これはおもしろそうと感じて図書館で借りてきたのが、前登志夫氏の「吉野紀行」。
借りてきたのは1984年出版の新版で、最初に出版されたのは1967年。もう50年以上前になる。
これまでに訪れたことのある場所がたくさん出てきて、地図を見ながら楽しく読み進んでいる。
エリアごとに章が分かれていて、最終章に入った時、弘法大師のあの「吉野山から南に一日、西に二日」の文章が出てきた。
そこで示されていたのは、「南に一日」は洞川、もしくは天川村の川合あたり。そこから西へは天の川沿いに大塔町の阪本まで下って、野川道を辿ったと解説されている。
野川道というのがどの道なのかはっきりわからないが、おそらく野迫川村の中原川沿いの道だと思われる。この道の途中に「野迫川村旧野川小体育館」という施設がある。
地図でルートを確かめて、さらに例の「弘法大師の道」のかなりの部分を自分で歩いて体感した感じからすると、おそらく真の「弘法大師の道」はこちらだと思う。
緑のルートが Kobo Trail のコースで、赤が今回知ったコースを推測したもの。
2015年に開催された「弘法大師 吉野・高野の道」シンポジウムにおいても、プロトレイルランナーの横山峰弘氏(Kobo Trailのコースディレクター)が、かつて弘法大師がこの道を辿ったということは「正直、信じられない」と発言されている。
高野山大学名誉教授の村上保壽氏は「実際には山を良く知る狩人などが同行したはず」とおっしゃっているが、このシンポジウムの映像ではどこかすっきりしない感じがぬぐえない。みんな、本心では疑念を持っているのではないかという感じがする。
奈良県の本音は、このルートをハイキングコースとして集客したいというところにあるのではないかと思わざるを得ない。
そのためにトレランのレースを開催して知名度を上げて、ある程度のハイカーの往来が見込めたら本格的に整備していこうという狙いではないかと思われる。
しかし私がコースのかなりの部分を歩いた感じから言うと、ここはハイキングコースにはとてもならないと思う。ハイキングコースとしてはルートが厳しすぎる。しかも水場が無い。
さらにまともな公共交通機関があるのは両端の吉野と高野山だけで、それ以外は唯一、私がリタイアした天辻峠の1日3本程度のバスだけ。
車利用であれば2台で来なければ縦走できないし、その道も狭い林道だ。
まぁ、ちょっと話が横にそれてしまったけれど、つまり今から1200年以上も前に、弘法大師がこの道を辿って吉野から高野山へ行ったというのはちょっと信じられないということ。
もちろん、それよりも前に役行者は大峰奥駆道を開いているけれど、あちらは修験道の修行の道である。
やはり弘法大師が辿ったルートは前登志夫氏の説の方が説得力がある。もちろん、前氏がこれを書かれた時点では今の「弘法大師の道」はおそらく大半がヤブで道など無かったに違い無いけれど。部分的には植林で踏み跡があったかも。
そうは言っても Kobo Trail のルートはそれはそれで魅力的で、たとえ真の「弘法大師の道」ではなかったとしてもトレースしておきたい道であることには間違いは無い。
もう自分の中ではこのことは決着をつけたはずなのだけれど、なぜか後からまた新たな情報が出てくる。
いずれにしても前氏のルートは今は大半が川沿いの車道なので、ここを足で辿ることは絶対に無いけれど。