佐和山

月曜日(11/27)は先月が雨予報で中止になった講座のリターンマッチで、彦根の佐和山へ行った。
ここはテレビドラマの影響で観光客が増えているそうだけれど、私はテレビはニュースしか見ないのでよく知らない。

快晴のもと、彦根駅からしばらく車道を行く。
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井伊家菩提寺の清凉寺(せいりょうじ)。
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観光客がタクシーでやってくる。
石田三成の銅像。
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入山許可証(個人の場合は不要)をもらって井伊神社へ。
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天井の絵が素晴らしいそうだけれど、普段は非公開。
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紅葉が素晴らしい。
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大洞弁財天へ向かう。
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ここから山道に入って、急登をひと登りして弁天山(196m)へ。
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ここから稜線を南に向かって、塩硝櫓跡。
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絶景の佐和山山頂(232.6m)で昼食。
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伊吹山と手前にフジテックの工場。
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彦根城と琵琶湖。
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このあたりも紅葉がきれい。
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昼食後は少し南へ下って、城跡めぐり。佐和山城は人為的にかなり激しく壊されたらしい。
石垣の残骸。
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井戸の跡。
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「ここから先は私有地なので戻れ」という立て札の所で引き返して、東の鳥居本方向に下山した。
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佐和山城の大手口。
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中仙道鳥居本の街を歩いて鳥居本駅へ。
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近江鉄道の鳥居本駅で解散した。
この路線は1時間に1本しかないのだけれど、時間調整をして歩いてきたのであと数分で電車が来る。しかし彦根までは一駅。まだ2時半前で、一駅くらいなら近江鉄道には乗りたくないので、私は歩いて彦根に戻ることにした。
佐和山から下山してきた道に戻って稜線の峠を越えて、山の西側の石田三成像の所に出て、その後は JR の線路沿いの道を辿って彦根まで歩いた。45 分くらいだった。

大又から薊岳、国見山周回

昨日(11/25)は台高山脈の薊岳(あざみだけ)から国見山(くにみやま)を周回してきた。
薊岳国見山は共に随行で行ったことがある。
11/23 に予定していたのだけれど、朝方の天候が怪しげだったので、好天予報の土曜日にした。

随行の時はマイクロバスで登山口まで送ってもらったけれど、自分の車だと駐車場所をあらかじめ確認しておかなければならない。
大又には県道から少し入った登山口のあたりに少しスペースがあるとのことで、細い林道を上がったところ、ターンできないくらいの急カーブが出てきた。少し上に民家があるようで、よくわからない分岐もある。
間違って民家の方に少し上がってしまって、道幅が車幅ギリギリくらいの坂道をバックで戻るという緊張を強いられて、結局そのままバックで登山口のスペースに停めた。
他には車は無かったけれど、もし後から車が来たら、ヘタをすると下りられなくなってしまうんじゃないかと心配だったけれど、ここに置いておくしか無さそう。
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随行の時は県道脇の笹野神社から登山道に入って、ちょうどここに出てきた。
しばらく緩い登りで、ちょっと厚着し過ぎだったかもと思った。と言っても上は登山用の長袖下着と薄いフリースだけなのだけれど。
ほどなく急登になるのは記憶していた。おかげで1時間足らずで標高差数百メートル上がって 1000m くらいになると雪景色になってきた。
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気温はぐっと下がってきて、風が当たると寒いくらい。好天を期待していたのだけれど、樹林帯のせいもあって日射しはまったく届かない。
出発して1時間少々で大鏡池(1183m)まで来た。池の水面はよくわからない。このあたりまで来ると登り傾斜は緩やかにになる。
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いよいよ山頂エリアの岩稜帯へ。雪がうっすらとかぶってなかなかデリケートだ。木が茂っているとは言うもののこのあたりは両側ともわりと切れていて、滑って落ちるとタダでは済まない。
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出発して1時間 50 分で薊岳(1406m)に到着した。遠景中央の鋭峰は大峰の大普賢岳。その右に山上ヶ岳。
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上部は雪はあるだろうとは思っていたけれど、こんなきれいな霧氷に出会えるとは思わなかった。
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さすがに寒いのでライトジャケットと、耳を覆えるヴィーニーを着用した。
下りになると足元が滑りやすくて緊張する。ポールを持ってくれば良かったと思ったけれどもはや後の祭り。
しばらく登ったり下ったりで、薊岳から 50 分ほどで明神平を望める場所まで来た。
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今日は穂高明神まで足を延ばすので、明神平へは下りずに稜線をそのまま進む。
これまで誰にも会わず、足跡すら動物(ウサギ?)のものしか無かったのだけれど、明神平からの道と合流すると突然たくさんの足跡が出てきた。
穂高明神(1432m)には 10 時 43 分に到着した。出発してから2時間 53 分。今日の最高標高点。ここはこれまで2回の随行で予定していながら時間切れで届かなかった山だ。
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明神平のエリアは思いがけず混雑していた。薊岳やこの先の国見山方面ではほとんど人に出会わなかったので、みんな大又の県道終点の駐車場から登ってくるのだろう。
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そろそろエネルギー補給したかったのだけれど、人のたくさんいる明神平では落ち着けないので、ひと登りして水無山を少し越えた所で今日初めて腰を下ろしておにぎり休憩にした。
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国見山(1418.9m)には 11 時 34 分に到着。
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ここから先は落ち葉で道が不明瞭で、アップダウンはあまり無いものの気分が疲れる。
しばらく行くと幻想的な池。硯池と言うらしい。
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池から5分で赤ゾレ山(1300m)。
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振り返ると国見山。その向こうが穂高明神?。
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南には薊岳。ずっと奥が大峰。
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西の方には金剛葛城山系が望める。
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ここから先はさらに踏み跡が不明瞭になって、沢が狭まったデリケートな地形の所に入り込んでしまった。
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どう見てもルートをはずしているとしか思えないのだけれど、gps や地図のルートからははずれていない。
落ち葉にうっすらと雪が被って滑りやすくて、持てる木もほとんど無い急な斜面で、ポールがほしいところだけれどどうしようも無い。少しだけ露出した木の根や岩角などを気安めにして、何とか危険地帯を通過した。
稜線に上がったらうっすらとした踏み跡に出会った。きっともう少しマシな道があるのだろう。
悪戦苦闘していたのはおそらく 15 分程度だと思うけれど、汗ばんできたのでジャケットとヴィーニーを脱いで、ジェルを補給した。
伊勢辻山(1290m)には 12 時 43 分に到着した。
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このあたりまで来ると道はかなり明瞭になってきた。
気が楽になってルンルンで下っていたら、いつの間にやらルートをはずしていた。分岐を見落としたようなのだけれど、そんな分岐は無かったような・・・。
gps を見ながら戻って、分岐のあたりにさしかかったら、テープマークがあった。gps を見ながら正しい方向に少し進んだところ、見落とした原因がわかった。
ちょうど分岐で道標が立っている場所が倒木で通れなくなっていたのだ。
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しばらく下ると道は沢筋になった。明瞭ではあるけれど、土砂崩れの跡が何カ所かあった。
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単調な緩い下りを淡々と足を運ぶ。歩きやすいと言えば歩きやすいのだけれど、傾斜が緩いのでなかなか標高が下がってくれない。
和佐羅滝に近づいたあたりで、gps のルートからはずれてきた。しかし道はこれしか無かったと思う。
しばらく下ると和佐羅滝への分岐の道標が現れた。ずいぶん沢から離れてしまっているように思えるけれど、おそらくもうここへ来ることは無いと思うので、滝の方へ向かってみた。
しかしやはり遠そうだったので、諦めて戻ることにした。
さらにしばらく下ると、また分岐の標識があった。
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おそらく和佐羅滝まで行けばここに下りて来られたのだろう。
ほどなく県道に出た。
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ここはちょうど駐車スペースへの林道の分岐の場所で、そちらに向かった。
この林道に入って橋を渡ってすぐの所にちょっとした駐車スペースがあった。朝は気が付かなかったのだけれど、ガイドブックに記載されている駐車スペースというのはここのことだったのかも知れないと思った。
車の所に戻ったのは午後2時半くらいだった。
楽しかったのかどうか、なかなか評価の難しい山行だった。ただ、久しぶりにちょっと手応えのあるコースだったとは思う。個人的に来ることはおそらくもう無いと思うけれど。

太郎坊山

先の日曜日(11/19)は随行で湖東の太郎坊山へ行ってきた。
このところ朝晩は冷え込むけれど昼間はそこそこ気温が上がるという日が続いていたけれど、この日は昼間も結構寒かった。

集合は近江鉄道の市辺駅。近江八幡で JR から乗り換えるのだけれど、近江鉄道というのはいまだに IC カードが使えず、そのくせ自動販売機は 1000 円までしか使えない古いものが1台だけ。
この会社はバスも同様で、車内では両替もしてくれないし、1日数本しか無い沖島との船便ともほとんど接続を考えていないような運行で、こんなことでもなければ絶対に乗りたくない鉄道会社だ。今回もたったの4駅、ほんの 10 分程度の乗車で 310 円という超高価路線。沿線住民はよくこれで我慢していると感心する。
少し車道を歩いて船岡山に向かう。
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船岡山ふもとの阿賀神社。
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このあたりは万葉集でよく歌われている蒲生野。何か来たことがあるような・・・と思ったら、1年半ほど前に花の講座の下見で来ていた。けれど花がほとんど咲いていなかったので、本番では来なかった。
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少しだけ山道を歩いて船岡山を越えて、またしばらく車道を行く。
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そして岩戸山に向かう。
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少し登ると紅葉が美しい。
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摩崖仏。
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正面真ん中は比叡山。比良山系は上部が冠雪していた。
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この紅葉も素晴らしい。
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このあたりは小脇山城遺跡というらしい。
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これが旗振り場。
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小脇山(373.4m)。標識がいくつかあって、いずれも標高が微妙に異なる。373.4m は国土地理院の地形図の表記。
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そして箕作山(みつくりやま、372m)で昼食にした。
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北の方に観音寺山。
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太郎坊山の山頂からの鈴鹿山脈。比良も鈴鹿も上部は雲におおわれていた。
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ここから太郎坊宮へ下る道では登ってくる観光客とたくさんすれ違った。
太郎坊宮のエリアまではすぐ。
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延命公園に向かう途中で振り返ると太郎坊山(右側の突起)。
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延命公園は紅葉の名所とのこと。
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古墳がいくつか残っていた。
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その後、近江鉄道の八日市駅に向かった。

小冨士山、仁寿山

月曜日(11/13)は随行で播磨の小冨士山、仁寿山へ行ってきた。
朝はかなり冷え込んだけれど、昼間はぐっと気温が上がって暑いくらいだった。

山陽本線の御着駅からしばらく車道を歩く。前に見える尖った山が小冨士山(麻生山ーあさおやまーとも呼ぶ)。
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大歳神社でちょっと休憩。
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いよいよ山道へ入る。
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このあたりの山々は標高は低くても道は結構険しい。
しばらく登ると背後には以前に歩いた播磨アルプスの全景。
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山頂のすぐ手前には華厳寺。
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11 時過ぎに小冨士山(173m)の山頂に到着して、ちょっと早めの昼食にした。
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なかなかの眺望で、大阪方面と瀬戸内海。
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昼食後は仁寿山に向かう。
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わずかではあるけれど急に下って急に登る。
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山頂の手前で車道に出た。
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みなさんは登山道で山頂に向かわれたけれど、少し疲れた方がおられたので私はその方に付いて車道を上がった。
仁寿山(174.8m)山頂には NHK の電波塔がある。
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この先の登山道は少し歩きにくそうなので、安全のために車道で下山する。
住宅街に出て小冨士山を振り返る。
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銀杏並木が美しい。
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ちょうど2時頃、山陽電鉄の白浜の宮駅に到着して解散となった。
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ポカポカ陽気で気楽な一日でした。

小原から御破裂山、栢森から高取山猿石

次の月曜日は随行の仕事なので、出かけるのは土曜日(11/11)にした。
高野山と唐櫃越えでそこそこの満足感があったので、軽いコースにしようと思った。
たまたま以前の写真を眺めていて、談山神社への表参道は大原(今の小原)からの道ということを知って、この道を辿ってみたいと思った。
そして1ヶ月前に音羽三山から高取山へ行った時、体力切れでやり残した部分を逆コースで辿ってみようと思った。

朝はゆっくりめで、9時過ぎに橿原神宮前駅をスタートした。
住宅街を適当に進んで、まずは剣池。地形図には「石川池」と表記されているのだけれど。
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遺跡めぐりへ行った時のかすかな記憶で甘樫坐神社(あまかしにますじんじゃ)へ。
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ここでは古にオソロシイ裁判が行われていたとか。
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立石。
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産直店のすぐそばに「明日香村埋蔵文化財展示室」という無料の施設があるのを初めて知って、入ってみることにした。
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それほど大きな部屋ではないのだけれど、遺跡からの出土品の実物がわりとたくさん並べられていて、無料にしては質が高いと感じた。
男性の説明員の方が一人だけおられて、ヒマなのかしゃべりたいのか(失礼m(_._)m)、ずっと付ききりでいろいろ説明して下さいました。おかげでかなり時間を消費してしまった。でも良かったです。
その後、飛鳥坐神社の横を通って大原神社へ。
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これが表参道の記載のある説明板。
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大きな神社の表参道は下の方に必ず大きな鳥居があるのだけれど、このあたりには鳥居は見あたらない。
何の案内板も無い舗装路をしばらく上ると、万葉展望台という標識。
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ここからの登りはなかなかの傾斜で、早朝の雨のせいでいささか滑りやすい。表参道にしては階段などもまったく整備されておらず、今は歩く人はかなり少ない感じ。
大原神社から 30 分少々で展望台に到着。すっきりしない曇天の下の大和葛城山と二上山。
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ここからは道がわりとフラットになって多少は走れる。少し行くと車道に出て、しばらく車道を走ると「増賀(そうが)上人墓」という案内板が出たので、寄り道する。
石段を上がる。
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上がりきると奇妙な形のお墓。多武峰中興の祖とか。
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このあたりから普通は車道を辿って V 字に御破裂山に向かうのが普通なのだけれど、地形図を見るとこのあたりから V 字をショートカットするような道が書かれている。
地形図のこういう細い道はほとんどあてにならないのだけれど、ショートカット好きの私はそこに向かうことにした。
一旦は車道に戻ったのだけれど、gps を見て再度先ほどの階段の所に戻って、階段の下の舗装路を進んでみた。
お墓の参拝路のよう(とは言ってももうほとんど誰も参拝にきていない感じ)。一番奥まで来たらやはり道が消えてしまった。
しかしここまで来てまた下るのはしゃくなので、ヤブをかき分けて少し進んだところ、どうもかすかに道の跡のような雰囲気になってきた。とは言っても・・・。
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白のジップシャツが枝にすれてずいぶん汚れてしまった。このジップシャツはわりとお気に入りなのだけれど、どういう訳かこのシャツを着ると思いがけず汚れてしまうということがしばしばある。
10 分ほどで本来の道に出て、それから5分ほどで御破裂山(607.4m)に到着した。
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「大和さくらい 100 選」の展望場所は木が茂ってこの程度。
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異様に新しい藤原家の墓に再会。
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またあのヤブはたまらないので、V 字の舗装路で万葉展望台に戻って、ベンチでおにぎり休憩にした。
その後、石舞台方向に下山。県道手前のちょっとした丘から石舞台古墳を見下ろす。
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県道からちょっと寄り道して都塚古墳。
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次に目指すのはミハ山(ミワ山とか、フグリ山とか)。
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麓には飛鳥稲淵宮殿跡。中大江皇子らが一時期営んだ飛鳥川辺行宮の有力候補地。
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そばの階段を上がって展望台へ。展望台からの明日香村、耳成山、天の香具山。
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戻って、「マラ石」。
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県道に戻って稲淵の男綱を越えて、飛鳥川の飛び石。前回ここを通った時は場所を間違えて見ることができなかった。
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夜半の雨で水量が多いのか、渡ってみたらシューズが少し濡れた。
ここまで来たら何となくもういいじゃないかという気分になってきた。それと、展示室のおじさんがさかんに「キトラ古墳の展示はタダでいいものが見られる」と言われたが気になって、キトラ古墳に行ってみたい気持ちが出てきた。
キトラ古墳は以前に随行で高取山へ行った帰りに立ち寄ったことがあるのだけれど、その時はまだ公園の整備中だった。
車道にはキトラ古墳方面の案内が出ているのだけれど、地図を見るとかなりぐるっと大回りしている。歩きでショートカットできるような適当な道が見あたらない。
キトラ古墳に行くか、当初の予定通り高取山方面を目指すか、なかなか気持ちが定まらなくて行ったり来たりしたのだけれど、迷ったときはやはり初心に戻るべきだろうと思いなおして、高取山方向に行くことにした。ずいぶんムダな時間を使ってしまった。
しばらく車道を走って、栢森の女綱のそばからまた登山道に入る。
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そこそこの登りを 15 分ほど上がると稜線に出て、キトラ古墳への標識に出会った。
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地図を見ると確かにキトラ古墳方向への道が記されているけれど、今日は休日なので観光客も多い可能性があるし、目的地をコロコロ変えるのは良くないと思い直して、猿石に向かった。
このあたりから道はわりとフラットになって、早くも高取城の石垣跡が出てきた。
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それにしても高取城の大きさには驚かされる。最盛期はいったいどれくらいの規模だったのだろう。造ることもさることながら、それだけの城を維持するには相当な人手が必要だったと思われる。
山寺の跡も規模の大きかったものがしばしば見受けられるし、そういう時代の文化というのは現代とはまったく異なる価値観で営まれていたのだろう。
猿石まで行くと人に出会う可能性があるので、そのちょっと手前で腰を下ろして栗饅頭休憩にした。
2時 22 分に猿石に到着した。栢森から 35 分ほど。
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ここからは1ヶ月前の同じ道を下る。こんな道にも台風のツメ痕。
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先日と違って、土佐の街は閑散としていた。
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おかげでずっと走れて、3時ちょうどに壷阪山駅にゴールした。
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ほぼ6時間、約 26km でした。

安達久美 with 大久保初夏 live at 都雅都雅

唐櫃越えを何とか歩ききって、やってきたのは四条寺町のライブハウス「都雅都雅(とがとが)」。
まるで磔磔のパクリのような名前の都雅都雅というライブハウスが磔磔から歩いてほんの数分の所にあるのはつい先日までまったく知らなかった。
先日の磔磔での Leyona のライブ情報を調べているときにたまたまこのライブのことを知って、またまた勢いで買ってしまった。女性5人のロックバンドで、ブルージーなサウンドを期待した。
バンドとは言っても固定メンバーのバンドではなくて、みんなのスケジュールが合った時に一緒に演奏するセッションバンドのようなもの。
今日の主役はギターの安達久美だけれど、個人的には大久保初夏のシカゴブルースナンバーを楽しみにしていた。
早めに着いたせいでステージ真ん前のかぶりつき席に座った。お客さんは Leyona の時と同じの数十人くらい。
安達久美が近々誕生日ということで(40 歳になるそうです)、「安達久美 Birthday Live Tour !」というツアーになっていて、昨年リリースされた「Luck of Blue」のライブ版という内容でした。
安達久美と大久保初夏以外のメンバーは名前の知らない人ばかりだったのだけれど、みんななかなかの実力派で、特にドラムの GRACE(日本女性です)はかなりのもの。
しょっちゅうドラムを壊すというパワーの持ち主で(そりゃそうだろうという体型)、John Bohnam と並んで演奏しても引けを取らないのではないか思えるくらいだった。
実はもう 20 年近く沢田研二のバックをやっているそうで、私とは 10 歳くらいしか違わないベテラン(もちろん年下ですが)。
大久保初夏の Otis Rush なんかを期待していたのだけれど、Eric Clapton や Jeff Beck、Jimi Hendrix、Santana のカバーとオリジナルのナンバーで、シカゴブルースのカバーは聴けなかった。
でも久しぶりに上質のロックを生で聴けて良かった。
「Little Wing」では安達久美がソロでステージの真ん前まで出てきて、手を伸ばせばストラトに届きそうなくらいでした。
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十分楽しませてもらえました。

松尾山のち唐櫃越え

毎月第2水曜日は京都一周トレイルの講座になっている。昨日(11/8)は西山コースの最終回で、嵐山から西芳寺までを歩いてきた。

天気予報通り、朝から雨。しかしお休みは一人だけだった。
阪急の嵐山駅に集合。
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トレイルコースに入ると台風の風による倒木。1ヶ月前はこんなのは無かった。
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急な登りがしばらく続くので、汗をかかないように傘で歩く。
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今日のコースは短いので、嵐山城趾に寄り道する。トレイルコースからはずれるとまたもや倒木。
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山の嵐山の一つ手前のピークまで行く。何も残っていないけれど、いちおう城跡。
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トレイルコースに戻って、松尾山山頂(275.6m)で昼食にした。幸い、雨は止んできた。
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展望場所はガスってほとんど何も見えず。
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時間があるので西芳寺への下りに入る直前のスペースでお茶タイムを取った。
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雨で滑りやすい道を下って、林道に下り立った。
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西芳寺はいつも前を素通りするだけ。
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バス停で解散して、私は唐櫃越えへ向かった。
しばらく舗装路を上がってお墓の間から山道に入る。
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実は今日は夜に京都市内で予定があって、だいぶ時間をつぶさなければならないので、距離の長い唐櫃越えを行くことにしたのだけれど、今の時期は山道を歩けるのはせいぜい5時くらいまでなので、それまでに下道まで出られるかどうか不安はあった。
前回、馬堀から唐櫃越えを行った時は山道に入る直前からこのお墓の所まで2時間ちょっとだったのだけれど、この時は一人でトレランだったので、軽装で走れるパートは走っている。
今日は足元こそゴアテックスのトレランシューズだけれど、荷物があるので、フラットな場所でも軽快に走るというわけにはいかないので、同じパートを2時間半以上はかかるだろうと思う。
お墓の横が午後2時 38 分だったので、時間的にはギリギリというところ。場合によっては途中で引き返すということも考えなければならないと思いながら山道に入った。
山道入るやいなや、もう上がったと思っていた雨がまた降り出してきた。仕方無く傘を出す。
しばらくは緩い登りで、おそらく前回は軽快に走って下ってきただろうと思う。この道も台風の影響がかなりあって、所々道が荒れている。不明瞭な所に入り込んだと思ったら、実は行ってはいけない道に入っていたようだ。
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お墓からほぼ1時間で沓掛山(416m)に到着した。ここは前回来たときは小さな標識があったように思うのだけれど、今日は何も無かった。
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ここでちょっと思案した。まだ半分も来ていない。まっ暗になる前に下山できるかどうか、微妙な時間だ。ヘッドランプは持ってきてはいるけれど、あまり遅くなって肝心の用事に間に合わなくなってしまったりしたら元も子もない。
しかし標高としてはほぼ最高点に近いくらいまで上がっていて、これから先はもうあまり長い登りは無いし、この先、しばらく舗装路の林道があることは覚えているので、思い切って先に進むことにした。
この道も倒木がたくさんあって、道も不明瞭になっている部分がしばしばある。
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時々、道を間違っているんじゃないかと不安になったりしたけれど、少し進むとまた明瞭になってほっとしたりした。
時間が気になってあせって進んでいたら、そばにあった木の枝に傘がまともに当たって、「バキッ!!」という音がした。骨が1本、折れていた。金属なら曲がるのだろうけれど、軽量の樹脂なので完全に折れてしまっている。
このモンベルの折りたたみ傘はまだ買って1年もたっていなくて、使ったのはおそらくせいぜい 10 回くらい。ショック。
午後4時過ぎに林道に出た。
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この林道はほとんどフラットなので、走れそうな所はスロージョグで走った。
みすぎ山に近づくと登りになる。北側は幻想的な風景。
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再度山道に入ってみすぎ山へ最後の登り。
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またもや障害物。
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みすぎ山(430.1m)には4時 43 分に到着した。
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すでに薄暗くなってきていて、亀岡方面はあかりが点っている。
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最後は沢筋に下りになることは覚えている。あとは時間との競争。
沢筋に入ると上空が木で遮られて、すでに足元がおぼつかない状態になっている。
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本当ならヘッドランプを出さなければならないところだけれど、うっかりヘッドランプをザックの底の方に入れたままだったので、暗闇の中、小雨で滑りやすい谷筋を下るという無謀なことを続けた。
下道に出たのは5時7分だった。よく転ばずにすんだと自分でも感心した。
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馬堀駅には5時 20 分に到着した。
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高野山町石道から京大坂道

先の三連休は久しぶりに天候に恵まれた週末だったのだけれど、中日に随行の仕事が入っていて、テント泊というわけにはいかなかった。
随行の前日はあまりムリはできないので、最終日(11/5)に「やった感」の感じられるコースへ行こうと思った。
私は宗教心はまったく無い。テレビドラマも見ないし、しばしば耳にする「聖地」というものにもまったく興味が無い。
「高野山」と聞くと頭に浮かぶのは、鼻に油をテカらせた坊主が札束を舌なめずりして数えているような情景で、神聖なイメージはほとんど無い。
しかし宗教上の参詣道というのはトレランのコースとしてはなかなか魅力的で、登山というほどではないけれど、自然の中を軽快に歩いたり走ったりするフィールドとしては捨てがたいものがある。
高野山もそういう対象としては魅力的な地形で、麓から参詣道を上がって麓まで下りるとそれなりの距離があり、スタートゴールが電車の駅に設定できて、高野山のエリアは比叡山山頂と同じくらいの標高がある。高野三山に登れば 1000m をちょっと越える。
2月に黒河道から京大坂道に行ったけれど、高野山の参詣道で一番ポピュラーなのは町石道(ちょういしみち)。
麓の慈尊院から1町(約 109m)ごとに壇上伽藍まで 180 個の町石が建てられていて、元は木製だったものが鎌倉時代に石柱に置き換えられて、多くのものが今も残っている。
公称約 22km で、途中で電車の駅にエスケープできる道もあるので、分割して歩くこともできる。
先日の台風で南海電鉄の高野線が高野下駅までしか運転しておらず、当然ケーブルも止まっている。橋本からバスの代替輸送をしているものの、ひょっとしたら人が少ないかもと期待して、朝5時3分の始発で家を出た。

高野線は5月に小辺路へ行くのに乗った時に比べるとはるかに空いていたけれど、乗客のほとんどが九度山で降りた。2時間少々かかって7時過ぎ。
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何かイベントでもあるのか、同じ色のジャケットを着た人が何人か駅舎におられる。
駅前のトイレの横の休憩スペースでゆっくり準備して、あたりに人がいなくなってから出発した。7時 20 分。好天で気温が上がると思ったのでほぼ夏スタイルで来たけれど、結構寒い。
何と、いきなり反対方向に行ってしまった。本当は階段を下りてしばらく車道を行かなければならないのだけれど、山へ向かって上がる道があったので、本能的にそちらに行ってしまった。
gps を見てミスに気付いて、あわてて引き返す。誰にも見られなくて良かった。
車道を 20 分足らずで慈尊院へ到着。ここが町石道のスタートになる。
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ガイドツアーだろうか、180 町の石の所に団体がいた。その後、何度か同じ団体と出くわした。
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古い町石は数字がよく読めない。
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しばらくコンクリート舗装の道を登る。それなりの傾斜で、走るのはムリ。
眺望が開けると紀ノ川の向こうに和泉葛城山、岩湧山。
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展望台は団体に占拠されていたのでパス。その少し上からようやく土道になった。
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しばらくで六本杉。ここで丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)への道と分かれる。今日は神社へは寄らない。
ここに町石道の案内板。同じようなものは何カ所かあったけれど。
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このあたりは走れるトレイルで、快調に飛ばして9時ちょうどに古峠(ふるとうげ)に到着した。このあたりで少し補給しようと思っていたのだけれど、ちょうどここで数人のパーティと出くわしてしまったので、そのまま先に進んだ。
ほどなく二ツ鳥居。
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まさにトレランのためにあるような道だ。進むにつれて標高も上がるので、体感温度は上がらない。
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9時 38 分にちょうど半分の 90 町まで来た。
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少し行って峠とは思えない笠木峠。
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少し行ってから道ばたの倒木に腰をかけてクリームブランを補給した。手袋を着用。
左側に車の音を聞きながら走って、R370 に出た。
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国道を渡ってすぐにまた山道に入る。この先で数十名の大集団に出くわしてしまった。また、下りてくる団体もいくつか。
少しずつ抜かせてもらいながら進んだ。ただ、ここは町石道で一番の急登部分で、たとえ一人でもスイスイと歩けるような場所ではないので、イライラ感はそれほど大きくなかった。
集団を越えて少し行くと袈裟掛石。
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さらに進むと鏡石。
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最後にひと登りして、大門前の車道が見えた。
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11 時 37 分に大門に到着した。
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2月に来た時はこのあたりは閑散としていたけれど、今日は車が大渋滞。電車で来られないので、車で来る人が多いのだろう。
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ここからは車道を歩いて、壇上伽藍の手前に一町。
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そして壇上伽藍の中門。
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時間があるのでシューズを脱いで金堂に入ろうとしたところ、入り口の先に「拝観料 200 円」という札が立っていたので、中をちらっと眺めて退散した。
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紅葉がきれいだ。
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そして金剛峯寺。高野山では紅葉真っ盛り。
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あまりの人いきれに息が苦しくなる。早々に女人堂に向かう。
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ここからは前回通った道だけれど、京大坂道(きょうおおさかみち)の古道は荒れていたので今日は舗装道路の方を下ろうと思う。
と思いながら、足が勝手に古道の方に向かってしまったが、やはり・・・。
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前回以上の荒れぶりに、この下の分岐からは舗装道路に向かった。
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女人堂から 30 分少々で極楽橋へ。電車が止まっているので閑散としている。
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あとはずっと車道を淡々と下るのみ。ただし丹生川を渡ったあとにちょっとした丘を越えなければならない。
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丘を越えたところの集落で祭りをやっていた。
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和泉葛城山、岩湧山の雄大な眺め。
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あと少しで学文路(かむろ)というところでこんな表示が。
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印刷がにじんでいて詳細がわからない。そのまま下ると、そのあたりにおられた男性から「この道は土砂崩れで歩行者も通れへんで」との一言。
橋本へ向かうなら少し戻って広い車道を行くのがいいと言われたので戻ったけれど、この車道はとても歩行者が通れるような道ではない。道幅はあるけれど歩道は無く、歩行者自転車は通行禁止ではないかというような道だ。
すぐそばに少し細い車道が分かれていて、橋本の標識が出ていたので、そちらに向かった。
実はさっきの道を下るとこの道に出たようで、少し下ると土砂崩れ現場。
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近づいてみると何となく越えられるのではないかという感じ。足元を見ると足跡がいくつか残っている。
案の定、さしたる苦労も無く越えることができた。
苅萱堂(かるかやどう)は前回は余裕が無くてゆっくり見ることができなかったので、今日はシューズを脱いで中に入らせてもらった。
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人魚のミイラの写真を撮ったものです。
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これでもう今日は満足した気分になって、すぐそばの学文路駅で終わりにしようと思った。
線路脇を走って駅のすぐそばまで来たけれど、入り口がわからない。ぐるぐるまわって、R370 に出てようやく改札口にたどり着いた。
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ちょうどその瞬間、電車が出て行った。次の電車まで 30 分。着替えて一息つくにはいい時間ではあるのだけれど、国道沿いとは言っても店は何も無い。ビールも調達できなさそう。
それならもう橋本まで走ってしまおうと思って、待合でどら焼きを補給して紀ノ川沿いのサイクリングロードを走った。
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橋本駅に到着したのは午後3時 20 分。10 分後に難波行きの急行が出るので、またまた着替えもせずにホームに向かった。
ちょうど8時間。約 40km の旅だった。

高取山から菊水山、鍋蓋山

先の土曜日(11/4)は登山講座の六甲全山縦走第2回。前回の続きで、高取山の安井茶屋から北東に向かう。

集合は高取団地前のバス停で、私は別の講座で高取山へ行った時に下山した、西代からの道を歩いて上がることにした。
西代駅の前の小学校のわきを曲がって少し行くと参道が始まる。
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20 分少々でバス停そばの登山道の標識に到着。
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しばらく車道を上がって、車道終点の高取大明神。
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ここから登山道に入って、30 分ほど登ってトイレのある公園に到着した。
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山道を少し下るとすぐに丸山の住宅街に入る。住宅街と言ってもアップダウンばかりで平坦路はほとんど無い。
左方向の小高い所に大仏のようなものが見えた。何か新興宗教の施設だろうか。この道はもう何度となく通っているけれど、今日初めて気が付いた。トレランで行っている時は山道の展望場所以外で遠くを見ることはほとんど無い。
50 分ほど歩いて鵯越駅へ。
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しばらくほぼ平坦な道を歩いて、12 時前に菊水山への最後の登りの始まる休憩ポイントに到着。
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そろそろお腹が空いている人もいるようだけれど、ここからしばらく急登になるので、食事直後の急登はしんどいし身体にもよくないので、山頂まで上がることにする。
30 分足らずで快晴の菊水山山頂(458.8m)に到着した。
ここで昼食にしたのだけれど、そろそろ休憩が終わろうかという頃、突然天気が急変して雨が降ってきた。
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西からの風もわりと吹いて、気温も下がってきたけれど、私は傘でしのぐ。
その後、雨は降ったり止んだりという感じで、幸い本降りの気配は無い。
下りきって天王吊り橋を渡る。
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鍋蓋山(486.1m)には午後2時くらいに到着した。
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ここからの展望はいつも素晴らしいけれど、一番美しいのはやはり夜景だ。
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今日は縦走路はここが最後で、少し下った所から鈴蘭台への道を下る。
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25 分くらいで車道に出た。
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水源地前バス停で解散した。
鈴蘭台駅まで歩く人もいたけれど、私は翌日は始発で出てトレランに行くつもりだったので、バスで駅に向かった。

Leyona live at 磔磔

京都のライブハウス「磔磔(たくたく)」は 20 代の頃、北白川にあった「サーカス&サーカス」と共に最もよく行った店だった。「サーカス&サーカス」はいつの間にか無くなってしまったけれど、「磔磔」はまだ健在。
たまたまネットで暇つぶししている時に、磔磔で Leyona のライブがあるというのを見つけて、久しぶりに行ってみることにした。
前回、磔磔へ行ったのがいつだったのかもはやまったく思い出せないのだけれど、たぶん 30 年以上前だろう。
かつては立ち見を強いられたことなどもあったので、開演の 40 分ほど前に店に入ったところ、まだ来客は 10 人くらい。余裕で前の方に座れた。
この店はかつて酒蔵だった建物を流用している。昔の記憶では大きな酒樽が置いてあったように思うのだけれど、今日は見あたらなかった。記憶違いかも?
最終的には客は数十名くらいで、椅子席がほぼ満席というくらい。今日のステージは山本タカシ(ギター、ヴォーカル)とのデュオなので、これくらいの方が聴きやすいかもと思った。
Leyona のライブはこれまでにも何度か行っているけれど、前回行ったのはたぶん 10 年くらい前。以前に行った時はすべてブルースバンドとの共演だったので、今日のようなアコースティックなステージは初めてだ。
ブルースバンドとの共演だと歌う曲は英語のブルースが主体で、Leyona 自身の持ち歌は生ではあまり聴いたことが無かったのだけれど、今日は逆にほとんどが Leyona の持ち歌で、私のお気に入りのアルバム「Clappin’」や「Rollin’ & Tumblin’」の曲も何曲がやってくれた。
ただ、この頃の唄はベースとドラムのリズムセクション無しではちょっともの足らないというのが正直なところ。
ずいぶん終わるのが早いなと思ったのだけれど、どうも終演が9時ということになっているらしい。昔は 10 時過ぎくらいまでやっていたように思うのだけれど・・・。
Leyona もいつの間にやら 40 歳になったらしい。私がこんなことを言うのはおこがましいのだけれど、昔より唄がうまくなっているように感じた。
Leyona のライブはまた機会があれば行ってみたいと思うけれど、次はやっぱりバンドとの共演がいいな。