壁だったように思う。昨年も来たのだけれど。
きつい坂を何とか最後までジョグで上がりきって、星のブランコに到着。
星のブランコを渡って峠に上がって、展望台に寄り道。
R168 まで一気に下って、苦しくてしかもおもしろみの無いきさいちカントリークラブの取り付け道路を上がる。
先導者は最頂部でも止まらずそのままくろんど園地へ。
くろんど園地のトイレでちょっと休憩。このあたりでは別ルートを走ってきた上級コースのグループと相前後した。
ここからいつもは単調な林道登りなのだけれど、今日は山道を行く。私は初めてで、なかなか楽しい道だった。
交野カントリークラブに入る所でまたちょっと寄り道して、交野山(341m)に到着。
箕面から高槻の山々。
さらに国見山(284m)へも寄り道。
9時に出発して、12 時 10 分にスパバレイにゴールした。
暑さのせいもあって、結構疲れた。念のためにと思って飴玉を二つ持ってきておいて良かった。ガス欠一歩手前だった。
1年ぶりにスパバレイの温泉につかって、ビールと食事。
その後はこれも恒例で、近くの店で酒を買って、公園の芝生で二次会となった。
私は自転車で帰るので自分ではカップ酒一つだけにしておいたのだけれど、いつの間にやら追加分が出てきて、帰りの自転車はかなりヤバかった。
数年前に自転車酔っぱらい運転で自爆して、鎖骨骨折、入院手術になった時の再現になるのではないかとハラハラしながらの帰宅でした。
月: 2017年5月
鳩ヶ峰、樟葉宮跡
翌日に陸上クラブのマラニック大会を控えた土曜の午後、疲れをあまり残さないようにということで、近場でまだ訪れたことの無い場所を訪ねてみることにした。
男山から石清水八幡宮への丘陵地は、マラソン全盛期の頃は淀川と並んで練習のメインコースだった。その頃は今よりも男山に近い場所のマンションに住んでいたので、ちょうど丘陵地の稜線にあたる道路で片道約 5km のコースを設定して、週末にはそこを3往復やるのが定番メニューだった。何カ所か信号があるけれど、その当時はそんなこともそれほど気にならなかった。
結婚前の一時期、門真の方に職場があったので、このあたりには2年半ほど住んでいたことがある。その頃は山は細々とはやっていたけれど、ランニングはまだやっていなかった。
石清水八幡宮に西側から上がる道は、急な登りになっている。ここを息を切らせて上がるのがポイントだったのだけれど、今はロードの練習に急な登り坂はあまり意味が無いんじゃないかと思っている。
この丘陵で一番標高が高いのが鳩ヶ峰という山なのだけれど、実はこれまで山頂に行ったことが無い。そもそも最近まで、どこに山頂があるのかということすら知らなかった。
何となく石清水八幡宮のエリアの中にあるんじゃないかと思っていたのだけれど、実は少し西に離れた場所にあった。
急坂を上がりきると北側(左側)にグラウンドがあるのだけれど(ここは昔からあった)、この横からハイキング道路が出ている。
このエリアに入ってすぐのところに左側に標識が立っていたのだけれど、それに気付かずに駐車場の奥まで行ってしまった。
向こうの方に標識が見えたので、それが案内標識だろうと思って近づいたら・・・
この左に斜面を上がっている踏み跡があったので、それを辿ってみたら、しっかりした道に出会った。
この階段を上がった所が鳩ヶ峰の山頂(142.5m)だった。三角点がある。
山頂には祠とお寺の跡(鳩峰国分寺跡)があった。
下山は正しい道で。
実は立派な標識が立っていました。
昔はこのあたりは鬱蒼とした竹林だったのだけれど、宅地開発されて、随分眺めが良くなっている。交野の山や生駒が望める。明日のマラニックは交野山へ。
次なる目的地は樟葉宮跡だったのだけれど、思いのほか近くに和気神社という神社があった。
そばには足立寺(そくりゅうじ)史跡公園。
奈良時代に瓦や土器を焼いた窯の跡。
実はこの時、ここが樟葉宮跡と錯覚していたのだけれど、どうも様子が違う。スマホの地図で確認してみたら、やはり樟葉宮跡はもう少し南だった。
住宅街を適当に行って、木が茂っているエリアに近づくと、ようやくありました。
鳥居をくぐって中に入ります。
交野天神社(かたのてんじんじゃ)。
一瞬、これで帰りそうになってしまったのだけれど、入り口の案内板をもう一度読むと、樟葉宮跡はこの本殿の向こうにあるということがわかって、あわてて戻った。
貴船神社。
継体天皇が 507 年に即位したのはこのあたりと伝えられている。
ここの杜はわりと大きくて、こんな住宅街の中にこんな閑静な林が残っているというのは不思議な感じ。何か異次元の世界に迷い込んだかのような不思議な感覚を覚える場所だった。
そして少し南に鏡伝池(きょうでんいけ)。
これで今日の目的地はすべて終了。
好日山荘の 500 円割引券があったので樟葉駅の店に寄ってみたけれど、3000 円以上買わないと使えないので、結局何も買わずに出た。
最後のおまけは家の近くの片埜神社(かたのじんじゃ)。
いつもただ境内を通り抜けるだけなのだけれど、実は本殿は重要文化財で(この写真の向こう側にある)、かなり歴史のある神社らしい。写真を撮ったのはたぶん初めて。
このあたりにはもう 30 年以上住んでいるけれど、私にとって新鮮な場所はまだまだ残っていると感じた日でした。
リトル比良
昨日(5/21)は随行でリトル比良へ行ってきた。とにかく暑い日だった。
リトル比良は何度か歩いているけれど、直近でももう 10 年以上前。はっきりした記憶は無い。
出発時に思いがけないハプニングが発生!!。参加者のチェックを済ませたはずなのに、いざ出ようとすると一人足らない。
この日、初めて参加された方がおられて、同じ方向に向かう別のグループに付いて行かれてしまったようで、幸い連絡がついたので途中で待っていただいて、無事合流できた。
目指す岳山(だけやま)を望む。
登山口の長谷寺。すでに気温が高い。
少し登って、賽の河原。まったく記憶に無い。
白坂に寄り道。
「弁慶の切石」。この後もこのコースは随所に巨岩があった。
岳観音堂跡。瓦がたくさん落ちていたけれど、わりと新しい感じがした。
暑さのせいか、熱中症ぎみの方が出てきた。休憩を取りながらゆっくり登る。
岳山山頂そばの石造観音三尊。
そして岳山山頂(565m)。
もっと開けて展望のある場所だったような印象があるのだけれど、まったく違っていた。
少し下ったコルのような場所で昼食にした。
昼食後はオウム岩で展望を楽しむ。一番高い山は武奈ガ岳。
これは琵琶湖方面。まだ黄砂の影響が残っているのか、遠方はすっきりしない。
ヒメシャガ。随分めずらしいらしい。
主稜線から分かれて見張山方面へ向かう。
鳥越峰(702m)は何の標識も無かった。
この稜線は歩く人が少ないようで、倒木がたくさんあって道がわかりにくい。数年前までは明瞭なしっかりした道だったそうだけれど。
「鉄砲岩」。
「ろくは石」。
見張山(517.3m)は三角点がある。
少し道をそれて長法寺跡に寄り道。随分大きな寺だったらしい。平安時代から室町時代に栄えたとか。
展望場所からは2月に訪れた沖島。
「馬の足」。
ちょうど下りた所にタニウツギ。
4時前に日吉神社に下山した。
近年は5月にこういう夏日になることがしばしばあるように感じる。
山で暑さにやられるようなことはほとんど無いけれど、基本的に暑い季節は苦手なので、いやな季節がやってきたという感じ。
涼しい所へ脱出したい。
橿原、明日香村、遺跡めぐり
日曜日(5/14)は好天で絶好の外出日和だった。
まるまる一日出られるのは今月はこの日が最後で、本来なら山へ行きたいところだったのだけれど、その前が1日おきに3回随行が続いて、前日の土曜日は久しぶりに本降りの雨だったので、行き先に迷ったあげく、土曜日の夕方になってようやく奈良の遺跡めぐりということにした。
このところガラにもなく、何故か古代史に興味を感じている。
きっかけは今年の1月に花の講座の下見で明日香村に行った時で、飛鳥坐神社や飛鳥寺などを歩いている時、なぜか心がざわめくのを感じた。
ヤマト民族の血が騒ぎ出したのかも知れない。
その後、大和三山や御破裂山、竜門岳、音羽三山に行ったけれど、遺跡が主目的ではなかった。
一度、明日香村をじっくりと歩いてみたいと思っていたので、ちょうどそのタイミングかなと思った。
橿原考古学研究所付属博物館の開館9時に合わせて、9時ちょっと過ぎに到着した。
日曜日でもこの時間なら人は少ないだろうと思っていたら、何と日曜日だというのに小学生の団体にかち合わせてしまった。
ただ、わりとマナーのいい集団だったので、あまり不快な感じになることは無かった。
たまたま特別展を開催している期間だったので、通常なら 500 円の入場料が 800 円取られてしまった。特別展のテーマは「弥生絵画」で、ここまで古くなると私の興味の対象ではないのだけれど、いらないというわけにはいかない。
キトラ古墳の発掘のビデオなどはなかなか見応えがあった。
小学生の団体は 50 分くらいで出て行って、私は1時間半ほどここで過ごした。
外に出て、走れるウエアにして、ジョグで丸山古墳を目指す。何故か突然雨粒が落ちてきたけれど、すぐに収まった。
右手に畝傍山。
古墳でいつもとまどうのは、だいたいにおいて正面がどこかという標識がほとんど無く、大きな古墳のまわりをぐるっと廻らされるはめになることがしばしばあるということだ。
地図と gps で場所を確認しながら進んだけれど、行き過ぎたかと思って、少し戻って細い道を上がって、「史跡 丸山古墳」という古い標識で土道を上がったところ、ただの雑草原に出てしまった。
どうも前方後円墳の前方部の先端に上がったようで、後円部はかなり先に見えている。何せ全長 318m という巨大な古墳なのだ。
踏み跡の無い草むらを強引に後円部まで行った。下りた場所には案内板が立っていて、ツアーか何かで来ている人たちが何人かいた。
石棺が二つあったことが確認されており、考古学的には欽明天皇と妃の堅塩媛(きたしひめ)の可能性があるとの説。
次はすぐ西にある植山古墳。ここもどこから近づけばいいのかよくわからなかったけれど、そばにある春日神社の境内が石段を上がった所にあるので、そこへ上がってみたところ、期待通り、植山古墳の上に出ることができた。
古墳の形状はよくわからないが、整備されていて墳頂部からの畝傍山の眺めは美しい。さらに向こうには二上山。
ここも石室が二つあることが確認されており、考古学的には推古天皇と子息の竹田皇子の合葬墓という説がある。その後、科長の大陵に改葬されたとか。
このあとは住宅街の道をできるだけショートカットしながら欽明天皇陵を目指す。
正面がどこかわからず、またもや通り過ぎそうに思ったので適当に細い道に入ったら、さらに細い道が上がっていて、吉備姫皇女王墓に出た。
ここには猿石がある(全部で4体ある)。もともとは田んぼから掘り出されたものがここに置かれているらしい。
この横を通って、欽明天皇陵(梅山古墳)。
正面の石段を下ったら、何とさっき通った道ではないか。
こんなものを見落とすなんて、いったいどこに目をつけているんだ!!
次は近鉄吉野線の西側にある牽牛子塚古墳(けんごしつかこふん)を目指す。
変なところに迷い込んだりしながら走っていたら、「岩屋山古墳」という標識を発見。
石段を上がると石室がまる出し。
さらに横から墳頂に上がれる。
牽牛子塚古墳への標識に導かれて、ようやく見えてきた。
墳丘はシートがかぶされているが、石室を眺めることはできる。
巨石をくりぬいて造られたツインベッドの石室で、斉明天皇(皇極天皇)と娘の間人皇女(はしひとのひめみこ)の合葬墓という説がある。
牽牛子塚古墳は思ったよりも遠かった。さて、次なる目標はマルコ山古墳。
何とか線路まで戻らずに近道しようと南へ向かって、うまくすぐそばまで来ていながらわからなくなって線路に出てしまって、結局また戻るということを繰り返して、30 分以上かかってようやくマルコ山古墳に到着した。
古墳のすぐそばまで、まったく標識が無かった。ずいぶん有名な古墳だというのに。
古墳のそばにトイレと休憩場所があったので、そこで腰を下ろしておにぎり休憩にした。
時間はすでに 12 時半を過ぎている。
当初は明日香村だけでは時間を持て余すのではないかと思って、桜井まで足を延ばすことを考えていたのだけれど、この様子ではそれはムリそうだ。それよりも明日香村をじっくり歩いた方が良さそうに思った。
次なる目標は天武・持統天皇陵。飛鳥駅前を通って、しばらく車道を行く。
国営飛鳥歴史公園というのがあって、入場無料だったので入ってみたが、花の写真が展示されているくらいで、見るべきものは見あたらなかった。
しかし「鬼の俎・鬼の雪隠」の標識があったので、そこに寄ってみることにした。
思ったよりも遠かったが、まずは「鬼の雪隠」。
少し上に「鬼の俎」
元々は古墳の石室だったものらしい。序盤に訪れた欽明天皇陵はすぐ近く。
このまま進めば天武・持統天皇陵に行けるのではないかと思ったけれど、標識にはそういう表記が無かったので、いったん国営飛鳥歴史公園に戻った。
緩い登り坂をスロージョグで進んで、天武・持統天皇陵(野口王墓)に到着。
墓が荒らされた時の様子から、実際に天武・持統天皇だったのだろうと言われており、治定が信頼できる数少ない古代の陵墓の一つである。
さらに北に向かって菖蒲池古墳。
家形石棺が2基据えられており、いずれも非常に精巧な造りで、かなり特異な石棺とのこと。
さて、これからは明日香村の核心部へ。
まずは亀石。
カメというよりはカエル。時期も目的も不明。このあたりから観光客が増えてきた。
いつも前を素通りしている橘寺に寄ってみたけれど、入山料がいるのでパス。
多武峰(とうのみね)。明日香村のこういう風景が好きだ。三方を山に囲まれた京都に生まれ育ったせいもあるのかも。
伝飛鳥板蓋宮跡(でんあすかいたぶきのみや)。7世紀中頃、皇極天皇が営んだ皇居の跡と言われている。
そして酒船石へ。
詳細は不明だけれど、工事好きだった斉明天皇が残したものかも・・・。
亀形石造物は有料なのでパス。
せっかくなので万葉文化館に入ってみた。花の講座の時に訪れているけれど、その時は中には入っていない。
無料なので中を見て回ったけれど、まぁこんなもののかという感じ。時間つぶしにはなるかも。
そして、花の講座の下見の時も来たはずなのだけれど、あまり記憶に残っていない大原神社へ。
ここは藤原鎌足の誕生地。ここの奥の竹田川のほとりには「藤原鎌足産湯の井戸」。
飛鳥坐神社方向に少し行くと藤原鎌足の母の大伴夫人の墓。
そして飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)。
本堂の奥にもいろいろとあった。
飛鳥寺も中には入らず。
そして蘇我入鹿首塚。背景は蘇我蝦夷、入鹿が豪邸を構えた甘樫丘(あまかしのおか)。
建てられたのは鎌倉か南北朝あたりとのこと。
明日香村めぐりもいよいよ終盤へ。
甘樫丘の麓でトイレ休憩。
大和三山へ行った時に、寄りたかったけれどよくわからなくて通り過ぎてしまった豊浦寺(とゆらじ)跡の向原寺(こうげんじ)へ。
そのすぐそばに難波池。
そして向原寺。
うろうろしながら実は向原寺のすぐそばにあった甘樫坐神社(あまかしにますじんじゃ)。推古天皇が祭られている。
想定していた箇所はこれでお終いだったけれど、橿原神宮駅へ向かう途中にある孝元天皇陵に寄って行くことにする。
またもや正面がどこかわからず、すぐそばの住宅街で地元の人に陵墓を指さして「この天皇陵の正面はどこですか?」と尋ねたら、「それなに?」というお返事。家のすぐそばにある森が天皇陵であるということをご存じなかったようだ。
ぐるっと廻ってようやく入り口を発見。
「孝元天皇」という名前は聞いたことが無いなぁと思って、帰ってから調べてみたら、いわゆる「欠史八代」の一人の第8代天皇だった。
橿原神宮前駅には午後4時前に到着した。何だかんだで 25km ほどの行程だった。
ほとんど車道の平地ばかりなのでそれほどの疲労感は感じなかったのだけれど、風呂上がりのいつものタイミングで体重を量ったら、久しぶりに 50kg を割っていた。小辺路の後でもそこまでは落ちなかったのだけれど。
それにしても期待以上に楽しい一日でした。
三国岳
先週の金曜日(5/12)は随行で朽木の三国岳へ行ってきた。
桑原橋から登って古屋へ下りるというコースで、部分的には昨秋に歩いている。
以前ならマイクロバスをチャーターして来るような不便な場所なのだけれど、昨今のバス料金高騰と、受講生の減少というダブルパンチのために、堅田からタクシーで桑原橋に乗りつけた。
しばらく植林の急登を這い上がる。
標高が上がるとイワカガミが登場。
休憩を入れながら、スタートして1時間半ほどで丹波越の峠に到着した。
足元にはミヤマカタバミ。
これはオオカメノキというらしい。
峠から1時間ほどで三国岳への分岐に到着。
三国岳の山頂(959m)で昼食となった。ずいぶん山深い不便な場所なのだけれど、個人的にはここ1年ほどで3回目。
下山はまず岩谷峠へ。
ここで実にめずらしいも瞬間に出会えた。
何と、エゾハルゼミが蛹からふ化する瞬間に立ち会えたのだ。
最初に見た瞬間は、ふ化に失敗して死んでいるのかと思ったのだけれど、少ししたら足が動き出した。
羽が次第にしっかりと広がってきて、幹を上に登りだした。さすがに飛ぶまでは至らなかったけれど。
ここからしばらくはシャクナゲがたくさん咲いていた。
沢筋に下り立ったらニリンソウ。
対岸には雪が残っていた。
ちょうど予定の3時に古屋に到着した。
3時に迎えをお願いしていたタクシーがすぐにやってきて、堅田までスムーズに帰ることができた。
京都一周トレイル奥比叡
水曜日(5/10)は京都一周トレイル講座で奥比叡を歩いてきた。
コースは前回終了したケーブル比叡駅をスタートして横川のバス停まで。
随行区間の歩きだけではもの足らないので、朝は八瀬から歩いてケーブル比叡駅まで行って、帰りは横川からせりあい地蔵経由でバス停の登山口まで下った。
9時半にケーブル比叡駅に到着できるように、8時 20 分頃に八瀬を出発した。
天気予報では降水確率が高めだけれど、今のところは雨は降っていない。
先日より頑張ったつもりだったけれど、先日よりも少し時間がかかって峠に到着した。
ガスで幻想的な雰囲気。
ゲレンデ下には前回とほぼ同じく1時間で到着した。
予定通り9時半にケーブル比叡駅に到着して、10 時に歩き始める。小雨がぱらついている。
道の北側にはツツジが植えられている。
随行で来るメリットは、一人ならまず立ち寄らないような場所でゆっくりできるところ。初めて浄土院に入った。
山道脇にクリンソウ。
マムシグサ。
ちょっと寄り道してみろく石仏。
鎌倉初期のもので、破損は信長の焼き討ちのせいとか。
トイレに寄った峰道レストランで昼食にした。
昼食後はせりあい地蔵に向かう。
玉体杉。
回峰行者はここのそばの石に座って御所に向かって祈るのだとか。しかしこの大きな石(写真に撮ってこなかった)、一体どうやってここまで運んだのだろうか。いつごろ設置されたのだろか。表面はずいぶんきれいで、以外と近年の設置かもと感じた。
今週末(5/13)は比叡山のトレイルレースが予定されていて、大会間近ということで随所にテープマークが付けられているが、なぜかコースではないはずのこのあたりにもテープマークがある。
一周トレイルコースはせりあい地蔵から横高山へ登るのだけれど、今回はここで打ち切りで、横川のバス停に向かった。
横川のバス停には午後2時 15 分くらいに到着して、皆さんはここからバスで下山。
時間があるので私はせりあい地蔵まで戻って、ここから登山口のバス停まで下ることにした。
せりあい地蔵から下はトレイルレースのコースで、先日の試走の時に登った道。なかなか苦しかった。
普段はあまり人の歩かない道なのだけれど、下からトレランスタイルの人が上がってきた。こんな直前の平日でも試走に来るひとがいるのかと思ったのだが、近づいてみたら何と鏑木毅さん!! マーキング用のテープを持って登って来られた。
私が下りだったので道を避けたのだけれど、「どうぞどうぞ」ということで通してもらうことにした。
近づいたら「昨年、UTMF でお世話になりました」と一言ご挨拶。そして先ほどのマーキングの件を尋ねてみたところ、今回新設された 50 マイルは後半のループを2回廻るのだけれど、2回目はここの登りは無しで、トレイルコースをそのまま進むとのこと。
鏑木さんの競技に対するストイックな姿勢はつとに有名なのだけれど、おそらくコースのチェックが目的だろうと思われるこの時も、汗びっしょりで登って来られた。半分は自分のトレーニングのつもりなのだろう。
ゆっくりお話しできる状況ではなかったので「どうしてこんなコース設定なのですか?」というような質問はできなかったけれど、よく考えてみると一般ハイカーや観光客との接触を極力少なくするためにああいうアップダウンを設定されたのかなという気もする。
ちょうど今(5/13 14:45)はトレイルレース開催中で、上位選手はすでにゴールしていると思われるが、まだまだ多くの選手はコース上で苦しんでいる時間帯だ。しかも今日は朝はかなりの降雨だったので、コースのコンディションは極めて悪いと思う。
今朝の雨音を聞きながら、トレイルレースへの参加は当分無いだろうと思った。
試走の時は苦しかった登りも下りはすんなりで、横川を出て 45 分くらいでバス停に下り立った。
次回の集合は横川のバス停なので、朝はこのコースを辿るつもりだ。
ポンポン山
月曜日(5/8)は随行で高槻・京都県境のポンポン山へ行ってきた。
ポンポン山はこれまで何度も登っていて、特にマラソンに集中していた頃は家から山麓の神峯山寺まで自転車で行って、ポンポン山2往復なんてこともやっていた。
今日は京都側の善峯寺から周回するコースだったけれど、東海自然歩道は何度か歩いたことがある。
JR の向日市駅からバスで善峯寺へ。善峯寺は花の講座で昨秋に訪れた。
少し車道を上がって、善峯寺の駐車場に入るカーブの所で山道に入る。
善峯寺を望む展望台。以前は木がもっと少なくていい眺めだったらしい。
このあと道が少し不明瞭になって、ヤブの急斜面を這い上がる。
いくつかある登山講座の中では一番の初級クラスなので、ちょっと厳しかったかも。
ほどなく正しい道に合流して、稜線に上がって釈迦岳の東にある展望台で一休み。
天気はいいのだけれど、黄砂のせいで展望はあまりよろしくない。
釈迦岳山頂(630.8m)で昼食。
昼食後、30 分ほどでポンポン山の山頂(678.8m)に到着した。
枚方方面もかすんであまり見えない。
少し戻って、杉谷の方向に下る。
30 分足らずで杉谷へ。
あとは車道で善峯寺に戻る。
シャガ?
25 分ほどの車道歩きで善峯寺のバス停に戻って、無事解散となった。
のんびりした一日でした。
八瀬からケーブル比叡へ
水曜日は京都一周トレイル講座の随行なのだけれど、集合がケーブル比叡駅になっている。先月がここで終了したからで、普通なら八瀬からケーブルで上がってくる。
しかしせっかくの山をケーブルで上がるのはもったいないし、この講座は行動時間も短くて余裕があるので、八瀬から歩いて登りたいと思った。
前回は八瀬まで歩いて下りたのだけれど、その道はちょっと遠回りで、地形図だともっと近い道があるはずなので(前回、下山で見つけられなかった道)、その道を確認したいと思って出かけた。
今日の行動は3時間くらいで終わる予定なので、ゆっくり出かけて叡電の八瀬駅に 10 時少し前に到着した。
精華学園のグラウンド横を通って山道に入る。
前回下った時は結構登りがきつそうと思ったけれど、それほどでもない。
このあたりにお地蔵さんは前回は見なかったように思うのだけれど、どうもこのあたり、道が二股に分かれているようだ。
10 時 42 分に峠に到着。30 分くらいで来られると思っていたのだけれど・・・。
ここからケーブル比叡に向かう道に入る。
何か構造物の跡?
以外と傾斜がきつい。
突然、展望が開けて京都市内方面。
石段が出てきたと思ったら、ゲレンデ跡に飛び出した。ちょうど 11 時。八瀬から1時間だった。
前回、下り口がよくわからなくて、実はここのすぐ横も歩いていたのだけれど、この道にはまったく気が付かなかった。急に石段で下っているので上からだと道が見えない。
このあとはしっかりした道を 10 分足らずでケーブル比叡駅へ到着。
ケーブル比叡駅そばの展望台からの眺めは黄砂のせいかぼんやり。
せっかくなのでこれまで歩いたことの無いトレイルコースの旧道を下る。それに今日は本道は人が多いだろう。
ちょうど千種忠顕卿戦死之地への分岐の所で合流したけれど、この後も通ったことの無い道を下る。
本道の西側で、浄刹結界跡の少し上の展望エリアの所で本道に合流した。
ここからは一周トレイルコースを下る。やはり登ってくる人は多い。
例の鳥居の場所へ。
今日はあまり走るつもりはなかったのだけれど、こういう道になると自然と走りたくなる。
明らかに比叡山トレイルの試走と思われるグループが分岐の所で休憩していた。
瓜生山の手前はずいぶん道が荒れていた。
何度も来た瓜生山山頂(301m)。
バプテスト病院。昔、キリマンジャロへ行く前に、コレラの予防接種のためにここに来たのを覚えている。
あとは車道で出町柳まで。まずは志賀越道。
無事、1時前に出町柳の到着して、Tシャツを着替えて改札に向かったのだけれど、想定外のことに出会って、結局また鴨川を三条まで走ることになってしまった。
10 枚分の値段で 14 枚購入できる休日用の回数券を買おうとしたところ、私にとって一番便利な 350 円区間の券が出町柳駅では買うことができなかった。出町柳駅からは 350 円という区間が無いようだ。
3時間で約 15km。それなりに楽しかった。
熊野古道小辺路エピローグ
熊野本宮大社からの帰りは、ビールでも飲みながらのんびり余韻に浸ろうと思っていたのだけれど、乗り物の時刻の都合で、結局ビールは家までお預けとなってしまった。
初めてのファストパッキングは、おおむね期待通りの成果が得られたと思う。
天気さえ荒れなければ今回の装備で無雪期の山ならおおむね行けそうに思えたし、食べた感のある炭水化物系のほとんど無い行動食でも2日間なら特に空腹感を覚えることも無く歩き続けることができた。
二日連続ほぼ 10 時間行動だったけれど、それも特に問題は感じなかった。ただしボッカ力がかなり落ちているので、これは改めてトレーニングの必要がある。
そうは言っても今さら砂袋を担いでのトレーニングなどできるはずもないので、テント泊山行をあまり間を空けずに繰り返すしかないだろう。20kg を担ぐ必要は無い。12〜13kg で長時間歩ければそれでいいのだ。
今回のザックは OMM の Classic 32。容量32Lで、重さ数百グラムの軽量モデル。
そしてサロモンのカスタムフロントポケットを胸の前に装着した(私のものは旧モデル)。行動中は極力ザックを下ろさずに済むようにと思っての装備だったのだけれど、結果的には腰の疲れのためにしばしばザックを下ろさなければならないはめに陥ってしまった。
昔クライミングをやっていた頃、クライミング時に首からモノをぶら下げるというのは禁忌だったので(何かの拍子に首が絞まる!!)、サコッシュは生理的に抵抗感がある。
今回は1泊だったので容量的にはこれでちょうどだったけれど、長期山行になるともう少し大きいサイズのザックが必要だ。
かつては 80L なんて大きさのザックに登攀用具を詰め込んでヨーロッパアルプスに出かけたけれど(その当時は航空会社も余裕があったのか、荷物の超過料金は取られたことがなかった)、もう何年も前に処分してしまった。それに残していたとしてももはや使い道が無い。
40L くらいの大きさの軽量ザックがほしいところだけれど、「山と道」のザックのようなペラペラタイプは最初は避けた方が無難かなと思っている。
ファストパッキングのデビュー戦としては熊野古道小辺路はいい選択だったと思うけれど、正直言って山歩きとしてはあまり魅力のあるコースではなかった。一度歩けばもう十分という感じ。
それほど用事は無いように思うのだけれど、いざ泊まりで出かけようとするとなかなか日程が取れない。次回は来月になるだろう。
さて来月はどこへ行くか、地図を眺めながらコースを決めるのも山行きの大きな楽しみの一つだ。
熊野古道小辺路2日目
2日目は夜明けとともに歩き出すために4時に起きた。
夜は中綿ジャケットとダウンパンツ、そして全身マットのおかげで思ったより快適に寝られた。ただ、朝方は足元が少し寒かったけれど。
朝のメニューはかつて愛用した懐かしの棒ラーメン。しかし大きなミスを犯してしまった。
棒ラーメンは2食分が一袋に入っていて、1食分だけをラップに包んだ時、粉末スープを取り分けるのを忘れてしまっていた。仕方無いので少しでも塩味の足しにと思ってサラミを二つ入れて煮込んだ。
かすかな塩味は悪くなかった。お湯が少なめだったので、粉末スープだったら辛すぎたかも知れない。
コーヒーを飲み終えてテントの外に出た頃には薄ら明るくなっていた。
荷物をまとめて5時過ぎに出発した。もうヘッドランプはいらない。
歩き出して 30 分足らずで三浦峠(1080m)に到着した。一人でシェルターを張っている人がいた。
ここからはまたしばらくなだらかな下り基調が続く。木々の間から朝日が差し込んで、とても気持ちがいい。
しかし早くも腰に鈍痛が出てきた。そうだ、ロキソニンを持ってきているのをすっかり忘れていた。昨日も、終盤で厳しくなってきたら服用しようと思っていたのに、完全に失念していた。
と言うことでおまじない代わりにロキソニンを投入。私はこういう薬はほとんど効かないのだけれど(ヘルニアの時のボルタレンやリリカもまったく効かなかった)、ヘルニア手術で退院した時に持たされたものがまだたくさん残っている。こんな時にでも使わないともったいない。
単調でなかなか標高の下がらない道をうんざりしながら1時間半くらい歩いて、矢倉観音堂まで来た。
このあと下りが急になって、小康状態だった腰にこたえる下りだった。
三浦峠から2時間半かかってようやく車道に下り立った。
ここから十津川温泉手前まで、延々と車道歩きになる。
腰がつらくなってきたので公衆トイレの前の川合神社でザックを下ろして休憩した。
朝から私と同じ方向の人は一人も出会わないけれど、反対方向から来る人には二人ほどすれ違った。
また腰がつらくなってきたので、バス停の待合ベンチに腰をかけて少し休んだ。
あの遙か彼方に見えるのが果無峠(はてなしとうげ)だろうか。
車道に出てから延々2時間、8km ほど歩いて、ようやく温浴施設の昴の里に到着した。
トンネルを抜けて、吊り橋を渡る。5人以上同時に渡るなという警告が書かれているが、結構揺れて恐ろしかった。一人なので自分が歩くリズムで渡れたけれど、複数で渡ると揺れるリズムが複雑になって一段と恐そうだ。
いよいよ今回のコースで最後、そして最大の標高差約 900m の果無峠への登りにさしかかった。
展望場所にベンチがあったので、そこでザックを下ろして休憩にした。今日二度目のロキソニンを投入。
石畳の道を上がると果無集落。こんな所に突然、と思うけれど、実は車道があって少ないながらもバス便がある。「にほんの里 100 選」というものに選ばれているらしい。
シャクナゲ(たぶん)。
登りにさしかかってから1時間半くらい歩いて、ようやく観音堂に到着した。
果無峠だけ歩くという人がわりといるようで、このあたりではたくさんの人に出会った。ここにも数人が休憩していたが、水場があるので素通りというわけにはいかない。
ザックを下ろして一休みして、最後の登りに向かう。今回の登りはこれが最後だ。おそらく 30 分あれば登れるだろう。
20 分ちょいの登りで果無峠(1114m)に到着した。少し小雨。
12 時にここまで来られればと思っていたけれど、まだ 11 時半ちょっと前。これなら3時過ぎのバスに乗れそうだ。
二十丁石、そして三十丁石と下って行く。
いよいよ今回の行程もトレイルは最終章にさしかかってきた。久しぶりに、終わってしまうのがちょっと寂しいという気持ちになった。
午後1時過ぎに八木尾のバス停に下り立った。
ここからはまた車道。
少し時間がありそうなので「道の駅ほんぐう」でまたいそべ餅を楽しんだ。
あとは淡々と車道を行くだけと思っていたら、実はまだトレイルが残っていた。
三軒茶屋跡のそばの門。
このあたりは観光客の世界。
いよいよ熊野本宮大社へ。
中のエリアは撮影禁止とのことで、参道の石段を下りて午後2時 45 分に山門にゴールした。
本当ならここでとびきりおいしいビールをぐっといきたかったのだが、バスが3時 10 分に迫っているので、早々にバス停に並んだ。まだ屋根のかかっている部分に入れたのだけれど、このあと一気に列が延びて、それと同時に雨が本降りになってきた。
バスに2時間揺られて紀伊田辺駅に出て、特急を奮発して8時半過ぎには家に帰ってくることができた。
2日目は行動9時間半、約 32km だった。