宍粟五山

この週末は天気予報では今ひとつだった。しかし終日雨というわけではなくて、西の方ほど降水確率が低い。それならばということで、普段馴染みの薄い兵庫県に出かけることにした。

兵庫県は氷ノ山(1510m)をはじめとして 1000m を超える山がたくさんある。地図を眺めたところ、宍粟市に 1000m 超の山がいくつか並んでいて、うまい具合に周回できるエリアを発見した。

千町ヶ峰、段ヶ峰、杉山、笠杉山、大段山はぐるっと周回できる。ただし大段山だけは 1000m に満たない。

下千町の登山口までは車で2時間半くらいで、何とか日帰りできる範囲だ。

それではということで土曜日(8/22)の朝4時半に家を出た。途中でパンとジュース、コーヒーの朝食をとって、7時前に朝来ICを出た。

google のナビで林道に入ったところ、どう見てももはや車は通っていないと思われる悪路だった。雨水が流れた溝が深く切れ込んでいて、こんなところにはまり込んだら脱出できなくなってしまう。並の車高の SUV では到底ムリ。

致し方なく戻って、手前にあった舗装された林道の標識を見たところ、この道を行けば今日の周回コースの途中と交差する。そのあたりに車を止める場所があればそこから周回すればいい。

道端を注視しながら進んだところ、山道の標識が見つかった。そこから少し進むと絶好の駐車スペースがあった。

この「千峰」というのは何の意味だろうか。ここからさほど遠く無い場所に「千ヶ峰」という山があるが、方角が反対。この場所からは見えない。

とにかく、いい場所が見つかったので、このそばに車を置いて7時 40 分に出発した。

先ほど見つけた標識の場所に向かって車道を戻った。千町小屋という案内の標識が左に向かっていたが、稜線を忠実に辿るつもりで笠杉山へ少し登り返す。

ほどなく稜線に出会ったが、どうもまったく歩かれていない様子。

強引にそちらに向かったが、少しして車道に出てしまった。そこを渡ってさらに下っていくが、ヤブが濃い。さらに下ると沢筋に出た。

左岸をへつって進んだが、かなり危険。斜面は急だったけれど、頼りなさそうな草木を掴みながら稜線に這いずり上がった。

そうしたら何と、笠杉山への標識が現れた。

一瞬、状況が理解できなかったが、上にあった千町小屋への標識をそのまま下っていたらここに出たのだ。つまりこれまでの苦労はまったくのムダだったということ。と言ってもせいぜい 30 分くらいのことだったけれど。

ほんの数分で千町小屋に出た。人の気配は無し。

ここで林道と交差する。

散策路があったのでそちらに入ったが、しばらくして道が無くなった。川の右岸を行かなければならないはずが、左岸に来てしまっている。

結局、元に戻って、先ほどの林道を進むことにした。

少し行くと右に朽ちた林道が分かれていた。

ひょっとしたらこちらかもと思って入ってみたが、これもまた変な方向へ向かってしまって、またまた元に戻ることになってしまった。

結局は林道を淡々と進むことになった。アプローチの車道に始まって、最初からミスの連発で、気分はブルー。

15分ほどで上千町の集落に出た。正面にこれから登る大段山。

標識に従って登山路に入る。

急登の部分もあったが、9時39分、登山口から 35 分ほどで今日最初のピークの大段山(966m)に到着した。

ここで腰を下ろして凍らせてきたゼリー飲料を食べた。今回は小さな保冷剤を入れてきたのでまだ凍っている。半分残しておく。

正面にこの次のピークの千町ヶ峰がどっしり。

30分ほどの下りで車道に出た。当初の予定ではここまで車で来るつもりだった。車は一台も停まっていなかった。

キャンプ場の施設は朽ち果てている。最近、キャンプが流行っているとか聞くけれど、キャンプ場も人気不人気がはっきりと分かれているのだろうか。

鬱蒼とした沢筋の道を淡々と進む。

1000m を越えた稜線間近の場所でも水が流れていたので不思議だなと思っていたら、こんな場所に「弘法の池」という水溜り。

たぶん雨水が溜まっているのだろう。水を飲まなくてよかった。

11時18分、登山口から1時間少々で千町ヶ峰(1141.3m)に到着した。

ようやく気分も持ち直してきた感じで、三角点の石に腰掛けておにぎり休憩にした。デザートは半分残していたゼリー。

正面には次なるピークの段ヶ峰。

思ったよりも時間がかかっているので早々に先に進む。しばらく進んだら車道に出た。

正面の林道に入ったが、どうも違う感じ。またまた車道に戻って、車道を進む。

車道を 20 分ほど進んで、千町峠から登山道に入る。

標高差は大したことはないけれど、結構距離がある。

このあたりから疲労感を感じるようになってきた。単なる疲労というより、少し頭がフラフラするような感じ。水に濡らしたネッククーラーやサンシェード、しばしばハッカスプレーなどで暑さ対策はしているけれど、元々体質的に暑さは苦手だ。

12 時半、ようやく段ヶ峰(1103.4m)に到着した。

千町ヶ峰を振り返る。あそこから1時間少々で来た。

残すはあと二山。左が杉山で右が笠杉山。

あれは氷ノ山?。

補給したかったが日陰が無いので先に進む。樹林帯に入ったので腰を下ろしたら今度はアブがまとわりついてきて、なかなかゆっくりさせてくれない。

杉山への登りは苦しくなってきた。アブが去ってくれたのでどら焼き、そしてもう一つのゼリーを補給した。

午後1時 10 分、ようやく杉山(1088m)に着いた。

段ヶ峰を振り返る。

さて、残すは笠杉山のみ。しかし体力回復を期待した補給の効果もあまり感じられない。しばらくは下りだが、本音はあまり下りたくない。

左に林道が見えて、「笠杉山迂回路」という標識があったが、そのまま稜線を辿った。ちょっとした登りだったがつらかった。が、悲しいかな、すぐ先で車道に下りてしまった。ムダな体力を使ってしまった。

おそらくこれが最後の登りになるだろう。

ここからの登りはここしばらく記憶にないくらいに苦しかった。何度もポールに体を預けて立ち止まって呼吸を整えなければならなかった。

最後の方は進めば進むほど頂上が遠のいていくような感覚で、永遠に頂上にたどり着かないのではないかと思えるほどだった。

最後の頂上(1032.1m)に到着したのは午後2時 12 分だった。

午後2時 26 分、ようやく駐車場所に戻ってきた。正面に千町ヶ峰を望むことができた。

軽い気持ちで設定したコースだったが、序盤の様々なトラブルなどで思った以上に体力、気力を消耗してしまった。

消耗したわりには満足感にはほど遠い感じで、すっきりしない山行だった。

神子畑(みこばた)選鉱場跡」の映像はかつて何かで見た記憶があったが、実は今日走ってきた道がその前を通っていた。行きに気がついたので、帰りにはぜひ立ち寄ってみようと思った。

昭和 62 年まで稼働していた施設なので、廃墟という印象では無いけれど、それにしてもこのスケールの大きさには驚かされる。

そして今日の温泉は福崎の福ふく温泉。なぜか玄関に雪女。小ぶりな温泉でした。

伊吹山行道岩

とにかく毎日暑い。せめて標高 1000m は越えなければ、ということで、日曜日(8/16)は伊吹山へ行くことにした。

伊吹山はかつては修験道の山で、行場の跡などが所々に残っている。そんな中で、以前から気になっていたのが行道岩(ぎょうどういわ。平等石、行導岩、行堂岩とも)。

スキー場跡を通る登山道を上がると、五合目を過ぎたあたりで左上に岩とちょっとした建物が見える。しかしここに至る道は無い。

ここは三修、円空が修行したと伝えられる場所。

記録を探ってみたが見つかるのは積雪期ばかりで、無雪期のものは見つからない。

しかし写真で見る限りではそんなに厳しい場所でもなさそうなので、斜面を適当に行けば何とかなるのではないかと思った。何と言っても昔ここで修行した人が何人もいるのだから。

スキー場跡からのコースはおそらく人だらけなので、まだ歩いたことの無い京極氏遺跡から登ることにした。

google のナビでとんでもない細道に誘導されてあわてたが、何とか戻れて、京極氏遺跡そばの駐車場を発見することができた。

7時15分に駐車場を出発。伊吹神社への参道に入る。道のそばには京極氏の遺跡が並んでいるが、立ち寄るのは帰りにする。

神社への石段の横から山道に入る。

結構な急斜面だけれど、道が適度な傾斜でジグザグに造られているので歩きやすい。弘法大師の道龍門岳とは大違い。

山道に入って 30 分少々で上平寺(じょうへいじ)城跡まで来たが、立ち寄るのは帰りにしてスルーする。

さらに登ると弥高寺跡への分岐が。

弥高寺跡がどこにあるのか知らなくて、少し入った所にあるのかなと思ってそちらに向かってみたが、本来の方向からどんどん離れていくので結局ここまで戻ってきた。

尾根に登りあげると前方に伊吹山が望めた。意外と遠いな。

出発して2時間で五合目に合流した。やはり人が多い。

しばらく登山道を登って、六合目の道が右に曲がっていくあたりで左の斜面に突入した。左上に行道岩が見える。

写真では大した傾斜には見えないけれど、ハゲた斜面で滑るとかなりずるずると落ちてしまいそうなので、できるだけ灌木のある部分を選んで進む。

あと少し。

9時50分、行道岩に到着した。

岩の上から琵琶湖を望む。

建物のそばで腰を下ろして、凍らせてきたカルピスを飲んだが、すでにとけていた。冷たさは残っていたけれど。

それにしてもこの建物は何のためだろうか。何かの物置のような感じで、さほど古いものではない。四畳半くらいの大きさで、ドアの鍵は開いていて、中は何も無し。宗教的な物は何も見当たらない。

決して放っておかれているわけではなくて、何らかの保守はされている模様だが、踏み跡のようなものはまったく見当たらなかった。

山頂方面を望む。

登山道に戻るのは大変なので、このまま上に登りあげる。踏み跡などはまったく無く、あるのはシカのフンだけ。

10時20分、無事稜線にたどり着いた。気のせいか展望台の観光客がこちらを見ているような気がする。

行道岩を見下ろす。

足下にキオン。

遊歩道に入って、アカソ。

ルリトラノオ。

駐車場から 30 分くらいで来られるので、このあたりは人だらけ。日本武尊像。

弥勒堂。伊吹山修験道の中心的な施設だった。

10時40分に三角点(1377.3m)に到着した。

空いているベンチに腰掛けておにぎり休憩にした。やはり多少は涼しい。10分ほどの休憩で下山。

ツリガネニンジン。

シモツケソウ。

サラシナショウマ。

伊吹山は修験道の山だったので、その上部は女人禁制だった。夫を追って上がってきたその妻を、一陣の風が吹き飛ばそうとしたが、妻が岩にしがみついた指跡が残っているという手掛岩。

八合目あたりまで下りてくると行道岩が見える。

その案内板。

避難小屋の下からはショートカットして下山路に入る。登ってきたので迷いは無かったけれど、初めてだったらわかりにくいだろう。

どんどん下る。それにつれて暑くなってきた。

上平寺城本丸跡に立ち寄る。16世紀に京極高清が築いた。

随所に標識が建っているけれど、いずれも人工的に地面が削られた跡が残っているだけで、建物の跡のようなものはまったく無い。

12時44分、伊吹神社まで戻ってきた。石段を上がって参拝。

本殿の横には京極氏一族の墓。

12時56分、灼熱の駐車場に戻ってきた。出る時は他には車は無かったけれど、数台が止まっていた。

伊吹は花が有名だけれど、実は薬草でも有名。そこで薬草の里文化センターの薬草の湯へ。エントランスの向こうに伊吹山が望める。

空いていたので良かったけれど、かなり小さかった。実は大浴場と小浴場があって、日によって男女で振り分けているようで、たまたまこの日は小浴場が男風呂になっていたもよう。

なかなか充実感のある一日でした。

龍門岳、烏ノ塒屋山

梅雨も明けて好天の三連休だったけれど、法事があったりしたせいで山に行けるのは 10 日だけだった。前日発の遠出もできず、近場の日帰りしかできなかった。

吉野から北の方を眺めると、龍門岳の東(右)に顕著な突起がある。これは西吉野の梨子堂のあたりからの眺め。

真ん中が龍門岳で、その右の方の突起が烏ノ塒屋山(からすのとややま)。以前から気になっていたので、ここへ行ってみることにした。

吉野運動公園の駐車場に車を置いて、7時過ぎに出発した。

まずは前回、龍門岳に来た時にも訪れた菅生寺(すぎょうじ)に向かう。出発して数分経ってからポールを車に忘れてきたことに気が付いたが、取りに戻るのが面倒なのでそのまま先に向かった。

菅生寺は菅原道真が生まれたという伝承がある。役行者の像があるはずなのだけれど暗くてよくわからず。

その後、前回は訪れなかった薬師寺へ。案内板も何も無く、鎌倉時代制作の宝篋印塔(ほうきょういんとう。上部の相輪は後の時代のもの)が確認できたのみ。

そして吉野山口神社へ向かう。途中で龍門岳が望めた。真ん中の奥の方。

吉野山口神社。

すぐそばに高鉾神社。この神社はかつては龍門岳の山頂に祀られていたとか。

ツルマンリョウは花は終わって実はまだという時期でした。

いよいよ山に入っていく。ちょっとした駐車スペースと公衆トイレ。車が2台停まっていた。

朽ちた林道になって、これも鎌倉時代の龍門寺下乗石(げじょうせき)。

少し進むと左の沢筋に細い道。龍門の滝への道ではないかと思ってそちらに入った。

龍門の滝。

滝壺のそばには芭蕉の句碑。

林道に上がってから道を少し横にそれて、龍門寺三重塔の礎石。

さて、ここを過ぎたら本格的な山道に入る。この道は山頂まで結構な登りが続く。

8時50分に山頂(904.1m)に到着した。

腰を下ろして、凍らせてきたフルーツゼリーを食べた。先週もゼリー飲料を2個凍らせて持ってきたけれど、最初に食べた時にすでに溶けて冷たさも残っていない状態だったので、今回は早めに食べることにした。

保冷パックも少ししっかりしたものを買ったおかげで、まだ半解凍状態でちょうどおいしかった。

さて、今日の本番はこれからである。北へ少し進んでから不明瞭な分岐を北東に向かう。大変な激下りで、ポールを持って来なかったことを後悔したが、もはや後の祭り。

本来の道の部分はおそらく梅雨の多雨でかなりの雨水が流れたであろう様子で、横の枯れ葉の斜面をゆっくり下る。

急な部分はそれほど長くは続かなかった。薄い踏み跡を辿っていたら、足下に手書きの標識があった。

これによると烏ノ塒屋山へはここから右へ入るのが近いらしい。それに従ってその方向へ向かってみたが、ほどなく踏み跡すら見当たらなくなってしまった。

gps で確認するとやはり方向がおかしいので、正しいと思われる尾根に向かって斜面をトラバースした。

しばらく尾根を辿っていると、中龍門岳(673.1m)という三角点に出た。

龍門岳への矢印のある方向に踏み跡があって、龍門岳から来たのになぜ別の方向にそういう標識があるのか理解できず、そうでない方向に向かった。

一段と踏み跡が薄くなったが、朽ちた木の階段が出てきたので、これでいいのだろうとしばらく下ってふと gps を見ると、全然違う方向に下っていた。

結局、中龍門岳の三角点まで戻って、龍門岳への標識の出ている道に行った。

少し進むと送電線の鉄塔があって、この先はどこもヤブでウロウロさせられた。いくつかの方向に古いテープがあって、どれが正解なのかわからない。

結果的には gps のおかげで正しいルートに戻ることができたが、それにしてもわかりにくい地形だ。gps 無しでは到底歩けない。

しばらく進むとわりと新しい植林のネットが出てきた。ネットに沿って下って行ったら、またもやいつの間にかルートをはずれていた。

突然、視界が開けて、桜井方面の展望が得られた。真ん中が額井岳。左の香酔峠を隔てて香酔山、さらに左に貝ヶ平山。

龍門岳から烏ノ塒屋山まで1時間少々くらいで行けるのではないかと思っていたが、すでにそれくらいの時間が経過していて、まだまだ先がある。しばしばロストして、道も倒木だらけですんなりとは歩けない。

ようやく最後の登りにさしかった。さすがに予想通りの急登だが、木の枝を頼りに這いずり上がって、10時55分、ようやく烏ノ塒屋山(659.1m)に到着した。残念ながら展望は無し。

ここで腰を下ろしておにぎり休憩にした。そしてデザートに残りのフルーツゼリー。すでに溶けてしまっていたけれど、冷たさはまだ少し残っていた。

送電線の鉄塔の間から高見山。

下りもわかりにくかった。送電線を過ぎてから直角に曲がるポイントは、gps で確認しないとまずわからないのではないかと思われた。

ほどなく朽ちた林道跡のような道になった。このあたりは意外と上部まで植林になっている。

このあたりは「恋の谷」というロマンチックな地名がついているのだけれど、その云われは不明。

その「恋の谷」をそのまま下ると車道部分が長くなるので、途中で西への分岐に入る。道が残っているのかどうか心配だったけれど、何とか行けそう。

ちょっとした峠を越えて、別所の集落に出た。

このあと猛暑の中の車道を 5km ほど走って、12時35分、吉野運動公園に戻ってきた。

津風呂湖がすぐそばなので展望場所が無いかと探してみたが、散策路の間からちょっと見えただけだった。

思ったよりも厳しかった。展望もほとんど無く、烏ノ塒屋山は登るよりも眺める山だと思った。まぁ登ったから言えることだけれど。あまりお勧めはしません。

天辻峠から高野山

久しぶりに好天の週末がやってきた。

車中泊で白山あたりにでもと思っていたが、コロナが拡大している。予定していた岐阜県は独自に緊急事態宣言が出されてしまって、圏外ナンバーの車で出かけるのは躊躇してしまう。

それなら電車で日帰りの範囲でということで、昨年、天辻峠でリタイアした弘法大師の道の続きをやってみることにした。

昨年、天辻峠で終わった後は、このルートはもうこれで終わりだと思っていた。日を改めて続きをやるのは無意味とすら思った。

今回、電車で行ける日帰りエリアで考えたところ、久しぶりに高野山へ行ってみたいと思った。しかし黒河道町石道、京大坂道はすでに歩いているし、正直もう一度行きたいと思えるほどではない。となると残された道はもはや弘法大師の道しかなかった。

8/2の日曜日、朝5時過ぎに家を出て、京阪、JR、南海、JR、バスと乗り継いで、9時過ぎにようやく「星のくに」の停留所に到着した。そばの道の駅大塔で準備を整えて、9時20分に出発した。

天辻峠への車道を登る途中で細い道との分岐があった。こんな分岐あったかなと思ったが、車道の方は「天誅組本陣遺跡」という案内が出ていたので、細い道の方へ入った。

昨年下った時はもっとしっかりした車道だったように思ったけれど、しばらく登ると「天誅組本陣遺跡」が現れた。昨年はこんなものに出会った記憶は無い。

少し進むと車道に合流して、そこに案内板が出ていた。昨年はずっと車道を下ったのでこの遺跡前は通らなかったのだった。

出発して 25 分ほどで天辻峠へ。この光景ははっきり覚えている。

ここからしばらくの区間は「9月から11月までは止山のため入山禁止」という案内が貼ってある。「止山」って何? 松茸山? まだ8月なので山道に入る。

少し進むと急登になった。13分ほどで大日山(897.3m)。

少し進むと道のそばにマムシ!!(たぶん)。

踏まなくてよかった。それにしてもマムシというやつは近づいても逃げない。

今日初めて例の標識に出会った。

そして激下りになった。先日の教訓で今日はポールを持ってきている。

出屋敷峠で車道に出会う。

このあとは 25 分ほどの激登りで白石岳(903m)。

昨年は天辻峠で敗退して本当に良かったと思った。あの状態で先に進んでいたらかなり悲惨な状況になっただろう。

アップダウンは少し緩やかになって、ほどなく松村山(915m)。

そしてセト山(907.5m)。

そして今井峠。

誰にも遭わなくて快適だけれど、野坂岳から三国山のような自然感あふれる道ではない。単に登山道としての魅力が無いだけと言ったら怒られるか?

走れそうな所では走る。

道が広くなってきた。かつては林道だったもよう。まるで京都北山の大見尾根のような状態。

午後1時 40 分、車道に出た。

このあとの陣ヶ峰は大会ではカットして車道を行っているけれど、私はピークに行くつもりだったので、車道を渡って薄い踏み跡を辿った。

が、ちょっと変だと思って地図を確認したところ、これは陣ヶ峰ではなくて手前の的場山だった。戻るのはシャクなので稜線伝いに車道に降りた。

そうしたら役行者像があった。

そして天狗木(てんぐき)峠。

陣ヶ峰へはここから稜線に上がるのだけれど、登り口が見当たらない。高野山方面に少し進んだら急登の踏み跡が。

こんな道が続くのかと思ったら、ほどなく広い道に出た。おそらく天狗木峠から野迫川方向に行った所に登り口があるのだろう。

路面がコンクリート敷きになっているけれど、次第に傾斜が急になって、おまけにあまり人が通っていないようでコケが生えている。とても車で登れるとは思えない。

数分登ると金刀比羅宮。

稜線を少し南へ行って、午後2時4分、陣ヶ峰の山頂(1106.2m)に到着した。

一等三角点があるけれど、展望はほとんど無し。高野山エリアでは最高峰のように思うけれど、登山者はかなり少なそう。

下山は稜線を西に向かった。傾斜はそれほどではなかったけれど、そのせいでなかなか車道に出ない。車道は右下に見えているけれど、うかうか下るとコンクリート壁で道に降りられない可能性がある。

30分近く下って、ようやく車道に降り立った。道標は無く、木にテープが巻かれているだけだった。

いよいよ高野山の街が近づいてきた。桜峠のあたりで住宅街にショートカットできるかもと思って、道端のヤブに入ってみた。

うまい具合に住宅街に出られそうになったが、今度は壁に遮られてしまった。しかし何とか降り口を発見できた。

午後3時前、奥の院への入り口まで来た。ここまで来ると観光客が多い。

そして午後3時22分、ようやく金剛峯寺に到着した。

ここまで来たらやはり根本大塔まで行かなければ。

ここで戻って女人堂へ向かうつもりだったのだけれど、道を間違えて大門の方に向かってしまった。

想定外の登りを 20 分ほどで弁天岳(984.2m)。まさかここへ二度も来るとは思ってもみなかった。

15分ほどの下りで女人堂。

京大坂道を舗装道路で下って極楽橋駅へ。

駅には午後4時45分に到着した。ここから電車に乗って帰るのは初めて。高野山にはそれなりの観光客もいて、バス停に待っている人たちもたくさん見かけたので、電車の混雑具合が心配だったのだけれど、実際にはガラ空きでした。

これで「弘法大師の道」は全コースを辿った。その印象を一言で言うと、トレランの大会のコースとしてはおもしろそうだけれど、一般的な登山者やハイカーにとってはあまり魅力のあるルートとは思えないと感じた。

大峯奥駆道のような歴史や遺跡があるわけでもないし、魅力的なピークがあるわけでもない。交通の便も悪いし、稜線上では水場はどこにも無い。

おまけに道の付け方がかなり乱暴で、急斜面でもほとんど真っ直ぐに付けられている。登りはいいとしても下り、特に雨天時などは危険である。

展望が得られる場所も限られているし、高島トレイルのような美しいブナ林などがあるわけでもない。

「弘法大師の道」と銘打たれているけれど、私の個人的な印象としてはこの道(もちろんその当時は道など無かったはず)で弘法大師が高野山に向かったとは思えない。私は前登志夫氏の意見に賛同する。

随所にある標識によると学術調査が行われたようだが、どういう調査結果が得られたのか、ネットで調べた限りではわからなかった。もし重要な痕跡などが見つかっていればそれなりの標識などが設置されるはずなので、そういうものが何も無いということはそういう発見は無かったということではないのだろうか。

ここ何年か頭の片隅にずっとこびりついていた「弘法大師の道」だが、これでようやく気持ちがすっきりした気がする。